2025年8月9日土曜日

冬冬の夏休み

真夏日。新宿武蔵野館候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『冬冬の夏休み』デジタルリマスター版を観ました。

台北の小学校の卒業式、6年生代表の答辞と仰げば尊しの合唱から映画は始まる。台湾の新学年は9月からなので、卒業式の翌日に夏休みが始まります。

小学校を卒業した冬冬(王啓光)と幼い妹の婷婷(李淑楨)は、父(楊徳昌)とともに、母(丁乃竺)の病室を訪ねる。消化器系疾患の手術をする夏休みの間、銅羅で病院を営む母方の祖父(古軍)の家に兄妹は預けられる。迎えに来た叔父(陳博正)は、別の駅で恋人(林秀玲)を見送る間に電車を逃し、冬冬と婷婷はふたりきりで銅羅駅に降り立つ。叔父を待つ間、台北から持参したラジコンカーで遊んでいた冬冬は地元の子どもたちとすぐに打ち解け、ラジコンカーを亀と交換する。

台湾ニューシネマの旗手であり、その後多くの国際映画祭の常連となる巨匠で、2023年に引退した候孝賢監督の1984年作品のデジタルリマスター版のリバイバル上映です。

思春期手前の少年が田舎で出会う同世代や大人たちから受け取り、また自身でつかみ取る何か、言葉では形容しがたい経験と認識を優しく描いています。子どもたちが都会のおもちゃ欲しさに一様に亀を差し出したり、川遊びで仲間外れにされた腹いせに婷婷に服を流され下半身に芋の葉を巻いて全速力で帰宅したり、叱られて正座させられたままうつぶせに眠ったり、笑えるシーンも多々ありますが、おそらく知的障害を持つ若い女性ハンズ(楊麗音)の存在が物語に豊かな陰影をもたらしている。懐かしくも心温まるバケーションムービーです。

台湾巨匠傑作選2024』で観たエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『台北ストーリー』は、候孝賢監督が主演していましたが、本作は逆にエドワード・ヤン監督が主人公兄妹の父親役を演じています。

母親の病気により田舎暮らしをする子ともたち、幼い妹が見つからず家族総出で探すシーンなど、いくつかのエピソードは1988年公開の『となりのトトロ』に影響を与えていそうです。エンドロールで山田耕筰作曲の「赤とんぼ」が流れると一気に山田洋次感が出ました。

 

2025年8月4日月曜日

水の中で深呼吸

猛暑日。新宿シネマカリテにて安井祥二監督作品『水の中で深呼吸』を観ました。

コースロープがまだ張られていない競泳用プールに仰向けに浮かび、波紋を作りながらゆっくり横切っていくショートカットの葵(石川瑠華)は高校1年の水泳部員。「上がるよ」と同級生の日菜(中島瑠菜)に手を引かれたときに感じたときめきに戸惑う。

昌樹(八条院蔵人)は葵の幼馴染で部活の1年先輩。放課後に葵の部屋をしばしば無造作に訪れる。葵に恋心を抱いているが、自分が恋愛対象として見られていないことを知っている。

1年生だけが部活後のプールサイドにデッキブラシをかけていたところにわざわざペットボトルを捨てたことを注意した日菜に暴言を吐いた理奈子先輩(伊藤亜里子)に葵がキレて、2週間後に1年生と2年生が400mリレーで競って、1年が勝ったら2年生も掃除をする、2年が勝ったら今まで通り1年は2年の言いなりになる、という勝負を賭ける。

「水の中は苦しい。けど水の外も苦しい。でも飛び込まなくちゃ。自分の足で」。キャプテンの玲菜先輩(松宮倫)は水泳の実力も部内一だが人知れず地道なトレーニングをしている。コースロープが張られ、葵は同級生の胡桃(倉田萌衣)と梨花(佐々木悠華)の協力を得るが、もう一人のリレーメンバーが決まらない。

山岳を背景にした田園地帯の公立共学校の水泳部のひと夏の物語。自身のジェンダーアイデンティティに揺れる主人公とチームのゆるい絆と小コミュニティ内の息苦しい恋愛模様。74分というコンパクトなサイズの中に、十代の感情の振れ幅がよく描かれており、青さも酸っぱさも身に覚えがあります。昔ながらの個人経営のパン屋の店先に置かれたベンチで部活後の時間を過ごすのは僕にも懐かしさのある夏の風景でした。

腹筋バキバキでひとりだけ身体の仕上がった昌樹は水泳部内で女子をとっかえひっかえするクズですが、その底にある満たされない焦燥は、多寡やアウトプットの違いこそあれ、多くの十代が通過するところです。

泳ぐ選手たちの体幹がしっかり通っていて、水上と水中のカメラワークも目に心地良いのですが、劇伴が映像を弛緩させてしまっているような気がしました。特にレースシーンでは、水音や泳ぎ終えたあとの荒い息遣いや心拍音だけを聴かせるほうが緊張感が出せたと思います。エンドロールのビートレスなアンビエントミュージックはとても素敵でした。

 

2025年8月1日金曜日

感じ合う世界のpiece

真夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブ『感じ合う世界のpiece』に行きました。

客電が落ち、MANDA-LA2では定位置の舞台下手奥に置かれたグランドピアノに向かい、夏休みの心象を描いた短いイントロダクションから、レゲエのリズムの「真夏の日」「feelin'」とサマーソングが3曲続く導入。「今日は感じ合える時間が作れたらいいなと思います」と言う。

センターマイクに移動してガットギターで「朝の気持ちは昼には消えた」と歌う「夏空」へ。毎年4月11日に同じMANDA-LA2で開催している周年ライブが2025年は自宅からの配信のみで、僕は東京ミッドタウン日比谷のスターバックスで視聴しました。年末のゴスペルクワイアを除けば、1年4ヶ月ぶりに生で聴くmueさんのきらきらしているのに耳にやさしい歌声が全身に染み渡りました。

以前SNSで発信していた Abbey Road のB面のような連なる断片の響和は冒頭3曲とセカンドセットの「神様との約束」「砂粒程の奇跡を感じられる世界」「遠い場所からやって来たインスピレーション」のブロックで実現できていたと思います。

バンドセットの広がりや浮遊感も素敵ですが、今回のようなソロ弾き語りはより自由でリラックスした素の姿に近いのではないでしょうか。メロディメイカーとしてもスタイルを確立しているmueさんのシンガー面での充実ぶりがうかがえます。

どちらかというと感情や心象風景や抽象概念を歌詞にすることが多いmueさんが、共作曲やカバー曲で季節感のある風景や人の姿を歌うときの映像喚起力の強さに気づかされました。自作曲では情景を描いても次の瞬間に内面に入ってしまう傾向が強いので、もっと風景や表情を描写する歌を聴いてみたいと思いました。

「かつてLove & Peaceを歌いたいと思っていたとき自分の中にはPeaceがなく、Pieceしかなかった。今はPieceがPeaceに近づきつつある」と言う。変化し続けているからこそ、長く歌い続けていても失われないフレッシュネスが、会場を多幸感で充たしていました。

 

2025年7月31日木曜日

海がきこえる

真夏日。アップリンク吉祥寺望月智充監督作品『海がきこえる』を観ました。

「僕が里伽子と出会ったのは2年前、高校2年の夏。こんな日だった」。JR中央線吉祥寺駅のホームから物語は始まる。大学1年生の杜崎拓(飛田展男)は電車で羽田空港へ向かい、旅客機で故郷の高知に帰る。

中高一貫の進学校の高校2年生の杜崎は夏休みにアルバイト中の居酒屋で松野豊(関俊彦)から電話を受け、早退して夏休み中の教室で待つ松野に会う。東京から来た転校生の武藤里伽子(坂本洋子)が1階の職員室で説明を受けているところを教室の窓から見下ろす。

杜崎と松野の出会いは更に2年遡る中学3年のとき。校内放送で突然告げられた京都への修学旅行の中止。松野の抗議文を読んだ杜崎はその大人びた考えに尊敬の念を抱いた。

高二の二学期に転校してきた里伽子は体育も勉強もできて目立つ存在だが、クラスに馴染めずにいた。地味でおとなしい小浜裕実(荒木香恵)とクラス委員の松野だけが里伽子を気にかけていた。やがて季節は冬。中高で一本化された修学旅行の行先はハワイ。ホテルのロビーで杜崎は里伽子に「お金貸してくれない?」と突然言われ、アルバイトで稼いだうちから6万円を貸す。

氷室冴子氏が『月刊アニメージュ』に1990~1992年に連載した原作小説スタジオジブリが日本テレビ40周年記念作品としてアニメ化し1993年に地上波放送された本作を劇場リバイバル上映で観ました。台詞は八割方土佐弁です。

ヒロイン里伽子が主人公杜埼とその親友松野を心情的にも物理的にも振り回す。里伽子の不安定さは思春期そのものでもあるが、現在だとメンヘラもしくはサイコパス寄りにカテゴライズされそうで、共感できないのがいい。そもそも物語に「共感」を求めすぎる風潮を僕は疑問視しています。自分が経験できない別の人生を想像力を駆使して体験できるのが物語であって、理解できない、共感できない人物と出会えることも物語の醍醐味だと思っています。

宮崎駿が初めて関わらなかったジブリ作品である本作で描かれる思春期の揺れは『耳をすませば』や『猫の恩返し』の源流となり、笑わないヒロイン像はのちに『コクリコ坂から』で結実する。

作画は流石のジブリクオリティ。緻密で美しく古さをまったく感じさせない一方で、永田茂が手掛けたサウンドトラックのYAMAHA DX-7Fairlight CMI系統のデジタル音による生楽器の模倣の平板さは逆に、『もののけ姫』(1997)以降のジブリ作品の音響の奥行と陰影の深さを再認識させます。

羽田空港からモノレールに乗り浜松町駅でJR山手線に乗り換え新宿駅の小田急線の改札へ。成城学園前駅は線路がまだ地上を走っており、都庁は建ったばかり。吉祥寺駅のホームからTAKA-Qや横書きのオデオン座の看板が見える。往年の吉祥寺を描いた作品を吉祥寺の映画館で鑑賞できて楽しかったです。

 

2025年7月21日月曜日

詩を興ずる者あれば詩に傾倒する者もあるvol.1


ご来場いただいた皆様、オープンマイクに参加してくれたみんな、ゲスト出演者の小夜さん、藤谷治さん、ラズベリー、企画段階からサポートしてくださったURAOCBさん、主催者さいとういんこさん、LIVE BAR BIG MOUTHオーナー田井さん、ありがとうございました。

JR線でモバイルバッテリーの発火事故があり、新宿駅を通る電車が運転休止というアクシデントにより、開演時間を若干遅らせましたが、8名がエントリーしたオープンマイクの1時間弱から幸せな気持ちになりました。一番手のジュテーム北村氏が僕の「」をカバーし、自作に「彼は還暦、俺は古希」というフレーズを織り込んだのを呼び水に、身に余るほどのトリビュート、オマージュ、コメントで祝ってもらいました。

ゲストの3組も素晴らしかった。祖師ヶ谷大蔵の商店街の夏祭りの合間を縫って駆けつけ、変わらぬポジティブなバイブスで盛り上げてくれた幼馴染のラズベリー。20年ぶりに会えてうれしかったよ。小夜さんは僕の詩をサンプリングした新作と『四通の手紙』からの抜粋、最後は「夜の庭」の連詩を二人で朗読しました。僕にとって下北沢といえば2000年から14年間にわたり詩の教室の講師をやらせてもらった書店フィクショネス店主の藤谷さんです。その後店を閉じて専業小説家となり、今年出版した『エリック・サティの小劇場』から「第十章ジムノペディ」を朗読してくださいました。

いんこさんと去年の誕生日に巻いた「SPOKEN WORDS SICK 5」と2023年の「クリスマスイブの前の日に」、URAOCBさんが加わり三人で「NAKED SONGS vol.14」、計3篇の連詩を披露しました。

ソロパートの朗読作品は以下10篇です。

6. コインランドリー
7. 糸杉と星の見える道    Billie Holiday
8. 眠るジプシー女 Linda Ronstadt
9. 星月夜    Syndi Lauper
10. 夜警 Billie Eilish

終演後にはたくさんのプレゼントをもらい、URAさんが用意してくれたハート型のラズベリームースのケーキのろうそくを吹き消し、ラブリーなガールズ&ボーイズと写真を撮り、詩集にサインを求められ、こんなにちやほやされることは生涯ないだろうなってぐらいちやほやしてもらいました。みなさん本当にありがとうございました。

 

2025年7月8日火曜日

この夏の星を見る

七夕。ユナイテッドシネマ豊洲山元環監督作品『この夏の星を見る』を観ました。

2014年、小学5年生の亜紗(松井彩葉)がFM土浦の科学番組に送った質問が取り上げられ、スタジオから電話がかかってきた。質問に答えた茨城県立砂浦第三高校天文部顧問の綿引(岡部たかし)は、月までの距離は38万km、紙を42回折ると月に届くと教えてくれた。

2019年春、砂浦三高に入学した亜紗(桜田ひより)は迷わず天文部の扉を叩く。同時に入部した1年生の凛久(水沢林太郎)は、ナスミス型望遠鏡を自作したいと言い、ふたりはペアを組んで上級生たちとスターキャッチコンテストに挑む。

2020年が明け、世界中に猛威を奮った新型ウィルスはCOVID-19と名付けられ、砂浦三高は臨時休校になった。長崎県五島の県立泉水高校3年の円華(中野有紗)の自宅は旅館、東京からの観光客を受け入れていたことで近隣住民から誹謗中傷を受け、祖父母と同居する親友の小春(早瀬憩)からも距離を置かれていた。五島へ離島留学していた興(萩原護)は東京の自宅に戻っている。渋谷区立ひばり森中学に進学した安藤(黒川想也)は学年唯一の男子生徒。サッカー部が廃部になり、同級生の天音(星乃あんな)の執拗な誘いで科学部に入部する。

コロナ禍の2021年に新聞連載された辻村深月原作小説の実写化は『ケの日のケケケ』『VRおじさんの初恋』の森野マッシュが脚本を手掛けていると聞いて観に行きました。たかだか4~5年前なのにもう忘れかけていた、色々な形態のマスクや濃厚接触者、ソーシャルディスタンスというワードを見聞きして喉元過ぎればを感じました。

指定された企画の望遠鏡を自作して、出題者がコールする星を見つけるスターキャッチコンテストを、茨城と長崎と東京をオンラインで結んで開催する。ひと夏の青春の物語はひと夏で終わらずに冬まで続きます。続く、というのは良いことだという概念は先の見えないパンデミックの渦中で悪い意味で価値転換してしまいました。この映画を観ている青春をとうに過ぎた僕は青春の有限性に輝きを見出したくて、二度と来ない夏をコロナで台無しにされた彼らを憐れんでしまいそうになるのですが、知恵を絞って工夫して、結果的に忘れられない夏に昇華してしまったことを称えるべきだと思います。

中野有紗は『PERFECT DAYS』、早瀬憩は『違国日記』、それぞれ主人公の姪を演じた五島の二人の実力は本物。マスク着用1の目だけの芝居で、小春(早瀬憩)にいたってはオンラインミーティングのカメラがオフなのに、友愛も鬱屈も疎外感も余すことなく表現している。そのふたりがすれ違いの果てに堤防の上でマスクを外して抱き合い和解するシーンには暴力的なまでに心を掴まれる。実写とCGを重ねた星空も綺麗で七夕に観るにはうってつけの映画でした。

劇中に流れるニュース映像の小池百合子都知事の声に違和感を持ちましたが、エンドロールに清水ミチコの名前を見つけて腑に落ちました。安倍晋三首相の声は誰が演じているのでしょうか。

東日本大震災のすこし後、僕もJAXAのウェブサイトでISS(国際宇宙ステーション)を調べて、何度も肉眼で光跡を追いかけました。約90分で地球を1周するISSは流れ星よりは相当遅いですが、旅客機よりはかなり早いので、手製の望遠鏡で捉えるのは高難易度だと思います。
 
 

2025年7月6日日曜日

ルノワール

曇りのち晴れ。TOHOシネマズ シャンテにて早川千絵監督作品『ルノワール』を鑑賞しました。

色々な国や民族の子どもたちの泣き顔が次々に映し出されるVHSテープを暗い部屋のテレビ画面で観ている沖田フキ(鈴木唯)は小学5年生。停止ボタンを押し、取り出したテープを紙袋に入れて、マンション1階のゴミ捨て場に持っていくと、フォーカスやフライデーが捨ててある。知らない男に話しかけられるが無視して部屋に戻る。

父親(リリー・フランキー)は末期がん、浴室で吐血して救急搬送される。母親(石田ひかり)は企業の管理職、行き過ぎた指導を部下が人事に訴えメンタルトレーニングの外部研修を受講させられる。

1987年の夏、11歳の少女フキが、それぞれ問題を抱える複数の大人たちと関わって成長する物語、ということになるのですが、具体的な成長ポイントが明示されないのがいいと思いました。それでも我々観客はフキの大人に対する接し方や観察するまなざしや感情を向けられたときの表情の変化に成長を感じることができます。

映画の時代設定を象徴するツールとして、テレビの超能力特番とそれに影響を受けたフキたちのテレパシーの実験、SONYのウォークマン、キャンプファイアでYMORYDEENを踊るシーンなどが採用されたと思うのですが、1987年というよりもなぜか1979年を強く感じました。

英会話教室で出会った同世代の裕福な美少女チヒロ(高梨琴乃)と、森のくまさんの輪唱で関係性を深めるのは、早川監督の実体験なのか、とてもいいアイデアであり、最も心温まるシーンになっています。一方、不穏さを補完するためか、室内の足音の音響が強調されているように感じて、集合住宅歴40年の身にはすこし心配になりました。

主人公の事務所の先輩で同じマンションの上階に暮らす若い未亡人を演じた河合優実の芝居がたったワンシーンなのに深く印象に刻まれます。夫を亡くした自責と空虚さを視線と声のトーンで演じ切る技術に痺れました。中島歩は今作でも怪しいです。

 

2025年7月2日水曜日

Chimin TRIO

熱帯夜。吉祥寺Stringで開催されたChiminさんのライブに伺いました。

加藤エレナさんのピアノと井上 "JUJU" ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲 Carla Bleyの "Lawns" で始まったライブ。テナーとピアノの右手のユニゾンがしっとりと夜露を含んだ柔らかな芝生を描写する。5月に高円寺Yummyでも聴いた佳曲です。

グレーのシアサッカー地のジャンプスーツ姿のChiminさんが加わり、ロマンティックなピアノのイントロに導かれミドルテンポのサンバ「残る人」、JUJUさんがストリング・ビーズと小ぶりなマラカスでリズムを刻む。

「夏の日に作った曲を歌います」というMCからの「シンキロウ」は、ちょうど今咲いているノウゼンカズラの色彩が鮮やか。「死んだ男の残したものは」のカバーで前半は終わりました。

後半もピアノとテナーサックスのインストセッションから、夏曲「チョコレート」へ。同じくEP盤『流れる』収録の「sakanagumo」へ。初期の3枚と名盤『住処』の間に位置するターニングポイントとなった小品は、このあとレトリカルに抽象性を高めていく歌詞とソウルフルで多彩な歌唱が拮抗する手前で、海底の真珠のように控えめに輝いている。

そしてこのメンバーでは初めて演奏するという「たどりつこう」は2004年の1stアルバム『ゆるゆるり』から。「不安だとかぬけだせない夜だとか/まざりながらまた朝は来るから」という19歳で書いた歌詞が6年後に「sakanagumo」で「悲しい涙があふれる/夜があっても無くても」と変奏されるとき、その「無くても」という文節の存在にソングライターとしてのジャンプアップを感じるのです。

先週の『うたものがたり』に続いてChiminさんのコンディションがとても良く、且つ、セットリストの重複がないリピーターにはうれしい構成で、『うたものがたり』の7曲と今回の12曲とアンコール「呼吸する森」まで、全20曲のステージとして心から堪能できました。

「音楽に救われた」とはよく聞く言説ですが、そもそも救いを求めるような窮地を経験していないので、実感として僕はよくわかりません。それでもChiminさんの音楽を聴くといつも感じる美しさや心地良さは、仮に僕が窮地に立っていたのなら「救い」と思うものかもしれないです。

 

2025年6月24日火曜日

うたものがたり

熱帯夜。地下鉄を乗り継いで。門前仲町chaabeeで開催されたライブ『うたものがたり』に行きました。

ピアニストで世界100ヶ国以上の音楽を演奏しているワールドミュージッカー岡野勇仁さんの企画で不定期に開催しているシリーズに今回はChiminさんEri Liaoさんがご出演されました。

1曲目の「すべて」は、EP『流れる』のスローバージョン。裸足のChiminさんはギター弾き語りで、chaabeeの真っ白な壁を背景に澄んだ歌声がゆったりと響きます。続く「目と目」を聴くのは11年前の Poemusica Vol.26 以来か。今回MCで初めて作曲した歌と聞き、完成度の高さに驚愕しました。

Chiminさんは大阪生まれの在日コリアン3世、Eri Liaoさんは台日ハーフ、というセットを意識してか「海が好き」「ホロアリラン」のハングル楽曲のカバーを挟み、岡野さんとデュオの2曲、計7曲を歌いました。「」に岡野さんが付けたエレピのオブリガートが可憐で、スーパースローな「時間の意図」の和声は加藤エレナさんのクリスプなピアノプレイとはまた異なり楽曲にアトモスフェリックな広がりを添えています。

Chiminさんのコンディションも抜群で、歌声は陰影が更に深く、透き通るファルセットは伸びやか、Martinギターのブライトで繊細な音色も相俟って、初めて聴くみなさんの気持ちもしっかり掴んでいました。

Eri Liaoさんは岡野さんのエレピとデュオで。フォスターの「金髪のジェニー」北京語訳、常磐炭坑節、台湾の歌姫テレサ・テンのカバー、ゴスペルと幅広い楽曲群をアジア的な発声で次々に歌い継ぎます。博覧強記な岡野さんとのトークも楽しい。

台湾先住少数民族のタイヤル族がルーツのEri Liaoさんが操る咽喉声は、同じく台湾先住の海洋民アミ族の歌詞のないコール&レスポンスで構成された伝統曲のスキャットで、chaabeeの古いガラス戸を震わせて強烈な印象を残しました。「情熱傾けて取り組んでみよう」というカオリーニョ藤原さんの「人生の花」のカバーの突き抜けた明るさが眩しい。

会場のchaabeeさんは、2019年春に『同行二人 #卯月ノ朝』でお世話になったお店です。二階が住居スペースの町工場をリノベーションしたヴィンテージ物件は音響が素晴らしく、心地良く音楽に集中することができました。オーナーの藤田ミミさんにも久々にご挨拶できてよかったです。

 

2025年6月22日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

夏至翌日の熱帯夜。二週続けて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』猫の日、mandimimiさんの回にお邪魔しました。

1曲目は "Tell Me If"。「水色の言葉たち/アスファルトに映る/紫の濡れた土/来年の再会を待っている」。昨年完成した12か月の花言葉をテーマにした歌曲集 "FLOWER SPELLS" 収録の6月の花、紫陽花の歌から始まりました。

続いて "Par Avion" "Morning Message" "A Vermillion Sky" の3曲。いずれもヴァーミリオン色が基調となっています。空の色の時間帯的には日本語の茜色に近いですが、黄味がかった茜色に対して、微かに青味が混じるヴァーミリオン。そして「青い森/星の輝き」と歌う "Forever Forest" へと連なる色彩のグラデーション。

尾崎豊の "I Love You" はmandimimiさんが歌うと二匹の子猫の歌に聞こえる。セカンドヴァースのリハーモナイズにより、原曲の持つパトスやセンシュアルなトーンが濾過されて、優しさだけが残ります。

淡いタッチのピアノは控えめな音量で、柔らかな歌声とともに空間を満たす。その感触はとてもパーソナルで、実際には複数のオーディエンスが耳をそばだてているにも関わらず、ひとりひとり個別に対面して語りかけてもらっているような親密さがあります。

煮込みハンバーグがメイン料理のノラバー御膳は、月替わりのメニューのため先週と同じ献立ですが、続けて食べても食べ飽きることがないのは、丁寧な手作業に向き合う我々も感覚を研ぎ澄まして味わうので、新たな発見があるからだと思います。

mandimimiさんが6月13日の明け方に見た夢を題材にした新曲 "Dinner Table" と4曲のカバー曲で構成されたデザートミュージックもドリーミィなララバイで、先週の自分のライブの疲れからか凝り固まった肩と首筋、そこから派生した鈍い頭痛も気づけばすっかり治っていました。

 

2025年6月16日月曜日

リライト

真夏日。松居大悟監督作品『リライト』を観ました。

主人公大槻美雪(池田エライザ)は県立塩戸田高校の3年生。一学期後半に転校してきた園田保彦(阿達慶)と付き合い始めるが、未来に帰ると保彦に言われ20日後に別れる。保彦は美雪が書いた小説を読んで300年後の未来から来たと言う。美雪はその小説を書くことを約束し、保彦から受け取った錠剤を飲んで10年後の自分に会いに行き、小説を書くように説得する。

10年後、小説家になり結婚した美雪がやっと書き上げた『少女は時を駆ける』の出版は難航している。実家に帰り、10年前の自分が訪ねてくるのを待つが現れない。小さな街なので美雪の帰省の噂はすぐに広まり、同級生たちが連絡してくる。クラスの世話焼き役だった茂(倉悠貴)は同窓会を企画し、事故死したムードメーカー室井(前田旺志郎)以外の33名全員を集めようと奔走していた。

タイプリープものといえばのヨーロッパ企画上田誠が脚本を書き、監督は『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟。原作の舞台は静岡ですが、映画は尾道。主人公の母親役に『ふたり』の石田ひかり、高校の担任教師に尾美としのり。天寧寺、御袖天満宮の石段、ラベンダーの香り、故大林宜彦監督尾道三部作へのオマージュ作品となっています。

機能不全家族で育ったコミュ障の文学少女友恵を演じる橋本愛は別格の存在感だが、久保田紗友山谷花純大関れいか森田想前田旺志郎ら若手巧者のなかで映画初出演の阿達慶(ジュニア)の棒芝居が逆に未来人らしくて絶妙。男子生徒役では倉悠貴の可愛さが際立っています。

池田エライザはお人形のような愛くるしい顔立ちで軽めの作品に起用されることが多い印象でしたが、『古見さんは、コミュ症です。』『海に眠るダイヤモンド』『舟を編む』など、近年は役の幅を広げており、NHKの歌番組で見せた松田聖子の「Sweet Memories」のフライングVの弾き語りも様になっていました。深夜の尾道のアーケード街を大人になった同級生たちと歩く姿は美雪の鬱屈を自然に表現していて格好良いです。

 

2025年6月15日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

雨上がり。高田馬場で乗り換えて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。

翌日6月16日は60歳の誕生日。というわけで、還暦前夜祭にお集まりいただいた満員のお客様、インスタライブを視聴していただいた全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、アルバイトのインコ梨ちゃん2号さん、どうもありがとうございました。おかげさまでいい時間を過ごすことができました。

 1. 言葉と行為のあいだには(長田弘
 2. 死  あるいは詩(那珂太郎
 3.
10. ボイジャー計画
12. 観覧車 
13. 水玉
14. 花柄

60分の本編は上記15篇で構成しました。僕が生まれた1965年に出版された詩集、長田弘の『われら新鮮な旅人』と那珂太郎の『音楽』から1篇ずつ。主題に共通点があり、且つ両者とも音韻が緻密に練り上げられており美しい。詩の朗読を聴くという行為は、つい言葉の意味を追いかけることをがんばりがちですが、声と音を味わうものでもあると思います。雨期や夏至を舞台にした4篇、詩集『新しい市街地』、『ultramarine』掲載の連作詩作品を聴いていただきました。

今回ご来場のお土産に制作した『カワグチタケシ映画レビュー選集vol.1』には、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでソングライターだったブライアン・ウィルソンが主役の作品が2本入っています。製本が終わった数日後に82歳で逝去の報が届いたため、以前翻訳したザ・ビーチ・ボーイズの1966年の歴史的名盤『ペット・サウンズ』収録の "God Only Knows"(邦題:神のみぞ知る)の歌詞を朗読しました。

夏のノラバー御膳といえば、とうもろこしごはん、トマト山かけ。定番のきんぴらごぼう、ポテトサラダ、大根油あげ巻、かぶの一夜漬け、メインは煮込みハンバーグ。デザートに固めのノラバープリンと滋味深いノラブレンドコーヒー。お客様も演者もみんなでおいしくいただきながら、見知った仲もはじめての方同士も会話が弾みます。

そして30分間のインスタグラム配信ライブでは以下5篇を朗読しました。

2. オランピア Edith Piaf
3. 日傘をさす女 Amy Winehouse
4. 星月夜 Syndi Lauperに(新作)

還暦のお祝いに集まっていただく皆様に失礼のないように、普段なかなか着ない赤い服をと思って、フードつきのフィッシングベストを用意しました。中のTシャツは10年近く前に下北沢で購入して袖を通していなかったザ・ビーチ・ボーイズの『スマイル』(1967)をおろしました。

十代で詩を書き始めたときにはこんなにも長生きして詩を書き続け人前で朗読をしているビジョンは持っていませんでした。40歳を過ぎたあたりから「あと10年はできるかな」と思い始め、それを毎年更新している感があります。これからフィジカル面は衰退していくでしょう。それでも書きたい詩がある限り、読者やオーディエンスが存在する限り、続けていくんだろうな、とあらためて思いました。しばしお付き合いいただけますと幸いでございます。

 

2025年6月7日土曜日

秋が来るとき

夏日。TOHOシネマズ シャンテにてフランソワ・オゾン監督作品『秋が来るとき』を観ました。

教会の鐘の音。石段を上るハイヒールの靴音。祭壇ではハスキーボイスのアフリカ系神父が福音書のマグダラのマリアをめぐるイエスとパリサイ人の対話を唱えている。

ミシェル(エレーヌ・バンサン)はブルゴーニュの村の家庭菜園で人参を収穫する。雨が降り出したので部屋に戻り料理を始めると、パリに住む一人娘のヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)から電話。秋の休暇に孫のルカ(ガーラン・エルロス)を連れて車で帰ってくると言う。ミシェルは近所に住む旧友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)を収監されている息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)の面会に連れて行き、ふたりは雨上がりの森へきのこ狩りに出かける。

田舎暮らしで充実した老後を過ごす親友同士の丁寧な暮らしを描いたほっこり系のヒューマンドラマかと思いきや、そこはオゾン監督。ゆったりとした時間の流れのそこここに不穏な空気を滲ませます。サスペンスでもあり、ホラー味もあり、総じてコメディでもある。緊張の途切れない物語になっています。

ミシェルとマリー=クロードの過去の職業から派生する母子間のわだかまり。パリでキャリアを積んでいるヴァレリーはミシェルに対していつも苛立っているのに対して、田舎の失敗者であるヴァンサンは鷹揚で母想いという皮肉。いくつかの不運と不幸な出来事が描かれますが、医師も警官も「よくある話です」で済ませてしまう。

「良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう」と嘆くミシェルを「良かれと思うことが大事なの」と励ますマリー=クロードの優しさが染みます。

すべてうまくいきますように』(2021)『私がやりました』(2023)に続く本作も、あえて伏線を回収せずに余韻を残すフランス映画の伝統を踏まえつつ、新鮮なテイストを加える57歳のオゾン監督の円熟した手管が冴える一本です。

 

2025年6月4日水曜日

か「」く「」し「」ご「」と「

天安門事件から36年。ユナイテッドシネマ豊洲中川駿監督作品『か「」く「」し「」ご「」と「』を観ました。

「ただのクラスメイトでよかった。好きでも嫌いでもない、そんな男子のひとりでよかった」新潟県立清鈴高校2年3組大塚京(奥平大兼)のモノローグで映画は始まる。古文の授業の教材は『宇治拾遺物語』。教師が「いと」と「いみじ」の違いを問うとクラスメートの頭上に「?」が浮かぶ。挙手する三木(出口夏希)の頭上に、京には「!」が見える。

ミッキーと呼ばれる三木はいつもクラスの中心にいる明るい性格で裏表のない美人。地味で自信のない京はミッキーがシャンプーを変えたことに気づくが、言い出せないのは、隣席の宮里さん(早瀬憩)に同じことを言って以来、不登校が続いているからだ。

「私、ひとの心はこじ開けるもんだと思っているから」。休日、ショッピングモールのCDショップの前で京と偶然出会ったミッキーは京を非常階段に連れ込む。ミッキーに執拗に問われ、遂に「シャンプー変えたよね」と答える京にミッキーは、京が宮里さんを嫌っていないと確認するためにシャンプーを変えたと言う。ミッキーには人の左胸に+-を示す天秤が見えている。

エル(=宮里さん)は再び登校するようになり、京、ミッキー、エルに京の親友ヅカ(佐野晶哉)とミッキーの親友パラ(菊池日菜子)を加えた5人はいつもつるむようになる。

令和の青春群像劇のマスターピースの誕生。夏服のポロシャツの水色や修学旅行で訪れる水族館の水槽の青。悪意を持つキャラクターが登場しない、あえて解像度を落とした淡い色調の画面に、演劇祭のあとの体育館に差し込む蜂蜜色の西日が高校生たちをやさしく照らす。

5つのチャプターの語り手を、京→ミッキー→パラ→ヅカ→エルと交代で受け持ち、パラは他人の鼓動が数字で見え、ヅカは喜怒哀楽をトランプの絵柄で、エルには感情の向きが矢印で見えることが語られ、期末テスト、演劇祭、修学旅行、受験勉強という定番アイテムに多面的な光を当てるが、誰もが自分の気持ちに気づけないという思春期のもどかしさ。僕は詩人なので、5人の特殊能力は、好むと好まざると他人の気持ちに左右されてしまう、繊細さの隠喩として捉えました。カラフルな記号化とポップな効果音は映画的リアリティの表現手法。

演劇祭のヒーローショーのラストシーンで台詞が飛んだ主役のミッキーを救う「ごめんなさい、私たちは演技をしていました」というパラのアドリブ、修学旅行中に寝不足で倒れたパラを気遣いながら本音をぶつけ合うヅカと応えるパラの大粒の涙。出口夏希さんの圧倒的主人公感に対する菊池日菜子さんのサブカルこじらせ女子感に十代の僕なら惹かれてしまったに違いない。

自己肯定感の低いエルの抑制された演技で、派手さのあるミッキーとパラに負けない強い印象を残した早瀬憩さんのポテンシャルは『違国日記』より更に輝きを増している。伊東蒼さん伊礼姫奈さん當真あみさん(左利き)ら同世代と切磋琢磨して、日本映画界に欠かせない存在になっていくのだろうと思います。

 

2025年5月29日木曜日

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は

緑雨。テアトル新宿にて大九明子監督作品『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を観ました。

本降りの雨が傘に当たる音。キャンパスを歩く後ろ姿。背の高い男子学生には不釣り合いな小さな傘。もうひとつの後ろ姿はヘッドホンをかけたお団子髪の女子学生。

主人公小西徹(萩原利久)は関西大学文学部の二回生。横浜出身で出町柳のワンルームで一人暮らし、銭湯の閉店後の清掃のアルバイトをしている。友人と呼べるのは大分出身の同級生山根(黒崎煌代)だけ。陽キャたちが人工芝の中庭でにぎやかにはしゃぐ昼休みは、誰もいない屋上庭園で過ごしている。銭湯のバイト仲間のさっちゃん(伊東蒼)は軽音サークルでFender Mustangを弾いている。小西に思いを寄せているが、軽口を叩き合う現在の関係も心地良く感じている。

花曇りの朝の階段教室でひとりで講義を聴き、終了のチャイムと共に誰とも群れずに教室を出る桜田花(河合優実)の姿に小西は目を奪われる。山根と入った学食で背筋を伸ばしざる蕎麦を食べる花を見つける。別の雨の日、小西は花に声を掛け、授業の途中でふたりは教室を出る。

小西は屋上庭園を案内し、花は大学アーカイブでSP盤に刻まれた北村兼子の肉声を小西に聴かせる。セレンディピティ。いくつかの偶然が重なり、大切にしていた秘密を分け合うことで関係を深めていく。

NHKの名作ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で大九監督と組み、現在乗りに乗っている河合優実さんはもちろんですが、伊東蒼さんの演技が圧倒的です。特に中盤の長台詞がすごい。愛おしさも自己嫌悪も嫉妬心も羞恥も思いやりも少々の保身もなにもかもがないまぜになった感情の奔流をリミッターを外してぶつけてくる。その逆説的な揺るぎなさを固定アングルで、受け止めきれない小西の表情を揺れる手持ちカメラの逆光で捉える大九監督の冷徹な演出。

夜は短し歩けよ乙女』『鴨川ホルモー』『ワンダーウォール』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。京都で過ごす学生時代は移動祝祭日。そんな憧れが僕にはあります。思春期後半のイタさは輝き、陽キャ体育会もサブカルもそれは同じ。銭湯の主人の妊娠中の娘役で松本穂香さんがカメオ的に出演しているのが『ミュジコフィリア』の世界線上にあるように感じました。

スピッツの「初恋クレイジー」が重要なモチーフになっていますが、萩原利久さんは草野マサムネの若い頃になんとなく似ています。

 

2025年5月19日月曜日

IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA

夏日。TOHOシネマズ池袋チョ・ユンス監督作品『IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA』を観ました。

2021年にデビューした韓国人5人、日本人1人によるガールズグループ IVE が2023年10月から約1年間にわたり世界19カ国28都市で計37公演を行ったワールドツアー "Show What I Have" の凱旋公演、2024年8月10日と11日のソウルKSPOドームのライブパフォーマンスに6人のメンバーのインタビューをインサートしたコンサートフィルムです。

1曲目は "I Am"。イカツめシャッフルビートに乗せて、平均身長170cmのメンバー6人がセリから登場し、堂々と花道を進みながら "I’m on my way, Look at me" と宣言する。

中学生でコンタクトレンズにしてから自己肯定感が高いと言うリーダーのユジンさんと、同じくIZ*ONE出身で174㎝12頭身という奇跡のプロポーションを持つウォニョンさんのツートップを主軸にフォーメーションが展開するが、歌割りやカメラワークは6人ほぼ均等です。

ユジン=ディーヴァ、ウォニョン=スタイルアイコン、ガウル=セクシー、レイ=ベビーフェイス、という役割というか特徴は把握していたのですが、リズさんイソさんの見分けは正直髪色以外ついていませんでした。映画を観て、ギャルなほうがリズさん、妹感強めがイソさんということがわかりました。

日本人メンバーで名古屋出身のレイさんは静止画よりも動いている姿のほうが百倍チャーミングです。すこし舌足らずなハングルもかわいい。

「(自身で作詞した)"Shine With Me" を歌うときは歌詞を意識しないようにしている、泣いてしまうから」と言うウォニョンさんが、ライブ後半で猫耳カチューシャを装着している間、常にカメラ目線で猫ポーズをしており、そのプロ意識に敬意を覚えました。

エンターテインメントとして完成度が非常に高く、観客のマナーも演者によるコントロールもしっかりしている。一例を挙げれば、ラス前のアゲ曲 "Not Your Girl" でメンバーに煽られるまで全員が着座して聴いている、というように幅広い年齢層が楽しめるように構成されています。

K-POPグループの歌割りはソロが基本でユニゾンはほぼないのですが、それだけにアンコールの最終曲 "All Night" に至りはじめて振りを放棄し6人で声を合わせたときの爆発的なエモさ。

同世代のaespaLE SSERAFIMITZYらと比較すると、曲調の幅が広いが故に逆に魅力が捉えにくいと感じていたIVEのことが知りたくて観たところ、6人のパーソナリティを感じたことで、まんまと好きになってしまい、自分ちょろいなあ、と思いました。

"ELEVEN" みたいにやや難解な構成の曲よりも、"After Like"や"Off The Record" のように過去名曲をサンプリングした四つ打ちのレトロフューチャーなディスコサウンドが僕は好きです。

 

2025年5月17日土曜日

ヴァージン・スーサイズ 4Kレストア版


1975年、合衆国ミシガン州の郊外住宅地に暮らすカトリック教徒のリズボン家、高校の数学教師の父親(ジェームズ・ウッズ)、専業主婦の母親(キャサリン・ターナー)と17歳のテレーズ(レスリー・ヘイマン)、16歳のメアリー(A・J・クック)、15歳のボニー(チェルシー・スウェイン)、14歳のラックス(キルスティン・ダンスト)、13歳のセシリア(ハンナ・ホール)の五人姉妹。

金髪の美人姉妹は常に注目を集め、近所の男子たちの憧れであり、妄想の対象であった。ところが、上映開始3分も経たずに五女セシリアがバスタブでリストカットする。セシリアは一命をとりとめたが、ロールシャッハテストで家庭環境に抑圧を感じており同世代の異性との交流が効果的と診断され、リズボン家に男子たちを招いてホームパーティが催されたその最中に、セシリアは2階の自室から飛び降り、自死を遂げる。

このソフィア・コッポラの監督デビュー作のTシャツを一昨年ユニクロで購入したのですが、映画館で観ておらず、月替わりで名作を上映する『12ヶ月のシネマリレー』にて鑑賞しました。4Kレストアされた姉妹のヘヴンリィな美しさは『ピクニックatハンギング・ロック』を想起させ、インテリアやファッションなど、公開後25年経った現在から見てもガーリィが全開で、凄惨かつ陰鬱なストーリーを眩しく照らしている。そのギャップこそが本作が名画とされる所以だと思います。

1970年代のポップチャートを中心とした選曲も最高。主人公の四女ラックスがダンスパーティの舞台袖で学園中の憧れの的トリップ(ジョシュ・ハートネット)とキスをするシーンで10ccの"I'm Not In Love" が流れるのもアイロニーが効いているし、映画後半の閉塞状況において唯一心温まるシーンといってもいい二軍男子たちが姉妹に黒電話で聴かせるトッド・ラングレンの "Hello It's Me" からギルバート・オサリバンの "Alone Again (Naturally)"、ビージーズの "Run to Me"、キャロル・キングの "So Far Away" の流れは歌詞もシンクロして感動的です。

姉妹はいつもごちゃっと固まって映っています。それは男兄弟にはない距離感で、もしも僕が生まれ変われるとしたら三人から五人の姉妹の年下半分がいいなと強く思った次第でございます。

 

2025年5月15日木曜日

Cafe Yummy Koenji Chimin

日脚伸ぶ。高円寺Cafe YummyChiminさんのワンマンライブを聴きました。

まず加藤エレナさん井上"JUJU"ヒロシさんが登場し、ピアノとテナーサックスでブルースを2曲。エレナさんのクリスプなプレイにJUJUさんがスタッカートで応えるミディアムテンポのジャムセッションと「我が心のジョージア」のテーマでスローバラードをしっとり聴かせ、3曲目の「茶の味」からChiminさんが加わる。

既に温度の上がったところに様子見することなく全開の歌声で臨む。シンガーとバックミュージシャンという関係性ではなく、3人でひとつの空間を作り上げるんだ、というメッセージの伝わるオープニングでした。

続く「言葉ひとつ」は近年セットリストの後半に置かれることが多い佳曲。JUJUさんのソプラノサックスの澄んだトーンにChiminさんの中高域が冴えます。そしてサンバのリズムの「残る人」、3/4拍子の「住処」へと繋がる。前半ラストの「チョコレート」は5月1日の蔵前の弾き語りライブでも歌っていましたが、この曲に限ってはフルート入りのアレンジのほうが僕はしっくりきます。

前半同様に第2部もエレナさんとJUJUさんのインスト曲から始まる。Carla Bleyの "Lawns" は眩しい日差しを浴びる芝生というより、夏の夕暮れ時の露に覆われた庭を思わせる。2ビートの「シンキロウ」、佐藤嘉風さんとの共作曲「呼吸する森」への流れも滑らかでした。「私の感じる真理みたいなものを歌詞にしている」というChiminさん。今回はMC少なめでしたが、詩声の表現力で充分に伝わるものがありました。

次のライブは6/24(火)に門前仲町ChaaBeeでソロ弾き語りとのこと。僕も2019年に『同行二人 #卯月の朝』でお世話になった元鉄工所のクールなギャラリーカフェです。

Yummyさんを訪れるのは昨年11月以来。とても感じの良いお店で、マイクを通しているのにミキサーやスピーカーの存在を忘れさせるナチュラルな音響も素晴らしかったです。

 

2025年5月11日日曜日

バロウズ


「今夜ご紹介するのは存命中のアメリカの作家で最高の人です。はじめてテレビに出演するウィリアム・バロウズ氏です!」と紹介され、1981年のサタデーナイトライブの公開収録で小説『ノヴァ急報』を朗読するバロウズのアップから映画は始まる。

そしてカメラは『ガラスの動物園』の舞台でもあるミズーリ州セントルイスへ(作者のテネシー・ウィリアムズは1911年セントルイス生まれで、バロウズと同じくゲイだった)。かつて生家のあった通りを歩きながら幼少期に関するインタビューに答えるスリーピースにソフト帽の70代のバロウズは一見ジェントルマンだ。

ビート・ジェネレーションを代表する作家のひとり、ウィリアム・バロウズ(1914-1997)の存命中に制作されたドキュメンタリー映画がバロウズ原作の新作映画『クィア QUEER』の公開に合わせ4Kレストア版がリバイバル上映されています。

現在はほとんどが故人となった1910~20年代生まれのビートニクの詩人や作家が登場し、バロウズの人となりを語ります。なかでもアレン・ギンズバーグ(1926-1997)の鷹揚で温和な人柄が印象に残りました。またバロウズが作家になる前からヘロインやモルヒネを取り引きしていたハーバート・ハンケ(1915-1996)は「あいつの書くものは理解できない」と正直です。

執事やメイドや庭師を雇うほどに裕福な実家から40歳近くまで高額の仕送りをもらって各国を転々とし、酒と麻薬と男色に溺れ、内縁の妻をウィリアム・テルごっこで射殺した。そんなヤバい奴にも家族がいる。家業と両親の介護を押し付けられた兄モーティマーに「『裸のランチ』は途中で読むのをやめた。露悪的な描写の必然性が感じられない」と目の前で酷評され苦笑。

射殺した妻との間に生まれたウィリアムJr.(1947-1981)は出来が悪く、同世代の秘書兼愛人のジェームズ・グラウアーホルツ(1953-)は自分こそがバロウズの精神的な息子だと主張、ジュニアはアルコール依存による肝臓疾患で本作の製作中に34歳で逝去する。実の親子の対話シーンのバロウズが不器用過ぎて胸が詰まります。

本作中のバロウズ自身による自作の朗読がどれも素晴らしいです。冒頭のTVショーでは原稿を見ず、ずっとカメラ目線で、沈没していく客船の医務室で行われる凄惨な手術シーンを淡々と読み上げる。その静かな狂気に満ちた真っ青な瞳。なのに客席は爆笑に次ぐ爆笑なのだ。『デッド・ロード』が『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』が『ワイルド・ボーイズ』が映像やインタビューとシンクロする。

監督のハワード・ブルックナーもゲイで1989年にHIVにより34歳で亡くなっています。ニューヨーク大学映画学科の卒業制作である本作は同級生のジム・ジャームッシュが音響を担当している。エンドクレジットにジェネシス・P・オリッジの名前が映るので、スロビング・グリッスルサイキックTVのファンのみんなは目をよく瞠って見ましょう。

 

2025年5月10日土曜日

クィア QUEER


1950年代、真夏のメキシコシティ。主人公ウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)はくたびれたアメリカ人の中年男。かつては粋だったであろう白い麻のスーツはよれよれ、旧市街のバーでテキーラを飲み干し、目が合ったムカデのペンダントの青年(オマー・アポロ)を連れ込み宿に誘い、互いの身体をむさぼり合う。

リーは、通りで見かけた長身で眼鏡の美青年ユージーン(ドリュー・スターキー)に一目惚れする。バーで女連れのユージーンと再会するリー。金と経験とおちゃらけでノンケ男に猛アタックする中年ゲイの悲哀。ユージーンの気まぐれでふたりは身体の関係を持つが、精神的には片思いのまま、薬物依存症のリーはテレパシーを生じさせるという薬草ヤヘを求め、ユージーンをエクアドルへの旅へといざなう。

「セックスモンスターとして生きるか、人として死ぬか」。ビート・ジェネレーションの前衛小説家ウィリアム・バロウズが1953年に書いたが自らお蔵入りにし、1983年に日の目を見た自伝的小説を、フェンディロエベフェラガモシャネルなどハイブランドとのコラボレーションでも知られるグァダニーノが映画化した本作は、物語の前半こそスタイリッシュな映像で美しく魅せるが、後半ジャングルに踏み入り植物学者コッター博士(レスリー・マンヴィル)の小屋に辿り着くあたりから、ドラッグまみれの裏インディ・ジョーンズといった様相を呈する。

「ヤヘは別世界の扉ではない。鏡なのだ。一度開いた扉は閉じることができない。目を逸らすだけ」。保守的なミッドセンチュリーの北米において、バロウズ自身も同性愛者であることに葛藤があったのか、繰り返される「俺はクィアではない」という自問自答が象徴的だ。実物のバロウズも常にスーツにネクタイで紳士然としてはいたが、ダニエル・クレイグは更に品の良さと色気と滑稽さを付加した分、狂気は薄れています。

英国人デザイナーでユニクロとの仕事でも知られるJ.W.アンダーソンが手掛けた1950年代の衣装がお洒落。特にユージーンが着る滑らかな生地のネイビーのシャツやタイトなボーダーポロニットは真似したくなる格好良さです。

冒頭のタイトルバックはSinéad O'ConnorがカバーしたNIRVANAの "All Apologies"、続いてKurt Cobain本人の声で "Come As You Are" と "Marigold"、Princeの "17 Days" が流れてもしや故人の歌声特集と思ったら、New Orderの "Leave Me Alone" で「生きてる人だ」と安心しました。登場人物の心象を1980~90年代のロック、バーのジュークボックスなど映画内の現実の時間に流れるのは1940~50年代のジャズやラテンという使い分けをしていますが、後者のみでまとめてもよかったんじゃないかな、と思いました。

 

2025年5月5日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ③

こどもの日。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」の3日目、最終日は午後の3公演を鑑賞しました。

■公演番号:323〈「四季」世界一周〉 
ホールC(サン・マルコ)13:45~14:45
水野斗希(Cb)

3日連続でハンソン四重奏団。ソリストとコントラバスが加わったアンサンブルは、日本語が堪能なアントン・ハンソン氏の「今日のプログラムは色々な曲が入っていますけど、拍手のほうはいつでもご自由に」というMCで始まる、ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、ニューヨークの冬を巡る旅という趣向。勢いのあるインテンポの縦ノリで若さ溢れる演奏は、23歳長身のルカのヴァイオリンが表情豊かです。アンコールはカザルスで有名なカタルーニャ民謡「鳥の歌」でした。

■公演番号:345
ホールG409(シェーンブルン)17:30~18:15

2018年2024年のLFJでも現代曲を聴いたシャルリエ氏のバロックに興味深々だったのですが、20世紀ノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンはかなり自由にアレンジしており、実質ヘンデルの主題による変奏曲。曲が進むにつれ破調するスリリングな展開でした。ラヴェルのソナタはドビュッシーの追悼曲とは思えないミニマルミュージックの先駆型であり、無調性に踏み込んでいる。ダブルアンコールのエルヴィン・シュルホフジンガレスカもミニマルです。

■公演番号:336〈1972年・インドネシア
ホールD7(セント・ポール)19:30~20:15
北村朋幹(Pf)
ジョラスソナタのためのB</div>

1972年にフランスのTVドキュメンタリー番組でバリ島を訪れた3人の作曲家のピアノ曲集。ノイズの奔流と一瞬の静寂。ガムランの影響は言われてみればという程度で、音楽とは何か、音とは何かを問い直す50年前の前衛を現在どう聴くかと問われているような体験。肘による打鍵はフリージャズでも行われるが、違うのは楽譜の存在か。譜めくり係を置かずピアニスト自らがめくるのだが、めくり方に過剰な緩急があり、それはおそらく譜面に記載されていない。楽譜とは、という問いにもつながる。

北村朋幹氏は靴を履いていないが靴下は履いている。轟音の内にいくつもの疑問符が交錯し、祭りの終わりの寂寥感を吹き飛ばされる爽快さ。アンコールのバルトーク「バリ島から」はただただ美しかったです。

 

2025年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ②

みどりの日。今日も東京メトロ有楽町線で、東京国際フォーラムへ。クラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」、2日目は公演2本を聴きました。

ホールC(サン・マルコ)10:00~10:50

朝から牛たん定食みたいな感じの重量級のプログラムをフランスのベテランが漲るテンションで汗を拭き拭き弾き切りました。ギィ氏の「悲愴」の緩徐楽章の洒脱さはドイツや東欧のピアニストにはないテイスト。5楽章からなるブラームスの第3番は、感傷的な旋律を持つ2~3楽章にうっとり、第4楽章の壊れながら疾走するワルツは、世紀末ウィーンの混沌としたダンスフロアを想起させると同時に、ロマン派を自ら終わらせ、印象派に橋渡しをしているように聴こえました。

ホールC(サン・マルコ)16:00~16:45

こういうレア曲が聴けるのはこのフェスならでは。僕も生演奏は初めて聴きました。エルネスト・ショーソンは、フォーレより若くてドビュッシーよりは年上、フランクの弟子筋らしい浮遊感のある和声と途切れなく流れる旋律が持ち味。昨日も聴いたハンソン四重奏団に貴公子ジェニエとベテラン刑事の風貌のシャルリエが加わるが、曲調としては弦楽四重奏の伴奏付ヴァイオリン・ソナタ(時折四重奏に主役が交代する)といった風情。4~6人編成ぐらいが、ビジュアル面も含めアンサンブルの妙味がわかりやすくて楽しいです。

2公演の間にホールB5(アンドラージ)で、井上さつき氏による無料講演会「パリ万博からみた音楽史」を聴講しました。1855年から1937年の間にパリで6回開催された万国博覧会が音楽界に与えた影響の研究で、1889年の回でジャワ村におけるガムラン演奏と舞踊がドビュッシーやラヴェルら印象派の作曲家に衝撃を与えたのが主眼と思われますが、1867年開催時に当時新進気鋭のサン=サーンスを晴れ舞台からはじき出した最晩年のロッシーニの無邪気な老害ぶりに爆笑しました。

 

2025年5月3日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ①

憲法記念の日。東京国際フォーラムで毎年5月の連休に開催されるクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」が今年も始まりました。

2025年のテーマは "Mémoires"(メモワール)-音楽の時空旅行-、音楽史上で重要な役割を果たした都市にフォーカスしたプログラム構成になっています。

3日間の祭典の初日は有料公演を2つ鑑賞しました。

■公演番号:132 ホールD7(セント・ポール)11:30~12:30

2023年LFJでベートーヴェンを3曲聴き、今年も楽しみにしていました。日英ハーフ1人とフランス人が3人(うちヴィオラのガブリエルは女子)という若きカルテットです。モーツァルトはシモンのチェロの通奏低音がエレガント、一転してベートーヴェンはチェロにより高度な役割を与えています。

作曲されたのは1785年と1806年。わずか20年の間に和声も奏法もまるで異なる。大きなイノベーションが起こったわけですが、Heartbreak HotelAnarchy in the U.K.の間も20年ですから、それぐらいの違いは当然と言えば当然ですね。

ホールC(サン・マルコ)14:15~15:20
ヤン・ヤン(指揮)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

アジア・オーケストラ・ウィークにも以前出演していた中国のオケです。弦楽器の響きが綺麗で、アジアのオケが比較的苦手とする木管も安定してレベルが高い。ヤン・ヤン氏の指揮は、針の穴に糸を通すような精妙な弱音と飛ばすところは豪快にかっ飛ばすダイナミズムがあり、シューベルトの双極性障害っぽい楽曲にベストマッチでした。

半面ベートーヴェンの第7番(ベト7)は終楽章にくどさが出ましたが、元々がいつ終わるのって感じのこってりなエンディングの楽曲なのでそこは仕方ないと思います。

今日は18世紀後半から19世紀ウィーンがモチーフの2公演でした。明日はパリ。楽しみです。

 

2025年5月1日木曜日

Chimin × やまはき玲 =レコジャム=

ファースト・オブ・メイ。都営地下鉄大江戸線に乗って。GINZA RECORDS & AUDIO KURAMAEにて開催された『Chimin × やまはき玲 =レコジャム=』に行きました。

今回はChiminさんがひさしぶりにひとりでギター弾き語りをするという見逃せない日。長いブランクを経て2023年秋にライブ復帰してからは歌に専念しており、僕が弾き語りを聴くのは2016年6月のPoemusica Vol.48以来、実に9年ぶりです。

小柄なChiminさんが小ぶりなアコースティックギター(Martin O-28?)を抱いて歌い始めると場の空気が一変する。1曲目は在日コリアン3世のChiminさんが通った大阪の民族学校の音楽の教科書に載っていた「海が好き」とうたう歌をハングルと自身の訳による日本語の歌詞で。

SEED SHIPPRACA11JAZZ喫茶映画館で聴いて、活動休止期間中にも何度も何度も脳内で再生してきたサウンドが眼前に蘇る。

続く「すべて」は歌詞の一部を引用させてもらって同題の詩を書いた思い入れのある楽曲、「」はエレピの演奏に慣れていますが、Chiminさんが弾く余白たっぷりのミニマルなテンションコードに透き通ったファルセットが響く。近年演奏機会の少ない「帰っておいで」「雨がやんだら」、以前リクエストを聞かれて答えた「蛇口」もうれしかったです。

技術があり且つ彼女の音楽を深く理解しているサポートミュージシャンに支えられて歌唱に集中しているChiminさんも素敵ですが、緩急自在な弾き語りは、その心許なさも含めて彼女の音楽の裏側にある、震え、怯え、脆さや陰影をより一層際立たせ、また違った美しさで、現実に存在して歌う人を見たなあ、という感動があります。

会場は隅田川の護岸から徒歩5分程のリノベートされたヴィンテージ建築の3階にあるお洒落な中古盤店。YESSTINGLAURYN HILLSmashing Pumpkinsなどが面出しされた品揃えがマニアック過ぎず好感度大。入店したときは、Neil Youngの "Comes A Time"が超Hi-Fiで流れていました。

ライブは、リバーヴを綺麗に効かせた弾き語りの小箱っぽい音響でしたが、お店の雰囲気やレコードの再生音とのバランスを考慮すると、もうすこしドライなMIXのほうがいいかなと僕は思います。

共演者のやまはき玲さんは東海林仁美さんのピアノサポートで、3/4拍子主体の楽曲を適度に乾いた抜けの良い声でさらっと明るく歌います。ちょっとノスタルジックな楽曲群に、入場前に歩いた向こう岸に東京スカイツリーを望む幅広な隅田川の開けた初夏の夕景が似合いました。

 

2025年4月21日月曜日

ノラオンナ59ミーティング「スサー」

月曜日。吉祥寺STAR PINE'S CAFEで開催された『ノラオンナ59ミーティング「スサー」に行きました。

青い衣装のノラオンナさん、白地に波模様の古川麦さん、人生初という赤シャツの外園健彦さん、3人並んでご挨拶のあと、ひとり舞台に残ったノラオンナさんがバリトンウクレレを爪弾き歌い始める。

今日は甘いラブソングを歌いたくて、と言う。「赤いスイートピー」のカバーから初期の名曲「こくはく」への流れは、僕がノラさんの音楽に初めて触れた2012年3月のPoemusica Vol.3と同じ。ソプラノからバリトンへウクレレのスケールは変わりましたが、変わらぬフレッシュネスと13年の歳月がもたらす熟成に思いを馳せました。

ノラオンナさんが風待レコードから『少しおとなになりなさい』でデビューしたのが2004年4月21日。毎年その日に開催される周年公演を楽しみにしています。今回は昨年12月発売の新譜『スサー』のリリースライブを兼ねて。アルバム『スサー』は、ノラオンナさんの歌とウクレレ少々、外園健彦さんと古川麦さんのギターのみで構成されています。ライブ前半はその3人それぞれのソロ弾き語りを堪能しました。

古川麦さんは名盤『Xin』の1曲目「Angel」から。イントロの粒立ちの良いアルペジオが、晴れた午前の波打ち際に乱反射する春の陽光のようにきらきらしています。そして魅惑のシルキーボイス。新旧織り交ぜた5つのオリジナル曲はどれも心躍るものでした。麦くんとノラさんが初共演した2014年4月のPoemusica Vol.27に僕も出演していたことを誇らしく思います。

意表を突くボイスパーカッションで始まった外園健彦さんの弾き語りセットリストは、ブラジリアン・トラディショナルを6曲。素晴らしかったです。端正で安定した響きのギターと対照的にパッションの乗ったポルトガル語の歌唱はサンバ愛に溢れており、メロディを歌っていてもその背後に、スルド(ブラジルの低音打楽器)やクイーカ(ゴン太くんの声)のシンコペーションが脈々と鳴っているのが聞こえます。

その名手3人のアンサンブルによる後半は『スサー』全曲演奏でした。完全に暗転した暗闇で「」。そして青を基調とした照明の下、外園さんのギターが床や柱や壁や窓を作り、麦くんが風にはためくカーテンや杢のテーブルや食器や花瓶を描く。そしてノラさんはその部屋に暮らす人。圧倒的に「人」でした。すぐれた俳優や演出家が何もない劇場空間を草原やダンスホールや寝室に変えるように。3人の奏でる音楽がスターパインズを鮮やかに彩りました。

華やかな3曲目「リラのスカート」は物販コーナーにいた尾張文重さん、5曲目「つばさ」ではノラバーの看板インコ梨ちゃん2号がコーラスに加わります。8曲目はド直球の短調ソング「タララタン」。ノラさんはシャンソンと呼び麦くんはラテンと言う。続く「あの海に行きたい」は駅のワゴンに並べられ酷い扱いを受けている昔の歌みたいなものを作りたかった、「貝を拾って」なんて歌詞陳腐でしょ、と笑う。各曲の着想や成立過程のMCも面白かったです。

アンコールはフルート奏者の矢島絵里子さんSNS投稿をそのまま歌詞にしたという一筆書きのような新曲「ココア」。尾張文重さんが再びマイクを握り今後はリードボーカルをとって、気づけば全28曲、3時間があっという間に過ぎていました。

 

2025年4月13日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

春の小雨。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmayulucaさんの回に行きました。

ライブは3rdアルバムのタイトル曲「幸福の花びら」から始まりました。昨年末に同じくノラバーにご出演の際は日程的に残念ながら伺えなかったのと、ここ数年は西田夏奈子さんとのデュオ形態マユルカとカナコの演奏機会が多かったので、ソロのmayulucaさん2023年4月以来の2年ぶりとなります。

今回は14時半開演の昼のノラバー公演、すりガラス越しに春の午後の日差しが柔らかく店内を照らし「今日のテーマはチル」と言うmayulucaさんがいつも以上にリラックスして見えました。

2曲目はジム・ジャームッシュの映画に着想を得た「箱庭」。イントロのアルペジオが滑らかで美しい。つづく「梨愛」はノラバー店主ノラオンナさんの楽曲のカバー。お店の看板インコ梨ちゃん2号の鳥かごにも今日はマイクが立てられており、各曲の絶妙なタイミングでコーラスや合いの手や称賛のさえずりを聴かせてくれます。毎週のようにこのお店で良い音楽を浴びているうちに耳が肥えてしまったのか、勘どころの掴みかたは前世はミュージシャンと思えるほど。

「今日は満月。雨が降って見えなくても満月はある」と言って「朝の月」。そうだよ、明るい昼も雨の夜も地上の人間の事情は考慮せず月は輝いている。そんな超然とした、そしてすこしだけ地面から浮いたような、でも確固とした存在。それは僕がmayulucaさんの音楽に感じるものに似ています。

「かなかな」「日曜日」と過去タイトルが変遷し、「今日もおはよう/希望の朝だ」と歌う「希望」で生うたコンサート本編は終了し、15時半のおやつタイムではありますが、出演者も観客もみんなでお食事。ライブでは、以前は平日夜、現在は日曜昼のみ提供のノラバーさわやかポークカレーも実に6年半ぶりの滋味。かぶとルッコラのサラダもおいしく、ノラバープリンノラブレンドコーヒーで会話が弾みます。僕は歌詞に出てくる「踊る」という表現についてすこし質問しました。

16時半から30分間の配信デザートミュージックは「アネモネ」のコーラスはインコも人間も全員参加で楽しかったです。全部終ってお店から出てもまだ明るい。昼間のライブもいいな、いい昼下がりを過ごしたな、と上がりかけた雨のなか西武柳沢駅までのんびり歩いて帰りました。

 

2025年4月12日土曜日

シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング

ヒューマントラストシネマ渋谷アリソン・エルウッド監督作品『シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング』を観ました。

マンハッタンを走るキャブの車内、69歳のシンディ・ローパーのインタビューから映画は始まる。パールストリートは渋滞で約束の時間には間に合いそうにない。

シンディ・ローパーは1953年NY市ブルックリンでシチリア島出身のイタリア系移民の母とドイツ系移民の父の間に生まれた。シンディが5歳のときに両親は離婚しクイーンズに移る。姉エレンのギターを借りて歌を始めたシンディ。継父のDVに耐えかね家を出た姉を追い、高校を中退して姉が女性パートナーと暮らすアパートメントに居候するシンディをサポートしてくれたのは上階に住むゲイカップルだった。

「生きるのに精一杯で失敗を恐れる余裕すらなかった」。フライヤーという名のバンドに加わり、ジャニス・ジョプリンやレッド・ツェッペリンのカバーを歌ってパーティバンドとしては成功するが、シンディはオリジナル曲で勝負したかった。

1980年代前半に数多くのヒット曲を出しMTV時代の寵児となり、まさに現在フェアウェル世界ツアー中のアメリカの歌姫シンディ・ローパーのドキュメンタリーフィルムです。家族、元恋人、音楽仲間、ボイストレーナー、A&Rマン、音楽ライターなどが語るパーソナリティは多面的な魅力があります。

「ニューヨークから新しいタイプのシンガーが登場しました。彼女の名前はシンディ・ラウパー」。日本でシンディ・ローパー(現地の発音はラウパーに近い)を最初に紹介したのはおそらく佐野元春だと思います。彼が月曜日を担当していたNHK FMの「サウンドストリート」で流れた底抜けにハイテンションでポジティブでエキセントリックなその歌声に1983年当時高校生の僕は大きな衝撃を受けました。

プロデューサーがデビューシングルに選んだ "Girls Just Want to Have Fun" を書いたRobert HazardのバンドThe Heroesをフィラデルフィアのクラブで聴いて「男目線のクソ曲」と一刀両断するものの、逆手にとって歌詞の一部を書き換え、ガールパワーの端緒を開く。彼女がいなければ、Princess PrincessREBECCAももうひと世代下のJUDY AND MARYも現在我々が知っているような姿にはならなかったと思います。

デビュー当時にメディアを賑わしたプロレスラーのキャプテン・ルー・アルバーノとの茶番劇や、後年の性的少数者支援アクティヴィストとしての原点も本作を観てしっくりきました。ホワイトハウスで同性婚推進のスピーチをする2023年の映像が挿入されますが、翌年のトランプ政権奪還による政策の後退には苦々しい想いを抱いているに違いありません。

odessa(optimal design sound system)で聴くレストアされた音源も素晴らしい。マスターテーブからボーカルだけ抜き出された "True Colors" の静かな歌い出しは幼女のような脆さと繊細さを図らずも露呈しており鳥肌が立ちました。残念だったのは、"Change Of Heart" がナイル・ロジャースのギターが最強にキレキレなスタジオバージョンではなくライブ映像だったことと、権利の関係なのか初期の重要なカバー曲であるMarvin Gayeの "What's Goin' On" とDr. Johnの "Iko Iko" が収録されていないことぐらいです。