2025年6月16日月曜日

リライト

真夏日。松居大悟監督作品『リライト』を観ました。

主人公大槻美雪(池田エライザ)は県立塩戸田高校の3年生。一学期後半に転校してきた園田保彦(阿達慶)と付き合い始めるが、未来に帰ると保彦に言われ20日後に別れる。保彦は美雪が書いた小説を読んで300年後の未来から来たと言う。美雪はその小説を書くことを約束し、保彦から受け取った錠剤を飲んで10年後の自分に会いに行き、小説を書くように説得する。

10年後、小説家になり結婚した美雪がやっと書き上げた『少女は時を駆ける』の出版は難航している。実家に帰り、10年前の自分が訪ねてくるのを待つが現れない。小さな街なので美雪の帰省の噂はすぐに広まり、同級生たちが連絡してくる。クラスの世話焼き役だった茂(倉悠貴)は同窓会を企画し、事故死したムードメーカー室井(前田旺志郎)以外の33名全員を集めようと奔走していた。

タイプリープものといえばのヨーロッパ企画上田誠が脚本を書き、監督は『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟。原作の舞台は静岡ですが、映画は尾道。主人公の母親役に『ふたり』の石田ひかり、高校の担任教師に尾美としのり。天寧寺、御袖天満宮の石段、ラベンダーの香り、故大林宜彦監督尾道三部作へのオマージュ作品となっています。

機能不全家族で育ったコミュ障の文学少女友恵を演じる橋本愛は別格の存在感だが、久保田紗友山谷花純大関れいか森田想前田旺志郎ら若手巧者のなかで映画初出演の阿達慶(ジュニア)の棒芝居が逆に未来人らしくて絶妙。男子生徒役では倉悠貴の可愛さが際立っています。

池田エライザはお人形のような愛くるしい顔立ちで軽めの作品に起用されることが多い印象でしたが、『古見さんは、コミュ症です。』『海に眠るダイヤモンド』『舟を編む』など、近年は役の幅を広げており、NHKの歌番組で見せた松田聖子の「Sweet Memories」のフライングVの弾き語りも様になっていました。深夜の尾道のアーケード街を大人になった同級生たちと歩く姿は美雪の鬱屈を自然に表現していて格好良いです。

 

2025年6月15日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

雨上がり。高田馬場で乗り換えて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。

翌日6月16日は60歳の誕生日。というわけで、還暦前夜祭にお集まりいただいた満員のお客様、インスタライブを視聴していただいた全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、アルバイトのインコ梨ちゃん2号さん、どうもありがとうございました。おかげさまでいい時間を過ごすことができました。

 1. 言葉と行為のあいだには(長田弘
 2. 死  あるいは詩(那珂太郎
 3.
10. ボイジャー計画
12. 観覧車 
13. 水玉
14. 花柄

60分の本編は上記15篇で構成しました。僕が生まれた1965年に出版された詩集、長田弘の『われら新鮮な旅人』と那珂太郎の『音楽』から1篇ずつ。主題に共通点があり、且つ両者とも音韻が緻密に練り上げられており美しい。詩の朗読を聴くという行為は、つい言葉の意味を追いかけることをがんばりがちですが、声と音を味わうものでもあると思います。雨期や夏至を舞台にした4篇、詩集『新しい市街地』、『ultramarine』掲載の連作詩作品を聴いていただきました。

今回ご来場のお土産に制作した『カワグチタケシ映画レビュー選集vol.1』には、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでソングライターだったブライアン・ウィルソンが主役の作品が2本入っています。製本が終わった数日後に82歳で逝去の報が届いたため、以前翻訳したザ・ビーチ・ボーイズの1966年の歴史的名盤『ペット・サウンズ』収録の "God Only Knows"(邦題:神のみぞ知る)の歌詞を朗読しました。

夏のノラバー御膳といえば、とうもろこしごはん、トマト山かけ。定番のきんぴらごぼう、ポテトサラダ、大根油あげ巻、かぶの一夜漬け、メインは煮込みハンバーグ。デザートに固めのノラバープリンと滋味深いノラブレンドコーヒー。お客様も演者もみんなでおいしくいただきながら、見知った仲もはじめての方同士も会話が弾みます。

そして30分間のインスタグラム配信ライブでは以下5篇を朗読しました。

2. オランピア Edith Piaf
3. 日傘をさす女 Amy Winehouse
4. 星月夜 Syndi Lauperに(新作)

還暦のお祝いに集まっていただく皆様に失礼のないように、普段なかなか着ない赤い服をと思って、フードつきのフィッシングベストを用意しました。中のTシャツは10年近く前に下北沢で購入して袖を通していなかったザ・ビーチ・ボーイズの『スマイル』(1967)をおろしました。

十代で詩を書き始めたときにはこんなにも長生きして詩を書き続け人前で朗読をしているビジョンは持っていませんでした。40歳を過ぎたあたりから「あと10年はできるかな」と思い始め、それを毎年更新している感があります。これからフィジカル面は衰退していくでしょう。それでも書きたい詩がある限り、読者やオーディエンスが存在する限り、続けていくんだろうな、とあらためて思いました。しばしお付き合いいただけますと幸いでございます。

 

2025年6月7日土曜日

秋が来るとき

夏日。TOHOシネマズ シャンテにてフランソワ・オゾン監督作品『秋が来るとき』を観ました。

教会の鐘の音。石段を上るハイヒールの靴音。祭壇ではハスキーボイスのアフリカ系神父が福音書のマグダラのマリアをめぐるイエスとパリサイ人の対話を唱えている。

ミシェル(エレーヌ・バンサン)はブルゴーニュの村の家庭菜園で人参を収穫する。雨が降り出したので部屋に戻り料理を始めると、パリに住む一人娘のヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)から電話。秋の休暇に孫のルカ(ガーラン・エルロス)を連れて車で帰ってくると言う。ミシェルは近所に住む旧友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)を収監されている息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)の面会に連れて行き、ふたりは雨上がりの森へきのこ狩りに出かける。

田舎暮らしで充実した老後を過ごす親友同士の丁寧な暮らしを描いたほっこり系のヒューマンドラマかと思いきや、そこはオゾン監督。ゆったりとした時間の流れのそこここに不穏な空気を滲ませます。サスペンスでもあり、ホラー味もあり、総じてコメディでもある。緊張の途切れない物語になっています。

ミシェルとマリー=クロードの過去の職業から派生する母子間のわだかまり。パリでキャリアを積んでいるヴァレリーはミシェルに対していつも苛立っているのに対して、田舎の失敗者であるヴァンサンは鷹揚で母想いという皮肉。いくつかの不運と不幸な出来事が描かれますが、医師も警官も「よくある話です」で済ませてしまう。

「良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう」と嘆くミシェルを「良かれと思うことが大事なの」と励ますマリー=クロードの優しさが染みます。

すべてうまくいきますように』(2021)『私がやりました』(2023)に続く本作も、あえて伏線を回収せずに余韻を残すフランス映画の伝統を踏まえつつ、新鮮なテイストを加える57歳のオゾン監督の円熟した手管が冴える一本です。

 

2025年6月4日水曜日

か「」く「」し「」ご「」と「

天安門事件から36年。ユナイテッドシネマ豊洲中川駿監督作品『か「」く「」し「」ご「」と「』を観ました。

「ただのクラスメイトでよかった。好きでも嫌いでもない、そんな男子のひとりでよかった」新潟県立清鈴高校2年3組大塚京(奥平大兼)のモノローグで映画は始まる。古文の授業の教材は『宇治拾遺物語』。教師が「いと」と「いみじ」の違いを問うとクラスメートの頭上に「?」が浮かぶ。挙手する三木(出口夏希)の頭上に、京には「!」が見える。

ミッキーと呼ばれる三木はいつもクラスの中心にいる明るい性格で裏表のない美人。地味で自信のない京はミッキーがシャンプーを変えたことに気づくが、言い出せないのは、隣席の宮里さん(早瀬憩)に同じことを言って以来、不登校が続いているからだ。

「私、ひとの心はこじ開けるもんだと思っているから」。休日、ショッピングモールのCDショップの前で京と偶然出会ったミッキーは京を非常階段に連れ込む。ミッキーに執拗に問われ、遂に「シャンプー変えたよね」と答える京にミッキーは、京が宮里さんを嫌っていないと確認するためにシャンプーを変えたと言う。ミッキーには人の左胸に+-を示す天秤が見えている。

エル(=宮里さん)は再び登校するようになり、京、ミッキー、エルに京の親友ヅカ(佐野晶哉)とミッキーの親友パラ(菊池日菜子)を加えた5人はいつもつるむようになる。

令和の青春群像劇のマスターピースの誕生。夏服のポロシャツの水色や修学旅行で訪れる水族館の水槽の青。悪意を持つキャラクターが登場しない、あえて解像度を落とした淡い色調の画面に、演劇祭のあとの体育館に差し込む蜂蜜色の西日が高校生たちをやさしく照らす。

5つのチャプターの語り手を、京→ミッキー→パラ→ヅカ→エルと交代で受け持ち、パラは他人の鼓動が数字で見え、ヅカは喜怒哀楽をトランプの絵柄で、エルには感情の向きが矢印で見えることが語られ、期末テスト、演劇祭、修学旅行、受験勉強という定番アイテムに多面的な光を当てるが、誰もが自分の気持ちに気づけないという思春期のもどかしさ。僕は詩人なので、5人の特殊能力は、好むと好まざると他人の気持ちに左右されてしまう、繊細さの隠喩として捉えました。カラフルな記号化とポップな効果音は映画的リアリティの表現手法。

演劇祭のヒーローショーのラストシーンで台詞が飛んだ主役のミッキーを救う「ごめんなさい、私たちは演技をしていました」というパラのアドリブ、修学旅行中に寝不足で倒れたパラを気遣いながら本音をぶつけ合うヅカと応えるパラの大粒の涙。出口夏希さんの圧倒的主人公感に対する菊池日菜子さんのサブカルこじらせ女子感に十代の僕なら惹かれてしまったに違いない。

自己肯定感の低いエルの抑制された演技で、派手さのあるミッキーとパラに負けない強い印象を残した早瀬憩さんのポテンシャルは『違国日記』より更に輝きを増している。伊東蒼さん伊礼姫奈さん當真あみさん(左利き)ら同世代と切磋琢磨して、日本映画界に欠かせない存在になっていくのだろうと思います。

 

2025年5月29日木曜日

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は

緑雨。テアトル新宿にて大九明子監督作品『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を観ました。

本降りの雨が傘に当たる音。キャンパスを歩く後ろ姿。背の高い男子学生には不釣り合いな小さな傘。もうひとつの後ろ姿はヘッドホンをかけたお団子髪の女子学生。

主人公小西徹(萩原利久)は関西大学文学部の二回生。横浜出身で出町柳のワンルームで一人暮らし、銭湯の閉店後の清掃のアルバイトをしている。友人と呼べるのは大分出身の同級生山根(黒崎煌代)だけ。陽キャたちが人工芝の中庭でにぎやかにはしゃぐ昼休みは、誰もいない屋上庭園で過ごしている。銭湯のバイト仲間のさっちゃん(伊東蒼)は軽音サークルでFender Mustangを弾いている。小西に思いを寄せているが、軽口を叩き合う現在の関係も心地良く感じている。

花曇りの朝の階段教室でひとりで講義を聴き、終了のチャイムと共に誰とも群れずに教室を出る桜田花(河合優実)の姿に小西は目を奪われる。山根と入った学食で背筋を伸ばしざる蕎麦を食べる花を見つける。別の雨の日、小西は花に声を掛け、授業の途中でふたりは教室を出る。

小西は屋上庭園を案内し、花は大学アーカイブでSP盤に刻まれた北村兼子の肉声を小西に聴かせる。セレンディピティ。いくつかの偶然が重なり、大切にしていた秘密を分け合うことで関係を深めていく。

NHKの名作ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で大九監督と組み、現在乗りに乗っている河合優実さんはもちろんですが、伊東蒼さんの演技が圧倒的です。特に中盤の長台詞がすごい。愛おしさも自己嫌悪も嫉妬心も羞恥も思いやりも少々の保身もなにもかもがないまぜになった感情の奔流をリミッターを外してぶつけてくる。その逆説的な揺るぎなさを固定アングルで、受け止めきれない小西の表情を揺れる手持ちカメラの逆光で捉える大九監督の冷徹な演出。

夜は短し歩けよ乙女』『鴨川ホルモー』『ワンダーウォール』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。京都で過ごす学生時代は移動祝祭日。そんな憧れが僕にはあります。思春期後半のイタさは輝き、陽キャ体育会もサブカルもそれは同じ。銭湯の主人の妊娠中の娘役で松本穂香さんがカメオ的に出演しているのが『ミュジコフィリア』の世界線上にあるように感じました。

スピッツの「初恋クレイジー」が重要なモチーフになっていますが、萩原利久さんは草野マサムネの若い頃になんとなく似ています。

 

2025年5月19日月曜日

IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA

夏日。TOHOシネマズ池袋チョ・ユンス監督作品『IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA』を観ました。

2021年にデビューした韓国人5人、日本人1人によるガールズグループ IVE が2023年10月から約1年間にわたり世界19カ国28都市で計37公演を行ったワールドツアー "Show What I Have" の凱旋公演、2024年8月10日と11日のソウルKSPOドームのライブパフォーマンスに6人のメンバーのインタビューをインサートしたコンサートフィルムです。

1曲目は "I Am"。イカツめシャッフルビートに乗せて、平均身長170cmのメンバー6人がセリから登場し、堂々と花道を進みながら "I’m on my way, Look at me" と宣言する。

中学生でコンタクトレンズにしてから自己肯定感が高いと言うリーダーのユジンさんと、同じくIZ*ONE出身で174㎝12頭身という奇跡のプロポーションを持つウォニョンさんのツートップを主軸にフォーメーションが展開するが、歌割りやカメラワークは6人ほぼ均等です。

ユジン=ディーヴァ、ウォニョン=スタイルアイコン、ガウル=セクシー、レイ=ベビーフェイス、という役割というか特徴は把握していたのですが、リズさんイソさんの見分けは正直髪色以外ついていませんでした。映画を観て、ギャルなほうがリズさん、妹感強めがイソさんということがわかりました。

日本人メンバーで名古屋出身のレイさんは静止画よりも動いている姿のほうが百倍チャーミングです。すこし舌足らずなハングルもかわいい。

「(自身で作詞した)"Shine With Me" を歌うときは歌詞を意識しないようにしている、泣いてしまうから」と言うウォニョンさんが、ライブ後半で猫耳カチューシャを装着している間、常にカメラ目線で猫ポーズをしており、そのプロ意識に敬意を覚えました。

エンターテインメントとして完成度が非常に高く、観客のマナーも演者によるコントロールもしっかりしている。一例を挙げれば、ラス前のアゲ曲 "Not Your Girl" でメンバーに煽られるまで全員が着座して聴いている、というように幅広い年齢層が楽しめるように構成されています。

K-POPグループの歌割りはソロが基本でユニゾンはほぼないのですが、それだけにアンコールの最終曲 "All Night" に至りはじめて振りを放棄し6人で声を合わせたときの爆発的なエモさ。

同世代のaespaLE SSERAFIMITZYらと比較すると、曲調の幅が広いが故に逆に魅力が捉えにくいと感じていたIVEのことが知りたくて観たところ、6人のパーソナリティを感じたことで、まんまと好きになってしまい、自分ちょろいなあ、と思いました。

"ELEVEN" みたいにやや難解な構成の曲よりも、"After Like"や"Off The Record" のように過去名曲をサンプリングした四つ打ちのレトロフューチャーなディスコサウンドが僕は好きです。

 

2025年5月17日土曜日

ヴァージン・スーサイズ 4Kレストア版


1975年、合衆国ミシガン州の郊外住宅地に暮らすカトリック教徒のリズボン家、高校の数学教師の父親(ジェームズ・ウッズ)、専業主婦の母親(キャサリン・ターナー)と17歳のテレーズ(レスリー・ヘイマン)、16歳のメアリー(A・J・クック)、15歳のボニー(チェルシー・スウェイン)、14歳のラックス(キルスティン・ダンスト)、13歳のセシリア(ハンナ・ホール)の五人姉妹。

金髪の美人姉妹は常に注目を集め、近所の男子たちの憧れであり、妄想の対象であった。ところが、上映開始3分も経たずに五女セシリアがバスタブでリストカットする。セシリアは一命をとりとめたが、ロールシャッハテストで家庭環境に抑圧を感じており同世代の異性との交流が効果的と診断され、リズボン家に男子たちを招いてホームパーティが催されたその最中に、セシリアは2階の自室から飛び降り、自死を遂げる。

このソフィア・コッポラの監督デビュー作のTシャツを一昨年ユニクロで購入したのですが、映画館で観ておらず、月替わりで名作を上映する『12ヶ月のシネマリレー』にて鑑賞しました。4Kレストアされた姉妹のヘヴンリィな美しさは『ピクニックatハンギング・ロック』を想起させ、インテリアやファッションなど、公開後25年経った現在から見てもガーリィが全開で、凄惨かつ陰鬱なストーリーを眩しく照らしている。そのギャップこそが本作が名画とされる所以だと思います。

1970年代のポップチャートを中心とした選曲も最高。主人公の四女ラックスがダンスパーティの舞台袖で学園中の憧れの的トリップ(ジョシュ・ハートネット)とキスをするシーンで10ccの"I'm Not In Love" が流れるのもアイロニーが効いているし、映画後半の閉塞状況において唯一心温まるシーンといってもいい二軍男子たちが姉妹に黒電話で聴かせるトッド・ラングレンの "Hello It's Me" からギルバート・オサリバンの "Alone Again (Naturally)"、ビージーズの "Run to Me"、キャロル・キングの "So Far Away" の流れは歌詞もシンクロして感動的です。

姉妹はいつもごちゃっと固まって映っています。それは男兄弟にはない距離感で、もしも僕が生まれ変われるとしたら三人から五人の姉妹の年下半分がいいなと強く思った次第でございます。

 

2025年5月15日木曜日

Cafe Yummy Koenji Chimin

日脚伸ぶ。高円寺Cafe YummyChiminさんのワンマンライブを聴きました。

まず加藤エレナさん井上"JUJU"ヒロシさんが登場し、ピアノとテナーサックスでブルースを2曲。エレナさんのクリスプなプレイにJUJUさんがスタッカートで応えるミディアムテンポのジャムセッションと「我が心のジョージア」のテーマでスローバラードをしっとり聴かせ、3曲目の「茶の味」からChiminさんが加わる。

既に温度の上がったところに様子見することなく全開の歌声で臨む。シンガーとバックミュージシャンという関係性ではなく、3人でひとつの空間を作り上げるんだ、というメッセージの伝わるオープニングでした。

続く「言葉ひとつ」は近年セットリストの後半に置かれることが多い佳曲。JUJUさんのソプラノサックスの澄んだトーンにChiminさんの中高域が冴えます。そしてサンバのリズムの「残る人」、3/4拍子の「住処」へと繋がる。前半ラストの「チョコレート」は5月1日の蔵前の弾き語りライブでも歌っていましたが、この曲に限ってはフルート入りのアレンジのほうが僕はしっくりきます。

前半同様に第2部もエレナさんとJUJUさんのインスト曲から始まる。Carla Bleyの "Lawns" は眩しい日差しを浴びる芝生というより、夏の夕暮れ時の露に覆われた庭を思わせる。2ビートの「シンキロウ」、佐藤嘉風さんとの共作曲「呼吸する森」への流れも滑らかでした。「私の感じる真理みたいなものを歌詞にしている」というChiminさん。今回はMC少なめでしたが、詩声の表現力で充分に伝わるものがありました。

次のライブは6/24(火)に門前仲町ChaaBeeでソロ弾き語りとのこと。僕も2019年に『同行二人 #卯月の朝』でお世話になった元鉄工所のクールなギャラリーカフェです。

Yummyさんを訪れるのは昨年11月以来。とても感じの良いお店で、マイクを通しているのにミキサーやスピーカーの存在を忘れさせるナチュラルな音響も素晴らしかったです。

 

2025年5月11日日曜日

バロウズ


「今夜ご紹介するのは存命中のアメリカの作家で最高の人です。はじめてテレビに出演するウィリアム・バロウズ氏です!」と紹介され、1981年のサタデーナイトライブの公開収録で小説『ノヴァ急報』を朗読するバロウズのアップから映画は始まる。

そしてカメラは『ガラスの動物園』の舞台でもあるミズーリ州セントルイスへ(作者のテネシー・ウィリアムズは1911年セントルイス生まれで、バロウズと同じくゲイだった)。かつて生家のあった通りを歩きながら幼少期に関するインタビューに答えるスリーピースにソフト帽の70代のバロウズは一見ジェントルマンだ。

ビート・ジェネレーションを代表する作家のひとり、ウィリアム・バロウズ(1914-1997)の存命中に制作されたドキュメンタリー映画がバロウズ原作の新作映画『クィア QUEER』の公開に合わせ4Kレストア版がリバイバル上映されています。

現在はほとんどが故人となった1910~20年代生まれのビートニクの詩人や作家が登場し、バロウズの人となりを語ります。なかでもアレン・ギンズバーグ(1926-1997)の鷹揚で温和な人柄が印象に残りました。またバロウズが作家になる前からヘロインやモルヒネを取り引きしていたハーバート・ハンケ(1915-1996)は「あいつの書くものは理解できない」と正直です。

執事やメイドや庭師を雇うほどに裕福な実家から40歳近くまで高額の仕送りをもらって各国を転々とし、酒と麻薬と男色に溺れ、内縁の妻をウィリアム・テルごっこで射殺した。そんなヤバい奴にも家族がいる。家業と両親の介護を押し付けられた兄モーティマーに「『裸のランチ』は途中で読むのをやめた。露悪的な描写の必然性が感じられない」と目の前で酷評され苦笑。

射殺した妻との間に生まれたウィリアムJr.(1947-1981)は出来が悪く、同世代の秘書兼愛人のジェームズ・グラウアーホルツ(1953-)は自分こそがバロウズの精神的な息子だと主張、ジュニアはアルコール依存による肝臓疾患で本作の製作中に34歳で逝去する。実の親子の対話シーンのバロウズが不器用過ぎて胸が詰まります。

本作中のバロウズ自身による自作の朗読がどれも素晴らしいです。冒頭のTVショーでは原稿を見ず、ずっとカメラ目線で、沈没していく客船の医務室で行われる凄惨な手術シーンを淡々と読み上げる。その静かな狂気に満ちた真っ青な瞳。なのに客席は爆笑に次ぐ爆笑なのだ。『デッド・ロード』が『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』が『ワイルド・ボーイズ』が映像やインタビューとシンクロする。

監督のハワード・ブルックナーもゲイで1989年にHIVにより34歳で亡くなっています。ニューヨーク大学映画学科の卒業制作である本作は同級生のジム・ジャームッシュが音響を担当している。エンドクレジットにジェネシス・P・オリッジの名前が映るので、スロビング・グリッスルサイキックTVのファンのみんなは目をよく瞠って見ましょう。

 

2025年5月10日土曜日

クィア QUEER


1950年代、真夏のメキシコシティ。主人公ウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)はくたびれたアメリカ人の中年男。かつては粋だったであろう白い麻のスーツはよれよれ、旧市街のバーでテキーラを飲み干し、目が合ったムカデのペンダントの青年(オマー・アポロ)を連れ込み宿に誘い、互いの身体をむさぼり合う。

リーは、通りで見かけた長身で眼鏡の美青年ユージーン(ドリュー・スターキー)に一目惚れする。バーで女連れのユージーンと再会するリー。金と経験とおちゃらけでノンケ男に猛アタックする中年ゲイの悲哀。ユージーンの気まぐれでふたりは身体の関係を持つが、精神的には片思いのまま、薬物依存症のリーはテレパシーを生じさせるという薬草ヤヘを求め、ユージーンをエクアドルへの旅へといざなう。

「セックスモンスターとして生きるか、人として死ぬか」。ビート・ジェネレーションの前衛小説家ウィリアム・バロウズが1953年に書いたが自らお蔵入りにし、1983年に日の目を見た自伝的小説を、フェンディロエベフェラガモシャネルなどハイブランドとのコラボレーションでも知られるグァダニーノが映画化した本作は、物語の前半こそスタイリッシュな映像で美しく魅せるが、後半ジャングルに踏み入り植物学者コッター博士(レスリー・マンヴィル)の小屋に辿り着くあたりから、ドラッグまみれの裏インディ・ジョーンズといった様相を呈する。

「ヤヘは別世界の扉ではない。鏡なのだ。一度開いた扉は閉じることができない。目を逸らすだけ」。保守的なミッドセンチュリーの北米において、バロウズ自身も同性愛者であることに葛藤があったのか、繰り返される「俺はクィアではない」という自問自答が象徴的だ。実物のバロウズも常にスーツにネクタイで紳士然としてはいたが、ダニエル・クレイグは更に品の良さと色気と滑稽さを付加した分、狂気は薄れています。

英国人デザイナーでユニクロとの仕事でも知られるJ.W.アンダーソンが手掛けた1950年代の衣装がお洒落。特にユージーンが着る滑らかな生地のネイビーのシャツやタイトなボーダーポロニットは真似したくなる格好良さです。

冒頭のタイトルバックはSinéad O'ConnorがカバーしたNIRVANAの "All Apologies"、続いてKurt Cobain本人の声で "Come As You Are" と "Marigold"、Princeの "17 Days" が流れてもしや故人の歌声特集と思ったら、New Orderの "Leave Me Alone" で「生きてる人だ」と安心しました。登場人物の心象を1980~90年代のロック、バーのジュークボックスなど映画内の現実の時間に流れるのは1940~50年代のジャズやラテンという使い分けをしていますが、後者のみでまとめてもよかったんじゃないかな、と思いました。

 

2025年5月5日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ③

こどもの日。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」の3日目、最終日は午後の3公演を鑑賞しました。

■公演番号:323〈「四季」世界一周〉 
ホールC(サン・マルコ)13:45~14:45
水野斗希(Cb)

3日連続でハンソン四重奏団。ソリストとコントラバスが加わったアンサンブルは、日本語が堪能なアントン・ハンソン氏の「今日のプログラムは色々な曲が入っていますけど、拍手のほうはいつでもご自由に」というMCで始まる、ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、ニューヨークの冬を巡る旅という趣向。勢いのあるインテンポの縦ノリで若さ溢れる演奏は、23歳長身のルカのヴァイオリンが表情豊かです。アンコールはカザルスで有名なカタルーニャ民謡「鳥の歌」でした。

■公演番号:345
ホールG409(シェーンブルン)17:30~18:15

2018年2024年のLFJでも現代曲を聴いたシャルリエ氏のバロックに興味深々だったのですが、20世紀ノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンはかなり自由にアレンジしており、実質ヘンデルの主題による変奏曲。曲が進むにつれ破調するスリリングな展開でした。ラヴェルのソナタはドビュッシーの追悼曲とは思えないミニマルミュージックの先駆型であり、無調性に踏み込んでいる。ダブルアンコールのエルヴィン・シュルホフジンガレスカもミニマルです。

■公演番号:336〈1972年・インドネシア
ホールD7(セント・ポール)19:30~20:15
北村朋幹(Pf)
ジョラスソナタのためのB</div>

1972年にフランスのTVドキュメンタリー番組でバリ島を訪れた3人の作曲家のピアノ曲集。ノイズの奔流と一瞬の静寂。ガムランの影響は言われてみればという程度で、音楽とは何か、音とは何かを問い直す50年前の前衛を現在どう聴くかと問われているような体験。肘による打鍵はフリージャズでも行われるが、違うのは楽譜の存在か。譜めくり係を置かずピアニスト自らがめくるのだが、めくり方に過剰な緩急があり、それはおそらく譜面に記載されていない。楽譜とは、という問いにもつながる。

北村朋幹氏は靴を履いていないが靴下は履いている。轟音の内にいくつもの疑問符が交錯し、祭りの終わりの寂寥感を吹き飛ばされる爽快さ。アンコールのバルトーク「バリ島から」はただただ美しかったです。

 

2025年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ②

みどりの日。今日も東京メトロ有楽町線で、東京国際フォーラムへ。クラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」、2日目は公演2本を聴きました。

ホールC(サン・マルコ)10:00~10:50

朝から牛たん定食みたいな感じの重量級のプログラムをフランスのベテランが漲るテンションで汗を拭き拭き弾き切りました。ギィ氏の「悲愴」の緩徐楽章の洒脱さはドイツや東欧のピアニストにはないテイスト。5楽章からなるブラームスの第3番は、感傷的な旋律を持つ2~3楽章にうっとり、第4楽章の壊れながら疾走するワルツは、世紀末ウィーンの混沌としたダンスフロアを想起させると同時に、ロマン派を自ら終わらせ、印象派に橋渡しをしているように聴こえました。

ホールC(サン・マルコ)16:00~16:45

こういうレア曲が聴けるのはこのフェスならでは。僕も生演奏は初めて聴きました。エルネスト・ショーソンは、フォーレより若くてドビュッシーよりは年上、フランクの弟子筋らしい浮遊感のある和声と途切れなく流れる旋律が持ち味。昨日も聴いたハンソン四重奏団に貴公子ジェニエとベテラン刑事の風貌のシャルリエが加わるが、曲調としては弦楽四重奏の伴奏付ヴァイオリン・ソナタ(時折四重奏に主役が交代する)といった風情。4~6人編成ぐらいが、ビジュアル面も含めアンサンブルの妙味がわかりやすくて楽しいです。

2公演の間にホールB5(アンドラージ)で、井上さつき氏による無料講演会「パリ万博からみた音楽史」を聴講しました。1855年から1937年の間にパリで6回開催された万国博覧会が音楽界に与えた影響の研究で、1889年の回でジャワ村におけるガムラン演奏と舞踊がドビュッシーやラヴェルら印象派の作曲家に衝撃を与えたのが主眼と思われますが、1867年開催時に当時新進気鋭のサン=サーンスを晴れ舞台からはじき出した最晩年のロッシーニの無邪気な老害ぶりに爆笑しました。

 

2025年5月3日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ①

憲法記念の日。東京国際フォーラムで毎年5月の連休に開催されるクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」が今年も始まりました。

2025年のテーマは "Mémoires"(メモワール)-音楽の時空旅行-、音楽史上で重要な役割を果たした都市にフォーカスしたプログラム構成になっています。

3日間の祭典の初日は有料公演を2つ鑑賞しました。

■公演番号:132 ホールD7(セント・ポール)11:30~12:30

2023年LFJでベートーヴェンを3曲聴き、今年も楽しみにしていました。日英ハーフ1人とフランス人が3人(うちヴィオラのガブリエルは女子)という若きカルテットです。モーツァルトはシモンのチェロの通奏低音がエレガント、一転してベートーヴェンはチェロにより高度な役割を与えています。

作曲されたのは1785年と1806年。わずか20年の間に和声も奏法もまるで異なる。大きなイノベーションが起こったわけですが、Heartbreak HotelAnarchy in the U.K.の間も20年ですから、それぐらいの違いは当然と言えば当然ですね。

ホールC(サン・マルコ)14:15~15:20
ヤン・ヤン(指揮)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

アジア・オーケストラ・ウィークにも以前出演していた中国のオケです。弦楽器の響きが綺麗で、アジアのオケが比較的苦手とする木管も安定してレベルが高い。ヤン・ヤン氏の指揮は、針の穴に糸を通すような精妙な弱音と飛ばすところは豪快にかっ飛ばすダイナミズムがあり、シューベルトの双極性障害っぽい楽曲にベストマッチでした。

半面ベートーヴェンの第7番(ベト7)は終楽章にくどさが出ましたが、元々がいつ終わるのって感じのこってりなエンディングの楽曲なのでそこは仕方ないと思います。

今日は18世紀後半から19世紀ウィーンがモチーフの2公演でした。明日はパリ。楽しみです。

 

2025年5月1日木曜日

Chimin × やまはき玲 =レコジャム=

ファースト・オブ・メイ。都営地下鉄大江戸線に乗って。GINZA RECORDS & AUDIO KURAMAEにて開催された『Chimin × やまはき玲 =レコジャム=』に行きました。

今回はChiminさんがひさしぶりにひとりでギター弾き語りをするという見逃せない日。長いブランクを経て2023年秋にライブ復帰してからは歌に専念しており、僕が弾き語りを聴くのは2016年6月のPoemusica Vol.48以来、実に9年ぶりです。

小柄なChiminさんが小ぶりなアコースティックギター(Martin O-28?)を抱いて歌い始めると場の空気が一変する。1曲目は在日コリアン3世のChiminさんが通った大阪の民族学校の音楽の教科書に載っていた「海が好き」とうたう歌をハングルと自身の訳による日本語の歌詞で。

SEED SHIPPRACA11JAZZ喫茶映画館で聴いて、活動休止期間中にも何度も何度も脳内で再生してきたサウンドが眼前に蘇る。

続く「すべて」は歌詞の一部を引用させてもらって同題の詩を書いた思い入れのある楽曲、「」はエレピの演奏に慣れていますが、Chiminさんが弾く余白たっぷりのミニマルなテンションコードに透き通ったファルセットが響く。近年演奏機会の少ない「帰っておいで」「雨がやんだら」、以前リクエストを聞かれて答えた「蛇口」もうれしかったです。

技術があり且つ彼女の音楽を深く理解しているサポートミュージシャンに支えられて歌唱に集中しているChiminさんも素敵ですが、緩急自在な弾き語りは、その心許なさも含めて彼女の音楽の裏側にある、震え、怯え、脆さや陰影をより一層際立たせ、また違った美しさで、現実に存在して歌う人を見たなあ、という感動があります。

会場は隅田川の護岸から徒歩5分程のリノベートされたヴィンテージ建築の3階にあるお洒落な中古盤店。YESSTINGLAURYN HILLSmashing Pumpkinsなどが面出しされた品揃えがマニアック過ぎず好感度大。入店したときは、Neil Youngの "Comes A Time"が超Hi-Fiで流れていました。

ライブは、リバーヴを綺麗に効かせた弾き語りの小箱っぽい音響でしたが、お店の雰囲気やレコードの再生音とのバランスを考慮すると、もうすこしドライなMIXのほうがいいかなと僕は思います。

共演者のやまはき玲さんは東海林仁美さんのピアノサポートで、3/4拍子主体の楽曲を適度に乾いた抜けの良い声でさらっと明るく歌います。ちょっとノスタルジックな楽曲群に、入場前に歩いた向こう岸に東京スカイツリーを望む幅広な隅田川の開けた初夏の夕景が似合いました。

 

2025年4月21日月曜日

ノラオンナ59ミーティング「スサー」

月曜日。吉祥寺STAR PINE'S CAFEで開催された『ノラオンナ59ミーティング「スサー」に行きました。

青い衣装のノラオンナさん、白地に波模様の古川麦さん、人生初という赤シャツの外園健彦さん、3人並んでご挨拶のあと、ひとり舞台に残ったノラオンナさんがバリトンウクレレを爪弾き歌い始める。

今日は甘いラブソングを歌いたくて、と言う。「赤いスイートピー」のカバーから初期の名曲「こくはく」への流れは、僕がノラさんの音楽に初めて触れた2012年3月のPoemusica Vol.3と同じ。ソプラノからバリトンへウクレレのスケールは変わりましたが、変わらぬフレッシュネスと13年の歳月がもたらす熟成に思いを馳せました。

ノラオンナさんが風待レコードから『少しおとなになりなさい』でデビューしたのが2004年4月21日。毎年その日に開催される周年公演を楽しみにしています。今回は昨年12月発売の新譜『スサー』のリリースライブを兼ねて。アルバム『スサー』は、ノラオンナさんの歌とウクレレ少々、外園健彦さんと古川麦さんのギターのみで構成されています。ライブ前半はその3人それぞれのソロ弾き語りを堪能しました。

古川麦さんは名盤『Xin』の1曲目「Angel」から。イントロの粒立ちの良いアルペジオが、晴れた午前の波打ち際に乱反射する春の陽光のようにきらきらしています。そして魅惑のシルキーボイス。新旧織り交ぜた5つのオリジナル曲はどれも心躍るものでした。麦くんとノラさんが初共演した2014年4月のPoemusica Vol.27に僕も出演していたことを誇らしく思います。

意表を突くボイスパーカッションで始まった外園健彦さんの弾き語りセットリストは、ブラジリアン・トラディショナルを6曲。素晴らしかったです。端正で安定した響きのギターと対照的にパッションの乗ったポルトガル語の歌唱はサンバ愛に溢れており、メロディを歌っていてもその背後に、スルド(ブラジルの低音打楽器)やクイーカ(ゴン太くんの声)のシンコペーションが脈々と鳴っているのが聞こえます。

その名手3人のアンサンブルによる後半は『スサー』全曲演奏でした。完全に暗転した暗闇で「」。そして青を基調とした照明の下、外園さんのギターが床や柱や壁や窓を作り、麦くんが風にはためくカーテンや杢のテーブルや食器や花瓶を描く。そしてノラさんはその部屋に暮らす人。圧倒的に「人」でした。すぐれた俳優や演出家が何もない劇場空間を草原やダンスホールや寝室に変えるように。3人の奏でる音楽がスターパインズを鮮やかに彩りました。

華やかな3曲目「リラのスカート」は物販コーナーにいた尾張文重さん、5曲目「つばさ」ではノラバーの看板インコ梨ちゃん2号がコーラスに加わります。8曲目はド直球の短調ソング「タララタン」。ノラさんはシャンソンと呼び麦くんはラテンと言う。続く「あの海に行きたい」は駅のワゴンに並べられ酷い扱いを受けている昔の歌みたいなものを作りたかった、「貝を拾って」なんて歌詞陳腐でしょ、と笑う。各曲の着想や成立過程のMCも面白かったです。

アンコールはフルート奏者の矢島絵里子さんSNS投稿をそのまま歌詞にしたという一筆書きのような新曲「ココア」。尾張文重さんが再びマイクを握り今後はリードボーカルをとって、気づけば全28曲、3時間があっという間に過ぎていました。

 

2025年4月13日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

春の小雨。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmayulucaさんの回に行きました。

ライブは3rdアルバムのタイトル曲「幸福の花びら」から始まりました。昨年末に同じくノラバーにご出演の際は日程的に残念ながら伺えなかったのと、ここ数年は西田夏奈子さんとのデュオ形態マユルカとカナコの演奏機会が多かったので、ソロのmayulucaさん2023年4月以来の2年ぶりとなります。

今回は14時半開演の昼のノラバー公演、すりガラス越しに春の午後の日差しが柔らかく店内を照らし「今日のテーマはチル」と言うmayulucaさんがいつも以上にリラックスして見えました。

2曲目はジム・ジャームッシュの映画に着想を得た「箱庭」。イントロのアルペジオが滑らかで美しい。つづく「梨愛」はノラバー店主ノラオンナさんの楽曲のカバー。お店の看板インコ梨ちゃん2号の鳥かごにも今日はマイクが立てられており、各曲の絶妙なタイミングでコーラスや合いの手や称賛のさえずりを聴かせてくれます。毎週のようにこのお店で良い音楽を浴びているうちに耳が肥えてしまったのか、勘どころの掴みかたは前世はミュージシャンと思えるほど。

「今日は満月。雨が降って見えなくても満月はある」と言って「朝の月」。そうだよ、明るい昼も雨の夜も地上の人間の事情は考慮せず月は輝いている。そんな超然とした、そしてすこしだけ地面から浮いたような、でも確固とした存在。それは僕がmayulucaさんの音楽に感じるものに似ています。

「かなかな」「日曜日」と過去タイトルが変遷し、「今日もおはよう/希望の朝だ」と歌う「希望」で生うたコンサート本編は終了し、15時半のおやつタイムではありますが、出演者も観客もみんなでお食事。ライブでは、以前は平日夜、現在は日曜昼のみ提供のノラバーさわやかポークカレーも実に6年半ぶりの滋味。かぶとルッコラのサラダもおいしく、ノラバープリンノラブレンドコーヒーで会話が弾みます。僕は歌詞に出てくる「踊る」という表現についてすこし質問しました。

16時半から30分間の配信デザートミュージックは「アネモネ」のコーラスはインコも人間も全員参加で楽しかったです。全部終ってお店から出てもまだ明るい。昼間のライブもいいな、いい昼下がりを過ごしたな、と上がりかけた雨のなか西武柳沢駅までのんびり歩いて帰りました。

 

2025年4月12日土曜日

シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング

ヒューマントラストシネマ渋谷アリソン・エルウッド監督作品『シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング』を観ました。

マンハッタンを走るキャブの車内、69歳のシンディ・ローパーのインタビューから映画は始まる。パールストリートは渋滞で約束の時間には間に合いそうにない。

シンディ・ローパーは1953年NY市ブルックリンでシチリア島出身のイタリア系移民の母とドイツ系移民の父の間に生まれた。シンディが5歳のときに両親は離婚しクイーンズに移る。姉エレンのギターを借りて歌を始めたシンディ。継父のDVに耐えかね家を出た姉を追い、高校を中退して姉が女性パートナーと暮らすアパートメントに居候するシンディをサポートしてくれたのは上階に住むゲイカップルだった。

「生きるのに精一杯で失敗を恐れる余裕すらなかった」。フライヤーという名のバンドに加わり、ジャニス・ジョプリンやレッド・ツェッペリンのカバーを歌ってパーティバンドとしては成功するが、シンディはオリジナル曲で勝負したかった。

1980年代前半に数多くのヒット曲を出しMTV時代の寵児となり、まさに現在フェアウェル世界ツアー中のアメリカの歌姫シンディ・ローパーのドキュメンタリーフィルムです。家族、元恋人、音楽仲間、ボイストレーナー、A&Rマン、音楽ライターなどが語るパーソナリティは多面的な魅力があります。

「ニューヨークから新しいタイプのシンガーが登場しました。彼女の名前はシンディ・ラウパー」。日本でシンディ・ローパー(現地の発音はラウパーに近い)を最初に紹介したのはおそらく佐野元春だと思います。彼が月曜日を担当していたNHK FMの「サウンドストリート」で流れた底抜けにハイテンションでポジティブでエキセントリックなその歌声に1983年当時高校生の僕は大きな衝撃を受けました。

プロデューサーがデビューシングルに選んだ "Girls Just Want to Have Fun" を書いたRobert HazardのバンドThe Heroesをフィラデルフィアのクラブで聴いて「男目線のクソ曲」と一刀両断するものの、逆手にとって歌詞の一部を書き換え、ガールパワーの端緒を開く。彼女がいなければ、Princess PrincessREBECCAももうひと世代下のJUDY AND MARYも現在我々が知っているような姿にはならなかったと思います。

デビュー当時にメディアを賑わしたプロレスラーのキャプテン・ルー・アルバーノとの茶番劇や、後年の性的少数者支援アクティヴィストとしての原点も本作を観てしっくりきました。ホワイトハウスで同性婚推進のスピーチをする2023年の映像が挿入されますが、翌年のトランプ政権奪還による政策の後退には苦々しい想いを抱いているに違いありません。

odessa(optimal design sound system)で聴くレストアされた音源も素晴らしい。マスターテーブからボーカルだけ抜き出された "True Colors" の静かな歌い出しは幼女のような脆さと繊細さを図らずも露呈しており鳥肌が立ちました。残念だったのは、"Change Of Heart" がナイル・ロジャースのギターが最強にキレキレなスタジオバージョンではなくライブ映像だったことと、権利の関係なのか初期の重要なカバー曲であるMarvin Gayeの "What's Goin' On" とDr. Johnの "Iko Iko" が収録されていないことぐらいです。

 

2025年4月10日木曜日

おいしくて泣くとき

丸の内ピカデリー1横尾初喜監督作品『おいしくて泣くとき』を観ました。

こども食堂併設のカフェMINAMIを営む風間心也(ディーン・フジオカ)のもとに旧知の客が訪ねてくる。「彼女がいなくなってからもう30年、生きているのかどうかもわからない」。そのとき無免許運転の車がカフェの正面に突っ込み、カフェも車も大破する。

舞台は30年前に遡り、MINAMIと同じ場所で心也の父(安田謙)が経営するかざま食堂では、こども食堂という名称がまだない時代に、様々な事情を抱える子どもたちに無料で食事を提供していた。カウンターでバター醤油焼きうどんを食べる姉弟。姉の夕花(當真あみ)は高校1年生。心也(長尾謙杜)の幼馴染で高校の同級生だった。

當真あみさん(左利き)は沖縄出身の18歳。『水は海に向かって流れる』のマイペースな高校生役で存在を認識し、『最高の教師』『さよならマエストロ』で芦田愛菜さんとドラマ共演が続き、NHKの『ケの日のケケケ』で初の主役を演じました。カルピスウォーターのCMのさわやかさと少々影のある役もしっかりこなすお芝居の幅を持っています。

本作は、雨に打たれる帰り道、海辺の逆光、主人公の疾走など、アイドル映画の基本的な要素を押さえており、主人公ふたりのクローズアップも多いので、當真さんの小動物のようなつぶらな瞳と長すぎるまつ毛の破壊力を堪能できます。長尾謙杜くんはなにわ男子で踊っているときのほうがきらきらして見えました。尾野真千子さんの圧倒的な技術、芋生悠さんもよかったです。

「できない約束をして、結局誰かを傷つけてしまうのなら(約束しない)」という心也の台詞があります。できるかできないかわからないならまず約束して、できるように最大限努力し、それでもできなかったら謝ればいいんじゃないか、と僕は考えます。

夕花と心也が創立する「ひま部」は『ケの日のケケケ』の「ケケケ同好会」とコンセプトが重複しているので、同じ主演俳優の作品としては何かもうひとつ特徴を出してもよかったのではないでしょうか。

タイトルに反して、画面に映る食事の種類は多くないですが、バター醤油焼きうどんは必ず食べてみたくなる映画です。

 

2025年4月4日金曜日

片思い世界

清明。ユナイテッドシネマアクアシティお台場土井裕泰監督作品『片思い世界』を観ました。

降り続く雪についた足跡を俯瞰で追うカメラ。足跡は、かささぎ児童合唱クラブの扉に続く。

合唱団の白い制服を着た10歳の美咲(太田結乃)は、音楽げき『王妃アグリッピナの片思い』の脚本を書き上げ、ピアノ担当の典真(林新竜)に見せようと探すが、姿が見えない。隣のリハーサル室では翌日のコンクールに向けて合唱の稽古中。本番前後は慌ただしくなるのでいまのうちに集合写真を、と全員が並びシャッターが下りるその瞬間、リハーサル室のドアが開く。

12年後。仕事から帰宅したさくら(清原果耶)を玄関口で優花(杉咲花)と美咲(広瀬すず)が足止めする。「どうせサプライズでしょ」さくらは取り合わない。ふたりに促されバースデーケーキのローソクを吹き消す20歳になったさくら。美咲と優花のベッドにはさくらからの感謝の手紙が。サプライズを仕掛けたのはさくらのほうだった。

杉咲花広瀬すず清原果耶、家族でもなければ同級生でもないが、結束しなければならなかった年月を経ての現在の関係性を、人気も実力も充分な三人が本気で楽しんで演じているように見えるのに感動しました。いろいろと綻びはあるものの、安いファンタジーにはならなかったのは坂元裕二の筆の力か。一方、台詞回しでは坂元色は薄く感じます。

「人間がいままで幽霊だと思っていたものはまだ見つかっていない素粒子なんだという仮説」。大学の階段教室の量子力学の授業で、スーパーカミオカンデでニュートリノを観測する講義を聞く優花は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の冒頭部分を連想させ、死生観にまつわる物語であることを示唆しています。

横浜流星西田尚美小野花梨松田龍平田口トモロヲと脇役にも主役級をずらり揃えた布陣は盤石。主役三人の合唱シーンでは、アルトの清原果耶さんが抜きん出て上手かったです。

 

2025年4月2日水曜日

スイート・イースト 不思議の国のリリアン

春雨。ヒューマントラストシネマ有楽町ショーン・プライス・ウィリアムズ監督作品『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』を観ました。

「アメリカ合衆国の国旗に私は忠誠を誓う」と勇ましいマーチで映画は始まり、性交後のティーンエイジャーのカップルを映し出す。トロイ(ジャック・アーヴ)のつまらないジョークにリリアン(タリア・ライダー)は無表情で舌打ちをする。

米東海岸南部サウスカロライナの高校生リリアンは修学旅行でワシントンD.C.に来た。お揃いの黄色いTシャツではしゃぐクラスの一軍を横目に終始ローテンション。夜にホテルを抜け出した数人で来たカラオケ店でリリアンはトイレの鏡に向かって唐突に歌い始め、鏡越しに蠱惑的なまなざしをカメラに向ける。そしてギークによる突然の銃乱射。

パンクスのケイレブ(アール・ケイヴ)の手引きで鏡の裏側にある隠し扉から救出されたリリアンは、ANTIFAの車でチャームシティ・ボルティモアのアジトに連れて行かれる。翌日ケイレブたちが右翼の政治集会を潰しに行くのに同行したリリアンはネオナチの大学文学部教授ローレンス(サイモン・レックス)と知り合う。

ネオナチの資金を持ち逃げしたリリアンはインディース映画の黒人女性監督(アヨ・エデビリ)にスカウトされるが、撮影現場をネオナチが襲撃してカオスに。今度はムスリムの青年モハマド(リッシュ・シャー)に助け出される。

アメリカの政治的分断と醒めた目で見るZ世代。その温度差が喜劇になる。鏡の向こう側の冒険、主人公は基本受け身でイカレた大人たちに振り回されているように見えてその実、大人たちのほうがリリアンの無関心に翻弄されている。邦題のサブタイトルの通り『不思議の国のアリス』を下敷きにして、サウスカロライナ、ワシントンD.C.、メリーランド、ニューヨーク、バーモントと米東海岸を北上するロードムービーでもあります。

町山智浩氏の解説動画付きで観たのですが、アメリカンサブカルチャーに精通していないと細部の理解は難しいです。日本に置き換えるとTVアニメ『全修。』か。こちらは政治的ではないですが、そこで日常を送っていれば、引用や隠喩が空気感としてある程度認識できるという点で。

本作においては、主人公リリアンを演じるタリア・ライダーの魅力と映像美で押し切った感があります。主人公が着ていたレッドツェッペリンのTシャツを、失踪を報じるニュースキャスターがエアロスミスと伝えるのに、マスメディアに対するこじらせが表れていてよかったです。

 

2025年3月29日土曜日

ガラスの動物園

花冷え。すみだパークシアター倉滋企画ガラスの動物園』(演出:額田大志)を鑑賞しました。

ステージ中央で長身で猫背のトム(佐藤滋)が含羞の表情を浮かべ客席に背を向ける。鼻をかんで振り返り、ティッシュを掌から消して見せる。ティッシュは口の中にあり、それを引いて何メートルもの七色の紙テープを出す。「もちろんタネも仕掛けもございます。でもこれから私がお見せするのは手品とは違います」。母アマンダ役の西田夏奈子さんが弾くヴァイオリンの甘い音色に導かれ、舞台は1930年代の米国中西部セントルイスへ。

アマンダに急かされたトムが食卓につき、姉ローラ(原田つむぎ)と3人で食前の祈りを捧げる。アマンダの口やかましさにトムは辟易しているが、ローラはただ黙っている。アマンダの長口上の中で、かつて南部デルタ地帯にいたころの華やかな暮らしぶり、夫との出会い、夫が家族を捨てて放浪の旅に出たことが語られる。

テネシー・ウィリアムズの三大戯曲のうち、『欲望という名の電車』と『熱いトタン屋根の猫』は、学生時代にアルバイトしていたレンタルビデオ店でVHSを借りて観ました。本作だけ未見だったので、生きているうちにと思って観劇したのですが、とてもよかったです。

舞台はアパートメントの一室のみ、第一幕の登場人物は三人家族だけ。気位が高く躁鬱傾向の母親、自閉的な姉、製靴会社の倉庫で働きながら詩を書く弟。すれ違いながらも強く依存せずにいられない関係性を閉塞感たっぷりに描く。激しく言い争った翌朝のアマンダとトムの咳払いの応酬による言葉のない会話に痺れました。

第二幕、トムの高校からの友人で同じ倉庫に勤務するジム・オコナ―(大石将弘)を家族のディナーに招く。はじめは強く抵抗するローラがドアを開くとマチネの舞台奥の扉の先は劇場の搬入口で、現実の昼間の光が舞台に差し込むという趣向。

「詩人らしく象徴好きなので、彼のことは象徴として扱います」とトムに冒頭に宣言されたジムのほうが明らかに現実味を帯びた存在というアイロニー。一幕では普通に歩いていた足の不自由なローラが、ジムの登場を機に片足を引き摺りはじめることで、閉じた世界に外部の視線が加わったことを示す。

二幕後半のローラの変容は、蝋燭一本の頼りない灯りに照らされることでリアリティを帯びる。部屋の壁に映る登場人物の影を活かした繊細な照明は岩城保さん。揺れる父の写真の額縁。控えめな音量ながらスコット・ジョプリングリーグの『ペール・ギュント』をさりげなく引用した額田大志さんの音楽の貢献度も大きい。

若者を演じる三人の抑えた演技に対して、西田夏奈子さんの振り切ったお芝居が物語上のジェネレーションギャップを際立たせる(佐藤滋さんと西田夏奈子さんは実際は同年生まれ)。四人の登場人物の誰にも共感するポイントがないのに、現代で言うところの機能不全家族の手触りがリアル過ぎて、風雪に耐えた古典の強靭な構造の普遍性を感じました。

 

2025年3月22日土曜日

BAUS 映画から船出した映画館

テアトル新宿甫木元空監督作品『BAUS 映画から船出した映画館』を観ました。

映写機のリール音に重なる冬景色。2014年、自身が経営する映画館の閉館日に井の頭公園の池の畔に佇む本田タクオ(鈴木慶一)。時代は1926年に遡る。青森の映画館で無声活動『カリガリ博士』を観ていた本田サネオ(染谷将太)を兄の本田ハジメ(峯田和伸)が訪ねる。日々に希望を見出せない兄弟は映画に明日を託し上京する。

ヤクザ者に追われた兄弟を偶然救ったのは、井之頭會館の社長(吉岡睦雄)だった。兄ハジメが活動弁士と知った社長は兄弟を雇い、兄は弁士、弟はサンドイッチマンとなる。弟サネオは會館の掃除係ハマ(夏帆)と結婚し二女一男をもうけ、妻の田舎に転居するという社長からその座を譲り受ける。

「言ってみりゃここに暮らす人たちの窓だね」。もともと井之頭會館は映画のみならず地域の文化拠点を標榜して音楽界や落語会を開いていた。イタリア未来派の騒音楽器イントナルモーリの演奏会は大失敗に終わり、無声映画からトーキーの時代に移り変わる中、太平洋戦争が泥沼化し、兄ハジメに赤紙が届く。

「煙と光は映画と共にある。人間が時間との闘いの中で編み出した一瞬を永遠に変える……」。東京吉祥寺に実在した映画館BAUSシアター、その前身である井之頭會館とM.E.G.(武蔵野映画劇場)をめぐる家族の物語です。実話に基づく物語は、老経営者タクオの回想という形式をとっていますが、その記憶はタクオの誕生前に遡り、井之頭會館の建築は野原に立つ一枚の書割で、ナイトシーンの背景は漆黒、登場人物が歌い出すと楽器奏者がわらわらと現れ、リアリズムから逸脱する。能舞台というか、大友良英の書く管楽合奏の劇伴と相まって、フェリーニクストリッツァのような感触もあります。

映画館が主役というよりも、息子タクオに、いつも家族の中心にいて太陽のような存在だった、と言われ、夫サネオから「俺と結婚して後悔しているか」と聞かれて「後悔しかしてないよ。後悔のない人生なんでつまんない」と答える、可憐でおおらかでしっかり者のハマを演じる夏帆さんが、この映画の主役といっていいと思います。M.E.G.の開館日にサネオが舞台で挨拶している間、客席でうたたねするハマの寝顔は神々しくも美しい。上映時間の後半は、ヒロインの不在を噛み締め寂寥感を味わう、そんな映画があってもいいと思いました。

 

2025年3月14日金曜日

早乙女カナコの場合は

春本番。TOHOシネマズ錦糸町オリナス矢崎仁司監督作品『早乙女カナコの場合は』を観ました。

2014年春。アパートの窓から桜の花びらが散るのが見える。大学1年生の早乙女カナコ(橋本愛)は窓を開け深呼吸する。幼馴染の三千子(根矢涼香)と二人暮らしの上京生活が始まった。

入学式は4月7日月曜日。新入生勧誘でごった返すキャンパスで女装の男子学生に銃で撃たれた男が倒れる。動転したカナコは助けを呼ぶが、それは演劇サークル・チャリングクロスの野外劇、撃たれた男は留年中の脚本演出担当長津田啓士(中川大志)だった。後日「死者を起こす者は強くノックすること」と書かれたチャリングクロスのドアをノックしたカナコは、ジャン・ユスターシュ監督映画で長津田と意気投合し入部、やがてふたりは付き合い始める。

2014年から2017年、蜂蜜色の光に彩られた4年間の大学生活は物語の最終盤である2023年から俯瞰すると青臭くて痛くて甘酸っぱい。サークルで一番の男前と呼ばれるようになったカナコを橋本愛がほぼすっぴんで演じています。脚本家になると言いながら一本も完成させられず卒業する気もないダメ男のおかげか、かつての神経質な美少女は包容力のある大人に成長しており、遊川和彦のドラマほど頻繁にはキレないです。

早稲田大学がモデルで早稲田松竹や東西線早稲田駅が映ります。おそらく日本女子大がモデルの日向女子大1年生の本田麻衣子(山田杏奈)がチャリングクロスに入り、長津田に猛アプローチする。今年の日本アカデミー賞優秀助演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞した山田杏奈さんは、先日NHKで放送した主演作『リラの花咲くけものみち』の獣医を目指すコミュ障の大学1年生とはまた違う小悪魔的な役柄で、抜群に上手い。

存在感のある両校に挟まれてどちらの恩恵も受けない学習院大学が母校の僕は、インカレってこんな感じなんだ、と興味深く見つつも、所属していた現代詩研究会には長津田みたいになかなか卒業しないワイルドな先輩がいたので、懐かしい気持ちになりました。

大手出版社に内定してアルバイトをするカナコは同大卒の社員吉沢(中村蒼)に告白されるが、指導役の亜依子(臼田あさ美)が酔ってカナコの部屋に泊まった朝に吉沢の元彼女だったと知らされる。カナコと麻衣子、カナコと亜依子の間に友情のような何かが芽生える展開がとてもいい。橋本愛のランニングフォームが豪快なのもいい。

同じ柚木麻子原作映画『私にふさわしいホテル』に主演していたのんさんが同作の小説家有森樹李役で登場するのもアツいです。

 

2025年3月5日水曜日

ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ジャズが生まれる瞬間


2014年のニューヨーク。87歳のサックス奏者リー・コニッツが自宅アパートメントでリードを選んでいる。引き出しには気に入ったリードがなく、ガッデム口唇が痛い、と悪態をつく。

同じ頃デンマークの首都コペンハーゲンで、ジャズギタリストのヤコブ・ブロが新譜のレコーディングの準備をしていた。スタジオの窓に一面の雪景色。

「共演した人の音楽が自分の一部になる」。デンマーク出身のヤコブ・ブロの2枚のリーダーアルバム "December Song"と"Taking Turns"の制作を軸に、ヤコブと周辺のミュージシャンたちの2008年から2021年の14年間を追ったドキュメンタリーフィルムです。

ECMのプロデューサーマンフレート・アイヒャーも登場し『ECMレコード  サウンズ&サイレンス』の続編的な作品と言ってもいいと思います。ジャズのドキュメンタリーなのに、アルコールもドラッグも出てこない。ECMらしくクリーンでメランコリックで空間的。

ヤコブ・ブロのギターもクリーントーンのアルペジオが中心のアビエント寄りなスタイル。日本人パーカッショニスト高田みどりさんとの即興デュオでのみ激しいディストーションがかかる。

ベーシストのトーマス・モーガンがキャラ立ちしています。インタビューカットの長過ぎる沈黙のあとの普通過ぎる一言、エンドロールでモーニングルーティーンの変な体操を延々映し出すのは、監督もきっと同じ気持ちだったのでしょう。

1940~50年代にスタン・ゲッツズート・シムズアート・ペッパーらと人気を分けたクール・ジャズの代表的なプレーヤーであるリー・コニッツは本作撮影中の2020年に新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなりました。サックスのリードを買いに行こうとしてタクシーを停めるが、楽器店の名前も通りの名も思い出せない。運転手は停車したままナビで検索するが希望の店は出て来ず、あきらめたコニッツは5ドル30セントを支払いタクシーを降りる。その最晩年の姿に不思議と悲壮感はありません。

「黒い鳩たちのための音楽」という奇妙なタイトルはコニッツがヤコブに話した言葉から。その意味は映画の最後にコニッツの墓標の前でヤコブから明かされます。
 
 

2025年3月1日土曜日

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN

ザ・ファーストデイ・オブスプリング。ユナイテッドシネマ豊洲ジェームズ・マンゴールド監督作品『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観ました。

1961年NYマンハッタンにギターケースを提げた青年がヒッチハイクで降り立つ。ボア付きのスエードジャケットにコーデュロイのキャスケットは1stアルバムのジャケットと同じ。19歳のボブ・ディランティモシー・シャラメ)だ。

目についたライブバーに入り、憧れのフォーク歌手ウディ・ガスリーの所在をカウンターの男に尋ねると、ニュージャージーの病院にいるという。ウディ(スクート・マクネイリー)の病室でボブが自作の "Song To Woody" を歌うと、見舞いに訪れていたピート・シーガーエドワード・ノートン)はその独創性と技術に感激し、宿のないボブを郊外のログハウスに連れて帰る。

その後フォークシティのオープンマイクで注目を集め、コロムビア・レコードのジョン・ハモンドデヴィッド・アラン・ブッシェ)のプロデュースで1962年にレコードデビュー、ジョーン・バエズモニカ・バルバロ)がライブでカバーした「風に吹かれて」でブレークし、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで物議を醸した伝説的ライブパフォーマンスまでの5年間。ボブ・ディランの初期の音楽活動と私生活を、ベトナム戦争、キューバ危機、JFK暗殺など、激動の時代背景と共に描いた伝記映画です。

「自分ではフォークだと思っていない」と言い、チャック・ベリーリトル・リチャードを好むが、アコースティックギターの弾き語りという演奏スタイルと内省的で多義的な歌詞は反体制派に都合よく解釈され、時代の寵児に祀り上げられる。自由を求めて声を上げたはずのフォークシーンが自由を縛る。伝統主義者の彼らからしたら、ロックンロールは資本主義に毒され堕落した音楽と映ったのでしょう。その才能のきらめきと苛立ちと落胆を主演のティモシー・シャラメが吹き替えなしの歌声で上手く表現している。

「人は覚えていたいこと以外は忘れる」。キューバ危機の夜にパニックになりボブとセックスしてしまうジョーン・バエズ。その後もふたりの友情は続くのですが、演じるモニカ・バルバロの歌声には深みがあり、ボブとジョーンのデュエットの再現も完成度が高い。

風に吹かれて」が収録され出世作となった2nd "The Freewheelin' Bob Dylan" のアルバムジャケットで腕を組んで冬の街を歩き、ロマンチックな佳曲 "Girl from the North Country" のモデルとなった美大生スーズ・ロトロ(本作中の役名はシルヴィ)を大人になったエル・ファニングがすこぶるチャーミングに演じています。

僕は1965年生れでリアルタイムに体験したわけではないので、名曲群の誕生の瞬間を垣間見ることができること、それ以前にはその名曲の存在しない世界があったのを想像することはとても楽しいです。本作で描かれる時代に発表された "The Freewheelin' Bob Dylan" "The Times They Are a-Changin'" "Another Side of Bob Dylan" "Bringing It All Back Home" "Highway 61 Revisited" はいずれも紛れもない名盤ですが、他にはサントラ盤の "Pat Garrett & Billy the Kid" (1973)と"Blood on the Tracks(邦題:血の轍)" (1975)が僕は好きです。

 

2025年2月23日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

寒の戻り。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

毎年猫の日の前後に開催されるmandimimiさんのライブはいつもコンセプトとなるキーフレーズがあって、今夜のテーマは "Dreaming Of Youth"。台湾系アメリカ人のmandimimiさんはYouthを「青春」と訳して、思春期をBlue Springと呼ぶのが詩的だと言う。セットリストは青春や青にちなんだ楽曲がセレクトされ、衣装もブルー。

「すこしここにいませんか/月もまだ微笑んでいる/私たちのためにまるで/心を読んだように」。ジョニ・ミッチェルの "Blue" を自ら和訳し朗読したうちの一節です。それ以外にもSnow Patrolの "Run"、オリジナル曲「永遠的水藍色」などが、歌詞の朗読を交えて演奏されました。

僕は朗読が本職ではない人の、特にミュージシャンの歌詞の朗読を聴くのがとても好きです。音楽は、基本となる拍節に沿ったりはみ出したりしながら進んで行く時間芸術で、大なり小なりそのミュージシャンの得意な「型」というべきものがあると思います。それに対して朗読はいつ始まってもいいし止まってもいい、真空で無音で無重力の空間にひとりでいるような心許なさと会話のような何気なさが同居する表現形態で、そういった環境に身を置いた際、その人の本質が見える気がします。

演奏された楽曲すべてがスローテンポで優しい空気を纏っている。朗読も同様で且つmandimimiさんは英中日どれも流暢に話せるトリリンガルですが、日本語のネイティブスピーカーにはない独特のアーティキュレーションを持ち、それが僕にはとても心地良く感じられました。

昨年秋のギャラリー展示で "Flower Spells" を完成させ、現在進行形のProject "Dear Dream Diaries" の子どもの頃に見た宇宙で暮らす家族の夢を基にした新曲 "Erasers" が主題も旋律も素晴らしい。愛聴しているmandimimi名義の1st E.P. "Unicorn Songbook: Journeys" のリードトラックで2004年まで暮らしていたシアトルの夏空を歌った "Sapphire Skies"、限定シングル "To Santorini" とそのB面曲 "Transatlanticism" をひさしぶりに聴けたのもうれしかったです。

冬のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、かぶのつけもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。そしてノラバープリンとノラブレンドコーヒー。『シティ・オブ・エンジェル』からニコラス・ケイジの話でみんなで笑って柳沢の夜は更けていきました。

 

2025年2月16日日曜日

映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ

薄曇り。ユナイテッドシネマ豊洲柳伸亮監督作品『映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ』を観ました。

3年生が体育館で練習している「仰げば尊し」の歌声が教室まで聴こえてくる。2年生の花岡まこと(梅田修一朗)は男子だがかわいいものが大好きで女子の制服で授業を受けている。まことの幼馴染の大我竜二(内田雄馬)、1年生の蒼井咲(関根明良)たちは春休みを迎える。

2024年7~9月期にCX系列で放送されたアニメ全12話は、女装の高校生まことを中心とした青春群像劇でしたが、その後日譚である本作は咲が主人公です。放送第1話で高校に入学したハイテンションガール咲は、憧れの同性の先輩まことに告白するが、まことは自分が男子であることをその場で打ち明け、咲は失恋するものの、ふたりの間に友情が芽生える。竜二は親友だと思っていたまことに恋愛感情を抱いている自分に動揺する、というのがテレビアニメのメインストーリー。劇場版では、すれ違いと和解を通過した三人それぞれの成長が見られ、悩んでいた咲も元気になって、ほんわかしみじみしました。

「私って本当は何が好きなんだろう、何が特別なんだろう」「どうしてみんな本当の特別がわかるのかな」。咲の葛藤は母親のネグレクトというトラウマを抱えるが故、誰かにとっての特別な存在は唯一絶対のものだと信じている。竜二はまことにだけ恋愛感情を持っているのか、同性愛者なのか、自分でもわからない。それでも視野を広げ、許容範囲を拡大して、世界と折り合いをつけなくてはならない。揺れる思春期を鎌倉を背景に繊細に描写しています。

モブは顔が描かれないのは『聲の形』もですが、いまの若い子たちが興味のない他人をそんな風に認識しているとしたらちょっと怖いな、と思いました。あと、高校生の親世代だと40代のはずですが、ほうれい線で実年齢以上に老けて見えるのは改善ポイントだと思います。

このアニメはテレビ版も劇場版も演出に独特のテンポの悪さがあって、そこが逆に魅力になっているという、不思議な作品だと思います。テレビ版はオープニングの作画と音楽のシンクロがジャストで最高なので是非ご覧ください。