2011年1月30日日曜日

あどけない話

気づけば1月もそろそろ終わり。東京は乾燥した日々が続いています。京浜東北線で日暮里まで。昨年オープンした古書信天翁さんで初めての詩のイベント『Pippoのポエトリーアワー 平田俊子×Pippo ~詩のトークと朗読の夕べ』におじゃましました。

第一部は「高村光太郎とあそぼう」と題して、Pippoさん平田俊子さんが『智恵子抄』から好きな詩をそれぞれ3篇ずつ朗読し、それにまつわるトークをするという趣向。 高村光太郎に対するPippoさんの直球の愛情、平田俊子さんのアンビバレンツがまぶしく対照的で、客席も交えてなかなかの盛り上がり。

平田さんの「レモン哀歌」評。「トパアズいろの香気の向うに嘘の匂いを嗅ぐ」。「人に」には、「そんなこと作品にしないで本人に言えばいいじゃないか」。切れ味鋭く、かつユーモアも交えてばっさりと、爽快でした。才気溢れる方です。

生前、高村光太郎は、千駄木界隈にアトリエを構えていたそうです。古書ほうろうさんの裏の坂を上がったあたりだとか。3K6の開演前に、Qさんと小森さんとギターの練習をした公園のへんかな。

第二部は、平田さんとPippoさんがそれぞれ自作の詩を朗読。ここでもふたりのコントラストが鮮やかでした。ストレートな言葉をシンプルに発声するPippoさん、客席へ語りかけているのに、いつのまにか詩が立ち上がっていく平田さん。ゴッホの「アルルの寝室」に描かれた家具を家族に見立てた平田さんの「私見、ゴッホの「寝室」」 が特に印象に残りました。

打ち上げのお料理は階下の中華料理店深圳さんからのケータリング。たいへんおいしくいただきました!

今日の会場古書信天翁さんで、3月26日に村田活彦さんと僕とで『続・同行二人』を開催します。こちらの詳細はまたあらためて。

 

2011年1月4日火曜日

海炭市叙景

2011年最初に劇場で観た映画は、熊切和嘉監督の『海炭市叙景』、渋谷ユーロスペースにて。年のはじめに良い映画を観ました。

1990年に41歳で自殺した作家、佐藤泰志の遺作となった『海炭市叙景』は、作家の故郷函館をモデルにした海炭市という架空の町を舞台とする18編の連作短編小説集。そのうちの5編「まだ若い廃墟」「ネコを抱いた婆さん」「黒い森」「裂けた爪」「裸足」を中心に物語を再構成して152分の映画にしています。

閉鎖される造船所の作業員、再開発のため立ち退きを迫られる老女、妻の不貞に苦悶するプラネタリム職員、家庭崩壊しているガス屋の若社長、売れない浄水器のセールスマン。登場人物のいずれも、小さな街のなかで、孤独で、失敗を繰り返し、前途が見えず、それでも生き続けるしかない。救いのない暗い話ですが、鑑賞後には不思議と豊かでさっぱりした感触が残ります。

おそらくそれは、ロケ地函館の、フィルム撮影され、すこしざらついた美しい風景と、だめな登場人物たちを「いいんだよ。大丈夫だよ」と見守るようにやわらかく包み込むジム・オルークの音楽の力が大きいのでは。 ラストシーンの路面電車を中心にかすかに交錯する登場人物たちの人生、そして老猫グレコの背を撫でる老女の皺々の手のアップに、エレピ、アコギ、ビブラフォンが重なって、登場人物たちも、観ている僕も、大きな赦しを得たような感じがしました。残念ながらサウンドトラック盤は出ていないようですが、音楽の断片が聴ける予告編はこちら

役者では、失業した造船所員の妹役を谷村美月が好演。若い女優さんですが、すくない台詞とわずかな表情の変化で多くを伝える力を持っていると思います。 それと、加瀬亮は作業服姿がものすごく似合う。「ありふれた奇跡」といい、「おとうと」といい。

僕が佐藤泰志の存在を認識したのは二年前。福間健二が1990年(佐藤泰志の没年)に出した詩集『地上のぬくもり』を読んで。『海炭市叙景』の18の章題は、親友であった福間健二の詩のタイトルから採られていると小学館文庫の解説で福間さん本人が書かれていました。僕の持っている三冊の詩集には収録されていませんでしたが、「まだ若い廃墟」という素晴らしいタイトルの詩を是非読んでみたいものです。

そんなこんなで、2011年。どうぞよろしくお願いします!