1946年、アリゾナ州トゥーソンで家電の発明家の父親と当時の女性としてはめずらしい理系大学卒の母親の間に生まれたリンダ・ロンシュタット。曾祖父はドイツ系移民のミュージシャンで曾祖母はメキシコ人だった。
1964年、アリゾナ州立大学を中退し、ヒッピーカルチャー花開くロスアンゼルスに出て、カントリー色の濃いフォークトリオ、ストーン・ポニーズを結成。抜きん出た歌唱力と人目を惹く童顔でウェスト・ハリウッドのカフェ・トルバドールのオープンマイクで評判となり、キャピトルレコードと契約する。
トリオ解散後、ソロデビューしてから2011年にパーキンソン病で引退するまで40年以上のキャリアを当時のライブ映像、本人のTVインタビュー、同時代のミュージシャン、プロデューサーの現在のコメントで回顧するドキュメンタリーフィルムです。
「なぜ歌うのかと聞かれたら、鳥が鳴くのと同じと答えるわ」。ニール・ヤングの全米ツアーのオープニングアクトでのちのイーグルスをバックバンドに従え、主役を食って20代前半でアリーナ級の成功を収めるが、独立したいというバンドの意向を受け入れ、カバーソングをシングル化して後押しする。
エミル―・ハリス、カーラ・ボノフ、ボニー・レイットら同世代女性ミュージシャンとシスターフッドとも呼べる協調関係を築き、男性中心のロック界をしなやかに渡っていく。アリーナツアーで疲弊するバンドとファンの現状を憂慮し、人気絶頂のなかツアーを休止、劇場でオペラ公演に出演、その後、ジャズ、カントリー、マリアッチとスタイルを変貌させ続け、いずれも高いクオリティでチャートに賑わせる。
成功しても謙虚さを失わず、自己の現状とビジョンに対して常に客観的で冷静な視点を持つ聡明な人物だったことを知り、リンダのことが好きになりました。
リンダ・ロンシュタットのパブリックイメージは、1977年のヒット曲 "It's So Easy" や1978年の "Living In The USA" のアルバムジャケットのスカジャン、ホットパンツ、ローラースケート姿で邦題通りのミス・アメリカなのだと思いますが、僕にとっての最高傑作は巨匠ネルソン・リドルと録音したジャズスタンダード集 "What's New?" (1983) 。背伸びしてジョン・コルトレーンやエリック・ドルフィを聴いて頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた十代の僕に、甘く感傷的な弦楽アレンジでジャズの美しさを優しく教えてくれたリンダを恩師だと思っています。
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