2025年4月12日土曜日

シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング

ヒューマントラストシネマ渋谷アリソン・エルウッド監督作品『シンディ・ローパー レット・ザ・カナリア・シング』を観ました。

マンハッタンを走るキャブの車内、69歳のシンディ・ローパーのインタビューから映画は始まる。パールストリートは渋滞で約束の時間には間に合いそうにない。

シンディ・ローパーは1953年NY市ブルックリンでシチリア島出身のイタリア系移民の母とドイツ系移民の父の間に生まれた。シンディが5歳のときに両親は離婚しクイーンズに移る。姉エレンのギターを借りて歌を始めたシンディ。継父のDVに耐えかね家を出た姉を追い、高校を中退して姉が女性パートナーと暮らすアパートメントに居候するシンディをサポートしてくれたのは上階に住むゲイカップルだった。

「生きるのに精一杯で失敗を恐れる余裕すらなかった」。フライヤーという名のバンドに加わり、ジャニス・ジョプリンやレッド・ツェッペリンのカバーを歌ってパーティバンドとしては成功するが、シンディはオリジナル曲で勝負したかった。

1980年代前半に数多くのヒット曲を出しMTV時代の寵児となり、まさに現在フェアウェル世界ツアー中のアメリカの歌姫シンディ・ローパーのドキュメンタリーフィルムです。家族、元恋人、音楽仲間、ボイストレーナー、A&Rマン、音楽ライターなどが語るパーソナリティは多面的な魅力があります。

「ニューヨークから新しいタイプのシンガーが登場しました。彼女の名前はシンディ・ラウパー」。日本でシンディ・ローパー(現地の発音はラウパーに近い)を最初に紹介したのはおそらく佐野元春だと思います。彼が月曜日を担当していたNHK FMの「サウンドストリート」で流れた底抜けにハイテンションでポジティブでエキセントリックなその歌声に1983年当時高校生の僕は大きな衝撃を受けました。

プロデューサーがデビューシングルに選んだ "Girls Just Want to Have Fun" を書いたRobert HazardのバンドThe Heroesをフィラデルフィアのクラブで聴いて「男目線のクソ曲」と一刀両断するものの、逆手にとって歌詞の一部を書き換え、ガールパワーの端緒を開く。彼女がいなければ、Princess PrincessREBECCAももうひと世代下のJUDY AND MARYも現在我々が知っているような姿にはならなかったと思います。

デビュー当時にメディアを賑わしたプロレスラーのキャプテン・ルー・アルバーノとの茶番劇や、後年の性的少数者支援アクティヴィストとしての原点も本作を観てしっくりきました。ホワイトハウスで同性婚推進のスピーチをする2023年の映像が挿入されますが、翌年のトランプ政権奪還による政策の後退には苦々しい想いを抱いているに違いありません。

odessa(optimal design sound system)で聴くレストアされた音源も素晴らしい。マスターテーブからボーカルだけ抜き出された "True Colors" の静かな歌い出しは幼女のような脆さと繊細さを図らずも露呈しており鳥肌が立ちました。残念だったのは、"Change Of Heart" がナイル・ロジャースのギターが最強にキレキレなスタジオバージョンではなくライブ映像だったことと、権利の関係なのか初期の重要なカバー曲であるMarvin Gayeの "What's Goin' On" とDr. Johnの "Iko Iko" が収録されていないことぐらいです。

 

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