2016年12月25日日曜日

港ハイライト1stアルバム「抱かれたい女」プチレコ発 ~クリスマスディナーライブ~

クリマスソングが流れる師走の商店街を歩いて。祖師ヶ谷大蔵 Cafe MURIWUI にて開催された『港ハイライト1stアルバム「抱かれたい女」プチレコ発 ~クリスマスディナーライブ~』に行きました。

港ハイライトは、ノラオンナさん(作詞作曲/ Vo/Ukulele)、柿澤龍介さん(Dr/Per)、藤原マヒトさん(Ba/Key)の3人組バンド。その3人に古川麦さん(Vo/Gt/Tp/etc)をフィーチャーした4人で制作し、7月にリリースされた1stアルバムが『抱かれたい女』。

更に今夜は、くものすカルテットワタナベエスさん(Ba)をサポートに迎えてのスペシャルなディナーショーです。会場に入ると厨房にノラさんと柿澤さん。アサノラの人気メニュと柿澤さんのナポリタン。メンバー2人が料理したプレートをワタナベエスさんが客席に運び、マヒトさんがウェルカムドリンクをサーブする。みなさん玄人筋では知らぬ人のいない一流ミュージシャンです。

そして「お食事のBGMに」とノラさんと麦くんのデュオ演奏。The Beatles "Here, There And Everywhere" という意外性あるカバーに始まり、Antônio Carlos Jobimの"Corcovado"、「Green Tarquoise」「流れ星」他、2人の代表曲に、なかにし礼訳"We're All Alone"まで40分、本編と見まごうばかりのクオリティ。この導入部だけで歳末らしいファン感謝祭的サービス精神が満載ですが。

短いインターバルを挟んで始まったアルバム全曲を収録順に演奏する本編がそれを軽く凌駕するものでした。チャコールグレーのニットワンピースからロイヤルブルーのサテンドレスに着替えたノラさんがダークスーツの4人の男たちを従える姿は清々しいまでの格好良さ。レコードのアレンジを基盤に置きつつ、オーバーダブのないライブならではの緊迫感と遊び心溢れる演奏に男女ボーカル。普段の抑制されたスイートネスだけでなく絞り出すようにワイルドな一面も聴かせる麦くんの歌唱。ノラさんの確信に満ちた歌声。

MCで明かされた『抱かれたい女』制作中の仮題が「踊りませんか?」だったということに象徴されるように、場末を描くブルーズも、軽やかなワルツも、スローなバラードも、カオスに転じたアンコールも、港ハイライトの音楽はダンスミュージックなのです。音楽って、歌うって、そうことだよな。と感じました。このアルバムのフライヤーにレビューを寄稿させてもらえたことを光栄に思います。

これが僕の2016年のライブ納め。このブログも今年最後の更新です。おかげさまで良い一年になりました。どうぞみなさま良いお年をお迎えください。

 

2016年12月18日日曜日

Smoke デジタルリマスター版

クリスマス前の日曜の人混みを抜けて。恵比寿ガーデンンシネマで、ウェイン・ワン監督作品『Smoke デジタルリマスター版』を観ました。

1990年夏のNYブルックリン。煙草屋の雇われ店主オーギー(ハーヴェイ・カイテル)は12年間毎朝8時にCANON AE-1で3丁目と7番街の角の写真を撮り続けている。常連客の作家ポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)は妻を事故で亡くしてから小説が書けなくなってしまった。

ポール・オースターの短編小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」をベースにオースター自身が脚本を書き、製作したこの映画を、日本公開時の1995年に、開業したばかりの恵比寿ガーデンシネマで観ています。21年の時を経て、同じ映画館で同じ映画を観るということに。その間に、9.11があり、イラク戦争が起き、大統領はブッシュからオバマに。スクリーンに映るマンハッタンにはワールドトレードセンターのツインタワーが聳えている。

「誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ」。登場人物がみな多少の差こそあれ何らかの欠落を抱えており、都合の良い嘘もつけば、他人のものを盗みもする。感情に流されて判断を誤ることもある。それでも、ポール、オーギー、サイラス・コール(フォレスト・ウィテカー)がそれぞれの声で語る寓意に満ちた物語はいずれも大変に魅力的で、そのコミットメントの強さは語られる物語が真実であるか否かを超える。それこそがポール・オースターの作品の強さなのだと思います。

トム・ウェイツの1970年代の名曲「トム・トラバートのブルーズ」が全然クリスマスの歌じゃないのにクリスマスっぽい感じがするのって『スモーク』のせいだよね。とずっと思っていて、もしかしたら誰かにそんな話をしたかもしれませんが、完全な記憶違いでした。本編の最後にモノクロ画面で綴られる「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」に流れるのは "Innocent When You Dream"。画面の盲目の老婆(クラリス・テイラー)の寝顔とシンクロしている。

もうひとつ忘れていたのが、黒髪ショートボブの書店員エイプリル・リーを演じたメアリー・B・ワードのとてつもない可憐さ。いろいろ調べてみたのですが、残念ながらその後の出演作が見つかりません。彼女が登場するダンスフロアのシーンでは同じくトム・ウェイツの1980年代の名曲「ダウンタウン・トレイン」がかかります。

 

2016年12月4日日曜日

ブルーに生まれついて

早起きした日曜日、舞浜シネマイクスピアリロバート・パドロー監督作品『ブルーに生まれついて』を観ました。

スタン・ゲッツジェリー・マリガンアート・ペッパーらと並び米西海岸ジャズを代表するミュージシャン、チェット・ベイカー。エラが張っている、へインズの白Tシャツを着ている、声が小さくボソボソ喋る、などの共通点からジャズ界のジェームス・ディーンとも呼ばれた。

トランペット吹き語りという特異なスタイルで1950年代に絶大な人気を誇ったが、ヘロイン依存で身を持ち崩し、1988年にアムステルダムのホテルの窓から転落死した。享年59歳。彼の1966年(当時37歳)をイーサン・ホークが熱演しています。

1954年NYバードランドで対バンしたマイルス・デイヴィスケダー・ブラウン)に「甘くて綺麗なキャンディみたいな音楽だ。金や女のためにジャズをやるやつは信用しない。ビーチに帰れ」と酷評されたことがトラウマに。プッシャーへの支払いが滞った報復に前歯をへし折られ管楽器奏者には致命傷と思われたが、駆け出し女優の恋人ジェイン(カルメン・イジョゴ)だけは再起を信じていた。

「ジャズは死に、ディランがエレキに持ち替えた」1966年。故郷に帰りガソリンスタンドでバイトしたり、ピザ屋のオープンマイクでアマチュアミュージシャンに「もっと練習して来てくれ」と言われたり、変なソンブレロを着せられてマリアッチをレコーディングしたり。「吹けないのと下手なのとどっちが残酷だ」と。

断崖の上のトレーラーハウスで暮し、なんとか音楽を取り戻そうと必死に練習する。トランペットはKevin Turcotteの演奏への当て振りですが、歌はイーサン・ホーク自身の声。無邪気で不安定で傲慢で承認欲求が強い芸術家像に深く没入して演じています。

逆光を活かした自然描写、1954年の回想シーンのモノクロ処理、1966年の演奏シーンのダイナミックなカット割り。映像がスタイリッシュで美しい。

1954年の名盤 "Chet Baker Sings" はすべてのアドリブを口笛でなぞれるほど繰り返し聴きましたが、名曲名演といわれる "My Funny Valentine" だけはどうしても好きになれずに飛ばしてしまいます。

2016年12月3日土曜日

この世界の片隅に

よく晴れた土曜日の午後、運河も凪いでいます。ユナイテッドシネマ豊洲片渕須直監督作品『この世界の片隅に』を観ました。

「うちはようぼうっとしとるじゃいわれとって」。昭和8年の広島市江波、三角州の南端で海苔の養殖を営む浦野家の長女すず(声:のん)は絵が上手な小学生。現実と空想がないまぜになった絵物語を描いて妹すみ(声:潘めぐみ)に語って聞かせる。

太平洋戦争が開戦し、18歳になったすずは呉で両親と暮らす陸軍法務局の事務官周作(声:細谷佳正)に見初められ嫁入りする。そして終戦までの12年間の物語。こうの史代の原作漫画をアニメ化。

「戦争しよっても、ちょうちょは飛ぶ、せみは鳴く」。すずの声を演じたのん(能年玲奈)が素晴らしい。のんびりしていて妙に前向きな主人公の造形を柔らかい広島弁とちょっと舌足らずなのほほんとした語り口で表現しており、シリアスなストーリーをカラッと明るく見せることに成功しています。

「なんでも使って暮し続けるのがうちらの戦いですけ」。風景、家屋や調度、炊事、洗濯、裁縫。生活のディテールがこれでもかというぐらい丁寧に描写されています。家族の物語は僕はどちらかというと苦手で、依存の空気が流れ込むと途端に居心地が悪くなってしまうのですが、このお話の登場人物たちは、まず個人として立っており、その上で身の周りの人たちには適度な思いやりを示すので、人間関係がべたつかず心地良いです。

戦争がバトルフィールドから市街地に滲出し、非戦闘員を巻き込むようになったのは、空爆が技術的に可能になった第二次世界大戦から。核兵器出現以降の我々の感覚からすると、戦場で生身の人間が斬り合ったり撃ち合ったりする行為は野蛮極まりなく映ります。でも本当に残酷なのはどちらも変わらない。人が人を殺すことで帰属する国家なり集団なりの優位性を保とうとすることは。大空襲を受け、防災無線で「呉のみなさん、がんばってください」と繰り返されても、一体どうがんばれというのでしょう。戦争中の時間の経つのの遅いこと。

タイトルバックの讃美歌 "O Come All Ye Faithful"(神の御子は今宵しも) からザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」のカバーへの流れ。コトリンゴさんのサウンドトラックも終始優しく物語に寄り添っています。

 
 

2016年12月1日木曜日

TRIOLA a live strings performance

師走初日は雨上がりの木曜日の夜。下北沢leteへ。TRIOLAを聴きに行きました。波多野敦子さん(作曲、5弦ヴィオラ)と須原杏さん(ヴァイオリン)。長いブランク経て7月に新編成になってから3度目のワンマンライブです。

アンティークな木製のドアを開け、小さな木箱のようなleteに入ると誰もいないステージから微かに流れるドローンの荘厳な響き。開演時刻にふたりが登場し、波多野さんがスイッチを踏んで和音は唐突に打ち切られる。

そして立て続けに新曲をふたつ。以前のハードエッジなリフを基盤にした楽曲から更に細分化されたポリリズムで展開が読めない。中世の細密なエッチングめいた感触。かと思えば、阿波踊りあるいはウェスタン調に飛び跳ねる疾走感も加わり。

スイートでメロウな旋律を持つ過去の楽曲も容赦なく解体する手際の生々しさ。一方で、ループには白日夢を思わせる深いリヴァーヴがかけられている。実験的でありながら思いがけない美しさも併せ持つノイズ/アンビエント。

波多野さんのエッジの利いたヴィジョン/イマジネーションと杏さんの確かなプレイヤビリティが、他には聴いたことのない音楽を実現している。生楽器、生演奏のインタープレイはライブで体感すべき現在進行形の音楽と言えるでしょう。

小文字表記のtriola時代の色彩からこの5ヶ月間で脱け出し、新しいフェーズにシフトしたことが明らかに分かります。聞けば来年からユニット名を改め、アルバムのレコーディングを経て、春に再々始動するとのこと。2017年の彼女たちの動向に注目したいと思います。