2023年8月30日水曜日

あしたの少女

熱帯夜。シネマート新宿チョン・ジュリ監督作品『あしたの少女』を観ました。

2016年、大韓民国。一面が鏡の白いスタジオでイヤホンから流れる音楽に合わせて一人で踊るスニーカーの底がフロアを擦り叩く音と荒い息遣いだけが画面から聴こえてくる。最後のターンで足がもつれ、繰り返し転んでは立ち上がる。

踊っていたのは全州生物科学高校3年生のソヒ(キム・シウン)。担任の勧めで大手IT企業の子会社のコールセンターのインターンシップに参加する。有給ではあるが過酷な職場で、彼女たちのミッションは高額な継続特典の提示によって契約解除を回避すること。長時間労働、達成ノルマとインターン間の競争、クレーマー、会社にも学校に守ってもらえず、両親は無関心。それでもソヒはスキルを身に着け成果を上げるが、同時に心を擦り減らし、女性上司に反発して掴みかかり、謹慎中に冬の午後の貯水池で自ら命を絶つ。

遺体の収容にあたった刑事ユジン(ペ・ドゥナ)は、当初は単純な自殺案件として片付けようとしていたが、ソヒの死の背景に何か不穏なものを感じ、上官の許可を得ずに、会社、学校、家族、友人に会いに行く。

現代の日本にも置き換え可能な、身につまされる話です。ソヒの父親の職業は明確には描かれませんが、私大の学費を払える収入がないブルーカラーなのでしょう。大学進学を目指さない職業高校は、就業率だけで国から評価されて助成金が決まり、生徒たちが企業から搾取されていることに気づいていても何も言えない。大人たちは皆ちょっとずつダメだが、100%の悪人は登場しない。ちょっとずつのダメさが集積して主人公ソヒにしわ寄せが重くのしかかる。

前半90分は高校生ソヒが主役。多数の事実を丁寧に描写し、追い詰められていく姿にリリアリティを与える。後半50分の主人公は刑事ユジン。ペ・ドゥナの笑わない芝居。ルイ・ヴィトンセリーヌなどハイメゾンのモデルにたびたび起用される美貌を封印し、母親の介護休暇明けのくたびれた中堅刑事をノーメイクで演じる。ソヒの足跡を辿り、理解するにつれて、職業上抑制していた感情が溢れ、短気で喧嘩っ早かったソヒのように教頭や上官に殴りかかってしまう。

音楽の使い方も特徴的です。全編生活音、環境音のみで、シンプルなピアノの劇伴が2シーンだけ流れる。実はダンススタジオで一度会っていたソヒとユジン。薄かったつながりがユジンの中で存在感を増し、強い西陽が二人を結びつけるところで象徴的に響きます。

 

2023年8月16日水曜日

ジェーンとシャルロット

真夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町にてシャルロット・ゲンズブール監督作品『ジェーンとシャルロット』を観ました。

2017年、渋谷。東急Bunkamuraオーチャードホールの駐車場から映画は始まる。ステージには栗田博文指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。 "Ces Petits Riens" の前奏が始まり、ネイビーブレザーにコンバースのジェーン・バーキンが上手から登場する。幼い娘たちを連れたシャルロット・ゲンズブールが舞台袖から見守る。

「今までと違う視点でママを見てみたいと思った。カメラはママを見る口実だったの」。戦後フランス音楽界最大のカリスマにして問題児、故セルジュ・ゲンズブールの元妻ジェーン・バーキンをその娘シャルロット・ゲンズブールが撮るドキュメンタリーフィルム。セルジュの妻と娘というより、映画俳優として、世代のアイコンとして立つふたりの対話篇と言ってもいいと思います。

撮影は日本旅館の窓辺(下校時間の「七つの子」が聞こえる)、パリ郊外の水辺の自宅、ニューヨーク公演が行われたブロードウェイ、パリ市内のゲンズブール旧居で行われています。印象深かったのは、1991年にセルジュが亡くなって以降もそのまま保存されているパリのアパルトマンを母娘が探索し、鏡台に並べられた香水の瓶を手に取り香りを嗅ぐジェーン。そして白い壁に投影された亡き長女ケイト・バリーを回想し、早世に対する後悔を語るシーン。

「人はみんな話を作りたがる。私の話は本当に真実だろうか」。2023年7月16日に76歳で生涯を終えたジェーンにとっての遺作が、愛娘シャルロットの初監督作品である本作です。2021年のカンヌ映画祭で公開されているので、ジェーンも観ることができたと思います。シャルロットも母の死期を予感して、長年のわだかまりからの解放を母に贈りたかったのではないでしょうか。

似たトーンのウィスパーボイスで話す70代のジェーンも50代のシャルロットも少女性と老いをポジティブに表現している。母娘とも率直過ぎるほど率直な語り口で好感が持てます。カメラワークや編集はいかにもドキュメンタリー然としておらず、フランス映画らしい映像美が堪能できます。

 

2023年8月13日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

真夏の雨。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』にて、カワグチタケシ夏の朗読を開催いたしました。

日本列島に接近中の台風7号の影響で、開場時間にはどしゃ降りの雨。靴をびしょ濡れにしてご来場くださったお客様、デザートミュージックの配信をご視聴いただいた全宇宙のお茶の間の皆様、おいしいお料理とおもてなし、いつも最高のライブ環境を提供してくれるノラバー店主ノラオンナさん、あらためてありがとうございました。

湿度も最高潮で、夏の朗読を五感で味わっていただくにはこれ以上ない夜に、選んだ夏の詩はこの14篇です。

 1. 夏 ~Judy Garlandに(改題)
 4.
 6. 永遠の翌日
 7. スターズ&ストライプス
 8.

ノラバーのアイドル、セキセイインコの梨ちゃん2号がいい感じにぴよぴよ合いの手を入れてくれました。60分間は朗読のソロ公演としては長尺だと思います。長時間ひとりの声だけを聴き続けるのは集中力がいることですが、カウンターのお客様が思い思いの姿勢で熱心に耳を傾けてくださっているのが伝わってくる。ライブにおける演者の力は三割程度だな、と思います。オーディエンスの存在と箱の魅力とバランスが取れてはじめていいライブになります。

8月のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根の油揚げ巻、たまご焼き甘いの、焼き鳥タレ、きんぴらごぼう、トマトの山かけ、茄子みそ、とうもろこしごはん、あおさの味噌汁の九品。汗をかいた日にきんぴらの濃いめの醤油味が染み、山かけにミントリーフの清涼感が加わる気遣い。

楽しいお食事のあとはインスタ配信で30分間のデザートミュージック。朗読した『四通の手紙』は、書簡体の散文詩8篇を便箋に印刷し封筒に入れたもの。とある詩集通販サイトの限定商品として2003年に制作しました。そのサイトは既に終了しており、20周年ということもあってこの日のご来場特典にしました。遠く九州から台風を縫って来てくれたお客様に僕の詩で一番好きだと言っていただいた「ANOTHR GREEN WORLD」を添えて。

配信のあとはノラバープリンとバニラアイス、ノラバーブレンドコーヒーが供され、お客様のひとりが20年前にノラさんのライブを観ていたり、バードウォッチャーや鳥のアクセサリ作家の義息さんと、夜が更けるのも忘れ鳥談義に花が咲いたのでした。

 

2023年8月12日土曜日

リボルバー・リリー

真夏日。TOHOシネマズ上野行定勲監督作品『リボルバー・リリー』を観ました。

関東大震災の翌1924年、東京玉ノ井(現在の墨田区東向島)。幣原機関で育成され明治の終わりに57名を殺害し、最も排除されるべき日本人と呼ばれたスパイ小曽根百合(綾瀬はるか)はカフェ・ランブルの女主人をしていた。秩父の別荘地で細見一家惨殺事件が起こった。ただひとり生き延びた長男慎太(羽村仁成)を百合は列車内で保護する。父細見欣也(豊川悦司)が隠した帝国陸軍の資金をめぐり逃亡するふたり。

花街の相談役である弁護士岩見(長谷川博己)は、上野うさぎやが新発売したどら焼きを買ってランブルを訪れる。士官学校の先輩である海軍大佐山本五十六(阿部サダヲ)も絡み、大抗争へと発展する。

長浦京ハードボイルド小説の映画化である本作は、震災復興期の張りぼての街を舞台に、ジャズエイジのドレスを纏った綾瀬はるか演じる女殺し屋が、少年を守るために大立ち回りを繰り広げる娯楽大作です。

ハードボイルドとは何か? ハメットチャンドラーの古典から、ロバート・B・パーカードン・ウィンズロウ。女性主人公ならサラ・パレツキースー・グラフトン。日本の作家では、北方謙三松岡圭祐の『探偵の探偵』。20代でハマって数多の小説や映画に触れました。ざっくりいうと、確固とした行動規範を持つ主人公が、正義感、職業倫理、友情、恩義と様々な自己基準の大義のために法を犯しても社会や組織の大義と闘う物語、と定義づけられると思います。

その意味で本作の主人公小曽根百合もハードボイルドの定型を押さえ、争いは何も生まない、と分かっていながら、左胸をナイフで刺されても、少年を守るために陸軍兵士たちを何百名も撃ちます。ひとりの命のために別の多数の命を犠牲にしてもいいのか、というほうが気になってしまう自分がいて、ハードボイルドに夢中だったあの頃とはもう変わってしまったのだな、と思いました。

アクション、カメラワーク、ビジュアルはどのシーンも美しいです。特に視界1m足らずの濃霧の中での撃ち合いは『バービー』の主人公と考案者ルースの対話とシンクロしてぐっと来ました。カフェの女給で最後は散弾銃で参戦する17歳の琴子(古川琴音)の舌足らずで甘い声色もいいアクセントになっています。

 

2023年8月11日金曜日

バービー

山の日。TOHOシネマズ日比谷グレタ・ガーウィグ監督作品『バービー』を鑑賞しました。

「太古の昔、少女というものが存在したときから人形があった。人形は赤ん坊の姿をしていた。バービーがそのすべてを変えた」。20世紀初頭の装束の幼女たちがセルロイドのベイビードールを固い地面に叩きつけて破壊する衝撃的なオープニングは『2001年宇宙の旅』へのオマージュ。

バービーランドのドリームハウス、ハート型のベッドでバービー(マーゴット・ロビー)は目覚める。隣家のバービーたちに挨拶し、空の牛乳パックからマグに注ぎ、ホイップクリームを乗せたトーストを食べる。全てがピンクで彩られたバービーランド。大統領(イッサ・レイ)はアフリカ系バービー、最高裁判事(アナ・クルーズ・ケイン)も物理学者(エマ・マッキー)もノーベル文学賞受賞作家(アレクサンドラ・シップ)もバービーと名付けられている。

毎週開かれるガールズパーティでバービーは突然、死について考える。太ももにはセルライト。いつもハイヒールの角度に上がっていた踵が地面につく。「私は定番型バービー(Stereotypical Barbie)、深く考えるタイプじゃないの」。人形の持ち主の悩みや悲嘆を反映しているそれらを解決するためにバービーランドを出て現実世界に向かう。

ガーウィグ監督は『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で描いたガールズエンパワーメントを推し進め、更にその先の在るべき世界について問題提起しています。女性主体のバービーランドで抑圧されているケン(ライアン・ゴズリング)は、現実世界の女性の生きづらさを反映しており、現実世界の男性優位を知ってバービーランドに持ち込もうとする。一度は洗脳されかけるが、かつての持ち主グロリア(アメリカ・フェレーラ)の熱弁で覚醒し、主体性を取り戻すバービーたち。

「男社会もバービーを作ったのも過酷な現実を乗り切るためなの」と言うバービー考案者ルース・ハンドラー(リー・パールマン)との対話により進むべき道を見つけるバービー。ホワイトバックは魂の交感を暗示しているように思えました。

LIZZOに始まり、群舞シーンのDUA LIPA、上述のルースとバービーのシーンに流れるBILLIE EILISH、エンドロールのNicki Minaj & ICE SPICEと2023年の音楽シーンを映した選曲がいい。グロリアとバービーの重要な対話シーンで無音になるのも逆に超効果的。サントラ盤の最後に収録されているFIFTY FIFTYの "Barbie Dreams feat. Kaliii" が劇場では流れません。アジア向けプロモーション用のイメージソングなのかな。定番バービー感全開で最高なのに。そこだけが残念です。

 

2023年8月9日水曜日

君たちはどう生きるか

通り雨。ユナイテッドシネマ豊洲にて宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』を観ました。

「戦争の3年目に母さんが死に、4年目に僕は父と東京を離れた」。眞人(山時聡真)は真夜中の空襲警報のサイレンで目を覚ます。戦闘機のコクピットガラスを製作する工場主の父(木村拓哉)は、焼夷弾を投下された妻の入院する病院へと急ぐ。眞人も燃え盛る街を走るがなすすべもなかった。

父は母の妹ナツコ(木村佳乃)と再婚し、ナツコの実家に疎開する。広大なお屋敷に存在するパラレルワールドにマヒトは迷い込む。

多種多様な事象が次々に現れ、物語を整理することなく、別の場面に転換する、その連続。第二次世界大戦終戦時6歳の監督の心象をカオスのまま映像化したようで、宗左近の詩集『炎える母』(1968)を連想させる。『もののけ姫』以降の宮崎駿作品に部分的に表出していた無意識の映像化が全面的に展開している印象です。

整理しないというのは作り手側にとっても勇気がいることですが、セルタッチアニメーション表現の極限ともいえる技術で観客をねじ伏せる。エンドロールには過去に袂を分かつた弟子筋で現在は監督級の強者どもが巨匠の最期の作品のアニメーターとして名を連ねています。

吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937)は1カット登場しますが、基本的にはオリジナルストーリーです。主人公の冒険の目的が不明確なのは、ナツコがお屋敷から消えた理由が描かれないからだけではない。監督が自己を投影する登場人物が後半は大叔父(火野正平)に移り、敵味方もはっきりしない。

不安定な世界で主人公が偶然出会った者に助けられ、わけのわからないうちに大団円、見方を変えるとカタストロフィを迎えるのは、W.A.モーツァルト最後のオペラ『魔笛』(原作はマヌエル・シカネーダー)を想定してもらってもいいかもしれません。バディを組む(?)アオサギ(菅田将暉)は小狡いだけで全く頼りにならならず、キリコ(柴咲コウ)やヒミ(あいみょん)たち、女性にばかり助けられるのも象徴的だと思いました。