2022年8月28日日曜日

家庭

8月最後の日曜日。角川シネマ有楽町フランソワ・トリュフォー監督作品『家庭』を観ました。

キャメルのコートから伸びる脚とハイヒールとヴァイオリンケース。パリの石畳を歩くクリスチーヌ(クロード・ジャド)を捉えるローアングルのカメラから始まる。

アントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエ―ル・レオー)は25歳になり、『夜霧の恋人たち』で恋人だったクリスチーヌと結婚した。クリスチーヌは自宅で近所の子供たちにヴァイオリンを教え、アントワーヌはアパルトマンの中庭で白いカーネーションに赤や黄色のインクを吸わせて染め、近所の花屋に卸している。隣の部屋には声楽家とその妻が暮している。

アントワーヌは、米国資本のハイテク企業(当時の)に転職するが、命じられた仕事は会社の敷地内の池に浮かべた模型の船をリモコンで操作すること。視察に来た日本企業の経営者の娘KYOKO(松本弘子)と浮気するが、意思疎通ができず、別居中のクリスチーヌに逢い引き先のレストランから電話をかけて愚痴をこぼす。

「辛抱が肝心よ。男はみんな子供なの」。大人になって結婚して子供が生まれても相変わらず落ち着かないアントワーヌ。アパルトマンの住人たちもみな落ち着きがない。

基本はスラップスティックコメディですが、ビストロの親父が言う「ボードレールは詩人になる前は花屋だった」自説、絞殺魔(クロード・ヴェガ)が実は『去年マリエンバートで』のものまねが得意な芸人だったり、三行半がゴダール(トリュフォー脚本)の『勝手にしやがれ』など、ヌーヴェルヴァーグ的な引用過多にニヤリとさせられます。

判る奴だけ判ればいい、というペダンチックな小ネタだけでなく、絞殺魔のライトモチーフのエレキベースの不穏なルート音、チューリップが開花しKYOKOが仕込んだ愛のメッセージの付箋が飛び出して浮気がバレて、怒ったクリスチーヌが白塗り、和服、日本髪、正座でアントワーヌの帰宅を迎えるシーンなど、チープでストレートな笑いも取りに来る。

それを差別と言う勿れ。52年前の倫理観を反映した映画ですから目くじら立てず、軽快なテンポに乗って笑い飛ばすのが作品に対する礼儀と言えましょう。

 

2022年8月26日金曜日

バイオレンスアクション

驟雨。ユナイテッドシネマアクアシティお台場瑠東東一郎監督作品『バイオレンスアクション』を観ました。

菊野渓(橋本環奈)は日商簿記2級合格を目指す専門学校生、デリヘルを装ったぷるるん天然娘特急便のケイとして殺し屋のアルバイトをしている。依頼を受けて向かった先はSMホテル。アイドルの卵を拉致した男たちを殲滅する。

学校帰りの通学バスで足りない小銭を払ってくれたテラノ(杉野遥亮)は広域暴力団伝馬組の会計士。組の跡目争いの渦中に親友を失ったテラノは13億円を横領し、ケイはテラノをターゲットとする依頼を受ける。

映画の冒頭数分でMAN WITH A MISSIONに乗せて10人以上が殺される。モーションキャプチャCGを多用したアクション、小刻みなテンポのカットアップ、カラフルでポップな色彩はMV的で、殺戮の凄惨さや殺される者の恐怖や痛みは描かれない、というより橋本環奈の可愛さが全部帳消しにしている。主演女優橋本環奈を鑑賞することに特化した映画と言っていいと思います。その意味で全く退屈することなく、あっという間の上映時間でした。

グロリア』(1980)、『ニキータ』(1990)など、女性が屈強な野郎どもを殺しまくる映画は枚挙にいとまなく、『ハンナ』(2011)、『ガンパウダー・ミルクシェイク』(2021)をこのブログでも取り上げていますが、長身スレンダーなシアーシャ・ローナンカレン・ギランとは異なり、橋本環奈のケイはちんちくりんでややぽっちゃり、ハンナやサムのように殺し屋になったバックボーン(奇しくも親との関係性が濃密)にも言及されない。

「わたしは大丈夫。希望を持ってるから。小さくてもそれを持つのいいことだ」というケイはあくまでも媒介として存在し、依頼者やターゲットの事情や人間臭さを際立たせる。もうひとり常人離れした敵対組織のラスボス的存在みちたかくん(城田優)とともに物語にファンタジー&コメディ感を与えています。

店の看板が「らーめん」なのに店長(馬場ふみか)のTシャツが「らぁめん」だったり(原作第4話では"RAMEN")、ケイが病院の自販機で買ったジャスミンティが開けたばかりなのに2割がた飲みかけだったり、いろいろと詰めが甘いところがありますが、総じて楽しく鑑賞できました。

専門学校の同級生りっかを実写版『ゆるキャン△』の箭内夢菜、『蜜蜂と遠雷』で若き天才ピアニストを演じた森崎ウィン鈴鹿央士のコンビを敵対させるのも面白かったです。

 

2022年8月21日日曜日

歌枕 あなたの知らない心の風景

曇り時々雨。東京ミッドタウンGALLERIA3階サントリー美術館にて『歌枕 あなたの知らない心の風景』展を鑑賞しました。

和歌に詠まれた地名が実景から和歌のイメージに転換して抽象化、記号化され「歌枕」となる。平安時代中期(10世紀)に編纂された勅撰歌集『古今和歌集』に紀貫之が書いた仮名序「秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば帝の御目に錦と見たまひ春のあした吉野の山のさくらは人麿が心には雲かとのみなむおぼえける」をルーツとする。

第一章「歌枕の世界」、第二章「歌枕の成立」、第三章「描かれた歌枕」、第四章「旅と歌枕」、第五章「暮らしに息づく歌枕」という展示の流れが滑らか。

第二章は書の掛軸中心の展示です。竜田川の紅葉、吉野の桜の他にも、和歌の中で、地名と土地を象徴する事物が結びつく。例えば、因幡山⇒松⇒待つ、三笠山⇒傘⇒雨、塩釜⇒浦⇒恨み、八橋⇒蜘蛛手⇒定まらない気持ち、というように地名から派生した音韻が特定の感情を想起するようになる。室町時代(16世紀)『勅撰名所和歌要抄抽書』により、歌枕の地名が確定し、同時に非歌枕の地名が生まれる。

第三章では歌垣の名所が絵画と和歌で表現される。吉野川⇒激流⇒激しい恋、富士山⇒季節を超越した冠雪⇒永遠、というように地名が概念化し、江戸中期の狩野探雪松川十二景和歌画帖』に至っては実景を見ずに画を描き歌を詠むように更に地名の概念化が進み、江戸末期の長谷川雪旦画『江戸名所図会』においては「歌枕以外は名所にあらず」とエクストリームな思想に到達する。

数多く展示されている屏風絵や巻物など、横長のフォルムの絵画作品のほとんどが雲の上から俯瞰する構図で描かれている。神の視点。絵師の超越的な存在を象徴するようでもあります。昨今のドローン空撮の動画に興奮とノスタルジアを同時に感じるのは、平安から江戸まで千年に亘って俯瞰構図が我々のDNAに刻まれているからなのでしょうか。

屏風絵は和室に正座した視線で見るのが一番美しいと言われますが、柳橋、水車、網代で表わされた宇治、武蔵野の荒涼としたすすき野に月、金粉、銀粉の輝きが一番増すのは美術館のガラスケースの前で中腰になって床上1mほどから鑑賞したときです。

現代において特定の強いイメージを持つ地名といえば、紛争地帯や抑留地、惨事の現場などネガティブなものが多く、僕も詩作において扱うことがありますが、できれば地名が呼び覚ますイメージは、いにしえに倣い風雅なものであってほしいと思いました。

 

2022年8月13日土曜日

ブライアン・ウィルソン 約束の旅路

台風間近。TOHOシネマズ日比谷シャンテブレント・ウィルソン監督作品『ブライアン・ウィルソン 約束の旅路』を観ました。

今年80歳になるブライアン・ウィルソン(左利き)はThe Beach Boysのリーダー。弟2人デニスカール、従兄マイク・ラヴ、同級生アル・ジャーディンの5人バンドで、ソングライティング、編曲、プロデュース、ベース、ボーカルを担当していた。米国ポップミュージックの最重要人物のひとりです。

ミュージシャンのインタビューといえば自宅のカウチやスタジオのコンソール前が定番だが、本作では旧知のジャーナリスト、元ローリングストーン誌編集者ジェイソン・ファインが運転するポルシェでロサンゼルスのゆかりの地を巡りながら自らのキャリアを語る助手席のブライアンをダッシュボードからとらえた映像が大半を占める。

両作とも本人が制作に携わっているため、そのライフストーリーは伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(2015)と大きく異なる点はないが、早逝した弟デニス・ウィルソンが生前唯一リリースしたソロアルバム "Pacific Ocean Blue" を初めて全編聴くシーンやThe Beach Boysの "Holland" (1973)のために渡欧をセッティングしたジャック・ライリーが3年前に亡くなっていたことを知らされたときの落涙など、胸に迫るシーンがあります。

アメリカのショービズ・ジャーナリズムといえば、歯に衣着せず、聞きにくいところもずけずけ切り込むという印象がありますが、本作では長く統合失調症を患うブライアンの精神状態に配慮してか、高圧的な父親からの虐待、薬物依存、"Pet Sounds"、"Smile" 制作時の他メンバーとの確執、精神科医ユージン・ランディとの共依存とも洗脳ともとれる関係性とそこからの離脱といったダークサイドについてはあっさり触れられる程度でした。

同時代、次世代のミュージシャンのコメントでは、クラシック音楽の指揮者グスターボ・ドゥダメルが異色で新鮮なのと「南カリフォルニアについて再定義し、世界に広めた」と評するブルース・スプリングスティーンがロジカル&クール且つリスペクトに溢れている。音源では、スタジオのドン・ウォズが "God Only Knows" のマルチトラックマスターテープからコーラスパートを抜き出して聴くシーンが白眉です。

The Beach Boys の最大の特徴は1960年代のロック界の主流であった社会や体制に対する反抗的な態度を前面に出さず、むしろ積極的に資本主義市場経済にコミットしたことだと思います。Rebelというアウトプットはむしろ健全であり、表面的なRebelよりも音楽のQualityを純粋に突き詰めていったブライアン・ウィルソンは、深い闇を内面に抱えてしまった。若さと成熟の軋みによって生まれた作品群が時代を超えてエヴァーグリーンな輝きを放つのは皮肉でもあり希望でもあります。

 

2022年8月12日金曜日

映画 ゆるキャン△

山の日。TOHOシネマズ錦糸町楽天地京極義昭監督作品『映画 ゆるキャン△』を観ました。

志摩リン(東山奈央)は名古屋のしゃちほこ出版で営業部から編集部に異動になりタウン誌『しゃちほこさんぽ』の記者をしている。高校の同級生で野外活動サークル(通称:野クル)の部長だった大垣千明(原紗友里)から「今、名古屋にいるのだが」というLINEを受け取る。千明は東京のイベント企画会社を辞めて地元に帰り、やまなし観光推進機構に勤めている。

酔った勢いでタクシーを飛ばし夜明け前に着いた先は山梨県南巨摩郡富士川町高下の青少年自然活動センター跡地。東京のアウトドアショップに勤める各務原なでしこ(花守ゆみり)、横浜でトリマーになった斉藤恵那(高橋李依)、地元山梨の鰍沢で小学校教員をしている犬山あおい(豊崎愛生)。高校時代のキャンプ仲間に声を掛け、理想のキャンプ場作りが始まる。

終始ローテンションな一匹狼のリンを主人公に置いたことがこのシリーズの成功要因かもしれません。熱血な千明も天真爛漫ななでしこもリンの領域には無理に踏み込まない。温厚なあおいとマイペースな恵那。5人がゆるくつながるときに生じるチルで優しい空気。

なでしことあおいが中心になって作る食欲をそそるキャンプ飯の数々は社会人になって予算に余裕が出て食材も調味料も充実しています。一方で、なでしこが勤め先に初めて来店した女子高校生に「最初は泊まらなくてもいいし、焚き火して食事はインスタントでも楽しいですよ」というアドバイスも真理を突いている。

キャンプで三食作って食べて片付けてを全部やるとそれだけで一日費やしてしまいます。登山や川遊びやおしゃべりやハンモックにのんびり揺られる時間を作るには、カップ麺やレトルトに頼っていい。

劇場版ならではの背景の細やかさも。松竹映画の富士山から劇中の夕暮れの富士山のシルエットにモーフィングして、花火が上がるオープニングが最高です。

 

2022年8月6日土曜日

ギルバート・グレイプ


舞台は1980年代のアイオワ州エンドーラ。草原の真ん中にぽつんと建つ家にギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は家族と暮している。

父親は7年前に自殺し、ショックで母親(ダーレーン・ケイツ)は過食になり、200kg超の巨体で何年も家を出ていない。弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)は重度の知的障害のあるトラブルメイカー、高校生の妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)は生意気盛り。姉エミー(ローラ・ハリントン)が家事を担い、小さな食料品店で働くギルバートと家庭を支えている。

10歳まで生きられないと医師に診断されたアーニーが18歳の誕生日を迎える6日前。ベッキー(ジュリエット・ルイス)と祖母(ペネロープ・ブランニング)がトレーラーハウスでエンドーラに現れる。誰もが通り過ぎるだけの町だが、キャブレターの故障により町外れの湖畔にしばらく滞在することになる。

「音楽のないダンスのような町」と自ら評する故郷で自我を殺して家族のために生きるギルバートは、「見た目はどうでもいい、何をするかが問題なの」というベッキーに望みを尋ねられても「妹が大人になること、ママにはエアロビクス、アーニーには新しい脳」と家族のことしか思いつかない。自分は? と再度促されてやっと絞り出した答えが「いい人間になりたい」。

ギルバートは誰に向かってもけっして問いを投げることをしない。諦観しすべてを受け入れようとしている。1993年の制作当時にその呼称はなかったか、知られていなかったが、これはヤングケアラーの物語。

TCG系列の都内3館で始まった『12ヶ月のシネマリレー』の1本目として上映中の本作は、『スモーク』『天使の涙』と並んで、僕のライフタイムベストムービー1990年代部門に必ずランクインする作品です。

すべてのカットが美しく且つリアリティを持ち、無駄なシーンがひとつもない。役者たちが全員はまり役で完璧な芝居をして、カメラワークも音楽も素晴らしい。地平線まで何もない広大な景色が狭いコミュニティで生きる若者だちの閉塞感を増幅し、小さな気まずい事件が次々に起こるのだが、最終的に心温まり優しい気持ちになれるという奇跡の一本。

VHSに始まってDVDやBS放送も含め7~8回は観ている作品で、ディカプリオの早熟の天才ぶりに都度圧倒されてきましたが、今回あらためて映画館の大スクリーンで観て、ジョニー・デップの繊細な演技と美術の精妙さに感動しました。