2018年8月18日土曜日

未来のミライ

空が高く、風が心地良い。ユナイテッドシネマ豊洲で、細田守監督作品『未来のミライ』を観ました。

くんちゃん(上白石萌歌)は磯子に住む4歳男児。妹が生まれ、出版社勤務の母(麻生久美子)と最近フリーランスになった建築士の父(星野源)の関心を奪われて不機嫌。幼児退行で反抗しまくる。そこに未来から現れたセーラー服姿の妹(黒木華)の願いは、婚期が遅れるから今日中に雛人形を片付けてほしい、というものだった。

ト書きとでもいうべき現在の世界から、約15分毎に主人公くんちゃんのエモーションが臨界点に達するのをトリガーにして、過去や未来にタイムリープする5話オムニバスのような構成になっています。

第一話は中年男に姿を変えた飼い犬ゆっこ(吉原光夫)が、くんちゃんが生まれる前は自分がこの家の主役だったと告げる。第二話は植物館のドームで中学生になった妹の未来との出会い。第三話は傲慢で散らかし屋だった母親の少女時代(雑賀サクラ)へ。第四話は戦後間もなく曾祖父(福山雅治)に根岸競馬場跡まで馬とオートバイに乗せてもらう。第五話は十数年後の自身(畠中祐)に導かれ未来の東京駅で迷子に。

冬の日、息で曇らせた冷たい窓ガラスを掌で拭う冒頭のシーンから、ホワイトアウトした真夏の光線まで、現時点におけるアニメーション表現の到達点をさりげなく見せつけられます。最も興奮するのは、第五話の東京駅のホログラム化した時刻表とエピローグのファミリーツリー内部のインターステラー的デジタルアーカイブ感で、『時をかける少女』や『サマーウォーズ』の上位互換として、僕が細田守作品に求めるのはそこなんだなあ、と実感しました。

上記過去作と異なるのは、タイムリープやバーチャルファイトの背景にあった切迫感が無いことで、今作ではあくまでも主人公の妄想を補強する役割に徹しています。その意味で描かれる世界が小さくなったという批判的な意見が出るのもきっと監督には想定内なのでしょう。

終盤に祖母(宮崎美子)の言う「そこそこで充分。最悪じゃなきゃいいの」という台詞は監督が実体験から得た育児論でもあり、今作以降の映画作法でもあるのだと思います。興業収入云々よりも、自分の身の周りのことを丁寧に精緻に描くのだ、という宣言と受け取りました。


2018年8月17日金曜日

追想

8月とは思えない湿度の低さ。TOHOシネマズシャンテドミニク・クック監督作品『追想』を鑑賞しました。

イアン・マキューアンが2007年に発表した小説『初夜』(原題: On Chesil Beach)を原作者自身が脚色し、シアーシャ・ローナン主演でBBCが映画化した作品です。

チェジル・ビーチは英国南部のリゾート地。1962年初夏、エドワード(ビリー・ハウル)とフローレンス(シアーシャ・ローナン)はEメジャーのブルース進行について語り合いながら足元の不安定な玉砂利を踏んで長い海岸線を歩いて行く。ふたりは海の見えるホテルで新婚初夜を迎えようとしている。

歴史学者を目指すエドワードは労働者階級。母親(アンヌ=マリー・ダフ)は事故で脳に損傷を負い奇行を繰り返す。妹は双子。弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者フローレンスは経営者の長女。ボーダーのワンピースにピースマークの缶バッジをつけている。大学の反核兵器集会で出会ってお互いに一目惚れ。初恋同士だった。

出会った日にタンポポの花を摘んでフローレンスに贈るエドワード、河畔のピクニック、夏休みのエドワードのバイト先のクリケット場に最寄駅から11キロ歩いて会いに来るフローレンス、随所に挿入される恋愛時代のエピソードがどれも甘美で輝かしく、新婚初夜のぎこちない二人の緊張感を際立たせる。

小さな失敗を許し合うことができず結局6時間しか続かなかった結婚。お互いのコンプレックスを気づかうことができないばかりか、自分自身のこともよく理解していない若さ、幼さ故のすれ違い。そこはさっさと謝っちゃえよ! と何度画面に向かって思ったことか。でもそれは歳月を経て得たもので同じ年頃の自分を想うと痛い記憶は多々あります。

水平線を目一杯活かすロングショットを多用したイギリス映画らしい静謐な画面構成。モーツァルト弦楽五重奏曲第五番ニ長調K. 593を基調としながら、チャック・ベリーからT.REXまでロックンロールナンバーを散りばめたサウンドトラックが不変の愛と時代の移ろいを象徴している。そしてシアーシャ・ローナンは明るいブルーのセットアップが似合って大変美しいです。

 

2018年8月16日木曜日

カメラを止めるな!

時折吹く風に夏が後半に入ったのを感じます。TOHOシネマズ日比谷上田慎一郎監督作品『カメラを止めるな!』を観ました。

元浄水場の廃墟でインディーズのゾンビ映画を撮影中。「君に死が迫ってる。本物の恐怖があったか? 出すんじゃなくて、出るんだ!」。一所懸命な主演女優(秋山ゆずき)の芝居に切れる監督(濱津隆之)。仲裁に入るメイクさん(しゅはまはるみ)。主演俳優(長屋和彰)と女優は恋人同士。そこに本物のゾンビが現われパニックに。

昨年11月の公開時の上映館は新宿K's cinemaと池袋シネマロサという渋めのミニシアター2館のみ。現在は全国180館以上に拡大し、僕が観た回も1000席以上の大箱が満席でした。この夏最大のヒット作と言ってもいいでしょう。

こういうコアな拡がりを見せる作品って、近年はタイムラインだけでお腹一杯で、怒りのデスロードズートピアバーフバリも観ていない残念な僕ですが、この映画を観ようと思ったのは、たまたまTOKYO MX情報バラエティ番組に監督が出演しているのを観て、そのあまりに楽しげな様子に心打たれたからです。

そして実際作品も楽しかったし、登場人物たちのポンコツさに大爆笑して、家族の物語にちょっとだけホロっとして、前半の「え、ここは笑うところ?」みたい微妙なシーンも後半見事に伏線回収され、最後はすっきりしました。

ヒロインは白のタンクトップとか、ホラー映画の定型もしっかり押さえられていて、いやむしろテンプレがあるがこその自由度というか、予算も含め、映画制作に関わるすべての制約を裏返しにする情熱とスピード感がある。撮影は8日間で終えたそうです。

卒業制作の低予算映画で世界的ヒットになったといえば、ジム・ジャームッシュ監督の『パーマネント・バケーション』を思い出します。あるいは映画製作にまつわる悲喜劇を多数撮ったフェリーニウディ・アレン。上田監督もいずれそんな風になっていくのかな、と思います。

 

2018年8月5日日曜日

TRIOLA

台風が近づいているせいか、猛暑はすこしだけ落ち着いていますが、湿度を余計に感じます。日曜夜、下北沢leteで開催されたTRIOLAのワンマンライブに行きました。

1曲目は「TR11」。須原杏さんのヴァイオリンのソリッドな重音が刻む等拍のリフに軟体的に絡む波多野敦子さんの5弦ヴィオラ。TR10番台は硬質でクラウト的な曲想に始まり演奏の後半は脱構築に向かう。

そこからMCをほぼ挟まず立て続けに前半6曲。第一期triolaではリアルに鳴らしていた手廻しサイレンは弦楽器の不協和音のポルタメントに置き換わった。

2016年再起動後のTRIOLAは、増殖と消滅を繰り返すインテンポの細かなリフレインを主軸に置いていますが、前半最後に演奏された新曲 "waves horn"(ホワイトノイズ抜きver.)には、しばらく封印していた哀愁の旋律が帰ってきて、また後半のいくつかの楽曲は従来の演奏より意識的にテンポダウンされ、且ついままでにないダイナミックなアチェレランドが取り入れられています。

会場限定のCD-Rも前回行けなかった5月のワンマンで一旦区切りとのこと。波多野さんの作曲は緻密に記述された調性の崩壊。新しいCOLORSシリーズは五線譜を用いず、写真と色彩を主題にした即興演奏で、ある種のアクションペインティングのような聖性を獲得している。

第一期triolaも再起動後TRIOLAもふたりのプレーヤーのタイム感の微細なズレからグルーヴを生んでいたのが、じわじわと重なりが強くなり、うねりに変わってきたこともあわせ、再起動後のTRIOLAが第二章に入ったように感じました。僕の知る範囲では、いま最もライブで体験すべき音楽ではないか、と思います。