2025年11月11日火曜日

旅と日々

ポッキーの日。TOHOシネマズ シャンテ三宅唱監督作品『旅と日々』を観ました。

窓から雑居ビルの連なる景色、背後にインクジェットプリンタ。脚本家の李(シム・ウンギョン)がノートに鉛筆で「シーン1:夏、海辺」とハングルで書いている。

乗用車の後部座席で眠る女(河合優実)。車は海へ向かい、むき出しの岩の法面はワイヤーフェンスで補強されている。ビキニ姿の外国人が砂浜で文庫本を読む少年(高田万作)に話しかける。そしてボーイミーツガール。少年が海辺の街を案内し、翌日の約束をして夜に別れた。

それは李が脚本を書いた映画のストーリー。大学の教室で上映され、監督と共にポストトークに登壇した李は学生から質問されて「自分には才能がないと思った」と答える。

「言葉から遠いところで佇んでいたいのに、いつも言葉につかまってしまう。旅とは言葉から離れることなのかもしれない」。李は電車で雪深い温泉街へ旅する。宿はどこも満室で断られ、フロントで案内された山頂の荒れ果てた民宿で主人(堤真一)と出会う。

障害や疾病との和解/共存を描いた三宅監督の「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」は好きな作品ですが、つげ義春の短編漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」を原作として、三重の入れ子構造で撮られた本作は、そのどちらとも異なる脱構築性を持っています。

河合優実の気怠さは魅力的ですが、つげ義春的昭和サブカル感を最も体現しているのは、原作にはない大学教授とその双子の兄弟の二役を演じた佐野史郎か。いちいち怪しくて、真顔で可笑しなことを言う。堤真一は『ALWAYS 三丁目の夕日』以降、昭和の頑固親父の印象が僕には強かったのですが、東北弁で演じる人生の敗残者が非常に上手い。

三宅監督は、主要人物を画面の中心から少しだけ外して配置する。そして音に対する感性が半端なく鋭敏。映像に付随するあらゆる音声に耳をそばだてずにはいられませんでした。

 

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