2021年8月28日土曜日

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)

猛暑日。TOHOシネマズ日比谷アミール・“クエストラブ”・トンプソン監督作品『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を鑑賞しました。

人類が月面に到達した1969年夏、ウッドストックフェスティバルから100マイル離れたニューヨーク市ハーレムのマウントモリス公園で開催されたブラックカルチャーの祭典 Harlem Cultural Festival。主催者によって収められ50年間お蔵入りしていたフィルムを、現代の生演奏 HIP HOP バンド The Roots のドラマー Questlove が、当時のニュース映像や、関係者、観客のインタビューを交えて再編集した劇場映画です。

雨傘を広げる観客。19歳のスティーヴィー・ワンダーのドラムソロから映画は始まる。あたかも夏の一日のような作りですが、三日三晩連続の有料コンサートだったウッドストックとは異なり、1969年6~8月の日曜午後に6回に分け開催された無料公演は延べ30万人の観客を集めた。MCのトニー・ローレンスの衣装がしばしば替わることからもわかります。

グラディス・ナイト&ザ・ピップスディヴィッド・ラフィン(ex.ザ・テンプテーションズ)ら、モータウン勢の折り目正しさ。体調不良とは思えないマヘリア・ジャクソンの常人離れした声量と脇で支えるメイヴィス・ステイプルズニーナ・シモンのポエトリーリーディング(というよりアジテーション?)が個人的にはハイライト。

当時のニューヨーク市リンゼイ市長もステージに上がり、MAXWELL HOUSE COFFEEがスポンサーにつく。TVニュースの取材で「国は月に行く予算を貧困対策に回すべきだ」と答える観客。昼間の演奏シーンしかないのは、低予算で照明機材が借りられず、自然光でライブを行ったから。そのためステージは午後の日当たりの良い西向きに設置された。

1969年に20代だった観客も70代。人種差別撤廃、公民権運動運動を指示したジョン・F・ケネディ大統領ロバート・ケネディ上院議員マルコムXマーティン・ルーサー・キング牧師、1964~68年に起こった4人の暗殺。その後全米で続く暴動、略奪。不満のはけ口としてフェスが開催されたのではないか、と後年考えるようになったと当時当時大学生だった男性観客、音楽が自分たちのルーツと誇りと団結の象徴になったという女性ジャーナリスト。どちらも祭りの本質を突いていると思います。

ジャズ、ブルース、ゴスペル等、アフリカ系ルーツの音楽だけでなく、モンゴ・サンタマリアレイ・バレットら、カリブ、ニューヨリカンのラテンルーツにも広く目配せする一方、女性ミュージシャンはシンガーを除くとマヘリア・ジャクソンのピアニストのみ。

その中で強烈に異彩を放つのがスライ&ザ・ファミリーストーン。"Sing A Simple Song"、"Everyday People"、"I Want to Take You Higher"。人種性別混成で繰り出す狂騒的且つクールなグルーヴは他のアクトを全て過去のものにしてしまうフレッシュな勢いがあります。

フィルムの保存状態も大変良好で、リマスターされた音質もクリア且つ豊か。曲中にインタビューを挟むなという意見もあるでしょうが、BLM運動の現在において再検証されるべきヒストリーに対して真摯な制作姿勢だと僕は感じました。

 

2021年8月25日水曜日

子供はわかってあげない

猛暑日。イオンシネマ市川妙典沖田修一監督作品『子供はわかってあげない』を観ました。

映画は劇中劇の架空アニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』のそれなりに長いシーンから始まり、お茶の間で夕方の放送を観終わって、ED曲を振りコピする父娘にパンします。

マイナーアニメKOTEKOを偏愛する主人公朔田美波(上白石萌歌)は高2の水泳部員。背泳ぎの練習の合間に見上げた校舎の屋上で書道部2年生の門司昭平(細田佳央太)が毛筆でKOTEKOを描いているのを見つけ階段を駆け上がる。

田島列島が2014年にモーニングに連載した原作漫画は単行本になったときに読んでいました。ひと夏のボーイミーツガールと思いきや、朔田さんの実父探しに雇った探偵は門司くんの性転換した兄(千葉雄大)、あっさり見つかる実父(豊川悦司)は隠遁中の新興宗教の教祖だった。というトリッキーな展開にも関わらず、心理の闇には潜り込まず、爽やかな青春コメディに仕立てた原作の雰囲気をフィルムに定着させることに成功していると思いました。

「なんでもかんでも漫画を映画にするなってことです。私らアニヲタの願いです」という主人公の科白にきちんと応え、出会いのシーンでは上履きのラインの赤色で同学年を認識する、背泳ぎのスイマー目線の水中CCDカメラの躍動感、等々、映像作品ならではの趣向も洒落ています。

主人公のふたり、上白石萌歌の細すぎないボディシェイプと物語が進むにつれ日焼けする顔。TBS日曜劇場『ドラゴン桜』でブレークした細田佳央太の全力ダッシュ、モノローグやナレーションのない脚本ですが、表情だけで複雑な感情を余すことなく伝える豊川悦司の見事な技術。千葉雄大の安定感。実母役の斉藤由貴、継父役の古舘寛治。みんなそれぞれの立場で上手さと優しさを最大限発揮している。

音楽は牛尾憲輔agraph)。KOTEKOのOP曲「バッファローのコテくるり!」とED曲「左官のこころで」はアニソンですが、劇伴は『サイダーのように言葉が湧き上がる』のエレクトロニカとは異なり、『歌劇カルメン』のハバネラをモチーフにした生楽器中心の変奏で、日常からちょっとだけ浮遊するような本作の空気感をしっかりと支えています。

 

2021年8月14日土曜日

BLACKPINK THE MOVIE

小雨。TジョイPRINCE品川で、チョン・スーイーオ・ユンドン監督作品『BLACKPINK THE MOVIE』を観ました。

グローバル規模でBTSに次いで成功している韓国のポップグループ BLACKPINKは、ジスジェニーロゼリサの4人組。2016年8月のデビューから5周年を記念して、またコロナ禍によりコンサートツアーができないかわりにBLINK(ファンの愛称)へのギフトとして制作された映画。

2019~2020年のワールドツアー "IN YOUR AREA"、2021年のオンラインライブ "THE SHOW" とバックステージ、メンバー個々のインタビュー映像により構成されています。

映画冒頭の有観客ライブ "DDU-DU DDU-DU" の重低音とリサの高速ラップで一気に世界に惹き込まれる。計算しつくされたパフォーマンスは360°クール。あえてカラフルポップではなくドープでダウナーなR&Bで世界を席巻したTEDDYのサウンドプロデュース。

半完成品を供給し、メンバーと運営とヲタクの共謀関係の中で、拙さを愛で、成長を見守る、日本のアイドル文化の位相とはまったく異なる。

「私って意外と強いんだなと思いました」(ジス)、「辛かった記憶を消しているみたい」(リサ)。文字にすると若干悲壮感がありますが、笑顔で答える彼女たちの印象はナチュラル&ポジティブ。スクリーンに映し出される個性の異なる4人の姿を101分間集中して見つめていたら、すっかりファンになってしまいました。

世界中のスタジアムに集まった観客はほとんどが十代女子。北米や欧州公演でもアジア系だけでなく、白人黒人の観客が目立つ。媚びないポップアイコンとして、自立したいガールズのロールモデルとして、広く支持されているのが伝わってきます。

映画館の客席も8割がた若い女性。ひとりで来ている人も友だちと連れ立ってきている人も笑顔で帰っていきます。高校生らしきふたりの「かわいさしかない」「それな」という会話が印象に残りました。

 

2021年8月13日金曜日

イン・ザ・ハイツ

八月の曇り空。丸の内ピカデリー ドルビーシネマにて、ジョン・M・チュウ監督作品『イン・ザ・ハイツ』を鑑賞しました。

マンハッタン北部、ブロンクスの西、ハーレムの北、ジョージ・ワシントン橋の袂ワシントンハイツは中南米移民の街。ドミニカ共和国にルーツを持つ移民二世のウスナビ(アンソニー・ラモス)は、亡き両親から受け継いだ雑貨店を従弟ソニー(グレゴリー・ディアス4世)と営んでいる。

ウスナビの片思いの相手はバネッサ(メリッサ・バレラ)。地元の美容院でネイリストをしながら服飾デザイナーになることを夢見ている。ニーナ(レスリー・グレイス)は幼い頃から成績優秀、カリフォルニアの名門スタンフォード大学に入りコミュニティの期待を背負ったが、人種差別に悩みワシントンハイツに帰郷する。ベニー(コーリー・ホーキンズ)はニーナの父親が経営するタクシー会社の配車係。ニーナの元カレだ。

この男女4人を軸にしたひと夏の青春群像劇は、リン=マニュエル・ミランダ作2008年度トニー賞受賞のブロードウェーミュージカルの映画化。

「夢っていうのは綺麗に磨かれたダイヤじゃないの」「些細なことでいい、私たちの尊厳を示すの」。ドミニカだけでなく、プエルトリコ、コスタリカ、メキシコなど複数のルーツを持つ住民たちの多くは不法滞在者のため行政サービスを享受できないかわりに、濃密な人間関係に支えられた相互扶助により暮らしが成り立っている。

決して楽ではない暮らしも、サルサ、ルンバ、カリプソ、メレンゲなど、狂騒的なラテンのリズムで乗り越える。ティーンエイジャーの頃、放課後に地元の公園のサイファーでラップのスキルを磨いたという主人公ウスナビのライムがそのビートに対峙する。4人の主役だけでなく、主なサブキャラにもアリアが割り当てられ、歌声がみな素晴らしいです。

冒頭の高圧洗浄機のリズム、プールの大群舞の俯瞰ショット、アニメーション表現や壁伝いのデュオダンスなど、映画ならではのカタルシスも満載。『シカゴ』『ラ・ラ・ランド』と並ぶコンテンポラリーミュージカルシネマの傑作と言っていいと思います。

そして、悪役が登場しない。現実はそうはいかないと思いますが、映画の登場人物はみな善意によって行動しており、それが鑑賞後の爽快感につながります。

ほとんどの場面において、対話は台詞、モノローグは歌唱、という棲み分けがなされていてわかりやすいですが、路上で大声で心情吐露を熱唱したらみんなに聞こえちゃうよ、と余計な心配は不要です。ミュージカルなので。