2021年7月30日金曜日

サイダーのように言葉が湧き上がる


人に話しかけられたくなくていつもヘッドホンをしている17歳男子チェリー(市川染五郎)は夏休み、ぎっくり腰の母親の代役でデイサービスの介護アルバイトをしている。スマイル(杉咲花)は16歳の人気ライバー(動画配信主)。コンプレックスの大きな前歯を矯正中でマスクが手放せない。

地元のショッピングモールでぶつかったふたりが落としたスマホを取り違えたことで始まり、デイサービスの徘徊老人藤山(山寺宏一)の思い出のピクチャー盤「YAMAZAKURA」を探す、ひと夏のボーイミーツガール。

だるまの名産地小田市は高崎市がモデル。水田の畦道の先に建つモールの内部だけ都市を感じさせる。SNSの「いいね」を通してお互いを意識する恋のはじまり。チェリーは会話が苦手で、俳句なら上手く言葉にできると言う。夕暮れの畦道を歩きながら即興で詠んだ「夕暮れのフライングめく夏灯」を「かわいい」と肯定するスマイル。17歳の17音。

俳句甲子園もあるので、高校生にとって俳句はそこまで遠い存在ではないと思いますが、自己流ではなく、教則本や句誌を読み、歳時記を常に持ち歩き、攝津幸彦の名句を諳誦するチェリーの創作姿勢に好感を持ちました。

思い切った句跨ぎや若々しい喩を持つ作風が、スマイルへの想いが募る恋句になると感情に押されて月並みな表現になる脚本演出がリアルで巧み。俳句監修は黒瀬珂瀾さんUPJの打ち上げか何かの席で一度だけご一緒したことがありますが大層なイケメンです。

下北沢の書店フィクショネスが2014年に閉店するまで、10年以上毎月開催された句会に参加していたのですが、僕にとって俳句とは、選択と配列の文芸です。例えばタイトルになっている「サイダーのように言葉が湧き上がる」を「サイダーが言葉のように湧き上がる」と置き換えたときの意味とニュアンスの差異、音韻の変化を捉え、表現したいイメージに最も近いものを選択する。『角川季寄せ』は僕も愛用していました。

その意味で「山桜かくしたその葉ぼくはすき」の中七だけを溢れる感情のクレシェンドに任せて次々に差し替えていくクライマックスシーンは句作そのもの。結果的に「好きだー!」という叫びは俳句としては凡庸なのですが「雷鳴や伝えるためにこそ言葉」(黒瀬珂瀾)です。

鈴木英人テイストの背景の描線と色彩、大貫妙子フジヤマレコード(三軒茶屋に実在する1984年創業のインディーズ系レコード店)。1970~80年代のJ-POP(と当時はまだ呼ばれていなかったが)カルチャーへのオマージュが随所に。スマイルの本名がユキで三姉妹の動画配信ユニット名がオレンジサンシャインなのはJUDY AND MARYだから~90年代かな。スコアは牛尾憲輔agraph)のエレクトロニカ、甘酸っぱい青春ドラマにフィットしています。

 

2021年7月22日木曜日

竜とそばかすの姫

真夏日。シネマイクスピアリ細田守監督作品『竜とそばかすの姫』を観ました。

舞台は現代の高知県。清流仁淀川のほとり、JR土讃線沿線、吾川郡いの町あたりか。主人公は、幼いころに目の前で起きた水難事故によって母親(島本須美)を亡くした、自己肯定感の低い高校二年生の内藤鈴(中村佳穂)。亡き母が教えてくれたDTM、歌うことを、トラウマにより拒絶している。

「ようこそ<U>の世界へ。現実はやりなおせない、でも<U>ならやり直せる」。親友のヒロちゃん(幾田りら)が教えてくれた仮想現実SNS<U>。耳に装着したデバイスによりオリジン(ユーザー)の生体情報から本質的な性格や隠れた才能を凝縮して表出させたAsと呼ばれるアバターを生成する。鈴のAsであるBelleは<U>の歌姫となり、50億人のユーザーから絶賛とアンチのコメントを集める。

2009年公開の『サマーウォーズ』はとても好きな作品です。その細田監督が12年ぶりに仮想世界を描く作品を楽しみにしていました。この12年間でスマートフォンが普及し、ネットワークの通信速度とデータ量は膨大になり、SNSが文字通り良くも悪くももうひとつの社会として成立しました。

コミュニティを荒らす竜(佐藤健)と、正義と秩序の大義のもとにオリジンを特定して叩く自警組織ジャスティスは、実際のネットワーク社会のメタファーと受け取りました。竜が倒したジャスティスがポリゴン化するのはアイロニーが利いています。

仮想世界で『美女と野獣』をやりたかったという監督の意向をストレートに反映して、仮想世界をCGで表現したBelleのキャラクターデザインはディズニープリンセス、竜の城もディズニー感が強いです。一方で、現実世界は手書きアニメ、川面の光の反射や粉雪の描写などこのうえなく繊細で美しい。

竜を救うために葛藤の末、Belleが仮想世界で本来の鈴の姿を晒すことを決意することがストーリー上の大きな転換点ですが、その逡巡に共感できなかったのはジェネレーションの差なんでしょうね。僕みたいなオールドスタイルには、オンラインであれオフラインであれ、実名で顔出ししてはじめて責任ある言動ができる、顔出しするのがネットリテラシが低いのではなく、リテラシの低い人が顔出しするのがリスクだ、という固定観念があります。

またBelle(=鈴)が竜に惹かれる過程や毒親の無力化など、エピソードによる登場人物の感情の動きの裏付けが甘いのは、物語の基本構造がミュージカルだから。ラスト近く仮想世界の数億人のシンガロングで感動してしまうのは、音楽と映像の力にほかなりません。

2014年に下北沢SEED SHIPで、当時まだ大学生だった中村佳穂さんと一度共演したことがあります。彼女はその後すぐに大きなフェスに出演したりと大活躍していますが、今回この役によりまた多くの聴衆を得ることをうれしく感じています。

 

2021年7月13日火曜日

ジャニス・ジョプリン

火曜日。シネ・リーブル池袋でデヴィッド・ホーン監督作品『ジャニス・ジョプリン』を鑑賞しました。

松竹ブロードウェイシネマと銘打たれているとおり、2013年からマンハッタン西45丁目の Lyceum Theatre で興行されたミュージカル・ショー"A Night with Janis Joplin" を劇場公開用にフィルムに収めた映画です。

1943年テキサス州の湖畔の町ポートアーサーに生まれたジャニス・リン・ジョプリンメアリー・ブリジット・デイヴィス)。父親は石油会社の社員、専業主婦の母、弟と妹の5人家族、白人の中産階級出身。テキサス大学を中退後、サンフランシスコのヒッピーコミューンでシンガーとして名声を高めた。27年の生涯で発表したアルバムは4枚。デビューからわずか3年余の活動期間だったが、ロック史には欠かせないレジェンドのひとりだ。

ジャニス役を演じるメアリー・ブリジット・デイビスが、8人編成の生バンドをバックに、圧倒的な歌唱力で名曲群を歌い上げ、その合間にライフストーリーを語るモノローグが挿入される。金属的な倍音と包み込むような温かみという相反する要素が共存するジャニスの歌声をよく再現しています。ジャニスが影響を受けたゴスペルやソウルシンガーたちを4人の黒人女性俳優(Aurianna AngeliqueAshley Tamar DavisTawny DolleyJennifer Leigh Warren)が演じ分けていますが、彼女たちにはほぼ科白がありません。

"Summertime"、"Piece Of My Heart"、"Ball And Chain" など代表曲のいくつかは、ソウルシンガー役の正統的な歌唱の直後にジャニスの解釈で歌い直されることにより、後にLed Zeppelinロバート・プラントや更にその影響を受けたGreta Van Fleetジョシュ・キスカによって現代まで受け継がれる、ブルースを基調としながら、極度の緩急でHIPHOP的と言えるほど歌詞を詰め込むジャニスの特異なスタイルが浮き彫りになります。

ゼルダになってスコット・フィッツジェラルドに出会いたい。ずっとビートニクになりたかった、ビートニクになって人生を楽しみたかった。と語るジャニスの文学少女的な側面にも言及されるのが興味深い。

ジャニスのオーヴァードーズによる死は舞台上では直接的に描かれませんが、主役不在のステージで、ベッシー・スミスオデッタニナ・シモンエタ・ジェイムズアレサ・フランクリン、過去の歌姫たちの亡霊が集合し、ボブ・ディランの "I Shall Be Released" を歌うシーンは泣かせます。

ロッククリシェともいえる「自由とは失うものがないということ」は "Me And Bobby McGee"、「窓辺に座って雨を見ていた」は "Ball And Chain" の歌詞なんですね。映画になると字幕が付くからそういうのも分かっていいな、と思いました。
 

2021年7月11日日曜日

BILLIE ビリー

通り雨。角川シネマ有楽町で開催中の Peter Barakan's Music Film Festival で、ジェームズ・エルスキン監督作品『BILLIE ビリー』を鑑賞しました。

1978年ワシントンD.C.で謎の死を遂げたユダヤ系米国人ジャーナリストのリンダ・リプナック・キュールが、ビリー・ホリデイ(1914-1959)の評伝を執筆するために1960年代から8年間にわたり取材したビリーの家族、共演者、スタッフ、関係者のインタビューが200時間以上のカセットテープに記録されていた。

著者の急逝により評伝は未完に終わったが、当時を知る人々の肉声と記録映像を再構成した映画が2019年に英国で制作されました。

1914年メリーランド州ボルティモアの貧しい地域で生まれ母子家庭で育ったビリー "レディ・デイ" ホリデイ(本名エレオノーラ・フェイガン)。生活のためローティーンで売春を始め、14歳で母娘はニューヨーク市に転居し、翌年にはハーレムのナイトクラブで歌い始め、特別な声と類稀な表現力でジャズ、ブルース界を席巻する。

白人ビッグバンドと共演した初めての黒人歌手となるが、1930~40年代の米国における人種差別、ジャズという男性社会の性差別的な扱いは苛烈で、夫たち、恋人たちのDVに耐えながら、はじめは大麻、そしてコカイン、ヘロイン、阿片、LSDに依存していく。名声ゆえに連邦麻薬取締局のスケープゴートにされ、3度の逮捕、服役。そのたびにショービズ界にカムバックするが衰えは隠せず、1959年7月17日ハーレムの病院で心不全で死亡する。

彼女が革新的だったのは己を歌ったこと(レスター・ヤング
私が歌うのは私や友だちの人生に人生になにかしら関係のあること(ビリー・ホリデイ)

ベニー・グッドマンカウント・ベイシーアーティ・ショウカーメン・マクレエジョー・ジョーンズ、ジャズ界のレジェンドたちだけでなく、プロデューサー、ナイトクラブ経営者、ヒモ、麻薬の売人、麻薬捜査官、刑務官までもが惜しげもなく披露する危ない裏話の数々。バイセクシャルでセックス依存、被虐性嗜好、といった側面はこの映画を観て知りました。

奇妙な果実」は全盛期といえる1939年、25歳のときの作品。この時代にこの歌詞を歌うことは相当な覚悟が必要だったことが当時の映像からも伺える。まだ40代前半なのにすっかりやつれ老けた痛々しい外見にもかかわらず、1959年の最後のテレビ出演時の "I Loves You, Porgy" の歌唱は天使のように美しく感動的です。

エラ・フィッツジェラルドが「彼は出て行った」と歌うと「パンでも買いに行った」って感じなのに、ビリーが歌うと「二度と帰ってこない」と聞こえる。お茶の間BGMになることを頑なに拒む歌声は劇場やジャズ喫茶で聴くのが似合うと思いました。

 

2021年7月9日金曜日

ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけている


2001年12月生まれ、現在19歳の世界的ポップアイコンが、13歳のときにダンス講師に転送する目的でサウンドクラウドにアップロードした自作曲Ocean Eyes(作編曲は兄フィニアス)で注目を浴びてから、2020年1月に18歳でグラミー賞6部門のトロフィーを手にするまでの約4年間に密着したApple TV+オリジナルコンテンツの劇場公開です。

ロサンゼルス郊外の雑草だらけの平屋に両親と兄と老犬と暮らすビリー・アイリッシュ。作曲もレコーディングも兄フィニアスのベッドルームで。その制作スタイルはセレブとなった現在も同じで、変わったのは手持ちのダイナミックマイクがポップガード付きのコンデンサーマイクになったことぐらい。

たとえ鼻歌でもスクリーンの中で彼女が歌いはじめれば劇場の空気がビリー・アイリッシュ色に染まるのが、当たり前なのに鳥肌が立つ。共同制作者の兄との関係性は歳の近い十代の兄弟らしく、幸福な内輪ネタの笑いとじゃれあいで満ちている。ビリーにピアノとウクレレを教えたのは母親。進歩的で優しく、コマーシャリズムにも配慮しつつ、基本的には兄妹がやりたくないことからは守る、距離感が絶妙。そして役者の父親は娘を穏やかに見守る。ビリー・アイリッシュを通して、アメリカのリベラルな家族の肖像が描かれています。

過度なストレスにより発作が出るトゥレット症候群(チック)、捻挫癖のついた右足首、リストカット、恋人Qとのすれ違い、ライブ後のミート&グリートに対する苦痛。マネジメントサイドがよく許可したなと思うぐらい赤裸々ですが、ぶっちゃけが持ち味な彼女だから、それも魅力的に映りました。

なぜ多くの人たちがこんな自分を好きになってくれるのかわからなかったが、自分が彼らと同じ問題を抱えているからだと気づいた、と言う。飛び降り自殺を暗示させる歌詞の必然性を母親に問われて、歌うことで実際にしなくて済む、と答える。

ライブの観客は同世代の女子がほとんど。歌詞、サウンド、絶妙にダサいファッションとヘアメイク、思春期ならではのぽっちゃり体型。クラスの勝ち組でない層には自分事として刺さるのでしょう。

コーチュラフェスティバルで15万人の聴衆の前で堂々とパフォーマンスし周囲は絶賛するも新曲の歌詞をトバしたことを悔やむが、直後に会場で憧れのジャスティン・ビーバーにハグされ、激励のDMを音読してうれし涙を流す。このシークエンスがハイライトと感じました。

ショーは好きだが作曲は嫌い、ということですが、僕が一番テンションが上がったのは自宅での制作シーンです。兄妹がベッドに腰掛けて、生ギターと2声で旋律と和声を組み上げる繊細な作業が、エレクロトニックな重低音を暴力的に増幅した最終形態においても存在感を失わない。それこそが彼女の音楽の最大の魅力ではないかと思います。

Apple TV+の配信でも視聴可能ですが、大音量で聴いてこその彼女の音楽ですので、映画館で鑑賞してよかったです。