2017年8月19日土曜日

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

蒸し暑い曇りの土曜日。ユナイテッドシネマ豊洲武内宣之監督作品『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を観ました。

舞台は千葉県飯岡町茂下。海岸沿いの中学校の夏休みの登校日、夜には花火が上がる。典道(声:菅田将暉)は同級生のなずな(声:広瀬すず)のことが好きだが気持ちを伝えられていない。親友祐介(声:宮野真守)と競泳で勝負して、勝った祐介をなずなは花火に誘う。

1993年に岩井俊二が脚本監督し、当時15歳の奥菜恵が主演したテレビドラマを大根仁が新たに脚色、新房昭之まど☆マギ)が総監督、シャフトがアニメーション制作。と、クレジットは豪華なのですが。

バカ男子たちの夏休み冒険ロードムービーとしても、トライアングル・ラヴ・ストーリーとしても、少年少女駆け落ち潭としても、タイムリープものとしても、中途半端でちょっと残念な結果に。タイムリープが不可抗力ではなく主人公の願望のみに基づいて起こるため、中二病の妄想にしか見えないことがその要因ではないかと思います。

シャフト制作だけあって映像はこれでもかというくらいきれいです。特に、海、プール、スプリンクラーなど、水の描写の美しさは2017年時点におけるアニメーション表現の最高峰と言ってもいいんじゃないでしょうか。

打ち上げ花火がどの角度から見ても丸いということに僕が初めて気づいたのは、1984年LA五輪の閉会式の空撮をテレビ中継で観たときです。それまではそんなことは気にもかけていませんでした。

「水の上の透明な駅のプラットホームで/君が見上げる花火を俺は/丘の上から視線の高さで眺めている」というフレーズが出てくる詩「水の上の透明な駅」を書いたのは2001年のことです。海上を滑るように渡っていく1両編成の列車の描写がアニメ版にありますが(1993年のテレビドラマ版は観ていないのでわかりません)、『千と千尋の神隠し』の類似シーンと中原中也の「言葉なき歌」(1936)を下敷きにしています。



2017年8月12日土曜日

フェリシーと夢のトウシューズ

弱い残暑の土曜日。丸の内TOEI②エリック・サマーエリック・ワリン監督作品『フェリシーと夢のトウシューズ』(日本語吹き替え版)を観ました。

フェリシー(声:土屋太鳳)はバレエ・ダンサーに憧れる11歳の孤児。同い年で発明家志望のヴィクター(声:花江夏樹)とブルターニュの孤児院を脱走しパリを目指す。フェリシーはオペラ座バレエ学校に入り、ヴィクターはギュスターヴ・エッフェル博士に弟子入りする。

技術も知識もカネもコネもないが、才能と情熱だけは人一倍。意地悪なライバルに邪魔されたり、親切な大人たちに助けられたり、芸と恋の板挟みになったりしながら、正味7~10日間ぐらいでしょうか、シンデレラストーリーとしても、痛快アクション冒険活劇として楽しめます。

ディズニー出身、のちにDREAMWORKSで『マダガスカル』や『カンフーパンダ』を手掛けたテッド・タイのCGアニメーション。大屋根の細い棟の上のバレエステップ、カーチェイスシーンの派手なカット割り、飛行/落下、等々スリリングでスピード感溢れる。19世紀末のパリの街並みの優美さ。パリ・オペラ座の現芸術監督オレリー・デュポンが振り付けしたダンスシーンはあえてモーションキャプチャを用いず、より大きく、高く、速く、観せる。

そんな短期間でバレエが上手くなるはずがない、なんて野暮はファンタジーなのですから言いっこなしです。音楽はチャイコフスキーが少々と大部分は四つ打ちのポップソング。主人公を巡って幼馴染ヴィクターとロシアの貴公子ルディ(声:内山昂輝)、男子2人の決闘のショボさに比べてフェリシーとカミーユ(声:青山美郷)のダンスバトルが華やかで野性的で力強いのも、現代的で素晴らしいなあ、と思いました。

舞台は1880年代のパリ。オペラ座(ガルニエ宮)は出来立て、1989年のパリ万博に向けて建設中のエッフェル塔、アメリカ合衆国に贈られた自由の女神像も同じ工房で造られている。自分が生まれる前からあるランドマークや芸術作品は、はじめから地上に存在していたかのように錯覚してしまいますが、誰かの大変な工夫や苦労によって創造されたものである、という当たり前の、でも普段忘れがちなとても大事なことを思い出させてくれます。


2017年8月5日土曜日

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

薄曇りの土曜日。神保町岩波ホールテレンス・デイヴィス監督脚本『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を観賞しました。

生前発表された詩はわずか数篇。没後発見された2000篇近い草稿群が出版され、19世紀のアメリカを代表する詩人としていまも人気の高いエミリー・ディキンソンの半生を描いています。

舞台は1848年、エミリーの女学校中退から始まり、1886年5月の葬儀で終わる。

エミリー・ディキンソンといえば、マサチューセッツ州アマーストの自宅で、白いドレスを着て部屋から一歩も出ず、また誰も部屋に入れなかった。病気で往診に呼んだ医師でさえ、ドア越しに診察させたという。そんなコミュ障のひきこもり詩人。という印象だったのですが、それは43歳で父親を亡くしてから12年間のこと。それまでは一応当時の一般的な社会生活を営んでいます。服の色もさまざま。

よく言えば才気煥発で好奇心旺盛。既存の価値観には疑問符をつけ自分で検証してみたくなる。納得いかないことには必ず反発し、人間関係円滑化のために表面上同調するという選択肢を持たないので組織のなかでうまく立ち回れない。今風に言えば「生き辛い人」。結構キレやすくて、教師や親類や友達に酷い悪態を投げつける。

詩作品の主題も世界に対する呪詛に満ちているのだが、その呪詛をこの世のものとは思えないほどの美しく表現できる類稀なスキルを持つ。主人公エミリーを演じているのが『セックス・アンド・ザ・シティ』のバリキャリ弁護士ミランダシンシア・ニクソン

しかしこの映画の真の主役はエミリーの妹ヴィニーことラヴィニア・ディキンソン(ジェニファー・イーリー)だと思います。エキセントリックで才能豊かな姉とお調子者の兄、厳格な父親と病弱な母親、という厄介な家族関係の綻びをなんとかうまく修復しようと終始気を遣い努力する。最後まで報われることはありませんが、その真摯な姿には心打たれました。

ディキンソン家の数十年の時の経過を数秒で表現した肖像写真のモーフィング技術もエレガントで鮮やかです。