2021年7月11日日曜日

BILLIE ビリー

通り雨。角川シネマ有楽町で開催中の Peter Barakan's Music Film Festival で、ジェームズ・エルスキン監督作品『BILLIE ビリー』を鑑賞しました。

1978年ワシントンD.C.で謎の死を遂げたユダヤ系米国人ジャーナリストのリンダ・リプナック・キュールが、ビリー・ホリデイ(1914-1959)の評伝を執筆するために1960年代から8年間にわたり取材したビリーの家族、共演者、スタッフ、関係者のインタビューが200時間以上のカセットテープに記録されていた。

著者の急逝により評伝は未完に終わったが、当時を知る人々の肉声と記録映像を再構成した映画が2019年に英国で制作されました。

1914年メリーランド州ボルティモアの貧しい地域で生まれ母子家庭で育ったビリー "レディ・デイ" ホリデイ(本名エレオノーラ・フェイガン)。生活のためローティーンで売春を始め、14歳で母娘はニューヨーク市に転居し、翌年にはハーレムのナイトクラブで歌い始め、特別な声と類稀な表現力でジャズ、ブルース界を席巻する。

白人ビッグバンドと共演した初めての黒人歌手となるが、1930~40年代の米国における人種差別、ジャズという男性社会の性差別的な扱いは苛烈で、夫たち、恋人たちのDVに耐えながら、はじめは大麻、そしてコカイン、ヘロイン、阿片、LSDに依存していく。名声ゆえに連邦麻薬取締局のスケープゴートにされ、3度の逮捕、服役。そのたびにショービズ界にカムバックするが衰えは隠せず、1959年7月17日ハーレムの病院で心不全で死亡する。

彼女が革新的だったのは己を歌ったこと(レスター・ヤング
私が歌うのは私や友だちの人生に人生になにかしら関係のあること(ビリー・ホリデイ)

ベニー・グッドマンカウント・ベイシーアーティ・ショウカーメン・マクレエジョー・ジョーンズ、ジャズ界のレジェンドたちだけでなく、プロデューサー、ナイトクラブ経営者、ヒモ、麻薬の売人、麻薬捜査官、刑務官までもが惜しげもなく披露する危ない裏話の数々。バイセクシャルでセックス依存、被虐性嗜好、といった側面はこの映画を観て知りました。

奇妙な果実」は全盛期といえる1939年、25歳のときの作品。この時代にこの歌詞を歌うことは相当な覚悟が必要だったことが当時の映像からも伺える。まだ40代前半なのにすっかりやつれ老けた痛々しい外見にもかかわらず、1959年の最後のテレビ出演時の "I Loves You, Porgy" の歌唱は天使のように美しく感動的です。

エラ・フィッツジェラルドが「彼は出て行った」と歌うと「パンでも買いに行った」って感じなのに、ビリーが歌うと「二度と帰ってこない」と聞こえる。お茶の間BGMになることを頑なに拒む歌声は劇場やジャズ喫茶で聴くのが似合うと思いました。

 

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