2017年6月24日土曜日

THE SPACE WE LIVE BY VOL.4 サトーカンナ "Make It Obvious"発売記念 ヤマグチヒロコ×サトーカンナ ツーマンライブ

よく晴れた土曜日のお昼時。下北沢440で開催された『サトーカンナ下北沢レコード PRESENTS "THE SPACE WE LIVE BY VOL.4" サトーカンナ "Make It Obvious"発売記念 ヤマグチヒロコ×サトーカンナ ツーマンライブ』に行きました。

カンナさんとは昨年1月に Poemusica Vol.46 で共演して以来。その時はアコースティックギターとのデュオで歌声をループマシンで多層に重ねた、どちらかというをダークな曲調が多かった印象です。器用さと洒脱なところは相変わらずですが、今回はドラムス、ベース、ギターにサウンドエフェクト、カンナさん自身のキーボードという編成でオーソドックスかつシンプルながら体温を感じさせる演奏で聴かせて、楽曲の良さが際立ちます。

1年半ぶりに彼女の音楽を聴きました。その間にはきっと迷ったり悩んだりしたこともあるのだと思います。そんな心情の揺れも音楽から伝わってきますが、全体的なトーンとしてはおしゃれで知的でポップ。例えば、 新譜の1曲目でライブでも最初に演奏された「ものごと」にはRADIOHEADの初期の隠れた名曲 "high & dry" のメロディをさりげなく挟み込む小粋な趣向。あえてなのか、ボーカルのピッチの少々甘めなところはポータブル・ロックを思い出させる。

カウンターカルチャーに基礎を置くが、メインストリームの流行もちゃんと押さえている。知識の引き出しが多く話していて飽きない。カンナさんみたいな子がクラスにいたらきっと、本やレコードやビデオを貸し借りする良い友達になれたんじゃないかと思います。

共演のヤマグチヒロコさん。アシンメトリーなマッシュルームカットに木綿のミニワンピースという姿で、ループマシンを駆使したソウルフルなポップミュージックをステージ上でリアルタイムに構築していく手際には、一流の職人芸を見る清々しさを感じます。ラップナンバー "Dance With You"が良かったです。アンコールの2曲、salyu × salyu の「続きを」、スタンダード "May You Always" のデュエットも素敵でした。

ということで、6月3本目のレコ発ライブでした。リリースパーティというのは特別な祝祭感があってやはりいいものですね。



 

2017年6月22日木曜日

mandimimi 1st EP "Unicorn Songbook: Journeys" リリース記念ライブ

夏日でも6月なので日が落ちると涼しい。渋谷サラヴァ東京へ。mandimimiさんの1st EP "Unicorn Songbook: Journeys" リリース記念ライブにお邪魔しました。

台湾系アメリカ人SSWの Mandyさんは、台湾高雄で生まれ、米国西海岸シアトルに家族で移住。その後、八戸、神戸を経て、現在は東京在住です。ソロプロジェクト名をmandimimiに改め、6曲入りのEPを発表。

そのライフスタイルはノマド的というより、もっと土地土地にしっかりとした生活の基盤と人間関係を築いているように思えます。CDタイトルのJourneysにちなんで、これまで暮らした地で綴った歌を唱うという構成でした。

彼女とは昨年4月に等々力の生花店Iriaさんで出会いました。笑顔で生まれてきてそのまま大人になる人がいるんだなあ、というのが第一印象。口角が常に上がっており、笑うと更に目が三日月型になる。ゆるふわな語り口とナチュラルなビジュアルには、同性が思わず「かわいい!」と言ってしまう要素が詰まっています。

敢えてタイム感やグルーヴを排除し、過剰なまでにレガートを重ねたノスタルジックなピアノの響きは、Harold Budd 的なアンビエンスで空間を浮遊する。

なんだろうこの懐かしさは、と思って聴いていましたが、アンコールで歌ったニール・ヤングの "Only Love Can Break Your Heart" に至ってやっと気づきました。ミディアム~スローテンポと語尾が微妙にフラットするスウィートな中音域のウィスパーヴォイスにコーティングされていますが、自作の楽曲の骨格はグランジ~ミクスチュア~エモ。彼らが時にはっとするような美しいバラードを歌う。その瞬間を濃縮還元したかのようです。やはり思春期をシアトルで過ごした影響が強いのかもしれません。昨夏のギャラリーイベント限定シングルでは Death Cab For Cutie の "Transatlanticism" をカバーしていました。

中国語、英語、日本語のトリリンガルなMandyさんですが、歌詞は英語が大半。完璧なイントネーションの日本語を話すのに、日本語詞を歌うとちょっとだけたどたどしくなるところも逆にチャーミングです。

途中から加わった照井陽平さんのガットギターとコーラスも終始優しく、mandimimiとしての出発を会場全体が静かに祝福していました。



2017年6月12日月曜日

MINAKEKKE "TINGLES" RELEASE PARTY

MINAKEKKEさんとは以前、2013年10月にPoemusica Vol.22で共演しています。当時はMinakoさんというお名前でした。その後MINAKEKKE になって、4月に1stフルアルバム "TINGLES" をリリースしたばかり。俊読2017のリハーサルと本番の間に渋谷タワレコでゲットしました。

芝浦インクスティックで観たThe Jesus And Mary Chain、後楽園ホールのCocteau Twins等々、折に触れて思い出すライブがありますが、この日のこともきっとこの先何度も思い出すと思います。

"TINGLES" レコーディングメンバー全員(&IKILLU 神田愛実さん)による演奏。更にPAにはレコーディングエンジニアの葛西俊彦さん、VJにジャケ写を撮った丹澤由棋さん。アルバムの全11曲だけを収録順に演奏しました(最終曲 "TINGLES" がアンコール)。アルバムに絶大な自信を持っていることが伝わってくるし、なによりアルバムを気に入って聴きに来ているオーディエンスにとって一番のギフトだと思います。

元来彼女は表情豊かなほうではなく、感情の起伏もおそらく少ない。MCは最小限。その歌声にはElizabeth FrazerHarriet Wheeler の残響があります。自己愛、自己嫌悪、自己表現や自己言及よりも、1990~2000年代UKロックに対する憧憬とリスペクト(そして少々のコンプレックス)が優っており、陰鬱な曲調でも聴いていて息苦しくならないのは、そのあたりに秘密があるのかも。

アルバムでは地味な存在に思えた "MARIAN" が強烈な四つ打ちのキックに乗ってフロア映えするソウルフルなダンスチューンになっていたり、アルバムを忠実に再現するのではなく、今日しかないエモーションがところどころではみ出して聴こえて来るのはライブならではの醍醐味です。

ゲストの高井息吹と眠る星座のアクトも素晴らしかった。ソングライティングの確かさ、声の力、演奏技術、アイデア、ダイナミズムとグルーヴ。どこを取っても振り切れています。そして手がつけられないほどの生命力に溢れている。これからもっとずっと高いステージに上がっていくことは間違いないでしょう。


2017年6月11日日曜日

ことばーか10 ~ザ・ファイナル

空梅雨。晴天の日曜午後、東京メトロ東西線15000系に乗って早稲田まで。ブックカフェCAT'S CRADLE蛇口さんが年一回主催しているポエトリ-・リーディング・ショー『ことばーか』の第10回目にして最終回にお邪魔しました。

蛇口さんには同じ棒読み派詩人として勝手に親近感を抱いています。かといってのっぺり無表情かというとそんなことはなく、彼の選ぶ言葉の連なりにはエモーションがあり、リーディングにはグルーヴがある。

石渡紀美さんの最近のパフォーマンスの充実ぶりには目を瞠ります。以前はもっとがちゃがちゃしたところがあって、それはそれで面白かったのですが、静けさのなかに単語を置くようないまの朗読の凄み。庶民的なのに何か人を寄せつけないところ。

馬野ミキさんがロン毛(というよりマッシュルームカットか)になっていました。スキンヘッドの印象が強かったので。この詩人はどんな汚い言葉を使っても喚起する映像が澄んでいます。いくつになっても幼児の目を失わない人。

今回の出演者ではギタリストのヤスオ・トゥワープ氏だけが初めてでした。ひとりジャグ。粗野に見せかけて超リリカル。彼と蛇口さんと石渡さんの3人で始めたイベントだということも、そのあとふたりが抜けて蛇口さんだけ残ったことも初めて知りました。

さいとういんこさんも強力でした。「S・R・H」(白髪、老眼、閉経)。なんていうか、若いミュージシャンや詩人が等身大とか言ってるのがちゃんちゃら可笑しくなるぐらい。リアルとはこういうこと。そしてチャーミングな方法で提示すること。

桑原滝弥さんは自叙伝風の散文詩。彼の声は大まかに2種類あるのですが、鋭くて硬質な声を中心に置き、時折テンポダウンして倍音混じりの深い低音に転じる。この2声のバランスと転換の鮮やかさが今日は絶妙に決まって。

15年以上前から共に場数を踏んできた盟友たちの名人芸に聴き惚れた日曜日の午後でした。


2017年6月3日土曜日

カフェ・ソサエティ

水無月。日比谷TOHOシネマズみゆき座で、ウディ・アレン脚本監督作品『カフェ・ソサエティ』を観ました。

舞台は1930年代ゴールデン・エイジ。NYブロンクス出身のユダヤ人青年ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)はキャスティングエージェントとして成功した伯父フィル(スティーブ・カレル)を頼ってハリウッドに出る。フィルの秘書ヴォニー(クリステン・スチュワート)に恋をするが、彼女は伯父の愛人だった。

一度はヴォニーの心を掴んだボビーだが、結局ヴォニーはフィルと結婚してしまう。失意のボビーはニューヨークに帰り、兄ベン(コリー・ストール)の経営するナイトクラブのマネジャーになって成功する。そして数年後の再会。

「片想いは結核よりも多く人を殺す」。得意のロマンティックコメディをアレン監督が職人芸で魅せます。ストーリーが斬新でなくても、ギャグやスラップスティックがなくても、随所にセンスが光る。

ヴォニー「夢は夢よ」、ボビー「永遠に続く感情もある」。気の利いた台詞ときめ細かい演出で登場人物の揺れる心情を描き、映画の後半にはきっとみんな主人公ボビーを応援したくなると思います。

ただのよくあるラブストーリーに終わらないのは、ボビーの実家のユダヤ人一家のひとりひとりがエキセントリックで面白いから。興奮するとイディッシュ語になるけれど「こちらは雨よ。美しいけれど物悲しい」と息子に詩的過ぎる手紙を書く母親。理屈っぽい哲学者の義兄。そして息をするように自然に気に入らない者たちを銃殺する実兄。カリカチュアライズされた描写が最高に笑えます。

全篇に流れるノスタルジックなジャズVince Giordano And The Nighthawks の"The Lady Is A Tramp" がメインテーマ)、シャネルが提供したハリウッドセレブたちのゴージャスな衣裳。名匠が肩の力を抜いて、手を抜かずに創ったチャーミングな工芸品を堪能しました。

 

2017年5月28日日曜日

日曜音楽バー ラストアサノラ

リスペクトする音楽家ノラオンナさんが日曜日だけ店長を務める『日曜音楽バー アサガヤノラの物語』。毎週一組のミュージシャンの食事付ワンマンライブが開催されてきましたが、会場のBarトリアエズの閉店により、今回がラストアサノラ

もともと銀座コリドー街のバーときねで2011年末に始まった『銀座のノラの物語』にはじめてお邪魔したのが2012年5月のノラミタ(ノラオンナと見田諭)の回。同じ年の春先に下北沢SEEDSHIPでノラオンナさんと初共演した直後のことです。

それから銀座で2回、2013年7月に阿佐ヶ谷に引っ越してから6回、計8回も出演者としてお世話になり(銀座の2回目はラスト銀ノラでした)、観客としてもしばしば訪れて、音楽と食事とハイボールを楽しみました。

ラストアサノラのバイキングは、これまでのアサノラ弁当の集大成ともいえる内容で素晴らしかったです。「おいしい。もう一口食べたい」という長年の願望がビュッフェスタイルで叶えられました。

古川麦くんはカバー多めのセットリストで生来の優しさと知性を丁寧に手渡すような演奏。はじめて聴いたストラトキャスターの音色がクリアで柔らかかった。ノラさんはほろ酔いな雰囲気で、普段は空気がちょっとピリっとするようなところも魅力なのですが、今夜は超リラックスモード。それでも最終回の感傷だけに浸ることなく、麦くんは「LOVE現在地」、ノラさんは「都電電車」と、各々最新曲で締めたあたり、これからを感じさせるライブだったと思います。

銀座の地下3階のしんと静まり返った密室感と、住宅街の通りに面して大きなガラス窓から人々の営みを望む阿佐ヶ谷。対象的なシチュエーションではありましたが、そこで提供される音楽とノラさんの心づくしの手料理はいつもクオリティのあるものでした。

7月からは西東京市の西武柳沢に自分の店ノラバーを持つノラさん。日曜音楽バーも2度目のお引っ越しです。敬愛する詩人、故田村隆一氏がかつて暮らした保谷で、紡がれる新しい物語を楽しみにしています。


 

2017年5月27日土曜日

夜明け告げるルーのうた

夏日。T・ジョイ PRINCE品川湯浅政明監督作品『夜明け告げるルーのうた』を鑑賞しました。

舞台は、フカヒレと人魚の町日無町。入り江の奥に寂れた漁港と水産加工場があります。主人公・足元海(声:下田翔大)は鬱屈した中学3年生。両親の離婚により釣舟屋と傘製造を営む父親の実家に引越してきた。宅録を動画サイトにアップして高評価を得ている。

中学の同級生の遊歩(声:寿美菜子)と国夫(声:斉藤壮馬)にバンドに誘われ、練習場の島で、人魚の女の子ルー(声:谷花音)に出会う。人魚を忌み嫌う者と町おこしに利用したい者、大人たちの思惑と大浸水で小さな町は大混乱になってしまう。

先月公開した同監督の『夜は短し歩けよ乙女』が良かったので、帰りに窓口で前売を購入したのでした。湯浅監督らしい斬新なアニメーション表現が随所に見られて僕はとても楽しめました。『夜は短し~』のビールの描かれ方に「おおっ」ってなりましたが、今作も海水をキューブ状にして宙に浮かせる描写が素晴らしいです。動きを通じて質量がしっかり感じられる。回想シーンの切り絵みたいなフラッシュアニメーションも美しかった。

一方で、カイやユウホなど主要なキャラクター気持ちがどのような理由あるいは出来事で変化したかが充分に描かれていないように思えました。ルーや端役の心理描写には一貫性があるので、よけいにそう感じてしまうのかもしれません。そのため、登場人物に感情移入しないと気が済まない、または物語への共感の度合いが唯一の価値基準になっているタイプの観客には訴求しないつくりだと言ってもいいと思います。

崖の上のポニョ』『リトル・マーメイド』、更に遡れば『魔法のマコちゃん』、実写なら『スプラッシュ』とマスターピースたちが存在する人魚ものに敢えてチャレンジした湯浅監督の勇気を讃えたい。その深層には3.11以後の津波に対する恐怖を乗り越えたいという強い意思があるのではないでしょうか。

主題歌は斉藤和義の「歌うたいのバラッド」。1990年代のJ-POPを代表する名曲中の名曲です。1992年、メジャーデビュー直前のライブを渋谷エッグマンで観たことがあります。誘ってくれた友だちは翌年他界しました。生きていれば斉藤和義と同じ50歳です。



2017年5月20日土曜日

胎動 Poetry Lab0. vol.6

ザ・ファースト・デイ・オブ・サマー。西荻窪 ALOHA LOCO CAFE で開催された『胎動Poetry Lab0. vol.6』に出演しました。

ハードコアやヒップホップを中心にCD制作やイベント企画をしている 胎動レーベルさんが主催するポエトリーライブ。プリシラレーベル枠をいただき、 石渡紀美さん小夜さんと3人でお呼ばれしたというわけです。

4時間近い長尺イベントでしたが、出演者がバラエティ豊かな芸達者揃いなのに加え、 ガチャ山口さんの端正なMCとアクトの間に挟まる 000(Zer0)さんのDJタイムも良い切り換えに。ポエトリーリーディングのライブはどうしても進行が間延びしがちなのですが、ヒップホップのパーティにも通じるテイストで、ほとんど長さを感じませんでした。

オープニングアクト、ポエトリーラップの ザマさん。熱かった。短歌の 桜望子さんは連歌(独吟百韻)。ふたりとも大学生です。

Fcrow(ふくろー)さんもポエトリーラップだけど、ザマさんに比べると軽妙で余裕があるなあ。ちょっとコミカルで唄要素が強い。でも意外と芯を捉えていて「言葉の力とか言ってたんですけど、言葉そうでもないなあって」。伝えたいようには伝わらないことを知り、次の一歩を踏み出した人はきっと強くなる。

オープンマイクを挟んで、 木下龍也さん。歌人ですが、短歌朗読ではなく、観客にカンペを持たせ脱構築且つ超脱力な 杉田玄白ラップをかまし、最後は切なくも笑える恋愛詩で締める。貴公子。

Anti-Trench向坂くじらさん(Poetry)と 熊谷勇哉さん(EG)。エモい。くじらさんの詩は技巧的というか、客観的で対象から一歩引いたようなところがあって好感を持っていたのですが、声に出すととてもエモい。結構これは両刃なんじゃないでしょうか。

そして、石渡紀美さん、小夜さんと続きました。身びいきではなく、小夜さんの朗読は会心の出来だったと思います。最後の出番が僕でした。

無重力ラボラトリー(feat. 小夜)
International Klein Blue
ANOTHER GREEN WORLD
・スターズ&ストライプス
・永遠の翌日
(feat. 石渡紀美 & 小夜)

デュオ、トリオ入れて全6篇。これ以外に石渡紀美さんが「 森を出る」を朗読してくれました。年代的な要因もあるのかもしれませんが、作品あるいはパフォーマンスと演者の距離が遠いのがプリシラなのかな、と思いました。創作や発表の結構早い段階で自己表現には興味がなくなってしまった。むしろ感覚的には、作品に表現させられている。そしてその作品を創っているのがたまたま自分。というぐらいが心地良いし、読者やオーディエンスにできるだけ余地を残したいのです。

ご来場のお客様、会場スタッフさんたち、オープンマイク参加者と共演者の皆様、DJ000さん、司会のガチャ山口さん、主催者胎動レーベル ikomaさん、どうもありがとうございました。



2017年5月6日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017 ③

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017』3日目の最終日、有料公演は3つ聴きに行きました。

■公演番号:364 
G409(ヌレエフ
15:15~16:00
梁美沙(ヴァイオリン)
広瀬悦子(ピアノ)
シューベルトヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番 ト短調 D.408
モーツァルトヴァイオリンソナタ第21番 ホ短調 K.304
ストラヴィンスキーイタリア組曲(バレエ「プルチネルラ」から)

初日の無伴奏(ソロ)、2日目の弦楽アンサンブル、3日目はピアノとデュオ、と3形態の梁美沙さんの演奏を聴きました。シューベルトとモーツァルトは短調の楽曲でしたが、上へ上へとどんどん伸びていくようなヴァイオリンの音色、それにつれて爪先立ちになって演奏する姿を記憶に刻みました。スラヴィンスキーの終盤でアンサンブルが少々乱れたのは3日間で6公演と大活躍の疲れもあったのでしょう。

■公演番号:345 
ホールC(バランシン) 19:00~19:45
パスカル・ロフェ指揮
フランス国立ロワール管弦楽団
ラヴェル古風なメヌエット
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」

今回唯一のフルオーケストラプログラムは、典雅な中世の舞曲と見せかけて実はレプリカントなラヴェル(上述のストラヴィンスキーのイタリア組曲と似た位置付け)とアコースティック楽器によるノイズ/インダストリアルの元祖「春の祭典」という攻めのセットリスト。フランス人の指揮でフランスのオケが演奏すると、ロシアのルサンチマンともドイツのコンストラクションとも違う、八方破れな狂気が炙り出されます。

■公演番号:367 
G409(ヌレエフ)
20:45~21:30
ドミトリ・マフチン(ヴァイオリン)
ミゲル・ダ・シルバ(ヴィオラ)
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏 ト長調 K.423
ヘンデルハルヴォルセン編):パッサカリア

LFJ2017の最終プログラムはヴァイオリンとヴィオラという最小単位弦楽アンサンブルでした。ロシア人とスペイン人のおっさんふたり(でもおそらく年下)。共通点は眼鏡で小太り。わずかにピッチが甘いところがあったものの、それを帳消しにするハイテンションで楽しい演奏でした。もはやこのプログラムのどこがダンスなのかはアレですが(笑)。

昨日は市民階級の台頭により、宮廷舞踏会が演奏(観賞)会に、つまりお金を払えば身分に関係なく音楽が楽しめるようになったかわりに、ダンスミュージックの機能が失われたというところまででしたが、宮廷舞踏が一方ではバレエという形式に洗練され専門職化する過程を今日は辿りました。ダンスは踊るものから観賞するものに。ここにもうひとつのパラダイム転換があった。

では一般市民からダンスの習慣が完全に失われたのかというと、そういうことではない。ホールEの無料プログラムで途中から観たテリー・ライリーの「in C」はミニマルミュージックの古典であり記念碑的作品です。地下の円形ステージを周回しながら踊る老若男女の姿は全く洗練されておらず東洋人らしい不器用なものでしたが、この不器用で好き勝手な身体表現の衝動こそダンスの本質ではないか、と思いました。


2017年5月5日金曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017 ②

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017』at 東京国際フォーラム。2日目も晴天です。3公演聴きに行きました。

■公演番号:241 
ホールC(バランシン
9:45~10:30
上野星矢(フルート)
ロベルト・フォレス・ヴェセス指揮
オーベルニュ室内管弦楽団
J.S.バッハ管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067
ヘンデル:「アルチーナ」から
テレマン組曲ト短調「ドン・キホーテのブルレスカ」

ドイツ・バロック3大巨匠を朝一で聴く。平成生まれのソリスト上野星矢さんが超絶技巧なのに柔らかい音色で素晴らしかったです。上野さんが吹き振りしたバッハはオケも優しい演奏。指揮者が代ると同じオケが明晰で垂直的な響きを帯びるのが面白い。超弱音が特に美しく、ヘンデルは華やかに、テレマンは軽快で愉快に、メリハリをつけた演奏でした。

■公演番号:225
ホールB7(パヴロワ) 17:15~18:00
ロベルト・フォレス・ヴェセス指揮
オーベルニュ室内管弦楽団
ボッケリーニマドリードの通りの夜の音楽 op.30-6(G.324)
テレマン:組曲ト短調「ドン・キホーテのブルレスカ」
レスピーギリュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲

朝と同じオケで別の会場。今度はスペインがテーマ(作曲家は独伊)です。ボッケリーニは自身がチェリストだっただけにチェロの聴かせどころを知っている。レスピーギの流麗な小曲ではヴィオラにスポットが当たります。バレンシア出身のヴェセス氏は指揮棒を持たず、指先の繊細な動きで音楽をコントロールし、舞曲のリズムを明確に描き分けます。

■公演番号:227
ホールB7(パヴロワ) 20:45~21:30
ルイス・フェルナンド・ペレス(ピアノ)
アルデオ弦楽四重奏団
ドヴォルザーク「糸杉」B.152から 第11番第12番
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 イ長調 op.81

ここで200年が経過しまして、19世紀末最大のメロディメーカーの登場。第1ヴァイオリン梁美沙さんの音色の輝きと躍動感が突出しています。実際演奏時間の半分以上は腰が椅子から浮いているし、三割は片足の靴底が舞台に着いていない(笑)。2曲目からペレス氏のコロコロしたピアノの音色が加わり、更に音楽が踊り出しました。

バロックの楽団では各楽器のリーダーが掛け合いをするパートがあり、それを切り出したものがハイドン以降弦楽四重奏曲に発展しました。

ダンスがテーマの今年のLFJですが、バロック時代はヘンデルやテレマンが最新のパーティチューンとして貴族の舞踏会で演奏されていた(そしてJ.S.バッハは「格好良いけどいまいち踊れない」とdisられていたんじゃないかと思う)。ハイドンやモーツァルトあたりが端境期で、フランス革命を経て一般市民が料金を支払って演奏会を聴きに行くようになり、ロマン派、印象派と進む中で、舞曲のリズムは形式化していった。

貴族階級がダンスナンバーとしての機能性を重視し、市民階級は音楽の感傷的側面や知的興奮に傾注した。いまの感覚からすると逆のような気がするのが興味深く、一考の価値があると思います。

 

2017年5月4日木曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017 ①

5月の連休の恒例イベントはラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン東京国際フォーラムで開催されるクラシック音楽フェスです。昨年は地方のお座敷と重なってしまったため2年ぶり、10回目の参加です。

今年のテーマはダンス。初日の5/4は有料公演をふたつ観賞しました。

■公演番号:122 ホールB7(パヴロワ) 11:45~12:30
ダニエル・ロイス指揮
ローザンヌ声楽アンサンブル
ブラームス:「2つのモテット op.74」第1番 何ゆえに悩む者に光が与えられたのか
ブラームス:愛の歌 op.52
ブラームス:運命の歌 op.54

重厚な才能に隠されてしまいがちですが、つくづくブラームスって人はバカ男子として人生を全うしたのだなと思います。人妻クララ・シューマンへの思いを妄想で切々と綴った全18番の男女掛け合いチューンが「愛の歌」。独唱者がアルトっていうのもブラームスっぽい。あと連弾も好きね。モテットの中間部の6声のカノンも美しかった。ローザンヌ声楽アンサンブルは男女30名編成で、ソプラノとメゾソプラノにそれぞれ1名ずつ男声カウンターテナーがいました。

■公演番号:165 G409(ヌレエフ) 17:00~17:45
梁美沙(ヴァイオリン)
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
イザイ無伴奏ヴァイオリンソナタ第5番 op.27

一昨年のLFJで初めて演奏を聴いて魅了された梁美沙さんはパリで活動する在日コリアンです。今年は難曲に挑戦しました。欧州人の声楽家を大勢観た目にはあまりに小柄で華奢ですが、技術はもとより、音色の明るさと躍動感が最大の魅力です。実際曲の弾き始めと終わりとで舞台上のポジションが2mぐらい移動していた(笑)。G409は普段は会議室、超ドライな音響ゆえ、シャコンヌのダブルストップや分散和音ではやや苦戦を強いられたかと思います。

ガラス棟Eホールの無料サプライズ公演で聴いたホアン・ラモン・カロ氏のギターも素晴らしかった。リリカルで透明感があってややモーダルで、フラメンコ界のパット・メセニーといった風情です。


2017年4月30日日曜日

俊読2017

4月最後の日曜日はひんやりとした晴天。原宿クロコダイルで開催された谷川俊太郎トリビュートライブ『俊読2017』に出演しました。満員のお客様、クロコダイルと俊読のスタッフさんたち、谷川俊太郎さんと共演者の皆様、主催の桑原滝弥さん(画像)、どうもありがとうございました。

国語の教科書で、テレビCMで、ビールの缶で、誰もが一度はその作品に触れたことのある国民的詩人であり、85歳になったいまも毎年新刊を出版し全国で朗読ライブを開く谷川俊太郎氏。その作品をジャンルレスな出演者がカバーする。彼の作品を媒介に各々の個性を遺憾なく発揮し、あるいは発揮させられ。作品を選んだつもりが作品に選ばれていた、大詩人の生涯の一部分を切り取ったつもりが自分の人生観が切り取られていた。そんな面白さと怖さがありました。

清新な青臭さがまぶしいもりさん、リリカルなギターと歌声を響かせた吉田和史さん、女優として抜群の身体性で魅せた西田夏奈子さん、キュートな毒をふりまいた石原ユキオさん、「朝のリレー」を濃厚な終末感で塗り潰した猫道くん、絶え間ない気遣いで空間を演出した桑原滝弥さん、サプライズゲストに10年ぶりにお会いした上田假奈代さん、凛とした立ち姿に覚悟を滲ませた文月悠光さん。どなたも僕が思いもつかないような作品選びと演出を練って一流のエンターテインメントに仕上げてきています。

谷川さん本人による朗読は、赤塚不二夫水木しげる、近年亡くなった二人の偉大な漫画家に捧げた2篇の新作、憲法を題材にliving behaviorたる詩とdeath avoiding behaviorとしての法を対比させた「不文律」、クロコダイルの店長西哲也さんが中学生だった1960年代にスクラップしていた週刊朝日連載の「落首九十九」、そして滝弥くんのリクエストで「平和」。飄々とした浮遊感溢れる声で会場のひとひとりに手渡す。

出演者全員のセットリストは滝弥くんのブログをご参照ください。

僕は以下の6篇を朗読しました。

1. 頬を薔薇色に輝かせて田村隆一
2. ニューヨークの東二十八丁目十四番地で書いた詩(谷川俊太郎)
3. (カワグチタケシ)
4. 六十二のソネット59(谷川俊太郎)
5. 音無姫(岸田衿子
6. 星(谷川俊太郎)

田村隆一さん、岸田衿子さん、そして谷川俊太郎さん、という僕が考える日本戦後詩史上最大のbizarre love triangle、その関係性に説明を加えず作品のみで提示し、生者と死者を交感させる、というテーマで構成しました。田村隆一と谷川俊太郎が1971年の同じ夜を各々描いていること。夜に終始する田村隆一と最後に朝を描く谷川俊太郎、風邪を引いた田村夫人はかつて谷川夫人であった岸田衿子の更に後妻である。

僕たちのパフォーマンス中ずっと、谷川さんが舞台下手の椅子に腰掛けていましたが、加えて故人である田村隆一さんと岸田衿子さん、そして朗読した詩作品に引用されているディラン・トマスヘンリー・ミラーW.H.オーデンの亡霊を客席に感じながら。

出囃子には「ニューヨークの~」に出てくるJ.S.バッハの数多の楽曲からヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章(シェリング版)を選びました。

1980年代育ちの僕にとって、カバーとはすなわち批評。また、親世代に対する反発も相俟って、ラヴ&リスペクトだけでは割り切れない気持ちがあります。複雑に入り混じる感情を自分の胸の底に見つける良い機会を提供してもらえたことに深く感謝しています。
 


2017年4月21日金曜日

港ハイライト「抱かれたい女」リリースパーティ ”踊りませんか?”

金曜日の吉祥寺は夜も大にぎわい。『港ハイライト「抱かれたい女」リリースパーティ ”踊りませんか?” ~ノラオンナ51ミーティング~』に行きました。

地階へ降りてSTAR PINE'S CAFEの厚いドアを押すとゴリゴリの中低域、大音量で流れるフレンチポップス。小西康陽さんのDJで贅沢なお出迎え。それだけで特別な夜だとわかります。

オープニングアクト水井涼佑さんがリリカルなピアノと透明感のある歌声で描く無国籍な小都市の情景と客席からの大きな拍手を縫って7人のミュージシャンが登場する。

港ハイライトの1stアルバム『抱かれたい女』。昨年7月のリリースからだいぶ時が経ってのレコ発ですが、そのタイムラグまでもが大人の余裕を感じさせる、めくるめくエンターテインメントの2時間でした。

ノラオンナさんのウクレレ弾き語り「港がみえない」に始まり、ワタナベエスくものすカルテット)のフレットレスベースに導かれレコードよりわずかにテンポを落とした「無理を承知で言ってるの」から「港ハイライトブルーズ」まで。全9曲のアルバムのうち収録順に8曲が立て続けに演奏されます。普段はギタリストでもある古川麦くんはほぼ全曲をハンドマイクで歌い通しました。

そしてほりおみわさんが見た夢でノラさんが歌っていた曲のタイトルから作られた新曲「都電電車」を再びウクレレ一本で。水井さんの澄んだ音色のピアノと麦くんのフレンチホルンに乗せた「風の街」も美しかった。もうひとつの新曲「踊りませんか?」はボ・ディドリー・ビートのハイテンションなダンスチューン。最近演奏される機会があまりなかった「あばんぎゃるどあなくろにずむあいどる」と「ボサボサ」、5人編成のオリジナルメンバー時代の名曲を水井さんとノラさんの二声で聴けたのもうれしかったです。

プライベートなホームパーティの趣きがあった昨年末のプチレコ発とは対照的に、これはもうライブというより一幕の舞台芸術と呼んでも差支えないのではないでしょうか。一夜限りの贅を尽くしたノラオンナシアター。小西さんの選曲はノスタルジーの額縁、バンドメンバーは腕の立つ水夫たち。いぶし銀の匠も、血気盛んな若衆も、異国のリズムを連れてくる。ノラさんは一言のMCも挟まず、丙午生まれのファムファタールたる港の酒場のコケティッシュな女主人を見事に演じ切っていました。



2017年4月16日日曜日

夜は短し歩けよ乙女

初夏の日差し。COREDO室町2 TOHOシネマズ日本橋湯浅政明監督作品『夜は短し歩けよ乙女』を観ました。

大学3回生の先輩(声:星野源)は黒髪の乙女(声:花澤香菜)に恋しているがプライドの高さと小心さから気持ちを伝えることができない。一方、乙女は先輩の恋心にまったく気づいていない。

春の木屋町・先斗町、下鴨神社糺の森の納涼古本市、秋の大学祭、風邪が蔓延する真冬。京都の四季を背景に衒学的で癖の強いキャラが交錯する森見登美彦の小説を一夜の物語に再構成しています。

ボーイミーツガールのテンプレートのひとつに、天真爛漫で奔放な女子に不器用な男子が翻弄されるというものがありますが、この物語の場合は黒髪の乙女も巻き込まれる側。ただその巻き込まれ方に迷いがなく、どんなにエキセントリックなコミュニティにも微塵の躊躇も先入観も偏見も持たずに溶け込み、結局主役になってしまう。

でも、この物語の本当の主役は京都の夜。画角には収まらない深い闇を登場人物たちの狂騒が際立たせる。カラフル、ノンストップ&ジェットコースティンな展開は、1951年制作のディズニー映画『ふしぎの国のアリス』にも比肩しうるサイケデリックムービーといってもいいでしょう。乙女がとにかくよく酒を呑む。第三幕、学園祭のパートはミュージカル仕立てです。

もう7~8年前になりますが、映画化するなら誰をキャスティングするか、原作小説ファンで京都在住の友人と議論したことがあります。そのとき僕は上野樹里を推したのですが、今回映画を観て、アニメで、花澤香菜さんでよかったと心底思いました。

バャリース赤玉パンチ電気ブラン浅田飴といったノスタルジックなアイテムにも事欠かない。『シング』や『モアナと伝説の海』などハリウッドアニメーションが3D方面に映像表現を突き詰めていくのとは相反して、フラットな作画と色彩に徹しているのがとても日本画的です。
 


2017年4月15日土曜日

森のテラスライブ ~不思議の森へようこそ~

気温が上がり、風がすこし湿気を帯びて、春ですね。京王線に乗って仙川へ、商店街から住宅街を抜け、『森のテラスライブ ~不思議の森へようこそ~』にお邪魔しました。

武蔵野台地のきわ、断層崖の高低差を活かして建てられた一軒家。造園会社の事務所兼自宅の一室と広いウッドデッキを解放した森のテラス。鳥の声とすこし強めの風にさわさわと葉擦れの音が聞こえます。

最高の環境の中、アンプラグドライブは、主催者まりさんによる絵本『もりのおふろ』の朗読から始まりました。去年5月にここで同じ二人の音楽を聴いたときは新緑でしたが、今日は葉桜を背に。床まで届く大きな窓から明るい光が入り、逆光で表情はよく見えませんが、そのぶん音楽のコアが直接届きます。

ある種のレボリューションアンセムとして聴いていた中田真由美さんの「希望のカケラたち」は、窓から吹く風に花びらが足元まで運ばれ、隣室のキッチンにはジャガイモを剥く父親、オン眉の幼い姉と、母親に抱かれる生まれたばかりの妹、そんな家族の実景を脇に置くと、シンプルに平和を祈る歌なのだと思え、MVの演出意図が理解できました。

普段はループマシンやエフェクトを用いたファンタジックなサウンドスケープが魅力のオツベルくんは、生音生声の演奏も鮮やかで、音楽の本質的な豊かさを表現できるミュージシャンだということがよくわかります。演奏中に空がだんだん暗くなり、俄か雨が降ってきました。テラスに上がるときに脱いだ靴をみんなで玄関に並べ直したのも楽しかった。出演者とスタッフ、観客が協力してより良い時間を作ろうとしている。

中田さんが描いた絵本『ゆめくいバクとにじいろキャンディ』の朗読と、その物語にオツベルくんが書いた新曲のデュエットも素敵でした。中田さんが自作曲以外を歌うのを初めて聴いたような気がします。澄んだ声にフレッシュなたどたどしさがあって美しかったです。カバー曲なんかももっと聴いてみたいな。

終演の頃にはまたすっかり晴れ上がった空。慌ただしかったこのひと月の雑事を忘れて、のんびりした時間を過ごすことができました。



2017年4月11日火曜日

この新しい星で、一緒に遊ぼう。

冬に戻ったような冷たい雨の降る火曜日の夜、中央線に乗って吉祥寺MANDA-LA2へ。mueさんのアニバーサリーワンマンライブ「この新しい星で、一緒に遊ぼう。」に行きました。

mueさんが弾き語りではじめてステージに立ったのが2001年4月11日、MANDA-LA2ではじめて歌ったのが2002年4月11日。それから毎年同じ日に同じ場所で16年。僕がはじめて来たのは2013年4月11日。それから毎年欠かさずに5回目の参加です。

mueさん自身、昨年4月11日以来ライブをお休みして旅に出ていたので、1年ぶりの帰還を待ち焦がれていたみんなで会場は一杯です。そんな期待感をよそにいつものようにふわっと登場したmueさんが、去年と同じく客電を上げてもらい客席のひとりひとりの顔を確認するところからスタートしました。

第一声がマイクに向けて放たれたとき、試合勘が鈍ったかな、と思いましたがそういうことじゃないとすぐに気づきました。この一年間、PAを通さずに、風や雲や小鳥や昆虫や遠い国の子供たち、そしてなにより自分自身に向き合って歌い続けてきたのでしょう。小さき者に語りかける声がそのまま増幅され、ライブハウスの地下空間を丸ごとハグしているかのよう。それはとてもパーソナルなのに、同じ場所にいる誰もが共有できうる幸福感。

キーボード谷口雄さん(ex.森は生きている)、ベース千葉広樹さんKinetic)、ペダルスティール宮下広輔さんPHONOTONESきわわ)は、それぞれ別のアクトでも聴いたことのある名手揃い。神谷洵平さんの表情豊かなドラムスに乗っかって、mueさん史上最高にエモーショナルな演奏になったのではないでしょうか。

夢のように緻密且つダイナミックに構築された音楽とは裏腹に、MCはこれまで以上に迷走を極めましたが、そこには逡巡を、自身の迷いや不安を隠さないと決めた人の強さがあって、それが歌声に演奏に自然にフィードバックされている。アンコールまで全17曲、「おかえりなさい!」というあたたかな雰囲気に会場全体が覆われた夜。終演後、地上に出ると雨はすっかり上がり、大きな月がこの星を明るく照らしていました。

 

2017年3月29日水曜日

TRIOLA a live strings performance

3月最後の水曜日。にぎやかな年度末の商店街を抜けて。下北沢 leteで、波多野敦子さん(作曲、5弦ヴィオラ)と須原杏さん(ヴァイオリン)によるオルタナティヴ弦楽デュオ TRIOLA を聴きました。

昨年夏に現体制になりコンスタントにライブを重ねてきたふたりですが、前回12月1日にleteで行われたワンマンライブ以降、約4ヶ月の制作期間を経て、ひさしぶりの生演奏です。

薄いリヴァーヴがかかった5弦ヴィオラの低音弦の弱音のピチカートからスローなグリサンドへ、第一部は穏やかに進んでいく。セットリストは徐々にテンポを上げ、前半ラストの「クジラの駆け落ち」はめまぐるしくい奇数拍子の奔流に。

後半は山籠もりして制作した新曲が中心。全体的なトーンとしては、以前の中近東/東欧調のメランコリックな旋律は隠し味となり、北欧的な和声と構築性が前面に出ている。前回までのワンマンライブで尺を取っていたソロ即興パートはなく、「2つの弦が吸い付くようになりました」という波多野さんのSNSの発信のとおり、全篇がスコアに則ったアンサンブルによる演奏です。

敢えて喩えるなら、一方にモーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を、もう一方に Boards Of Canada の "Dayvan Cowboy" を置き、そのはざまに断続する混沌の浪間から時折美しい旋律の断片が見え隠れする音楽を緻密に組み立てています。

ますます抽象性が高まった新曲群には「tr 2」「tr 6」というように作品番号が付けられています。「tr」はトラックなのか、トリオラの略なのか。演奏しているふたりのなかには楽曲毎のストーリーが存在するのだと思いますが、リスナーの多層的な解釈を許容する意味で、いまのまま数字のタイトルのほうがいいんじゃないでしょうか。

波「次の曲はテクノです」杏「この編成で」波「できますよ」杏「感じてもらいましょう」というやりとりから演奏された「tr 10」のヴィオラのリフレインから幻聴される4つ打ちのキック。重ねるヴァイオリンのきらきらしたフレーズはゼロ年代のエレクトロニカへのオマージュか。淡いパステルを重ねたような二声のフーガへの展開も美しかったです。


2017年3月25日土曜日

オルセーのナビ派展

よく晴れていますが風が冷たい。三寒四温でいうと三寒のほう。丸の内三菱一号館美術館で開催中の『オルセーのナビ派展』に行きました。

「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを思い起こすべきだ」モーリス・ドニ新伝統主義の定義』(1980)

村野四郎ノイエ・ザッハリヒカイトにも通じるナビ派の即物主義的なアティテュードは、僕が大人になり、反抗的な十代の自己愛と自己嫌悪を超えて、詩作を再開した時期に大変影響を受けたものです。既成概念を一旦脇に置いて、対象物を見る、聞く、触る。そのときに自分の内外に起きたことを起きた順番に書き記す。自身の感覚に対する疑念も等価に扱う。

ドニ、ピエール・ボナールポール・セリュジエ。1870年前後に生まれた彼らのひとつ上の世代の象徴主義、印象派、後期印象派に対するリスペクトと強い反発。二十歳そこそこの画学生たちの青臭く清潔な野心と気概が画布から伝わってきます。

自然や人物には元来備わっていない輪郭線を描き、平坦な色彩で塗り分ける。現実を写しとるのではなく、絵画ならではの価値を模索していったのは、当時の最新テクノロジーである写真の登場も大きかったのではないかと思います。グループとしてはわずか9年程の活動期間ですが、一方では第二次世界大戦後米国の抽象表現主義に、他方では現代のアニメーション表現へ、両極端な継承のされ方をしているのも興味深い。

従来はゴーギャン展のゲスト的に扱われることが多かった彼らの作品をナビ派前後の時期も併せて一堂に観賞できます。のちのエドワード・ホッパーを思わせるフェリックス・ヴァロットンの都市の倦怠、エドゥアール・ヴュイヤールの「ベッドにて」、そしてなにより1890年代のドニの作品がどれも、コンセプト的にも技術的にも素晴らしかったです。


2017年3月18日土曜日

ひるね姫

ずいぶん春らしくなってきました。昼間の日差しがまぶしい。ユナイテッドシネマ豊洲神山健治監督作品『ひるね姫 ~知らないワタシの物語~』を観ました。

森川ココネ(声:高畑充希)は高校3年生。倉敷市児島、瀬戸大橋の見える高台で小さな自動車修理工場を営む無愛想な父親モモタロー(声:江口洋介)と二人で暮らしている。舞台は2020年の夏、東京五輪の直前。家でも教室でも居眠りばかりしているココネには決まって見る夢があった。

映画の冒頭10分は主人公の見る夢で「お、寅さん」と思う。ハートランドはすべての人が機械作りに携わっている国。その国に災いをもたらすという魔法の力を持つ王女エンシェンの冒険譚はロボットSFファンタジー。そして瀬戸内ののどかな島の女子高生の日常のパラレルワールド。父親の逮捕を機に、夢と現実の世界が交錯しはじめる。

キャラクター造形と動きの滑らかさが見事で、背景描写も美しく、アクションにもキレがある。夢と現実の世界がそれぞれ魅力的に描かれているところは高く評価できます。一方でふたつの物語が溶け合ってドライヴがかかる後半は、変化し続ける設定の複雑さを観客に伝えるには脚本の力が充分ではないように感じました。

高畑充希さんの抑えた演技。岡山弁のお芝居も達者ですが、達者すぎてときどき女子高生の台詞には聞こえないのが難点かも。エンドロールでご自身の歌う「デイドリーム・ビリーバー」は舞台ミュージカル出身の面目躍如。とても上手だし素敵です。もっと歌えばいいのに。

はじめて会った祖父に「人生は短い」と言われ、「人生って短いんだ」とおどろくココネ。ありそうでなかった会話で、この映画の一番の名場面だと思います。僕も18歳の頃、人生が有限なことは理性では認識していましたが、体感はしていませんでした。

 

2017年3月12日日曜日

ラ・ラ・ランド

毎年この時期になると、4月に生まれ、3月に亡くなった「埃っぽい春の野原」という名前の英国人歌手ダスティ・スプリングフィールドを思い出します。ユナイテッドシネマ豊洲デイミアン・チャゼル監督作品『ラ・ラ・ランド』を観賞しました。

女優志望のミア(エマ・ストーン)はハリウッドのフォックススタジオのカフェでバリスタのバイトをしている。ルームメイトたちと出かけたクリスマスパーティの最中に愛車プリウスがレッカー移動され、ひとり徒歩で帰り道、偶然耳にした音楽に引き寄せられて入った店。売れないジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)はその店を解雇されたところだった。

タイトルバックに "Technicolor" の文字、総天然色シネマスコープの画面は、ハリウッドのミュージカル映画全盛期のテンプレートをこれでもかというぐらいなぞり、且つ最新のテクノロジーによって実現可能な最大の物量で、物語が進んでいきます。

アカデミー賞5部門を受賞し、多くの観客を魅了している映画ですが、数こそ多くないものの強く否定的な意見も聞きます。その背景には現在の米国社会、所謂ポスト・トゥルースに呼応したアートの保守化に対する反発があるのだと思います。

ミュージカルですから、リアリティよりもエンターテインメント、物語はご都合主義なほど楽しい、と僕なんかは単純に思うのですが、確かに浅いところはあります。セブがミアに「ジャズとは何か」と語る台詞には「そりゃまあそうだけど、それだけじゃないだろ」と思ったし、セブの自作曲の演奏は彼が神聖視しているビバップスタイルからは程遠い。

とはいえこの作品にあまり多くを背負わせるのもいかがなものかとは思います。2000年以降のミュージカル映画で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は別としても、『シカゴ』『ジャージー・ボーイズ』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』『舞妓はレディ』などと比較して突出して優るものでも劣るものでもありません。

むしろ「映画にとって音楽とは何か」ということを、『ラサへの歩き方』や『サバイバルファミリー』のように劇中音楽をまったく用いない映画を続けて観たこともあり、とても考えさせられました。現実生活における別れ話のサウンドトラックはファミリーレストランの有線放送だったりするわけで、そのときどきの感情を増幅する音楽が流れるのは明白な虚構であり、登場人物が突然歌い出すなんて尚更のこと。

それでもエマ・ストーンの真っ青で大きな瞳はブルーのミニドレスや同色のVネックニットに映えてヘヴンリィな美しさだし、カラフルで壮大なモブダンスやプラネタリウムの空中浮遊に心躍り、ラストシーンのオルタナティヴな選択肢を数十秒で見せるカットアップには痺れました。


 

2017年3月11日土曜日

DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展

3.11。東日本大震災から6年が経った土曜日の朝、ゆりかもめとりんかい線を乗り継いで天王洲アイルまで。寺田倉庫G1ビルで開催中の『DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展』に行きました。

2016年1月8日、69歳の誕生日に新譜 "★ (Blackstar)" をリリースし、その2日後に肝臓癌で亡くなったデイヴィッド・ボウイの生前2013年にロンドンの英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館で開催されたレトロスペクティブの巡回展示です。

まず入場時にヘッドホンと受信装置が手渡されます。展示には "DAVID BOWIE is 〇〇〇" というチャプター毎のテーマがあり、映像や衣装や手書き歌詞の近くに立つと関連する音楽や音声コメントがヘッドホンから流れる仕組み。ロンドンの展示の紹介映画を昨夏観たので内容は把握していたのですが、実際に体験してみるとなかなか面白いものです。複数の人が同時に同じ音を聴いているのですが、会場の別の区域では異なる音が再生されている。

幼児期のポートレートは勿論、小学校の通知表、10代の頃に描いた舞台セットのパース、ベルリンで借りていたアパートメントの鍵、映画や舞台のポスターやパンフレット、相当なコレクター体質だったのだと思います。しかもファンが喜びそうなものが何かわかっていたのでしょう。

2013年であれば "DAVID BOWIE is" が現在形だったのに、もはや "DAVID BOWIE was" になってしまったなあ、と感慨に耽っていると、最後の部屋の壁の文字が "DAVID BOWIE is All Around You" と消され、"DAVID BOWIE is FOREVER NOW" に書き換えられている。最後の最後に全人類に向けたバースデーメッセージの動画で涙腺決壊した方も多いと思います。

数多く展示されているステージ衣装では、Ziggy StardustでもThin White Dukeでもなく、最も普段着っぽい "STAGE TOUR" の白いヘンリーネックシャツに一番ぐっときました。初めてリアルタイムで聴いたレコードが1978年のライブ盤"STAGE"だったので。

ライブ映像をランダムに流し続けている部屋では、1987年西ベルリンのライブから "Heroes"、BBC Top of the Popsの"The Jean Genie"、劇場版ジギー・スターダストの "Rock'n Roll Suicide" の3曲を聴き、"You're not alone/Gimme your hands cause you're wonderful" という声に背中を押されて会場を出ました。

あと、ずっと気になっていたFELTの2ndアルバム "The Splendour of Fear" のジャケ画の元ネタがアンディ・ウォーホル映画"Chelsea Girls" のポスターだとわかってすっきり。サンキュー、デイヴィッド。



2017年3月5日日曜日

マティスとルオー展

新橋に用事があったので、すこし早めに家を出て、パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『マティスとルオー展』を観賞しました。

アンリ・マティスジョルジュ・ルオー。20世紀前半のフランスで活躍し、今も人気のあるふたりの画家はパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)でギュスターヴ・モローに師事した同級生。育った境遇も作風も対照的ですが、生涯親交があり、数多くの書簡が残っています。

ふたつの大戦を超え、ふたりとも80代まで長生きしました。50年以上にわたるコレスポンダンス。若いうちは芸術論、離れて暮らすようになるとお互いや家族のことを、老境を迎え体調や健康法について。マティスの整った字体に対して、ルオーの手紙は溢れ出る感情そのままに行間や余白にどんどん書き足していくスタイル。

会場のパナソニック汐留ミュージアムは常設でもルオーのコレクションが充実していますが、今回の展示ではマティスの作品も数多く集めており、観応えがあります。ボードレールの『悪の華』に添えたふたりの挿画の振れ幅の大きさ。他にも時期を違えて同じテーマで描いた作品も多く、感応と差異を味わいました。

若い頃の僕は芸術に対して潔癖なところがあり、作家の人となりや作家同士の交流はノイズであり、知っていることはマイナスではないが、観賞や評価の際には排除すべき要素だと考えていました。おのれと作品との対峙にのみ真の芸術があるのだと(笑)。年を取ってよかったのはそういう無駄な気負いがなくなったことです。

自身は19世紀象徴主義の作家であり、おそらくはマティスやルオーらの新しい芸術に心底共鳴していたわけではない。それでも「私は君たちが渡っていくための橋だ」と言って背中を押したギュスターヴ・モローの懐の深さにも感心しました。


 

2017年2月18日土曜日

サバイバルファミリー

春一番の翌日は曇り空。白木蓮の花が咲きました。土曜日の午後、ユナイテッドシネマ豊洲矢口史靖監督作品『サバイバルファミリー』を観ました。

主人公(小日向文代)は中堅企業の経理部長、妻(深津絵里)と大学生の長男(泉澤祐希)、高校生の娘(葵わかな)の4人家族で中層マンションの10階に暮らしている。

ある朝目覚めたら、あらゆる電気製品が止まっていた。停電に加え、懐中電灯、スマホ、自動車など、電池駆動のものもすべて。徒歩で出勤するも仕事にならず会社も学校も自宅待機。1週間後、食糧は底をつき、自転車で妻の実家である鹿児島を目指す旅に出る。

一応はコメディ映画のイディオムに則ってはいるものの、腹の底から笑える箇所がほとんどないディストピア・パニック・ロードムービー。軽妙洒脱が売りの矢口監督作品としては演出が重たく、まるで山下敦弘監督の映画みたいにブルージィでオフビートな感覚です。

そのひとつの要素として「音」があると思います。電気が止まった都市はとても静かで、我々が普段いかに動力音や電子音に囲まれて暮しているかがよくわかります。それを強調するように、生活音や自転車の走行音などの人が立てる以外の音が徹底して排除され、サウンドトラックの弦楽アンサンブルが初めて画面に重なるのが、上映開始90分後。父親が自分たち以外の者を心配していることを告げる感動的なシーンです。

道中の救いは、時任三郎藤原紀香大野拓朗志尊淳の一家。雑草や昆虫を採取しながら、派手なサイクルウェアでロードバイクを軽快に駆り、休憩時にはトランプやボードゲーム、どんなに困難な状況であっても、むしろその困難を楽しもうという。

そして、路上における人間の最大の敵は「水」だな。と思いました。飲料水が入手困難で渇きに苦しむ、雨に打たれ体温を奪われる、増水した川に流される。一方で、清潔な井戸水にありつけたとき、数か月ぶりに入浴できたとき。人を幸せにするのも「水」。テクノロジーの重要な一側面は水の力を制御することか。人間の70%は水でできている、と言いますが、まさしくそういうことなんでしょうね。

最後の最後にニュース映像として停電の原因が示唆されますが、あれはしないほうがよかった。意味の分からない強大な力(もしくは無力)に翻弄される家族の姿を描いた映画だし、渦中においては原因を探究する余裕すらないわけですから。


 

2017年2月12日日曜日

あの街の猫の夢

晴天。2月に入って空の色が明るくなった気がします。銀座2丁目マロニエ通り、昭和通りを渡った先の左側、ギャラリー銀座で開催しているイラストレーター/装幀家佐久間真人さんの個展『あの街の猫の夢』の最終日にお邪魔しました。

くすんだセピア色の画面にはモダニズム建築や路面電車。ブリキの配管が縦横に走り、日が暮れるとセメントの階段に猫たちが集まってくる。ノスタルジックで物語性のある作風に惹かれ、年に一度の個展に足を運ぶようになって数年経ちます。

従来の作風に加え、最近のミステリ小説の装幀の仕事では、バウハウスロシア構成主義等、20世紀初頭を想わせる強い原色の組み合わせや、反対に水墨画のような繊細なタッチも。手書きの描線とデジタル処理を効果的に組み合わせた作品群を作者ご本人の解説と共に観賞しました。

原画やポストカードは購入したことがあるのですが、何かグッズを作ればいいのに、と思っていたところ、今回からブックカバーが投入されました。地元豊橋の2軒の個人書店とタイアップして、実在の書店名が架空の情景にしっくり馴染んでいる。それがまた人々の手に渡り色々な書籍を包み持ち運ばれる、と考えると幾層にも入れ子になって心躍ります。

佐久間さんご本人とも1年ぶりにご挨拶することができました。昨年購入した作品のことを気にかけてくださって。それはミステリ小説の表紙画で、矢で射られたコマドリが血を流している構図。食卓に飾って毎日眺めています。

ギャラリー銀座さんは残念ながら今年閉廊とのこと。来年また別の場所で佐久間さんと作品たちに会えることがいまから楽しみです。

 

2017年2月10日金曜日

CUICUIのUIJIN 〜 キューでキュイキュイ

小雪舞う金曜日の夜、下北沢へ。CLUB Queで開催された空前絶後のガールズバンドCUICUIのデビューライブ『CUICUI の UIJIN ~ キューでキュイキュイ』に行ってきました。

ロックとは初期衝動。しかも初ライブともなれば初期衝動の塊です。実力とキャリアのあるメンバーたちなので、これから続けていけばおそらく洗練されたり熟成されたりするわけですが、一度しかない今夜の彼女たちの輝きはとても眩しいものでした。

事前にネット公開されていたスタジオテイクはポップでカラフル。「彼はウィルコを聴いている」「リツイートする機械」という人を食ったような曲名。アナログシンセのチープな音色を活かし、たとえていうならば、元セックス・ピストルズグレン・マトロック(Ba)と元XTCバリー・アンドリューズ(Key)が参加したイギー・ポップの"SOLDIER" を超ガーリィにアップデートした感じ。

ライブでは一転して荒削りでハイテンションでノイジーなロックを聴かせる。第一印象はベースの音がデカい! でもその荒削りなところもアンバランスさも魅力に変えるフレッシュな勢いがあります。オフィシャルサイトをご覧いただければ判る通り、一応覆面バンドの体裁をとっていますが、覆面が緩くて(笑)。タイトル同様、どこか半歩ズレた天然な歌詞をベースのAYUMIBAMBIさんとキーボードのERIE-GAGAさんのツインボーカルであっけらかんとゴリ押しする。

新バンドですべて新曲。初披露された7曲は、NWONW、グランジ、ディスコ等々多彩なビートで、作り込みのクオリティが高いうえに、効果的に挿入されるGAGAさまのラップのライミングや、ギターソロが「恋はみずいろ」だったり、随所にユーモアのセンスが光ります。

そして静止画ではなかなか伝わりづらいかもしれませんが、赤ちゃんとおばあちゃんが同居したようなAYUMIBAMBIさんのキャラ、笑顔が超絶キュートで、年齢性別国籍を超えて愛されること必至。

共演のayumi melodyさんのウールライクな歌声、The Doggy Paddleはストレートエッジな8ビートのロンケンロー。THE ANDSマイブラを通過したGANG OF FOUR的な趣きの轟音も最高でした。
 

2017年2月5日日曜日

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

曇天は春の兆し。ユナイテッドシネマ豊洲ティム・バートン監督作品『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』を観ました。

主人公ジェイク(エイサ・バターフィールド)は16歳。学級にいまいち溶け込めていない。見舞いに行った認知症の祖父は森で殺され両眼をくり抜かれていた。形見に受け取ったR.W.エマーソンの詩集に「ウェールズのケインホルム島を尋ねろ」というメッセージが。そこにはミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)が異能の子どもたちと暮す古い洋館があった。

ミス・ペレグリンは時間をコントロールすることができる鳥の化身「インブリン」。その館はナチスドイツの空襲を受ける前日である1943年9月3日をずっと繰り返すループの中にあり、毎夜リセットされている。

チャーミングなフリークスたちが活躍し、モンスターとスケルトンが闘う、ティム・バートンらしい映画。これだけのスケールとテクノロジーと予算でアウトサイダーたちを美しく且つアホっぽく描けるハリウッド映画の監督はいないと思います。この作品では得意のクリーチャーに加えタイムリープの設定や巨大艦船と大量の水の描写などにより物語を重層的に構成する一方、『シザーハンズ』(1990)に代表される初期作品や『フランケンウィニー』(2012)にあったチープな魅力は薄まっているように感じました。そしてめずらしくハッピーエンドです。

空気を自在に操り空中浮遊する水色のワンピースの少女エマ役を演じた英国人女優エラ・パーネルが恐ろしくキュートで、エヴァ・グリーンは終始格好良い。テレンス・スタンプサミュエル・L・ジャクソンルパート・エヴェレットジュディ・デンチ。脇を固める重鎮たちも楽しんで演じているのが伝わってきます。

2016年はくすんだ色調、1943年は鮮やかな画面で、主人公の心情を表現した映像美。完璧な一日は悲劇の前日。主人公はユダヤ系ポーランド人移民の家系。障碍のメタファーともいえるさまざまな異能を持つ子どもたちが親元を離れ共同生活している。ポリティカルな見方をすれば、昨今のグローバルな傾向である排他主義に警鐘を鳴らし、ダイヴァーシティ&インクルージョンの重要性を訴えているのではないでしょうか。

 

2017年1月29日日曜日

アサガヤノラの物語

1月とは思えないようなあたたかい夕方、中央線で阿佐ヶ谷まで。真冬の夜に大きなガラス窓から洩れる蜂蜜色の灯りが向かえてくれます。Barトリアエズでほぼ毎週開かれている生音ライブ、日曜音楽バー『アサガヤノラの物語』に出演しました。

昨年アニバーサリーライブの特典『詞集 君へ』の編集製本や港ハイライトアルバムライナーノーツにも携わらせていただいた、リスペクトする音楽家ノラオンナさんが手料理でおもてなししてくれる小さなディナーショーです。

終始言葉と声だけで全15篇。約1時間のプログラムをお届けしました。

 1. 無題(世界は二頭の象が~)
 2.
 3. Winter Wonderland
 4. コインランドリー
 5. Doors close soon after the melody ends
 6. 永遠の翌日
 7. スターズ&ストライプス
 8. 冬の旅
 9. 新しい感情
10. 希望について
11. 観覧車
12. 水玉
13. 花柄
14. Post-Christmas World
15. クリスマス後の世界

新作の「永遠の翌日」と「スターズ&ストライプス」はタイトルからご想像いただける通り、昨今の国際情勢に対峙した感情を描いた作品です。ポスト・トゥルースとかオルタナティブ・ファクトとかって、マスの側にいる人間が一番言ったらだめな言葉だと思います。大晦日にNHK紅白歌合戦で欅坂46の「サイレント・マジョリティ」を聴いたときにも感じた矛盾なのですが。

今回のアサノラ限定特典は『naï ~essay or prose poetry~』。2002年から2017年の間に書いた散文作品9篇を収録した冊子(書名の意味はご来場の皆様だけにお伝えした秘密です)。その中から「希望について」(2014)と「Post-Christmas World」(2002)の2篇の朗読を聴いていただきました。

干支にちなんで親子丼メインのアサノラ弁当は相変わらず惚れ惚れするような美味しさだし、酉年最初のライブをトリアエズでできたこともうれしかった。終演後にお客様みんなとお食事しながら楽しくおしゃべりして、直接感想も聞けて。ひとりひとりをノラさんとお見送りしたのち、終電一本前で帰宅しました。

ご来場のお客様、ノラさん、皆様、ありがとうございました。このような機会をいただけて、同じ時間と空間を共有することができるのは幸福なことです。鬱屈していた十代の自分に教えてあげたい。人生は君が思うほど酷くはないよ、と。反抗的な十代が大人のそんな言葉なんかに耳を貸さないだろうってことも容易に想像がつくけれど(笑)。

写真は芦田みのりさんからご提供いただきました。いつもありがとうございます。

 

2017年1月22日日曜日

MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間

小春日和の日曜日。日比谷TOHOシネマズシャンテで、ドン・チードル制作・監督・脚本・主演映画 『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』を観ました。

ビバップ、シンフォニックジャズ、モード、フリージャズ、16ビート、HIPHOPと、1940年代末から65歳で亡くなる1990年代初頭まで、あらゆるロジックとアクションでブラックミュージックの歴史を塗り替えた音楽家マイルス・デイヴィスだが、1975年から5年間のブランクがある(PangaeaThe Man With The Horn の間ですね)。

その1979年のとある数日間に焦点を当てたフィクションです。半引退状態のマイルスをたまたま取材に訪れたRolling Stone誌の記者デイヴ・ブレイデン(ユアン・マクレガー)を巻き込み、盗まれたマスターテープを取り戻すために繰り広げられる派手なカーチェイスとガンアクション。その合間に挿入される1950年代の回想シーン。この二つを軸としつつ錯綜する時系列。寓意に満ちた設定。

マイルス自身の演奏とロバート・グラスパーのオリジナルスコア、パンを多用したカメラワークの95分で、観賞後には酩酊したような感触が残ります。

「俺の音楽をジャズと呼ばないでくれ。ソーシャル・ミュージックなんだ」。ショパンストラヴィンスキーへの言及や「D9でFフラットは使うな」と若いプレーヤーを罵倒したり、神経質で傲慢な性格のピークを過ぎた芸術家像をチャーミングに魅せているのは、ユアン・マクレガーや妻フランシスを演じたエマヤツィ・コーリナルディ、ジュニア役キース・スタンフィールドら、脇役の力でしょうか。

回想シーンに登場するビル・エヴァンスジョン・コルトレーンは似ていないのですがさして気にならないのは、随所に散りばめられたファンタジー色やフェイク感のせいだと思います。それが凝縮されているのがラストの演奏シーン。ウェイン・ショーター(SS)とハービー・ハンコック(Pf)は本人が年老いた現在の姿で登場し、チードル演じるマイルス(Tp)は1979年のまま(音はキーヨン・ハロルドの当て振り)、リズムセクションの4人、グラスパー(Key)、エスペランサ・スポルディング(EB)、ゲイリー・クラーク・ジュニア(Gt)、アントニオ・サンチェス(Dr)は現在売出し中の実力派。

そしてマイルスの衣装の背中には「#socialmusic」の刺繍。1979年にはハッシュタグなんか存在しなかったわけじゃないですか。更にスクリーンにはテロップで「May 26 1926-  」と誕生日のみを表示し、没年月日は空欄という念の入れよう。もしもマイルスが映画のままの姿で現代に飛び出して来たら、存命中のレジェンドたちと活きの良い若手、国籍や人種、性別、年齢を問わず、自分の音楽を実現する力のあるミュージシャンを起用しただろう。そんなメッセージを感じる爽快感のあるエンディングでした。

 

2017年1月8日日曜日

アサガヤノラの物語

冷たい雨の降る日曜日。中央線に乗って阿佐ヶ谷まで。Barトリアエズでウェルカム七草粥。日曜音楽バー『アサガヤノラの物語』松浦湊さん(左利き)の回にお邪魔しました。

ゴールディ・ホーンメグ・ライアンキャメロン・ディアス。大口で笑い常に口角が上がっているのは、優れたコメディエンヌの共通項だと常々思っているのですが、松浦湊さんもその系譜です。そして、どんなにネジの外れた役を演じてもインテリジェンスが滲み出てしまう。高い知性と品性を隠し持つコメディエンヌ。

湊さんがどこまで自覚的なのかはわかりません。それでも彼女の音楽が持つ美しい旋律と半歩ずれたような和声感、一弦一弦を綺麗に響かせるギタープレイ、底知れない語彙と豊かな物語性を持つ歌詞、はすっぱに見えて実はとても繊細な歌声、その才能が本人にもアウトオブコントロール、なのに全体の印象がポップ。それを楽しむという妙に捩れた共犯関係が観客との間に成立する。

頭蓋骨が砕け散る5分後に君が来た、という歌い出しの「コパン」から始まったライブ。今朝買ったウクレレに初挑戦した佐藤GWAN博さんのカバー「ハロームーン」。ライブの定番曲、サビの巻き舌がエグい「フォールインタヌキ」。

20分超の長尺スポークンワード作品「アーバン・ミス半魚人」では自らの発した物語(歌詞の中では「お話」)がひとり歩きし、尾ひれがついて、都市伝説化していくのに、まったく追いつけないカフカ的とも言える状況を、地声の独白、声色とテンポを変えた対話、アニメやCMからの引用、ギターリフのカットアップなど雑多な要素で構築していく。これは所謂レヴィ=ストロース言うところの「野生の思考」、ブリコラージュの手法では。

ノラオンナさんの提供する一月のメニューが酉年にちなんで親子丼というのに配慮して「タマゴのキミ」と卵の独白曲「言えたらな」という全6曲。曲数こそ少ないものの充実したライブでした。

終演後はお客様から差し入れられた2本の一升瓶で盛大な酒盛りに。立ち飲み屋状態の店内。チャーミングに酔っぱらう湊さん、それにつっこみを入れるノラさん。新年らしい賑やかな会に参加できてうれしかったです。

 

2017年1月4日水曜日

アサガヤノラの物語

今年の東京はあたたかいお正月ですね。そろそろ落ち着いて先のことを考える余裕が出てきた頃ではないでしょうか。

カワグチタケシ7ヶ月ぶりワンマン、2017年最初のライブは、真冬の底の阿佐ヶ谷で。リスペクトするミュージシャン、ノラオンナさんが日曜店長をつとめる「アサガヤノラの物語」にて。完全予約制先着10名様限定の超プレミアムディナーショー!

日曜音楽バー「銀座のノラの物語」が阿佐ヶ谷に引っ越して4年目に。おかげさまで8回目の登場です。生声の朗読とノラオンナさんの絶品手料理をお楽しみください!

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日曜音楽バー「アサガヤノラの物語

出演:カワグチタケシ
日時:2017年1月29日(日)
   17時開場、18時開演、19時~バータイム
会場:Barトリアエズ 東京都杉並区阿佐ヶ谷南3-43-1 NKハイツ1F
料金:4,500円
   ライブチャージ
   5種のおかずと炊き込みご飯のアサノラ弁当(味噌汁付)
   ハイボール飲み放題(ソフトドリンクはウーロン茶かオレンジジュース)
   スナック菓子3種
   以上全部込みの料金です。

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☆更に御予約のお客様にはもれなくアサノラ限定カワグチタケシ散文詩&エッセイ集『naï』をプレゼント。エッセイや評論など散文のご注文をいただくことが時々あるのですが、いくつかの小さなメディアに書いたものと書き下ろしの新作を冊子にして。レアなコレクターズアイテムといえましょう(当社比)。

2016年後半からライブの本数を減らしたのと、いまのところ次のライブまで3ヶ月空く予定なので、皆様に聴いてもらいたい作品がたくさん。新旧とり混ぜ冬の詩をたっぷりお届けしたいと思います。

1月末といえば一年で一番寒い時期ですが、いまより30分日没が遅くなっているはず。こじんまりした会場で、生声の朗読と温かく美味しいお料理をお楽しみいただけるインティメイトな夜、真冬の宵のひとときを皆様と過ごすことができたら幸いです。

*完全予約制、先着10名様限定です。
 ご予約は nolaonna@i.softbank.jp まで。お名前、人数、お電話番号を
 お知らせください。お席に限りがございます。どうぞお早目に!

 

2017年1月3日火曜日

ラサへの歩き方

正月3日の中央線は点検で20分遅れでもガラ空き。ユジク阿佐ヶ谷チャン・ヤン監督の『ラサへの歩き方~祈りの2400km』を観ました。

チベット自治区の最東端、雲南省と四川省に隣接したマルカム県プラは放牧の村、険しい雪山の谷間の集落です。兄を亡くした老人がチベット仏教の聖地ラサに巡礼に行きたいと言う。厄を落としたい、生れてくる子供を祝福したい、それぞれの理由を持つ同行者が増え、総勢11名でラサへ、そして聖峰カイラス山へ、片道2400 km、1年間の旅を描くロードムービーです。

昨夏渋谷シアターイメージフォーラムの上映を見逃していたこの映画。2011年 "Doors close soon after the melody ends" という詩を書くときに、鳥葬の文献を当たっていて、ラサ巡礼と五体投地についての知識は持っていたのですが、読むと観るとではだいぶ異なります。

五体投地というのは、頭上、顔前、胸の前、3回合掌してからうつ伏せになって、両手両足と額を地面に着け、頭上で合掌して立ち上がる。それを繰り返して進んでいくわけです。尺取虫的なものを想像していたのですが、実際にはヘッドスライディングに近い。両手に装着した板でアスファルトを滑って進む感じです。前半身を保護するために着ける厚い皮革製のエプロンもスニーカーのつま先もあっという間にボロボロになる。

「巡礼とは他者のために祈ることだ」。五体投地とは祈りそのものであり、全行程においてこれを遂行することこそが巡礼の目的なのです。基本テントで自炊、それらを積んだトラクターが先導します。事故で車軸が折れると荷台を押して進むのですが、進んだ分戻って五体投地し直す。冠水した道路も泥濘も砂利道も五体投地で進む。とはいえ、スマホで故郷の家族と会話もしますし、怪我人が出れば無理せずに数日休み、資金が底をついたら日雇い仕事をします。

僕自身は宗教法人に金銭を落としたくないという理由で、もうかれこれ30年以上おみくじを引いたり賽銭を投じるということをしていないハードコアな無神論者ですが、祈りを中心とした生活や信仰に一点の疑いも持たない彼らの生き方には、ひと回りしてシンパシーを感じました。

冬に出発した11人に満開の桜や一面の菜の花が春を告げる光の明るさ、トルチョ(5色旗)のたなびく荒涼とした山道、真っ白で壮大な雪山。読経以外の音楽もナレーションも一切挿入しないストイックな演出が人々と風景の美しさを更に際立たせます。

鳥葬は、遺体を包む純白の布と3人のチベット医僧の読経と禿鷲の飛翔により暗示されるのみです。おそらく中国政府当局の検閲が入っているのでしょう。4/4拍子主体で直線的な日本の読経と比較して、チベット経典のリーディングは6/8、5/8拍子の円環をイメージさせるドラッギィなビートが心地良いです。


2017年1月2日月曜日

ポッピンQ

今年も三賀日は映画館へ。一年の始まりを一人で暗闇で過ごす儀式のようなものです。2017年最初の一本に、ユナイテッドシネマ豊洲宮原直樹監督作品『ポッピンQ』を鑑賞しました。

主人公伊純(声:瀬戸麻沙美)は高知市立桂浜中学校陸上部の3年生。怪我を押して出場した100m走の引退試合で自己ベストを出せなかったことを後悔している。卒業式の朝、砂浜で「時の欠片」を拾ったことで異世界へ導かれる。

そこは時の谷。あらゆる並行世界の時間を司るポッピン族の国。時の種が失われたためキグルミに侵略されつつある。そこで出会ったそれぞれに鬱屈を抱えた中3女子5名。彼女たちがダンスを踊ることで世界を救うことができると長老は言う。

東映アニメーション60周年記念作品制作ということで、プリキュアシリーズとの関連性を指摘する声も多いようですが、予告編を観たときに、まど☆マギけいおんラブライブを混ぜたようなアニメなのかな、と思いましたし、本編を観た感想もだいたいそんな感じです。

制服⇒バイオスーツステージコスチューム、どれもカラフルかつ優しいトーンでまとめられ、主人公たちの同位体としてポッピン族は愛らしくいつでも彼女らを裏切らない。異世界の街並みや山脈の鳥瞰とカメラに向かって走ってくる伊純のクローズアップ。複雑な設定、異世界のルール。モーションキャプチャーと3DCGを駆使したバトルアクションとダンスシーンのダイナミックなカット割り。95分という尺に詰め込まれた情報量の多さには感心させられますが、主人公たちの鬱屈の掘り下げが浅く、気持ちの変化が急過ぎるように感じました。

しかしながら、その感情の揺れや感化され易さ、浅さ、そのものが思春期特有のスピード感ともいえるため、もしかしたら主人公たちと同世代もしくはもっと若い21世紀生まれの観客はきちんと感情移入できる作りなのかもしれません。冬休みなので、小学生の女の子とお父さんという組み合わせも客席に多く、何か心温まるものがありました。

そういうターゲティングであればジャストなのだと思いますが、「勇気のダンス」「奇跡のダンス」の2曲ともピート・バーンズDEAD OR ALIVE)追悼トリビュートかってぐらいユーロディスコ寄りのビートで振りも1980年代的です。続編が作られるのなら、高校生になった5人のダンスは更に高みを、一足飛びに渡辺直美レベルは無理でも、できればPerfumeあたりを目指してもらいたいものです。