2017年12月29日金曜日

パーティで女の子に話しかけるには

年末の地下コンコースの大雑踏を抜けて。新宿ピカデリージョン・キャメロン・ミッチェル監督作品『パーティで女の子に話しかけるには』を観ました。

舞台は1977年。ロンドン郊外の寂れた街クロイドンで母親と暮す男子高生エン(アレックス・シャープ)は、地元のパンクバンド The Dyschords のライブの打ち上げ会場を見つけられない。窓から洩れる原色の照明とエレクトロニカに誘われて入った空家。そこで開かれていた6つのコロニーに属する異星人たちの摩訶不思議なパーティで出会った少女ザン(エル・ファニング)との48時間のロマンスを描くファンタジー。シャイ・パンクス meets 美少女エイリアン。

冒頭のシーン。主人公エンが自室で目覚め、パンク仕様にカスタマイズした制服に着替えて、道すがら金髪革ジャンのヴィク(A.J.ルイス)とサープラスのツナギ姿でぽっちゃり体型のジョン(イーサン・ローレンス)をピックアップして自転車3人乗りで疾走する。ザ・ダムドの "New Rose" に乗せたコマ落としのスピード感にアドレナリンが上昇する。

そしてパーティから一夜明け、公園ではじめてのデートをするザンとエン。このシークエンスのエル・ファニングの尋常ならざる可愛さ。2017年時点の全人類を代表する美少女が、常識からすこしずつずれた異星人ゆえの行為を演ずる。その破壊力は計り知れません。

エイリアンの6つのコロニーは各々シンボルマークとテーマカラーを持っています。ザンの所属するイエローの第4コロニーのマニフェストは「個性の尊重(individualism)」。それを一斉に唱和する様は individualism (個人主義)とは真逆のアイロニー。カンニバリズムはユースカルチャーを食い物にするマスメディアの隠喩か。

同コロニーで唯一のアジア系異星人を演じているのが、ロンドンとベルリンを拠点に活躍する Hinako Mastumoto さん。台詞こそありませんがひときわ目を引きます。

パンクに関して様々な角度から言及されますが、ニコール・キッドマンスージー・スー的メイクとファッションで怪演するヴィヴィアン・ウェストウッドの元店員でローカルシーンの女元締めボディシイアの「パンクはブルースの最終形。既成概念を覆せだの、自分らしく生きろだの、どうでもいい」という台詞が僕の考えに最も近いと感じました。

オリジナルスコアは Nico Muhlymatmos が担当しています。



2017年12月17日日曜日

銀河鉄道の昼

冬晴れ。高円寺純情商店街を一本入った裏路地。狭い階段を上り靴を脱ぐ。大陸バー彦六は週末の午後喫茶東京鼠になります。

詩人馬野ミキさんが今年8月に始めた月例イベント『銀河鉄道の昼』に行きました。

いまお。彼と出会ったのは確か2004年、大学コンソーシアム京都で開催されたポエトリーリーディングワークショップに僕がゲスト講師として招かれたときの参加者でした。初めて人前で朗読したというそのときのひりひりした感じをいまでも鮮明に憶えています。「詩の朗読は、詩を朗読することではなく、朗読が、詩を実現することだ。」という彼の一行が今回のイベントの惹句。幼子に「なんで朗読するの?」と無邪気に尋ねられ「話すのが下手で、書き言葉の孤独に耐えられないからだよ」と答える。

今年4月に『俊読2017』で共演したときが初対面だった吉田和史さん。音叉を叩いてガットギターを調弦するところからパフォーマンスが始まっている。リリカルかつ清澄、正確で可憐なパッセージとロマンチックな旋律に乗せ、すこし鼻にかかったハスキーボイスで歌う都市生活者の憂鬱。エドワード・ホッパーの絵画のように、人々が出会いすれ違っていく様を額縁の外から冷徹に眺めている。一人称で歌っていても乾いた眼差しが通底しているのは彼がvoyant(見者)であり、僕も自身のその傾向を自覚しているので、共感できる部分が多いです。

去年今年と最も回数多く朗読を聴いたのが小夜さんではないかと思います。畳に正座して出番待ちする姿が美しかった(画像参照)。ポエトリースラムジャパン秋大会東京Cのパフォーマンスが「動」に振り切ったものだとしたら今日は「静」。言葉と声に集中しているように見えました。「オレンジ」は昨年プリシラレーベルで1stCD『無題/小夜』を制作した際に上野動物園のフラミンゴ舎の前でレコーディングし、結局お蔵入りにした詩。もう一度あの作品に最適な環境を選んで、次のアルバムに収録したいと思います。

馬野ミキさんのポエトリーリーディングには心を掴まれるものがありますが、ガットギター弾き語りの歌もよかったです。清濁併せ呑んだ果てに小さな灯火みたいな希望と聖性をほんのすこしだけ覗かせる詩作品に対して歌詞は、より微細な繊維で濾過されたような純粋さと精神の震えめいた響きが前面に出ています。「マジでビビるこの時に/俺はひとり蟻んこを見つめている」と訳した「マイ・ウェイ」のカバーには度胆を抜かれつつ感動。

毎月最終日曜日に喫茶東京鼠で開催される『銀河鉄道の昼』。次回2018年1月28日(日)はMYヒーロー究極Q太郎氏も出演とのこと。来年を迎える楽しみがひとつ増えました。

 

2017年12月15日金曜日

冬のムリウイでノラオンナひとりウクレレ弾き語り

冴え冴えとした師走の金曜夜。祖師ヶ谷大蔵の商店街のビルの外階段を上って屋上へ。 Cafe MURIWUI で開催された『冬のムリウイでノラオンナひとりウクレレ弾き語り』に行きました。

去年の12月にも同じ会場で 港ハイライト1stアルバム「抱かれたい女」プチレコ発。このときはフルバンド編成でメンバーが料理をふるまうディナーショーでした。今夜は真っ赤なワンピースに身を包んだ ノラオンナさんが小さなウクレレを抱えてたったひとりでマイクに向かいます。

これ以上ないくらい小さく爪弾かれる繊細なアルペジオに導かれて「 愛におぼれている」で始まり「 パンをひとつ」へ。緊張と弛緩、荘厳さと軽快な大らかさを往還する波のような演奏、低音のウィスパーからソリッドなファルセットまでレンジの広い歌声で空気を振動させる。

その音楽はウクレレの4本の弦とひとりの声帯のみから発せられてはいるが、聴いている感覚としては会場全体がひとつの大きな楽器として束の間存在しているかのようです。「 港ハイライトブルーズ」「 めんどくさい」「踊りませんか?」などハイテンションなバンドサウンドで聴き慣れた曲にも欠落感はなく、歌の骨格の確かさが豊かな表情をもって奏でられ、音楽本来の愉悦に溢れています。

12月らしく"Silent Night" をイントロダクションに置いた「 流れ星」。メロウな旋律を持つサンバクラシックの " Tristeza" はあえて賑やかに。最終曲「 やさしいひと」、アンコール「 梨愛」まで途切れることのない集中力で次々に繰り出される珠玉のメロディは、一流の職人芸を目の当たりにするようでした。

来年は7年ぶりに弾き語りのアルバムを制作する予定とのこと。とても楽しみにしています。 


2017年11月26日日曜日

永遠のジャンゴ

強い風が吹きましたが、寒さがすこし和らいだ日曜日。ヒューマントラストシネマ有楽町で、エチエンヌ・コマール監督作品『永遠のジャンゴ』を観ました。

1943年6月、第二次世界大戦中ナチス占領下のパリ。ロマ(ジプシー)のギタリストでジプシー・スウィングの創始者であるジャンゴ・ラインハルトレダ・カティブ)は33歳。そのライブパフォーマンスは絶大な人気を誇っていた。

ナチスの迫害はユダヤ人だけでなく、障がい者、同性愛者、ロマにも及ぶ。モンパルナスの夜の女王ルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)の手引きで、スイスに亡命するために妊娠中の妻と老母と共に、レマン湖畔の小さな村トノンに逃れる。そこで待っていたのはナチスの幹部たちが集うパーティでの演奏だった。負傷した英国兵を逃がすためにジャンゴはそのオファーを受ける。

定住地を持たないロマには土地の所有や国家、国境という概念がなく、ジャンゴも当初は戦争に関心がない人物として描かれています。あくまでも自身および親族の小コミュニティの快楽原則に基づき行動選択する。ナチスを憎むようになったのもペットの猿ジョコを殺されたから。

しかしナチスの残虐ぶりは凄惨を極め、仲間たちに被害が及ぶにつれ、レジスタンスに加担していきます。そして迫害されたロマの魂の救済のために壮大なレクイエムを作曲します。

舞台を1943~45年に絞ったことで、フランス・ホット・クラブ五重奏団がヴァイオリンのステファン・グラッペリ脱退後であるのは少々残念ではありますが、無理に史実を捻じ曲げない脚本には逆に好感を持ちました。十代の頃負った火傷の後遺症で不自由な左手の薬指と小指。シングルカッタウェイのセルマー・マカフェリジャンゴロジーの劣悪な音質がHi-Fiで蘇り、ジャケ写がそのままハイビジョン化して動き出したかのような演奏シーンは感動的。

非アーリア人の音楽であるジャズはナチスにとって退廃芸術。ブルースは禁止、演奏中に足でリズムを取るのは扇動行為、スウィングは20%まで、シンコペーションは5%以内、ソロは最長5秒、ウッドベースはボウイングのみ、等々、ナチスが定めた規則はアホとしが言いようがないですが、ナチ将校に「お前は音楽を知っているのか?」と問われ「そんなもんは知らん。音楽が俺を知ってるんだ」と答えるジャンゴは最高にクールです。
 
 

2017年11月25日土曜日

中田真由美の歌劇なワンマンショー!2017

晩秋から初冬へ移る街並みを関東バスの車窓から眺めながら。阿佐ヶ谷 harnessで開催された『中田真由美の歌劇なワンマンショー!2017』本編26曲、アンコールを含め全27曲を2時間強で。

4年前に下北沢SEED SHIPPoemusica Vol.22で共演したのをきっかけにその後もご一緒させてもらったり、観客としてライブお邪魔したりしています。ステージで見せる明るい笑顔とは裏腹にどこか人を寄せ付けないような雰囲気があって、面白い人だな、と思っていました。

今日のMCでも「警戒心が強くて」と言っていましたが、もしかしたらそれは誰かに裏切られないために自分を守っているのではなく、自分の才能と揺るぎなさが誰かを傷つける可能性を無意識のうちに恐れていたのかもしれません。その殻が徐々に取り払われ、オープンな空気を纏うようになって、それが歌唱にもギター演奏にも現われていました。

「僕、君と考えるのが好き」(くらげくん)という歌詞にもあるように、中田さんは考える人であり、思考の果てにポンっとホップして広大な感覚の領域に至るような音楽を創造しています。歌わせてもらう、とよく言いますが、お客様とか音楽の神様とかではなく、体内に存在する常在菌や大気中の埃粒の輝きやそういったアニミズム的なものが彼女を歌わせているように思えます。

光景が目に浮かぶような、とは詩や歌詞を褒めるときによく聞きますが、それだけじゃないと僕は思っています。意味や視覚に像を結びづらい抽象的な音や言葉の連なりであっても、それが感情や記憶のテクスチュアに直結したときに最も高揚します。中田さんの楽曲にはそういう瞬間が多々あって、僕はそこに惹かれるのだと思います。「いつもとすこし違ったものを見に行きましょうよ」(電車に乗って)、と新しい切り口で世界を見させてくれるからです。

レアな曲がたくさん聴けたのもワンマンならでは。中田さん自身が弾くギターも、2曲にゲスト参加した夏秋文彦さんHAMMOND SS S-27H(ソプラノ鍵盤ハーモニカ)の響きも大変に美しいものでした。



2017年11月18日土曜日

TQJ Poetry Reading Live

予報ほどひどい雨にはなりませんでした。文京区白山のJAZZ喫茶映画館で開催された TQJ Poetry Reading Live にご来場のお客様、映画館のマスターと絹子さん、共演者のおふたり、皆様どうもありがとうございました。

晩秋の短い日が暮れかかる3時半に始まり、5時少し前に終演する頃にはあたりは冷たく湿った宵闇に包まれていました。われわれ3人のポエトリーリーディングショーをお楽しみいただけたのなら幸いです。

究極Q太郎氏に初めて出会ったのは2000年6月、西荻窪にあったブックカフェHeartland。東京都の半透明ゴミ袋にアコースティックギターを無造作に突っ込んで、足元は健康サンダル、という姿に衝撃を受けました。今日のQさんはコンビニレジ袋に自分で製本した詩集を目一杯詰め、それを左手に提げたまま朗読するというストロングスタイル(画像)。

10年のブランクで「段取りを忘れて」と言っていましたが、いまだかつて段取り通りのパフォーマンスをしたところを見たことがない。愛すべきキャラクター。生来の品の良さと知性、イデオロギーと抒情。高い技術を持ちながら自ら進んで壊しにいく。ああ、この感じ!!

ジュテーム北村氏の長尺のリーディングを聴くのはひさしぶりです。西脇順三郎から三角みづ紀さんまで、大正~昭和~平成の日本現代詩クロニクルに、究極Q太郎、カワグチタケシ、ジュテーム北村自作詩を織り込んだコンセプチュアルなパフォーマンスアート。緩急をつけたドライヴ感とグルーヴで一気呵成に濃密な時間を構築し、空間を支配する声。

僕のセットリストは以下8編です。

・幾千もの日の記憶/究極Q太郎
無題(なぜ殺してはいけないか)/ジュテーム北村
都市計画/楽園
観覧車
水玉
花柄
fall into winter
・第一のフーガ(二声による)/ウンベルト・サバ須賀敦子訳)

サバのフーガは3人で輪読しました。また「水玉」と「fall into winter」はジュテさんにもカバーしてもらったので、2人のリズムや呼吸、解釈の違いが際立って面白かったのではないでしょうか。

加齢とともに意図せず出てくる大御所感を如何にして消すか、というのが昨今の課題でもあったのですが(笑)、ノスタルジーやセンチメントに流れず、アクチュアリティを持ち、且つ質の高いエンターテインメントを提供することができたのではないかと思います。


 

2017年11月11日土曜日

ネルーダ 大いなる愛の逃亡者

煉瓦造りの建築に紅葉が映える。恵比寿ガーデンシネマパブロ・ラライン監督作品『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観賞しました。

1971年にノーベル文学賞を受賞した南米チリの国民的詩人パブロ・ネルーダ。彼をモデルにした映画といえば1994年公開マイケル・ラドフォード監督の名作『イル・ポスティーノ』ですが、伊ナポリ亡命中を描いた同作の前日潭ともいえる内容です。

1946年、チリ人民戦線のガブリエル・ビデラ共産党の支持を得て大統領選に勝利した。が一転、米国の強い圧力に屈して翌年共産党を非合法化。これを告発した共産党員ネルーダ(ルイス・ニェッコ)は上院議員資格を剥奪され、指名手配される。

ネルーダはアンダーグラウンドな支援者たちのサポートを受け、妻デリア(メルセデス・モラーン)とともに国外脱出を企てる。それを追うイケメンのキャリア警視ペルショノー(ガエル・ガルシア・ベルナル)。彼らの珍道中を詩的に抒情的に美しく描いています。

そして逃亡中とはいえネルーダの行動が奔放過ぎる。行く先々の街の酒場に出入りし、あるときは全裸の美女を何人もはべらせ自らも裸でシャンパンを空け、あるときはトーチソングを熱唱するトランスジェンダーの歌姫にせがまれて詩を朗読し熱いキスを受ける。娼館の年増女に化けたり、写真館の額縁に収まったりして追手をまく。そして先住民マプチェ族の襲来に怯えながら雪のアンデス山脈を越える。

「左翼エリートは乱痴気騒ぎが大好きだ」「共産党員は労働したがらない」。体制側の大農園主に見つかりお終いかと思いきや多額の税金を徴収する大統領への恨しみからネルーダを逃がしてくれたり。思想と感情に矛盾を抱えたまま流れ流されていく男たちに比べ、「私は真実で永遠なの」と言う妻デリアの確信的で堂々とした態度。

ネルーダの作風は、エロティックな恋愛詩と大地に根ざして民衆を鼓舞するポリティカルな詩が両輪ですが、どちらもパッショネイトであるという共通点において違和感がありません。

それらネルーダ作品の朗誦を随所に挟んだ台詞回しや逃亡劇とは思えないゆったりとした演出も詩的ですが、褪色した古いフィルム写真のようなローコントラストにホワイトアウトさせた画面処理も大変詩的で美しいです。

 

2017年11月4日土曜日

ポエトリースラムジャパン2017秋 全国大会

紅葉の始まった晴海通りを西へ。晴海橋と朝潮大橋を渡って。中央区立月島社会教育会館にて開催されたポエトリースラムジャパン2017秋 全国大会に行きました。

全国で5回開催され計108名がエントリーした予選を勝ち抜いた12人が出場する全国大会。三木悠莉さんが優勝し、来年5月にパリで開かれるグランドスラム日本代表の座を手にしました。おめでとうございます。

散文的でウィットのある作風の選手が点数を集めるなか、共感やストーリーテリングよりもインディヴィジュアルなコンディションを表現することに専心し、そのためにならフォーレターワーズもためらわずに使う、若干投げやりなフロウと深い包容力を併せ持つ三木さんのパフォーマンスが抜群に冴えていました。

この大会では、観客から無作為に選ばれた5人が10点満点でジャッジし、最高点と最低点を除く中央3人の点数の合計が選手の持ち点になります。突出した好き嫌いを排除しある程度平均化した評価で勝敗が決まるルールですが、それを凌駕するクオリティと切実さが地区予選、全国大会を通じて三木さんの声と言葉には存在した。

準決勝を僅差で勝ち抜け、ファイナリスト4人に残った石渡紀美さんは黒のニットワンピースに真っ赤なスニーカー(画像)、世界のざわつきを鎮めるような落ち着いた声つきさんのすっと心の隙間に忍び込むような美声も印象に残りました。

広い舞台に一人で立つ選手たちを見ながら考えていました。朗読がアートフォームもしくは表現ジャンルとして成熟するためにはプロフェッショナルなアティテュードを持つクリティークが必要なのではないか。作品、朗読技術、声、佇まい。複合的な要素に、ひとつの正解を求めるのではなく、正解などないと断じるのでもなく、複数の正解があって、各々の価値を愛と情熱を持ってロジカルに論じられるような。

太平洋戦争中の大政翼賛的な戦争賛美詩の朗誦に対する反省から肉声を失った日本戦後詩は音韻律を否定するというかたちで世界でも特異な発展をしてきました。失われた声を再び取り戻すには「個」であることを、「個」であり続けることを決して手離してはならない、と僕は考えます。その意味でも今大会で三木悠莉さんが選手権を取ったことが僕にとってはひとつの希望です。


2017年10月31日火曜日

通り過ぎた記憶、生成する景色

四谷三丁目 The Artcomplex Center of Tokyo で今日から始まった日本画家櫻井あすみさん1年ぶりの個展『通り過ぎた記憶、生成する景色』に行きました。

在学中から数々の受賞歴を持ち、今春東京藝術大学大学院博士課程を修了。最近では書籍の表紙画も手がけています。

一見して、小さな作品が増えたな、と思う。展示室の白い壁を右から辿ると「a piece」とだけ名付けられた小品が9点、そして視線はより大きなサイズの作品に移行する。

2年前の展示ではカフェの壁を覆い尽くす大作の仄暗くも新鮮な輝きに魅了されました。それは若い作家が世界と対峙しているまさにその境界を示しているように見えました。それから時を経て、世界との対峙はより人々の暮らしに向き合うような意識に変化しているように感じます。

従来多用されていた銀箔がアルミ箔に代ることにより画面の輝度は落着きましたが、ランダムに千切られて岩絵具と膠にコーティングされた軽金属は、対象となる風景や人物と作者の間にある空気の、それも均質ではない雪片や塵や化合物が浮遊し光線を乱反射させる大気の存在を気付かせる。

DM(画像)にもなっている「viewpoint」という作品が印象に残りました。ビルの屋上から眺める風景は無彩色に近いが色がある。雪の降り出す直前のような曇り空の下で道路の騒音以外にそれを示すものがないが確かに人々の暮らしは息づいている。微かな熱を感じる作品です。

初日ということもあり、作家ご本人が在廊でしたので、不案内な日本画の技法についてすこし質問をして教えてもらうことができました。


2017年10月29日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

台風22号が関東地方に接近するなか、開場直後のノラバーのドアを開けると既に2人のお客様が。強い雨に打たれて傘や足元をびっしょり濡らして次々に到着する人たちは、なぜだかすこしはしゃいでいるみたいに見えます。

ノラバーが西武柳沢に引っ越ししてから、mayulucaさん7月16日に続き2度目のご出演です。ドレスコードはブルー。ネイビーからライトシアンまで、サテンやニットや、思い思いのブルーを纏った人たち。

カウンターだけの細長い店の一番奥の席で前回は聴きました。今回はバス通りに面した席で曇りガラスにもたれながら、mayulucaさんの演奏するギターのサウンドホールからわずか数十センチの至近距離。小さめの音量で爪弾かれる正確なフィンガーピッキング、低音弦のユニゾンの揺らぎ、ボディを指先や第一関節でコツリコツリと叩く音、微細な音の表情が手に取るように伝わる。演奏者本人はこういう音を聴いているのか。ごまかしの利かない距離でギタリストとしての確かさを感じる。

「朝が来て/昨日が昨日になってゆくのです/失いがたいものたちを/ひとつずつ抱きしめるのです」(チャイム)、「このあいだ前に住んでいた町の駅まで続く緑道を/ひとり歩いていたら心痛くなりました」(ほんとうのこと)。

これら1stアルバム『君は君のダンスを踊る』収録曲の澄んだ抒情は、2nd3rdと進むにつれてすこしずつ抽象化し、寓話的もしくは音韻重視に変化しましたが、今年書かれた2曲「3am」「doubt blue」の英語詞はよりシンプルでストレートに、カレッジフォーク的な曲調を伴って回帰しているのも興味深かったです。

店主ノラオンナさんの手料理ノラバー弁当は定番のポテトサラダが南瓜サラダに変わったハロウィン仕様。自家製の胡瓜と大根のぬか漬けに小茄子の昆布出汁漬けは台風サービスということで、お客様の差し入れの純米酒が進みます。

すっかり夜も更けて表に出れば、雨はすっかり上がって、透き通った深いブルーの夜空にきれいな半月が浮かんでいました。


 

2017年10月19日木曜日

TQJ Poetry Reading Live

雨が降って急に気温が下がりました。かすかに冬の匂いがします。そちらはいかがですか? 晩秋の白山で朗読会のお知らせです。

カワグチタケシ、究極Q太郎ジュテーム北村。ファーストネームの頭文字を並べて「TQJ」と名付けました。

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TQJ Poetry Reading Live

日時:2017年11月18日(土)15:00open 15:30start
料金:1500円+1drink order
出演:カワグチタケシ、究極Q太郎、ジュテーム北村
会場:JAZZ喫茶映画館 〒112-0001 東京都文京区白山5-33-19
   03-3811-8932 http://www.jazzeigakan.com/
   ※会場の地図はこちら

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1986年に18歳で現代詩手帖賞を受賞し、ゼロ年代のトーキョーポエトリーシーンで唯一無二の異才を放った究極Q太郎氏の10年ぶりのライブ。僕にとっては、カート・コバーンが実は生きていてワールドツアーの日程が発表された、ぐらいのインパクトがある大事件です。

先日のウエノ・ポエトリカン・ジャム5でもひときわ大きな歓声を集めたひとり、ジュテーム北村氏は生涯オープンマイカーを名乗り、ライブのブッキングを受けることはあまりありません。今年5月の『胎動 Poetry Lab0. vol.6』の客席で久しぶりに顔を揃え、今回の共演を決めました。

実はこの組み合わせ、中野VOW'S BAR2004年5月に一度切り開催されたことがあります。そのときは8畳のお座敷に40人以上のお客様というなかなかな混雑ぶりでした。そんな3人による13年ぶりのレアなライブをお楽しみいただけたらこれ幸い。

会場はおなじみJAZZ喫茶映画館さん。都営地下鉄三田線白山駅下車A3出口裏徒歩1分。1978年開店のヴィンテージ物件。マスター手作りの真空管サウンドシステム。壁にはヌーヴェルヴァーグのポスターと沢山の振り子時計がチクタク鳴っている。猫もいます。

ご予約は不要ですが、「行くよ!」とおっしゃっていただけると俄然モチベーションが上がります。皆様どうぞお運びください!



2017年10月15日日曜日

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1

小雨降る日曜日、ユナイテッドシネマ豊洲で劇場版アニメ『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』を観ました。

西暦2305年、知的生命体スカブコーラルと人類の戦いにより荒廃した地球。公共福祉査察軍生化学即応軍の科学者アドロック・サーストン(声:古谷徹)は自らの命を犠牲にして地球を危機から救い、その状態を「サマー・オブ・ラブ」と名付けた。死の間際、息子レントン(声:三瓶由布子)をレイ(声:久川綾)とチャールズ(声:小杉十郎太)のビームス夫妻に託して。

2005年にMBS制作で放映されたテレビ版アニメの前日潭。アドロックが主役の冒頭約20分ノンストップの先頭シーンの迫力、ダイナミズム。CGを用いず、あえて手描きで制作されたということに驚かされます。

後半の舞台は10年後の2315年。全50話あるテレビシリーズを再構成したレントンと人型コーラリアン・エウレカ(声:名塚佳織)の物語です。PLAY BACK と PLAY FORWARD を繰返し、複数の時系列を行き来させるが、観ていて整理が追いついていかない感じがしました。

全編に日本語明朝体と英語のテロップによる登場人物、作戦、メカ、設定等の脚注が入りますが、一瞬で消えてしまうので、断片的な情報しか残らない。実際の戦闘中のスピード感と動体視力とはそんなものなのかもしれません。

「ハイエボリューション」は三部作で、来年と再来年に中編、後編が公開になるため、この「1」だけではなんともいえませんが、多くの布石が置かれているのは間違いのないところでしょう。

サマー・オブ・ラブ」は1967年に米国サンフランシスコで生まれウッドストック・フェスティバルに結実したカウンターカルチャーのムーブメントの総称です。そして「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は1989年、英国マンチェスターのクラブハシエンダに端を発したレイヴ文化。

KLFLFOAPHEX TWINビースティ・ボーイズソニック・ユースTB-303ドンカマチックKORG製の初期アナログリズムマシン)、SK8など、1980~90年代ユースカルチャーへのオマージュ。当時を知る大人を刺激するワードが頻出する。エンディングにはボブ・ディランの"Like A Rolling Stone" の歌詞の引用も登場します。

 

2017年10月7日土曜日

ウエノ・ポエトリカン・ジャム5

一度散った金木犀がまた花をつけています。上野恩賜公園水上音楽堂で開催されたウエノ・ポエトリカン・ジャム5(UPJ5)に行きました。午前11時から午後8時まで総勢81組による声と言葉の祭典、観客数800人超。ポエトリーのイベントとしては日本国内最大級のフェスです。

自由詩、短歌、ラップ、スピーチ、プロパガンダ、独白など、表現のスタイルもさまざまですが、どちらかといえばエクスペリメンタルというよりポップ、カウンターカルチャー寄りなアクトが多いのは、1997年~高田馬場ベンズカフェ、1999年~西麻布オージャスラウンジのオープンマイクから、2000年の第1回ウエノ・ポエトリカン・ジャム、そして2003~2011年(中断期間あり)の新宿スポークンワーズスラム(SSWS)の流れを汲んでいるからだと思います。

UPJの創始者さいとういんこさんに始まり、「85歳の野外フェス・ヘッドライナー」と紹介された谷川俊太郎さんまで、25組のゲストは、好き嫌いや合う合わないはあるにしても、いずれも納得のクオリティでした。運営事務局からリツイートされてくる観客や出演者のつぶやきを見ても、各々が割と万遍なく異なるアクトを評価しており、またお目当ての出演者だけでなく初めて見聞きするアクトに反応しているのも、時々楽しく眺めつつ。これは観客の立場としては、前回2009年のUPJ4と一番変わったところかもしれません。

事前エントリー45組、当日先着順で10組のオープンマイク出演者。その中では、少年(しょーや)さんthee last bookstoreさん、小野寺さん、yaeさん1.G(Idea Pops)さんがよかった。サプライズ出演となった主催の三木悠莉さん胎動レーベルikomaさんのユニットも素敵でした。

それから司会のおふたりもクリアで素晴らしかった。文字通りの Master Of Ceremony。ゲスト枠の猫道くんはさすがの安定感。オープン枠の石渡紀美さんもちゃんと仕事していて感動しました。なによりふたりとも声がいい。

僕は過去3回、2000年UPJ、2001年UPJ2、2009年UPJ4にゲスト出演させてもらいました。今回はジュテーム北村氏(画像)が僕の「」という詩をカバーしてくれたので、僕自身はステージに上がりこそしませんでしたが、出演したような気持ちです。どうもありがとうございました。

三木さん、ikomaさん、そしてスタッフのみなさん、準備も当日も大変なご苦労をされたと思いますが、おかげさまで記憶に残る心地良い一日を過ごすことができました。最大級のリスペクトを贈りたいです。

 

2017年9月24日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

9月24日は「くるぶしの日」。金木犀の香る西武柳沢駅前の小径を抜けて、五差路に建つ庚申塚の右手にそのお店はあります。

はじめての場所で行うライブのぱりっとした新しい気持ちと肌に馴染んだ空気が同居するお店ノラバーは、銀座ときね『銀座のノラの物語』、阿佐ヶ谷Barトリアエズの『アサガヤノラの物語』を経て、リスペクトする音楽家ノラオンナさんがはじめて持ったご自身のお店です。

毎週日曜日の夜に一組のミュージシャンを招いて開催される『ノラバー日曜生うたコンサート』に出演しました。

 1. 保谷田村隆一
 2. 西武園所感 ( 〃 )
 3. 無題 (出会ったのは夏のこと)
 4. ANOTHR GREEN WORLD
 5. 離島/地下鉄を歩く
 6. Planetica (惑星儀)
 7. 山と渓谷
 8. 都市計画/楽園
 9. 名前(新作)
10. スターズ&ストライプス
11. 永遠の翌日 
12. 新しい感情
13. もしも僕が白鳥だったなら
14. 線描画のような街
15. 星月夜
16. 水の上の透明な駅

冒頭2篇は敬愛する戦後詩人、故・田村隆一をカバーしました。1960年、ノラバーのある保谷に1年だけ住まっていたことがあり、そのときに書かれた秋の詩と沿線の西武園ゆうえんちをモチーフに「詩で戦うな」というメッセージを込めた作品です。

以降は夏の終わりから秋を舞台にした自作詩を。中盤の3篇「名前」「スターズ&ストライプス」「永遠の翌日」はまだ詩集に収録していない新作です。生声がきれいに響いて、気持ち良く朗読することができましたが、いかがでしたでしょうか。

梨フライタルタル焼き茄子のおひたしさつま芋ごはん、etc.. お店が変わってもノラさんのお料理は素晴らしく、ライブのあとのお食事にハイボールが進みます。夜が更けかける頃に下北沢SEED SHIPのオーナー土屋さんもサプライズ登場して、カウンターを埋めたみんなで楽しいひとときを過ごしました。自分のライブをネタに初対面のお客様同士が話しているのを見るのは本当に素敵なこと。

特典でお配りしたCD-Rの "basement and windowpane" というタイトルは地下2階の銀ノラと壁一面の大きなガラス窓のアサノラから。今頃みなさんご自宅で聴いてくださっているのかな。それぞれの暮らしのなかにある詩と声を想像すると、ちょっと愉快でじんわり気持ちが温まります。

ワンマンならではの面白さ、発見、味わいがあった、とうれしい感想もいただきました。ご来場のお客様、いつも美味しいお料理と気持ちの良いおもてなしを提供してくださるノラオンナさん、ありがとうございました。また来年もこの場所でみなさんにお会いできたら幸いです。


 

2017年9月16日土曜日

VAMOS ブラジる!?

毎年9月に開催される『VAMOSブラジる!? ♪音楽で結ぶ中央線ブラジル化計画♪』は今年で6年目。そのうち4回に観客として参加しています。今回は阿佐ヶ谷、西荻窪、吉祥寺の6店で2日間、72プログラムが開催されたうち、4公演を聴きに行きました。

ひとつめは西荻窪COCO PALM で Banda Choro Eletrico。今日は、ベース沢田譲治さん、ピアノ堀越昭宏さん、ドラムス沼直也さん、フルート尾形ミツルさん、トロンボーン和田充弘さん衣山悦子さん、スルドちっちさん、パンデイロRINDA☆さん、パーカッションサム・ベネットさん伊左治直さん坂本真理さんの11人編成。流動的なユニットには複数のボーカリストが参加していますが、今回は完全インストゥルメンタルです。リーダーの沢田さんが言うにはフランク・ザッパマーラーのハイブリッド。かなりスペイシー。ブラジルの伝統音楽であるショーロから出発して気づいたらずいぶん遠くまで来ていた。

中央線に乗って阿佐ヶ谷へ移動。2軒目はJAZZバーSTACCATO、ボーカルわきちかこさん、7弦ギター尾花毅さん、パンデイロ宮澤摩周さんのトリオによるサンバセッションを聴きました。広いレンジとダイナミズムを持つ尾花さんのギターの存在感。わきさんの正統的な歌唱はメロディがすっと入ってくる。Banda Choro Eletricoの強過ぎる刺激を中和する、我ながらナイスセレクションです。

そしてすぐ隣の駅ビルに入っているSoul玉Tokyoへ。カツヲスペシャル(画像)。カツヲは沢田譲治さんとボーカルまえかわともこさん(左利き)のデュオをベースにしており、今回はピアノ田尻有太さん(王子)、Banda Choro Eletricoからドラムス沼直也さん、トロンボーン和田充弘さんの2人を加えたクインテット。静寂。静謐さのなかに極限まで抑制されたグルーヴがひっそりと置かれている。5人から手渡される小さな音の重なりが美しく、その抽象性はある種の高みに到達しています。

でも、フルスロットルのまえかわさんも聴きたいよね。ということで最後は吉祥寺World Kitchen BAOBABで、THEシャンゴーズ。尾花毅さんが別のセッションに参加しており、まえかわともこさん、ギター中西文彦さん、パーカッション福井豊さんのトリオ編成。ガットギターにディストーションをかけてハウリング込みでループ。ノイズの奔流。カツヲの抑制美とは反対に、まえかわさんの歌はエモーショナルでパッショネート。自由過ぎる二人をアンアンブルに繫ぎとめる福井さんのカホン。立ち見も含めぎっしり埋まった客席も最後は「夜明けのサンバ」に大合唱で応える。アンコールではマツモニカさんが飛び入りし、座は一層盛り上がる。音楽の幸福な時間が生まれる場面に立ち会えた喜び。

ショーロ、サンバ、MPB、大なり小なりブラジル音楽の典型からはみ出したアクトを回りましたが、いずれもその狂騒的なリズムにはトラディショナルに対する確かな信頼とリスペクトが存在しています。それこそが2017年の東京でブラジル音楽を鳴らし、楽しむ意味だと、清々しい気持ちで中央線に乗り、帰途につきました。

 

2017年9月3日日曜日

パターソン

秋晴れの日曜日。ヒューマントラストシネマ有楽町ジム・ジャームッシュ監督作品『パターソン』を観ました。

舞台は現代、米東海岸ニュジャージー州の郊外パターソン市。月曜日の朝6時過ぎ、主人公パターソン(アダム・ドライバー)は目を覚ます。隣で眠る美しい妻ラウラ(ゴルシフテ・ファラハニ)の二の腕に口づけベッドを出る。シリアルを食べ、前夜妻が作ったサンドウィッチを提げて、市営バスの車庫に出勤する。

同僚の家族に対する愚痴を聞き、路線バスを定期運航させる。帰宅夕食後に愛犬マーヴィンの散歩がてらいつものバーに立ち寄りビールを1杯飲む。そんな平凡な平日が5日繰り返され、週末の休みを迎える。

出勤の途中で、始発バスの発車前に、休憩時間や退勤の道のり、思いつくままに詩をノートに書き留める。だがその作品はどこにも発表されたことがない。妻だけが高く評価している。

妻ラウラのエキセントリシティがパターソンの日常の平穏さを強調するが、繰り返される日々にひとつとして同じ日はない。バスの乗客が違えば会話の中身も違うし、バーの客の顔ぶれが変われば出来事も変わる。そのメタフォリックな存在として双子の兄弟姉妹が複数登場します。

ジャームッシュ監督ならではのオフビートなユーモアが随所にさりげなく置かれ、爆笑こそないもののクスッとさせられる場面がたくさんあります。そして主人公夫妻が一点の曇りもなくお互いを愛し、信じ、認め合っているのが、ファンタジーと知りつつも幸せな気持ちになります。

大学2年のときに靴下屋でバイトしていた当時のガールフレンドと渋谷のミニシアターで観た『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の格好良さとヘタレ感の同居は衝撃的でした。そして『パーマネント・バケーション』『ダウン・バイ・ロー』。あれから30年経って巨匠と呼ばれるようになってもジャームッシュ監督は変わらないなあ、と思いました。

それからウィリアム・カーロス・ウィリアムズアレン・ギンズバーグが同郷でパターソン出身だというのをこの映画で初めて知りました。 



2017年9月2日土曜日

ポエトリースラムジャパン2017秋 東京大会C

午前中の雨が上がった明るい土曜日の午後。西新宿芸能花伝舎で開催されたポエトリースラムジャパン2017秋 東京大会Cを観戦しました。毎年5月にパリで開かれるポエトリースラムのワールドカップ(フランスなのでクープデュモンド)の日本代表決定戦の地区予選です。

24名の選手の中から優勝した大島健夫さん、準優勝道山れいんさん、会場賞三木悠莉さんの3人が素晴らしいパフォーマンスで全国大会に駒を進めました。おめでとうございます。

東京大会Bではプリシラレーベルから詩集を出版している石渡紀美さんが優勝しました。今回は同じくプリシラメイツの小夜さん(画像)がエントリーしているということで、3年前に始まったこの大会を初めて観戦するために、廃校の音楽室をリノベーションした会場に向かいました。

審査員は客席から無作為に選ばれた5人が対戦毎に入れ替わります。反権威主義が徹底されたスーパーフラットなルールですから、選手と審査員の相性によって、特に初戦は採点が左右される。今日の傾向としては、家族や郷愁など身近なテーマ、シンプルなレトリックの作品とフラットで明瞭な発声のパフォーマンスが得点を集めていたように思います。

シンタックス/ロジック的にはやや難解で皮膚感覚にぐいぐい訴えてくるような三木悠莉さんの作品はそのなかでも異彩を放っており、僕は最も惹かれました。TASKE氏は残念ながら初戦敗退でしたが彼が本質的に持つ異物感が今回はとても良い方向に出ていました。勝負が賭かることで動く選手たちの一所懸命な表情が皆違って美しかった。

会場スタッフもよくオーガナイズされており、選手と観客の心情に寄り添う猫道くんの安定感のある司会進行はプロフェッショナルなクオリティで、今回一番の感動。

主催者の村田活彦氏とは長い付き合いで、毎年1回『同行二人』という朗読会を続けています。彼がこのスラムイベントを始めたいと言い出した超初期の頃、いまやカリスマ書店員となった花本武くんと3人で豊洲の中華料理店で大層呑んだ4年前の夜を思い出しました。当初はいろいろな批判や問題もあったと聞きますが、多くの協力者を得て気持ちの良いゲームに育ててきたんだなあ、という感慨がありました。

声や言葉というものは、単一的な序列をすり抜けて個人を屹立させ、時には連帯させるツールになるべきだと僕は考えます。日本一の詩人を決めるとかではなく、声と言葉の可能性を示す諸相のひとつとして、これからも続いていけばいいし、このやり方に納得いかない人は自分なりのスラムなりコンペティションなりを起こして、結果的にいろんな尺度や価値感が併存していけばいいんじゃないかな、と僕は思います。


 

2017年9月1日金曜日

CUICUIのICHIGEKI ~9.1はキューでキュイキュイ~

すこし湿った初秋の金曜日の夜、下北沢へ。CLUB Queで開催されたCUICUIの企画ライブ『CUICUIのICHIGEKI ~9.1はキューでキュイキュイ~』。昨年結成し今年2月のデビューライブの印象も鮮明なCUICUI。9月1日をCUICUIの日に決定しました。

今日が3度目のライブ。僕が観るのも3度目です。もともと力のあるメンバーによるバンドですが、ライブを重ねるたびにアンサンブルはより強固に、しかも結成当初のフレッシュネスをまったく損なうことなく、更に尖っているように感じます。

ボーカル&キーボードERIE-GAGA様のメロウでちょっと捻じれたポップセンスとベース&ボーカルAYUMIBAMBIさんの破天荒なプレイとキャラのせめぎ合いを瑞穂玲(ルィスィリュー)さんの手数の多いドラムスが豪快にまとめ上げる横で、リーダーでギターのマキ・エノシマさんは終始シューをゲイズしている。

リツイート!」「ダンゴムシダンゴムシ」「心情書き留めるみたいな孤独とはいつからか仲良くできなくなった」「イイネ!が止まらない」「僕にはカレーがあるからね」「虫除けスプレー」。洗練されたメロディに乗せる歌詞は遊び心とリアリティの狭間を攻める面白さ。

メンバーそれぞれの好みや別ユニットでの音楽性とはすこしずつ異なるCUICUIというポップな枠組みを各々が心から楽しもうというアティチュードが演奏する姿から伝わってきます。ロックンロールにはユーモアが必要だ、と言ったのはバディ・ホリーでしたっけ? キュートさと格好良さとの絶妙なバランスはまさにバンドマジック。

オープニングアクトのジャバラガールズに始まり、キスできればそれでいいしスtokyo pinsalocks と 90's NEW WAVEテイストの濃厚な一癖ある女子デュオ(+サポート)を並べたラインナップも良かったです。いいしスHITOMIさんのプリント基盤直挿しノイズマシン。tokyo pinsalocksのハウス調の曲は往年のJESUS JONESみたいでした。




2017年8月26日土曜日

ノラバー生うたコンサート

夏も終盤に差し掛かろうというここ数日、東京に唐突に猛暑が襲来しました。そんな日々ではございますが、カワグチタケシ秋のワンマンライブのお知らせです。

秋分の翌日、9/24(日)「くるぶしの日」に西東京市保谷町(最寄は西武柳沢駅)のノラバー、落ち着いた雰囲気のあるお店で、生声の朗読と美味しいお料理をお楽しみいただける完全予約制、先着11名様限定のライブです。皆様のお越しをお待ちしています。

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ノラバー生うたコンサート

出演:カワグチタケシ 
日時:2017年9月24日(日) 17時開場、18時開演、19時~バータイム
会場:ノラバー 
   東京都西東京市保谷町3-8-8
   西武新宿線 西武柳沢駅北口3分
   ○吉祥寺からバスもあります。
料金:4,500円
   ●ライブチャージ
   ●6種のおかずと味噌汁のノラバー弁当
   ●ハイボール飲み放題
   (ソフトドリンクもあります)
   ●スナック菓子3種
   以上全部込みの料金です。
   
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銀座のノラの物語アサガヤノラの物語でもお世話になり、超リスペクトしているミュージシャンのノラオンナさんが、7月初めにご自身のお店を持ちました。西武柳沢? どこそれ遠そう、ってお思いの方、高田馬場から20分なので阿佐ヶ谷に行くのと10分しか変わりません。それに保谷といえば敬愛する戦後詩人である故田村隆一氏ゆかりの地。すこしカバーもしてみようかな、と思っています。

今回限定のご来場特典として、銀ノラとアサノラで録ったライブのダイジェストCD-Rをもれなく進呈。朗読音源は10年以上リリースしていないので、まず激レアといえましょう(当社比)。お引っ越し祝いです。

4500円は朗読会としてはちょっとお高めの設定かもしれませんが、ライブ観て、グッズ買って、食事して帰る、と考えればそうでもないですよね。そしてお料理はどなたにも必ずご満足いただけるクオリティ。ノラさんが季節ごとに素敵なお食事メニューを考えてくださいます。

*銀ノラ、アサノラより1人増えた先着11名様限定の完全予約制です。
 ご予約は rxf13553@nifty.com まで。お名前、人数、お電話番号を
 お知らせください。お席に限りがございます。どうぞお早目に!



2017年8月20日日曜日

千葉詩亭・第四十七回

JR京葉線とモノレールを乗り継いで千葉まで。大島健夫さん山口勲さん、ふたりの詩人が毎偶数月第三日曜日に、Treasure River Book Cafe で開催しているオープンマイク『千葉詩亭』にゲストとしてお招きいただきました。

割と東京みのある詩人と思われている気がしますが、僕が生まれたのは千葉県佐倉市という坂道と川のある小さな城下町。二十歳まで暮していたのにも関わらず、千葉でリーディングするのは実は初めてです。

1. Universal Boardwalk
2. 井戸
3. 八月の光
4. 九月
5. 鵜原抄4中村稔
6. 水の上の透明な駅
7. すべて
8. 新しい感情

せっかくなので、千葉っぽいセットリストを組んでお届けしました。「井戸」は夏休みの帰省中に墓参したとき、「八月の光」は御宿海岸に友人十数人で行った海水浴、「九月」は鵜原理想郷の風景を描いた、この三篇は大学時代に現代詩研究会の詩誌に書いた作品。中村稔氏1966年の「鵜原抄」も同じく鵜原理想郷を描いた詩作品です。

郷里とはいえ長くご無沙汰しており、初めてお会いするお客様が多かったのですが、みなさんこころよく迎えてくださいまして、一語一語しっかり摑まえようとしているのが伝わってきました。大島さんのお父様とそのご友人、市立佐倉中学校県立佐倉高校の大先輩方に聴いていただけたのも光栄でした。

OOMこと右田晴山さん、佐々木漣さん廣川ちあきさん。オープンマイク参加者もみなさん個性的でとても楽しめました。川方祥大さんの「御宿を忘れるな」というリフレイン、大島健夫さんの半生記、誕生日が長嶋茂雄選手のラストゲームでそこから蘭学、ヴィクトリア朝、南アフリカ、と史実が果てしなく連なるガルシア=マルケス的世界構築など、千葉テイスト溢れる素敵なパフォーマンスが続きました。千葉市在住の画家森宏さんのひとり四声アカペラコーラスも強烈に盛り上がり。

オープンマイクの前にゲスト枠を置く構成もよかったです。Treasure River Book Cafe は壁一面が書棚の落ち着くお店。お料理も美味しく、生COEDOビールも最高です。ちょうど前日にオーナー宝川紘司さんのウェディングパーティが催されたばかり。その余韻も加わり、ハッピーな一日になりました。



2017年8月19日土曜日

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

蒸し暑い曇りの土曜日。ユナイテッドシネマ豊洲武内宣之監督作品『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を観ました。

舞台は千葉県飯岡町茂下。海岸沿いの中学校の夏休みの登校日、夜には花火が上がる。典道(声:菅田将暉)は同級生のなずな(声:広瀬すず)のことが好きだが気持ちを伝えられていない。親友祐介(声:宮野真守)と競泳で勝負して、勝った祐介をなずなは花火に誘う。

1993年に岩井俊二が脚本監督し、当時15歳の奥菜恵が主演したテレビドラマを大根仁が新たに脚色、新房昭之まど☆マギ)が総監督、シャフトがアニメーション制作。と、クレジットは豪華なのですが。

バカ男子たちの夏休み冒険ロードムービーとしても、トライアングル・ラヴ・ストーリーとしても、少年少女駆け落ち潭としても、タイムリープものとしても、中途半端でちょっと残念な結果に。タイムリープが不可抗力ではなく主人公の願望のみに基づいて起こるため、中二病の妄想にしか見えないことがその要因ではないかと思います。

シャフト制作だけあって映像はこれでもかというくらいきれいです。特に、海、プール、スプリンクラーなど、水の描写の美しさは2017年時点におけるアニメーション表現の最高峰と言ってもいいんじゃないでしょうか。

打ち上げ花火がどの角度から見ても丸いということに僕が初めて気づいたのは、1984年LA五輪の閉会式の空撮をテレビ中継で観たときです。それまではそんなことは気にもかけていませんでした。

「水の上の透明な駅のプラットホームで/君が見上げる花火を俺は/丘の上から視線の高さで眺めている」というフレーズが出てくる詩「水の上の透明な駅」を書いたのは2001年のことです。海上を滑るように渡っていく1両編成の列車の描写がアニメ版にありますが(1993年のテレビドラマ版は観ていないのでわかりません)、『千と千尋の神隠し』の類似シーンと中原中也の「言葉なき歌」(1936)を下敷きにしています。



2017年8月12日土曜日

フェリシーと夢のトウシューズ

弱い残暑の土曜日。丸の内TOEI②エリック・サマーエリック・ワリン監督作品『フェリシーと夢のトウシューズ』(日本語吹き替え版)を観ました。

フェリシー(声:土屋太鳳)はバレエ・ダンサーに憧れる11歳の孤児。同い年で発明家志望のヴィクター(声:花江夏樹)とブルターニュの孤児院を脱走しパリを目指す。フェリシーはオペラ座バレエ学校に入り、ヴィクターはギュスターヴ・エッフェル博士に弟子入りする。

技術も知識もカネもコネもないが、才能と情熱だけは人一倍。意地悪なライバルに邪魔されたり、親切な大人たちに助けられたり、芸と恋の板挟みになったりしながら、正味7~10日間ぐらいでしょうか、シンデレラストーリーとしても、痛快アクション冒険活劇として楽しめます。

ディズニー出身、のちにDREAMWORKSで『マダガスカル』や『カンフーパンダ』を手掛けたテッド・タイのCGアニメーション。大屋根の細い棟の上のバレエステップ、カーチェイスシーンの派手なカット割り、飛行/落下、等々スリリングでスピード感溢れる。19世紀末のパリの街並みの優美さ。パリ・オペラ座の現芸術監督オレリー・デュポンが振り付けしたダンスシーンはあえてモーションキャプチャを用いず、より大きく、高く、速く、観せる。

そんな短期間でバレエが上手くなるはずがない、なんて野暮はファンタジーなのですから言いっこなしです。音楽はチャイコフスキーが少々と大部分は四つ打ちのポップソング。主人公を巡って幼馴染ヴィクターとロシアの貴公子ルディ(声:内山昂輝)、男子2人の決闘のショボさに比べてフェリシーとカミーユ(声:青山美郷)のダンスバトルが華やかで野性的で力強いのも、現代的で素晴らしいなあ、と思いました。

舞台は1880年代のパリ。オペラ座(ガルニエ宮)は出来立て、1989年のパリ万博に向けて建設中のエッフェル塔、アメリカ合衆国に贈られた自由の女神像も同じ工房で造られている。自分が生まれる前からあるランドマークや芸術作品は、はじめから地上に存在していたかのように錯覚してしまいますが、誰かの大変な工夫や苦労によって創造されたものである、という当たり前の、でも普段忘れがちなとても大事なことを思い出させてくれます。


2017年8月5日土曜日

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

薄曇りの土曜日。神保町岩波ホールテレンス・デイヴィス監督脚本『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を観賞しました。

生前発表された詩はわずか数篇。没後発見された2000篇近い草稿群が出版され、19世紀のアメリカを代表する詩人としていまも人気の高いエミリー・ディキンソンの半生を描いています。

舞台は1848年、エミリーの女学校中退から始まり、1886年5月の葬儀で終わる。

エミリー・ディキンソンといえば、マサチューセッツ州アマーストの自宅で、白いドレスを着て部屋から一歩も出ず、また誰も部屋に入れなかった。病気で往診に呼んだ医師でさえ、ドア越しに診察させたという。そんなコミュ障のひきこもり詩人。という印象だったのですが、それは43歳で父親を亡くしてから12年間のこと。それまでは一応当時の一般的な社会生活を営んでいます。服の色もさまざま。

よく言えば才気煥発で好奇心旺盛。既存の価値観には疑問符をつけ自分で検証してみたくなる。納得いかないことには必ず反発し、人間関係円滑化のために表面上同調するという選択肢を持たないので組織のなかでうまく立ち回れない。今風に言えば「生き辛い人」。結構キレやすくて、教師や親類や友達に酷い悪態を投げつける。

詩作品の主題も世界に対する呪詛に満ちているのだが、その呪詛をこの世のものとは思えないほどの美しく表現できる類稀なスキルを持つ。主人公エミリーを演じているのが『セックス・アンド・ザ・シティ』のバリキャリ弁護士ミランダシンシア・ニクソン

しかしこの映画の真の主役はエミリーの妹ヴィニーことラヴィニア・ディキンソン(ジェニファー・イーリー)だと思います。エキセントリックで才能豊かな姉とお調子者の兄、厳格な父親と病弱な母親、という厄介な家族関係の綻びをなんとかうまく修復しようと終始気を遣い努力する。最後まで報われることはありませんが、その真摯な姿には心打たれました。

ディキンソン家の数十年の時の経過を数秒で表現した肖像写真のモーフィング技術もエレガントで鮮やかです。

2017年7月25日火曜日

正しいトゥクトゥクドライバーの選び方

薄曇りの日曜日。東京メトロ丸の内線に乗って。新高円寺STAX FREDへ。大越扶美子ワンマンライブ『正しいトゥクトゥクドライバーの選び方』に行きました。

大越扶美子とはシンガーソングライターmueさんの本名。昨年4月以降ライブ活動を休止して、数か月にわたり、インド、タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムを旅した。その報告会的なライブです。

4月のバンドワンマンの祝祭的な高揚感から一転、リビングルームに親しい友人を招くホームカミングパーティのようなリラックスした雰囲気で進みます。

とはいえmueさんのことですから凡庸なものになるわけはなく。カバー以外はほぼ全曲が新曲という攻めのセットリストです。旅先での体験、出会った人たちをシンプルなコード進行とナチュラルな旋律で綴る。カバーもその曲が歌われた特別なシチュエーションの解説つき。「旅」というテーマに絞り込まれたことでMCと楽曲が有機的に結びつき、みんなでスライドを観ながら旅人の話を聞ているみたいな味わいがある。

新曲群では、旅にはあえてトラブルを期待したと言い「だってみんな安全が大好き」と歌う "Stormy Driving"、ラオスの子どもたちの挨拶 "ສະບາຍດ(サバイディー)"、ライブタイトルもなったトーキングブルーズ2部作「正しくないトゥクトゥクドライバーの選び方」「正しいトゥクトゥクドライバーの選び方」。

カバーではブラジリアンスタンダード"Tristeza"の伸びやかに澄んだハイトーン、はっぴぃえんどの「夏なんです」の抑制の利いた表現が特に印象に残りました。

バンドワンマンやショーケース的なブッキングはmueで、今回や「ガラクタの城」「同vol.2」のように素の自分を見せるテーマ性のあるライブは大越扶美子で、当面は行くのかな。4月11日に開催されたライブ『この新しい星で、一緒に遊ぼう。』のアンコールMCでは、活動名義を本名に変えるかどうか、客席も巻き込んでカオティックに逡巡した一幕があったのですが、このように落ち着いたことを喜ばしく思います。


2017年7月22日土曜日

パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち

渋谷東急Bunkamura ル・シネマ1で、マレーネ・イヨネスコ監督作品『パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち』を観ました。英国王立ロイヤルバレエ団露マリインスキー・バレエと並ぶ世界三大バレエ団のひとつ、パリ・オペラ座は、300年以上の伝統を持つ世界最古のバレエ団。"Backstage"の原題の通り、86分の上映時間のほとんどがガルニエ宮のドーム屋根の下のリハーサル室の光景です。

エトワールとは星の意。英国ではプリンシパル、イタリア語ではプリマ・ドンナとなりますが、センターを務めるトップダンサーたちがいかにして表現を極めていくのか、その過程を追ったドキュメンタリーフィルムです。

出演者は、ダンサー、コーチ、振付師、指揮者、演奏家、劇場スタッフ。公演とその準備に直接携わる人たちだけ。家族も友人も誰一人として画面には登場しない。

高い跳躍から着地するときに硬いトウシューズの底が木製のフロアに当たる音。ひとつのシークエンスを踊り終えた後のダンサーの荒い息づかい。コーチのアドヴァイスの大声。劇場スタッフたちの作業音。サウンドトラックはほぼリハーサル室のピアノの生演奏だけで、劇映画的なスコアは使用されていません。

ナレーションは一切なく、テロップも曲名と作曲家、振付師、ダンサーの名前のみ。何の説明もなく始まり、唐突に終わる。オペラとは異なり、バレエというのは言葉を発さない、言葉を用いないで情感を伝えることに傾注した表現形式であることとリンクしているように思えます。ところどころで挿入されるダンサーたちのインタビューの言葉と、何よりもその身体がすべてを語っている。

群舞のリハーサルに呼ばれたバレエ学校の子どもたちがエトワールを見つめる憧れのまなざしと「バレエはコード化された踊りですが、解放を加えることで現代性を表現するのがキーです」と言うマチュー・ガニオの言葉が印象的でした。

 

2017年7月16日日曜日

ノラバー生うたコンサート

なみだ色の日曜日。はじめて降りる駅、西武新宿線西武柳沢。富士街道の辻の五差路、伏見稲荷通りに2週間前にオープンしたばかりのノラバーは、とてもお世話になっているミュージシャンのノラオンナさんがはじめて持ったご自身のお店。

僕も何度も出演させてもらった「銀座のノラの物語」「アサガヤノラの物語」はいずれも日曜の定休日を借りてのライブ営業でした。ノラバーは、銀座ときねのダークな色調と阿佐ヶ谷Barトリアエズの大きな窓をミックスしたような落ち着く空間です。

今日の出演者はmayulucaさん。他のライブで何度か顔を合わせているのでひさしぶりな感じがしないのですが、昨年8月のアサノラ以来でした。開店を祝しての「出発」から一昨年高円寺の古書店Amleteronのライブで池永萌さんと共作した「朝の月」まで全14曲、約80分。カウンターだけの細長い店の演奏家から一番遠い席にもクリアに響き、ギターと歌声の繊細な表情がよく伝わってきます。

お店のすぐ前は2車線の通りで、ライブ演奏に生活音が程好くミックスされる。バスの運転手を歌うと路線バスが通過し、「笑い声が聞こえるところで(おひさまの居場所)」という歌詞をバックに女子中学生が笑いながら通り過ぎる。そんなグッドタイミング。

mayulucaさんの音楽はミニマルで精緻な構造を持ちながら同時に、あっけらかんとしたおおらかさと包容力がある。音の粒が淡く光を放ちながら夏の始まりの湿った夜の空気に溶け込んでいきます。

演奏後は6品のおかずと味噌汁のノラバー弁当をmayulucaさんもノラさんもみんな一列に並んで食べながらおしゃべり。mayulucaさんからの開店祝いのアルパカラベルのスパークリングワインが振る舞われ、夜が更けるごと座は一層に賑やかに。どのお料理も美味しかったですが、豚肉と玉葱だけ使ったシンプルなミニカレーライスが特に味わい深かく。木曜日に訪れてフルサイズをいただきたくなりました。

ノラバー生うたコンサート、僕の出番は9月24日(日)。どうぞよろしくお願いします。詳細はあらためてお知らせします。


2017年7月15日土曜日

フィクショネス詩の教室 @tag cafe 2017

今日も真夏日。梅雨が既に明けているんじゃないかという思うぐらい。下北沢の街は熱気に溢れています。フィクショネス詩の教室 @tag cafe 2017 を開催しました。

小説家藤谷治氏がオーナーの下北沢の書店フィクショネス2014年7月に惜しまれつつ閉店しました。2000年3月から閉店まで14年半続いた詩の教室で講師を務めさせていただきました。それから3年。当時の参加者のひとり杵渕里果さんが毎年7月にフィクショネス跡地と同じ街区のカフェを借りて、ワークショップを企画してくれます。

同窓会のようでもあり、且つ新しい方も毎年参加し、ひとつのテーブルを囲み、自作他作問わず好きな詩を持ち寄って意見交換する2時間。今日みんなで観賞した詩はこの12篇です。

谷川俊太郎「ニューヨークの東二十八丁目十四番地で書いた詩」
田村隆一頬を薔薇色に輝かせて
糸井重里「いいこ いいこ(GOOD GIRL)」※矢野顕子の歌詞
矢野顕子愛はたくさん(LOTS OF LOVE)」※同上
ウンベルト・サバ娘の肖像」「ぼくの娘に聞かせる小さい物語」「われわれの時間」「第一のフーガ(二声による)」※須賀敦子
・芦田みのり「パズル」
・ジュテーム北村「TQJ」
・谷川俊太郎「家族
・宮崎譲「やどかり」

僕は『俊読2017』のボーナストラック的に冒頭2篇を担当しました。同じ谷川俊太郎のまったく異なる作風の詩を選んだ方がいたり、偶然ふたりが同じ『ウンベルト・サバ詩集』から対照的な作品を持ち寄ったり。

普段なかなか知り合うことのない作者や作品に触れることができるのも、その作品が好きな人から愛情をもって紹介してもらえるのも、誰かが持ってきたはじめて聴く/読む作品の素敵なところや洒落た技巧を見つけて伝えるのも、ひとりで読書をしているだけでは味わえない。別の愉しみがあります。

現役のレッスンプロ(?)として受講料をもらい毎月教室を開いてた頃は、入念な下調べをして、合評は斬るか斬られるか、みたいな気持ちもありました。時間とともに詩とのつきあい方が変わり、当時の緊張感から解放されて、いまは詩との出会いをずっと素直に楽しめるようになりました。それは豊かなことだと思います。

参加者の皆様、tag cafeさん、そして杵渕里果さん、どうもありがとうございました。また来年も下北沢で会いましょう。


 

2017年7月9日日曜日

第21回TOKYOポエケット

真夏日。名古屋場所初日。都営地下鉄大江戸線で両国まで。江戸東京博物館で開催された『第21回TOKYOポエケット』にプリシラ・レーベルのブースを出店しました(TOKYOポエケットとプリシラ・レーベルのあらましについてはこちらこちらをご参照ください!)。

本人のつもりとしてはいつまでも青二才感が満載なのですが、数回抜けてはいるものの1999年の第1回からずっと参加しているプリシラ・レーベルは気づけばすっかり老舗になっていました。

プリシラ製品をお買い上げいただいたお客様にももちろん大感謝です。いまごろ世界のどこかでお楽しみいただけていたら幸いでございます。毎年接客販売に注力して、せっかくの詩人のみなさんとの交流がなかなかできず、不義理も多々ありましたが、今年は新作がなかったのと、近年弊社で作品制作をした小夜さん石渡紀美さんがお手伝いに来てくれたので、他のブースもゆっくり拝見し、ご挨拶ができました。

お隣が東京荒野さんと詩人類さんで、俊読2017でもお世話になった桑原滝弥さんやリーディングの第一線で長く活躍している馬野ミキさんたちと楽しく過ごしました。2000年代初頭からフィクショネス詩の教室に通っていた懐かしい生徒さんとも再開し、出会い直しの一日でした。

リーディングゲストのおふたり。URAOCBさんの硬質なフロー、技術とパッションが拮抗した高密度のアクト。暁方ミセイさんの朗読はシンプルでオーソドックスながら素直な発声と真摯で丁寧な表現が美しかった。自分もかなり昔にゲストとしてステージに上がったことがあるのでアレですけれど、パフォーマンスがつまらないと「早く終わって売らせてくれ」ってなっちゃうんですが、今年は2組ともクオリティが高く集中して聴けました。

続けるって本当に大変で尊いこと。主催のヤリタミサコさん川江一二三さん、モギリ死紺亭柳竹さん、バウンサー乗越たかおさん(舞踏評論家)にビッグアップ。いつもありがとうございます。


 

2017年7月5日水曜日

TRIOLA a live strings performance

夕立が上がった水曜夜。下北沢leteへ。TRIOLA a live strings performance波多野敦子さん(作曲、5弦ヴィオラ)と須原杏さん(ヴァイオリン)の現体制で再始動後、1周年となる5回目のワンマンライブにお邪魔しました。

珊瑚虫の産卵をイメージし、浅瀬に差す陽光のたゆたいを描いたようなスローナンバー "CORAL" から始まったライブは、2曲目以降怒涛の新曲ラッシュ。2012年3月の triola presents "Resonant #7" のレビューで「はじめて披露されたふたつの新曲のうち、『新曲2』とだけ紹介されたインストゥルメンタル・ナンバーの逸脱ぶりがすごかった」と書きましたが、その「新曲2」が初期の習作に思えるぐらい、現在のTRIOLAの音楽は充実した逸脱感に溢れています。

ヴァイオリンとヴィオラという弦楽器2棹のみによる生演奏は、エフェクターこそ使用しているものの、あくまでも味付け程度で、leteのサイズだと基本的には生音の存在感が強いのですが、にもかかわらず、急発進、急加速、急停止の繰り返しにより立ち現れる感触は、ノイズ/インダストリアル、テクノ/エレクトロニカ、ミニマル/アンビエント。緻密で硬質な波多野さんのスコアをどこまで有機的且つ柔軟に再構築するか、踏み外すぎりぎりのエッジを模索するようなスリルがあります。

以前のtriolaのワンマンでは、肖像音楽といって、観客のひとりのプロフィールを聴いて即興演奏をするコーナーを時々設けていました。今回は客席からお題をもらい、杏さんの先導でリアルタイムでアンサンブルを組み立てるという枠があり、「桃」「金魚」「暑い」の3曲がその場で創られ空間に消えていきました。

そのプロセスを間近に聴くと、杏さんはどちらかというとフレ―ジングから、波多野さんはヴォイシングからアプローチしているのが特徴的でした。かつての中近東/東欧寄りの哀愁漂うメロディも素敵でしたが、「金魚」のオリエンタルな旋律を聴くと、東アジア的な曲調も現在のTRIOLAには似合うんじゃないかな、と思います。

波多野さんが「部屋着姿」、杏さんが「すっぴん」と言う、会場限定CD-Rのスタジオテイクは繊細且つ丁寧に配慮が行き届き、ワイルドな縦乗りのライブ演奏とはまた異なる魅力がありました。

 

2017年6月24日土曜日

THE SPACE WE LIVE BY VOL.4 サトーカンナ "Make It Obvious"発売記念 ヤマグチヒロコ×サトーカンナ ツーマンライブ

よく晴れた土曜日のお昼時。下北沢440で開催された『サトーカンナ下北沢レコード PRESENTS "THE SPACE WE LIVE BY VOL.4" サトーカンナ "Make It Obvious"発売記念 ヤマグチヒロコ×サトーカンナ ツーマンライブ』に行きました。

カンナさんとは昨年1月に Poemusica Vol.46 で共演して以来。その時はアコースティックギターとのデュオで歌声をループマシンで多層に重ねた、どちらかというをダークな曲調が多かった印象です。器用さと洒脱なところは相変わらずですが、今回はドラムス、ベース、ギターにサウンドエフェクト、カンナさん自身のキーボードという編成でオーソドックスかつシンプルながら体温を感じさせる演奏で聴かせて、楽曲の良さが際立ちます。

1年半ぶりに彼女の音楽を聴きました。その間にはきっと迷ったり悩んだりしたこともあるのだと思います。そんな心情の揺れも音楽から伝わってきますが、全体的なトーンとしてはおしゃれで知的でポップ。例えば、 新譜の1曲目でライブでも最初に演奏された「ものごと」にはRADIOHEADの初期の隠れた名曲 "high & dry" のメロディをさりげなく挟み込む小粋な趣向。あえてなのか、ボーカルのピッチの少々甘めなところはポータブル・ロックを思い出させる。

カウンターカルチャーに基礎を置くが、メインストリームの流行もちゃんと押さえている。知識の引き出しが多く話していて飽きない。カンナさんみたいな子がクラスにいたらきっと、本やレコードやビデオを貸し借りする良い友達になれたんじゃないかと思います。

共演のヤマグチヒロコさん。アシンメトリーなマッシュルームカットに木綿のミニワンピースという姿で、ループマシンを駆使したソウルフルなポップミュージックをステージ上でリアルタイムに構築していく手際には、一流の職人芸を見る清々しさを感じます。ラップナンバー "Dance With You"が良かったです。アンコールの2曲、salyu × salyu の「続きを」、スタンダード "May You Always" のデュエットも素敵でした。

ということで、6月3本目のレコ発ライブでした。リリースパーティというのは特別な祝祭感があってやはりいいものですね。



 

2017年6月22日木曜日

mandimimi 1st EP "Unicorn Songbook: Journeys" リリース記念ライブ

夏日でも6月なので日が落ちると涼しい。渋谷サラヴァ東京へ。mandimimiさんの1st EP "Unicorn Songbook: Journeys" リリース記念ライブにお邪魔しました。

台湾系アメリカ人SSWの Mandyさんは、台湾高雄で生まれ、米国西海岸シアトルに家族で移住。その後、八戸、神戸を経て、現在は東京在住です。ソロプロジェクト名をmandimimiに改め、6曲入りのEPを発表。

そのライフスタイルはノマド的というより、もっと土地土地にしっかりとした生活の基盤と人間関係を築いているように思えます。CDタイトルのJourneysにちなんで、これまで暮らした地で綴った歌を唱うという構成でした。

彼女とは昨年4月に等々力の生花店Iriaさんで出会いました。笑顔で生まれてきてそのまま大人になる人がいるんだなあ、というのが第一印象。口角が常に上がっており、笑うと更に目が三日月型になる。ゆるふわな語り口とナチュラルなビジュアルには、同性が思わず「かわいい!」と言ってしまう要素が詰まっています。

敢えてタイム感やグルーヴを排除し、過剰なまでにレガートを重ねたノスタルジックなピアノの響きは、Harold Budd 的なアンビエンスで空間を浮遊する。

なんだろうこの懐かしさは、と思って聴いていましたが、アンコールで歌ったニール・ヤングの "Only Love Can Break Your Heart" に至ってやっと気づきました。ミディアム~スローテンポと語尾が微妙にフラットするスウィートな中音域のウィスパーヴォイスにコーティングされていますが、自作の楽曲の骨格はグランジ~ミクスチュア~エモ。彼らが時にはっとするような美しいバラードを歌う。その瞬間を濃縮還元したかのようです。やはり思春期をシアトルで過ごした影響が強いのかもしれません。昨夏のギャラリーイベント限定シングルでは Death Cab For Cutie の "Transatlanticism" をカバーしていました。

中国語、英語、日本語のトリリンガルなMandyさんですが、歌詞は英語が大半。完璧なイントネーションの日本語を話すのに、日本語詞を歌うとちょっとだけたどたどしくなるところも逆にチャーミングです。

途中から加わった照井陽平さんのガットギターとコーラスも終始優しく、mandimimiとしての出発を会場全体が静かに祝福していました。



2017年6月12日月曜日

MINAKEKKE "TINGLES" RELEASE PARTY

MINAKEKKEさんとは以前、2013年10月にPoemusica Vol.22で共演しています。当時はMinakoさんというお名前でした。その後MINAKEKKE になって、4月に1stフルアルバム "TINGLES" をリリースしたばかり。俊読2017のリハーサルと本番の間に渋谷タワレコでゲットしました。

芝浦インクスティックで観たThe Jesus And Mary Chain、後楽園ホールのCocteau Twins等々、折に触れて思い出すライブがありますが、この日のこともきっとこの先何度も思い出すと思います。

"TINGLES" レコーディングメンバー全員(&IKILLU 神田愛実さん)による演奏。更にPAにはレコーディングエンジニアの葛西俊彦さん、VJにジャケ写を撮った丹澤由棋さん。アルバムの全11曲だけを収録順に演奏しました(最終曲 "TINGLES" がアンコール)。アルバムに絶大な自信を持っていることが伝わってくるし、なによりアルバムを気に入って聴きに来ているオーディエンスにとって一番のギフトだと思います。

元来彼女は表情豊かなほうではなく、感情の起伏もおそらく少ない。MCは最小限。その歌声にはElizabeth FrazerHarriet Wheeler の残響があります。自己愛、自己嫌悪、自己表現や自己言及よりも、1990~2000年代UKロックに対する憧憬とリスペクト(そして少々のコンプレックス)が優っており、陰鬱な曲調でも聴いていて息苦しくならないのは、そのあたりに秘密があるのかも。

アルバムでは地味な存在に思えた "MARIAN" が強烈な四つ打ちのキックに乗ってフロア映えするソウルフルなダンスチューンになっていたり、アルバムを忠実に再現するのではなく、今日しかないエモーションがところどころではみ出して聴こえて来るのはライブならではの醍醐味です。

ゲストの高井息吹と眠る星座のアクトも素晴らしかった。ソングライティングの確かさ、声の力、演奏技術、アイデア、ダイナミズムとグルーヴ。どこを取っても振り切れています。そして手がつけられないほどの生命力に溢れている。これからもっとずっと高いステージに上がっていくことは間違いないでしょう。


2017年6月11日日曜日

ことばーか10 ~ザ・ファイナル

空梅雨。晴天の日曜午後、東京メトロ東西線15000系に乗って早稲田まで。ブックカフェCAT'S CRADLE蛇口さんが年一回主催しているポエトリ-・リーディング・ショー『ことばーか』の第10回目にして最終回にお邪魔しました。

蛇口さんには同じ棒読み派詩人として勝手に親近感を抱いています。かといってのっぺり無表情かというとそんなことはなく、彼の選ぶ言葉の連なりにはエモーションがあり、リーディングにはグルーヴがある。

石渡紀美さんの最近のパフォーマンスの充実ぶりには目を瞠ります。以前はもっとがちゃがちゃしたところがあって、それはそれで面白かったのですが、静けさのなかに単語を置くようないまの朗読の凄み。庶民的なのに何か人を寄せつけないところ。

馬野ミキさんがロン毛(というよりマッシュルームカットか)になっていました。スキンヘッドの印象が強かったので。この詩人はどんな汚い言葉を使っても喚起する映像が澄んでいます。いくつになっても幼児の目を失わない人。

今回の出演者ではギタリストのヤスオ・トゥワープ氏だけが初めてでした。ひとりジャグ。粗野に見せかけて超リリカル。彼と蛇口さんと石渡さんの3人で始めたイベントだということも、そのあとふたりが抜けて蛇口さんだけ残ったことも初めて知りました。

さいとういんこさんも強力でした。「S・R・H」(白髪、老眼、閉経)。なんていうか、若いミュージシャンや詩人が等身大とか言ってるのがちゃんちゃら可笑しくなるぐらい。リアルとはこういうこと。そしてチャーミングな方法で提示すること。

桑原滝弥さんは自叙伝風の散文詩。彼の声は大まかに2種類あるのですが、鋭くて硬質な声を中心に置き、時折テンポダウンして倍音混じりの深い低音に転じる。この2声のバランスと転換の鮮やかさが今日は絶妙に決まって。

15年以上前から共に場数を踏んできた盟友たちの名人芸に聴き惚れた日曜日の午後でした。


2017年6月3日土曜日

カフェ・ソサエティ

水無月。日比谷TOHOシネマズみゆき座で、ウディ・アレン脚本監督作品『カフェ・ソサエティ』を観ました。

舞台は1930年代ゴールデン・エイジ。NYブロンクス出身のユダヤ人青年ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)はキャスティングエージェントとして成功した伯父フィル(スティーブ・カレル)を頼ってハリウッドに出る。フィルの秘書ヴォニー(クリステン・スチュワート)に恋をするが、彼女は伯父の愛人だった。

一度はヴォニーの心を掴んだボビーだが、結局ヴォニーはフィルと結婚してしまう。失意のボビーはニューヨークに帰り、兄ベン(コリー・ストール)の経営するナイトクラブのマネジャーになって成功する。そして数年後の再会。

「片想いは結核よりも多く人を殺す」。得意のロマンティックコメディをアレン監督が職人芸で魅せます。ストーリーが斬新でなくても、ギャグやスラップスティックがなくても、随所にセンスが光る。

ヴォニー「夢は夢よ」、ボビー「永遠に続く感情もある」。気の利いた台詞ときめ細かい演出で登場人物の揺れる心情を描き、映画の後半にはきっとみんな主人公ボビーを応援したくなると思います。

ただのよくあるラブストーリーに終わらないのは、ボビーの実家のユダヤ人一家のひとりひとりがエキセントリックで面白いから。興奮するとイディッシュ語になるけれど「こちらは雨よ。美しいけれど物悲しい」と息子に詩的過ぎる手紙を書く母親。理屈っぽい哲学者の義兄。そして息をするように自然に気に入らない者たちを銃殺する実兄。カリカチュアライズされた描写が最高に笑えます。

全篇に流れるノスタルジックなジャズVince Giordano And The Nighthawks の"The Lady Is A Tramp" がメインテーマ)、シャネルが提供したハリウッドセレブたちのゴージャスな衣裳。名匠が肩の力を抜いて、手を抜かずに創ったチャーミングな工芸品を堪能しました。

 

2017年5月28日日曜日

日曜音楽バー ラストアサノラ

リスペクトする音楽家ノラオンナさんが日曜日だけ店長を務める『日曜音楽バー アサガヤノラの物語』。毎週一組のミュージシャンの食事付ワンマンライブが開催されてきましたが、会場のBarトリアエズの閉店により、今回がラストアサノラ

もともと銀座コリドー街のバーときねで2011年末に始まった『銀座のノラの物語』にはじめてお邪魔したのが2012年5月のノラミタ(ノラオンナと見田諭)の回。同じ年の春先に下北沢SEEDSHIPでノラオンナさんと初共演した直後のことです。

それから銀座で2回、2013年7月に阿佐ヶ谷に引っ越してから6回、計8回も出演者としてお世話になり(銀座の2回目はラスト銀ノラでした)、観客としてもしばしば訪れて、音楽と食事とハイボールを楽しみました。

ラストアサノラのバイキングは、これまでのアサノラ弁当の集大成ともいえる内容で素晴らしかったです。「おいしい。もう一口食べたい」という長年の願望がビュッフェスタイルで叶えられました。

古川麦くんはカバー多めのセットリストで生来の優しさと知性を丁寧に手渡すような演奏。はじめて聴いたストラトキャスターの音色がクリアで柔らかかった。ノラさんはほろ酔いな雰囲気で、普段は空気がちょっとピリっとするようなところも魅力なのですが、今夜は超リラックスモード。それでも最終回の感傷だけに浸ることなく、麦くんは「LOVE現在地」、ノラさんは「都電電車」と、各々最新曲で締めたあたり、これからを感じさせるライブだったと思います。

銀座の地下3階のしんと静まり返った密室感と、住宅街の通りに面して大きなガラス窓から人々の営みを望む阿佐ヶ谷。対象的なシチュエーションではありましたが、そこで提供される音楽とノラさんの心づくしの手料理はいつもクオリティのあるものでした。

7月からは西東京市の西武柳沢に自分の店ノラバーを持つノラさん。日曜音楽バーも2度目のお引っ越しです。敬愛する詩人、故田村隆一氏がかつて暮らした保谷で、紡がれる新しい物語を楽しみにしています。


 

2017年5月27日土曜日

夜明け告げるルーのうた

夏日。T・ジョイ PRINCE品川湯浅政明監督作品『夜明け告げるルーのうた』を鑑賞しました。

舞台は、フカヒレと人魚の町日無町。入り江の奥に寂れた漁港と水産加工場があります。主人公・足元海(声:下田翔大)は鬱屈した中学3年生。両親の離婚により釣舟屋と傘製造を営む父親の実家に引越してきた。宅録を動画サイトにアップして高評価を得ている。

中学の同級生の遊歩(声:寿美菜子)と国夫(声:斉藤壮馬)にバンドに誘われ、練習場の島で、人魚の女の子ルー(声:谷花音)に出会う。人魚を忌み嫌う者と町おこしに利用したい者、大人たちの思惑と大浸水で小さな町は大混乱になってしまう。

先月公開した同監督の『夜は短し歩けよ乙女』が良かったので、帰りに窓口で前売を購入したのでした。湯浅監督らしい斬新なアニメーション表現が随所に見られて僕はとても楽しめました。『夜は短し~』のビールの描かれ方に「おおっ」ってなりましたが、今作も海水をキューブ状にして宙に浮かせる描写が素晴らしいです。動きを通じて質量がしっかり感じられる。回想シーンの切り絵みたいなフラッシュアニメーションも美しかった。

一方で、カイやユウホなど主要なキャラクター気持ちがどのような理由あるいは出来事で変化したかが充分に描かれていないように思えました。ルーや端役の心理描写には一貫性があるので、よけいにそう感じてしまうのかもしれません。そのため、登場人物に感情移入しないと気が済まない、または物語への共感の度合いが唯一の価値基準になっているタイプの観客には訴求しないつくりだと言ってもいいと思います。

崖の上のポニョ』『リトル・マーメイド』、更に遡れば『魔法のマコちゃん』、実写なら『スプラッシュ』とマスターピースたちが存在する人魚ものに敢えてチャレンジした湯浅監督の勇気を讃えたい。その深層には3.11以後の津波に対する恐怖を乗り越えたいという強い意思があるのではないでしょうか。

主題歌は斉藤和義の「歌うたいのバラッド」。1990年代のJ-POPを代表する名曲中の名曲です。1992年、メジャーデビュー直前のライブを渋谷エッグマンで観たことがあります。誘ってくれた友だちは翌年他界しました。生きていれば斉藤和義と同じ50歳です。



2017年5月20日土曜日

胎動 Poetry Lab0. vol.6

ザ・ファースト・デイ・オブ・サマー。西荻窪 ALOHA LOCO CAFE で開催された『胎動Poetry Lab0. vol.6』に出演しました。

ハードコアやヒップホップを中心にCD制作やイベント企画をしている 胎動レーベルさんが主催するポエトリーライブ。プリシラレーベル枠をいただき、 石渡紀美さん小夜さんと3人でお呼ばれしたというわけです。

4時間近い長尺イベントでしたが、出演者がバラエティ豊かな芸達者揃いなのに加え、 ガチャ山口さんの端正なMCとアクトの間に挟まる 000(Zer0)さんのDJタイムも良い切り換えに。ポエトリーリーディングのライブはどうしても進行が間延びしがちなのですが、ヒップホップのパーティにも通じるテイストで、ほとんど長さを感じませんでした。

オープニングアクト、ポエトリーラップの ザマさん。熱かった。短歌の 桜望子さんは連歌(独吟百韻)。ふたりとも大学生です。

Fcrow(ふくろー)さんもポエトリーラップだけど、ザマさんに比べると軽妙で余裕があるなあ。ちょっとコミカルで唄要素が強い。でも意外と芯を捉えていて「言葉の力とか言ってたんですけど、言葉そうでもないなあって」。伝えたいようには伝わらないことを知り、次の一歩を踏み出した人はきっと強くなる。

オープンマイクを挟んで、 木下龍也さん。歌人ですが、短歌朗読ではなく、観客にカンペを持たせ脱構築且つ超脱力な 杉田玄白ラップをかまし、最後は切なくも笑える恋愛詩で締める。貴公子。

Anti-Trench向坂くじらさん(Poetry)と 熊谷勇哉さん(EG)。エモい。くじらさんの詩は技巧的というか、客観的で対象から一歩引いたようなところがあって好感を持っていたのですが、声に出すととてもエモい。結構これは両刃なんじゃないでしょうか。

そして、石渡紀美さん、小夜さんと続きました。身びいきではなく、小夜さんの朗読は会心の出来だったと思います。最後の出番が僕でした。

1. 無重力ラボラトリー(feat. 小夜)
2. International Klein Blue
3. ANOTHER GREEN WORLD
4. スターズ&ストライプス
5. 永遠の翌日
6. (feat. 石渡紀美 & 小夜)

デュオ、トリオ入れて全6篇。これ以外に石渡紀美さんが「 森を出る」を朗読してくれました。年代的な要因もあるのかもしれませんが、作品あるいはパフォーマンスと演者の距離が遠いのがプリシラなのかな、と思いました。創作や発表の結構早い段階で自己表現には興味がなくなってしまった。むしろ感覚的には、作品に表現させられている。そしてその作品を創っているのがたまたま自分。というぐらいが心地良いし、読者やオーディエンスにできるだけ余地を残したいのです。

ご来場のお客様、会場スタッフさんたち、オープンマイク参加者と共演者の皆様、DJ000さん、司会のガチャ山口さん、主催者胎動レーベル ikomaさん、どうもありがとうございました。



2017年5月6日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017 ③

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017』3日目の最終日、有料公演は3つ聴きに行きました。

■公演番号:364 
G409(ヌレエフ
15:15~16:00
梁美沙(ヴァイオリン)
広瀬悦子(ピアノ)
シューベルトヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番 ト短調 D.408
モーツァルトヴァイオリンソナタ第21番 ホ短調 K.304
ストラヴィンスキーイタリア組曲(バレエ「プルチネルラ」から)

初日の無伴奏(ソロ)、2日目の弦楽アンサンブル、3日目はピアノとデュオ、と3形態の梁美沙さんの演奏を聴きました。シューベルトとモーツァルトは短調の楽曲でしたが、上へ上へとどんどん伸びていくようなヴァイオリンの音色、それにつれて爪先立ちになって演奏する姿を記憶に刻みました。スラヴィンスキーの終盤でアンサンブルが少々乱れたのは3日間で6公演と大活躍の疲れもあったのでしょう。

■公演番号:345 
ホールC(バランシン) 19:00~19:45
パスカル・ロフェ指揮
フランス国立ロワール管弦楽団
ラヴェル古風なメヌエット
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」

今回唯一のフルオーケストラプログラムは、典雅な中世の舞曲と見せかけて実はレプリカントなラヴェル(上述のストラヴィンスキーのイタリア組曲と似た位置付け)とアコースティック楽器によるノイズ/インダストリアルの元祖「春の祭典」という攻めのセットリスト。フランス人の指揮でフランスのオケが演奏すると、ロシアのルサンチマンともドイツのコンストラクションとも違う、八方破れな狂気が炙り出されます。

■公演番号:367 
G409(ヌレエフ)
20:45~21:30
ドミトリ・マフチン(ヴァイオリン)
ミゲル・ダ・シルバ(ヴィオラ)
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏 ト長調 K.423
ヘンデルハルヴォルセン編):パッサカリア

LFJ2017の最終プログラムはヴァイオリンとヴィオラという最小単位弦楽アンサンブルでした。ロシア人とスペイン人のおっさんふたり(でもおそらく年下)。共通点は眼鏡で小太り。わずかにピッチが甘いところがあったものの、それを帳消しにするハイテンションで楽しい演奏でした。もはやこのプログラムのどこがダンスなのかはアレですが(笑)。

昨日は市民階級の台頭により、宮廷舞踏会が演奏(観賞)会に、つまりお金を払えば身分に関係なく音楽が楽しめるようになったかわりに、ダンスミュージックの機能が失われたというところまででしたが、宮廷舞踏が一方ではバレエという形式に洗練され専門職化する過程を今日は辿りました。ダンスは踊るものから観賞するものに。ここにもうひとつのパラダイム転換があった。

では一般市民からダンスの習慣が完全に失われたのかというと、そういうことではない。ホールEの無料プログラムで途中から観たテリー・ライリーの「in C」はミニマルミュージックの古典であり記念碑的作品です。地下の円形ステージを周回しながら踊る老若男女の姿は全く洗練されておらず東洋人らしい不器用なものでしたが、この不器用で好き勝手な身体表現の衝動こそダンスの本質ではないか、と思いました。