2022年8月13日土曜日

ブライアン・ウィルソン 約束の旅路

台風間近。TOHOシネマズ日比谷シャンテブレント・ウィルソン監督作品『ブライアン・ウィルソン 約束の旅路』を観ました。

今年80歳になるブライアン・ウィルソンThe Beach Boysのリーダー。2人の弟デニスカール、従兄マイク・ラヴ、同級生アル・ジャーディンの5人バンドで、ソングライティング、編曲、プロデュース、ベース、ボーカルを担当していた。米国ポップミュージックの最重要人物のひとりだ。

ミュージシャンのインタビューといえば自宅のカウチやスタジオのコンソール前が定番だが、本作では旧知のジャーナリスト、元ローリングストーン誌編集者ジェイソン・ファインが運転するポルシェでロサンゼルスのゆかりの地を巡りながら自らのキャリアを語る助手席のブライアンをダッシュボードからとらえた映像が大半を占める。

両作とも本人が制作に携わっているため、そのライフストーリーは伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(2015)と大きく異なる点はないが、早逝した弟デニス・ウィルソンが生前唯一リリースしたソロアルバム "Pacific Ocean Blue" を初めて全編聴くシーンやThe Beach Boysの "Holland" (1973)のために渡欧をセッティングしたジャック・ライリーが3年前に亡くなっていたことを知らされたときの落涙など、胸に迫るシーンがあります。

アメリカのショービズ・ジャーナリズムといえば、歯に衣着せず、聞きにくいところもずけずけ切り込むという印象がありますが、本作では長く統合失調症を患うブライアンの精神状態に配慮してか、高圧的な父親からの虐待、薬物依存、"Pet Sounds"、"Smile" 制作時の他メンバーとの確執、精神科医ユージン・ランディとの共依存とも洗脳ともとれる関係性とそこからの離脱といったダークサイドについてはあっさり触れられる程度でした。

同時代、次世代のミュージシャンのコメントでは、クラシック指揮者グスターボ・ドゥダメルが異色で新鮮なのと「南カリフォルニアについて再定義し、世界に広めた」と評するブルース・スプリングスティーンがロジカル&クール且つリスペクトに溢れている。音源では、スタジオのドン・ウォズが "God Only Knows" のマルチトラックマスターテープからコーラスパートを抜き出して聴くシーンが白眉です。

The Beach Boys の最大の特徴は1960年代のロック界の主流であった社会や体制に対する反抗的な態度を前面に出さず、むしろ積極的に資本主義にコミットしたことだと思います。Rebelというアウトプットはむしろ健全であり、表面的なRebelよりも音楽のQualityを純粋に突き詰めていったブライアン・ウィルソンは、深い闇を内面に抱えてしまった。若さと成熟の軋みによって生まれた作品群が時代を超えてクラシックになったのは皮肉でもあり希望でもあります。

 

2022年8月12日金曜日

映画 ゆるキャン△

山の日。TOHOシネマズ錦糸町楽天地京極義昭監督作品『映画 ゆるキャン△』を観ました。

志摩リン(東山奈央)は名古屋のしゃちほこ出版で営業部から編集部に異動になりタウン誌『しゃちほこさんぽ』の記者をしている。高校の同級生で野外活動サークル(通称:野クル)の部長だった大垣千明(原紗友里)から「今、名古屋にいるのだが」というLINEを受け取る。千明は東京のイベント企画会社を辞めて地元に帰り、やまなし観光推進機構に勤めている。

酔った勢いでタクシーを飛ばし夜明け前に着いた先は山梨県南巨摩郡富士川町高下の青少年自然活動センター跡地。東京のアウトドアショップに勤める各務原なでしこ(花守ゆみり)、横浜でトリマーになった斉藤恵那(高橋李依)、地元山梨の鰍沢で小学校教員をしている犬山あおい(豊崎愛生)。高校時代のキャンプ仲間に声を掛け、理想のキャンプ場作りが始まる。

終始ローテンションな一匹狼のリンを主人公に置いたことがこのシリーズの成功要因かもしれません。熱血な千明も天真爛漫ななでしこもリンの領域には無理に踏み込まない。温厚なあおいとマイペースな恵那。5人がゆるくつながるときに生じるチルで優しい空気。

なでしことあおいが中心になって作る食欲をそそるキャンプ飯の数々は社会人になって予算に余裕が出て食材も調味料も充実しています。一方で、なでしこが勤め先に初めて来店した女子高校生に「最初は泊まらなくてもいいし、焚き火して食事はインスタントでも楽しいですよ」というアドバイスも真理を突いている。

キャンプで三食作って食べて片付けてを全部やるとそれだけで一日費やしてしまいます。登山や川遊びやおしゃべりやハンモックにのんびり揺られる時間を作るには、カップ麺やレトルトに頼っていい。

劇場版ならではの背景の細やかさも。松竹映画の富士山から劇中の夕暮れの富士山のシルエットにモーフィングして、花火が上がるオープニングが最高です。

 

2022年8月6日土曜日

ギルバート・グレイプ


舞台は1980年代のアイオワ州エンドーラ。草原の真ん中にぽつんと建つ家にギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は家族と暮している。

父親は7年前に自殺し、ショックで母親(ダーレーン・ケイツ)は過食になり、200kg超の巨体で何年も家を出ていない。弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)は重度の知的障害のあるトラブルメイカー、高校生の妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)は生意気盛り。姉エミー(ローラ・ハリントン)が家事を担い、小さな食料品店で働くギルバートと家庭を支えている。

10歳まで生きられないと医師に診断されたアーニーが18歳の誕生日を迎える6日前。ベッキー(ジュリエット・ルイス)と祖母(ペネロープ・ブランニング)がトレーラーハウスでエンドーラに現れる。誰もが通り過ぎるだけの町だが、キャブレターの故障により町外れの湖畔にしばらく滞在することになる。

「音楽のないダンスのような町」と自ら評する故郷で自我を殺して家族のために生きるギルバートは、「見た目はどうでもいい、何をするかが問題なの」というベッキーに望みを尋ねられても「妹が大人になること、ママにはエアロビクス、アーニーには新しい脳」と家族のことしか思いつかない。自分は? と再度促されてやっと絞り出した答えが「いい人間になりたい」。

ギルバートは誰に向かってもけっして問いを投げることをしない。諦観しすべてを受け入れようとしている。1993年の制作当時にその呼称はなかったか、知られていなかったが、これはヤングケアラーの物語。

TCG系列の都内3館で始まった『12ヶ月のシネマリレー』の1本目として上映中の本作は、『スモーク』『天使の涙』と並んで、僕のライフタイムベストムービー1990年代部門に必ずランクインする作品です。

すべてのカットが美しく且つリアリティを持ち、無駄なシーンがひとつもない。役者たちが全員はまり役で完璧な芝居をして、カメラワークも音楽も素晴らしい。地平線まで何もない広大な景色が狭いコミュニティで生きる若者だちの閉塞感を増幅し、小さな気まずい事件が次々に起こるのだが、最終的に心温まり優しい気持ちになれるという奇跡の一本。

VHSに始まってDVDやBS放送も含め7~8回は観ている作品で、ディカプリオの早熟の天才ぶりに都度圧倒されてきましたが、今回あらためて映画館の大スクリーンで観て、ジョニー・デップの繊細な演技と美術の精妙さに感動しました。

 

2022年7月28日木曜日

偶然と想像

夜のにわか雨。早稲田松竹濱口竜介監督作品『偶然と想像』を鑑賞しました。

「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」という各々20代、30代、40代女性を主人公とした約40分のショートフィルム3篇からなります。

3つの物語のあいだにはストーリー的にも登場人物的にもつながりがなく独立しているのですが、偶然と想像というテーマでひとつの大きなバイブスを形成しているように感じました。

「怒っているとしたらこの運命にかな」「リズムがあるじゃない? 私たち、口喧嘩してても」(魔法(よりもっと不確か))、「言語化できない未決定な領域に踏み止まる才能です」(扉は開けたままで)、「一番大事なことのために戦わなかった後悔」(もう一度)。

隅々までよく練られた緊張感のある戯曲(とあえて呼びたい)を持つこの作品における濱口監督の演出は舞台演劇的。台詞の発声が明瞭で抑揚を強調せず、基本的にひとりの役者の声を相対するもうひとりの役者の声に重ねることがない。感情や身体性よりも言葉の意味をより強く打ち出してきます。

そのなかで異色を放つのが、映画冒頭のタクシー内における雑誌モデル芽衣子(古川琴音)とヘアメイクつぐみ(玄理)の親友同士の長尺の会話。つぐみの恋バナにつっこみを入れる芽衣子のタイム感が絶妙に心地良く、古川琴音さんの技術の高さ、センスの良さが光ります。恒松祐里さんと並んでこの世代では群を抜いているのではないでしょうか。

各篇の幕間とエンディングに流れるシューマンの『子供の情景』以外、生活音と俳優の声だけの音響です。淡々と進む展開だからこそ、インターネットの遮断された世界で最後に交わされる女性ふたりの抱擁が感動的です。

 

2022年7月23日土曜日

メタモルフォーゼの縁側

真夏日。TOHOシネマズ日本橋狩山俊輔監督作品『メタモルフォーゼの縁側』を観ました。

真夏日。夫の三回忌を終えた喪服の市野井雪(宮本信子)が陽炎の立つ横断歩道を渡ってくる。涼を求めて入った書店でBLコミック『君のことだけ見ていたい』を手に取る。レジを打つ高校生アルバイトの佐山うらら(芦田愛菜)は隠れ腐女子。祖母と孫ほど世代の異なるふたりの友情が始まる。

芦田愛菜さんのお芝居がすごい。スクールカーストの中の下あたりでぱっとしないうららに100%同化しており、芦田愛菜という本来は強い演技主体を微塵ものぞかせない。そのことで芦田愛菜ブランドを強固なものにしているという逆説。

雪の自宅の縁側でBLを語る生き生きとした瞳、怖じ気づいてコミティアの会場から帰り溢れる悔し涙、幼馴染みのイケメン河村紡(高橋恭平)に対する自身の気持ちを測りかね、その恋人でカースト最上位の橋本英莉(汐谷友希)に向ける完全に死んだ目は、CMやバラエティで見せる溌剌とした姿とは別人のもの。振れ幅の大きなそれらをひとつながりの人格として統合させ且つ作為をまったく感じさせない。

宮本信子、光石研生田智子ら、熟練の名優たちの演技が作られたものに見えてしまう。しかも芦田さんは彼らの演技を潰しには行かず、常に融和の可能性を見いだそうとする。うららとは台詞のやりとりのないBL漫画家コメダ優役の古川琴音が光ってみえたのはそのせいか。

モノローグを廃した岡田惠和の脚本と芝居の力を信じた狩山俊輔監督に応えて、役者たちが表情、発声、身体性で登場人物の内面を真摯に表現した良作です。

ブルースデュオT字路sの劇伴もいい。エンドロールで流れる芦田愛菜と宮本信子のデュエットでカバーしたT字路sの「これさえあれば」の芦田さんの歌声が芝居と同じぐらい素晴らしい。将来の夢が叶って医師になっても、歌うことだけは止めないでもらえたらと思います。

 

2022年7月17日日曜日

キャメラを止めるな!


自称「早い、安い、質はそこそこ」な映画監督レミー(ロマン・デュリス)は、日本でヒットした30分ワンカットのゾンビ映画のリメイクのオファーをB級映画専門チャンネル「Z」から受ける。

ゾンビ映画の撮影中の廃墟に本物のゾンビが現れ俳優たちも撮影スタッフもゾンビ化して撮影現場はパニックに陥ってしまう。

2017年の上田慎一郎監督作品『カメラを止めるな!』をフランスでリメイクするにあたり、追加されたのは上記のリメイクの依頼という二重三重の入れ子構造。日本側のプロデューサーマダム・マツダ役に竹原芳子(オリジナル作品時の芸名はどんぐり)の通訳役(成田結美)があらたにキャストに追加されています。

冒頭は完成した30分ワンカットのゾンビ映画、中間部約45分が撮影開始までのトホホな過程、最後の30数分がメイキングのドタバタという構成はオリジナル版と同じで、台詞も基本的には同じ。役者がフランス人、イギリス人、イタリア人ほか多国籍なのに劇中劇の役名が日本語のまま、監督はヒグラシ(仏語発音だとイグラシ)、主演のふたりはチナツ(マチルダ・ルッツ)とケン(フィネガン・オールドフィールド)とへんてこで、まず笑いを誘います(この伏線は後に回収される)。

俳優陣はみな芸達者で、特に主人公レミーの妻ナディア(ベレニス・ベジョ)のハジけっぷりが完全に振り切れていて爽快なのと父と同じ監督志望の娘ロミー(シモーヌ・アザナビシウス)が鬱屈しながらも両親に敬愛の情を持つ思春期の微妙な揺れをよく表現していました。この母娘役はアザナビシウスの実の妻子でもあります。

『カメラを止めるな!』はB級映画愛に溢れた傑作ですが、本作もオリジナル版へのラヴ&リスペクトに加え、フランス映画らしいアイロニィとオシャレ感もあるエンターテインメントとして、しっかり楽しめる作品に仕上がっており好感が持てます。

 

2022年7月12日火曜日

野生の少年

小雨の夜。生誕90周年『フランソワ・トリュフォーの冒険』からもう一本。角川シネマ有楽町で『野生の少年』デジタルリマスター版を観ました。

1798年、南仏アヴェロン。森にきのこ狩りに来た農婦が汚れきった全裸の少年(ジャン=ピエール・カルゴル)を発見する。猟犬を連れた村人に捕らえられた少年は四足歩行し言葉を話すことができない。幼くして親に捨てられ山中で木の実や草を食べ川の水を飲み独力で数年生き延びた。

少年はパリに移送され国立聾唖学校に入れられる。同級生たちに虐げられ、貴婦人たちの見世物にされる。イタール博士(フランソワ・トリュフォー)は少年をパリ郊外クルテイユの自宅に引き取り、ヴィクトールと名付けて、教育を施す。

トリュフォー監督作品の中ではメジャーではなく僕もはじめて観ました。18世紀末、フランス革命直後の啓蒙主義の時代背景を想像すると、イタール博士の指導はもっとスパルタだったのではないかと思うのですが、映画のイタール博士はヴィクトールを力で組み伏せることなく、心理的にも過大な負荷はかけない。できないことをさせようと何度か仕向けてもできないときは絶妙な頃合いですっと引き下がります。2022年の人権意識からするとぎりぎりな感じですが、撮影された1969年の感覚ではヴィクトールの人間性に過不足なく配慮していたのでしょう。

トリュフォー監督の芝居が達者で、イタール博士はヴィクトールのことを単なる研究対象ではなく、家族として愛情をもって接していたことが伝わります。トリュフォー作品はすべからく女性讃美映画だといわれますが、本作も例外ではなく、家政婦ゲラン夫人(フランソワーズ・セニエ)はどんなときでもヴィクトールを100%受容し、近所に住む酪農家レムリ夫人(アニー・ミレール)は食器を壊されても彼を温かく迎え入れます。

それだけに、いつかヴィクトールが野生に戻り、森に帰ってしまうのではないか、と感情移入し、はらはらしながら観ました。

ネストール・アルメンドロス撮影の白黒画面のカメラワークがハイコントラストで美しく、1969年というドローンのない時代にどうやって撮ったのだろうと思う上空からの俯瞰ショットが印象的な映画です。