2020年1月19日日曜日

リチャード・ジュエル

冬晴れ。ユナイテッドシネマ豊洲クリント・イーストウッド監督作品『リチャード・ジュエル』を観ました。

1986年、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。中小企業庁の備品係23歳のリチャード・ジュエルポール・ウォルター・ハウザー)は、法執行官を目指す正義感の強い堅物だが妙に気が利くところがある。弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)の好物であるスニッカーズを絶妙なタイミングで補充し、信頼関係を築いていた。

いくつか職を変えたジュエルは10年後の1996年、AT&T社が受託したアトランタオリンピック記念公園の野外ライブの警備員になった。ケニー・ロジャースのあと、当時大流行していたマカレナ、そしてジャック・マック&ザ・ハート・アタックの演奏中に爆弾事件が起きた。死者2名、怪我人100名以上を出したが、不審物を発見し観客を避難させたことで被害が最小限に食い止められたため、ジュエルは一躍英雄扱いされる。

犯人像のプロファイリングと前職の上司の証言により、FBIはジュエルを容疑者のひとりとして秘密裏に捜査を進めていたが、枕営業により捜査官ショウ(ジョン・ハム)が特ダネ記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)にリークしてしまい、一転ジュエルはマスメディアに追われる立場になってしまった。

母ボビ(キャシー・ベイツ)と弁護士ブライアントとジュエルの3人ががっちりと組み、無実を勝ち取るまでの88日間の実話に基づきます。デブでマザコンで愛国的で銃砲を愛好するホワイトトラッシュ(日本的に言うとワーキングプア)の主人公は、リベラルな知識層から見たら怪しいの一言。その先入観と視聴率ありきのメディアの暴力に対してイーストウッド監督は一石を投じています。

研ぎ澄まされた脚本、重厚な演出、俳優陣もみな気持ちの入った熱演をしています。なかでもイケイケのゴシップハンターが真実に気づき改心する様を視線と表情で演じたオリビア・ワイルドは上手いなあ、と思いました。

監督自身ジャズを好み、作曲や演奏をたしなむそうですが、本作のアルトゥーロ・サンドヴァルのスコアは緊迫感がありながら出過ぎず埋もれすぎず『グラン・トリノ』や『ジャージー・ボーイズ』に比肩する素晴らしさです。
 
 

2020年1月13日月曜日

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢

2日続けて角川シネマ有楽町へ。ニルス・タヴェルニエ監督作品『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』を観ました。

1873年、フランス共和国ドローム県オートリーヴ。郵便局員のシュヴァル(ジャック・ガンブラン)は無口で人嫌い。映画の冒頭で妻を亡くし、一人息子はリヨンの親戚に引き取られていく。しばらく経って新しい担当地域に住まう未亡人フィロメーヌ(レティシア・カスタ)と再婚し、娘アリス(ゼリー・リクソン)が誕生する。

しかし寡黙なシュヴァルは娘に愛情を示すことができない。新聞で読んだアンコールワット寺院発見の記事、郵便配達中に崖からを滑らせたときに掘り出した奇妙な形状の石をヒントに、郵便配達の傍ら、愛する娘のためにたったひとりで石を集め石灰を溶いて宮殿を作りはじめる。

「自然の生命から学びました。木々や風や鳥たちがはげましてくれます」「君が目にするのはある田舎者の作品だ」。実在の人物ジョゼフ・フェルディナン・シュヴァル(1836-1924)の後半生を描いた実話です。1879年に始まった宮殿建設は娘アリスの病死後も1912年まで33年間に亘って続く。ガウディと同時代ですが、建築の知識も経験もなく、設計図すら書かなかったシュヴァルの宮殿は、過剰で偏執的な外観を持ち、現代の用語でいえばアウトサイダーアートということになると思います。

はじめは幼い娘のために公園の遊具のようなものを自作していたつもりが、情熱がエスカレートしてしまう。我々が日々建築を見て言う、耐震性が、とか、機能性が、とかどうでもいいな、と思わされます。映画の作りそのものも本当に必要な要素だけで構成されており、例えば2人の妻も息子も死因の説明がない。それもまたこの素晴らしい作品の成立のためにはどうでもいいな、と感じました。

ニルス・タヴェルニエ監督は1965年の54歳。僕と同い年です。お父上のベルトラン・タヴェルニエ監督が1980年代に撮った『田舎の日曜日』や『ラウンド・ミッドナイト』には当時夢中になりました。調べてみたらまだご存命でしたが、その子ども世代がベテランの領域に入ってきているのが感慨深いです。

これまた『家族を想うとき』と比較してしまうのですが、現代の宅配便が企業から消費者への味気ない一方通行なのに対して、郵便は個人から個人へ、そしてまたその返信であり、時間をかけて繰り返される往還と、それを支える郵便配達人の存在は、失われつつあるロマンティシズムであると思いました。

 

2020年1月12日日曜日

ティーンスピリット

寒さが緩んだ曇天の日曜日。角川シネマ有楽町で、マックス・ミンゲラ監督作品『ティーンスピリット』を鑑賞しました。

2018年、英国ワイト島。酪農を営むポーランド系移民の娘ヴァイオレット・ヴァレンスキ(エル・ファニング)は17歳。高校に通いながら家業を手伝い、夜と週末はウェイトレスのアルバイト。母マーラ(アグニェシュカ・グロホウスカ)に聖歌隊以外で歌うことを禁じられていたが、酔っ払った老人がピアノ伴奏でダニーボーイを歌うようなパブで時々こっそり歌い家計の助けにしていた。

そんな場末のパブで彼女に声をかけた老酔客ヴラド(ズラッコ・ブリッチ)は、実はクロアチア出身の元有名オペラ歌手ヴラジーミル・ヴラコヴィッチ。ふたりは二人三脚で全国的なオーディション番組 UK TEEN SPIRITの頂点を目指す。

スクールカーストの下層にいて、ロンドンの本戦に向かうときも左手の甲にはバイトのメモがびっしり。ありがちなシンデレラ・ストーリーで主人公の葛藤も薄口ですが、エル・ファニングがスクリーンに投影されると、その画力の強さですべて帳消しにしてしまう。テンションが炸裂する決勝の歌唱シーンにはぞくぞくしました。

一方、山羊の乳搾りをしたり、馬の世話をしたり、草原で寝転んだりするヴァイオレットも美しい自然光で撮影されており、どっちが幸せなんだろうな、と考えてしまいました。英国の経済格差を描いた点は先週観た『家族を想うとき』と共通しますが、ケン・ローチ作品の直後だけに、本作のブレークスルーはファンタジーに見えます。

鮮やかな色彩、ドライヴ感溢れるカット割り、ブリブリの重低音を強調した音響設計はめちゃ格好良く、いまの十代に受け入れられると思いました。

 

2020年1月3日金曜日

家族を想うとき

三賀日のひとときを映画館の暗闇で過ごすようになって10数年。2020年の1本目はユナイテッドシネマ豊洲ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』を鑑賞しました。

2018年英国北部の旧炭鉱街ニューキャッスル。職を転々としているリッキー・ターナー(クリス・ヒッチェン)は、職業安定所の紹介で宅配業者と業務委託契約を結び、訪問介護士の妻アビー(デビー・ハニーウッド)の乗用車を売ってフォルクスワーゲンの大型バンを手に入れる。

個人事業主なので日報もノルマもないと言われたが、実態は過酷な長時間労働であり、社員マネジャーのマロニー(ロス・ブリュースター)の裁量によって業務量と収入は大きく左右されてしまう。

「懸命に探しても、もがけばもがくほど大きな穴に落ちていく」。eコマースの隆盛と高齢化を下支えする物流と介護。現代の先進国が最も直面している課題が労働者階級を蝕んでいます。夫婦の気持ちのすれ違い、反抗期の息子セブ(リス・ストーン)との断絶、理不尽なクレーム、居眠り運転、配達中の暴漢。つぎつぎに降りかかる災難。社会構造の問題でもあるのですが、「主人公は運に見放されているなあ」と思ってしまうのは、僕がとても恵まれた境遇にいるからなのでしょう。

原題の "Sorry, we missed you" は、不在票に印刷されているメッセージ。幼い娘ライザ(ケイティ・プロクター)がそこに「パパの下着を弁償して」と書き加える。純粋で素直なライザの存在が、救いのない物語で唯一の光明です。

役者はいずれもオーディションで選ばれた労働者階級出身者だそうです。みな気持ちの入った熱演で、83歳の巨匠ローチ監督の手腕も光る。ニューカッスルサポーターの配達先の住人が、リッキーのマンチェスターユナイテッドのユニフォームに気づき、20年以上前の試合のことを持ち出し本気で罵倒するシーンは笑えます。

 

2019年12月30日月曜日

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

師走の新宿駅地下コンコースの大雑踏に揉まれて。テアトル新宿片渕須直監督『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞しました。

昭和8年(1933年)12月の広島。商店街のスピーカーから "O Come All Ye Faithful"(神の御子は今宵しも)が流れてくる。既に大日本帝国軍はアジア各国の侵略を始めているが、クリスマスの街はいつもどおり賑わっている。

昭和19年(1944年)2月、主人公すず(のん)は18歳で軍港の街、呉に嫁ぐ。「冴えんのお。広島から来たからもっと垢抜けとると思うとった」と義姉径子(尾身美詞)に言われる。闇市への途上すずは花街に迷い込む。道案内してくれたリン(岩井七世)は、すずの夫周作(細谷佳正)がかつて思いを寄せていた遊女だった。

「あっけらかんとしていても、姿が見えなければ声は届かなくなる」。2016年に単館から始まり全国的に大ヒットした『この世界の片隅に』に約40分のシーンを追加したディクターズカット。すずと径子、姪の晴美(稲葉菜月)3人の関係を軸にして、前作にはなかったリンのエピソードを加えることで物語の陰影が深まった印象を持ちました。すずとリンの幼少期の出会いのシークエンスによって、すずと周作の出会いのファンタジックな設定をより自然に受け取ることができたように思えます。

戦時下にあっても日々の暮らしは続いており、すずは迷いも失敗も「うーーん」「ぐぬぬぬ」「あちゃー」でやり過ごします(玉音放送後に一度だけ声を荒げる)。のほほんとしたキャラクター造形は、のんの声と演技に拠るところが大きく、描かれる深刻な状況に救いをもたらしています。しかし戦争は次第に日常を浸食していく。市街地にも爆撃や機銃掃射が行われる。配給の食糧は減り、防空壕で眠れぬ夜を明かす。

そんな過酷な環境においても、4月になって桜が咲けば、大勢の人たちが集まって、ござを敷いて花見をする。花は見上げるだけなら無料だしなあ、と思いましたが、花見とは花の盛りを楽しむよりも、散りゆく春を惜しむ行事なのだ、とあらためて気づかされました。


2019年12月22日日曜日

カツベン!

曇り空。クリスマス前のショッピングモールの喧噪を抜けて。ユナイテッドシネマ豊洲周防正行監督作品『カツベン!』を観ました。

舞台は大正4年(1915年)の滋賀。貧しい少年染谷俊太郎は活動寫眞の作品よりも弁士が好きなヲタク。撮影現場で友だちとふざけて警官に追われて、撮影中のオープンセットに入ってしまう。一緒に逃げた梅子に万引きしたキャラメルをあげる。

10年後、ふたりが再会したとき、梅子(黒島結菜)は端役の活動女優、俊太郎(成田凌)は窃盗団の一味になっていた。俊太郎は才能を発揮し、国定天聲という人気活動弁士になる。

少年少女時代の冒頭シーンがとてもナチュラルなコメディタッチで周防監督も大人になったものだなあ、と感心しました。10年後、竹中直人渡辺えり徳井優田口浩正正名僕蔵らおなじみの脇役陣が勢揃いすると、一気に空気はいつもの周防組のテンポに。それでも過去作に顕著だった説明のための台詞(そしてそれは学生相撲、競技ダンス、芸妓というマイナージャンルに観客を引き込むために必要だった)が極力排されており、役者の芝居にすべてを語らせようという監督の意欲が伝わってきます。

「うたかたと心に刻む秋の聲、闇の詩人、不肖山岡秋聲でございます」酒に身をやつした往年の名弁士を演じる永瀬正敏。愛する活動寫眞を汚す偽弁士と盗賊団の逮捕に執念を燃やす刑事を演じた竹野内豊(左利き)。2人のベテラン俳優がセクシーな芝居で画面を引き締めます。女優陣では、めずらしく悪役の妖艶な娘を演じた井上真央が良い。

活動弁士がスターだったこと。その話術で無声映画を大胆にアレンジしてより魅力的に見せていたこと。和洋楽器混成の生演奏アンサンブル。映写技師との共同作業であること。いずれトーキーに取って代わる存在であることを自覚していたこと。などを知ることができました。

エンドロールに流れる「カツベン節」を聴いて、奥田民生も以前なら桑田佳祐あたりが受注していたであろうこういった落ち着いた仕事をする年代になったのだなあ、と同年生まれとして思ったのでした。

 

2019年12月14日土曜日

Smoke デジタルリマスター版

師走の小春日和。シネマイクスピアリウェイン・ワン監督作品『Smoke デジタルリマスター版』を観ました。

舞台は1990年夏、NY市ブルックリン3丁目7番街の角に建つ煙草屋の店主オーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル)。常連客で作家のポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)は4年前の銀行強盗事件で妊娠中の妻を亡くしている。ある夜、閉店直後の店に煙草を買いに来たポールは、オーギーが毎朝自分の店の街角を撮った4000枚以上の白黒写真を見せられる。そこに偶然写り込んだ亡き妻エレンが通勤する姿を見つけたポールは慟哭してしまう。

その余韻で覚束ない足取りのまま通りに出たポールは車に轢かれそうになり、ラシードと名乗るアフリカ系の家出少年(ハロルド・ペリノー・ジュニア)に助けられる。

ポール・オースターの短編小説『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を基にして、オースター自身が脚本を書いたこの映画を劇場で観るのは、1995年の公開当初、2016年のデジタルリマスター版公開時、そして今回が3度目。25年に亘りスクリーンで見続けていることになります(ちなみにいままで劇場で一番回数多く観たのはウォン・カーウァイ監督の『天使の涙』で4回なのですが、いずれも公開時とその翌年です)。

2時間弱の上映時間は「1. ポール」「2. ラシード」「3. ルビー」「4. サイラス」「5. オーギー」と、登場人物の名を冠した5章立てになっていますが、それ以外にもすべての登場人物、エピソード、伏線が絡み合い、過去の不幸な体験も最終的に貸し借りなしのイーブンに収まる気持ち良さは、舞台が夏でも、衣装やセットがきらびやかでなくても、クリスマス映画と呼ぶに相応しい。

時が経ち、主要登場人物たちと自分の年齢が同じぐらいになり、感じ方も変わってきました。今回はクラック依存症のフェリシティ(アシュレイ・ジャッド)が、心配してスラム街を訪ねてきた両親を罵倒し追い返したあとに見せるなんとも言えない複雑な表情にぐっときました。そして書店員エイプリル(メアリー・B・ウォード)は何度観ても可愛い。

素晴らしい脚本、無駄のない演出、あたたかなユーモアを感じさせるカメラワーク、達者な役者たち、魅力的な音楽がパーフェクトに調和した傑作であることは、回を重ねるごと実感しています。