2016年8月27日土曜日

Hello, my sister - Folk song & Swing music

諏方神社例大祭の夕べ。東京下町は細かい雨が降ったり止んだり。根津の静かな住宅街のお店 COUZT CAFE + SHOP さんへ、石塚明由子さんのライブ "Hello, my sister - Folk song & Swing music" を聴きに行きました。

オープニングは「エンドロール」。昨年暮れにリリースされた1stソロアルバム "Hello, my sister" でも1曲目に収録されている名曲です。そこからウッドベースの須藤ヒサシさんWATER WATER CAMEL)とデュオで4曲。そしてジャズギタリストの加治雄太さんが加わり、全8曲のオリジナル曲を演奏した前半。

「永遠じゃないから美しいんだね」(エンドロール)、「ほんとの気持ちが言えないまま/このまま僕らは離れていくの」(ほんとうのこと)、「二人で歩く最後の道」(二人に落ちる月の影)。オールドギブソンを小さな音で丁寧に爪弾き、往く夏を惜しむかのように、物語の終わりを綴る。小さな真珠玉のような楽曲たち。

短いインターバルを挟み後半はギターを置いてジャズとブラジリアンスタンダードを8曲。エメラルド色の麻のワンピースがよく似合う明由子さん。MCや普段の会話から察するに、少々姉御肌なところがあると思いますが、音楽は清楚で可憐です。そして歌声をコントロールする高い技術がある。"Tea For Two" の7/4拍子アレンジには痺れました。加治さんのギターがオーセンティックなバップスタイルで支え、ギターソロもベースソロもたっぷり聴かせます。

演奏全体の印象が静か。クールとも抑制とも違う、微熱を帯びた静寂は、他にはない魅力です。ジャズが本職じゃない人の歌うジャズが好き。リンダ・ロンシュタットリッキー・リー・ジョーンズビョーク、etc.. 僕の中にある系譜の新たなリストに明由子さんが加わりました。


2016年8月15日月曜日

シング・ストリート 未来へのうた

終戦記念日。図らずもアイリッシュ強化週間に。ヒューマントラストシネマ有楽町ジョン・カーニー監督作品 『シング・ストリート 未来へのうた』 を観ました。

1985年、アイルランドの首都ダブリン。主人公、15歳のコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)の家族は、不仲で喧嘩の絶えない両親、大学中退後ひきこもる兄、建築家志望の姉。不況で父親が失業し荒れた労働者階級地域のカトリック系男子高 SYNGE STREET HIGH SCHOOL への転校を余儀なくされる。

粗野な同級生にも厳格な校長にもマッチョな校風にも馴染めずにいたが、ある日街角で見かけた美少女ラフィーナ(ルーシー・ボーイントン)に「僕のバンドのMVに出てみないか」と声を掛ける。それからあわててメンバーを探し、組んだバンドがSING STREET。ギターのエイモン(マーク・マッケンナ)と曲作りを始める。

セックスピストルズは上手いか? お前はスティーリーダンか? ロックは上手にやろうと思うな! ロックをやるなら笑われる覚悟をしろ!」

1985年といえばMTV全盛期。曲作りやバンドアレンジとMV制作のシーンが同等の比重です。TOP OF THE POPSデュラン・デュランを観ればそれ風の曲を書き、ジョー・ジャクソンザ・キュアホール&オーツ風と、兄の影響で聴いたレコードそのままをなぞる曲調。衣装や髪型、メイクアップ、ビデオの演出までそれ風にせずにはいられないのが微笑ましい。

監督は1972年ダブリン生まれで1990年代初頭にはロックバンドでベースを弾いていたという。ジャスト同世代ではないものの「あー、わかる」という瞬間が多々。The Jam "Town Called Malice"、The Clash "I Fought The Law"、はいはい、コピーしましたとも!

ブルックリン』から30年後も共通するアイルランドの美しい自然と社会的閉塞感。エクソダスの象徴としてのロンドンであり英国ポップチャートであり。そのコントラストを強調するためか、当時のアイルランドの優れたロックバンドで商業的にも成功していたブームタウン・ラッツU2ホットハウス・フラワーズザ・ポーグス等に対する言及は避けられている。あ、シン・リジィの曲は流れます。

ジョン・カーニー監督の脚本演出はタイトで無駄がなく、カメラワークや編集もスピーディで爽快なドライヴ感があります。ノスタルジックでスピリチュアル、みたいなアイリッシュ感は薄いですが、地方都市の青春ものが好きな人、バカ男子がわちゃわちゃしているのが好きな人、1980年代に洋楽を聴いていた人ならきっと楽しめる一本です。

 

2016年8月13日土曜日

ブルックリン

湿度が低く涼しいお盆初日。渋谷アップリンクジョン・クローリー監督映画『ブルックリン』を観賞しました。

舞台は1950年代、アイルランド第二の都市エニスコーシーに老いた母親と暮らす美人姉妹。不景気で妹エイリシュ(シアーシャ・ローナン)に高待遇な地元の職はなく、同郷の神父(ジム・ブロードベント)を頼り、ひどい船酔いに苦しみながら単身ニューヨークに渡る。

NYブルックリンのアイリッシュコミュニティの女子寮の寮生は複数の百貨店に勤務している。人材不足のポストに神父が斡旋しているのだ。食事前には厳格なカトリックの祈禱、メニュは羊のシチュー、パーティではアイリッシュダンスを踊る。

フィジカルな意味でもメンタルな意味でも厳しい境遇をリアリズム的視点で描いていますが、登場人物に本質的な悪人がいないので、優しい感触が残ります。女子寮のいじわるな先輩2人も肝心なところでは助けてくれるし。その2人とイタリア人の末弟や寮母の台詞に控え目なユーモアがにじみます。

イタリア系移民のボーイフレンド(エモリー・コーエン)ができたことで、イタリアンコミュニティに接するが、彼らもまた礼儀正しく奥ゆかしい。大航海時代にイギリスとオランダというプロテスタント大国が侵攻した北米大陸において、後発のカトリック教徒であるアイルランド系とイタリア系は反目しつつもシンパシーを感じ、ブルーカラーとして多様性社会を形成していった。アメリカという国家はこういう風に成り立ってきた、ということが理屈ではなく体感的に理解できる。

主人公や同僚たちの衣装がノスタルジックで可愛い。パステル主体でヴィヴィッドな差し色をわずかに加えたスクリーンの色調。弦楽アンサンブル中心のマイケル・ブルックのサウンドトラック。演出には抑制された美があります。

主人公を演じるシアーシャ・ローナンは翡翠色の瞳のアイルランド人。16歳にして冷徹な殺人マシンを演じた『ハンナ』が印象的ですが、22歳になり、すこしたっぷり感が出て、お芝居で魅せる大人の女優になりました。

 

2016年8月11日木曜日

Poemusica Vol.49

山の日。新しい祝日を下北沢で。Workshop Lounge SEED SHIPにて Poemusica Vol.49 が開催されました。昨年9月のVol.42以来の昼間のPoemusicaです。満員御礼。ご来場の皆様ありがとうございました。

Vol.39(2015/04)、Vol.44(2015/11)に続きPoemusicaは3度目のたけだあすかさん。大阪から歌いに来てくれました。先週体調を崩し、声が出せない状態と聞き心配していたのですが、きっちりコンディションを仕上げてきました。その経験も「声」という新しい曲に。あの愛らしい歌声が戻って本当によかったです。

さわひろ子さんも3度目のPoemusica。Vol.41(2015/06)とVol.45(2015/12)ではガットギターのサポートでしたが、今回はピアノ古賀小由実さん、パーカッションまぁびぃさんとトリオ編成。古賀さんとは声の相性が抜群で、ジャズファンクテイストからクラシカルな二声対位法まで振り幅がとてつもなく大きい「童謡メドレーハイパー」が圧巻。まぁびぃ氏の繊細な音作りも相変わらず美しかった。

初芝崇史さん(画像)。素晴らしくフォトジェニックです。どの角度からどの表情を撮っても絵になる。甘いメロディもジャキジャキとしたストロークも持ち、曲調によってガットと鉄弦の2本のギター、ピアノを器用に使い分けます。MCでは天然なところも見せて。11回も富士山に登頂しているし。もちろん努力はしているに違いありませんが、才能とは不公平なものだなあ、と思ってしまいます。

SOONERSはKeiさん(Gt)とガジャGさん(Per)の兄弟デュオ。ヨティさんのギターを加えてダイナミックなグルーヴを聴かせる。アコースティック編成ながら、高揚感のある四つ打ちを用い、エモやメロコア、HIPHOP、レゲエ等の要素もあるアーシーなミクスチャーロック。困難な現実をしっかり認識しながら人生を肯定する強さを持つ歌詞がずっしり響く。ヨティさんのボトルネックも効いていました。

山の日ということで、僕は山の詩を中心に、「八月の光」「山と渓谷」「八月」、たけだあすかさんの新曲と同名の「」、小さな光を描いた「」をエンドロールに計5篇。いまから思えば夜の詩ばかり(笑)、よく晴れた真夏の明るい午後のガラス越しの陽光のなかでリーディングしました。

SEED SHIPオーナー土屋さんの退院と職場復帰という祝福ムードも手伝って、いつになくにぎやかでハイテンションなPoemusicaになりました。2週間ひとりでがんばってSEED SHIPを切り盛りしたスタッフわかちゃん、お疲れ様&ありがとう!

 

2016年8月7日日曜日

アサガヤノラの物語

猛暑日。阿佐ヶ谷駅前は提灯がにぎやかに飾られて、サンバにフラに盆踊り。中央線沿線らしいカオスな七夕祭り。それでも線路沿いを5分も歩けば小道は閑静な住宅街に入る。

夏至を過ぎて1ヶ月経ちましたが、まだ充分に明るい午後6時。Barトリアエズでウェルカムかき氷。日曜音楽バー『アサガヤノラの物語』、mayulucaさんの回にお邪魔しました。

自らのレーベルFENETRE RECORDを立ち上げ、2016年1月に3rdアルバム『幸福の花びら』をリリースしたmayulucaさんは、今年一年を『幸福の花びらイヤー』と位置づけ、出演時間の許すかぎりアルバム全曲を歌っている。このアサノラが僕にとっては3度目の『幸福の花びらライブ』です。

「聴こえていたのは風と波とそれくらい/失望はしていたが絶望はしていない」(風と波とそれくらい)。失望はしてい「た」。「た」の一音に閉じ込められた過去の時間。「た」を「る」に置き換えてしまうと全く別の感情になってしまう。そんなミニマルな差異を味わう音楽。「集積」とは、「善良」とは。

声とギターという最小限の音で空間を満たす術を知っており、しかも程好く、品良く響かせることで、聴き手は感覚や思考を音の浪間に自由に泳がせることができる。そしてそれはとても心地良い。彼女の音楽を聴きながら、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』で大学に進学した主人公ジュディが妄想するレモンゼリーのプールのことを考えていました。

暮色の移ろいのなかで、新譜の9曲と1stから2曲、またしても意外性のあるカバー曲を含め全12曲。1時間きっかりのセットリストが終わる頃、トリアエズの大きなガラス窓の外の街は熱帯夜に変わり、ノラオンナさんの素晴らしい手料理とハイボールをいただきながら、静かに夜は更けていくのです。

 

2016年8月4日木曜日

デヴィッド・ボウイ・イズ

8月に入って東京はようやく気温が上がってきました。シネ・ロック・フェスティバル2016丸の内ピカデリー3で『デヴィッド・ボウイ・イズ』を観ました。

ロンドンの英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館で2013年に開催された大回顧展 "David Bowie is"。デビューから2013年の "The Next Day" まで。キュレーター3人が展示を紹介する映画です。

1947年生れのデヴィッド・ボウイ(左利き)が幼少期に実際に使用した食糧配給手帖、十代のアマチュア時代に描いたライブ会場のパース画、1960~70年代の自筆歌詞、制作されなかった映画の絵コンテ、数々のステージ衣装、等々。膨大な物量の展示物を当時のエピソードやMV、来館者のコメントを交えて時系列で解説する。ゆかりのあるゲストが円形ステージでスピーチするギャラリートークが時折インサートされます。

「ボウイで検索すれば数十万の画像が表示されるが、映りの悪いものはひとつもない」。自己演出に心血を注いだ彼は、今年1月10日に69歳で亡くなっていますので、この回顧展もフィルムも最晩年、死期を悟ったボウイが自ら監修して、自らの望むかたちで残したかったのではないかと思います。

リンゼイ・ケンプウィリアム・S・バロウズからの影響、ブライアン・イーノThe Oblique Strategies。Against the system. 既成概念を常に覆しつつも、その一歩はあくまでもポップスターとして留まる。絶妙なさじ加減は天性のものだったのでしょう。

基本的に博物館内の映像で構成されており、サウンドトラックは既存のスタジオ盤からの選曲で、フルコーラスのライブ映像は3曲のみ。ですが、その3曲が素晴らしい。なかでも2001年54歳のときにグラストベリー・フェスティバルで演奏された "Changes" は、原曲よりだいぶキーが下がったな、と思いつつ、やはり心が震えました。

ゲストスピーカーでは、完全カタカナ発音のブロークンイングリッシュで通した山本寛斎も堂々としていてよかったですが、一番ぐっときたのはパルプジャービス・コッカーの "David Bowie is one of us" という一言。

回顧展は2017年1~4月に天王洲アイルの寺田倉庫に巡回します。直筆の歌詞を見ながらヘッドホンで曲を聴けるコーナーは是非再現してほしいものです。