2025年8月9日土曜日

冬冬の夏休み

真夏日。新宿武蔵野館候孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『冬冬の夏休み』デジタルリマスター版を観ました。

台北の小学校の卒業式、6年生代表の答辞と仰げば尊しの合唱から映画は始まる。台湾の新学年は9月からなので、卒業式の翌日に夏休みが始まります。

小学校を卒業した冬冬(王啓光)と幼い妹の婷婷(李淑楨)は、父(楊徳昌)とともに、母(丁乃竺)の病室を訪ねる。消化器系疾患の手術をする夏休みの間、銅羅で病院を営む母方の祖父(古軍)の家に兄妹は預けられる。迎えに来た叔父(陳博正)は、別の駅で恋人(林秀玲)を見送る間に電車を逃し、冬冬と婷婷はふたりきりで銅羅駅に降り立つ。叔父を待つ間、台北から持参したラジコンカーで遊んでいた冬冬は地元の子どもたちとすぐに打ち解け、ラジコンカーを亀と交換する。

台湾ニューシネマの旗手であり、その後多くの国際映画祭の常連となる巨匠で、2023年に引退した候孝賢監督の1984年作品のデジタルリマスター版のリバイバル上映です。

思春期手前の少年が田舎で出会う同世代や大人たちから受け取り、また自身でつかみ取る何か、言葉では形容しがたい経験と認識を優しく描いています。子どもたちが都会のおもちゃ欲しさに一様に亀を差し出したり、川遊びで仲間外れにされた腹いせに婷婷に服を流され下半身に芋の葉を巻いて全速力で帰宅したり、叱られて正座させられたままうつぶせに眠ったり、笑えるシーンも多々ありますが、おそらく知的障害を持つ若い女性ハンズ(楊麗音)の存在が物語に豊かな陰影をもたらしている。懐かしくも心温まるバケーションムービーです。

台湾巨匠傑作選2024』で観たエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の『台北ストーリー』は、候孝賢監督が主演していましたが、本作は逆にエドワード・ヤン監督が主人公兄妹の父親役を演じています。

母親の病気により田舎暮らしをする子ともたち、幼い妹が見つからず家族総出で探すシーンなど、いくつかのエピソードは1988年公開の『となりのトトロ』に影響を与えていそうです。エンドロールで山田耕筰作曲の「赤とんぼ」が流れると一気に山田洋次感が出ました。

 

2025年8月4日月曜日

水の中で深呼吸

猛暑日。新宿シネマカリテにて安井祥二監督作品『水の中で深呼吸』を観ました。

コースロープがまだ張られていない競泳用プールに仰向けに浮かび、波紋を作りながらゆっくり横切っていくショートカットの葵(石川瑠華)は高校1年の水泳部員。「上がるよ」と同級生の日菜(中島瑠菜)に手を引かれたときに感じたときめきに戸惑う。

昌樹(八条院蔵人)は葵の幼馴染で部活の1年先輩。放課後に葵の部屋をしばしば無造作に訪れる。葵に恋心を抱いているが、自分が恋愛対象として見られていないことを知っている。

1年生だけが部活後のプールサイドにデッキブラシをかけていたところにわざわざペットボトルを捨てたことを注意した日菜に暴言を吐いた理奈子先輩(伊藤亜里子)に葵がキレて、2週間後に1年生と2年生が400mリレーで競って、1年が勝ったら2年生も掃除をする、2年が勝ったら今まで通り1年は2年の言いなりになる、という勝負を賭ける。

「水の中は苦しい。けど水の外も苦しい。でも飛び込まなくちゃ。自分の足で」。キャプテンの玲菜先輩(松宮倫)は水泳の実力も部内一だが人知れず地道なトレーニングをしている。コースロープが張られ、葵は同級生の胡桃(倉田萌衣)と梨花(佐々木悠華)の協力を得るが、もう一人のリレーメンバーが決まらない。

山岳を背景にした田園地帯の公立共学校の水泳部のひと夏の物語。自身のジェンダーアイデンティティに揺れる主人公とチームのゆるい絆と小コミュニティ内の息苦しい恋愛模様。74分というコンパクトなサイズの中に、十代の感情の振れ幅がよく描かれており、青さも酸っぱさも身に覚えがあります。昔ながらの個人経営のパン屋の店先に置かれたベンチで部活後の時間を過ごすのは僕にも懐かしさのある夏の風景でした。

腹筋バキバキでひとりだけ身体の仕上がった昌樹は水泳部内で女子をとっかえひっかえするクズですが、その底にある満たされない焦燥は、多寡やアウトプットの違いこそあれ、多くの十代が通過するところです。

泳ぐ選手たちの体幹がしっかり通っていて、水上と水中のカメラワークも目に心地良いのですが、劇伴が映像を弛緩させてしまっているような気がしました。特にレースシーンでは、水音や泳ぎ終えたあとの荒い息遣いや心拍音だけを聴かせるほうが緊張感が出せたと思います。エンドロールのビートレスなアンビエントミュージックはとても素敵でした。

 

2025年8月1日金曜日

感じ合う世界のpiece

真夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブ『感じ合う世界のpiece』に行きました。

客電が落ち、MANDA-LA2では定位置の舞台下手奥に置かれたグランドピアノに向かい、夏休みの心象を描いた短いイントロダクションから、レゲエのリズムの「真夏の日」「feelin'」とサマーソングが3曲続く導入。「今日は感じ合える時間が作れたらいいなと思います」と言う。

センターマイクに移動してガットギターで「朝の気持ちは昼には消えた」と歌う「夏空」へ。毎年4月11日に同じMANDA-LA2で開催している周年ライブが2025年は自宅からの配信のみで、僕は東京ミッドタウン日比谷のスターバックスで視聴しました。年末のゴスペルクワイアを除けば、1年4ヶ月ぶりに生で聴くmueさんのきらきらしているのに耳にやさしい歌声が全身に染み渡りました。

以前SNSで発信していた Abbey Road のB面のような連なる断片の響和は冒頭3曲とセカンドセットの「神様との約束」「砂粒程の奇跡を感じられる世界」「遠い場所からやって来たインスピレーション」のブロックで実現できていたと思います。

バンドセットの広がりや浮遊感も素敵ですが、今回のようなソロ弾き語りはより自由でリラックスした素の姿に近いのではないでしょうか。メロディメイカーとしてもスタイルを確立しているmueさんのシンガー面での充実ぶりがうかがえます。

どちらかというと感情や心象風景や抽象概念を歌詞にすることが多いmueさんが、共作曲やカバー曲で季節感のある風景や人の姿を歌うときの映像喚起力の強さに気づかされました。自作曲では情景を描いても次の瞬間に内面に入ってしまう傾向が強いので、もっと風景や表情を描写する歌を聴いてみたいと思いました。

「かつてLove & Peaceを歌いたいと思っていたとき自分の中にはPeaceがなく、Pieceしかなかった。今はPieceがPeaceに近づきつつある」と言う。変化し続けているからこそ、長く歌い続けていても失われないフレッシュネスが、会場を多幸感で充たしていました。

 

2025年7月31日木曜日

海がきこえる

真夏日。アップリンク吉祥寺望月智充監督作品『海がきこえる』を観ました。

「僕が里伽子と出会ったのは2年前、高校2年の夏。こんな日だった」。JR中央線吉祥寺駅のホームから物語は始まる。大学1年生の杜崎拓(飛田展男)は電車で羽田空港へ向かい、旅客機で故郷の高知に帰る。

中高一貫の進学校の高校2年生の杜崎は夏休みにアルバイト中の居酒屋で松野豊(関俊彦)から電話を受け、早退して夏休み中の教室で待つ松野に会う。東京から来た転校生の武藤里伽子(坂本洋子)が1階の職員室で説明を受けているところを教室の窓から見下ろす。

杜崎と松野の出会いは更に2年遡る中学3年のとき。校内放送で突然告げられた京都への修学旅行の中止。松野の抗議文を読んだ杜崎はその大人びた考えに尊敬の念を抱いた。

高二の二学期に転校してきた里伽子は体育も勉強もできて目立つ存在だが、クラスに馴染めずにいた。地味でおとなしい小浜裕実(荒木香恵)とクラス委員の松野だけが里伽子を気にかけていた。やがて季節は冬。中高で一本化された修学旅行の行先はハワイ。ホテルのロビーで杜崎は里伽子に「お金貸してくれない?」と突然言われ、アルバイトで稼いだうちから6万円を貸す。

氷室冴子氏が『月刊アニメージュ』に1990~1992年に連載した原作小説スタジオジブリが日本テレビ40周年記念作品としてアニメ化し1993年に地上波放送された本作を劇場リバイバル上映で観ました。台詞は八割方土佐弁です。

ヒロイン里伽子が主人公杜埼とその親友松野を心情的にも物理的にも振り回す。里伽子の不安定さは思春期そのものでもあるが、現在だとメンヘラもしくはサイコパス寄りにカテゴライズされそうで、共感できないのがいい。そもそも物語に「共感」を求めすぎる風潮を僕は疑問視しています。自分が経験できない別の人生を想像力を駆使して体験できるのが物語であって、理解できない、共感できない人物と出会えることも物語の醍醐味だと思っています。

宮崎駿が初めて関わらなかったジブリ作品である本作で描かれる思春期の揺れは『耳をすませば』や『猫の恩返し』の源流となり、笑わないヒロイン像はのちに『コクリコ坂から』で結実する。

作画は流石のジブリクオリティ。緻密で美しく古さをまったく感じさせない一方で、永田茂が手掛けたサウンドトラックのYAMAHA DX-7Fairlight CMI系統のデジタル音による生楽器の模倣の平板さは逆に、『もののけ姫』(1997)以降のジブリ作品の音響の奥行と陰影の深さを再認識させます。

羽田空港からモノレールに乗り浜松町駅でJR山手線に乗り換え新宿駅の小田急線の改札へ。成城学園前駅は線路がまだ地上を走っており、都庁は建ったばかり。吉祥寺駅のホームからTAKA-Qや横書きのオデオン座の看板が見える。往年の吉祥寺を描いた作品を吉祥寺の映画館で鑑賞できて楽しかったです。

 

2025年7月21日月曜日

詩を興ずる者あれば詩に傾倒する者もあるvol.1


ご来場いただいた皆様、オープンマイクに参加してくれたみんな、ゲスト出演者の小夜さん、藤谷治さん、ラズベリー、企画段階からサポートしてくださったURAOCBさん、主催者さいとういんこさん、LIVE BAR BIG MOUTHオーナー田井さん、ありがとうございました。

JR線でモバイルバッテリーの発火事故があり、新宿駅を通る電車が運転休止というアクシデントにより、開演時間を若干遅らせましたが、8名がエントリーしたオープンマイクの1時間弱から幸せな気持ちになりました。一番手のジュテーム北村氏が僕の「」をカバーし、自作に「彼は還暦、俺は古希」というフレーズを織り込んだのを呼び水に、身に余るほどのトリビュート、オマージュ、コメントで祝ってもらいました。

ゲストの3組も素晴らしかった。祖師ヶ谷大蔵の商店街の夏祭りの合間を縫って駆けつけ、変わらぬポジティブなバイブスで盛り上げてくれた幼馴染のラズベリー。20年ぶりに会えてうれしかったよ。小夜さんは僕の詩をサンプリングした新作と『四通の手紙』からの抜粋、最後は「夜の庭」の連詩を二人で朗読しました。僕にとって下北沢といえば2000年から14年間にわたり詩の教室の講師をやらせてもらった書店フィクショネス店主の藤谷さんです。その後店を閉じて専業小説家となり、今年出版した『エリック・サティの小劇場』から「第十章ジムノペディ」を朗読してくださいました。

いんこさんと去年の誕生日に巻いた「SPOKEN WORDS SICK 5」と2023年の「クリスマスイブの前の日に」、URAOCBさんが加わり三人で「NAKED SONGS vol.14」、計3篇の連詩を披露しました。

ソロパートの朗読作品は以下10篇です。

6. コインランドリー
7. 糸杉と星の見える道    Billie Holiday
8. 眠るジプシー女 Linda Ronstadt
9. 星月夜    Syndi Lauper
10. 夜警 Billie Eilish

終演後にはたくさんのプレゼントをもらい、URAさんが用意してくれたハート型のラズベリームースのケーキのろうそくを吹き消し、ラブリーなガールズ&ボーイズと写真を撮り、詩集にサインを求められ、こんなにちやほやされることは生涯ないだろうなってぐらいちやほやしてもらいました。みなさん本当にありがとうございました。

 

2025年7月8日火曜日

この夏の星を見る

七夕。ユナイテッドシネマ豊洲山元環監督作品『この夏の星を見る』を観ました。

2014年、小学5年生の亜紗(松井彩葉)がFM土浦の科学番組に送った質問が取り上げられ、スタジオから電話がかかってきた。質問に答えた茨城県立砂浦第三高校天文部顧問の綿引(岡部たかし)は、月までの距離は38万km、紙を42回折ると月に届くと教えてくれた。

2019年春、砂浦三高に入学した亜紗(桜田ひより)は迷わず天文部の扉を叩く。同時に入部した1年生の凛久(水沢林太郎)は、ナスミス型望遠鏡を自作したいと言い、ふたりはペアを組んで上級生たちとスターキャッチコンテストに挑む。

2020年が明け、世界中に猛威を奮った新型ウィルスはCOVID-19と名付けられ、砂浦三高は臨時休校になった。長崎県五島の県立泉水高校3年の円華(中野有紗)の自宅は旅館、東京からの観光客を受け入れていたことで近隣住民から誹謗中傷を受け、祖父母と同居する親友の小春(早瀬憩)からも距離を置かれていた。五島へ離島留学していた興(萩原護)は東京の自宅に戻っている。渋谷区立ひばり森中学に進学した安藤(黒川想也)は学年唯一の男子生徒。サッカー部が廃部になり、同級生の天音(星乃あんな)の執拗な誘いで科学部に入部する。

コロナ禍の2021年に新聞連載された辻村深月原作小説の実写化は『ケの日のケケケ』『VRおじさんの初恋』の森野マッシュが脚本を手掛けていると聞いて観に行きました。たかだか4~5年前なのにもう忘れかけていた、色々な形態のマスクや濃厚接触者、ソーシャルディスタンスというワードを見聞きして喉元過ぎればを感じました。

指定された企画の望遠鏡を自作して、出題者がコールする星を見つけるスターキャッチコンテストを、茨城と長崎と東京をオンラインで結んで開催する。ひと夏の青春の物語はひと夏で終わらずに冬まで続きます。続く、というのは良いことだという概念は先の見えないパンデミックの渦中で悪い意味で価値転換してしまいました。この映画を観ている青春をとうに過ぎた僕は青春の有限性に輝きを見出したくて、二度と来ない夏をコロナで台無しにされた彼らを憐れんでしまいそうになるのですが、知恵を絞って工夫して、結果的に忘れられない夏に昇華してしまったことを称えるべきだと思います。

中野有紗は『PERFECT DAYS』、早瀬憩は『違国日記』、それぞれ主人公の姪を演じた五島の二人の実力は本物。マスク着用1の目だけの芝居で、小春(早瀬憩)にいたってはオンラインミーティングのカメラがオフなのに、友愛も鬱屈も疎外感も余すことなく表現している。そのふたりがすれ違いの果てに堤防の上でマスクを外して抱き合い和解するシーンには暴力的なまでに心を掴まれる。実写とCGを重ねた星空も綺麗で七夕に観るにはうってつけの映画でした。

劇中に流れるニュース映像の小池百合子都知事の声に違和感を持ちましたが、エンドロールに清水ミチコの名前を見つけて腑に落ちました。安倍晋三首相の声は誰が演じているのでしょうか。

東日本大震災のすこし後、僕もJAXAのウェブサイトでISS(国際宇宙ステーション)を調べて、何度も肉眼で光跡を追いかけました。約90分で地球を1周するISSは流れ星よりは相当遅いですが、旅客機よりはかなり早いので、手製の望遠鏡で捉えるのは高難易度だと思います。
 
 

2025年7月6日日曜日

ルノワール

曇りのち晴れ。TOHOシネマズ シャンテにて早川千絵監督作品『ルノワール』を鑑賞しました。

色々な国や民族の子どもたちの泣き顔が次々に映し出されるVHSテープを暗い部屋のテレビ画面で観ている沖田フキ(鈴木唯)は小学5年生。停止ボタンを押し、取り出したテープを紙袋に入れて、マンション1階のゴミ捨て場に持っていくと、フォーカスやフライデーが捨ててある。知らない男に話しかけられるが無視して部屋に戻る。

父親(リリー・フランキー)は末期がん、浴室で吐血して救急搬送される。母親(石田ひかり)は企業の管理職、行き過ぎた指導を部下が人事に訴えメンタルトレーニングの外部研修を受講させられる。

1987年の夏、11歳の少女フキが、それぞれ問題を抱える複数の大人たちと関わって成長する物語、ということになるのですが、具体的な成長ポイントが明示されないのがいいと思いました。それでも我々観客はフキの大人に対する接し方や観察するまなざしや感情を向けられたときの表情の変化に成長を感じることができます。

映画の時代設定を象徴するツールとして、テレビの超能力特番とそれに影響を受けたフキたちのテレパシーの実験、SONYのウォークマン、キャンプファイアでYMORYDEENを踊るシーンなどが採用されたと思うのですが、1987年というよりもなぜか1979年を強く感じました。

英会話教室で出会った同世代の裕福な美少女チヒロ(高梨琴乃)と、森のくまさんの輪唱で関係性を深めるのは、早川監督の実体験なのか、とてもいいアイデアであり、最も心温まるシーンになっています。一方、不穏さを補完するためか、室内の足音の音響が強調されているように感じて、集合住宅歴40年の身にはすこし心配になりました。

主人公の事務所の先輩で同じマンションの上階に暮らす若い未亡人を演じた河合優実の芝居がたったワンシーンなのに深く印象に刻まれます。夫を亡くした自責と空虚さを視線と声のトーンで演じ切る技術に痺れました。中島歩は今作でも怪しいです。