色々な国や民族の子どもたちの泣き顔が次々に映し出されるVHSテープを暗い部屋のテレビ画面で観ている沖田フキ(鈴木唯)は小学5年生。停止ボタンを押し、取り出したテープを紙袋に入れて、マンション1階のゴミ捨て場に持っていくと、フォーカスやフライデーが捨ててある。知らない男に話しかけられるが無視して部屋に戻る。
1987年の夏、11歳の少女フキが、それぞれ問題を抱える複数の大人たちと関わって成長する物語、ということになるのですが、具体的な成長ポイントが明示されないのがいいと思いました。それでも我々観客はフキの大人に対する接し方や観察するまなざしや感情を向けられたときの表情の変化に成長を感じることができます。
映画の時代設定を象徴するツールとして、テレビの超能力特番とそれに影響を受けたフキたちのテレパシーの実験、SONYのウォークマン、キャンプファイアでYMOのRYDEENを踊るシーンなどが採用されたと思うのですが、1987年というよりもなぜか1979年を強く感じました。
英会話教室で出会った同世代の裕福な美少女チヒロ(高梨琴乃)と、森のくまさんの輪唱で関係性を深めるのは、早川監督の実体験なのか、とてもいいアイデアであり、最も心温まるシーンになっています。一方、不穏さを補完するためか、室内の足音の音響が強調されているように感じて、集合住宅歴40年の身にはすこし心配になりました。
主人公の事務所の先輩で同じマンションの上階に暮らす若い未亡人を演じた河合優実の芝居がたったワンシーンなのに深く印象に刻まれます。夫を亡くした自責と空虚さを視線と声のトーンで演じ切る技術に痺れました。中島歩は今作でも怪しいです。
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