夜明け前。曳舟の木造アパート二階、老婆が通りを掃く箒の音で平山(役所広司)は目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨き、鋏で髭を整え、鉢植えに霧吹きし、仕事着に着替える。ユニフォームの背中には The Tokyo Toiletの文字。靴箱の上の鍵束と小銭をポケットに入れ、ドアを開けて空を見上げる。
渋谷区の公衆トイレ清掃員の日常のルーティーンを繰り返し詳細に描く。毎日同じ代々木八幡宮の境内で同じコンビニのサンドイッチを食べ牛乳500mlを飲み、仕事後は銭湯に浸かり、自転車で隅田川を渡り浅草の居酒屋へ行く。寝床でフォークナーの『野生の棕櫚』を数ページ読む。一日の出来事を夢でぼんやり反芻する。
車中の選曲は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、パティ・スミス、ヴァン・モリソンと変わり、フォークナーを読み終わったら幸田文、パトリシア・ハイスミスと変わっても、生活は変わらない。変わらない生活だが、ふたつとして同じ日はない。
「なんでずっと今のままでいられないんだろう」と「何も変わらないなんてそんなバカなことはないですよ」の狭間で登場人物も観客も揺れる。自室の膨大な書籍とカセットテープ、家出した姪のニコ(中野有紗)を迎えに来た母親、つまり平山の妹(麻生祐未)と交わす会話から暗示される過去から、これは現代の貴種流離譚だと思いました。一方で、最後に呪いが解けて王子様に戻ることはなく、清掃員の日々のディテールをエンドロールまで繰り返し描くことで、社会インフラを陰で支えるエッセンシャルワーカーに光を当てる。
柄本時生の最初の台詞まで12分、主演の役所広司が声を発するまで更に3分、その後も極端に少ない台詞で、複数の登場人物の画面には描かれない物語を観客の脳内で補完させる演出が流石です。鑑賞後の会話が尽きないので、デートムービーに最適と言えましょう。
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