2025年5月29日木曜日

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は

緑雨。テアトル新宿にて大九明子監督作品『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を観ました。

本降りの雨が傘に当たる音。キャンパスを歩く後ろ姿。背の高い男子学生には不釣り合いな小さな傘。もうひとつの後ろ姿はヘッドホンをかけたお団子髪の女子学生。

主人公小西徹(萩原利久)は関西大学文学部の二回生。横浜出身で出町柳のワンルームで一人暮らし、銭湯の閉店後の清掃のアルバイトをしている。友人と呼べるのは大分出身の同級生山根(黒崎煌代)だけ。陽キャたちが人工芝の中庭でにぎやかにはしゃぐ昼休みは、誰もいない屋上庭園で過ごしている。銭湯のバイト仲間のさっちゃん(伊東蒼)は軽音サークルでFender Mustangを弾いている。小西に思いを寄せているが、軽口を叩き合う現在の関係も心地良く感じている。

花曇りの朝の階段教室でひとりで講義を聴き、終了のチャイムと共に誰とも群れずに教室を出る桜田花(河合優実)の姿に小西は目を奪われる。山根と入った学食で背筋を伸ばしざる蕎麦を食べる花を見つける。別の雨の日、小西は花に声を掛け、授業の途中でふたりは教室を出る。

小西は屋上庭園を案内し、花は大学アーカイブでSP盤に刻まれた北村兼子の肉声を小西に聴かせる。セレンディピティ。いくつかの偶然が重なり、大切にしていた秘密を分け合うことで関係を深めていく。

NHKの名作ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で大九監督と組み、現在乗りに乗っている河合優実さんはもちろんですが、伊東蒼さんの演技が圧倒的です。特に中盤の長台詞がすごい。愛おしさも自己嫌悪も嫉妬心も羞恥も思いやりも少々の保身もなにもかもがないまぜになった感情の奔流をリミッターを外してぶつけてくる。その逆説的な揺るぎなさを固定アングルで、受け止めきれない小西の表情を揺れる手持ちカメラの逆光で捉える大九監督の冷徹な演出。

夜は短し歩けよ乙女』『鴨川ホルモー』『ワンダーウォール』『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。京都で過ごす学生時代は移動祝祭日。そんな憧れが僕にはあります。思春期後半のイタさは輝き、陽キャ体育会もサブカルもそれは同じ。銭湯の主人の妊娠中の娘役で松本穂香さんがカメオ的に出演しているのが『ミュジコフィリア』の世界線上にあるように感じました。

スピッツの「初恋クレイジー」が重要なモチーフになっていますが、萩原利久さんは草野マサムネの若い頃になんとなく似ています。

 

2025年5月19日月曜日

IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA

夏日。TOHOシネマズ池袋チョ・ユンス監督作品『IVE THE 1ST WORLD TOUR in CINEMA』を観ました。

2021年にデビューした韓国人5人、日本人1人によるガールズグループ IVE が2023年10月から約1年間にわたり世界19カ国28都市で計37公演を行ったワールドツアー "Show What I Have" の凱旋公演、2024年8月10日と11日のソウルKSPOドームのライブパフォーマンスに6人のメンバーのインタビューをインサートしたコンサートフィルムです。

1曲目は "I Am"。イカツめシャッフルビートに乗せて、平均身長170cmのメンバー6人がセリから登場し、堂々と花道を進みながら "I’m on my way, Look at me" と宣言する。

中学生でコンタクトレンズにしてから自己肯定感が高いと言うリーダーのユジンさんと、同じくIZ*ONE出身で174㎝12頭身という奇跡のプロポーションを持つウォニョンさんのツートップを主軸にフォーメーションが展開するが、歌割りやカメラワークは6人ほぼ均等です。

ユジン=ディーヴァ、ウォニョン=スタイルアイコン、ガウル=セクシー、レイ=ベビーフェイス、という役割というか特徴は把握していたのですが、リズさんイソさんの見分けは正直髪色以外ついていませんでした。映画を観て、ギャルなほうがリズさん、妹感強めがイソさんということがわかりました。

日本人メンバーで名古屋出身のレイさんは静止画よりも動いている姿のほうが百倍チャーミングです。すこし舌足らずなハングルもかわいい。

「(自身で作詞した)"Shine With Me" を歌うときは歌詞を意識しないようにしている、泣いてしまうから」と言うウォニョンさんが、ライブ後半で猫耳カチューシャを装着している間、常にカメラ目線で猫ポーズをしており、そのプロ意識に敬意を覚えました。

エンターテインメントとして完成度が非常に高く、観客のマナーも演者によるコントロールもしっかりしている。一例を挙げれば、ラス前のアゲ曲 "Not Your Girl" でメンバーに煽られるまで全員が着座して聴いている、というように幅広い年齢層が楽しめるように構成されています。

K-POPグループの歌割りはソロが基本でユニゾンはほぼないのですが、それだけにアンコールの最終曲 "All Night" に至りはじめて振りを放棄し6人で声を合わせたときの爆発的なエモさ。

同世代のaespaLE SSERAFIMITZYらと比較すると、曲調の幅が広いが故に逆に魅力が捉えにくいと感じていたIVEのことが知りたくて観たところ、6人のパーソナリティを感じたことで、まんまと好きになってしまい、自分ちょろいなあ、と思いました。

"ELEVEN" みたいにやや難解な構成の曲よりも、"After Like"や"Off The Record" のように過去名曲をサンプリングした四つ打ちのレトロフューチャーなディスコサウンドが僕は好きです。

 

2025年5月17日土曜日

ヴァージン・スーサイズ 4Kレストア版


1975年、合衆国ミシガン州の郊外住宅地に暮らすカトリック教徒のリズボン家、高校の数学教師の父親(ジェームズ・ウッズ)、専業主婦の母親(キャサリン・ターナー)と17歳のテレーズ(レスリー・ヘイマン)、16歳のメアリー(A・J・クック)、15歳のボニー(チェルシー・スウェイン)、14歳のラックス(キルスティン・ダンスト)、13歳のセシリア(ハンナ・ホール)の五人姉妹。

金髪の美人姉妹は常に注目を集め、近所の男子たちの憧れであり、妄想の対象であった。ところが、上映開始3分も経たずに五女セシリアがバスタブでリストカットする。セシリアは一命をとりとめたが、ロールシャッハテストで家庭環境に抑圧を感じており同世代の異性との交流が効果的と診断され、リズボン家に男子たちを招いてホームパーティが催されたその最中に、セシリアは2階の自室から飛び降り、自死を遂げる。

このソフィア・コッポラの監督デビュー作のTシャツを一昨年ユニクロで購入したのですが、映画館で観ておらず、月替わりで名作を上映する『12ヶ月のシネマリレー』にて鑑賞しました。4Kレストアされた姉妹のヘヴンリィな美しさは『ピクニックatハンギング・ロック』を想起させ、インテリアやファッションなど、公開後25年経った現在から見てもガーリィが全開で、凄惨かつ陰鬱なストーリーを眩しく照らしている。そのギャップこそが本作が名画とされる所以だと思います。

1970年代のポップチャートを中心とした選曲も最高。主人公の四女ラックスがダンスパーティの舞台袖で学園中の憧れの的トリップ(ジョシュ・ハートネット)とキスをするシーンで10ccの"I'm Not In Love" が流れるのもアイロニーが効いているし、映画後半の閉塞状況において唯一心温まるシーンといってもいい二軍男子たちが姉妹に黒電話で聴かせるトッド・ラングレンの "Hello It's Me" からギルバート・オサリバンの "Alone Again (Naturally)"、ビージーズの "Run to Me"、キャロル・キングの "So Far Away" の流れは歌詞もシンクロして感動的です。

姉妹はいつもごちゃっと固まって映っています。それは男兄弟にはない距離感で、もしも僕が生まれ変われるとしたら三人から五人の姉妹の年下半分がいいなと強く思った次第でございます。

 

2025年5月15日木曜日

Cafe Yummy Koenji Chimin

日脚伸ぶ。高円寺Cafe YummyChiminさんのワンマンライブを聴きました。

まず加藤エレナさん井上"JUJU"ヒロシさんが登場し、ピアノとテナーサックスでブルースを2曲。エレナさんのクリスプなプレイにJUJUさんがスタッカートで応えるミディアムテンポのジャムセッションと「我が心のジョージア」のテーマでスローバラードをしっとり聴かせ、3曲目の「茶の味」からChiminさんが加わる。

既に温度の上がったところに様子見することなく全開の歌声で臨む。シンガーとバックミュージシャンという関係性ではなく、3人でひとつの空間を作り上げるんだ、というメッセージの伝わるオープニングでした。

続く「言葉ひとつ」は近年セットリストの後半に置かれることが多い佳曲。JUJUさんのソプラノサックスの澄んだトーンにChiminさんの中高域が冴えます。そしてサンバのリズムの「残る人」、3/4拍子の「住処」へと繋がる。前半ラストの「チョコレート」は5月1日の蔵前の弾き語りライブでも歌っていましたが、この曲に限ってはフルート入りのアレンジのほうが僕はしっくりきます。

前半同様に第2部もエレナさんとJUJUさんのインスト曲から始まる。Carla Bleyの "Lawns" は眩しい日差しを浴びる芝生というより、夏の夕暮れ時の露に覆われた庭を思わせる。2ビートの「シンキロウ」、佐藤嘉風さんとの共作曲「呼吸する森」への流れも滑らかでした。「私の感じる真理みたいなものを歌詞にしている」というChiminさん。今回はMC少なめでしたが、詩声の表現力で充分に伝わるものがありました。

次のライブは6/24(火)に門前仲町ChaaBeeでソロ弾き語りとのこと。僕も2019年に『同行二人 #卯月の朝』でお世話になった元鉄工所のクールなギャラリーカフェです。

Yummyさんを訪れるのは昨年11月以来。とても感じの良いお店で、マイクを通しているのにミキサーやスピーカーの存在を忘れさせるナチュラルな音響も素晴らしかったです。

 

2025年5月11日日曜日

バロウズ


「今夜ご紹介するのは存命中のアメリカの作家で最高の人です。はじめてテレビに出演するウィリアム・バロウズ氏です!」と紹介され、1981年のサタデーナイトライブの公開収録で小説『ノヴァ急報』を朗読するバロウズのアップから映画は始まる。

そしてカメラは『ガラスの動物園』の舞台でもあるミズーリ州セントルイスへ(作者のテネシー・ウィリアムズは1911年セントルイス生まれで、バロウズと同じくゲイだった)。かつて生家のあった通りを歩きながら幼少期に関するインタビューに答えるスリーピースにソフト帽の70代のバロウズは一見ジェントルマンだ。

ビート・ジェネレーションを代表する作家のひとり、ウィリアム・バロウズ(1914-1997)の存命中に制作されたドキュメンタリー映画がバロウズ原作の新作映画『クィア QUEER』の公開に合わせ4Kレストア版がリバイバル上映されています。

現在はほとんどが故人となった1910~20年代生まれのビートニクの詩人や作家が登場し、バロウズの人となりを語ります。なかでもアレン・ギンズバーグ(1926-1997)の鷹揚で温和な人柄が印象に残りました。またバロウズが作家になる前からヘロインやモルヒネを取り引きしていたハーバート・ハンケ(1915-1996)は「あいつの書くものは理解できない」と正直です。

執事やメイドや庭師を雇うほどに裕福な実家から40歳近くまで高額の仕送りをもらって各国を転々とし、酒と麻薬と男色に溺れ、内縁の妻をウィリアム・テルごっこで射殺した。そんなヤバい奴にも家族がいる。家業と両親の介護を押し付けられた兄モーティマーに「『裸のランチ』は途中で読むのをやめた。露悪的な描写の必然性が感じられない」と目の前で酷評され苦笑。

射殺した妻との間に生まれたウィリアムJr.(1947-1981)は出来が悪く、同世代の秘書兼愛人のジェームズ・グラウアーホルツ(1953-)は自分こそがバロウズの精神的な息子だと主張、ジュニアはアルコール依存による肝臓疾患で本作の製作中に34歳で逝去する。実の親子の対話シーンのバロウズが不器用過ぎて胸が詰まります。

本作中のバロウズ自身による自作の朗読がどれも素晴らしいです。冒頭のTVショーでは原稿を見ず、ずっとカメラ目線で、沈没していく客船の医務室で行われる凄惨な手術シーンを淡々と読み上げる。その静かな狂気に満ちた真っ青な瞳。なのに客席は爆笑に次ぐ爆笑なのだ。『デッド・ロード』が『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』が『ワイルド・ボーイズ』が映像やインタビューとシンクロする。

監督のハワード・ブルックナーもゲイで1989年にHIVにより34歳で亡くなっています。ニューヨーク大学映画学科の卒業制作である本作は同級生のジム・ジャームッシュが音響を担当している。エンドクレジットにジェネシス・P・オリッジの名前が映るので、スロビング・グリッスルサイキックTVのファンのみんなは目をよく瞠って見ましょう。

 

2025年5月10日土曜日

クィア QUEER


1950年代、真夏のメキシコシティ。主人公ウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)はくたびれたアメリカ人の中年男。かつては粋だったであろう白い麻のスーツはよれよれ、旧市街のバーでテキーラを飲み干し、目が合ったムカデのペンダントの青年(オマー・アポロ)を連れ込み宿に誘い、互いの身体をむさぼり合う。

リーは、通りで見かけた長身で眼鏡の美青年ユージーン(ドリュー・スターキー)に一目惚れする。バーで女連れのユージーンと再会するリー。金と経験とおちゃらけでノンケ男に猛アタックする中年ゲイの悲哀。ユージーンの気まぐれでふたりは身体の関係を持つが、精神的には片思いのまま、薬物依存症のリーはテレパシーを生じさせるという薬草ヤヘを求め、ユージーンをエクアドルへの旅へといざなう。

「セックスモンスターとして生きるか、人として死ぬか」。ビート・ジェネレーションの前衛小説家ウィリアム・バロウズが1953年に書いたが自らお蔵入りにし、1983年に日の目を見た自伝的小説を、フェンディロエベフェラガモシャネルなどハイブランドとのコラボレーションでも知られるグァダニーノが映画化した本作は、物語の前半こそスタイリッシュな映像で美しく魅せるが、後半ジャングルに踏み入り植物学者コッター博士(レスリー・マンヴィル)の小屋に辿り着くあたりから、ドラッグまみれの裏インディ・ジョーンズといった様相を呈する。

「ヤヘは別世界の扉ではない。鏡なのだ。一度開いた扉は閉じることができない。目を逸らすだけ」。保守的なミッドセンチュリーの北米において、バロウズ自身も同性愛者であることに葛藤があったのか、繰り返される「俺はクィアではない」という自問自答が象徴的だ。実物のバロウズも常にスーツにネクタイで紳士然としてはいたが、ダニエル・クレイグは更に品の良さと色気と滑稽さを付加した分、狂気は薄れています。

英国人デザイナーでユニクロとの仕事でも知られるJ.W.アンダーソンが手掛けた1950年代の衣装がお洒落。特にユージーンが着る滑らかな生地のネイビーのシャツやタイトなボーダーポロニットは真似したくなる格好良さです。

冒頭のタイトルバックはSinéad O'ConnorがカバーしたNIRVANAの "All Apologies"、続いてKurt Cobain本人の声で "Come As You Are" と "Marigold"、Princeの "17 Days" が流れてもしや故人の歌声特集と思ったら、New Orderの "Leave Me Alone" で「生きてる人だ」と安心しました。登場人物の心象を1980~90年代のロック、バーのジュークボックスなど映画内の現実の時間に流れるのは1940~50年代のジャズやラテンという使い分けをしていますが、後者のみでまとめてもよかったんじゃないかな、と思いました。

 

2025年5月5日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ③

こどもの日。クラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」の3日目、最終日は午後の3公演を鑑賞しました。

■公演番号:323〈「四季」世界一周〉 
ホールC(サン・マルコ)13:45~14:45
水野斗希(Cb)

3日連続でハンソン四重奏団。ソリストとコントラバスが加わったアンサンブルは、日本語が堪能なアントン・ハンソン氏の「今日のプログラムは色々な曲が入っていますけど、拍手のほうはいつでもご自由に」というMCで始まる、ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、ニューヨークの冬を巡る旅という趣向。勢いのあるインテンポの縦ノリで若さ溢れる演奏は、23歳長身のルカのヴァイオリンが表情豊かです。アンコールはカザルスで有名なカタルーニャ民謡「鳥の歌」でした。

■公演番号:345
ホールG409(シェーンブルン)17:30~18:15

2018年2024年のLFJでも現代曲を聴いたシャルリエ氏のバロックに興味深々だったのですが、20世紀ノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンはかなり自由にアレンジしており、実質ヘンデルの主題による変奏曲。曲が進むにつれ破調するスリリングな展開でした。ラヴェルのソナタはドビュッシーの追悼曲とは思えないミニマルミュージックの先駆型であり、無調性に踏み込んでいる。ダブルアンコールのエルヴィン・シュルホフジンガレスカもミニマルです。

■公演番号:336〈1972年・インドネシア
ホールD7(セント・ポール)19:30~20:15
北村朋幹(Pf)
ジョラスソナタのためのB</div>

1972年にフランスのTVドキュメンタリー番組でバリ島を訪れた3人の作曲家のピアノ曲集。ノイズの奔流と一瞬の静寂。ガムランの影響は言われてみればという程度で、音楽とは何か、音とは何かを問い直す50年前の前衛を現在どう聴くかと問われているような体験。肘による打鍵はフリージャズでも行われるが、違うのは楽譜の存在か。譜めくり係を置かずピアニスト自らがめくるのだが、めくり方に過剰な緩急があり、それはおそらく譜面に記載されていない。楽譜とは、という問いにもつながる。

北村朋幹氏は靴を履いていないが靴下は履いている。轟音の内にいくつもの疑問符が交錯し、祭りの終わりの寂寥感を吹き飛ばされる爽快さ。アンコールのバルトーク「バリ島から」はただただ美しかったです。

 

2025年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ②

みどりの日。今日も東京メトロ有楽町線で、東京国際フォーラムへ。クラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025」、2日目は公演2本を聴きました。

ホールC(サン・マルコ)10:00~10:50

朝から牛たん定食みたいな感じの重量級のプログラムをフランスのベテランが漲るテンションで汗を拭き拭き弾き切りました。ギィ氏の「悲愴」の緩徐楽章の洒脱さはドイツや東欧のピアニストにはないテイスト。5楽章からなるブラームスの第3番は、感傷的な旋律を持つ2~3楽章にうっとり、第4楽章の壊れながら疾走するワルツは、世紀末ウィーンの混沌としたダンスフロアを想起させると同時に、ロマン派を自ら終わらせ、印象派に橋渡しをしているように聴こえました。

ホールC(サン・マルコ)16:00~16:45

こういうレア曲が聴けるのはこのフェスならでは。僕も生演奏は初めて聴きました。エルネスト・ショーソンは、フォーレより若くてドビュッシーよりは年上、フランクの弟子筋らしい浮遊感のある和声と途切れなく流れる旋律が持ち味。昨日も聴いたハンソン四重奏団に貴公子ジェニエとベテラン刑事の風貌のシャルリエが加わるが、曲調としては弦楽四重奏の伴奏付ヴァイオリン・ソナタ(時折四重奏に主役が交代する)といった風情。4~6人編成ぐらいが、ビジュアル面も含めアンサンブルの妙味がわかりやすくて楽しいです。

2公演の間にホールB5(アンドラージ)で、井上さつき氏による無料講演会「パリ万博からみた音楽史」を聴講しました。1855年から1937年の間にパリで6回開催された万国博覧会が音楽界に与えた影響の研究で、1889年の回でジャワ村におけるガムラン演奏と舞踊がドビュッシーやラヴェルら印象派の作曲家に衝撃を与えたのが主眼と思われますが、1867年開催時に当時新進気鋭のサン=サーンスを晴れ舞台からはじき出した最晩年のロッシーニの無邪気な老害ぶりに爆笑しました。

 

2025年5月3日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025 Mémoires ①

憲法記念の日。東京国際フォーラムで毎年5月の連休に開催されるクラシック音楽フェス「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」が今年も始まりました。

2025年のテーマは "Mémoires"(メモワール)-音楽の時空旅行-、音楽史上で重要な役割を果たした都市にフォーカスしたプログラム構成になっています。

3日間の祭典の初日は有料公演を2つ鑑賞しました。

■公演番号:132 ホールD7(セント・ポール)11:30~12:30

2023年LFJでベートーヴェンを3曲聴き、今年も楽しみにしていました。日英ハーフ1人とフランス人が3人(うちヴィオラのガブリエルは女子)という若きカルテットです。モーツァルトはシモンのチェロの通奏低音がエレガント、一転してベートーヴェンはチェロにより高度な役割を与えています。

作曲されたのは1785年と1806年。わずか20年の間に和声も奏法もまるで異なる。大きなイノベーションが起こったわけですが、Heartbreak HotelAnarchy in the U.K.の間も20年ですから、それぐらいの違いは当然と言えば当然ですね。

ホールC(サン・マルコ)14:15~15:20
ヤン・ヤン(指揮)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

アジア・オーケストラ・ウィークにも以前出演していた中国のオケです。弦楽器の響きが綺麗で、アジアのオケが比較的苦手とする木管も安定してレベルが高い。ヤン・ヤン氏の指揮は、針の穴に糸を通すような精妙な弱音と飛ばすところは豪快にかっ飛ばすダイナミズムがあり、シューベルトの双極性障害っぽい楽曲にベストマッチでした。

半面ベートーヴェンの第7番(ベト7)は終楽章にくどさが出ましたが、元々がいつ終わるのって感じのこってりなエンディングの楽曲なのでそこは仕方ないと思います。

今日は18世紀後半から19世紀ウィーンがモチーフの2公演でした。明日はパリ。楽しみです。

 

2025年5月1日木曜日

Chimin × やまはき玲 =レコジャム=

ファースト・オブ・メイ。都営地下鉄大江戸線に乗って。GINZA RECORDS & AUDIO KURAMAEにて開催された『Chimin × やまはき玲 =レコジャム=』に行きました。

今回はChiminさんがひさしぶりにひとりでギター弾き語りをするという見逃せない日。長いブランクを経て2023年秋にライブ復帰してからは歌に専念しており、僕が弾き語りを聴くのは2016年6月のPoemusica Vol.48以来、実に9年ぶりです。

小柄なChiminさんが小ぶりなアコースティックギター(Martin O-28?)を抱いて歌い始めると場の空気が一変する。1曲目は在日コリアン3世のChiminさんが通った大阪の民族学校の音楽の教科書に載っていた「海が好き」とうたう歌をハングルと自身の訳による日本語の歌詞で。

SEED SHIPPRACA11JAZZ喫茶映画館で聴いて、活動休止期間中にも何度も何度も脳内で再生してきたサウンドが眼前に蘇る。

続く「すべて」は歌詞の一部を引用させてもらって同題の詩を書いた思い入れのある楽曲、「」はエレピの演奏に慣れていますが、Chiminさんが弾く余白たっぷりのミニマルなテンションコードに透き通ったファルセットが響く。近年演奏機会の少ない「帰っておいで」「雨がやんだら」、以前リクエストを聞かれて答えた「蛇口」もうれしかったです。

技術があり且つ彼女の音楽を深く理解しているサポートミュージシャンに支えられて歌唱に集中しているChiminさんも素敵ですが、緩急自在な弾き語りは、その心許なさも含めて彼女の音楽の裏側にある、震え、怯え、脆さや陰影をより一層際立たせ、また違った美しさで、現実に存在して歌う人を見たなあ、という感動があります。

会場は隅田川の護岸から徒歩5分程のリノベートされたヴィンテージ建築の3階にあるお洒落な中古盤店。YESSTINGLAURYN HILLSmashing Pumpkinsなどが面出しされた品揃えがマニアック過ぎず好感度大。入店したときは、Neil Youngの "Comes A Time"が超Hi-Fiで流れていました。

ライブは、リバーヴを綺麗に効かせた弾き語りの小箱っぽい音響でしたが、お店の雰囲気やレコードの再生音とのバランスを考慮すると、もうすこしドライなMIXのほうがいいかなと僕は思います。

共演者のやまはき玲さんは東海林仁美さんのピアノサポートで、3/4拍子主体の楽曲を適度に乾いた抜けの良い声でさらっと明るく歌います。ちょっとノスタルジックな楽曲群に、入場前に歩いた向こう岸に東京スカイツリーを望む幅広な隅田川の開けた初夏の夕景が似合いました。