1950年代、真夏のメキシコシティ。主人公ウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)はくたびれたアメリカ人の中年男。かつては粋だったであろう白い麻のスーツはよれよれ、旧市街のバーでテキーラを飲み干し、目が合ったムカデのペンダントの青年(オマー・アポロ)を連れ込み宿に誘い、互いの身体をむさぼり合う。
リーは、通りで見かけた長身で眼鏡の美青年ユージーン(ドリュー・スターキー)に一目惚れする。バーで女連れのユージーンと再会するリー。金と経験とおちゃらけでノンケ男に猛アタックする中年ゲイの悲哀。ユージーンの気まぐれでふたりは身体の関係を持つが、精神的には片思いのまま、薬物依存症のリーはテレパシーを生じさせるという薬草ヤヘを求め、ユージーンをエクアドルへの旅へといざなう。
「セックスモンスターとして生きるか、人として死ぬか」。ビート・ジェネレーションの前衛小説家ウィリアム・バロウズが1953年に書いたが自らお蔵入りにし、1983年に日の目を見た自伝的小説を、フェンディ、ロエベ、フェラガモ、シャネルなどハイブランドとのコラボレーションでも知られるグァダニーノが映画化した本作は、物語の前半こそスタイリッシュな映像で美しく魅せるが、後半ジャングルに踏み入り植物学者コッター博士(レスリー・マンヴィル)の小屋に辿り着くあたりから、ドラッグまみれの裏インディ・ジョーンズといった様相を呈する。
「ヤヘは別世界の扉ではない。鏡なのだ。一度開いた扉は閉じることができない。目を逸らすだけ」。保守的なミッドセンチュリーの北米において、バロウズ自身も同性愛者であることに葛藤があったのか、繰り返される「俺はクィアではない」という自問自答が象徴的だ。実物のバロウズも常にスーツにネクタイで紳士然としてはいたが、ダニエル・クレイグは更に品の良さと色気と滑稽さを付加した分、狂気は薄れています。
英国人デザイナーでユニクロとの仕事でも知られるJ.W.アンダーソンが手掛けた1950年代の衣装がお洒落。特にユージーンが着る滑らかな生地のネイビーのシャツやタイトなボーダーポロニットは真似したくなる格好良さです。
冒頭のタイトルバックはSinéad O'ConnorがカバーしたNIRVANAの "All Apologies"、続いてKurt Cobain本人の声で "Come As You Are" と "Marigold"、Princeの "17 Days" が流れてもしや故人の歌声特集と思ったら、New Orderの "Leave Me Alone" で「生きてる人だ」と安心しました。登場人物の心象を1980~90年代のロック、バーのジュークボックスなど映画内の現実の時間に流れるのは1940~50年代のジャズやラテンという使い分けをしていますが、後者のみでまとめてもよかったんじゃないかな、と思いました。
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