2026年9月30日水曜日

マイルス・デイヴィス クールの誕生

霧雨。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2026" で、スタンリー・ネルソン監督作品『マイルス・デイヴィス クールの誕生』を観ました。

シャドウボクシングをするマイルス・デイヴィスのモノクロ映像。上半身裸で筋肉が引き締まっている。

1926年合衆国イリノイ州オールトンでマイルスは裕福な歯科医の家に生まれた。幼少期に同州イーストセントルイス(ミズーリ州セントルイスではない、東久留米みたいなものか)に転居し、はじめて人種差別の存在を意識する。教会のオルガン奏者だった母親はヴァイオリンを勧めたが、13歳の誕生日に父親にねだってトランペットを買ってもらった。中学校の吹奏楽部で頭角を現し、15歳でビリー・エクスタインのビッグバンドに参加。そこに、ディジー・ガレスピー(Tp)とチャーリー・パーカー(AS)が在籍していた。

1991年に65歳で亡くなったKing of Jazzの生涯を紹介するドキュメンタリー映画です。映画の副題になっている1950年のアルバム "Birth Of Cool" でクールジャズの端緒を開いたマイルスですが、その後 "Workin'" "Steamin'" "Relaxin'" "Cookin'"の連作の抒情的ハードバップ期、1959年の "Kind Of Blue" ではモードジャズを発明(?)し、同年の "Sketch Of Spain" におけるロマ音階導入、1970年 "Bitches Brew" のエレクトリック・ファンクビート、遺作となった1991年の "Doo-Bop" はHIPHOP、そのディスコグラフィーはアメリカ音楽の歴史そのものでもあります。

ハービー・ハンコック(Pf)、ロン・カーター(B)、ウェイン・ショーター(TS)、マイク・スターン(Gt)、マーカス・ミラー(EB)、カルロス・サンタナ(Gt)ら撮影時点で存命の共演者たち(ショーターは2023年に死去)、音楽ジャーナリストや研究者がインタビューに答え、俳優カール・ランブリーがマイルスの自叙伝の抜粋を朗読する構成で、ランブリーのしわがれ声が生前のマイルスそのものです。1940年代のテレビ番組の司会者が "Musical noise called Jazz" と紹介するのも面白い。

「マイルスのトランペットの甘い音色がジャズを恋人たちのBGMに変えた」というのもなるほどで、ミュートしたノンビブラートで透明感のある美しいロングトーンは一聴して彼の音とわかります。

私生活についてあまり興味を持っていなかったのですが、16歳でハイスクールの先輩で最初の妻アイリーンを妊娠させ、1949年のパリ公演で女優ジュリエット・グレコと束の間のアバンチュール、名盤 "Someday My Prince Will Come"(1961)のジャケ写になった2人目の妻フランシスはトップダンサーだったがジャズクラブで偶然会ったクインシー・ジョーンズをハンサムだと言ったことでDVを受け離婚、R&Bシンガーのベティ・メイブリーの影響でサイケデリックファッションに傾倒し、薬物依存症からの脱却を助けたのは最後の妻シシリー。アイリーン以外はスクリーンに現在の姿で登場します。

マイルスのあの耳に残るハスキーボイスは30歳のときに咽頭の腫瘍を切除した後遺症だったことも今回初めて知りました。

 

2026年9月20日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

台風25号接近中。西武柳沢ノラバーにて『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』カワグチタケシ詩集『fragments』リリースツアーファイナルを開催しました。

足元の悪い中ご来場くださったお客様、デザートミュージックの配信を視聴してくれた全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、バイトのセキセイインコ梨ちゃん3号さん、あらためましてありがとうございました。

8. ケース/ミックスベリー
10. 11月の話をしよう
12. ビザンティウムへ地下鉄で

■デザートミュージック
1. 白木蓮
3. 路上にまつわる断章
5. 日々

今回はリリースツアーファイナルということで、新詩集『fragments』全10篇に、昨年出版した前作『過去の歌姫たちの亡霊』の10篇を加えた全20篇を90分で朗読しました。2冊の全収録作品を読んだのは、執筆時期が『fragments』は2016~2026年、『過去の歌姫たちの亡霊』は2021~2025年と重なっており、DIVAモチーフと断片の集積という異なるコンセプトであるものの、実は強い繋がりを持っているからです。交互にしたのは、縦糸と横糸というイメージがあったのと、2週前のノラオンナさんのライブ『とまり木にて13 〜鳥と港〜』に刺激を受けた面もあります。

日常生活において90分間しゃべり続けるということがないので、長尺のワンマンはペース配分に気を遣います。全体にスローテンポで進行しましたが、雨の夜の空気感には合っていたのではないでしょうか。

前回ノラバーに出演した4月26日のリリースツアー初日は昼公演でした。観客としてお邪魔したChiminさん、mayulucaさんのライブもお昼だったので、夜のノラバーはひさしぶり。夏の御膳もこの夜がファイナル。ポテトサラダ、大根の油あげ巻、たまごやき甘いの、きんぴらごぼうの定番おかずに、つくね焼き、大根切り干しキムチ、カブの一夜漬け、夏のノラバー御膳といえばのとうもろこしごはん、とうふとわかめのみそ汁でした。ずらりと並んだ小鉢にみんなテンションが上がります。

看板インコの梨ちゃん3号もにぎやかにツアーファイナルを盛り上げてくれて、スイカの乗った固めのノラバープリンと香り豊かなノラブレンドコーヒーに会話も弾み、雨の夜が更けていきました。

次回のノラバー出演は来年2月14日(日)バレンタインデーの昼公演です。年内のライブ出演は、10月4日(日)に松戸新八柱のSUNLIT BURGERさんでSUNLIT POET VOL.2、11月14日(土)に祖師ヶ谷大蔵のBOOKSHOP TRAVELLERさんで3K19があり、12月にもう一本入ると思います。いつでもお待ちしておりますので、よきタイミングがあれば是非いらしてください。

 

mue ワンマンライブ

嵐の前の静けさ。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブに行きました。

バキバキのスラップベースをフィーチャーした「感覚をつかまえて!」で始まったこの日のラインナップは、mueさん(Gt、Pf、Vo)、8月29日にも出演した市村浩さん(Ba)とタカスギケイさん(Gt)に加え、今年4月に初共演した北村ゆう子さん(Dr)の4人編成、mueさんはES-335ではなく、いつものエレガットです。

4月11日の周年ライブに毎月開催を宣言して6回目。弾き語りデビュー25周年の今年が一番やる気があると言う。歌声もよく届きます。

2曲目の「まだこの世にはないものを作るゲームをしよう」は、あえて解決に向かわない和声進行がmue楽曲のなかでも特にはっぴぃえんど(細野晴臣)味を感じる。「変わり続ける僕たちは同じときばかりではなく」と歌う蔵出し曲「世界が広がる」。

1st setの終わりに長めのトークが迷走した際に「何か名曲を歌わなければ」と歌った「風の谷のナウシカ」の歌い出しの「金色の花びら散らして」の武道の達人のように全身の力の抜けた発声に鳥肌が立ちました。

短い休憩を挟み、衣装&髪型をチェンジしてピアノに向かい「神の示す道しるべ」で再開した2nd setは打って変わってMCをほとんど挟まずストイックに、タイトなバンドアンサンブルで魅了する。北山ゆう子さんの力強いフロアタムとタカスギケイさんのノイズアンビエントが美しい「大きな流れを作る」までのシリアスパートが、直後にカバーされた「炭坑節」への落差も含め、この日の白眉だったと思います。

そして2度目の共演となる北村ゆう子さんのドラムが終始素晴らしかったです。「イシキムイシキ」の軽やかなリムショット、「音楽がやってきた」や「ほんとうの夢をおしえて」の繊細極まりないシンバルワーク、「宝探し」のシェイカーなど、拍節を点ではなく面で捉えるような奥行きの深いビートに震えました。

 

2026年9月15日火曜日

撃たれた自由の声を撮れ

小雨。ポレポレ東中野でザイナブ・エンテザール監督作品『撃たれた自由の声を撮れ』を観ました。

2021年10月、アフガニスタンの首都カーブル。主人公ラシュミンの自宅で母親のインタビューから映画は始まる。女性たちにはデモをする権利がある。しかし娘のラシュミンとナスタランが危険に晒されるのは心配でならない、とも言う。その隣で落ち着かない様子で母の声を聞くラシュミン。

「私たちはひるまない、決してひるまない」。2021年8月の米軍撤退により政権を奪還したスンニ派イスラム原理主義組織タリバンが、女性に対する教育や就業を禁じたことに抵抗して街頭で声を上げた女性たちを、女性監督がヒジャブに隠したスマートフォンで撮影したドキュメンタリーフィルムです。十数人規模の小さなデモは、自動小銃を持つタリバンの兵士たちに常に監視されている。

「沈黙は強要、合意ではない」「口をつぐんだままだと幸福でいまの暮らしに満足していると思われる」。シュプレヒコールは「仕事! パン! 教育!」。逃げ遅れた仲間の電話が繋がらない。デモに誘った叔母がタリバンの空砲に驚いて転び眉間を切って流血したことでパニックになるラシュミン。タリバンにマークされスーツケースひとつで親類や友人宅を転々として暮らす。

同時公開された『ハワの手習い』と共通する主題を扱いながら、本作の切迫感、緊張感は格別。街路の緊迫感に対して、留学経験のあるラシュミンが、女子校の閉鎖により教育機会を失った妹たちにTOEFL400のテキストで英語を教える家庭内には笑いもあるのが救いです。「あなたが殺されたら赤いスカーフをちょうだい」「やだ、あげない」という自虐的な笑いであっても。

「アフガン女性の最初の敵は父親と兄弟。自分と闘い、家族と闘い、ご近所と闘い、タリバンと闘う」とラシュミンは言う。彼女たちのイスラム原理主義との闘いは、家父長制との闘いでもあります。

この映画に対してというより、この映画が告発する世界の在り方について、ふたつの観点で掘り下げたくなりました。

①タリバンは理屈の通じない獰猛な獣だとラシュミンの母親は評しますが、隠し撮りされたタリバンの兵士たちは組織化されて冷静に見えます。また家庭に帰れば血の通った人間なのでしょう。到底容認し難い思想を持つ人々がどのようなロジックで行動しているのか、そこに葛藤はないのか、逆の立場のドキュメンタリーを観てみたいです。

②家父長制を信奉している層は日本にも根強く存在しています。男性の既得権益を守りたいという欲求はあるにせよ、彼らの大半は女性たちを苦しめたいわけではなく、女性は家庭に収まっているほうが幸福だと信じている側面があるのではないかと思います。その裏側には、勉学や仕事は苦行だという感情があるように思えてなりません。

 

2026年9月12日土曜日

ルックバック

小雨。ローソンユナイテッドシネマアーバンドックららぽーと豊洲で是枝裕和監督作品『ルックバック』を観ました。

画用紙を鉛筆がこする音。夜の窓に向かって、にかほ市立院内小学校4年1組の藤野歩(七瀬ふうり)が勉強机で4コマ漫画を描いている。漫画は学年新聞に毎号掲載され、同級生たちに人気がある。「忙しかったから5分で描いたんだよね」と嘯くが、実は毎号頭を抱えて夜更けまで執筆していた。

放課後、担任(宮藤官九郎)に職員室に呼ばれ、次号の一枠を4年2組の京本奏(岡田六花)に譲ってくれないか、と打診され、「私は別にいいですけど、不登校の軟弱者に漫画が描けるんですかね」と藤野は承諾する。翌週配られた学年新聞を見て京本の画力に敗北を感じた藤野は、書店兼文具店に走り、デッサンやパースの教則本やスケッチブックなどの画材を買い込み、帰宅すると自室に篭り、ひたすら絵を描き続けた。

2024年にアニメ化された藤本タツキの読み切り漫画の実写版を是枝監督が撮る。アニメ版の完成度が素晴らしかっただけに、同じく漫画原作の『海街diary』のように上手くいくのかな、というのは杞憂でした。出口夏希さんの藤野、蒔田彩珠さんの京本も、アニメ版の河合優実さん、吉田美月喜さんと甲乙つけがたいキャスティング。ちなみに、原作とアニメの京本は左利きで、実写版では右利きです。

58分のアニメ版に対して、実写版の上映時間は99分。アニメ版は前半30分で高校を卒業しプロの漫画家になるのですが、実写版はふたりが一緒に漫画を描き始めるまでに約40分を費やす。ロケ地秋田県にかほ市の季節の移ろいや、藤野の両親、小中学校の教師、雑誌編集者(菅田将暉)など、大人たちとの関係性をより丁寧に描いています。

山田真歩さんの使い方が贅沢。また出演時間こそ少ないですが、藤野の母親役の野呂佳代さんの存在感が際立っています。小学校の卒業式のあと、雨に降られた藤野が帰宅した廊下を雑巾で拭いて、捨てておいてと言われ一度は縛ったスケッチブックの束の紐を鋏で切る無言のシーンは野呂佳代さんのためのもの。『怪物』『箱の中の羊』に続く是枝作品への出演で、故樹木希林さんのポジションを今後担っていく気がします。

卒業証書を京本に届け、はじめてファンを得た藤野が、急に降り始めた雨の中、農道をスキップしながら鼻歌が劇伴のギターにシンクロし、びしょ濡れで全力疾走する一連のシークエンスは、『海街diary』で当時十代前半の広瀬すずさんが自転車二人乗りで桜のトンネルを通過するスローモーションに匹敵する美しさです。

無音の使い方もいい。膝まで埋まる雪を踏み締めて真夜中のローソンへ向かう二人。カメラは店外から二人を映し、少年ジャンプの新人賞掲載号を開く二人の緊張と興奮を無音の画面が増幅している。

複数の音楽作品、映像作品などへのオマージュが指摘される原作漫画ですが、実写版においても、隣県の美大に進学した京野の作品が壁に多数貼られ、風でめくれるカットはエドワード・ヤン監督の『恐怖分子』の悲劇を予感させるものでした。

 

2026年9月11日金曜日

リンカリンカ~あの夏の先

小雨。ヒューマントラストシネマ有楽町でカンドゥルン監督作品『リンカリンカ~あの夏の先』を観ました。

交通量の少ない一本道を走るVOLVOを運転しているのは26歳の新人映画監督サムキ(ツェリン・ヤンキ)。免許を取り立てのサムキの運転は危なっかしく助手席の父(ノルブ・ツェリン)は運転を替われと言う。サムキが路肩に寄せると、野生のヤクがVOLVOを追い越して行く。

中華人民共和国チベット自治区の首府ラサ。故郷を舞台にした映画を製作するために北京から帰郷したサムキは、撮影可能なリンカ場を探している、リンカとは、チベット族が短い夏を楽しむために家族や友人たちと屋外で食事や飲酒をしたり、歌ったり踊ったりすること。

12歳のサムキ(ツェキィ・メトック)は、幼馴染の親友ラモ(デチェン・バンゾム)の家に泊まった夜、ラモの部屋にあったネパール刺繍の財布の美しさに魅了され、盗んでしまう。翌日も一緒に登校するふたりだが、天真爛漫なラモは「財布が見つからない。幽霊に取られた」と言う。ある日のリンカで、サムキは財布を拾ったと父に告げる。ドキュメンタリー番組を制作している父は、娘が財布を拾った経緯をインタビューしテレビで放送する。

成績優秀なサムキは選抜され上海の中学校に入寮する。高校受験を控えた15歳の夏、祖父の法要のためラサに帰省し、ラモと再会する。

ラサ出身の女性監督カンドゥルン氏は1995年生まれの31歳。自然光の捉え方が抜群に上手い。少女期の映像は大人になった主人公が撮影している映画という、三重の入れ子になっています。実体験をモチーフにしているものの、合コンで再度再会したラモ(タンサン・ラモ)と自身の記憶に齟齬が生じる。実体験はモチーフに過ぎず、映画はフィクションなので、制作側に都合よく作っても問題ないのだが、それは自身の苦い経験に対して誠実な態度と言えるのだろうか。高地で空気の薄いラサの短い夏の眩しい逆光を背景に、静かに葛藤するサムキは、監督の姿でもあるのでしょう。

中国語の原題は『一个夜晚与三个夏天』。一つの夜と三つの夏の日です。タイトルバックとエンドロールはチベット語、漢語、英語のトリリンガルで、オープニングテーマはレゲエ、エンディングテーマはヒップホップ。現代のラサのユースカルチャーが垣間見られる一方、伝統的なチベットらしさといえば、背景に聳える峻険なヒマラヤ山脈、5色のタルチョ(祈祷旗)、仏塔を周回して巡拝するコルラ、民族楽器の独特の音階など。グローバルな観客のニーズに応えるバランス感覚に優れています。背の高い並木道の両側に平坦な田園が広がる俯瞰ショットは『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』のオマージュでしょうか。

唯一気になったのが、静謐な映像に対して音が若干うるさいことです。Wang Chuan のアンビエントな劇伴は耳に心地良いのですが、街角の喧騒や住居内の生活音が結構なボリュームで常に収録されています。都会の暮らしではそれがリアリズムでもある反面、映画館の密室においては圧が強い感じがしました。

 

2026年9月4日金曜日

猫たちと7000マイルの旅

小雨。ヒューマントラストシネマ有楽町でマイ・ホン監督作品『猫たちと7000マイルの旅』を観ました。

排水溝に雨水を落とすパイプから顔を出す子猫。カタールの首都ドーハは雨のほとんど降らない砂漠の都市。街頭のスピーカーからアザーンが響き、駱駝に乗ったターバンの男たちと超高層建築が同居する。夜の路上を徘徊するひどく瘦せこけた野良猫たちに、仕事を終えたパキスタン人の施工管理技士ウマイルがキャットフードと安全な水道水を配っている。

画面は急に明るくなり、星条旗を映す。客室乗務員のケイティは航空機操縦士の妻でティーンエイジャー2人の母親。ウィスコンシン州ミルウォーキーで猫カフェSIP & PURRを経営し、過去に国内外から1390匹の保護猫の譲渡を仲介している保護活動家でもある。航空会社のコールセンターに電話を掛け「ドーハからシカゴに猫を25匹搭乗させるカーゴの代金を支払いたい」と言うとオペレーターは絶句する。

25基のクレート(運搬用ペットキャリー)と共にハマド国際空港に降り立ったケイティがウマイルと協力して、4日間の滞在で25匹の野良猫を保護するために奔走する様子を追ったドキュメンタリー映画です。

世界有数の富裕国カタールの人口は300万人。その89%は外国人が占める。急速な経済発展を支えるために雇用され渡航して来た出稼ぎ労働者たちが、スーク(常設市場)のペットショップで子猫を買い帰国時に捨てる。人口とほぼ同じ300万匹の野良猫がいるという。

300万匹のうち25匹なので、比率にしたら僅かなものですが、救われる猫が一匹でも増えればという強い気持ちで動くケイティ。命に軽重はないのに「選ぶ」という行為が付随してしまう。現地の保護活動家たちを訪ね、保護されている多数の猫のうち連れ帰る数匹を選ぶ。スークに出掛け、無数の野良猫たちの中から数匹を選んでクレートに収納する。

そこには選ばれなかった者が存在する。保護する側にも観客である我々にも葛藤は生じると思います。ケイティは帰国後に里親を探すにあたり、引き取り手がつくような猫を選ばなくてはならない。救いは、その基準が容姿や描種や健常さだけではなく、フライトに耐える最低限の体力は必要だが、事故で四肢の一部や視力を失った猫やFIV(猫エイズ)陽性の猫、栄養失調の猫など、路上で生き延びることが困難な猫たちが多く選ばれていることです。

印象に残ったのは、ドーハの保護活動家たちの国籍が、インド、ヨルダン、シンガポール、フィリピン、ほか多岐に亙ること。イスラムの戒律の関係なのか、カタール人は獣医師しか登場しません。25匹の予定が、スークでクレートを買い足して27匹と帰国、その後妊娠していた雌猫レディが4匹の赤ちゃんを産んで、結果的に31匹になりました。障害を持つ猫も含めその多くは、ミルウォーキーとその周辺に暮らす富裕な白人家庭に引き取られました。

 

2026年9月3日木曜日

とまり木にて13 〜鳥と港〜

小雨。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたライブ『とまり木にて13 ~鳥と港~』に行きました。

『とまり木にて』は、2021年11月からノラオンナさんが同会場にて不定期開催しているツーマンライブ。普段はゲストを一人招いて、弾き語りの演奏を1曲ずつ交互に披露するという趣向ですが、今回は特別編。

ノラさんの現時点における最新盤『スサー』を共にレコーディングした二人のギタリスト、外園健彦さんと古川麦さんとのトリオ「夏のスサー」。2012年結成、メンバーチェンジを経て現在は、ピアノ藤原マヒトさん、ドラムス柿澤龍介さん、ベース宮坂洋生さん、ボーカルノラさんの4人編成バンド「港ハイライト」。2組のユニットがいずれもノラオンナ楽曲を交互に演奏する(したがってノラさんは出ずっぱり)という構成です。

先攻は黒衣装の港ハイライトで「港ハイライトブルーズ」。宮坂洋生さんのウッドべースが加わったアコースティックカルテットはジャズテイスト。藤原マヒトさんは終始オブリガートを弾き、そのありようは楽器こそ違えキース・ムーンのごとし。柿澤龍介さんが正確なブラッシュワークと強力なキックで底支えする。

続いて白衣装の夏のスサーで「Bye-bye」。名盤『スサー』の1曲目です。古川麦さんと外園健彦さん、2本のガットギターは、どちらがリードでどちらがリズムという役割ではなく、有機的なアンサンブルとして機能しており、港ハイライトが意識的に隙間を作るのに対して、夏のスサーは寄木細工のように美しく組み上げていく。

2組の演奏の土台となっているのがノラさんのがっしりとしたソングライティングであり、熟達した演奏に乗って自由に遊んでいるのがノラさんの歌です。

古川麦さんの弾き語りを初めて聴いたのは13年前のこと。ガットギターのフィンガーピッキングの清涼な音色、滑らかで豊かな歌声、誠実でアイデア溢れる演奏から滴るフレッシュネスがまったく色褪せていないことに驚かされます。

「港ハイライトブルーズ」「無理を承知で言ってるの」「愛の劇場」「抱かれたい女」「バニラの香り」など、あえて世俗の道、大衆音楽(=ポピュラーミュージック)を選ぶ港ハイライト、「Bye-bye」「クリスマスプレゼント」「拳」「My bluebird」など、聖性を帯びた夏のスサーの楽曲と演奏を、客席という汽水域で交互に浴びて感情が揺さぶられる。

終盤になると両者は徐々に融合し、聖俗あわせ持つノラオンナミュージックに収斂していく。更に、アンコールで披露された「梨ちゃんソング」は、テクノアレンジのシングル盤とは180度異なる解釈で、6台の生楽器のオーガニックなグルーヴはTALKING HEADSの "Remain In Light" を思わせるオルタナティブな響きを持つものでした。

 

2026年8月30日日曜日

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉

夏日。ローソンユナイテッドシネマアーバンドックららぽーと豊洲で宮本幸裕監督作品『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』を観ました。

固定電話の呼び出しベルの音。受話器に串刺しにされた蜥蜴。制服の少女(青山吉能)が同級生にスクールバッグを奪われ橋の下に投げ捨てられると、夥しいカッターナイフが降ってバッグに突き刺さる。

「ないしょのないしょのだれにもないしょ」「あなたの骨をひとつくださいね」。ソウルジェムを持たない少女は呪いと引き換えにトカゲさん電話から力を得て、四足歩行する髑髏の姿をした魔獣を次々に殺戮し、その過程で都市は跡形もなく破壊される。

鹿目まどか(悠木碧)は中学2年生、同級生美樹さやか(喜多村英梨)と通学中。その後ろを歩く佐倉杏子(野中藍)は、魔法少女ではない少女が魔獣を倒す昨今の問題と絡めて、魔法少女のさやかが魔法少女ではないまどかとつるむのはまずいのではないか、と3年生の巴マミ(水橋かおり)に愚痴る。階段状の噴水に頭を下にしてびしょ濡れで仰向けに横たわる暁美ほむら(斎藤千和)と同じ顔の上級生(坂本真綾)が、まどかに「あなたに会いたかった、マルグリート」と話しかけてきた。
 
2011年に東日本大震災による中断を挟んで放送された全12話を、2012年に劇場版前後篇として再構成した『魔法少女まどか☆マギカ』は、運命的な渦に巻き込まれ望まずに魔法少女になった主人公まどかを救うために、ほむらが「円環の理」に閉じ込める話。翌年劇場公開された『魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』では、ほむらによってまどかは「円環の理」の概念と化し、魔女との戦闘で命を落とした魔法少女たちは悪魔になったほむらによって再構成された世界で再生する。

その後を描いた本作において、テレビシリーズでは凄惨な戦闘との激しいギャップを形成していた中学生としての日常、 寝坊した主人公がトーストを咥えて走るような学校生活や家庭生活はほとんど描かれません。劇団イヌカレー(泥犬)が手掛ける魔女空間の造形は更に異形性を増し、戦闘シーンの映像の迫力はすさまじい。 テーマパークの傾いた塔、傾いたドアはむやみに不安を煽り、その空間で魔法少女たちは前作のように技名を華麗にコールすることもなく、ひたすら黙々と戦う。

ところが、物語の抽象度を極限まで追求するあまり、魔法少女たちがいったい誰と何と戦っているのかがわからない、という現象が起こってしまう。すくなくとも僕にはわかりませんでした。その感情を肯定するか否定するかで本作の評価が変わってくると思います。 天真爛漫な百江なぎさ(阿澄佳奈)が美樹さやかに問いかける「誰のために何がしたいのですか?」。現実世界において、殊更思春期において、我々は誰のために何と戦っているのかを見失い、葛藤しながらも戦いから逃がれることができない。それがリアルな肌感覚として迫ってくる作品ではあります。

造形的な面白さ、アクション、音響、梶浦由記の劇伴は、文句なしに最高なのですが、同じように最高な例えばスパイダーマンと比較して、ひりひりするリアリティを持ちながら、同時にカタルシスの絶望的なまでの欠如を感じるのは、観客である我々の現実世界が既に円環の理に幽閉されてしまっている、ということなのかもしれません。

 

2026年8月29日土曜日

mue ワンマンライブ

小雨。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmueさんのワンマンライブに行きました。

開演時間の13時にmueさん(Vo、G)、タカスギケイさん(G)、市村浩さん(B)の三人がステージで着席し「新しく始まる生活」をリフレインする「君は大丈夫」の演奏でライブが始まりました。今年の5月から月例となったワンマンライブ。今回mueさんはいつものガットギターをGibson ES-335に持ち替えて、5弦ベースとヘッドレスギターという、ドラムレスのエレクトリックトリオです。

"Like Someone In Love"と"Just Friends"、ジャズスタンダードの2曲ではギターを置いて歌に専念、プレイヤビリティの高い二人の聞かせどころを心得たベースソロ、ギターソロにもたっぷり尺を取る。

2曲のオリジナルソング「まだこの世にはないものを作るゲームをしよう」「イシキムイシキ」に続き「即興やりましょうか」と突然リクエストし2コードをループさせるmueさんにアンビエントな音像で応える。表面的な音は穏やかですが、三人の音楽的瞬発力を強く感じました。

「いつでも苦しめられるのはいちばん好きなもの」。好きだからこそ高みを目指す。好きだからこそ振り回される。好きなものに対する自身の真摯さに不足を感じる。そういう苦しさは、人間関係であれ、恋愛であれ、仕事であれ、誰もが感じるものですが、実は喜びと表裏一体で、mueさんにとっては音楽がそういう存在なのだろうな、と思いました。

「小笠原の南洋踊り」のカバーをひさしぶりに聴けたのもうれしかった。実に不思議な歌で、ハワイアン風な旋律に古い南洋語の意味のわからない響きが美しいのですが、日本語の歌詞も「わたしの心はあなたのために大変痩せた死ぬかもしれません」みたいに面白いフレーズの連発で、mueさんの柔らかい声であっけらかんと歌うのが最高なのです。

この日が故マイケル・ジャクソンの誕生日ということで、(いつもの)見切り発車で歌った2曲もブラジリアンスタンダードの "One Note Samba" もよかった。

オープンチューニングを使用せず、ピアノも弾かず、カバー多め、スロー~ミドルテンポで進むライブは、肩の力が抜けていて、「がんばらない」モードに入れている感じがしました。次回は同じくMANDA-LA2で9/20(日)昼公演、今回のタカスギケイさん、市村浩さんに加え4月11日の周年ワンマンに出演した北山ゆう子さん(Dr)を迎えたカルテットとのこと、見逃せないです。

 

2026年8月23日日曜日

恐怖分子 デジタルリマスター

処暑。Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下でエドワード・ヤン(楊德昌)監督作品『恐怖分子 デジタルリマスター』を観ました。

明け方の薄青い街をパトカーが走っている。「眩しかった? 眠れない?」。シャオウェン(ホアン・チアチン)が『周郁芬自選集』を読んでいるベッドの傍らの壁には、隣で眠るシャオチャン(マー・シャオチュン)が撮影し大きく引き伸ばされたシャオウェンのポートレートが貼ってある。ベランダの下で銃声とサイレンが響き、白いシャツの男が路上にうつ伏せに倒れている。

賭博場のガサ入れだった。シャオチャンは一眼レフを持って通りに降り、警官に制止されながらも一連の逮捕劇をカメラに収める。2階の窓から飛び降り、足を挫いたハーフの美少女シューアン(ワン・アン)が横断歩道を渡れず倒れるのを撮影し、彼女に強烈に惹かれた。

「それは春の最初の一日だった」。小説家のイーフェン(コラ・ミャオ)は執筆に行き詰っていた。夫のリーチュン(リー・リーチュン)は野心的な勤務医。失踪した妻の捜索を幼馴染のクー警部補(クー・パオミン)に依頼するが、イーフェンは元彼シェン(チン・スーチェ)と浮気していた。

『恐怖分子』は、エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』『台北ストーリー』に続く長編第三作、1986年に公開されました。レトロモダンで幾何学的な病院やオフィスと、湿り気のある猥雑な路地裏が、計算し尽くされた構築美とカメラワークで描かれています。ガラスや鏡を利用した光の美しさや風の描写はヤン監督の得意とするところで、大病院の西日で逆光のカンファレンスルームやリマスター版のポスターと予告編にフィーチャーされているシューアンの壁面コラージュが風に揺れるシーンなどはうっとり見とれてしまうほど。

同じ台北でばらばらに存在していた3組の男女が、一本のイタズラ電話から絡まり合って、カタストロフに至るプロットの構成も天才的。二通りの結末が順番に提示されますが、観客が迷うことはないと思います。同監督作品中随一の陰鬱さでありながら、映画にとって美とは何か、と強く問いかけ、深く記憶に刻まれる一本です。

医長の座を後輩に奪われ失意のリーフェンが彷徨う台北の街角の背景に深作欣二監督、薬師丸ひろ子主演の角川映画『新・里見八犬伝』(1983)の巨大な看板画が描かれています。


2026年8月21日金曜日

星の時 4K

夕立ち。新宿武蔵野館でスザーナ・アマラウ監督作品『星の時 4K』を観ました。

ラジオの時報。キジトラ猫が木製の床を歩く姿にタイピング音が重なる。デスクには一輪のハイビスカス。「私はタイピスト。処女でコーラが好き」。19歳のマカベーア(マルセーリャ・カターショ)は、唯一の身寄りだった叔母を亡くし、ブラジル北東部の貧しい村からサンパウロ(原作小説ではリオデジャネイロ)に出て、部品メーカーの倉庫で職を得た。

タイピングは遅く、ミスが多い。そのうえ用紙はホットドッグの油染みで汚れ、せめて手を洗わせろ、と指導役のハイムンド(ウンベルト・マニャーニ)を上司のペレイラ(デノイ・デ・オリベイラ)は叱責する。

明け方目を覚まし、ベッドの下から洗面器を出して小用を足し、拭かずにまた眠る。ラジオの時報。顔もスタイルも人並み以下、服装も髪型も変でなんか匂う、と言われながらも、女子寮の4人のルームメイトはマカベーアを優しく受け入れる。

休日にひとりで動物園に行くために地下鉄に乗ろうとしたマカベーアに駅員が近寄って来るが、停止線をはみ出て危険なことを注意するためだった。ホットドッグをバースタンドで食べているときにカウンターの先で熱い視線を送っているように感じた紳士は白杖を持った視覚障碍者。洟をブラウスの襟で拭くマカベーア。

公演のベンチで証明写真を撮影していた青年(ジョゼ・デュモン)に声を掛けられ、同じ北東部出身のふたりは休日に出歩くようになる。何度目かのデートで尋ねるとオリンピコ・デ・ジェズス・モレイラ・シャヴェスと名乗った。

ブラジルの小説家クラリッセ・リスペクトル(1920-1977)はウクライナ生まれのユダヤ人です。彼女が逝去直前に刊行した『星の時』を1985年に映画化したスザーナ・アマラウはこのとき53歳。9人の子育てを終えてからNYで映画製作を学び、本作が初監督作品とのこと。

不思議な感触を持つ映画です。コメディとトラジディの狭間を往還するオフビートなトーンは、アキ・カウリスマキ監督やオタール・イオセリアーニ監督に近いかもしません。エモーションに踏み込む手前でとどまる感覚や主要登場人物のぎこちない動きは濱口竜介監督にも通じる。

天涯孤独で特性的にグレーゾーン、故に低賃金、何か質問されても上手く答えられず、すぐに謝ってしまうマカベーアは、スペックや境遇は過酷で不幸なのに悲壮感はなく、かと言ってポジティブなのとも違う。美男美女はスクリーンに現れないが、周囲の女性たちがみな優しい。店子が出かけるときは「バイアコンディオス(神のご加護を)」と声掛けする大家。直属上司のハイムンド氏も仕事が出来ないマカベーアを庇って優しい。会社の先輩で本作のお色気担当グロリア(タマラ・タシュマン)は、占いの結果マカベーアを裏切る行動を取ってしまうが、それでも優しい。

随所に流れる特徴的なラジオZTW465は、実在の24時間時報専門局Rádio Relógioをモデルにしています。1分毎の時報の合間に、蝿は昆虫で最も体重が軽く28日で地球一周できる速さで飛ぶ、みたいなトリビアが挟まり、本作に客観的でドライな空気感を付与しています。

プロレタリアート文学の系譜にありながら、同時に夢幻的で、掴みどころがない。それがこの映画の魅力になっていると感じました。

 

2026年8月16日日曜日

ハワの手習い

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町でナジーバ・ヌーリ監督作品『ハワの手習い』を観ました。

2021年秋、シャルル・ド・ゴール空港に着陸する機窓の田園風景から映画は始まる。本作の監督ナジーバ・ヌーリがアフガニスタンからフランスに亡命した。

時は遡り、2019年アフガニスタンの首都カーブル。ヌーリ監督の母親ハワが洗濯したペルシャ織のラグを手で絞り、パンをこねる。ハワが13歳のときに結婚した(させられた)30歳年上の夫は認知症になり、ハワが介護している。郊外の小綺麗な一戸建に家具は少なく、床に座って生活するため、居住空間が大きく感じられる。

男4女2の子育てを終えたハワは、伝統工芸のハザーラ刺繍と裁縫の腕を活かし、商売を始めようと考え、バーミヤンのクラフトバザールやポレソフタの市場に作品を卸すことを始める。親に教育を受けさせてもらえなかったハワは、カーブルの書店で小学生向けの教科書を買い求め、読み書きの勉強を始め、美容院で白髪を染めた。

50代で自分の人生を自ら切り開く決意をした母親の姿を捉えるカメラは希望の輝きに満ちている。離婚した娘の元夫の暴力に耐え兼ね家出した孫娘ザハラーを匿い、新たに購入したホワイトボードで文字を教わる。学びの日々は2021年8月末の米軍撤退とタリバンの政権復帰により強制終了させられます。

女性ジャーナリストであるナジーバ監督は生命の危険に晒されフランスに亡命。それが冒頭シーン。文字を覚えたハワと手紙のやりとりをする。カメラはナジーバの兄アリーに引き継がれるが、公道で母親を撮影しているところをタリバンに見咎められて殴られ、カメラはアスファルトに叩きつけられる。

2019~2024年にアフガニスタンで撮影されたドキュメンタリーフィルムは、前半と後半でまったく異なる様相を示します。女性の就業を禁じ、女子学校を閉鎖したタリバンの非人道性とそれを妨げられない国際社会に上映中は憤りを禁じ得えませんでした。

ただ冷静になると、タリバンの支持層というものがアフガニスタン国内には存在するのだという考えに至りました。貧困で充分な教育を受ける機会に恵まれず、伝統的家族観/家父長制を信奉し、女性は家庭にいるのが幸福、という思想を持つ人々が、タリバンの示す秩序こそ国家の安定につながると考えることは想像できます(共感はできません)。

もうひとつ、主な被写体であるヌーリ家は、アフガニスタン国内の少数民族であるハザーラ人で、ダリー語を話し、イスラム教シーア派を信仰しています。タリバン含む多数派のパシュトゥーン人はスンニ派、顔立ちも言語も異なり、ハザーラ人を清掃業や屠畜業に従事させ、差別してきた歴史がある。そのこともこの映画を通じて知りました。

 

2026年8月14日金曜日

左利きの少女

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町でツォウ・シーチン監督作品『左利きの少女』を観ました。

シネスコサイズの画面いっぱいに映し出されるカレイドスコープ。高架橋を渡る軽トラの助手席で万華鏡を除く5歳のイージン(ニーナ・イエ)は、母シューフェン(ジャネル・ツァイ)、長女イーアン(マー・シーユエン)と共に台北に帰ってきた。

シューフェンは通化街夜市の一角を借りて麺店を出し、イージンを四維幼稚園に入れる。イーアンは、原付でイージンの送り迎えをしながら、怪しい檳榔西施のアルバイトを始める。仕事で疲れて眠っているシューフェンの枕元の電話が鳴る。借金を残して失踪した夫が末期ガンで入院している病院を見舞うと、人工呼吸器につながれて話のできない状態だった。

幼いイージンは、保守的な祖父(アキオ・チェン)に左利きであることを咎められ「悪魔の手」と言われ気に病むが、やがて自身の左手を自身とは別人格として捉える。夜市でアクセサリーやぬいぐるみを左手で万引きするが、盗んだのは自分ではなく悪魔だと思い込むが、そのおかげで祖母の窮地を救ったりもする。

長く米国でインディーズ映画のプロデューサーを務め、オスカーとパルムドールをW受賞した『ANORA』のショーン・ベイカー監督と20年以上タッグを組んできたツォウ・シーチンの初監督作品です。ツォウ監督自身が台北出身(現在はアメリカ国籍)、左利きとのこと。本作の共同脚本、編集をベイカー監督が担っています。

生活に疲れ切ったシングルマザー、高校では学年TOP3の成績でビジュも女神だったが父親の失踪で人生詰んでやさぐれた娘、天真爛漫で狡さも併せ持つ少女という3人のメインキャストが、リアルな湿度感を伴い魅力的に描かれています。

父親を見舞って罵倒したイーアンに「もし今日のことをママに言ったらクレヨンを捨てるからね」と脅され瞼いっぱいに涙を溜めるイージンの愛くるしさ。2016年生まれのニーナ・イエは台湾の人気子役ということですが、芝居っぽさのない自然な表情を引き出したツォウ監督の演出の力もあると思います。

全編iPhoneによる撮影で、イージンの目線の低さで極彩色の夜市を駆け巡り、人物のクローズアップも通常のカメラより近くで撮れるため、微細な表情の変化だけでなく、肌の質感や息遣いまで伝わり、親密な感触の映像にすることに成功しています。画質も遜色ないですが、三姉妹と母親のアフタヌーンティと高級海鮮料理店における還暦祝いのシーンだけ若干解像度が落ちる気がしました。

本作は長姉イーアンの成長譚でもあります。ハイティーンという設定で超スレンダーボディにピンク・フロイドのホルターネックのマー・シーユエンはモデル出身なのかな。右上腕に2行の英文タトゥーは自前のようです。檳榔西施の後輩シャオピン(リズ・チェン)もかわいい。夜市の麺店の隣で怪しげな便利グッズを実演販売するジョニー(フランキー・ホァン)が心底いいやつで全力で応援したくなりました。

 

2026年8月2日日曜日

気狂いピエロ 2Kレストア版

猛暑日。シネスイッチ銀座でジャン=リュック・ゴダール監督作品『気狂いピエロ 2Kレストア版』を観ました。

真っ黒な画面に赤い「A」の文字が9つ。「B」「C」がひとつずつ、5つの「D」が加わり、2つの「E」はブルー。そして「JEAN PAUL BELMONDE/ET/ANNA KARINA/DANS/PIERROT LE FOU/UN FILM DE/JEAN LUC GODARD」が浮かび上がるクールなタイトルバックに重なる画家ベラスケスの評伝のナレーション。眩しい陽光に照らされたテニスコート。

泡の立ったバスタブに横たわり、傍らに幼い娘を呼び寄せ、フェルディナン・グリフォン(ジャン=ポール・ベルモンド)が『美術史』のベラスケスのページを読み聞かせる。スペイン語講師のフェルディナンドはテレビの仕事を辞め失業中。裕福なイタリア人のマリア(グラッツィエラ・ガルバーニ)と共にパーティに出席するために雇ったシッターはフェルディナンの元恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。

パーティでは、男たちは自動車について、女たちはデオドラントについて、空虚な会話をひたすた繰り広げている。現実には未完となった『悪の華』の撮影を控えた米国人監督サミュエル・フラー(本人)とボードレールについて(通訳付きで)話を交わすが、退屈してひとりで先に帰宅し、マリアンヌを送って一夜を共にした翌朝、夥しい銃器が置かれ、OAS(極右秘密軍事組織)と壁に殴り書きされた彼女の部屋には刺殺された男の死体があった。

ゴダール監督作品で最も知られた今作は、1960年の長編デビュー作『勝手にしやがれ』から数えて10作目、1965年に公開されています。気難しい巨匠のイメージに反して生涯で50本近い映画を監督し、1970年頃までは年2本ペースで量産している。

パリからニースへ、盗んだ車を乗り換えながら破滅に向かう無軌道な逃避行、という筋立ては単純ながら、出典が明示されるものもされないものも次から次へと繰り出される過去の映画、文芸、美術などの引用、突然のミュージカルシーン、珍奇な劇中劇、時系列の不自然な編集などから難解な印象が強い。ガソリンを入れる金も尽き、スタンドの店員を殺してしまうほど困窮してもなお、シーン毎に洒落た衣装に着替える主人公ふたり。

青と赤を基調とした鮮烈な色調の中で、映画にとって、あるいはフィクションにとってリアリティとは何か? と繰り返し問い掛けられているような作品です。『007』シリーズや『ネヴァーエンディングストーリー』を愛好していた十代の僕にとって、全く経験の無い未知の方向からやってきた『気狂いピエロ』は、「わからない、でも、だからこそ知りたい」という妖しい魅力を放ち、「ストーリーはメッセージや教訓や感動や恐怖の伝達に全振りすべきで、その基盤にはリアリティが必要だ」という多数派の価値観がすべてではない、と教えてくれた作品でした。

ちなみに、ヌーヴェルヴァーグの作品群で一番好きだったのは、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962)、最も衝撃を受けたのはテレ東の大晦日深夜枠で観たアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)で、僕が観た1980年代には既に古典的名作でした。1960年代は2020年代の60年前。1980年代から見た60年前、1920年代の映画といえば『カリガリ博士』や『メトロポリス』などの無声映画。今回リマスター版で『気狂いピエロ』を観た10~20代の受け取り方が気になるところです。

 

2026年7月30日木曜日

勝手にしやがれ 4Kレストア版

ゲリラ豪雨。シネスイッチ銀座でジャン=リュック・ゴダール監督作品『勝手にしやがれ 4Kレストア版』を観ました。

「B級映画社モノグラム・ピクチャーズに捧ぐ」。主人公ミシェル・ポワカール(ジャン=ポール・ベルモンド)は、高級車を盗んで転売することで生計を立てている。マルセイユで盗んだアルファロメオをパリに運ぶ田舎道で、検問を強行突破してオートバイの警官に追われ、グラブコンパートメントに見つけたリボルバーで警官を射殺して逃げる。

「俺はバカだ。だからやらなくちゃならない」。パリに帰ったミシェルはセフレのリリアン(リリアン・ダヴィッド)のアパルトマンを訪ね、仕事に向かうリリアンが着替えているあいだに財布から金をくすね、キオスクで新聞を買って、馴染みのカフェでビールを飲む。南仏で知り合ったジャーナリスト志望の新聞売りアルバイトのアメリカ人パトリシア・フランキーニ(ジーン・セバーグ)と再会し、行動を共にする。

1960年に公開されたゴダール監督の長編第一作が、リチャード・リンクレイター監督の『ヌーヴェルヴァーグ』の公開に合わせて再上映されています。2020年に60周年記念でオリジナルネガから4Kレストアされたモノクロ映像とサウンドトラックは細部までクリアで、40年前にVHSで観たときとは比べものにならないです。当時は革命的だった路上のゲリラ撮影もジャンプカットも第四の壁も現在では見慣れた表現手法になりましたが、野心溢れる映画作りの疾走感は2026年の目で見ても際立ちます。

アメリカのハードボイルド映画を原型にしているものの、衣装や音楽のチープシックな雰囲気はフランスならでは。ポワカールが(そしてラストシーンではパトリシアが)親指で唇を拭うアクションは『マルタの鷹』のハンフリー・ボガートを真似ていますが、本家はそこまで頻繁にはしていないので、『ヌーヴェルヴァーグ』でオーブリー・デュランがくどいほどベルモンドの顔真似をするのはオマージュなんですね。

警官殺しで指名手配されても呑気なポワカールのチェーンスモーカーぶりは、現代の目で見ると常軌を逸した依存で、腰を撃たれてよろけながら走っても煙草を吸い続ける。やたら新聞を買うのもスマホ依存(=情報依存)が重なります。

そしてなにより、ジーン・セバーグの輝きが半端ない。このとき20歳。セシルカット(髪型)は前出演作『悲しみよこんにちは』の役名から来ていますが、ベリーショートの金髪でNew York Herald Tribune 紙のロゴTシャツやクリスチャン・ディオールのボーダーワンピースを小粋に着こなします。細過ぎないのがいい。

ハードボイルドや西部劇、フォークナー『野生の棕櫚』(悲しみと虚無しかないのなら悲しみを選ぶ)、ディラン・トマスの『仔犬のような芸術家の肖像』、モーツァルトのクラリネット協奏曲。サンプリングカルチャーは日本においては、高橋源一郎を通過して、渋谷系に結実した。

トリュフォーの『大人は判ってくれない』と並びヌーヴェルヴァーグの誕生を告げた『勝手にしやがれ』は邦題のセンスが異次元。当時の配給会社の宣伝担当者に心より喝采を贈りたいです。原題 "À Bout De Souffle" を直訳すると「息切れして」、英題は "Breathless" 。ポワカールが運転しながら観客に向かって「海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ」というシーンがあります。蛇足ながら『大人は判ってくれない』の原題 "Les Quatre Cents Coups" は「400発の打撃」(The 400 Blows) です。

 

2026年7月28日火曜日

mue ワンマンライブ

夕立ち。吉祥寺MANDA-LA2にてmueさんのワンマンライブでした。

「雨の日はいいことがある/こだわりを捨てて」と最近恒例になりつつある鼻歌から始まったライブは3/4拍子の「午後の雨」、そして5/8拍子の「夏空」へと続く。緑茶色のリネンのワンピースのmueさんが今回はひとり。ガットギターの弾き語りです。

会場の外、吉祥寺は熱帯夜。タイからラオスへ小舟で渡り、インドへ「正しいトゥクトゥクドライバーの選び方」。アントニオ・カルロス・ジョビンの "Vivo Sonhando" (夢を見ながら生きる)。「夏なんです」では昭和の日本のカントリーサイドへ。世界各地の夏の光景をめまぐるしく巡りました。

4月11日の周年ライブで宣言した毎月ワンマンを実行して、季節の微妙な移ろいを音楽に乗せて届けてくれるのは、とてもうれしいことです。

それに加えて今はmueさんのコンディションが僕の知る限り過去一良好。ギターもピアノもブライトで抜けがよく、歌声は全音域、全声量が艶やか。成熟とフレッシュネス、パッションとチルが絶妙にバランスしているのは、コンスタントなアウトプットが良い方向に作用しているのだと思います。迷走するMCはリピーターにとっては既に風物詩ですが、演奏に入ったときの確信に満ちた音楽の輝き、そのギャップに心を掴まれます。

流麗な美メロの「ひとりでいられる」、初期の名曲「はっぴいえんどのそのあと」が聴けたし、超高速ビートルズメドレーで賑やかに締めて、マイフェイバリットmueナンバーのひとつ「気の向くままへ」のアンコールもうれしかったです。

今回最大の個人的発見は、Tracy Chapmanの "Talkin' Bout A Revolution" です。今年4月に刊行した僕の新詩集『fragments』の冒頭詩「永遠の翌日」は「革命の話をしよう」で閉じます。この詩を書いたとき、松本隆の『風のくわるてっと』とジャン=ジャック・ルソーの『エミール』は念頭にあったものの、1988年のこの曲のことはすっかり忘れていました。忘れていても潜在意識の中には確かに存在していた。そのことを強く引き出してくれる音楽の力を、mueさんのピッコロのように軽やかな口笛の間奏を聴きながら、思わずにはいられませんでした。

 

2026年7月14日火曜日

海辺の一日 4K

猛暑日。角川シネマ有楽町でエドワード・ヤン(楊德昌)監督作品『海辺の一日 4K』を観ました。

波の音。朝日の逆光に6人のシルエットが浮かび上がる。場面は転じて佳莉(シルヴィア・チャン)の部屋、ベッドサイドのデジタル表示は11:44を指している。ラジオからベートーヴェンのピアノ協奏曲。ウィーンを拠点に欧州で活躍するピアニスト蔚青(フー・インモン)が13年ぶりに帰国し台北で演奏し、明日は日本公演だという。

調律を確認する蔚青にオーストリア人のマネジャーが佳莉のメッセージを伝える。蔚青は対談をキャンセルし、佳莉とホテルのラウンジで会う。佳莉は、蔚青と13年前に別れた恋人佳森(ミンシ・アン・ツォー)の妹である。

佳莉が語り始める空白の13年間の物語。佳森は蔚青と別れ、開業医である兄妹の父親(ナン・チュン)の勧める相手と結婚して家業を継いだ。医者の息子との縁談を持ちかけられた佳莉は大雨の夜に家出し、同級生の徳偉(デビッド・マオ)と台北の安アパートで暮らし始める。徳偉が勤務する不動産投資ファンドは成功し、暮らし向きは飛躍的に向上したが、夫婦関係はぎくしゃくしている。

1980年代の台湾ニューシネマを代表するエドワード・ヤン監督の長編第一作は日本では今回が劇場初公開です。60年代の仏ヌーヴェルヴァーグ、70年代の米ニューシネマにも共通するパッションは、商業映画とは一線を画したリアルな手触りをフィルムに活着させること。

監督デビュー作としては異例の2時間47分という長尺がまったくダレないのは、過去の話の中で更に過去を回想する三重構造を見事に提示してみせた監督の力量はもちろんですが、同じく撮影監督デビューとなった豪州出身のクリストファー・ドイルの画面構成、色彩感覚、動体捕捉力によるものが大きいです。全カットがクールで危うい均衡を保っている。このあと香港に拠点を移し、ウォン・カーウァイ監督作品に画期的なカメラワークで貢献し、世界的にブレークします。『欲望の翼』のスローモーションや『天使の涙』の広角レンズには衝撃を受け、心底痺れました。

本作でも、徳偉が荒々しく運転するメルセデスベンツのカーチェイスは終始運転手目線という斬新なもの。「時間の力は絶対だ。恐ろしいほどに」と、病室の徳偉が最期の力を振り絞って、シーツやベッドのフレームやステンレスの什器をなぞる指先のクローズアップの残酷なまでの美しさ。

回想シーンの冒頭でまだ高校生だった佳莉が着ている緑色の制服は『ヤンヤン 夏の想い出』や『ひとつの机、ふたつの制服』でヒロインたちが通う名門、台北市立第一女子高級中学のもの。早世したヤン監督の長編映画は全7作。『海辺の一日』(1983)『牯嶺街少年殺人事件』(1991)『台北ストーリー』(1985)『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)を観たので、残り3本でコンプリートです。

 

2026年7月13日月曜日

ヌーヴェルヴァーグ

真夏日。ヒューマントラストシネマ渋谷にてリチャード・リンクレイター監督作品『ヌーヴェルヴァーグ』を観ました。


エリック・ロメール(コーム・ティユラン)、ジャック・リヴェット(ジョナス・マルミー)がタイプライターを叩くカイエ編集部で、ゴダールはデスクの引き出しの金庫から紙幣をくすね、トリュフォーの『大人は判ってくれない』が出品されているカンヌ映画祭へ行く。

1959年のパリ。ヌーヴェルヴァーグの創成期を舞台に、ジャン=リュック・ゴダールが監督第一作『勝手にしやがれ』を製作する過程を追った、史実に基づくフィクションは、『勝手にしやがれ』と同じ白黒1:1.37の画角で撮影され、フィルム上のノイズやキューマークまで再現されています。

「最高の批評方法は自分で映画を撮ること」。戦場カメラマンのラウル・クタール(マチュー・パンシナ)を雇うが、これが当たる。戦闘中の動体を追っていたクタールは、街中でのゲリラ撮影にうってつけ。手持ちカメラはリール音が大きくて同録ができないが、それを逆手に取り、カメラの背後で思いついたセリフやアクションをリアルタイムで役者に大声で伝え、演じさせるゴダールの即興演出が生まれる。

[未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む(T.S.エリオット)]。上映開始から40分は、資金集めやキャスティングなど、ドタバタな準備を描く。クランクイン後は「○日目」とテロップが入り、撮影の20日間を日別に描くのは、リンクレイター監督らしい表現です。

天才の型破りで予測不能なわがままに振り回される、という見方もできますが、ゴダールも役者たちも裏方もみな一様に無邪気で前向きで楽しそうな印象が強く残りました。決められた手順に沿って清々と撮影を進めるより「今日はアイデアが尽きた」と突如打ち切るのは、はた迷惑ではありますが誠実な態度にも思われます。

当時を演じる役者陣の衣装、ヘアメイク、細かな動きや画角、パリの街並み、自動車、インテリア、小道具などの再現度が偏執狂的で、その意味ではゴダールの即興性とは対極の細部まで緻密に設計され作り込まれた作品です。アメリカ人女優のジーン・セバーグ(ゾーイ・ドゥイッチ)の夫との会話以外の台詞はすべてフランス語で、トリュフォーもロメールもリヴェットも、いかにも言いそうなことを言うのが楽しい。ジャン=ポール・ベルモンドを演じたオーブリー・デュランの顔真似はちょっとやり過ぎなぐらいですが、だんだん笑えてきました。

 

2026年7月12日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

真夏日、西武柳沢へ。『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック』mayulucaさんの回に行きました。

開演時刻14時半にmayulucaさんが取り出したのは、円筒形のオルゴール。赤いきのこの傘の下でうさぎたちが、W.A.モーツァルトのオペラ『魔笛』のプリンセス・パミーナと鳥刺しパパゲーノの二重唱「愛を知る者たちには」に乗って踊るイントロダクションから「君は君のダンスを踊る」へ。

2曲目の「きこえる」の「陽の沈む音だろう」という歌詞は、僕の「森を出る」という詩で引用させてもらっています。続く新曲「虹の中にいる」は今年4月に東京に大きな虹が出たときに、普段は強い言葉で罵り合うSNSにそのときだけは多くの虹の画像が共有されているのを見た「わたしなりのPeace Song」だと言う。

「彼と彼女のそれぞれ」は3人の登場人物がいるんですね。物語を描く彼と遠い町を旅する彼は同一人物だと勘違いしていました。「昼下がり」の「君のこと/好きになってしまったようで/君も僕を/好きになってくれるといいな」という歌詞に「大好きよ、トリラブユー」と答えるノラバーのバイトインコの梨ちゃん3号も絶好調。毎週カウンターでGOOD MUSICを浴びて、音楽の機微を会得しつつあるようです。

「青空」「あなたにとって光とは」「箱庭」の3曲は、おそらく次回作の軸になる楽曲群だと思っています。本編ラストの「アネモネ」は恒例になった客席参加型。「デザートミュージック」では、インスタライブのコメント欄にコーラスで参加する方も。

そして、ノラバー店主ノラオンナさんのアイデアが光る季節の果物と野菜のサラダはしゃきしゃきのスイカとベビーリーフとかいわれ。先々週のChiminさんのライブでもいただいたノラバーさわやかポークカレーもダークチェリーが乗ったノラバープリンもまったく飽きのこない味です。

ノラバーの東向きのすりガラスの大きな窓から優しい光が差し込んで、空を見上げる人と空を描いたmayulucaさんの歌声と正確なギターを柔らかく照らす。鳥のおしゃべりとコーヒーの香り。穏やかな時間の流れに身を任せる夏の午後のノラバーでした。