2024年6月30日日曜日

遊戯にまつわるエトセトラ season#2

六月尽。下北沢BASEMENT BARで開催された死んだパンダ噛んだズCUICUIによる共同企画ライブ『遊戯にまつわるエトセトラ season#2』に行きました。

僕が到着したときの会場BGMはSPEEDの "BODY&SOUL"。去年TUBE。今日は90年代がテーマか。

それでCUICUIの1曲目は「ぼくたちのナツ」です。AYUMIBAMBIさん(b)の「消費されない意思があることを/あいつらは知らない」、Rui Sui Liuさん(Dr)の「ポイズンは溢れている/消えることはないけど」の歌詞とメロディはERIE-GAGA様(Key)が当て書きしているのかな、二人の声質にとても合っていると思います。

2024年リリースの最新曲「脱コミュニケーション」は歌とトランペットで音源にコラボレートしているダンサーゆんさんがMVと同じ白衣装で登場し、CUICUIの三声とはまた違う無垢な歌声に心洗われる。

今回下手最前エノシママキさん(Gt)のギターアンプのすぐ正面で聴いて、前半のメロウでアーバンな16ビートナンバーのカッティングやミュートも、後半のゴリゴリな8ビート曲のパワーコードも、一音一音に気を配った丁寧なプレーをしているんだな、とあらたな発見がありました。

死んだパンダ噛んだズの音楽を僕の引き出しにある言葉で説明するのは本当に難しくて、見た目はAUTO-MODMADAME EDWARDAなどV系ルーツ(80年代当時はポジパンと呼ばれていた)のカリカチュアライズを本気でやったらデスメタル方面にはみ出してしまった感じなのですが、oiパンク的なシンガロングもある一方、サビで開放に向かわないソングライティングはグランジの影響が濃いのかな。CUICUIの「ダンゴムシは左右交互に曲がる」のコーラスを曲中に挿し込みリスペクトを表す。

夏から一番遠い男たちが夏をなんとか捕まえようとしている、というか。アンコールでは2バンドのメンバー8人が決して広くないステージに入り乱れ H Jungle with T の大ヒット曲で会場が一体に。遊び心が両バンドの最大の共通項だと思いました。

 

2024年6月23日日曜日

アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家


森の中に屹立する石膏のウエディングドレス。胴体は空洞で長いベールの襞には汚れた雨水が溜まっている。3Dカメラが移動したビニールハウス内にも空洞のウェディングドレスが数体。ある者は身体中にガラスの破片が刺さり、ある者は肩に重い紙束を乗せ、ある者は有刺鉄線で巻かれている。

パリ郊外クロワジーの倉庫を改装したアトリエで台車に載せた巨大なキャンバスを押すアンゼルム・キーファー。手を離すと台車は慣性で自走する。自転車にまたがり、口笛を吹きながら広大なアトリエ内を移動するキーファー。

戦後ドイツを代表する画家/現代美術作家が主人公の本作には、時代背景や作品の成立過程を説明するナレーションも存命中の画家本人や関係者へのインタビューもない。ドキュメンタリー映画というより、同じ1945年に生まれたドイツ映画の巨匠がその創造性に深く共鳴して制作したインスタレーション作品と言っていいと思います。

キーファーの石膏や鉛、泥、焦げた枯草、鋼鉄などを用いた重量感のある立体もしくは半立体作品、アトリエの奥行き、作品と制作過程のスケールの大きさを見せるうえで、3D上映が強烈な臨場感を生んでいます。リアリズムであると同時に、映像がクロスフェードする場面では立体感のある半透明な物質が非現実的に現前し、軽い目眩を覚える。

僕がはじめてキーファーの作品と対峙したのは1995年。軽井沢セゾン現代美術館でした。平面作品「ヘリオガバル」の陰鬱な均整、人毛を使用したインスタレーション「オーストリア皇妃エリザベート」の不穏な佇まい、とりわけ「革命の女たち」と題された簡素なシングルベッドに鉛のシーツが敷かれ人が寝たの跡の窪みに水が溜まった作品には、隣室に展示されたマグダレーナ・アバカノヴィッチの「ワルシャワーー40体の背中」と並んで強い衝撃を受けました。

また、廃屋に大量の砂が注ぎ込まれて再び運び出されるという、僕の詩作品「Universal Boardwalk」や「永遠の翌日」に現れるモチーフは、キーファー作品(およびジョセフ・コーネル)に影響されています。

本作中でパウル・ツェランの詩篇が複数回引用されます。ナチスの迫害から生き延び、戦後ドイツ語圏の代表的詩人となり、1970年に49歳でパリのセーヌ川に入水自殺したユダヤ人の朗読は、想像していたよりも格段に若々しく青臭ささえ感じさせる繊細な肉声でした。キーファーの師匠筋にあたるヨーゼフ・ボイスもワンシーン登場します。

 

2024年6月17日月曜日

都会の民族芸能

曇天。祖師ヶ谷大蔵 Cafe MURIUI で開催されたライブイベント『都会の民族芸能』特別編に行きました。

Chiminさんは、二宮純一さん(g)、井上"JUJU"ヒロシさん(fl, sax)とトリオで演奏、1曲目は「sakanagumo」でした。活動再開後はじめての都内ライブということでしたが、対バン形式にお呼ばれということもあり、とてもリラックスして歌っているように聴こえました。2曲目に歌った「シンキロウ」の「なぜにそんなにもかわいく生きられるの?」という歌詞が僕はとても好きです。会場の響きとトリオの音像がよく合って、いつにもまして静謐で美しく感じました。

主催者の徳久ウィリアムさん岡野勇仁さん(Pf)とのデュオ、ユージンウィリアムスで、シベリアのブリヤート族や北アジアのタタール族などの民謡をモチーフにしたチャーリー高橋さんの楽曲群を多彩な発声で表現しました。ワールドミュージッカーを自称するユージンさんの『世界の国歌総覧』コーナーも楽しかった。チャーリーさんの「地獄巡り」はmueさんのライブでしばしば演奏され、ショーロ~MPB的な捉え方をしていたのですが、原典はゴスペルなんですね。目からウロコです。

三枝彩子さんはモンゴルの伝統音楽オルティンドーの歌い手です。マイクを通さずとも会場全体を震わせる圧倒的な声量は、遠く地平線の見える草原の完全デッドな音響で何kmも離れた思い人に恋心を伝えることができる仕様になっている。オルティンドーは「長い歌」。短い歌のボギンドーも唱法的には似ているのですが、オルティンドーより音節数が多い。ヘンデルオペラ曲を、岡野勇仁さんのハープシコードの伴奏に乗せ、オルティンドーの唱法で歌ったのも素敵でした。

最後は出演者6人全員でチャーリーさんがモンゴル民謡に日本語の歌詞を乗せた「山越えの阿弥陀」を演奏・歌唱しました。

人間はリード楽器である、というのは村田活彦氏の説ですが、単音楽器である人声の表現力を高めるために、もしくは求愛行動として、人はいろいろな声を出すことに憧れる。その憧れが歌を生み、様々な装飾音を加え、ときには倍音を強調し、あるいは和音に聞こえる発声法を鍛錬する。その希求の姿勢は祈りにも似ている。そんなことを考えた梅雨入り前の夜でした。

 

2024年6月16日日曜日

SPOKEN WORDS SICK 5

夏日。渋谷Flying Booksにて開催された Splash Words presents SPOKEN WORDS SICK 5 「さいとういんこ『ハンバーガー関係の数編の詩と、その他の詩』出版記念」に出演しました。

さいとういんこさんAmazon On Demand から出版した新作詩集のリリースパーティに渋谷の人気古書店Flying Booksの出版部門SPLASH WORDSから詩集を出している4人の詩人のひとりとして参加させてもらえて大変光栄です。

一番手は小林大吾さん(画像後列左)。クールでスタイリッシュで押韻に黎明期のJ-HIPHOPの影響を感じさせつつ終始エレガント。今回最初に読んだ当時の作品「1キロメートルに祝福を」では、現在の身体性とテキスト作品にわずかな隔たりを滲ませる姿に、ポエトリー・リーディングのリアルを感じる。パイナップルとフィボナッチ数列をモチーフにした詩もフランシス・ポンジュみたいで格好良かったです。

僕は二番目に5篇の詩を朗読しました。

5. 光は讃えるだろう(さいとういんこ)

最初の2篇はSPLASH WORDS刊『カワグチタケシ詩集』収録。会場Flying Booksを歌ったSUIKAの「宙飛古書店」から1行サンプリングさせてもらったANOTHER GREEN WORLDとカバーを2篇。上記に加え、この日のためにいんこさんと書いた無題の連詩をふたりで朗読しました。

次がナーガこと長沢哲夫さん(画像前列中央)。83歳。お会いしたのは2009年にFlying Booksで開催され僕も出演させてもらったナナオ・サカキ氏の追悼ライブ以来15年ぶりです。必ずしもリフレインの多い詩ばかりではないのに、朗読がループに聴こえる。訥々として倍音を含んだ心地良い低音がドラッギィでトランシーで僕は、ピエール・アンタイのクラヴサンで聴いたスカルラッティのソナタを思い出していました。

最後は今夜の主役さいとういんこさん(画像前列左)がご自身のポートレートをプリントしたシャツで登場。SPLASH WORDSから刊行した2冊の詩集と新作『ハンバーガー関係の数編の詩と、その他の詩』と未刊詩篇をいくつか。四半世紀の友であり偉大な先輩。詩は青春の文学というが、いんこさんぐらい軽やかにチャーミングにそして強いアティテュードを携えて老境は迎えようとしている詩人はいない。と、その手前で若干もがき気味な僕は思うのです。

満員の客席には懐かしいお顔もたくさん。僕の詩をはじめて聴いたという若いお客様に詩集とカセットテープをお買い上げいただきました。この日は僕の59歳の誕生日でした。いんこさんが連詩の前にバースデーソングで祝ってくださり、終演後にFlying Books店主山路さん(画像後列右)がロールケーキを切ってくれたのもうれしかったです。皆様どうもありがとうございました。

 

2024年6月11日火曜日

プリンス ビューティフル・ストレンジ

夏日。アップリンク吉祥寺ダニエル・ドールエリック・ウィーガンド監督作品『プリンス ビューティフル・ストレンジ』を観ました。

労働力確保のために奴隷貿易でアメリカに渡った黒人たちが綿花農場で歌ったワークソングがゴスペルとブルースに発展し、洗練されてR&Bとジャズになり、ソウルミュージックが生まれる。産業構造の変化により黒人たちは米国南部の農場から北部の工業地帯に移住する。その街のひとつがプリンスの故郷ミネソタ州ミネアポリス。

このドキュメンタリーフィルムの原題 "Mr. Nelson On The North Side" の North Side とはミネアポリス市の北部の貧しい黒人居住エリアを指す。激しい人種差別に晒されていたが、公民権運動の最中の1966年、元プロボクサーのスパイク・モスが発起人となり、地域の荒廃対策としてコミュニティセンターが発足、The Way と名付けられた。The Way ではスポーツ、読書、ダンス、楽器演奏などを自由に楽しむことができ、いくつかのファンクバンドが生まれる。そのひとつ Grand Central でギターを弾いていたチビでやせっぽちの少年がプリンス・ロジャース・ネルソン。のちの大スター・プリンスである。

冒頭に字幕で「プリンス財団は本作と無関係であり/本作関係者に知的財産をライセンス供与していません」と表示される通り、この映画にはプリンスのオリジナル楽曲が使用されていません。地元の先輩や所縁のあるミュージシャンのインタビューが中心でプリンス自身のライブ映像もわずか。

観客が怖くてギターアンプを調整するふりをしてずっと客席に背中を向けていたシャイボーイがいかにしてスキャンダラスなセックスシンボルに変貌したのか、16ビートの土臭いファンクに人種を超えてウケる8ビートをどのような意識で融合したのか、鎮痛剤の過剰摂取による57歳の早過ぎる死へ至る経緯など、知りたかったことはほとんど語られない。

それでも、上述の通りオリジナル楽曲が使用されていなかったことで逆にプリンスの曲が無性に聴きたくなるという効果があります。中央線に乗ってApple Musicで "1999" を久しぶりに聴きました。

2010年頃愛聴していたメイシー・グレイの現在の姿が見られてうれしかったのと、チャックDPublic Enemy)が少年時代に憧れたミュージシャンにファッツ・ドミノと並べてネルソン・リドルを挙げていたのが衝撃的でした。

 

2024年6月9日日曜日

POETS on SUNDAY

ロックの日。町屋のサロン統べ手で開催されたオープンマイク POETS on SUNDAY にゲスト出演しました。

ご観覧の皆様、オープンマイク参加者のみなさん、サロン統べ手オーナーかとうゆかさん、お声掛けくださった主催者のさいとういんこさんURAOCBさん、どうもありがとうございます。

町屋駅を出ると天王祭の最中で、愛らしい子ども神輿から勇壮なおとな神輿までいくつもの祭禮が街を疾走していくのを見て、会場入り前からテンションが上がります。以下8篇を朗読しました。

1.
2.
3. 永遠の翌日

深掘りトークのコーナーは、十代の頃の話から1997年にポエトリーリーディングを始めたときのこと、カウンターカルチャーの享受に対するデバイスの変化の影響など、興味の対象が広範で博識な2人のMCいんこさんとURAさんに上手く引き出してもらって、楽しくおしゃべりしているうちに予定時間の倍近く経ってしまいました。

オープンマイクもみなさん個性的で素敵でした。上述の1997年頃から見知った顔も1997年に生まれた若手も参加してくれました。江東区文化センターとJ-WAVEが共催したポエトリーリーディング講座がティアラこうとう小ホールで1997年10月に開催した発表会をご覧になった方が、会場で配られた冊子から僕の "ANGERIC CONVERSATIONS" をスローテンポなハードボイルドタッチで朗読してくださったのにも感激しました。

POETS on SUNDAY 次回は8月4日(日)。ゲストはみんな大好きあられ工場さん。僕もお邪魔できたらいいな、と思っています。

 

2024年6月6日木曜日

違国日記

夏日。TOHOシネマズ錦糸町オリナス瀬田なつき監督作品『違国日記』を観ました。

休日のショッピングモールの駐車場。桜第一中学校3年生の田汲朝(早瀬憩)の目の前で大型トラックが両親の車に突っ込み両親は即死。母親と折り合いの悪い妹、人気ファンタジー小説家こうだい槙生(新垣結衣)は千葉県警荒崎警察署に駆けつける。

事実婚だったため、葬儀の看板には二つの名字。「あの子きっと親戚中をたらい回しにされてかわいそう」と無責任に囁き合う高齢の親戚たちにキレた槙生は朝に「あなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は決してあなたを踏みにじらない」と、自宅に引き取ることを告げた。

数日後、中学校の卒業式の朝。親友えみり(小宮山莉渚)の母親を通じて朝の両親の死は学校に伝わっていた。朝は「あと1日だけじゃん。普通に卒業したかった」と担任を振り切り、えみりに「大嫌い」と吐き捨て学校を飛び出してしまう。

「わかり合えなくても、寄り添えることを知った」。がさつでずぼらで無愛想、汚部屋暮らしの35歳独身作家を演じるガッキーが全然きらきらしていないのがいい。声が2オクターブぐらい低い。瀬田監督は思春期の揺れる感情を手や足の指のクローズアップで上手く切り取っています。

瀬戸康史は現在放映中の民放連ドラと本作とで元彼ポジションを確立したのではないでしょうか。槙生の中学からの親友醍醐奈々を演じる夏帆はヒロインのソウルメイトの定位置で本領を発揮。槙生、奈々、朝の3人で餃子を作るシーン、公園で井上陽水の「夢の中へ」を歌うシーンは多幸感が溢れる。

高校の同級の優等生森本さんは『推しが武道館いってくれたら死ぬ』『シンデレラガール』『私が私である場所』『ケの日のケケケ』と出演作が続く伊礼姫奈さん。彼女が登場すると画面が締まる。森本さんと朝が校舎の屋上で叫ぶと遠くで犬が反応して吠えるシーンは最高でした。

劇伴は高木正勝さん。静謐なピアノ曲には凡百のポスト・クラシカル、ヒーリング・ミュージックとは一線を画すエッジがあり、淡々とした中に淡い情感を滲ませて美しいです。

 

2024年6月2日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章

雷雨。ユナイテッドシネマ豊洲黒川智之監督作品『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』を観ました。

東京上空に浮かび3年間動かない母艦から夥しい数の「侵略者」たちが落下してくる前章のラストから、自衛隊による侵略者の捜索と殺戮の場面へ後章は続く。門出(幾田りら)とおんたん(あの)は高校を卒業し駿米大学に進学した。

新歓のキャンパスでは「無抵抗な侵略者を殺すな、侵略者にも人権を」と侵略者保護団体 "SHare out Invaders Protect" 通称SHIPが訴えている。門出とおんたんは尾城先輩(沢城千春)のオカルト同好会に勧誘される。

おんたんは尾城先輩のアパートで、門出が中学時代に推していたアイドル大場圭太(入野自由)に出会うが、その身体は侵略者に乗っ取られていた。

ある極限状況において、世界の存続か、恋人や親友の救済か、という選択は近年いくつかのアニメ作品の主題になっており、多くの場合、主人公は苦悩の末に後者を選択するように思えます。これが世代的なものなのか、現実社会の空気を反映しているものなのかわかりませんが、個人の感情を尊重することに観客の共感が傾いていることは間違いない。しかしながら、おんたんは「喧嘩をするなら僕が全部相手をするよ。そして秒速で土下座する」と必死に融和の道を探ろうとする。

本作における「侵略者」と人類が一方的に名付けた種族は、実は人類より以前に地球に生息していたが、環境の変化に適応できず地球外に移住した経緯があり、再び環境変化により地球への帰還を選択した。排斥された先住民として、帝国主義時代のコロニアリズムの犠牲者たちや昨今のパレスティナ紛争にも通じる問題提起をしていると感じました。

前章に続いて、主人公ふたりあのちゃん幾田りらさんの表現力が素晴らしく、フィジカルの強さを感じさせます。ディズニー映画の『ふしぎの国のアリス』(1951)の昔から、アニメーション表現とサイケデリックは相性が抜群ですが、本作は更に前人未踏の領域に踏み込んでいると思います。

 

2024年6月1日土曜日

ジョン・レノン 失われた週末


メイ・パンは1950年ニューヨークのスパニッシュハーレムでクリーニング店を営む移民の両親の元に生まれた中国系アメリカ人。ザ・ビートルズが設立したアップルレコードの子会社のNY支社に19歳で入社し、持ち前の社交性を活かして広報担当者となった。

その後、英国に戻ったジョンヨーコに請われて個人秘書になる。ここからメイは運命に翻弄される。ジョンが他の女性と浮気しセックスするのを見たヨーコが別居とメイがジョンの恋人になることを命じた。本妻が自身の意思で関係を終わらせることができると考えた公認の愛人である。10歳年上のジョンに恋愛感情を持っていなかった22歳のメイは固く拒んだが、結局ジョンとLAで暮らし始める。

1992年に出版されたメイ・パンの自叙伝の映画化は、ドラマ作品ではなく、現在の作者と関係者のインタビューと当時のプライベートフィルムとスチール写真で構成されています。メイ側の視点のためオノヨーコは冷酷な雇い主として描かれており、当然反論もあるかと思いますが、僕にはメイとジョンの18ヶ月のロマンチックな純愛物語に見えました。

前妻シンシアと長男ジュリアンがジョンと和解するのも、リンダポール・マッカートニーがジョンと再会するのも、メイと暮らしていたLAでのこと。メイとジュリアンは現在も親密な関係性を築いているとわかるラストシーンの抱擁には心温まります。

ジョンがメイに贈ったイラスト群は心からの愛が感じられます。なによりも動画や写真に残っている1972~73年の眼鏡をかけたメイの笑顔がどれも明るく生命力に満ち溢れ生き生きと輝ていてとても魅力的でした。