2024年6月11日火曜日

プリンス ビューティフル・ストレンジ

夏日。アップリンク吉祥寺ダニエル・ドールエリック・ウィーガンド監督作品『プリンス ビューティフル・ストレンジ』を観ました。

労働力確保のために奴隷貿易でアメリカに渡った黒人たちが綿花農場で歌ったワークソングがゴスペルとブルースに発展し、洗練されてR&Bとジャズになり、ソウルミュージックが生まれる。産業構造の変化により黒人たちは米国南部の農場から北部の工業地帯に移住する。その街のひとつがプリンスの故郷ミネソタ州ミネアポリス。

このドキュメンタリーフィルムの原題 "Mr. Nelson On The North Side" の North Side とはミネアポリス市の北部の貧しい黒人居住エリアを指す。激しい人種差別に晒されていたが、公民権運動の最中の1966年、元プロボクサーのスパイク・モスが発起人となり、地域の荒廃対策としてコミュニティセンターが発足、The Way と名付けられた。The Way ではスポーツ、読書、ダンス、楽器演奏などを自由に楽しむことができ、いくつかのファンクバンドが生まれる。そのひとつ Grand Central でギターを弾いていたチビでやせっぽちの少年がプリンス・ロジャース・ネルソン。のちの大スター・プリンスである。

冒頭に字幕で「プリンス財団は本作と無関係であり/本作関係者に知的財産をライセンス供与していません」と表示される通り、この映画にはプリンスのオリジナル楽曲が使用されていません。地元の先輩や所縁のあるミュージシャンのインタビューが中心でプリンス自身のライブ映像もわずか。

観客が怖くてギターアンプを調整するふりをしてずっと客席に背中を向けていたシャイボーイがいかにしてスキャンダラスなセックスシンボルに変貌したのか、16ビートの土臭いファンクに人種を超えてウケる8ビートをどのような意識で融合したのか、鎮痛剤の過剰摂取による57歳の早過ぎる死へ至る経緯など、知りたかったことはほとんど語られない。

それでも、上述の通りオリジナル楽曲が使用されていなかったことで逆にプリンスの曲が無性に聴きたくなるという効果があります。中央線に乗ってApple Musicで "1999" を久しぶりに聴きました。

2010年頃愛聴していたメイシー・グレイの現在の姿が見られてうれしかったのと、チャックDPublic Enemy)が少年時代に憧れたミュージシャンにファッツ・ドミノと並べてネルソン・リドルを挙げていたのが衝撃的でした。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿