2019年1月3日木曜日

アリー/ スター誕生

お正月は映画館で過ごすのが恒例です。2019年はユナイテッドシネマ豊洲ブラッドリー・クーパー監督出演、レディー・ガガ(左利き)主演『アリー/ スター誕生』を観ました。

アリー(レディー・ガガ)は売れないシンガー。高級ホテルの配膳スタッフで糊口をしのぎ、週末はゲイクラブ"BLUE BLUE"のドラァグショーで歌っている。レコード会社のオーディションを受けても「鼻が大き過ぎてスターになれない」と言われて落とされる。ロックスターのジャクソン・メイン(ブラッドリー・クーパー)はアルコール依存症。移動中のリムジンが渋滞に巻き込まれ、酒を求めてたまたま入った "BLUE BLUE"で、アリーの歌うシャンソン「バラ色の人生」に涙してしまう。

ジュディ・ガーランド(1954)、バーブラ・ストライサンド(1976)らが主演し、何度も映画化された原作に基づくが、設定を現代に移して、楽曲もレディー・ガガとブラッドリー・クーパーが新たに書き下ろしています。ナレーションやモノローグを排し、回想シーンもない。音楽はほぼ演奏シーンのみ。役者の表情と科白、カメラワークと見事な編集で全てを語らせている。シンプリシティの勝利はクーパー監督の手腕。

加えて、ブラッドリー・クーパーが曲が書けて、歌えて、ギターも達者という驚きと、映画初主演のガガ様がこんなにもお芝居が出来るのかという驚き。

自己肯定感の低いアリーが初めてジャクソンのステージに呼び込まれ大観衆の前で自作曲 "Shallow" を歌い始めるときの不安で一杯な眼差し。オーセンティックなロックンロールからダンスミュージックにセルアウトしていく自分に対する恋人ジャクソンのアンビバレンツな想いを敏感に感じ取り、己の才能が愛する人を潰してしまうことに気づくアリー。

19歳で Def Jam Recordings と契約したガガ様にショービズ界で下積みのイメージはあまりないですが、それでも最初から世界的なスターだったわけではない。演技が本業ではないだけに、才能を信じ人並外れた努力で運を掴みステップアップしていった自身のキャリアをアリーに映じたはずで、我々もそのふたりを重ね合わせて観るというメタフィクションでもあると同時に、ガガ様がアリーという役を演じることで自己を再肯定する過程を観客と共有する感動的なドキュメンタリーフィルムと言ってもいいのではないでしょうか。

 

2018年12月22日土曜日

メアリーの総て

小雨降る冬至の午後、クリスマス前の大通りは着飾った人たちで一杯。シネスイッチ銀座ハイファ・アル=マンスール監督作品『メアリーの総て』を鑑賞しました。

19世紀初頭のロンドン。アナキストの書店主ウィリアム・ゴドウィンスティーヴン・ディレイン)の娘メアリー(エル・ファニング)は夢想的なゴス少女。ホラー小説を書き、墓地で過ごすのが好きな16歳。

フェミニズムのアクティヴィストだった母親はメアリーの出産時に死亡。継母との折り合いが悪く、スコットランドに住む父の友人に預けられる。その邸宅で開かれたポエトリーリーディングで気鋭の詩人、21歳のパーシー・シェリーダグラス・ブース)と出会い、おたがいひと目で恋に落ちる。

フランケンシュタイン或いは現代のプロメテウス』の作者メアリー・シェリーを主人公にした史実に基づくフィクション。重厚なコスチュームプレイをサウジアラビア初の女性映画監督が静謐で精妙な筆致で描く。感触としてはジェーン・カンピオンのフィルムに近いです。

タイトルバックの滝や渓流のスローモーションがその後のメアリーの奔流に巻かれるような人生を象徴している。夜のシーンが多いのと昼間でもほとんどの日が雨か曇り。実際この時期の欧州は火山灰の影響で寒冷化し、飢饉に見舞われた。スクリーンの物理的な暗さにエル・ファニングの瞳のブルーグレイが一層際立ち美しい。

コールリッジ、シェリー、バイロン。実在の詩人たちの粗野で淫蕩でインモラルな日々。バイセクシャルとして描かれたバイロン卿(トム・スターリッジ)のクズっぷりは特に振り切れており、むしろ清々しいほど。詩人=ダメンズというスレテオタイプは19世紀ロマン派がその極みだったのだなあ、と思いました。が、バイロンもシェリーも最後の最後に文学に対してだけは誠実さを見せるのが救いです。

 

2018年12月16日日曜日

くるみ割り人形と秘密の王国

師走の日曜日のショッピングモールは家族連れやカップルや同級生で大賑わい。ユナイテッドシネマ豊洲ラッセ・ハルストレムジョー・ジョンストン監督作品『くるみ割り人形と秘密の王国』を観ました。

舞台は20世紀初頭(?)のロンドン。母親を亡くして初めてのクリスマスを迎えるシュタールバウム家の二女一男。次女のクララ(マッケンジー・フォイ)は屋根裏部屋でピタゴラ装置を自作するリケジョ。

伯父ドロッセルマイヤー卿(モーガン・フリーマン)のパーティで引き当てた母の形見の卵型のジュエリーボックスを開くピンタンブラー錠の鍵を奪ったネズミを追いかけて並行世界へ迷い込んでしまう。

チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』(原作E.T.A.ホフマン)とは主人公の家族親族の設定が同じだけで全く別のストーリーです。サウンドトラックはチャイコフスキーを引用したジェームズ・ニュートン・ハワードのオリジナルスコアと言っていいと思います。原曲にはないピアノ演奏は『のだめカンタービレ』の吹き替えでお馴染みラン・ラン。また開始15分程で「花のワルツ」が流れます。

とはいえディズニー映画ですから、スケールが大きく、セットや衣装がゴージャス、ジョー・ジョンストンの手掛けるVFXやアクションも派手で飽きさせない。まあ元々の『くるみ割り人形』自体、ダンスありきの割とどうでもいいストーリーですから問題ないです。

スウェーデン出身のハルストレム監督はハリウッドの巨匠がすっかり板につきました。『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(1986)以降ずっと「母親の不在と子供の成長」というテーマに取り組んでいますが、今回もブレません。本作で描かれる並行世界は亡き母の妄想によって築かれている。

主人公クララを演じるマッケンジー・フォイは『インターステラー』の子役。いい感じに仕上がっています。赤い軍服姿が大変凜々しい。くるみ割り人形(ジェイデン・フォーラ=ナイト)の助けを待たず、ブリキの兵隊たちをハイキックで次々に倒すのが爽快で、21世紀のディズニープリンセス像を体現しています。

ミスティ・コープランドセルゲイ・ポルーニン。当代きってのプリンシパルふたりが踊るエンドロールはクリスマスモチーフのアニメーションも可愛らしくバレエファン必見です。

 

2018年12月7日金曜日

吉増剛造 -ヒノシシュウ ノ Ciné ノ ケッカイ-

京王新線幡ヶ谷駅南口の商店街もjiccaさんを過ぎて数ブロック歩くと静かな住宅街に入ります。更に奥まったどん詰まりに赤提灯が目印のギャラリーがあります。

ATAMATOTE 2-3-3で開催の日本文化デザインフォーラム活動プログラム「JIDFラボ」第22回ことばラボ『吉増剛造-ヒノシシュウ ノ Ciné ノ ケッカイ-』に行きました。

一応トークショーという名目ではあるが、実質的には詩人吉増剛造によるソロライブパフォーマンス。主催のクリエイティブディレクター榎本了壱氏と1960年代の接点となった天井桟敷ビックリハウス、また榎本氏が十代で出版した詩集『粘液質王国』の話から吉原幸子の回想。「震災以降私たちにとって水とは何か」京都の地底には琵琶湖の6割に相当する水が隠れている。それをハンモックのように宙に吊り上げるビジョン。ポール・ヴァレリィの「海辺の墓地」の詩句、萩原朔太郎の『氷島』。空一面に銀紙がきらめいた幼時の戦争の記憶。ワレリー・アファナシエフ。けっして張らない声で時系列を無視して果てしなく紡ぎ出される呟きは吉増さんの詩作品の頁を埋め尽くす割註を音声化したかのようです。

吉本隆明の「日時計篇」を筆写して気づいた「ガリを切る人の手の動き」。「書いた字の記憶が語りかけてくる。オフボイスの中からとんでもない結界が生じるんです」。目隠しをして筆写原稿にインクを零す。彫刻家若林奮の遺品の金槌で、ギャラリーの床を、ブルーシートを、半乾きの原稿を、叩くときのそれぞれ異なる鈍い残響。それを自らの左手に持ったビデオカメラで撮影する間もずっとしゃべりつづけている。

2007年に当時編集スタッフをしていた『東京リーディングプレス』というフリーペーパーでインタビューをしたときに「自分の内側に詩は存在しない。外側からやって来るものへの感応が詩だ。だからいつもいくつもアンテナを立てている」とおっしゃっていたのが、79歳という老境に至り、ますます先鋭化している。

「未達成の方向に線を引いていく。消えてしまう一瞬一瞬を自分の中でどう処理するのか。完成じゃないし、プロセスでもない」「瞬間を重ねること、時差を作ること、時差を重ねて心の中にため込むこと」「色に対して我々の言葉は足りない」「読めないような小さな字を書くことがどれほど豊かなことか」「どれだけ文字を書いても空白のほうが大きい。空白は向こう側の光」。

吉増さんのチャーミングな語り口と人となりも相俟って会場は時折笑い声に包まれますが、論理で解析できないことを作品化して伝達しようといまも模索する姿から同じ詩人としてたくさんの大事な伝言を手渡されたような気がします。

 

2018年12月1日土曜日

ANEMONE 交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

2018年最後の映画の日。ユナイテッドシネマ豊洲京田知己監督作品『ANEMONE 交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』を観ました。

劇場版『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』三部作の第二部にあたる本作の舞台は2028年12月の東京湾岸。前作の前日譚。7歳の少女石井風花アネモネ(玉野るな)は特殊潜入部隊長の父(内田夕夜)を亡くす。人類を滅ぼす謎の生命体スカブに、東京湾内に設置された風の塔と呼ばれる施設からダイブしたのだ。

その7年後、父と同じ国連生存権防護事務局スカブ戦略歩兵師団(UN ASSID)で戦闘員となったアネモネ(小清水亜美)はスカブとの戦闘で14年ぶりの人類側の勝利に貢献し、一躍アイドル的な存在となるのだが、戦闘中に目にした青緑色の髪の少女エウレカ(名塚佳織)と彼女の叫び声を忘れることができなかった。

現代と近い時代設定で、スマート端末が全面にフィーチャーされています。ガチな戦場におけるストラテジーをコンシェルジュアプリに尋ねたり。意識だけが敵の内部にダイブしている間は擬人化したアプリが戦闘をナビゲートする。ダイブの際に通り抜けるドアは公営住宅の玄関の意匠だが、その向こう側の光り溢れる16:9の縦横比はスマホ起動時の画面を想起させます。

現実世界はシネスコ、仮想世界はビスタサイズで表現されているので、何度も往復しても観客が迷子にならず親切な作りです。親切はそれ以外にも行き届いており、前作と比較して馴染みやすい。

少女に戻ったアネモネがエウレカと和解し、ガリバーから逃走するシーン。仮想世界ではどれだけ堅く繋いだ手も何度もすり抜けてしまうのに、現実世界ではしっかりと繋がって宙に浮くことができる。「魂にとって不必要な身体がないように、魂にとって不必要な世界はない」「あの戦闘のきらめきの中で誰かが死んでる。でも終わるに値する世界なんか存在しない」。

終末観漂う設定でありながら、そのメッセージは肯定的で希望に満ち溢れています。

前作と比較して1980~90年代レイブカルチャーへのオマージュは控えめですが、戦闘ロボットの名称に、SH-101TR-909(Roland)、VC-10 (KORG)など、往年の名器の型番が引用されており、主人公の父親の名前はken ishiiです。


 

2018年11月25日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート

秋の日はつるべ落とし。西武新宿線の改札を出るとすっかり暮れた東の空に十六夜の明るい月。出がけに手間取ったせいで開場時間をすこし過ぎて黒いドアを引くと既にお客様がふたり。店主ノラオンナさんと談笑していました。

11月25日いいふたごの日、西武柳沢ノラバーにて開催された『日曜生うたコンサートカワグチタケシ2018年秋の朗読ワンマンライブのご報告です。


 1. 無題(世界は二頭の象が)
 2. 名前
 3. ケース/ミックスベリー
 4. 無題(薄くれない色の闇のなか~)
 5. ホームカミング
 6. 虹のプラットフォーム
 7. バースデー・ソング
 8. Planetica (惑星儀)
 9. もしも僕が白鳥だったなら
10. 線描画のような街
11. 観覧車
12. 水玉
13. 花柄
14. fall into winter
15. (タイトル)
16. Happy Xmas (War Is Over) カワグチタケシ訳

以上16篇を朗読しました。前回僕がノラバーに出演した3月4日(日)にこのお店ではじめて出会い、その後いくつかの偶然と必然を重ねて交際に発展した素敵な大人のカップルがお揃いでいらっしゃるとのご予約を受けて、恋愛要素多め(僕にしては)のセットリストを組みました。

とはいえ僕の作風からいってハッピー全開とはいかず、若干の申し訳なさも感じつつ、それはそれ。後日うれしい感想メッセージをいただきました。どうもありがとうございます。

今回のご来場特典がクリスマスソング訳詞集 "sugar, honey, peach +love Xmas mix" ということで、現時点で唯一のオリジナルクリスマスナンバーである「(タイトル)」と訳詩集からジョン&ヨーコの "Happy Xmas (War Is Over)" を。終演後には差し入れの梨スパークリングワインを開けて、訳出した歌のオリジナルバージョンをみんなで聴いて、一足早い歳末気分を満喫しました。

この日は、ジュテーム北村氏出演のJazzpoetopiaTOKYO LANGUAGE SLAMの第1回、文学フリマなど東京近郊でいくつか言葉のイベントが重なりました。選択肢が増えるのは本当に素晴らしいことだと思います。

その影響もあってか、今夜のノラバーのお客様には同業者がおらず、ミュージシャン、舞台役者、映像のハードウェア技術者が席を並べました。リラックスしたアットホームな空気で僕自身も楽しめました。

終演後のお楽しみ、ノラさんの手料理はどれも一工夫あって丁寧で、リクエストしたクリームシチューはお肉ほろほろで野菜の歯ごたえも絶妙。大人の恋バナに花咲かせながらみんなで美味しくいただきました。

 

2018年11月11日日曜日

ボヘミアン・ラプソディ

11月にしては気温の高い晴れた日曜日の午後、海沿いの映画館へ。ユナイテッドシネマ豊洲で、ブライアン・シンガー監督作品『ボヘミアン・ラプソディ』を観ました。

まずタイトルバックの20世紀FOXのジングルがいつもの管弦楽ではなく、ブライアン・メイグウィリム・リー)の音色そのもののギター・オーケストレーションで高まる。そのテンションが停滞することなく、あっというまの2時間15分です。

1970年のバンド結成前夜から1985年のライブエイド出演まで。クイーンというより、故フレディ・マーキュリーラミ・マレック)というエキセントリックなスーパースターの半生を描いた事実に基づくフィクション。

いろいろな楽しみ方のできる作品ですが、1976年の5thアルバム『華麗なるレース』からリアルタイムで聴き始めた僕にとっては、1st『戦慄の王女』(なんで女王じゃないんだろう?)のプリペアド・ピアノや人力レスリースピーカーなど、奇天烈なアイデアが溢れて止まらないレコーディング風景や「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「地獄に道連れ」などの名曲誕生の瞬間が再現されているのがうれしかった。クイーンで一番好きな曲ジョン・ディーコンジョセフ・マゼロ)作の「マイ・ベスト・フレンド」がメンバーからも微妙にディスられていたのも面白かったです。

ウェインズ・ワールド』(1992)には、カーステレオから爆音で「ボヘミアン・ラプソディ」を流し、ギターリフのところで全力ヘドバンする名場面がありますが、主役のマイク・マイヤーズがこの映画ではレコード会社の重役を演じ「車でヘドバンできない曲がヒットするわけがない」と一蹴するシーンは洒落が利いています。

グランドピアノにペプシの紙コップが大量に乗っているよく見るアー写はライブエイドなんですね。フレディひとりでこんなに飲むのかよ、と思っていたのも、前のアクトの飲み残しか、と謎が解けました。『クイーン・ロック・モントリオール1981』の夥しいハイネケンの壜はフェスではないので、ひとりで呑んだものでしょう。

東映のヤクザ映画を観た直後に歩き方がオラオラになるみたいに、映画館を出た男子たちが心なしかフレディのように胸を張っているように思えて、なんとも愛おしく平和な気持ちになりました。