2025年3月29日土曜日

ガラスの動物園

花冷え。すみだパークシアター倉滋企画ガラスの動物園』(演出:額田大志)を鑑賞しました。

ステージ中央で長身で猫背のトム(佐藤滋)が含羞の表情を浮かべ客席に背を向ける。鼻をかんで振り返り、ティッシュを掌から消して見せる。ティッシュは口の中にあり、それを引いて何メートルもの七色の紙テープを出す。「もちろんタネも仕掛けもございます。でもこれから私がお見せするのは手品とは違います」。母アマンダ役の西田夏奈子さんが弾くヴァイオリンの甘い音色に導かれ、舞台は1930年代の米国中西部セントルイスへ。

アマンダに急かされたトムが食卓につき、姉ローラ(原田つむぎ)と3人で食前の祈りを捧げる。アマンダの口やかましさにトムは辟易しているが、ローラはただ黙っている。アマンダの長口上の中で、かつて南部デルタ地帯にいたころの華やかな暮らしぶり、夫との出会い、夫が家族を捨てて放浪の旅に出たことが語られる。

テネシー・ウィリアムズの三大戯曲のうち、『欲望という名の電車』と『熱いトタン屋根の猫』は、学生時代にバイトしていたレンタルビデオ店でVHSを借りて観ました。本作だけ未見だったので、生きているうちにと思って観劇したのですが、とてもよかったです。

舞台はアパートメントの一室のみ、第一幕の登場人物は三人家族だけ。気位が高く躁鬱傾向の母親、自閉的な姉、製靴会社の倉庫で働きながら詩を書く弟。すれ違いながらも強く依存せずにいられない関係性を閉塞感たっぷりに描く。激しく言い争った翌朝のアマンダとトムの咳払いの応酬による言葉のない会話に痺れました。

第二幕、トムの高校からの友人で同じ倉庫に勤務するジム・オコナ―(大石将弘)を家族のディナーに招く。はじめは強く抵抗するローラがドアを開くとマチネの舞台奥の扉の先は劇場の搬入口で、現実の昼間の光が舞台に差し込むという趣向。

「詩人らしく象徴好きなので、彼のことは象徴として扱います」とトムに冒頭に宣言されたジムのほうが明らかに現実味を帯びた存在というアイロニー。一幕では普通に歩いていた足の不自由なローラが、ジムの登場を機に片足を引き摺りはじめることで、閉じた世界に外部の視線が加わったことを示す。

二幕後半のローラの変容は、蝋燭一本の頼りない灯りに照らされることでリアリティを帯びる。部屋の壁に映る登場人物の影を活かした繊細な照明は岩城保さん。揺れる父の写真の額縁。控えめな音量ながらスコット・ジョプリングリーグの『ペール・ギュント』をさりげなく引用した額田大志さんの音楽の貢献度も大きい。

若者を演じる三人の抑えた演技に対して、西田夏奈子さんの振り切ったお芝居が物語上のジェネレーションギャップを際立たせる(佐藤滋さんと西田夏奈子さんは実際は同年生まれ)。四人の登場人物の誰にも共感するポイントがないのに、現代で言うところの機能不全家族の手触りがリアル過ぎて、風雪に耐えた古典の強靭な構造の普遍性を感じました。

 

2025年3月22日土曜日

BAUS 映画から船出した映画館

テアトル新宿甫木元空監督作品『BAUS 映画から船出した映画館』を観ました。

映写機のリール音に重なる冬景色。2014年、自身が経営する映画館の閉館日に井の頭公園の池の畔に佇む本田タクオ(鈴木慶一)。時代は1926年に遡る。青森の映画館で無声活動『カリガリ博士』を観ていた本田サネオ(染谷将太)を兄の本田ハジメ(峯田和伸)が訪ねる。日々に希望を見出せない兄弟は映画に明日を託し上京する。

ヤクザ者に追われた兄弟を偶然救ったのは、井之頭會館の社長(吉岡睦雄)だった。兄ハジメが活動弁士と知った社長は兄弟を雇い、兄は弁士、弟はサンドイッチマンとなる。弟サネオは會館の掃除係ハマ(夏帆)と結婚し二女一男をもうけ、妻の田舎に転居するという社長からその座を譲り受ける。

「言ってみりゃここに暮らす人たちの窓だね」。もともと井之頭會館は映画のみならず地域の文化拠点を標榜して音楽界や落語会を開いていた。イタリア未来派の騒音楽器イントナルモーリの演奏会は大失敗に終わり、無声映画からトーキーの時代に移り変わる中、太平洋戦争が泥沼化し、兄ハジメに赤紙が届く。

「煙と光は映画と共にある。人間が時間との闘いの中で編み出した一瞬を永遠に変える……」。東京吉祥寺に実在した映画館BAUSシアター、その前身である井之頭會館とM.E.G.(武蔵野映画劇場)をめぐる家族の物語です。実話に基づく物語は、老経営者タクオの回想という形式をとっていますが、その記憶はタクオの誕生前に遡り、井之頭會館の建築は野原に立つ一枚の書割で、ナイトシーンの背景は漆黒、登場人物が歌い出すと楽器奏者がわらわらと現れ、リアリズムから逸脱する。能舞台というか、大友良英の書く管楽合奏の劇伴と相まって、フェリーニクストリッツァのような感触もあります。

映画館が主役というよりも、息子タクオに、いつも家族の中心にいて太陽のような存在だった、と言われ、夫サネオから「俺と結婚して後悔しているか」と聞かれて「後悔しかしてないよ。後悔のない人生なんでつまんない」と答える、可憐でおおらかでしっかり者のハマを演じる夏帆さんが、この映画の主役といっていいと思います。M.E.G.の開館日にサネオが舞台で挨拶している間、客席でうたたねするハマの寝顔は神々しくも美しい。上映時間の後半は、ヒロインの不在を噛み締め寂寥感を味わう、そんな映画があってもいいと思いました。

 

2025年3月14日金曜日

早乙女カナコの場合は

春本番。TOHOシネマズ錦糸町オリナス矢崎仁司監督作品『早乙女カナコの場合は』を観ました。

2014年春。アパートの窓から桜の花びらが散るのが見える。大学1年生の早乙女カナコ(橋本愛)は窓を開け深呼吸する。幼馴染の三千子(根矢涼香)と二人暮らしの上京生活が始まった。

入学式は4月7日月曜日。新入生勧誘でごった返すキャンパスで女装の男子学生に銃で撃たれた男が倒れる。動転したカナコは助けを呼ぶが、それは演劇サークル・チャリングクロスの野外劇、撃たれた男は留年中の脚本演出担当長津田啓士(中川大志)だった。後日「死者を起こす者は強くノックすること」と書かれたチャリングクロスのドアをノックしたカナコは、ジャン・ユスターシュ監督映画で長津田と意気投合し入部、やがてふたりは付き合い始める。

2014年から2017年、蜂蜜色の光に彩られた4年間の大学生活は物語の最終盤である2023年から俯瞰すると青臭くて痛くて甘酸っぱい。サークルで一番の男前と呼ばれるようになったカナコを橋本愛がほぼすっぴんで演じています。脚本家になると言いながら一本も完成させられず卒業する気もないダメ男のおかげか、かつての神経質な美少女は包容力のある大人に成長しており、遊川和彦のドラマほど頻繁にはキレないです。

早稲田大学がモデルで早稲田松竹や東西線早稲田駅が映ります。おそらく日本女子大がモデルの日向女子大1年生の本田麻衣子(山田杏奈)がチャリングクロスに入り、長津田に猛アプローチする。今年の日本アカデミー賞優秀助演女優賞と新人俳優賞をダブル受賞した山田杏奈さんは、先日NHKで放送した主演作『リラの花咲くけものみち』の獣医を目指すコミュ障の大学1年生とはまた違う小悪魔的な役柄で、抜群に上手い。

存在感のある両校に挟まれてどちらの恩恵も受けない学習院大学が母校の僕は、インカレってこんな感じなんだ、と興味深く見つつも、所属していた現代詩研究会には長津田みたいになかなか卒業しないワイルドな先輩がいたので、懐かしい気持ちになりました。

大手出版社に内定してアルバイトをするカナコは同大卒の社員吉沢(中村蒼)に告白されるが、指導役の亜依子(臼田あさ美)が酔ってカナコの部屋に泊まった朝に吉沢の元彼女だったと知らされる。カナコと麻衣子、カナコと亜依子の間に友情のような何かが芽生える展開がとてもいい。橋本愛のランニングフォームが豪快なのもいい。

同じ柚木麻子原作映画『私にふさわしいホテル』に主演していたのんさんが同作の小説家有森樹李役で登場するのもアツいです。

 

2025年3月5日水曜日

ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ジャズが生まれる瞬間


2014年のニューヨーク。87歳のサックス奏者リー・コニッツが自宅アパートメントでリードを選んでいる。引き出しには気に入ったリードがなく、ガッデム口唇が痛い、と悪態をつく。

同じ頃デンマークの首都コペンハーゲンで、ジャズギタリストのヤコブ・ブロが新譜のレコーディングの準備をしていた。スタジオの窓に一面の雪景色。

「共演した人の音楽が自分の一部になる」。デンマーク出身のヤコブ・ブロの2枚のリーダーアルバム "December Song"と"Taking Turns"の制作を軸に、ヤコブと周辺のミュージシャンたちの2008年から2021年の14年間を追ったドキュメンタリーフィルムです。

ECMのプロデューサーマンフレート・アイヒャーも登場し『ECMレコード  サウンズ&サイレンス』の続編的な作品と言ってもいいと思います。ジャズのドキュメンタリーなのに、アルコールもドラッグも出てこない。ECMらしくクリーンでメランコリックで空間的。

ヤコブ・ブロのギターもクリーントーンのアルペジオが中心のアビエント寄りなスタイル。日本人パーカッショニスト高田みどりさんとの即興デュオでのみ激しいディストーションがかかる。

ベーシストのトーマス・モーガンがキャラ立ちしています。インタビューカットの長過ぎる沈黙のあとの普通過ぎる一言、エンドロールでモーニングルーティーンの変な体操を延々映し出すのは、監督もきっと同じ気持ちだったのでしょう。

1940~50年代にスタン・ゲッツズート・シムズアート・ペッパーらと人気を分けたクール・ジャズの代表的なプレーヤーであるリー・コニッツは本作撮影中の2020年に新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなりました。サックスのリードを買いに行こうとしてタクシーを停めるが、楽器店の名前も通りの名も思い出せない。運転手は停車したままナビで検索するが希望の店は出て来ず、あきらめたコニッツは5ドル30セントを支払いタクシーを降りる。その最晩年の姿に不思議と悲壮感はありません。

「黒い鳩たちのための音楽」という奇妙なタイトルはコニッツがヤコブに話した言葉から。その意味は映画の最後にコニッツの墓標の前でヤコブから明かされます。
 
 

2025年3月1日土曜日

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN

ザ・ファーストデイ・オブスプリング。ユナイテッドシネマ豊洲ジェームズ・マンゴールド監督作品『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観ました。

1961年NYマンハッタンにギターケースを提げた青年がヒッチハイクで降り立つ。ボア付きのスエードジャケットにコーデュロイのキャスケットは1stアルバムのジャケットと同じ。19歳のボブ・ディランティモシー・シャラメ)だ。

目についたライブバーに入り、憧れのフォーク歌手ウディ・ガスリーの所在をカウンターの男に尋ねると、ニュージャージーの病院にいるという。ウディ(スクート・マクネイリー)の病室でボブが自作の "Song To Woody" を歌うと、見舞いに訪れていたピート・シーガーエドワード・ノートン)はその独創性と技術に感激し、宿のないボブを郊外のログハウスに連れて帰る。

その後フォークシティのオープンマイクで注目を集め、コロムビア・レコードのジョン・ハモンドデヴィッド・アラン・ブッシェ)のプロデュースで1962年にレコードデビュー、ジョーン・バエズモニカ・バルバロ)がライブでカバーした「風に吹かれて」でブレークし、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで物議を醸した伝説的ライブパフォーマンスまでの5年間。ボブ・ディランの初期の音楽活動と私生活を、ベトナム戦争、キューバ危機、JFK暗殺など、激動の時代背景と共に描いた伝記映画です。

「自分ではフォークだと思っていない」と言い、チャック・ベリーリトル・リチャードを好むが、アコースティックギターの弾き語りという演奏スタイルと内省的で多義的な歌詞は反体制派に都合よく解釈され、時代の寵児に祀り上げられる。自由を求めて声を上げたはずのフォークシーンが自由を縛る。伝統主義者の彼らからしたら、ロックンロールは資本主義に毒され堕落した音楽と映ったのでしょう。その才能のきらめきと苛立ちと落胆を主演のティモシー・シャラメが吹き替えなしの歌声で上手く表現している。

「人は覚えていたいこと以外は忘れる」。キューバ危機の夜にパニックになりボブとセックスしてしまうジョーン・バエズ。その後もふたりの友情は続くのですが、演じるモニカ・バルバロの歌声には深みがあり、ボブとジョーンのデュエットの再現も完成度が高い。

風に吹かれて」が収録され出世作となった2nd "The Freewheelin' Bob Dylan" のアルバムジャケットで腕を組んで冬の街を歩き、ロマンチックな佳曲 "Girl from the North Country" のモデルとなった美大生スーズ・ロトロ(本作中の役名はシルヴィ)を大人になったエル・ファニングがすこぶるチャーミングに演じています。

僕は1965年生れでリアルタイムに体験したわけではないので、名曲群の誕生の瞬間を垣間見ることができること、それ以前にはその名曲の存在しない世界があったのを想像することはとても楽しいです。本作で描かれる時代に発表された "The Freewheelin' Bob Dylan" "The Times They Are a-Changin'" "Another Side of Bob Dylan" "Bringing It All Back Home" "Highway 61 Revisited" はいずれも紛れもない名盤ですが、他にはサントラ盤の "Pat Garrett & Billy the Kid" (1973)と"Blood on the Tracks(邦題:血の轍)" (1975)が僕は好きです。

 

2025年2月23日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

寒の戻り。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

毎年猫の日の前後に開催されるmandimimiさんのライブはいつもコンセプトとなるキーフレーズがあって、今夜のテーマは "Dreaming Of Youth"。台湾系アメリカ人のmandimimiさんはYouthを「青春」と訳して、思春期をBlue Springと呼ぶのが詩的だと言う。セットリストは青春や青にちなんだ楽曲がセレクトされ、衣装もブルー。

「すこしここにいませんか/月もまだ微笑んでいる/私たちのためにまるで/心を読んだように」。ジョニ・ミッチェルの "Blue" を自ら和訳し朗読したうちの一節です。それ以外にもSnow Patrolの "Run"、オリジナル曲「永遠的水藍色」などが、歌詞の朗読を交えて演奏されました。

僕は朗読が本職ではない人の、特にミュージシャンの歌詞の朗読を聴くのがとても好きです。音楽は、基本となる拍節に沿ったりはみ出したりしながら進んで行く時間芸術で、大なり小なりそのミュージシャンの得意な「型」というべきものがあると思います。それに対して朗読はいつ始まってもいいし止まってもいい、真空で無音で無重力の空間にひとりでいるような心許なさと会話のような何気なさが同居する表現形態で、そういった環境に身を置いた際、その人の本質が見える気がします。

演奏された楽曲すべてがスローテンポで優しい空気を纏っている。朗読も同様で且つmandimimiさんは英中日どれも流暢に話せるトリリンガルですが、日本語のネイティブスピーカーにはない独特のアーティキュレーションを持ち、それが僕にはとても心地良く感じられました。

昨年秋のギャラリー展示で "Flower Spells" を完成させ、現在進行形のProject "Dear Dream Diaries" の子どもの頃に見た宇宙で暮らす家族の夢を基にした新曲 "Erasers" が主題も旋律も素晴らしい。愛聴しているmandimimi名義の1st E.P. "Unicorn Songbook: Journeys" のリードトラックで2004年まで暮らしていたシアトルの夏空を歌った "Sapphire Skies"、限定シングル "To Santorini" とそのB面曲 "Transatlanticism" をひさしぶりに聴けたのもうれしかったです。

冬のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、かぶのつけもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。そしてノラバープリンとノラブレンドコーヒー。『シティ・オブ・エンジェル』からニコラス・ケイジの話でみんなで笑って柳沢の夜は更けていきました。

 

2025年2月16日日曜日

映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ

薄曇り。ユナイテッドシネマ豊洲柳伸亮監督作品『映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ』を観ました。

3年生が体育館で練習している「仰げば尊し」の歌声が教室まで聴こえてくる。2年生の花岡まこと(梅田修一朗)は男子だがかわいいものが大好きで女子の制服で授業を受けている。まことの幼馴染の大我竜二(内田雄馬)、1年生の蒼井咲(関根明良)たちは春休みを迎える。

2024年7~9月期にCX系列で放送されたアニメ全12話は、女装の高校生まことを中心とした青春群像劇でしたが、その後日譚である本作は咲が主人公です。放送第1話で高校に入学したハイテンションガール咲は、憧れの同性の先輩まことに告白するが、まことは自分が男子であることをその場で打ち明け、咲は失恋するものの、ふたりの間に友情が芽生える。竜二は親友だと思っていたまことに恋愛感情を抱いている自分に動揺する、というのがテレビアニメのメインストーリー。劇場版では、すれ違いと和解を通過した三人それぞれの成長が見られ、悩んでいた咲も元気になって、ほんわかしみじみしました。

「私って本当は何が好きなんだろう、何が特別なんだろう」「どうしてみんな本当の特別がわかるのかな」。咲の葛藤は母親のネグレクトというトラウマを抱えるが故、誰かにとっての特別な存在は唯一絶対のものだと信じている。竜二はまことにだけ恋愛感情を持っているのか、同性愛者なのか、自分でもわからない。それでも視野を広げ、許容範囲を拡大して、世界と折り合いをつけなくてはならない。揺れる思春期を鎌倉を背景に繊細に描写しています。

モブは顔が描かれないのは『聲の形』もですが、いまの若い子たちが興味のない他人をそんな風に認識しているとしたらちょっと怖いな、と思いました。あと、高校生の親世代だと40代のはずですが、ほうれい線で実年齢以上に老けて見えるのは改善ポイントだと思います。

このアニメはテレビ版も劇場版も演出に独特のテンポの悪さがあって、そこが逆に魅力になっているという、不思議な作品だと思います。テレビ版はオープニングの作画と音楽のシンクロがジャストで最高なので是非ご覧ください。