2024年4月14日日曜日

プリシラ

夏日。ユナイテッドシネマ豊洲にてソフィア・コッポラ監督作品『プリシラ』を観ました。

1959年、旧西独ヴィースバーデンの米軍駐屯地のダイナーEagle Club。カウンターでコカコーラを飲む14歳のプリシラ・ボーリュー(ケイリー・スピーニー)は米国空軍将校の娘。当時24歳で既に大スターだったエルヴィス・プレスリージェイコブ・エロルディ)は陸軍に兵役中で、プリシラは軍楽隊員からエルヴィスの自宅で開催されるパーティに誘われる。厳格な両親をなんとか説得したプリシラはエルヴィスと出会い、お互い一目で恋に落ちる。

8年後の1967年にふたりは結婚し、1973年に別れる。エルヴィス・プレスリーの妻プリシラの14歳から28歳までを描いた作品です。

プリシラ、シーラ、サトニン(エルヴィスの亡母の愛称)という呼び名の変化でふたりの関係性の変化を表現し、ボビー・ダーリンファビアンが好きなゆるめのポニーテールは盛り盛りのビーハイブへ、エルヴィス好みの濃いアイラインを引くが、最後はナチュラルなヘアメイクに戻り、主人公の内面の確立を示唆する。

プリシラ本人が存命で本作の製作に関わっていることもあってか、あくまでも清楚に品良く描かれる主人公の隣でエルヴィスの不安定さが際立ちます。ナンシー・シナトラアン・マーグレットと浮名を流すが、プリシラに「私はあなたが欲しいし、あなたに求められたい」と泣いて懇願されてもキス以上の関係を結婚するまで持たない。いつもヤバめの男たちに囲まれ、プリシラの誕生日には宝石でデコレートした拳銃をプレゼントする。

くるぶしまで埋まる厚い絨毯を踏んでこちらに向かってくる深紅のペディキュアを塗った素足。カメラが上方にパンしてマスカラ、赤いリップ、赤いマニキュアを映す。このタイトルバックからドリー・パートンの "I Will Always Love You" が流れるエンドロールまで、ソフィア・コッポラ監督の美学が画面のありとあらゆるところに刻印されています。

内気で友達の少ない少女からシャネルのウェディングドレスの幼な妻となり、やがて自立した大人の女性へと移り変わる主演のケイリー・スピーニーの表情を美しくフィルムに定着させる。全衣装がかわいいです。

ロカビリー、ブリティッシュ・インヴェンション、フラワーチルドレンと時代の変化を映した選曲も最高にスタイリッシュですが、冒頭のホームパーティの"Whole Lotta Shakin' Goin' On" のピアノ弾き語り以外にエルヴィスの歌唱シーンがない、晩年のラスヴェガスのステージは逆光の後ろ姿だけというのも、ソフィア・コッポラだな、と思いました。

 

2024年4月11日木曜日

地球バンドで、君の音を聞かせて

花冷え。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue活動23周年ワンマンライブ『地球バンドで、君の音を聞かせて』に行きました。毎年4月11日の周年ライブです。

年一回だったバンドセットのワンマンライブが2023~2024年は4回。7/11(火)『どんな気持ちも感じたままに踊る』、10/11(水)『思ったとおりにする魔法』、1/6(土)『冬ごもりの食卓』と同じ熊谷太輔さん(dr)、市村浩さん(b)、タカスギケイさん(g)の3人と1年間磨き上げたアンサンブルを堪能しました。

バンドメンバーに先導されて真っ赤なワンピース姿のmueさんが登場し、いつものように客電を点けてフロアを見渡し笑う。約2時間半、本編25曲、アンコール2曲のセットリストは23年というよりこの1年の集大成といえる現在と未来を見通したもの。2曲目「いまここに」はめずらしく四つ打ちだが8ビートを感じる重心の低いリズムセクション、新曲「イシキムイシキ」は魅惑の中近東音階、と新機軸を惜しみなく投入する。

パンデイロ叩き語りの「見つけ出して、ひっくり返す」は2015年の『ガラクタの城』以来かな。ジャジーな4ビートの「24 hours」で前半を締めます。

後半は『マイフェアレディ』の「君住む街角」をスタンディングで歌い、ピアノ曲のターンへ。饒舌な「外の声」から「まだどこにも書かれていないことをする」「大きな流れをつくる」「宇宙な生活」のアンビエント/サイケデリックなパートが僕的ハイライトでした。「都会のジャングル」ではmueさんのライブでは初めて体験するコール&レスポンスに驚愕し「ほんとうの夢をおしえて」の半音下降に心奪われました。

アンコールはチャップリンの「Smile」。これは2015年に谷中ボッサで開催したmueさんの洋楽カバーと僕の訳詞朗読のライブ『sugar, honey, peach +love』から(でもSmileだけmue訳なのです)。

今夜のmueさんは、歌声が本当によく通って、柔らかくてクリア。「23年続けているとは思えないフライヤーと態度」と自虐気味なMCがありましたが、ひとたび演奏が始まると会場一杯に響くその音楽は確信と冒険に満ちており、ステージにも客席にも多幸感が広がって、これは夢なのかな、と思う、魔法が確かに存在する東京の夜でした。

 

2024年4月10日水曜日

aespa: WORLD TOUR in cinemas

花冷え。ユナイテッドシネマ豊洲オ・ユンドンキム・ハミン監督作品『aespa: WORLD TOUR in cinemas』を観ました。

2023年2月に韓国ソウルから始まったワールドツアーは、日本、マレーシア、インドネシア、北米、南米、ドイツ、フランスなどを回り、ファイナルは9月28日のロンドン公演。そのライブ映像とメンバー個々のインタビューにより構成されたフィルムです。

「(コロナ禍に)ファンと断絶していたんだとステージに立って知りました」。aespa(エスパ)は韓国出身のカリナウィンター、東京出身の日韓MIXジゼル、中国生まれのニンニンの4人組。K-POPのガールクラッシュ、もしくはティーンクラッシュ系にカテゴライズされる。メンバー4人のアバターが存在し、メタバースと現実世界を一体化したパフォーマンスという近未来的なコンセプトで2020年にデビューした。

「私達は4人ともあまり体力はありません」。インタビューはステージとオフのギャップ、他メンバーへのコメント、ファンとの関係性が中心です。強めの楽曲、ステージ上のビジュアル(特にカリナさんのアバター感が半端なく美しい)とパフォーマンスの完成度が高まるほど、弱さも体温もある生身の人間としての4人を強く感じさせる。

ウィンターの確かな歌唱力、ジゼルのラップスキル、ニンニンのポジティブなバイブス。ステージ後方の巨大ビジョンは楽曲を補完するCG画像中心で、メンバーのアバターが映画館のスクリーンに映るのはデビュー曲 "Black Mamba" だけですが、それはライブパフォーマンスに対する自信の表れであり、aespaの人間宣言でもあると捉えました。

自身をステージ恐怖症だと言い「ステージに上がる前は緊張するけれど、ファンも緊張しているからつながりを感じる」というその客観性と愛。ライブを聴きに行くのは楽しみでもありますが、確かに独特の緊張感がありますよね。特に十代の頃などは。その名付けようのない感情を的確に言い当てるカリナさんの利発さに釘付けになる2時間でした。

 

2024年3月31日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

夏日。ユナイテッドシネマ豊洲黒川智之監督作品『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観ました。

8月31日13時25分、東京湾に前触れなく飛来し母艦と名付けられた巨大な未確認飛翔体。駐日米軍が新型兵器で攻撃するが東京上空にとどまり続ける。その目的が示されることはなく、時折小型船が地上近くまで降りてきては迎撃される。侵略者と呼ばれる者たちは小さく弱く攻撃の意図を持たないように見える。

「別に不自然なぐらいさせてください。夢ぐらい見たっていいじゃないですか。明日どうなるのかなんて誰にもわからないんだから」。3年後、都立下蛸井戸高校3年3組の眼鏡っ子小山門出(幾田りら)は担任教師渡良瀬(坂泰斗)に片思いしている。

「人類にとっての本当の脅威は侵略者じゃなくて僕だってことを教えてやる」。幼馴染で同級生のおんたんこと中川凰蘭(あの)はツインテールのエキセントリックなハイテンションガール。

キホちゃん(種崎敦美)はサブカル系男子小比類巻(内山昂輝)に告白して付き合いはじめるが「世界なんでどうなってもいいからもっと私のこと考えて」とすぐに別れてしまう。

得体の知れない脅威が上空を覆っていても、サイゼリヤで放課後をぐだぐだ過ごす日常は続く。それは9.11同時多発テロ、東日本大震災、コロナ禍の空気感の静かに精神を削るあの感じを暗示しているようです。

浦沢直樹の漫勉(Eテレ)浅野いにお回で観たステンレスの灰皿や蚊取線香の缶のデジカメ画像を加工した小型船がそのまま再現されて日常を切り取っている不穏さ。おんたんの兄ひろし(諏訪部順一)の「希望を失わないためにはどうしたらいいと思う? 誰かを守ればいいんだ」と言う台詞がどちらの方向に転ぶのか。作者自身が原作漫画とは異なる結末を書いたという5月公開の後章が楽しみです。

 

2024年3月25日月曜日

COUNT ME IN 魂のリズム

雨上がり。新宿シネマカリテにてマーク・ロー監督作品『COUNT ME IN 魂のリズム』を観ました。

山頂の天文台の白いドームの空撮から映画は始まる。大きなドームの中ではスティーヴン・パーキンスJane's Addiction)のドラム・サークルのセッション。ドラムセット、コンガ、ジャンベ、あらゆる打楽器を叩く誰もが笑顔になる。そしてうねるシンバルのスーパースロー画像から "COUNT ME IN" のタイトルバックへ。

スティーヴン・パーキンス、チャド・スミスRed Hot Chili Peppers)、シンディ・ブラックマン・サンタナSantana / Lenny Kravitz)、ジェス・ボーウェンThe Summer Set)のインタビューとセッションを軸に古今のロックドラマーにフォーカスしたドキュメンタリー映画です。

マックス・ローチバディ・リッチらジャズドラマーがジンジャー・ベイカーCream)に影響を与え、その影響を受けたイアン・ペイスDeep Purple)に影響を受けたニコ・マクブレインIron Maiden)。スチュワート・コープランドThe Police)の落ち着きのない早口はヲタクそのものだし、サマンサ・マロニーHole)がモトリー・クルーのツアーサポートに入るエピソードも熱い。

トッパー・ヒードンThe Clash)やラット・スキャビーズThe Damned)らパンクバンドのドラマーが出てくるのもイギリス映画ならでは。一方でプログレ勢はニック・メイソンPink Floyd)ぐらい。ビル・ブラッフォードKing Crimson)、カール・パーマーEL&P)、フィル・コリンズGenesis)あたりは取り上げられてもいいんじゃないかと思います。

ドラマーに対するクレイジーなパブリック・イメージは、キース・ムーンThe Who)が作り、ジョン・ボーナムLed Zeppelin)が固めたといっても過言ではなく、ホテルの部屋の破壊をテレビ番組でキース本人が実演するのは衝撃映像だし、同世代のボブ・ヘンリットThe Kinks)の「キースは延長コードを繋いで電源を入れたままホテルの窓からテレビを投げていた」という証言は最高ですが、キース・ムーン生前最期の作品 "Who Are You?" の計算され尽くされたドラミングに関するスティーヴン・パーキンスの解説が僕的ハイライトでした。

女性ドラマーに対する男性オーディエンスからの偏見、1980年代のLinn Drum(サンプリング・リズム・マシン)の台頭についても触れられる。

鍋やフライパンを叩くが好きな子どもがクリスマスにおもちゃのドラムキットをプレゼントされたときの狂喜乱舞のホームビデオが映りますが、そのまま大人になったドラマー自身が、ベテランも若手も、好きなドラマーを語るその語り口がみな楽しげでいい。「ドラムのコミュニティはあたたかくて間口が広い」というドラムドクターのロス・ガーフィールドのコメントに尽きる。近年量産される音楽ドキュメンタリーのフォーマットを借りているものの、ミュージシャンの伝記映画につきまとうドラッグなど負の側面がなく、好きなことについてしか話さない。ずっと観ていたくなるハッピーな映画です。

 

2024年3月23日土曜日

12日の殺人

小雨。ヒューマントラストシネマ有楽町ドミニク・モル監督作品『12日の殺人』を観ました。

2016年10月11日土曜日。フランス南東部グルノーブルの警察署で老リーダーの定年退職式が行われ、主人公ヨアン(バスティアン・ブイヨン)が新班長に任命された。

翌10月12日午前3時。グルノーブル近郊の瀟洒な登山口の町 Saint-Jean-de-Maurienne。親友ナニー(ポーリーヌ・セリエ)の自宅のいつもの女子会から帰宅する夜道で21歳の大学生クララ(ルーラ・コットン=フラピエ)は何者かに突然ガソリンを掛けられ、生きたまま焼き殺される。

ヨアンのチームが殺人事件の捜査を担当することになるが、複数浮かび上がる容疑者を訪ねてもどれも決め手に欠ける。実際に起きた未解決事件を題材にしたこの作品は、真犯人を見つけ動機を明らかにしてカタルシスを得る映画ではありません。

娘が殺されたことを母親に告げる際の葛藤、聞き込み、張り込み、取り調べなどに加え、憲兵隊と警察の不明瞭な分担、PCのキーボードを叩いて膨大な調書を作成する、コピー機の紙詰まりにいらいらする、配偶者との関係の悩み、刑事たちの日常とそこで受けるストレスが詳細に描かれる。新米班長ヨアンとベテラン熱血刑事マルソー(ブーリ・ランネール)のバディものの要素もあるが、男同士の絆よりも証拠収集手続きの適法性が優る。

フェミニズム映画としての側面も持つ。容疑者は全員がクララと性的関係を持ったことのある男性で、なぜクララは殺されたのかと聞かれたナニーは「女の子だから」と答える。一度は断念した捜査を3年後に再開させたのは女性判事ベルトラン(アヌーク・グランベール)、初めて配属された女性キャリア警察官ナディア(ムーナ・スアレム)は「いつも男が殺して、男が取り締まる」と、刑事課のオールドボーイズネットワークに一石を投じる。

主人公ヨアンのストレス解消法は夜間に自転車できつい傾斜のトラックを全力疾走すること。その堂々巡りは進展しない捜査の隠喩になっている。終盤でロードに出て山道を走るシーンの解放感。事件は解決しませんが、後味は悪くないです。

  

2024年3月17日日曜日

Chiminと塚本功

彼岸入り。所沢音楽喫茶MOJOChiminさん塚本功さんを聴きに行きました。

Gibson ES-175Fender Hot Rod Deluxeに直挿しした塚本功さんは、フロントピックアップひとつで、抒情的なクリーントーンから激しい歪みまで、エフェクターなしでもフィンガーピッキングで多彩な音色を奏でる。

僕がその特徴的なギタープレイを初めて認識したのは2006年リリースの松田聖子トリビュートアルバム "Jewel Songs" に収録された "Sweet Memories" です。微熱を感じる柔らかい音色とメロウなタイム感に痺れました。ドビュッシーハース・マルチネスのカバーを含む全10曲。唯一無二のギターを初めて生演奏で聴けてうれしかったです。

長い空白期間を経て昨年11月にライブ活動を再開したChiminさんは前回と同じ加藤エレナさん(key)、二宮純一さん(g)、井上"JUJU"ヒロシさん(fl, sax, per)の3人のサポートで。1曲目は「茶の味」、次が「時間の意図」という愛聴するアルバム『住処』と同じ曲順のスタートにまず震えました。

谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の反戦歌「死んだ男の残したものは」はビリー・ホリデイの "Strange Fruits" にも匹敵する超重量級のマイナーブルーズですが、Chiminさんの澄んだ声で歌われると、漆黒の闇の先に小さな灯りがともっているのが見えるようです。

「垂れる髪を後ろで束ねて/私はきれいな手でお茶を入れる」(茶の味) 「あたためられて殻が破れて/触れるもの全てが新しい/めぐりめぐるものがあるのなら/この小さな枝に祈りましょう」(住処) 

自作曲の歌詞も素晴らしい。2010年の『流れる』以降のChiminさんの歌詞には喜怒哀楽を直接的に表現するワードがほとんど使われていない。にもかかわらず、すべてのエモーションは彼女の歌声が代弁している。Chiminさんは理由を歌わない。にもかかわらず、我々オーディエンスは彼女の歌声の抑揚の中に理由を見つける。

「まるで昔のことのように言うけど/本当は今も何も変わらない//夜が明けて私は見てる/祈りの先にあるものを」(まるで昔のことのように)。「なぜ」だけではなく、目的語「何を」も明示されない。にもかかわらず、彼女の歌声を通して我々は無加工の感情と温度を同時に受け取ることができる。

「日本語の歌の可能性を追求したい」と言い、詩や短歌を読んで自由を感じているという。それらを胸の底に沈殿させて掬う上澄みによって新しい歌が生まれることをとても楽しみにしています。