2025年9月5日金曜日

遠い山なみの光

雨上がり。ユナイテッドシネマアクアシティお台場石川慶監督作品『遠い山なみの光』を観ました。

1982年のイギリス、グリーナム近郊の静かな村で暮らす悦子(吉田羊)の家にロンドンでライターをしている次女ニキ(カミラ・アイコ)が帰省する。グリーナムの空軍基地周辺で起きている核兵器に反対する女性たちの抗議行動の記事を書いたニキは、母の出身地である長崎の原爆について書くことを編集者に勧められる。ニキに促されて、悦子は重い口を開く。

1952年の長崎。悦子(広瀬すず)は橋の下で男子たちにいじめられていた少女万里子(鈴木碧桜)を助け河原のバラック小屋へ送ると、派手な身なりの母親佐知子(二階堂ふみ)がいた。初対面の悦子に仕事の紹介を頼む佐知子は東京都下の出身で戦前から長崎で英語通訳の仕事をしており、近いうちに米兵フランクとアメリカに渡るという。

数日後、悦子が傷痍軍人の夫二郎(松下洸平)と暮らす団地に、悦子の元上司であり校長を退職した二郎の父(三浦友和)が福岡から訪れる。

1954年長崎で生まれ1960年に家族と渡英したカズオ・イシグロが1982年に出版した長編小説第一作の実写映画化は、落ち着いた色調とゆっくりと流れる時間の中に不穏さを滲ませ、情感と緊張感を併せ持つ作品になりました。広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊(英語上手!)、カミラ・アイコが抑制の効いた見事な芝居をしています。

この映画を観て考えたことがあります。人には物語が進むにつれ後で描かれるエピソードほど真実だと思い込む習性があるのではないか、ということです。渡英した悦子の語りによる物語はニキの発見によって逆の視点から再構成され、フラッシュバックのように映画の終盤に映像化される。我々は後者を真実だと捉え、それまでの悦子の語りを小津映画の笠智衆原節子を投影したような願望と妄想混じりのフィクションと位置付けます。そこで、真実は最後に明かされる、というミステリーの約束事を盲信しているのではないか、という疑念が湧きました。

「誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ」というポール・オースターの『スモーク』の台詞の通り、二つの物語はどちらもフィクションであり、観客である我々が好きな結末を選べばいい、というメタ構造を持っている。それは、タイトルバックとエンドロールで二度にわたり流れるNew Order の "Ceremony" (1981) の歌詞 "They find it all, a different story / Notice whom for wheels are turning" (人はそれぞれ異なる物語を見出す/誰の為に歯車が回っているかを示す)にも示唆されています。

ポーランド出身のパヴェル・ミキウェティンが手掛けたサウンドトラックも素晴らしく、自死した長姉景子の部屋のドアをはじめてニキが開けるときに鳴る柱時計とカメラのストロボ音とピアノの単音で緊迫感が最高潮に。

原作小説のタイトル "A Pale View Of Hills" は原爆投下時の閃光を連想させますが、書籍と同じ邦題の『遠い山なみの光』が僕にはなぜか憶え辛い。1955年の長崎端島を舞台にした『海に眠るダイヤモンド』と重ねて観るのも面白いと思いました。

 

2025年9月3日水曜日

不思議の国でアリスと Dive in Wonderland

9月の熱帯夜。丸の内ピカデリー篠原俊哉監督作品『不思議の国でアリスと Dive in Wonderland』を観ました。

「みんなと同じようにしているのにうまくいかないんだよね。今日はそういうの全部忘れたくて来たから」。就活に悩む大学4年生の安曇野りせ(原菜乃華)はローカル線を乗り継いで、亡き祖母(戸田恵子)が遺したテーマパーク "Wonderland" を訪れる。完成間近のパークは祖母が大好きだった『不思議の国のアリス』の世界を体験できるというもの。

個室に通されたりせがテスト運用中のVRデバイスを装着すると、正装した白ウサギ(山口勝平)が現れ、りせのスマホを持ち去ってしまう。りんごに姿を変えたスマホを取り戻すために白ウサギを追いかけて、りせは不思議の国に迷い込み、小さなアリス(マイカ・ピュ)に出会う。

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』をベースに置いてはいますが、まったく別のお話、架空のVRアトラクションのアニメ化と考えるべきだと思います。

自己肯定感、同調圧力、SNS、就活、現代の若者が直面する様々な課題をVR内の体験による成長で克服しようということなのですが、どんなに振り回されても、空中で放り出されても、水流に巻き込まれても、ハートの女王(松岡茉優)に首を刎ねよと脅されても、冷静に考えれば、試験運用中とはいえテーマパークのアトラクションという安全が確保された空間内での体験以上のものではないんですよね。もちろん映画を観ている我々もスクリーンのこちら側という二重の安全圏にいるわけですが。

「へんてこなことが起きたあとって、普通のことがつまらないわ」。原作のアリスは想像を絶する出来事に戸惑い、それが度を越して開き直り、また不思議の国の喧騒を冷ややかに傍観したりするのですが、本作のアリスはシャイな主人公りせをVRアトラクションにどんどん引きずり込む積極的なキャラで、日米ハーフの子役マイカ・ピュさんの明るい声質がよく合っています。主人公りせを演じた原菜乃華さんも発声が明瞭で聴き取り易かったです。

P.A.WORKSの優しい色調のカラフルなアニメーションも目に楽しい。肥大化した承認欲求が爆発して半透明になった主人公りせとその背景を墨絵風に描いた対比も効果的でした。

全11Chapterで構成されていて、第10章の "In The Court Of Crimson Queen" はキング・クリムゾンロバート・フリップの配偶者TOYAHのアルバムタイトルですね。コトリンゴさんの劇伴、小林うてなさんの劇中曲、SEKAI NO OWARIエンディングテーマもそれぞれよかったです。

 

2025年9月2日火曜日

水辺にて

9月の熱帯夜。所沢音楽喫茶MOJOで開催されたChiminさんの企画ライブ『水辺にて』に行きました。

Chiminさんのステージは、加藤エレナさんのピアノと井上"JUJU"ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲、Carla Bleyの "Lawns" で始まりました。

そしてChiminさんが登場し、JUJUさんのパーカッシブなフルートに導かれてマイナーブルーズの「茶の味」へ。続く夏曲「sakanagumo」「シンキロウ」。

1980年代にはいろいろな店で使われていましたが、現在はヴィンテージ楽器と呼ばれる打弦式電子ピアノ YAMAHA CP70 のクリアでノスタルジックな音色にエレナさんはロータリースピーカーのようなゆるいトレモロをかけて空間を波打たせ、Chiminさんがやや抑えめな声で応え、JUJUさんが時折鋭く切り込む。

「わかりやすいことは信用できへんな」というMCから「あさはこわれやすいがらすだから/東京へゆくな ふるさとを創れ」という谷川雁の詩篇の一節を朗読し、1stアルバムの「たどりつこう」へと繋ぐ。地元所沢の家族的な空気感の中でリラックスした歌唱でありながら、その歌声の向こう側に滲む静寂がChiminさんの音楽を美しく際立たせます。

『水辺にて』はMOJOさんで不定期に開催されるChiminさん企画のツーマンライブで、前回2024年10月のゲストはノラオンナさんでした。

今回招かれたのは mizquiさん。初めて生で聴きました。シングルカッタウェイのエレガットに乗せて、スローブルースからスタートし、レゲエ、フォークロックとバラエティのあるリズムで、こぶしを効かせたブルースから少女のような透明感のあるウィスパー、力強いファルセットと、多彩な声質、豊かな声量、正確なピッチがすみずみまで完璧にコントロールされている。

オリジナル曲の歌詞は性的な隠喩を時折含むが、歌声の技巧の精巧さゆえにさらっと聴かせる技量を持ち、聴き応えがあります。

アンコールでChiminさんとデュエットしたソウルフラワーユニオンの「満月の夕」(山口洋lyrics ver.)も優美で、心の柔らかい部分にじんわりと染み込みました。