2011年7月31日日曜日

ブックワーム

7月も今日で終わり。東京メトロ千代田線で代々木公園へ。coruri/cafe 家で開催されたオープンマイクBOOKWORMに参加しました。前回の浜松はフィクショネスのワークショップと重なって行けなかったので、昨年9月の葉山以来10ヶ月ぶり。

当日エントリーで誰でも10分間、好きな言葉を参加者みんなに手渡すことができるフリースタイルの会。好きな小説やエッセイを読んだり、歌詞や自作の詩、テクストを持たずただしゃべるだけでもOKです。真夏だというのに上がりきらない気温のせいか、フジロックと重なったせいか、開催間隔が割合狭かったからか、いつもより参加者が若干少なめでしたが、逆にゆったりと贅沢な時間の流れに。

冒頭のコイワズライ(バンド名)の三宅さんの「どんどんよくなる法華の太鼓」、爆音エロぶるーず(ソロユニット名)の遠藤コージさんの「The Water is Wide」、さかいあおさんが紹介した津村記久子の『ミュージック・ブレス・ユー』、梨田真知子さんのフィッシュマンズのカバーとミドルテンポの自作曲という、前半のゆるやかな流れが特に心地よく感じられました。

僕は5月21日の朝日新聞夕刊に載っていた、詩人岸田衿子さん(4/7没)の追悼記事を紹介しました。「新聞もテレビもない、浅間山麓・六里ヶ原(群馬)での山小屋暮しが長かった。ある日、久しぶりに東京へ出ると、見慣れない文字が目に。『平成って何だろう』と思ったそうだ」。

ほかにも、菊地ひとみさんが朗読した幸田文のエッセイ、山崎円城さんの真木村の話、藤田文吾さんのちょっと笑える自作の短詩などが印象に残りました。カリフラワーの食感も楽しい冷やしベジタブルカレーもおいしかったです。

梨田真知子さんは現在22歳。終演後先に帰宅した本人不在の中、22歳当時の自分たちがどんなだったか、という話になりました。円城さんと遠藤さんは22歳のクリスマスイブをバーカウンターでおそろいのギブソンのフルアコを抱えてブルージィに酔いつぶれて過ごしたそう。僕は22歳の夏休みにこんな詩を書いていました。

2011年7月24日日曜日

来るべき世界

すこし湿度が上がりました。東京メトロを乗り継いで、外苑前のギャラリー neutron tokyo でグループ展『来るべき世界』を鑑賞しました。

関西を中心に活躍する27組の若手作家が3.11以降に制作した作品群。足田メロウ三尾あすか&三尾あづちの作品については以前このブログでも紹介しましたが、今回も素晴らしいものでした。

それ以外に、特に印象に残ったものをいくつか。

中比良真子overthere No.6
このグループ展のDMにもなった上の画像です。真っ白なバックにところどころ点在しているのは、ピクニックをする家族やカップル。それを俯瞰で描いています。それぞれのグループ間の距離が、あえて干渉し合わない現代を描写しているよう。ハガキやPC画面ではわかりませんが、実物は1メートルを超す大作です。

西川茂「oizumi」
細密画といってもいい具象的な風景画の中空部分に磁場の乱れのような抽象表現が重ねられ、空だけが歪んで見えます。控えめで調和の取れた色彩が一見画面に落ち着きを与えてシックといっても差し支えない程ですが、滲み出す狂気が鑑賞する者を不安にさせます。

大和由佳土地/嚥下
今回の展示の中では震災の直接的な影響を最も感じました。瓦礫の破片が銀のスプーンとともに、水や牛乳の満たされたグラスの中を占めています。4点のオブジェを撮影した写真作品。最後のひとつは、瓦礫に付着した赤い染料が水に溶け出しています。

強大な自然災害とそれがもたらした人災。これらに対してアートが持つ直接的・具体的・短期的効用は、ほとんど無いと僕は思います。災害時でなくても、特に役立つものではないので、ことさら騒ぎ立てる必要もないのですが。

それでも作家は制作し、表現し続ける。インプットし、アウトプットする。そういう基本的な動作/行為を自覚し、体現している作家たちの作品の強さ・美しさは、必ず鑑賞する僕たちに伝わってきます。 それを受け取ることがアート鑑賞の楽しさなんだな、と再認識しました。 会期は8月14日(日)までです。

 

2011年7月23日土曜日

コクリコ坂から

台風のあとの過ごしやすい数日も今日まででしょうか。ちょっとした勘違いで思わぬ時間ができたので、ユナイテッドシネマ豊洲にて、スタジオジブリ作品『コクリコ坂から』のレイトショーを観ました。

昭和30年代の港町にある共学高校を舞台にした青春ドラマ。ジブリ映画はいつも街並み、建築物、遠景が魅力的です。この作品でも、おさげ髪の主人公メル(本名松崎海、声:長澤まさみ)が祖母や妹弟たちと暮す海岸線ぎりぎりまで迫った丘の上の女子寮、祖母の部屋から臨む海の眺め、思い切り昭和な地元商店街、坂道と港町、新橋の繁華街、など素敵な背景がたくさん。

特に、高校の部室棟「カルチェラタン」明治建築の吹き抜けの木造洋館は、この映画の主役と言っていいほどの存在感です。僕が大学時代のほとんどを過ごしたと言っても過言ではない部室棟は、やはり学生の自主管理に任され、黎明会館という詩的な命名に反して、それはそれは汚なかったですが、居心地の良い場所でした。

説明的な要素を最小限にした脚本は大人向けで、小さな台詞を聞き逃すと設定がわかならなくなってしまうかもしれません。親切過ぎず、僕には好ましく思えました。

ヒロインの表情が固いなあ、と最初思いましたが、キャラクター設定なんですね。時代は無愛想女子か。

ジブリ映画のサウンドトラックといえば久石譲ですが、この映画の音楽は武部聡志。時計の音にテンポをとったジャジーなオープニング曲。ピアノの単音で主人公の心の揺れを表現し、そのまま分散和音に流れていくところ。劇中のふたつの合唱曲。など、よかったです。

カルチェラタンの中でも特に汚い現代詩研究会で、学生が朗読する宮澤賢治の「生徒諸君に寄せる」。

  新しい時代のコペルニクスよ
  余りに重苦しい重力の法則から
  この銀河系統を解き放て

黄色い表紙の『チボー家の人々』を愛読書にする主人公メルが毎朝掲揚する信号旗。旗を揚げるという行為は、控えめでありながらひとつの強いメッセージで、しかもロマンチックだなあ、と思いました。

 

2011年7月9日土曜日

奇跡

東京が梅雨明けした明るい土曜日の朝、ユナイテッドシネマ豊洲で。是枝裕和監督の映画『奇跡』を観ました。

九州新幹線全線開通の日、一番電車が交叉する瞬間に奇跡が起こる。その瞬間を目撃するために、7人の小学生が旅をするロードムービー。

両親(オダギリジョー大塚寧々)の別居で、兄(まえだまえだの前田航基)は母と鹿児島に、弟(同じく前田旺志郎)は父と福岡に暮しています。火山灰の降りしきる封建的な空気の鹿児島に暮す屈託ありまくりの兄と、自由で開放的な感じの福岡で女子にちやほやされて暮す能天気な弟。同じ九州でも全然雰囲気違うんですね。小学生たちがやたらと走るところは共通していますが。

兄の「家族4人でまたいっしょに暮したい」という願いを、他の家族3人がたいして望んでいないという現実。

死んだ愛犬は蘇らず、図書の幸知先生(長澤まさみ)とも結婚できず、 彼らが願ったような奇跡は結局起こらない。でも、新幹線一番列車がすれ違う時と場所は、歴史上、地理上ひとつだけ。その場所に辿り着き、その瞬間に立ち会えたことが奇跡です。

その瞬間に爆発する5人の友だちの感情と、爆発させなかった兄弟の想い。かるかんの味がわかるようになり、家族より世界を選んだ兄。で、世界って何だ?

主題歌、挿入歌はもちろん、劇中のインストナンバーを含めて、くるりの音楽が、鉄道への愛に溢れていて、とてもよかったです。

 

2011年6月26日日曜日

SUPER8 スーパーエイト

お天気もいまいちで、遠出する気も起こらず、近所のシネコンで、『SUPER8 スーパーエイト』。J・J・エイブラムス監督の映画を初めて観ました。『スタートレック(2009年劇場版)』や『ミッション・インポッシブル3』を撮った人なんですね。さすがはスティーブン・スピルバーグ制作。料金分はきっちり楽しませてくれる内容だと思います。

全く事前情報を持たずにフラットな気持ちで観ました。8ミリ映画製作に夢中なローティーン男子5人組が主人公ということで、『スタンド・バイ・ミー』みたいな感じなのかな?⇒お、金髪の美少女ヒロイン登場、父親同士が不仲でボーイ・ミーツ・ガール?⇒列車大炎上のパニック映画?⇒超常現象が起きましたよ!⇒エイリアンものか! という息をもつかせぬ展開。ちょっと、いやだいぶ盛り過ぎです(笑)。

主人公ジョーとヒロインのアリスが出会ってから、お互いに好意を持ち、次第に心が通い始める映画前半は本当に魅力的。アリス役のエル・ファニング12歳の美しさと演技力が光ります。ショーン・ペン主演の大名作映画『アイ・アム・サム』(2001)のあの美少女子役ダコタ・ファニングの実妹ですから、間違いないです。

物語の舞台は1979年の合衆国オハイオ州。劇中流れる音楽も、シック「おしゃれフリーク」、ブロンディ「ハート・オブ・グラス」、ザ・ナック「マイ・シャローナ」、ザ・カーズ「バイ・バイ・ラブ」など、当時のB級ヒット曲満載で懐かしい。うちに帰って調べてみたら、J・J・エイブラムス監督は僕の1歳下でした。。

それからこの映画、エンドロールがすばらしくチャーミングです。ストーリーが終わったと思っても、あわてて席を立たないようにしましょうね!

 

2011年6月10日金曜日

TRANS FORMATION

梅雨の晴れ間、上弦の月が夕空に映える一昨日の水曜日。外苑前のギャラリーneutron tokyoへ。三尾あすか&三尾あづち 双子の姉妹展2011"TRANS FORMATION"のオープニング・パーティにおじゃましました。

昨年末neutron tokyoのグループ展に姉妹共作を出展していましたが、質・量ともにこれだけの作品をまとめて東京で観られるのは、おそらく今回がはじめて。

オープニング・パーティということで、3階建のギャラリーのソファのある2階、作家本人たちのいる3階にほとんどの来客が集中していましたが、そのために1階に展示されている大きくて迫力のある作品が、ゆっくり見られました。

アウトサイダー・アートとkawaii系のミッシング・リンク。透明度の高い画材が幾層ものレイヤーを構成して、複雑な奥行きを持ちながら、鮮やかな色彩によって、全体の印象はポップなもの。 時折書き込まれる文字が、レイヤーの合間から見え隠れしている。まるで感情の表出とその隠蔽が同時に行われているかのように。

そして圧倒的な情報量とスピード感。混沌と均整。

姉のあすかさんは右利き。星をモチーフにした抽象表現、光る糸を使った繊細な刺繍作品も美しく。妹のあづちさんは左利き。「でも学生の頃から、(利き手ではない)右手で描く線が好きになったんです」。それでいまは、主に右手でフォルムを描き、左手で色彩をつけているそう。へんてこキュートなクリーチャーたちはあづちさんが描いています。

ふたりはまだ25歳。neutron代表石橋圭吾氏によると「いまだ発展途上」ということですが、旬の作家だけが放つキラキラした輝きで会場が一杯です。会期は6月26日(日)まで。そのあと、名古屋、神戸と巡回します。コンテンポラリーの先にあるもの。その予兆を体感したい方は是非会場へ!

 

2011年6月4日土曜日

マイ・バック・ページ

よく晴れた6月らしくない土曜日の午後、ひさしぶりに映画館へ。ユナイテッドシネマ豊洲にて、『マイ・バック・ページ』を鑑賞しました。 川本三郎の自伝的小説を、山下敦弘監督が映画化したこの作品。妻夫木聡松山ケンイチのダブル主演という話題性もあって、単館ではなく、シネコンでも公開となった模様。

優柔不断な泣き虫を演じたら当代一の妻夫木聡がナイーブで感傷的な駆け出しジャーナリスト、いまやコミック原作映画には欠かせなくなった松山ケンイチが口ばかり達者で思想も行動力も無いなんちゃって革命家。そのふたりの友情と裏切りを、学生運動全盛期の1969~72年、東京を舞台に描いています。

同じ山下敦弘監督の最近作、『リンダリンダリンダ』『天然コケッコー』は、よくできた青春アイドル映画で、どちらも好きな作品です。前者だとペ・ドゥナ、後者では夏帆(左利き)。今回は忽那汐里の魅力を最大限に引き出していると思います。

妻夫木聡演じる雑誌記者沢田が、その雑誌の表紙モデル倉田眞子役の忽那汐里を誘って、ジャック・ニコルソンの『ファイブ・イージー・ピーセス』を観に行くシーン。前夜酒場で同僚と喧嘩して顔じゅう痣だらけの沢田は、先に席についた眞子との間をひとつ空けて座り、空席に鞄を置きます。その鞄をどかして、沢田の隣に席を詰める眞子。映画のあと喫茶店で言う「男の人の泣く姿が好き」という台詞。日曜日の無人のオフィスで再会したときの事件に対するコメント。いわゆる男子が思い描く理想の女子像とはちょっとずれているかもしれませんが、こういうことされたら、言われたら、ぐっときちゃうだろうな、と。

勤め人時代の妻夫木聡のネイビースーツ姿の居住い正しさ。フリーランスになってからのスイングトップとチノパン姿の貧相さ。この対象的な衣装も印象に残りました。

それから、ワンシーンだけ登場する東大全共闘議長唐谷義朗役長塚圭史の格好良さといったらないです。

それにしてもこの時代の男たちの、よく汗をかき、よく煙草を吸うこと。制汗デオドラントどころか冷房すらなかった時代の男だらけの真夏のオフィスはさぞかし汗臭かったことでしょう。そして、1970年に煙草を吸って彼らがつぶしていた手持ち無沙汰な時間を、2011年の僕たちは何に置き換えているのか。携帯電話かなあ。