リスペクトするミュージシャン/エンターテイナーであり、最近ではPoemusica Vol.37で共演したエミ・エレオノーラさんにお声掛けいただき、渋谷東急Bunkamuraシアターコクーンで岩松了脚本演出の舞台『青い瞳』を観賞しました。
戦争が終わって1年半。焼野原を見下ろす高台の街に戻った復員兵ツトム(中村獅童)は「ふと気づくと誰かのあとを歩いている」ような無為な日々を送っている。
「先に感情があるんじゃなくて、何かがあるから感情が動くんでしょ。その何かは大事なものだと思うの」。過干渉な母親(伊藤蘭)は、小学生時代のツトムを薫陶したタカシマ(勝村政信)を探し出して、かつての姿を取り戻させようとする。
「いま必要なのは言葉なの。ミチル、それはただの名前」「私たちが楽しかった時間のことを話して。それが始まりのはずでしょう?」。妹ミチル(前田敦子)と地下酒場ブランコにたむろする半グレの青年サム(上田竜也)は恋人同士だがギクシャクしている。そして起こるべくして起こった抗争に巻き込まれていく。
舞台は携帯電話も液晶テレビもある現代もしくは近未来。つまり我々に今後起こりうる事態を描いている。「喜ぶでもない悲しむでもない青い瞳」というのはツトムが幼少期のミチルを形容した言葉ですが、感情を失ったような登場人物たち全体を象徴しています。その中で感情を顕わにするサムは戦場を経験していない。「悲しい、悲しい、悲しい、みんなそこに行きたがっている。みんなそこが好きだから」と言う。しかし戦場を経験していないからといって戦争を経験していないわけではない。
もうひとりの感情的なキャラクターである伊藤蘭が演じる母親は精神に変調をきたしているように見える。喜怒哀楽を表さないツトムは実は既に戦死しており、母親の妄想のなかでだけに生きているのではないでしょうか。周囲もそれに合わせているだけで。
声を荒げても軽快にステップを踏んでもどこかアンドロイドめいた前田敦子。若く溌剌と生きて動いているのに死んでる感がすごい。AKB48在籍時から一貫するその稀有な存在に多くの演出家や映画監督が惹きつけられる理由が、生の舞台を観るとよくわかります。
対照的に生命を感じさせるのが抜群の間で客席を沸かせる勝村政信。「強くなってほしい、それはこの世界を戦場と考えているからです」。舞台に登場して何か一言発するだけで胡散臭くて可笑しい。が、そこに演出家が真実のメッセージを潜ませていることが伝わってきます。
エミさんは地下酒場のピアノ弾きというハマり役。出演時間こそ短いですが、濃厚な場末感を醸し、またカタストロフィの端緒を開く大事な役回りで印象に残る。シャンソン風のピアノに乗せて「気をつけなさい。本当は愛ほど目立つものはない」と歌います。
なぜ戦争は起こってしまうのか。戦争が終わってもまた争いは起こるのだろうか。大きなものでも、小さなものでも、既得権を手放す決意をした先に見えてくるものがあるのかもしれないな、と思いました。
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