井桁裕子さんは現在は陶器の人形を制作しています。究極Q太郎氏と昨年入籍しまして、その前にも何度か3K朗読会に来てくれたことがあります。昨年11月の3K17終演後に阿佐ヶ谷の定食屋で鯖の味噌煮を食べながら今回の個展のお話を伺いました。
登壇者は、小説家の深沢潮さん、明治大学で東アジア文学を教えている丸川哲史さん、シンガーソングライターの蘆佳世さん、Qさん、井桁さんが、傾きつつ沈む西日の浴びて、約2時間半のギャラリートークとなりました。
丸川さんとQさんは明大の同窓、蘆さんは丸川さんの配偶者、深沢さんの近刊『はざまのわたし』の表紙に井桁さんが人形作品を提供した。関係性のある5人です。
Qさんは新詩集『散歩依存症』の成り立ちを中心に3K Podcastを更に掘り下げた内容を軽妙に語るなかで、詩集にも描写されている障害者介護と詩作の関係性について丸川さんから質問され「介護、ケアするということは注意して見守るということ。詩人は割り切れないものに対する関心を常に持ち、ポスト・トゥルースの時代になんだかわからないものを文字にして残し、リレーする役割」と言っていました。
丸川さんは登壇者たちの共通点を二重性に見出していたようです。深沢潮さんと蘆佳世さんは日本で生まれ育った日本国籍を持つ在日コリアン。共に、思春期にアイデンティティを模索する過程で民族や社会というものを考えざるを得なかったと言う。文学・音楽は一般的に、自己と他者、もしくは個人と集団の衝突(や共感)によって生じるが、そこに「民族」という軸が加わる、と丸川さんは分析する。「マイノリティ代表者にされがち」という蘆さんや「知らないという認識があるから、知ることができる」という深沢さんの言葉は目から鱗でした。
井桁さんは自己嫌悪から自分自身を受け入れるために、自分の外側に自分をもうひとつ持ちたいという欲求から人形制作を始めたという。作品は当初のセルフポートレートドールからモデルを外に求めるように変化した。今回の個展の中心的作品《ウラノス・ウラニウム》は鉄のゲージツ家クマさんこと篠原勝之氏の消化器が宇宙に広がり蓮の花を咲かせており、僕は「腹を割って話そう」とお互い切腹して対話する根本敬の漫画や、腹が観音開きになってもうひとつの小さな仏像が顔を覗かせている川越の五百羅漢像のひとつを思い出し、愉快な気持ちになりました。
例えば『はざまのわたし』の表紙の《Release 》は、胴体が人間の心臓でその上に外国の少女の顔が乗っており、心臓の裂け目から数羽の鳥が羽ばたこうとしています。かように井桁さんの人形作品は、身体性の不完全さには不釣り合いなとても綺麗な顔をしています。そこに何か問題意識を読み取るとしたら、鑑賞者自身を映すことになる。その断崖にひたすら美を感じればいいのではないか、と僕は思いました。
個展は3/2(日)まで。階下で開催していたパレスチナのポスター展『From the Rubble Soars Life ~An Exhibition from Palestine & for Palestine』も素晴らしかったです。
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