2025年2月23日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

寒の戻り。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

毎年猫の日の前後に開催されるmandimimiさんのライブはいつもコンセプトとなるキーフレーズがあって、今夜のテーマは "Dreaming Of Youth"。台湾系アメリカ人のmandimimiさんはYouthを「青春」と訳して、思春期をBlue Springと呼ぶのが詩的だと言う。セットリストは青春や青にちなんだ楽曲がセレクトされ、衣装もブルー。

「すこしここにいませんか/月もまだ微笑んでいる/私たちのためにまるで/心を読んだように」。ジョニ・ミッチェルの "Blue" を自ら和訳し朗読したうちの一節です。それ以外にもSnow Patrolの "Run"、オリジナル曲「永遠的水藍色」などが、歌詞の朗読を交えて演奏されました。

僕は朗読が本職ではない人の、特にミュージシャンの歌詞の朗読を聴くのがとても好きです。音楽は、基本となる拍節に沿ったりはみ出したりしながら進んで行く時間芸術で、大なり小なりそのミュージシャンの得意な「型」というべきものがあると思います。それに対して朗読はいつ始まってもいいし止まってもいい、真空で無音で無重力の空間にひとりでいるような心許なさと会話のような何気なさが同居する表現形態で、そういった環境に身を置いた際、その人の本質が見える気がします。

演奏された楽曲すべてがスローテンポで優しい空気を纏っている。朗読も同様で且つmandimimiさんは英中日どれも流暢に話せるトリリンガルですが、日本語のネイティブスピーカーにはない独特のアーティキュレーションを持ち、それが僕にはとても心地良く感じられました。

昨年秋のギャラリー展示で "Flower Spells" を完成させ、現在進行形のProject "Dear Dream Diaries" の子どもの頃に見た宇宙で暮らす家族の夢を基にした新曲 "Erasers" が主題も旋律も素晴らしい。愛聴しているmandimimi名義の1st E.P. "Unicorn Songbook: Journeys" のリードトラックで2004年まで暮らしていたシアトルの夏空を歌った "Sapphire Skies"、限定シングル "To Santorini" とそのB面曲 "Transatlanticism" をひさしぶりに聴けたのもうれしかったです。

冬のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくね焼き、きんぴらごぼう、かぶのつけもの、さばみりん、とうふと小松菜のみそ汁、豆ひじきごはん。そしてノラバープリンとノラブレンドコーヒー。『シティ・オブ・エンジェル』からニコラス・ケイジの話でみんなで笑って柳沢の夜は更けていきました。

 

2025年2月16日日曜日

映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ

薄曇り。ユナイテッドシネマ豊洲柳伸亮監督作品『映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ』を観ました。

3年生が体育館で練習している「仰げば尊し」の歌声が教室まで聴こえてくる。2年生の花岡まこと(梅田修一朗)は男子だがかわいいものが大好きで女子の制服で授業を受けている。まことの幼馴染の大我竜二(内田雄馬)、1年生の蒼井咲(関根明良)たちは春休みを迎える。

2024年7~9月期にCX系列で放送されたアニメ全12話は、女装の高校生まことを中心とした青春群像劇でしたが、その後日譚である本作は咲が主人公です。放送第1話で高校に入学したハイテンションガール咲は、憧れの同性の先輩まことに告白するが、まことは自分が男子であることをその場で打ち明け、咲は失恋するものの、ふたりの間に友情が芽生える。竜二は親友だと思っていたまことに恋愛感情を抱いている自分に動揺する、というのがテレビアニメのメインストーリー。劇場版では、すれ違いと和解を通過した三人それぞれの成長が見られ、悩んでいた咲も元気になって、ほんわかしみじみしました。

「私って本当は何が好きなんだろう、何が特別なんだろう」「どうしてみんな本当の特別がわかるのかな」。咲の葛藤は母親のネグレクトというトラウマを抱えるが故、誰かにとっての特別な存在は唯一絶対のものだと信じている。竜二はまことにだけ恋愛感情を持っているのか、同性愛者なのか、自分でもわからない。それでも視野を広げ、許容範囲を拡大して、世界と折り合いをつけなくてはならない。揺れる思春期を鎌倉を背景に繊細に描写しています。

モブは顔が描かれないのは『聲の形』もですが、いまの若い子たちが興味のない他人をそんな風に認識しているとしたらちょっと怖いな、と思いました。あと、高校生の親世代だと40代のはずですが、ほうれい線で実年齢以上に老けて見えるのは改善ポイントだと思います。

このアニメはテレビ版も劇場版も演出に独特のテンポの悪さがあって、そこが逆に魅力になっているという、不思議な作品だと思います。テレビ版はオープニングの作画と音楽のシンクロがジャストで最高なので是非ご覧ください。

 

2025年2月15日土曜日

井桁裕子 個展

薄曇り。六本木ストライプハウスギャラリーで開催中の井桁裕子個展のギャラリートークを聴きに行きました。

井桁裕子さんは現在は陶器の人形を制作しています。究極Q太郎氏と昨年入籍しまして、その前にも何度か3K朗読会に来てくれたことがあります。昨年11月の3K17終演後に阿佐ヶ谷の定食屋で鯖の味噌煮を食べながら今回の個展のお話を伺いました。

登壇者は、小説家の深沢潮さん、明治大学で東アジア文学を教えている丸川哲史さん、シンガーソングライターの蘆佳世さん、Qさん、井桁さんが、傾きつつ沈む西日の浴びて、約2時間半のギャラリートークとなりました。

丸川さんとQさんは明大の同窓、蘆さんは丸川さんの配偶者、深沢さんの近刊『はざまのわたし』の表紙に井桁さんが人形作品を提供した。関係性のある5人です。

Qさんは新詩集『散歩依存症』の成り立ちを中心に3K Podcastを更に掘り下げた内容を軽妙に語るなかで、詩集にも描写されている障害者介護と詩作の関係性について丸川さんから質問され「介護、ケアするということは注意して見守るということ。詩人は割り切れないものに対する関心を常に持ち、ポスト・トゥルースの時代になんだかわからないものを文字にして残し、リレーする役割」と言っていました。

丸川さんは登壇者たちの共通点を二重性に見出していたようです。深沢潮さんと蘆佳世さんは日本で生まれ育った日本国籍を持つ在日コリアン。共に、思春期にアイデンティティを模索する過程で民族や社会というものを考えざるを得なかったと言う。文学・音楽は一般的に、自己と他者、もしくは個人と集団の衝突(や共感)によって生じるが、そこに「民族」という軸が加わる、と丸川さんは分析する。「マイノリティ代表者にされがち」という蘆さんや「知らないという認識があるから、知ることができる」という深沢さんの言葉は目から鱗でした。

井桁さんは自己嫌悪から自分自身を受け入れるために、自分の外側に自分をもうひとつ持ちたいという欲求から人形制作を始めたという。作品は当初のセルフポートレートドールからモデルを外に求めるように変化した。今回の個展の中心的作品《ウラノス・ウラニウム》は鉄のゲージツ家クマさんこと篠原勝之氏の消化器が宇宙に広がり蓮の花を咲かせており、僕は「腹を割って話そう」とお互い切腹して対話する根本敬の漫画や、腹が観音開きになってもうひとつの小さな仏像が顔を覗かせている川越の五百羅漢像のひとつを思い出し、愉快な気持ちになりました。

例えば『はざまのわたし』の表紙の《Release 》は、胴体が人間の心臓でその上に外国の少女の顔が乗っており、心臓の裂け目から数羽の鳥が羽ばたこうとしています。かように井桁さんの人形作品は、身体性の不完全さには不釣り合いなとても綺麗な顔をしています。そこに何か問題意識を読み取るとしたら、鑑賞者自身を映すことになる。その断崖にひたすら美を感じればいいのではないか、と僕は思いました。

個展は3/2(日)まで。階下で開催していたパレスチナのポスター展『From the Rubble Soars Life ~An Exhibition from Palestine & for Palestine』も素晴らしかったです。

 

2025年2月12日水曜日

ヒプノシス レコードジャケットの美学

木枯らし。恵比寿ガーデンシネマにてアントン・コービン監督作品『ヒプノシス レコードジャケットの美学』を観ました。

湿った土を踏む足音。木箱を背負った白髪の男が墓地を歩いている。モノクロの画面。古い家屋に入り廊下の突き当りに置かれた椅子に座り、レコードジャケットの原画を木箱から次々に取り出し床に広げ語り始める。男の名はオーブリー・"ポー"・パウエル

1964年、英国ケンブリッジでポーは、ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズの同級生でラグビーのチームメイトだったストーム・トーガソンと出会い、意気投合する。ピンク・フロイドのメンバーがロンドンに移るのと時を同じくしてストームとポーも上京、王立芸術学院に入学し、1968年にピンク・フロイドの2ndアルバム "A Saucerful of Secrets" のジャケットをデザインする。

ヒプノシス(HIPGNOSIS)は、ヒップ、クール、グルーヴィ、そして霊知的」。「原子心母」「電撃の武者」「狂気」「プレゼンス」「びっくり電話」。1970年代のロックシーンを彩る名だたるレコードアルバムのアートワークを担当したデザインチームの誕生から終焉までを描いたドキュメンタリーフィルムです。

ストームとポーで始まり、ピーター・クリストファーソンが加わる。3名のうち唯一存命中のポーのインタビューを中心にピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアレッド・ツェッペリンジミー・ペイジロバート・プラントポール・マッカートニーら、ヒプノシスに発注したミュージシャンたち、同業者ではYES中期歴史的名盤群のビジュアルイメージを決定づけたロジャー・ディーンJOY DIVISIONの "Unknown Pleasures" をデザインしたピーター・サヴィル他が出演しています。

聖なる館」や「ウィングス・グレイテスト」など、絵画だと思っていたのですが、アイルランドの岸壁やスイスアルプスの山頂でロケした写真をレタッチしているんですね。びっくりしました。スタジオ撮影された「バンド・オン・ザ・ラン」の制作過程の動画が残っているのが、さすが大御所中の大御所ポールです。

パンク全盛期においてオールド・ウェイブと揶揄されたハードロックやプログレバンドのジャケットを多く手掛けたヒプノシスに対して、元SEX PISTOLSグレン・マトロックは世代的な嫌悪感を隠さないが、ポスト・パンク/ノイズ・インダストリアルのスロビング・グリッスルサイキックTVCOILに加わるピーター・クリストファーソンには一定の共感を示す。更に一世代下のノエル・ギャラガーになると一周してノスタルジー込みでヒプノシスを高く評価しているのが面白いです(ノエルの娘に至っては「レコードジャケットって何?」「iTunesのアイコンのために打ち合わせをするとか意味わかんない」と言う)。

ヒプノシスのジャケットデザインは静謐で、僕には音楽が聴こえてこない。だからこそレコード盤に刻まれた音楽がより際立つのではないか、とこの映画を観て思いました。

 

2025年2月10日月曜日

Chimin TRIO

建国記念の日の前日は厳寒。吉祥寺StringChiminさんの歌を聴きに行きました。

加藤エレナさんのピアノがパーカッシブな「茶の味」で始まったライブ。この日一番のハイテンポ曲「残る人」のアウトロで聴かせる井上"JUJU"ヒロシさんのフルートとの心躍る掛け合い。「住処」の二声のハーモ二―が美しい。バレンタイン直前に聴く「チョコレート」はいつも以上にのびのびと感じる。前半最終曲「死んだ男の残したものは」はテナーサックスver.でした。

休憩を挟んで後半はミディアムテンポの「シンキロウ」から。JUJUさんとエレナさんの呼吸は名人同士の対局のよう。「」はわずかにテンポアップして演奏されChiminさんの歌声も若干ハスキー寄り、つづく「まるで昔のことのように」もピアノアレンジに変更が加えられ、後半の分散和音はさざなみのように揺れる。

今回のセットリストは2024年12月13日に同じ会場で歌ったものと同じとのことです(実際には12月に歌った「アリラン」が今回はなかった)。「昔のいい曲があるし、いまは自分の歴史を歌っていこうかと思う」と言うChiminさん。新曲をどんどん作るというよりも現在はそういうモードなのでしょう。定番の良さというものがあり、好きな歌を好きな声でなら何度でも聴きたいし、むしろそのほうが変化に敏感になる。

もうだいぶ前のことですが2000年頃、ラスタカラーのリサイクルマークに If the music's nice, play it twice とバックプリントされたTシャツを気に入ってよく着ていたことを思い出しました。

2012年のアルバム『住処』の制作中に大阪城の正面にある土産物屋さんでアルバイトをしていたというのを聞いて、生きていれば生活があるのは当然なのですが、僕の中でChiminさんは想像上の架空の生物、妖精のような存在なので、とても意外な気がしてしまう。そういった感情を呼び覚ます音楽家を人は歌姫と呼ぶのでしょう。