2014年1月26日日曜日

宝箱 ‐ 齋藤陽道 写真展

1月にしてはあたたかい曇りの日曜日。銀座線の黄色い電車に乗って外苑前まで。ワタリウム美術館で『宝箱 ‐ 齋藤陽道 写真展』を鑑賞しました。

“ぼくらを取り囲む暴力、差別、偏見について思うとき、すべてが自らのなかにも同じようにあり、さらには無自覚といういっそう残酷なかたちで巣食っていることにあきれる。”

“凶暴な光のなかで、甘く、しびれるきもち。意志をおびたまなざしの声が聴こえるとき、そうだ!そうだ!そうだ!と強いきもちに満ちあふれる。眼を澄ませてうたいあげよう。ぜいたくにも世界は黄金色だね、と笑うために。”

齋藤陽道氏は1983年生まれ。はじめての大規模な個展だそうです。聴覚障害を持つ写真家が世界をどのように切り取るのか、という半ば興味本位もありましたが、その作品は光に溢れ、優しく、肯定的でした。障害者も健常者も老人も子供も山羊も猫も枯葉も逆光のなかで、ホワイトアウトした背景に溶け込んでいます。まるですべてが許されているとでもいうように。

「無音楽団」と題されたシリーズは、楽器を演奏するミュージシャンのポートレートを中心に構成されています。薄暗がりのなかで鍵盤を叩く女性ピアニストの指。ストリートミュージシャンの空っぽのギターケース。アスファルトに打ち付ける雨粒。人物の表情は写っていませんが、そこには音があります。そして写真家はその音を聴くことができない。聴こえない人たちにとって音楽とは、音とは、どのような存在なのでしょう。

“音楽は永遠の片思い。さびしいけどずっと想っていられる。息づく存在そのものがひとつの音であり、それはすぐそこにある。”

世界が音で満ちていることはけっして当たり前のことではない。ミュージシャンや朗読者、音声表現を志す若者にこそ観てもらいたい展示です。

 

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