1965年にLAで結成し1972年に解散したザ・ドアーズは今年が60周年。存命のメンバー2人、ジョン・デンズモア(Dr)、ロビー・クリーガー(Gt)に加え、Playing for Change music project のサポートで世界8カ国から20人以上のミュージシャンとダンサーが参加した "Rider On The Storm"(邦題:嵐をこえて)の2025ver.から映画は始まる。
職業軍人の家に生まれたジム・モリソン(Vo)は、1964年生地フロリダを離れUCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)映画学科に入学、3歳年上の同級生レイ・マンザレク(Key)は、ブレイク、ランボーら、ロマン派、象徴派詩人を愛読し、ビートニクに憧れていたモリソンの書いた詩 "Moonlight Drive" を読んで感銘を受ける。マンザレクは、LAの瞑想センターで知り合ったデンズモアとクリーガーを誘ってバンドを結成する。バンド名はブレイクの詩の一節 "the doors of perception"(知覚の扉)から。
モリソンは他の3人に最初のリハーサルまでに1曲ずつ書いてくるように言ったが、持ってきたのはクリーガーだけ。それが最初で最大のヒット曲となる "Light My Fire"(邦題:ハートに火をつけて)だった(冒頭のRider On The Stormはモリソン存命時のラストアルバム "L.A.Woman" の最終曲)。
当初は自己肯定感が低く、観客に背を向けて歌っていたモリソンが、時代のセックスシンボルを引き受けたことで途轍もない熱狂を生む。バンドはサイケデリックであるためにLSDを服用するが、モリソンを除く3人はメディテーションによるナチュラルハイに移行。一方モリソンは、アルコール、ヘロイン、コカインに耽溺し、1971年にパリの自宅のバスタブで死亡。
享年27歳。1969年のブライアン・ジョーンズ、1970年のジミ・ヘンドリクスとジャニス・ジョプリン、1971年のジム・モリソンのいずれも27歳の死は、破滅型ロックスターの殿堂である27 Clubのイメージを決定づけ、後に1994年のカート・コバーン、2011年にエイミー・ワインハウスが加わる。
2010年に制作された本作は、ジョニー・デップがナレーションを担当している以外は当時の映像だけで構成され、現在の姿で懐古するようなインタビューカットがない。そのことが1960年代の空気感をよりリアルに伝えていると思います。冒頭のRider On The Storm 2025ver. はご祝儀ということで。
詩人、バロック音楽のオルガン奏者、ジャズドラマー、フラメンコギタリスト、という異色の組み合わせにより生み出された摩訶不思議なブルースロックは、わずか54ヶ月の活動にも関わらず、後世に与えた影響が多大。僕の世代だとリバプール出身の Echo And The Bunnymen が代表格で、十代の頃大好きでした。ドラムのPete de Freitas氏は1989年にオートバイ事故で27 Clubに入部しています。

