2023年2月25日土曜日

月の寵児たち

土曜日。ヒューマントラストシネマ有楽町オタール・イオセリアーニ映画祭 ~ジョージア、そしてパリ~』にて、1984年作品『月の寵児たち』を観ました。

1781年のパリ。2枚の皿にスープが注がれ、テーブルに運ばれる。室内犬が残りの皿を床に落とし、皿は割れる。時を戻し、ろくろを回す手。白い磁器の皿に絵付けする筆。アトリエでモデルはローブを脱ぎ、画家は裸婦画を仕上げる。

1980年代のパリ。銃砲店主(パスカル・オビエ)の妻(アリックス・ド・モンテギュ)はオークションで磁器の絵皿を落札する。自宅に招いた幼い息子の友人たちが走り回り、足元にぶつかられバランスを崩した使用人は絵皿を落とし割ってしまう。美容師の夫は爆弾製造業。夫妻とも同じアパルトマンで商売する娼婦たちと気安く会話する仲だ。娼婦の隣室に暮らす空き巣の父子は裸婦画を盗む。

旧ソ連邦のグルジア共和国(現ジョージア)の検閲に耐え兼ねたイオセリアーニ監督が、パリに活動拠点を移して撮った最初の長編作品です。2日前に見た『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』は本作品の習作という側面を持ち、①鉄道と駅前のベンチで歌うホームレス、④犬の散歩と毛皮の女たち、⑦歌う酔っ払い、のモチーフが明確に反映されていました。特に④は反復によってアイロニーを強調する。また『トスカーナの小さな修道院』の居酒屋で見事な合唱を聴かせる村人たちの姿が、本作品の刑務所内の休憩室の大合唱に繋がります。

絵皿と裸婦画という縦糸があるものの、横糸となる多数の登場人物たちの描き方に濃淡をつけることを意図的に避けており、人はひとりひとりが等しく価値を持つということを再認識させてくれる一方、映画の筋としてはどうしてもわかりづらくなってしまうが、説明しないことで観客に脳内で物語を補完させる映像の力がある。法の番人たる警察官がことごとく俗物なのに対して、娼婦がお人好しで優しく強く魅力的。

18世紀から20世紀に転換する場面で登場する弦楽四重奏団が群像劇には絡まず、その後は劇伴に徹するのは、通常は音だけで姿を現わさないサウンドトラックの演奏家に脚光を当てる趣向でしょうか。洒落が利いていて粋です。

 

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