1998年秋、僕がNYの詩人シャロン・メズマーの詩集の書評を書いたAMERICAN BOOK JAMで広告を見つけて下北沢を訪れたのが、書店フィクショネスと店主藤谷治氏との出会いでした。そして1年半後の2000年3月、詩の教室が始まりました。
曜日や時間は何度か変わりましたが、14年間毎月続けてきました。最少催行人割れの流会は別として(笑)、休講はたしか、台風と父の葬儀と僕のインフルエンザの3回だけだったと思います。
その間、百名以上の詩人の数百篇の詩作品を紹介してきました。また参加者の作品には毎回感心されられつつも、みんなで修正ポイントを探し出してアドヴァイスし合いました。教室の準備も含めて、僕にとっても多くの詩を深く読み込んだ豊かな時間でした。
店主が小説家として正念場を迎え(?)、店舗(といってもほぼ書斎)を閉めることになり、これに伴って詩の教室も終了することになりました。
最終回は僕のわがままで、いままで教室で紹介した詩作品のなかから、特に好きなものや何かの契機になったものを選んで朗読させてもらいました。
宮沢賢治「春と修羅 序」(1924)
室生犀星「はる」(1916)
西脇順三郎「眼」(1933)
伊東静雄「わがひとに與ふる哀歌」(1934)
金子光晴「落下傘」(1938)
草野心平「窓」(1940)
村野四郎「体操」(1939)
田村隆一「腐敗性物質」(1966)
吉岡実「過去」(1955)
長谷川龍生「理髪店にて」(1957)
吉本隆明「恋唄」(1958)
那珂太郎「秋の・・・」(1959)
中江俊夫「地球」(1952)
岸田衿子「音無姫」(1957)
長田弘「言葉と行為のあいだには」(1965)
茨木のり子「自分の感受性くらい」(1975)
伊藤比呂美「アウシュビッツ ミーハー」(1985)
カオリンタウミ「RAMBLING IN THE RAIN」(1997)
究極Q太郎「あるホームレス」(2000)
田口犬男「菜食主義者のために」(2002)
これ以外にも、アポリネール、シュペルヴィエルをすこし、過去の参加者の作品も一篇取り上げました。
参加費分のエンターテインメントを提供しなくてはならないと、14年の途中にはそれなりのプレッシャーもありましたが、これだけ長く続けてこられたのは、参加者のみなさんと店主の藤谷氏のおかげです。どうもありがとうございました。Poetry is everywhere, anywhere. とシャロン・メズマーも言っていました。今日会えた方も会えなかった方も、どうかこれからも詩を忘れずに。
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