昭和の日。ヒューマントラストシネマ有楽町で、故・佐藤泰志原作、呉美保監督映画『そこのみにて光輝く』を観ました。上映後、ゴールデンウィークで浮き足立つ街に出たときに感じるスクリーンとの温度差にめまいを覚える。
真夏の函館。採石場の爆破事故で部下を亡くし無為な生活を送る佐藤達夫(綾野剛)は、パチンコ屋でライターを貸したことがきっかけで、仮釈放中の陽気なヤンキー拓児(菅田将暉)と知り合う。拓児が家族と暮らす海辺のバラックで出会った姉の千夏(池脇千鶴)は安い娼婦だった。
救いのない物語。拓児と千夏と両親が暮らす家の物干し竿には洗濯物のとなりにコンブが干してある。貧困とセックスと暴力。負のスパイラルから抜け出すことを諦めかけた者たちが関わることで生まれる衝突。
スクリーンの中に何か「救い」を見出そうと無意識のうちに目を凝らしてしまう。拓児が育てる小さな花鉢は山で抜いてきたホタルブクロ。真夏なのに咲き誇る紫陽花のブルー。そして達夫の部屋にある十数冊の文庫本とCDプレーヤー。そこに本と音楽があるということ。夜明けの光り。
この映画に描かれたようなぎりぎりの生活を送っている人たちはおそらく、この映画を観ないし原作小説も読まないでしょう。観るとしたらもっと豊かな暮らしを描いたハリウッド映画に違いない。その事実と矛盾を自分のなかで消化するすべをいまの僕は持っていません。
呉美保監督の前作長編『オカンの嫁入り』は僕には残念でしたが、この映画ではリアルで重厚で緊張感の途切れない見事な演出をしています。そして主役の3人が素晴らしい。草を食むキリンのようにうなだれた綾野剛の首筋、池脇千鶴の背中と二の腕のたっぷり感、菅田将暉の笑顔の明るさ。絶望的な環境にあってもかすかな品を失わない役者の肉体に希望を見つけました。
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