「ただのクラスメイトでよかった。好きでも嫌いでもない、そんな男子のひとりでよかった」新潟県立清鈴高校2年3組大塚京(奥平大兼)のモノローグで映画は始まる。古文の授業の教材は『宇治拾遺物語』。教師が「いと」と「いみじ」の違いを問うとクラスメートの頭上に「?」が浮かぶ。挙手する三木(出口夏希)の頭上に、京には「!」が見える。
ミッキーと呼ばれる三木はいつもクラスの中心にいる明るい性格で裏表のない美人。地味で自信のない京はミッキーがシャンプーを変えたことに気づくが、言い出せないのは、隣席の宮里さん(早瀬憩)に同じことを言って以来、不登校が続いているからだ。
「私、ひとの心はこじ開けるもんだと思っているから」。休日、ショッピングモールのCDショップの前で京と偶然出会ったミッキーは京を非常階段に連れ込む。ミッキーに執拗に問われ、遂に「シャンプー変えたよね」と答える京にミッキーは、京が宮里さんを嫌っていないと確認するためにシャンプーを変えたと言う。ミッキーには人の左胸に+-を示す天秤が見えている。
令和の青春群像劇のマスターピースの誕生。夏服のポロシャツの水色や修学旅行で訪れる水族館の水槽の青。悪意を持つキャラクターが登場しない、あえて解像度を落とした淡い色調の画面に、演劇祭のあとの体育館に差し込む蜂蜜色の西日が高校生たちをやさしく照らす。
5つのチャプターの語り手を、京→ミッキー→パラ→ヅカ→エルと交代で受け持ち、パラは他人の鼓動が数字で見え、ヅカは喜怒哀楽をトランプの絵柄で、エルには感情の向きが矢印で見えることが語られ、期末テスト、演劇祭、修学旅行、受験勉強という定番アイテムに多面的な光を当てるが、誰もが自分の気持ちに気づけないという思春期のもどかしさ。僕は詩人なので、5人の特殊能力は、好むと好まざると他人の気持ちに左右されてしまう、繊細さの隠喩として捉えました。カラフルな記号化とポップな効果音は映画的リアリティの表現手法。
演劇祭のヒーローショーのラストシーンで台詞が飛んだ主役のミッキーを救う「ごめんなさい、私たちは演技をしていました」というパラのアドリブ、修学旅行中に寝不足で倒れたパラを気遣いながら本音をぶつけ合うヅカと応えるパラの大粒の涙。出口夏希さんの圧倒的主人公感に対する菊池日菜子さんのサブカルこじらせ女子感に十代の僕なら惹かれてしまったに違いない。
自己肯定感の低いエルの抑制された演技で、派手さのあるミッキーとパラに負けない強い印象を残した早瀬憩さんのポテンシャルは『違国日記』より更に輝きを増している。伊東蒼さん、伊礼姫奈さん、當真あみさん(左利き)ら同世代と切磋琢磨して、日本映画界に欠かせない存在になっていくのだろうと思います。
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