2025年3月5日水曜日

ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン ジャズが生まれる瞬間


2014年のニューヨーク。87歳のサックス奏者リー・コニッツが自宅アパートメントでリードを選んでいる。引き出しには気に入ったリードがなく、ガッデム口唇が痛い、と悪態をつく。

同じ頃デンマークの首都コペンハーゲンで、ジャズギタリストのヤコブ・ブロが新譜のレコーディングの準備をしていた。スタジオの窓に一面の雪景色。

デンマーク出身のヤコブ・ブロの2枚のリーダーアルバム "December Song"と"Taking Turns"の制作を軸に、ヤコブと周辺のミュージシャンたちの2008年から2021年の14年間を追ったドキュメンタリーフィルムです。

ECMのプロデューサーマンフレート・アイヒャーも登場し『ECMレコード  サウンズ&サイレンス』の続編的な作品と言ってもいいと思います。ジャズのドキュメンタリーなのに、アルコールもドラッグも出てこない。ECMらしくクリーンでメランコリックで空間的。

ヤコブ・ブロのギターもクリーントーンのアルペジオが中心のアビエント寄りなスタイル。日本人パーカッショニスト高田みどりさんとの即興デュオでのみ激しいディストーションがかかる。

ベーシストのトーマス・モーガンがキャラ立ちしています。インタビューカットの長過ぎる沈黙のあとの普通過ぎる一言、エンドロールでモーニングルーティーンの変な体操を延々映し出すのは、監督もきっと同じ気持ちだったのでしょう。

1940~50年代にスタン・ゲッツズート・シムズアート・ペッパーらと人気を分けたクール・ジャズの代表的なプレーヤーであるリー・コニッツは本作撮影中の2020年に新型コロナウィルス感染による肺炎で亡くなりました。サックスのリードを買いに行こうとしてタクシーを停めるが、楽器店の名前も通りの名も思い出せない。運転手は停車したままナビで検索するが希望の店は出て来ず、あきらめたコニッツは5ドル30セントを支払いタクシーを降りる。その最晩年の姿に不思議と悲壮感はありません。

「黒い鳩たちのための音楽」という奇妙なタイトルはコニッツがヤコブに話した言葉から。その意味は映画の最後にコニッツの墓標の前でヤコブから明かされます。
 
 

2025年3月1日土曜日

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN

ザ・ファーストデイ・オブスプリング。ユナイテッドシネマ豊洲ジェームズ・マンゴールド監督作品『名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN』を観ました。

1961年NYマンハッタンにギターケースを提げた青年がヒッチハイクで降り立つ。ボア付きのスエードジャケットにコーデュロイのキャスケットは1stアルバムのジャケットと同じ。19歳のボブ・ディランティモシー・シャラメ)だ。

目についたライブバーに入り、憧れのフォーク歌手ウディ・ガスリーの所在をカウンターの男に尋ねると、ニュージャージーの病院にいるという。ウディ(スクート・マクネイリー)の病室でボブが自作の "Song To Woody" を歌うと、見舞いに訪れていたピート・シーガーエドワード・ノートン)はその独創性と技術に感激し、宿のないボブを郊外のログハウスに連れて帰る。

その後フォークシティのオープンマイクで注目を集め、コロムビア・レコードのジョン・ハモンドデヴィッド・アラン・ブッシェ)のプロデュースで1962年にレコードデビュー、ジョーン・バエズモニカ・バルバロ)がライブでカバーした「風に吹かれて」でブレークし、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで物議を醸した伝説的ライブパフォーマンスまでの5年間。ボブ・ディランの初期の音楽活動と私生活を、ベトナム戦争、キューバ危機、JFK暗殺など、激動の時代背景と共に描いた伝記映画です。

「自分ではフォークだと思っていない」と言い、チャック・ベリーリトル・リチャードを好むが、アコースティックギターの弾き語りという演奏スタイルと内省的で多義的な歌詞は反体制派に都合よく解釈され、時代の寵児に祀り上げられる。自由を求めて声を上げたはずのフォークシーンが自由を縛る。伝統主義者の彼らからしたら、ロックンロールは資本主義に毒され堕落した音楽と映ったのでしょう。その才能のきらめきと苛立ちと落胆を主演のティモシー・シャラメが吹き替えなしの歌声で上手く表現している。

「人は覚えていたいこと以外は忘れる」。キューバ危機の夜にパニックになりボブとセックスしてしまうジョーン・バエズ。その後もふたりの友情は続くのですが、演じるモニカ・バルバロの歌声には深みがあり、ボブとジョーンのデュエットの再現も完成度が高い。

風に吹かれて」が収録され出世作となった2nd "The Freewheelin' Bob Dylan" のアルバムジャケットで腕を組んで冬の街を歩き、ロマンチックな佳曲 "Girl from the North Country" のモデルとなった美大生スーズ・ロトロ(本作中の役名はシルヴィ)を大人になったエル・ファニングがすこぶるチャーミングに演じています。

僕は1965年生れでリアルタイムに体験したわけではないので、名曲群の誕生の瞬間を垣間見ることができること、それ以前にはその名曲の存在しない世界があったのを想像することはとても楽しいです。本作で描かれる時代に発表された "The Freewheelin' Bob Dylan" "The Times They Are a-Changin'" "Another Side of Bob Dylan" "Bringing It All Back Home" "Highway 61 Revisited" はいずれも紛れもない名盤ですが、他にはサントラ盤の "Pat Garrett & Billy the Kid" (1973)と"Blood on the Tracks(邦題:血の轍)" (1975)が僕は好きです。