2013年1月5日土曜日

生誕100年 松本竣介展

東京がこの冬一番の寒さを記録した土曜日。用賀駅から砧公園を抜けて世田谷美術館へ。『生誕100年 松本竣介展』を鑑賞。評判にたがわぬ充実した展示でした。

東京生まれ岩手県花巻育ちの松本竣介は、13歳のときに病気で聴覚を失い、画家を目指す。成人後は東京下落合に拠点を移し、短い生涯に多彩な画風の作品を残した。

というようなことはまあ美術館のサイトを見れば書いてあるわけですけれど。作品自体もちろん感動的なのですが、それ以上に彼の芸術観に打たれました。

「何よりも建物の立つてゐるといふことが僕にとつて最も大きな魅惑なのだ」。「今の、僕のメチエーが、建物が必ず持つてゐるその線と、形体に共感を得たに過ぎない。この中に生活の必然はあるのだ」。

カワグチタケシの詩には「風景」は描写されているけれど「人間」が描かれていない、と。どちらかというと批判的なトーンで言われることがあります。「人間」が「自然」と言い換えられる場合も。でも僕は、風景を描写することはそこに加わった人の手の痕跡とその思いを描くことだと思っています。また、自分の内面だってひとつの風景に過ぎないと考えています。ですから、美術館の壁に掲げられた松本竣介の言葉のいちいちに共感し、強く頷いたわけです。

画風の変遷はおおまかにいうと、ジョルジュ・ルオーみたいな太い輪郭線と厚塗り⇒ピカソの青の時代に似た色彩と直角の構図の風景画⇒人物と背景のパースが狂ったマルク・シャガールのような透明感のある画面⇒思索的な表情を持つ人物画⇒工場地帯や空襲の焼け跡など、メカニカルで暗褐色の風景画⇒キュビズムの手法を取り入れた具象と抽象のミクスチュア、といった感じ。どの時期にも共通する画面の静謐さはまるでニック・ドレイクの音楽を聴いているかのよう。

聴覚障害のため第二次世界大戦には従軍せず、妻子を疎開させて、崩壊していく首都を描いた松本竣介。戦局が悪化すると、庭の土の中に絵具や画布を埋めて隠したという。その行為自体が戦争の終結を信じて、且つ、強く望んでいた故のものでしょう。昭和のはじめの東京の街角をスナップした白黒写真も素晴らしかったです。

1948年に松本竣介は36歳で病死しました。「四十才になつたら詩集を出す」と友人に語っていたそうです。



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