2022年5月11日水曜日

スージーQ

水曜日の夜。新宿シネマカリテにてリーアム・ファーメイジャー監督作品『スージーQ』を観ました。

スージー・クアトロは1950年、ミシガン州デトロイト生まれ。父アーサーはミュージシャン、母ヘレンは敬虔なカトリック教徒。14歳のときに姉パティと近所に住む別の姉妹と共にThe Pleasure Seekersを結成、担当パートはベースギターだった。

時代はマージ―ビートからヒッピー文化に移り、揃いの衣装で演奏するスタイルが時代遅れになったと感じた彼女たちは、裸足にジーンズに着替えCRADLEと改名する。第2期ジェフ・ベック・グループのレコーディングでデトロイトを訪れていたプロデューサーのミッキー・モストがCRADLEのライブを観て、スージーにイギリスでソロデビューを持ちかけ、翌1971年、21歳で単身ロンドンに渡りグロスポイントに小さなフラットを借りる。

女性ロッカーの草分け的存在で71歳の現在もなお現役のスージー・クアトロの50年のキャリアを振り返るドキュメンタリーフィルムです。1970年代前半には日本の洋楽雑誌のグラビアページの常連だったので、小中学生の頃から顔と名前は存じ上げておりました。

十代でショービズ界に入り、失ったものは膨大(huge)と当時から感じていたと答える。学校生活、成長すること、大人になるための苦い経験。とても正直で頭の良い人なのだと思います。ロンドンでマイク・チャップマンニッキー・チンのソングライターチームと出会い、レザーのジャンプスーツに着替えて、ベースを強調した "Can The Can" でブレイク。"48 Crash"、"Wild One"、"Devil Gate Drive" とブギーを基調にしたワイルド路線で欧州とオーストラリアでスターの仲間入りをする。

屈強な男どもを従え、腰骨より低く構えたフェンダーベースをぶりぶり指弾きするスタイルは多くの少女たちに影響を与えた。The Runawaysからシェリー・カーリージョーン・ジェットリタ・フォード。特にジョーン・ジェットは地元のロッククラブの壁からスージーの水着ピンナップをパクった疑惑を暴露される程の心酔ぶり。

他にも、ブロンディデボラ・ハリートーキング・ヘッズティナ・ウェイマスGO-GO'sジェーンL7ドニータ、イギリスからKTタンストール、と錚々たる顔ぶれが現在の姿でインタビューに答えています。トランスヴィジョン・ヴァンプウェンディ・ジェームスの落ち着きのなさがヤバい。

28歳で自身のバンドのギタリストレン・タッキーと結婚し、ロンドンで挙式。来日公演時の白無垢姿はプロモーターのやらせだった。「オイシイナ、サケロックオオゼキ」のTVCMはなんとなく憶えています。星野源SAKEROCKの元ネタですよね。

ドラッグとは距離を取り、1977年から2年間、アメリカのTVシチュエーションコメディ『Happy Days』にレザー・トスカデロというベーシスト役で出演し、1980年代にはウエストエンドミュージカル『アニーよ銃をとれ』で主役を演じる。姉妹バンドから引き抜かれたがゆえの家族との確執を包み隠さず述べる出演者たち。老境を迎えてようやく和解できて本当によかった。

スージーは2016年に自伝的詩集"Through My Eyes"を出版しています。映画の中で本人が抜粋を朗読しているのが素晴らしいです。

 

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