2017年3月12日日曜日

ラ・ラ・ランド

毎年この時期になると、4月に生まれ、3月に亡くなった「埃っぽい春の野原」という名前の英国人歌手ダスティ・スプリングフィールドを思い出します。ユナイテッドシネマ豊洲デイミアン・チャゼル監督作品『ラ・ラ・ランド』を観賞しました。

女優志望のミア(エマ・ストーン)はハリウッドのフォックススタジオのカフェでバリスタのバイトをしている。ルームメイトたちと出かけたクリスマスパーティの最中に愛車プリウスがレッカー移動され、ひとり徒歩で帰り道、偶然耳にした音楽に引き寄せられて入った店。売れないジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)はその店を解雇されたところだった。

タイトルバックに "Technicolor" の文字、総天然色シネマスコープの画面は、ハリウッドのミュージカル映画全盛期のテンプレートをこれでもかというぐらいなぞり、且つ最新のテクノロジーによって実現可能な最大の物量で、物語が進んでいきます。

アカデミー賞5部門を受賞し、多くの観客を魅了している映画ですが、数こそ多くないものの強く否定的な意見も聞きます。その背景には現在の米国社会、所謂ポスト・トゥルースに呼応したアートの保守化に対する反発があるのだと思います。

ミュージカルですから、リアリティよりもエンターテインメント、物語はご都合主義なほど楽しい、と僕なんかは単純に思うのですが、確かに浅いところはあります。セブがミアに「ジャズとは何か」と語る台詞には「そりゃまあそうだけど、それだけじゃないだろ」と思ったし、セブの自作曲の演奏は彼が神聖視しているビバップスタイルからは程遠い。

とはいえこの作品にあまり多くを背負わせるのもいかがなものかとは思います。2000年以降のミュージカル映画で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は別としても、『シカゴ』『ジャージー・ボーイズ』『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』『舞妓はレディ』などと比較して突出して優るものでも劣るものでもありません。

むしろ「映画にとって音楽とは何か」ということを、『ラサへの歩き方』や『サバイバルファミリー』のように劇中音楽をまったく用いない映画を続けて観たこともあり、とても考えさせられました。現実生活における別れ話のサウンドトラックはファミリーレストランの有線放送だったりするわけで、そのときどきの感情を増幅する音楽が流れるのは明白な虚構であり、登場人物が突然歌い出すなんて尚更のこと。

それでもエマ・ストーンの真っ青で大きな瞳はブルーのミニドレスや同色のVネックニットに映えてヘヴンリィな美しさだし、カラフルで壮大なモブダンスやプラネタリウムの空中浮遊に心躍り、ラストシーンのオルタナティヴな選択肢を数十秒で見せるカットアップには痺れました。


 

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