2012年11月10日土曜日

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ

先週土曜日と今日の2週にまたがって、ユナイテッドシネマ豊洲で、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』[前編]はじまりの物語、[後編]永遠の物語を観ました。

昨年TBS系列の深夜枠で放送され、幾多の賞に輝いた全12話を約5時間半に編集して映画化。公開から1ヶ月以上経つシネコンが満席で、エンドロールが流れても誰も席を立たないのが印象的でした。

キュゥべえ(インキュベーター=孵卵器)と呼ばれる人の言葉を話す小動物からスカウトされた女子は、どんな願い事でもひとつ叶えてもらえるかわりに、魔法少女になって魔女と戦わなくてはならない。ひとりひとりの魔法少女が持つ祈りが魔女を倒す特別な力となるが、戦いのうちにやがて妬み、憎しみ、呪いが増大し、エントロピーが臨界点を超えてしまうと、魔法少女自身が魔女になり、魔法少女に倒される側に転換してしまう。しかしそれは宇宙規模で仕組まれた熱エネルギー回収のためのシステムだった。

中二病(もしくは厨二病)。なにしろ主人公たちは中学2年生なので(マミ先輩は3年生)。郊外の城下町でぽけらんと過ごしていた僕ですら、中二の頃は、自分の内に譲れない、守るべきものがあり、手持ちの何かと引き換えに特別な力を得て(それはストラトキャスターのトレモロアームだったり、華麗なレトリックや重層的なメタファーだったりするわけですが、笑)、大きな敵と戦わなくてはならないと思っていました。

やがて反抗心は薄れ、守るべきものが自分の外にあると知り、違う世代、違う価値観を持った人たちと共生、融和する方向に関心が移って、いまの自分があるのですが、その姿を中二の僕が見たら「体制に取り込まれた」なんて青臭いことを言うかもしれません。つまりこの映画でいえば魔女の側へ。

最終的に宇宙の起源と愛や平和の概念にまで遡及する物語。そのストーリー構築の見事さ。アレゴリーと示唆に富んだ台詞。まるでモーツァルトの『魔笛』の登場人物たちのように敵対と友愛のあいだで揺れまくる魔法少女たちのなかで、唯一ぶれずに終始迷い続ける主人公まどか(上の画像の右から二人め)。劇団イヌカレーが手がけた切り紙細工や木版画のような二次元イメージで構成された魔女結界の造形美。見どころたくさんで、大人の鑑賞に耐えうる上質のアニメーション映画です。

2013年には新作映画『[新編] 叛逆の物語』が公開とのこと。こちらは黒髪の美少女ほむらが主人公になるのかな。楽しみです。



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