2023年12月26日火曜日

朝がくるとむなしくなる

クリスマスの翌日に。シモキタ - エキマエ - シネマ K2石橋夕帆監督作品『朝がくるとむなしくなる』を観ました。

「たとえ私がいなくなっても世界は回っていくわけで」。24歳の飯塚希(唐田えりか)は、新卒で広告代理店の営業職に就くが、毎日終電かタクシー帰宅もしくはオフィス泊という激務に疲れ果て退職し、埼玉県川口市のヤマザキYショップでアルバイトしている。

高圧的な高齢男性客にキレられ、就活中の大学生バイトの代わりの夜勤を店長(矢柴俊博)に頼まれても断らない。自宅アパートの椅子にあぐらをかいてズンスンポイポイラジオ番組を聴きながら辛ラーメンをすする無気力な日々。

千葉県佐原市で中学校の同級生だった大友加奈子(芋生悠)が偶然Yショップを訪れる。両親の離婚で父親の実家に引っ越していた。

「そんなに正しくなんて生きられないよ、みんな」。中学時代も特に仲が良かったわけではないふたりがすこしずつ距離を詰めるが、映画の終わりまで「飯塚さん」「大友さん」と名字で呼び合う距離感がリアルで心地良いです。アフタートークの石橋監督によると、唐田えりかさんと芋生悠さんは同期でプライベートも仲が良い。居酒屋で初めて杯を交わし、酔った飯塚さんが路上で下手なムーンウォークを披露して、大友さんちで宅呑みする一連の心温まるシーンはその関係性を映しているのでしょう。

恋愛スキャンダルで2020年以降干されていた唐田えりかさんの現実の境遇とおそらく重ね合わせて当て書きされたであろうストーリーは、自身を落伍者とジャッジしがちなみんなに寄り添い弱さを肯定してくれる。コンビニの大学生ギャル店員(安倍乙)の「朝起きただけで偉い、バイトに行く私は偉い」という台詞はコウペンちゃんそのものだな、と思いました。

三角座りすると膝が鼻に届きそうな飯塚さんの脚の長さ。劇的な変化はないが僅かずつでも再生していける。優しい気持ちになれる映画です。

 

2023年12月24日日曜日

枯れ葉

冬日。角川シネマ有楽町にてアキ・カウリスマキ監督作品『枯れ葉』を鑑賞しました。

フィンランドの首都ヘルシンキ。業務用スーパーのレジ係アンサ(アルマ・ポウスティ)は一人暮らしのアパートメントで夕飯の弁当をレンジにかけるが、容器が溶けてゴミ箱行き。ウクライナに侵攻したロシア軍がマリウポリとクレメンチュクを攻撃したニュースがラジオから流れる。

金属部品のリサイクル工場勤務のホラッパ(ユッシ・バタネン)は勤務中も隠れて酒を飲んでいる。ある夜、アンサとホラッパはカラオケバーで出会う。後日映画館で再会し、お互いを意識する二人。ホラッパが連絡先のメモを紛失して会えなくなる。その矢先、アンサはホームレスの青年に賞味期限切れ廃棄食品を提供したことで、ホラッパは業務時間中の飲酒による事故により、ほぼ同時期に解雇される。

フィンランドの巨匠による枯れた味わいのあるロマンチック・コメディ。隣国ロシアとウクライナの紛争を背景に、すれ違いまくる中年男女の感情の機微を淡々と描いています。カリウスマキ監督の演出の独特の間。役者たちは表情も動きも声量も抑えられている。そのことによって主人公二人が時折見せる微かな感情の動きがより際立ちます。

幸せな82分間。北欧らしい色彩も品良く綺麗です。音楽もよかったなあ。カラオケバーのZZトップフィンランド・トラディショナルシューベルトセレナーデという選曲、みなさん歌が大変お上手でした。

 

2023年12月23日土曜日

クリスマスイブの前の日に

冬晴れ。クリスマスイブの前の日に下高井戸のぎゃるりでんぐりにて開催されたPoetry Reading Live "On The Day Before Christmas Eve"『クリスマスイブの前の日に』に出演しました。

2020年12月27日『クリスマスの翌々日に』、2021年12月26日『クリスマスの翌日に』、2022年12月25日『クリスマスの午後に』に続き、さいとういんこさんと共催する4回目の朗読二人会です。

ご来場のお客様、ぎゃるりでんぐりオーナー詩子さん、そしていんこさん、今年もありがとうございました。

4. Judy Garland
5. Life On Mars? (David Bowie) カワグチタケシ訳

僕のセットリストは以上です。田村隆一生誕百年のしめくくりは、北軽井沢の冬を描いた作品を選びました。2023年は5回ライブ出演をさせていただき「新年の手紙」「帰途」「四千の日と夜」「三つの声」「見えない木」を朗読しました。「雪の上の足跡」は、当時北軽井沢の別荘で田村隆一と同居していた岸田衿子が書いたエッセイです。

さいとういんこさんは「アンハッピーセット」「終のマクドナルド」「永遠すぎて、ねむい」の3篇を朗読しました。いんこさんのマクドナルド詩篇はいくつも聴いてきましたが「終のマクドナルド」は終の棲家でこの先訪れる老境を軽妙に描いて、同世代として染み入るものがありました。「永遠すぎて、ねむい」はいんこさん史上最長編詩ということで、2000年代の「希望について」や「trap」と並び、あるいはT.S.エリオットの「荒地」やアレン・ギンズバーグの「吠える」のように、回を重ねるごとに時代のアンセムに育っていくのではないでしょうか。

一昨年から始めた参加者の持ち寄り朗読のコーナーは、10代から70代まで4名の方の声に耳を傾けました。みなさん素敵でしたが、13歳のわかなうさんの初々しく澄んだ声の朗読にこちらまで初心に返りました。

最後はいんこさんとふたりで書いた連詩、2021年の「クリスマスの翌日に」と今年の「クリスマスイブの前の日に」を聴いてもらいました。アンケートでも連詩に触れていただく方が多く、今回で4篇になりましたので、あとひとつできたら冊子にまとめたいと考えています。

終演後にはぎゃるりでんぐりオーナーの詩子さんからビールやお茶が振舞われ、みなさんと創作や朗読やもろもろについて楽しくおしゃべりしている間に冬至翌日の短い日が暮れて、暗くなった街路に世田谷線の踏切音が響き、歳末らしい気持ちになりました。

 

2023年12月21日木曜日

私が私である場所

冬至前日。アップリンク吉祥寺にて今尾偲監督作品『私が私である場所』を鑑賞しました。

プロデューサーの榎本桜が質問に答える。「売れることは大事ですよ。俺も20代の頃は早く売れたかった」。「売れたいですよ。キムタクさんや広瀬すずさんみたいに唯一無二の存在になりたい」と映画の小道具係で脇役を兼ねる伊藤由紀が扇風機の回る自室で言う。

先月観た『シンデレラガール』の撮影期間である2022年11月11日~20日に俳優を中心とした関係者を追ったドキュメンタリーフィルムです。

「セリフを覚えるときは声に出さない。頭の中に自分の声で再生する」。撮影時16歳だった主演俳優の伊礼姫奈は子役から数えて10年以上のキャリアを持つ。

「自分がいい芝居をしたときって、自分のエゴを捨てたときなんですよ」。主役のオーディションに落ちるが、小道具係として作品に関わり続け、セリフひとつの看護師役をキャスティングされ、その悔しさを隠すことなくカメラに向かって吐露して涙し、唯一の出演場面の自分の演技に納得できず涙する。感情の揺れと矛盾と逡巡を監督も見逃すことができず、このドキュメンタリーの主役に躍り出た。映画製作のドキュメンタリーという制約の中、おそらく今尾監督の当初の意図を超えて、脇役である伊藤由紀が輝き出したのだと思います。

その過程に関わる膨大な人数の各々異なる思いを背負って一本の映画が作られる。脚本が存在し、ある程度決められたゴールを目指して撮影が進む劇映画とは異なり、ドキュメンタリー制作は作り手と被写体の即興性溢れるスリリングなセッションなのだな、と思いました。

 

2023年12月16日土曜日

Great Joy ~喜びの歌声

インディアンサマー。江古田聖書キリスト教会にて開催されたEKODA GOSPEL CHOIR CHRISTMAS CONCERT『Great Joy ~喜びの歌声』に行きました。

ソロミュージシャンンとして演奏活動しているmueさんが昨年からクワイアに参加したというので出掛けて行きました。教会の礼拝堂でゴスペルを聴いて、このうえなく12月らしいHollyな気分になりました。

ハイテンションなMaster Of Ceremonyに先導されて約50名の男女混声聖歌隊が "GONNA HAVE A GOOD TIME" を歌いながらステージに上がる。上手に大きなクリスマスツリー、オケピにドラムス、ベース、ギター、キーボードのカルテット、背後の巨大なスクリーンに歌詞が投影されます。
 
全身で歌う喜びを表現するクワイア、独唱者はそれぞれ個性があって達者、タイトなバンドサウンドと相まってグルーヴィなドライヴ感が礼拝室の空気を震わせる。

教会音楽なので(三位一体説に基づく)神を賛美するわけですが、スクリーンに投影される訳詞を読んでいると無条件な賛美がひたすら続き、イエスも天国で気恥ずかしくないのかな、と思ってしまいます。

ノーマン・メイラーパール・バック遠藤周作矢内原忠雄らが福音書に基づき書いた伝記小説の影響を強く受け、迷い悩み矛盾を抱えた複雑なパーソナリティを持つ僕のイエス像とゴスペルの歌詞中で賛美されるイエスにギャップがあり過ぎて戸惑ったのですが、長い布教の歴史において、またアフリカ系アメリカ人コミュニティにおいて、シンプリファイされたんだな、と落ち着きました。

冒頭の "GONNA HAVE A GOOD TIME" のようなワンコード系統はJames BrownからParliament Funkadelicを経由して現在のHIPHOPに繋がり、もう一方でバラード系の流れはAretha FranklinWhitney Houstonを経てSZAまで連なる。ブラックミュージック史を一気に遡る感覚が爽快です。

ソリストでは、本編ラストの "We Wish You a Timeless Christmas" を歌ったmueさんがいつものmueさんらしさ全開でしたが、「主の愛に満たされて」をリードしたMiyabiさんのまっすぐで嘘のない歌声が心に響き、もっと聴きたいと思いました。

 

2023年12月3日日曜日

私がやりました

小春日。TOHOシネマズ シャンテにてフランソワ・オゾン監督作品『私がやりました』を鑑賞しました。

中庭の大きなプールが画面一杯に広がる。邸宅から男女の争う声。しばらくして玄関を出る金髪の若い女性。黒髪の高齢女性にぶつかりそうになりながら足早に去る。

駆け出しの弁護士ポーリーヌ(レベッカ・マルデール)は家賃5ヶ月分3000フランを滞納し、立ち退きを迫られている。そこにルームメイトのマドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)が血相を変えて帰って来る。金髪の新人女優は大物プロデューサー・モンフェラン(ジャン=クリストフ・ブヴェ)に役と引き換えに愛人になることを迫られ、断ってきたという。その日、モンフェランが殺害されたという報せを受け、ポーリーヌとマドレーヌは起死回生の博打を打つ。

モンフェラン殺しで自首したマドレーヌを弁護する法廷で、男性だけの陪審員に正当防衛を主張するポーリーヌの見事な弁舌とマドレーヌの名演技で無罪を勝ち取り、一躍有名になって出演オファーが次々舞い込むがその矢先、往年の大女優オデット(イザベル・ユペール)が二人の新居を訪れ自分は真犯人だと告げる。1935年のパリが舞台ですが、近年の#MeToo運動を踏まえた社会派コメディと言っていいと思います。

被告人と弁護士というバディを組む女性主人公二人以外の登場人物がことごとく頓珍漢な言動を繰り広げる。なかでもマドレーヌの恋人(元彼?)アンドレ(エドゥアール・シュルピス)の見当違いぶりが甚だしく客席は大爆笑に。

愛想の良い美人だが喜怒哀楽が薄く、ポーリーヌが用意した台詞を演じているときだけ感情がこもるマドレーヌの人物造形が面白い。ポーリーヌがマドレーヌに抱く恋愛感情に、異性愛者のマドレーヌは信頼と友情で応える、というのも今日的です。

ココ・シャネル最盛期のパリに相応しいシンプルでエレガントな衣装、ノスタルジックなスウィングジャズ、よく練られた脚本に小粋で軽妙な台詞の応酬。ウディ・アレンみが強い。児童虐待スキャンダルで半引退状態の本家に代わって、映画の楽しさを存分に味あわせてくれます。

 

2023年11月29日水曜日

こいびとのみつけかた

いい肉の日。新宿シネマカリテにて前田弘二監督作品『こいびとのみつけかた』を観ました。

予告編が終わり照明が落ちると画面に「これはメロドラマである」の字幕。主人公トワ(倉悠貴)は植木職人見習い。独立系コンビニ(というより何でも屋)のアルバイト園子(芋生悠)に恋をして、自分で妄想した園子のプロファイルをしゃべり続け植木屋の先輩にウザがられている。剪定枝の葉を園子の店の前から道路に並べ、それを辿って園子はトワの元にやって来る。

そして変わり者のふたりは恋仲に。理髪店でもらう古雑誌から切り抜いたニュース記事をいつもポケットに入れ誰かれ構わず読んで聞かせ、空気を読むことをしない社会不適合者の主人公は現実に身近にいたら厄介な存在だと思いますが、演じる倉悠貴の可愛さによって帳消しにされ、純粋で愛すべきキャラクターに転換されています。芋生悠は、昨年放送した初主演ドラマ『あなたはだんだん欲しくなる』の天真爛漫なきらら役と異なり、鬱屈を抱えた園子役も上手に演じている。

トワの誕生日に園子が歌う自作の「つまらない世界」。植木屋大沢(川瀬陽太)、理髪店主(宇野祥平)やその常連の中高年男性たちがトワと園子を受け入れる。ふわふわ優しいファンタジーかと思いきや突如訪れるカタストロフ。これが冒頭の字幕のメロドラマなのか、と考える間もなく、園子の誕生日にトワが作った「おかえりただいま」を歌って、ほんわかと終わります。

TVドラマ『かしましめし』や『わたしの一番最悪なともだち』でもつかみどころのないキャラクターを演じている倉悠貴の魅力が堪能できる本作、歌はお世辞にも上手とは言えませんが、旬の役者の輝きって眩しいなあ、と思わせてくれます。

 

2023年11月23日木曜日

シンデレラガール

勤労感謝の日。新宿K's Cinema緒方貴臣監督作品『シンデレラガール』を観ました。

「私ははじめて見る自分の足の骨を美しいと思った」。高校生の佐々木音羽(伊礼姫奈)は、小学6年生で骨肉腫により右膝下を切除し、その後中学校に入学したが入退院を繰り返し、入院中の卒業式の当日級友たちと担任が病院の屋上でサプライズの卒業証書授与式をした動画がSNSで拡散され話題になったことでティーン誌のモデルになる、という自身の半生を描いた再現VTRを観て覚えた違和感を母親に共有する。翌日の教室で親友の朱里(佐月絵美)は「あれ音羽じゃなくね?」と笑ったが、他のクラスメートたちは感動を伝えてくる。

健常者の俳優が障がい者を演じるTVドラマを健常者の俳優が演じる障がい者が批判的に評するという二重の入れ子構造から映画が始まり、61分という短い上映時間に重層的な問題提起がある。退院後に病院で開かれたハロウィンパーティの帰りに交通事故に遭い左足も失った音羽の今後について、モデル事務所のマネージャー(辻千恵)、看護師(泉マリン)、母親(輝有子)の3人が当人不在の病室で話し合うシーンの緊迫感を、二本の松葉杖と一本の義足で廊下の端から端まで何度も往復する音羽の足音が更に増幅し、3人の女性の立場の狭間で我々観客の感情が激しく揺れます。

長い暗転が多用され、その沈黙は我々に問いかけ、思考を促しているように感じました。そしてなによりラストカットのランウェイで赤いドレスを纏う音羽の透徹した眼差し。重なる不運に対して感情的にならない主人公の強さがその眼に宿っています。緒方監督はこの表情を撮りたくてこの映画を作ったんだろうな、と思いました。主演した17歳の伊礼姫奈さんは『推しが武道館いってくれたら死ぬ』ではコミュ障のアイドル役を好演していましたが、本作で役者としてひとつステージが上がったのではないでしょうか。

 

2023年11月16日木曜日

快進撃バッテリー Vol.09

晩秋。渋谷Club Malcolmにて開催されたIRIS MONDO企画ライブ『快進撃バッテリー Vol.09』に行きました。

地下のフロアに降りるとBOW WOW WOWの "See Jungle! See Jungle! Go Join Your Gang Yeah, City All Over! Go Ape Crazy!" (邦題:ジャングルでファン・ファン・ファン)がかかっている。なるほどマルコム・マクラーレンね。で客電が落ちる。

CUICUIの1曲目は2017年のデビューEP収録の「リツイートする機械」。King CrimsonもしくはDeep PurpleオマージュのイントロからRui Sui Liuさんの重厚なフロアタムを合図にAYUMIBAMBIさんの「リツイート!」で自然と踵が跳ねます。現実世界ではTwitterがXになり、リツイートはリポストになりましたが、電話のダイヤルやポケベルや帝都コンスタンティノープルや営団地下鉄と同じように、失われた名詞が詩の中に生き続け、語り継がれていくのはロマンチックなことだと思います。

新曲 "Chanpeichonpechai" を何と形容したらよいのだろう。ランジャタイの漫才のように底知れぬ闇とキャッチ―が混沌と渦巻く。ひとつ言えることは、とにかく面白い。ERIE-GAGA様(画像)のソングライティングが無双。そしてマキ・エノシマさんジャズマスターが全編にそこはかとないユーモアを添える。

主催のIRIS MONDO は、くるみスカイウォーカーさん(vo)とスーパーさったんさん(Gt)の二人組エレクトロバンド。打ち込みに生ドラムのサポートが加わる。ヴィジュアル系のイディオムに則ったステージングで、どれだけ激しく動いても音程も声量も微塵も揺らがず、直線的でクリアな声質に完璧な滑舌でノイジーなトラックにかき消されないスキルフルなボーカル。

ハイテンポでバキバキなアッパーチューン中心だが、本質は抒情的で、伝えたい気持ちが旋律に収まりきれなくなるとスポークンワーズになる。「Day.1」のリリックや高速フローは不可思議/wonderboyの「銀河鉄道の夜」に対するアンサーのよう。夭逝のポエトリーラッパーの遺産が思わぬところで相続されているのを感じ、うれしくなりました。

 

2023年11月4日土曜日

魔法歌劇アルマギア Episode.0

11月の夏日。北千住シアター1010にて松多壱岱ILCA)脚本演出の舞台『魔法歌劇アルマギア Episode.0』を鑑賞しました。

平和を愛する国イクタルの王女が亡くなり、ティア太田奈緒)とミア高井千帆)の姉妹が新たなディーバとマーギアーに選ばれ王家に迎え入れられた。マーギアーとはディーバの歌声によって覚醒し比類なき戦闘力を得る少女のことだ。

気弱な妹ミアは戦いたくないと言い実戦訓練を嫌うが、姉妹の指導役ケラ・ジュリィ長谷川里桃)の「誰かを傷つけるんじゃなく誰かを守るために闘う。誰かを守るための力、それは優しさ」という言葉に心を動かされる。

隣接するオリジアース帝国は「永久の平和を作るための戦いだ」と主張して、ディーバとマーギアーを軍事目的で育成し、領土を拡大しており、イクタルが次の標的となった。

いわゆる2.5次元ミュージカルを初めて観て、よくできているな、と思いました。この作品は役者もダンサーも全員が女性。芝居、歌、ダンス、殺陣、音響、照明、プロジェクションマッピングと沢山の要素を詰め込んで、娯楽であることに迷いがない。

6人のディーバの中では元こぶしファクトリー浜浦彩乃さん演じるアカネ・パークライドが出演時間は短いものの存在感が光っていました。ひとりだけバディを組むマーギアーを持たず且つ人工的に作られたディーバゆえの孤高の歌声。帝国軍から離反しイクタルに合流するラミノーズ役の反田葉月さんの芯の通った低音も素敵でした。

5人のマーギアーではミア・イクタルの葛藤と成長を演じた高井千帆さん(画像)が素晴らしかったです。歌唱パートの多いディーバと殺陣で活躍するマーギアー。ディーバの歌声をバックグラウンドにしてマーギアーのアクションが展開する。その意味でこの舞台の主役はミアであり、姉ティアはその成長を見守る役に僕には見えました。

冒頭引用した台詞の「大切な家族や故郷を守るための闘い」「戦争を終結させ平和を取り戻すためのマッシブな攻撃」というコンセプトは、そのために失われるひとつひとつの命を思うと、現実社会においてはどうしても同意できない部分があり、あくまでもファンタジー世界の中に留まっていてほしい。闘いを競技として頂点を目指すククル・マイド星守紗凪)や敵兵を倒す快感を知ってゾーンに入るマーブル・ハチェット小山璃奈)のほうがむしろ清々しいです。

 

2023年11月3日金曜日

人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした

11月の夏日。TOHOシネマズ錦糸町オリナス穐山茉由監督作品『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』を観ました。

28歳の青木安希子(深川麻衣)は元アイドル。グループを卒業後は広告代理店に勤めている。出勤中の最寄り駅前でマンホールの蓋にヒールが刺さり転倒、過呼吸を起こした。朝起きられなくなって3か月が経ち、会社を退職する。

高級マンションの前で自撮りしてSNSにアップしていたが、実際は家賃5万円の風呂なしアパート住まい。1本1,000円のウェブ記事は書いていても、貯金残高は10万円。

「寂しいとか寂しくないとかじゃなくて、一人でいると自分のことがわからなくなるじゃん」。心配した高校からの親友で会社経営者のヒカリ(松浦りょう)に紹介されたのは56歳の会社員ササポン(井浦新)とのルームシェアだった。月3万円の部屋代に惹かれ戸建の自宅を訪ねた安希子をササポンは「まあ、適当に」と迎え入れる。

「止まっちゃいけない。走り続けないと自分をディスる自分の声に追いつかれてしまう」、「私は寂しいという妖怪に憑りつかれて奇行を繰り返している気がします」。元SDN48第2期生大木亜希子がウェブメディアDybe!に連載したコラム「赤の他人のおっさんと住む選択をした」を書籍化した原作を元乃木坂46深川麻衣が演じる。自身の承認欲求に振り回され息苦しさを感じている世代の焦燥感やドロップアウトに対する恐怖感、それをある程度受け入れ客観視することで人生を取り戻す過程を描くコメディ映画です。

非常に淡々とした日常を適度な丁寧さで描き、ふたりの主人公の関係性を過剰にハートフルにしない演出に好感が持てます。「まあ、誰でもひとつぐらい才能ってあるんじゃないの」というササポンの安希子に対する距離感が心地よいです。安希子の29歳の誕生日に同級生3人が深夜の橋上で「幸せになりたい!」と叫ぶシーンがいい。深川麻衣のほくろがいい。ドタキャンした有名雑誌編集長を「少しだけ呪われろ」と言う安希子の三白眼がいい。ササポンの過去の傷が意外と普通なのもいい。正直あまり期待せず時間潰しのつもりで映画館に入ったのですが、観てよかったです。

 

2023年11月2日木曜日

Chimin × 佐藤嘉風

11月の夏日。所沢音楽喫茶MOJOで開催されたライブ『Chimin × 佐藤嘉風』に行きました。

まずマイクに向かったのは佐藤嘉風さん。ガットギターの一音一音に神経が行き届いており美しい。Chiminさんとは旧知の仲で、出会いや共にツアーしたエピソードを話しながら、自身がAI美空ひばりに楽曲提供した「あれから」含む7曲を披露しました。Chiminさんの音楽活動復帰を心から歓迎しているのが端々から伝わってきます。

休憩を挟んでステージに上がるChiminさん。2016年6月23日のPoemusica Vol.48以来、7年ぶりにライブ活動を再開すると知ったのが今年8月。それからずっと楽しみにしていました。サポートミュージシャンは加藤エレナさん(key)、二宮純一さん(g)、井上"JUJU"ヒロシさん(fl, sax, per)の3人です。

1曲目は名盤『住処(sumika)』の1曲目でもある「茶の味」。ブルージィなピアノのイントロからChiminさんが歌い始めた途端に鳥肌が立ちました。彼女が音楽活動を休止してあいだも『住処(sumika)』と『流れる』はよく聴いていたのですが、生の歌声に触れて、こんなにもこの声を欲していたのか、と自分に驚く。正確で柔らかく透明。特別な声。静謐で穏やかで力強く温かみがある。

その歌声を聴くと、日常感じる割り切れない思いも、混沌も、懊悩も、きれいに腑分けされてあるべき場所にあるべき姿で収まっていく感覚になります。名前の表記はひらがなからローマ字に変わりましたが、7年というブランクを全く感じさせない美しい歌声です。

「大阪の在日コリアンコミュニティで育って自分のアイデンティティというものを子どもの頃から意識させられることが多かった」と言う。「」は拍を2倍に伸ばして更にゆったりのびやかに。以前より肩の力が抜け何かから解放されたように良い表情で楽しんで歌っている。アンコールでは、Chimin作詞、佐藤嘉風作曲の2008年作品「呼吸する森」をふたりでハモりました。

終演後、Chiminさんとすこしお話しすることができたので、ご自身のペースで構わないのでずっと歌い続けてほしいとお願いしました。2012年の『住処(sumika)』は理想的な高音質で現在に至るまで僕がオーディオディバイスを購入する際にリファレンスとして使用しています。そのことに対する感謝をアレンジャー、プロデューサーである井上 "JUJU" ヒロシさんに直接伝えられたのもうれしかったです。

 

2023年10月24日火曜日

キリエのうた

秋晴れ。ユナイテッド・シネマ豊洲岩井俊二監督作品『キリエのうた』を鑑賞しました。

大雪原をつまづきながら歩く小さなふたつの人影、手前に錆びた鳥かごが映り、映画が始まる。舞台は変わり2011年の大阪。ザリガニ釣りをする3人の男子小学生が見慣れぬ女子児童(矢山花)に出会う。一言も声を発しない少女はザリガニ釣りに加わりイワンと名付けられる。

2023年、夜の新宿駅南口。ガットギターで弾き語りする路花(アイナ・ジ・エンド)。スケッチブックにはKyrieと名前が書かれている。水色のウィッグのイッコ(広瀬すず)は路花に話しかけ、帰る家のない彼女に中華料理をごちそうし、家に泊まっていくように勧める。

2018年の帯広。高校生の真緒里(広瀬すず)の母楠美(奥菜恵)は常連客で牧場主の横井(石井竜也)から求婚される。横井は真緒里の大学の学費を出すと言い、牧場従業員の夏彦(松村北斗)に真緒里の家庭教師をさせる。

2011年夏、石巻。旧友が集まった夏彦の家を1年後輩の希(アイナ・ジ・エンド)が訪ねる。友だちが寝静まった深夜、夏彦は希を送り、希は神社にはじめて来たと言う。絵馬の下でふたりはキスをする。

監督と同世代の我々にとって岩井俊二作品は踏み絵みたいなところがあるんじゃないかと思います。全肯定するのも拒否するのも、どちらも微妙な気持ちになる。エンターテインメントとしては圧倒的なユーモアの欠如と設定の甘さを映像美と音楽でねじ伏せる。粗品ですら笑いの要素は皆無、広瀬すず演じる真緒里/イッコが唯一のコメディ・リリーフか。

BiSHのおくりびと担当アイナ・ジ・エンドありきの作品といっても過言ではない。口角は上がっているのだが、声だけがいまにも泣き出しそうに響く。映画初出演で一人二役を体当たりで演じ、BiSHには縁がなかった多くの聴衆もその強い歌声で魅了することになるでしょう。オフコースの「さよなら」や久保田早紀の「異邦人」など、往年のヒット曲にアイナさんが歌声で刻印していく様は痛快です。

また、東京という土地の存在を考えさせられました。渋谷でも原宿でも青山でも池袋でも秋葉原でも銀座でもなく、岩井監督にとっての東京は新宿なのだな、と。終盤の新宿中央公園のフェスのシーンで、通報を受けた警察が介入するなかでKyrie/路花はバンドを従えて「憐れみの讃歌」を歌います。PAの電源が切られて演奏がストップしてもオフマイクのアカペラで歌い切るというエンディングにしたらよかったのに、と思いました。

 

2023年10月22日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

秋晴れ。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

客席にいるLAから来た友人の贈るバースデーソングから始まったこの日のライブ。純白のパフスリーブのミニドレスにボアのベレー帽のmandimimiさん。モンサンミシェルまでサイクリングしたときに見たデイジーを歌った "White Morning" "Yours & Mine" など Flower Spells の連作から。

今日は22日。にゃんにゃんで猫の日にちなみ「猫たちとタイムトラベル」という副題で、2nd set はジョニ・ミッチェルからラナ・デル・レイまで、猫を愛するミュージシャンたちの1971年から2017年の5曲を、飼い猫の名前とエピソードの紹介を交えてカバーしました。

インスタ配信ライブ「デザートミュージック」も猫しばり。ドラマチックなバラードもファンキーなダンスチューンも軽快なポップソングもリズムは解体され、重量感のある通奏低音のロングトーンを多用したピアノに乗せるため息のような優しい歌声は、mandimimiという確かな刻印を持つ。その刻印はカバーにおいてより鮮明に映り、当夜演奏された楽曲では、Y2KをコンセプトにしたK-POPの新星New Jeansのハウスナンバー "Ditto" で最もその特異な音楽性を表現していたと思います。

mandimimiのmimiは「耳」であり、中国語では「秘密」の意(mandiは本名のMandyから)。誰も傷付けない優しい秘密を、リアルであれオンラインであれ、その空間に参加した誰もが受け取り、優しい気持ちになる。そんなライブでした。

10月のノラバー御膳は、さつまいもごはんと煮込みハンバーグがメインで小鉢も多彩。ノラバー店主ノラオンナさんの心づくしの手料理を味わいながら、あっという間に秋の夜長は更けていきました。

 

2023年10月19日木曜日

大雪海のカイナ ほしのけんじゃ

10月の夏日。TOHOシネマズ日比谷安藤裕章監督作品『大雪海のカイナ ほしのけんじゃ』を観ました。

雪海に覆われ文字文明が衰退した惑星で軌道樹と呼ばれる巨木の上に張り巡らされた天膜に生き延びた貧しい一族の青年カイナ(細谷佳正)は旅の途中、賢者を探しに来た王女リリハ(高橋李依)と出会う。水を求めてリリハの母国アトランドに侵攻するバルギアの艦隊。両国の和平を成立させたカイナは英雄になる。

ここまでが2023年1~3月にフジテレビ系列+Ultraで放送されたテレビアニメシリーズ

映画は大雪原を歩くふたりの後ろ姿で始まります。世界の水源である大軌道樹を探して、カイナとリリハは再び航海に出る。艦長は元バルギア士官アメロテ(坂本真綾)。彼女と闘ったアトランドの近衛兵オリノガ(小西克幸)も同乗している。不穏な空気の中、大海溝をなんとか乗り越えることで、船員たちの結束が高まる。謎の船団に襲われ雪海に落ちるリリハとカイナ。辿り着いた先は、大軌道樹に依存する人類を蔑み、切り倒そうという思想のビョウザン(花江夏樹)が支配する独裁帝国プラナトだった。

弐瓶勉原作、Polygon Picturess制作の本作は、テレビシリーズの続編や後日譚やスピンオフではなく、テレビ放送した11話と劇場版(ほしのけんじゃ)をもって完結する一本の作品になっています。情景やアナログメカの描写が精妙な点は共通していますが、人物の行為や時間の流れがゆったりしていたテレビシリーズに対して、劇場版は大航海、殺戮ロボットと、手に汗握るスピーディな展開。その対比とテレビ放映時には説明を省略した複数の設定が劇場版で回収されるカタルシスがあり、楽しく観ることができました。

TVシリーズでバルギア、劇場版でアトランドの指揮官を務めるアメロテは、かつてバルギアに滅ぼされたアコイルの戦士だった。その過去がプラナト上陸後にビョウザン側についたかに見えるアメロテの行動と心情にオブスキュリティを与え惹き込まれます。

「精霊は人の心を知る人の願いを叶える」。戦士が一人乗りする小型のから、艦船と並走する巨大なのまで、雪海馬がみな友好的でかわいい。白を基調としたPolygon PicturesのCGアニメーションは、球状の雪海の雫が飛び跳ねる様が美しいです。「地球化」ということは別の惑星に入植した未来の地球人の物語なのかな。その星の本来の生態系はどうなってしまうんだろうな、と考えました。

 

2023年10月13日金曜日

ゆとりですがなにか インターナショナル


茜(安藤サクラ)と結婚して坂間酒造を継いだまーちん(岡田将生)は2女の父になった。山路(松坂桃李)は変わらず童貞の小学校教師。2人とも6年前と同様にレンタルおっさん麻生(吉田鋼太郎)に愚痴を聞いてもらっている。麻生の息子まりぶ(柳楽優弥)は起業に失敗しガールズバーの客引きに戻った。

2016年4~6月期のTVドラマ放送から7年が経ち、主人公3人のダメなところは変わらないが、世間はアップデートしている。かつてゆとりモンスターと恐れられた山岸(仲野太賀)はZ世代の後輩たちにリモートで吊し上げられている。

宮藤官九郎脚本のドラマが「インターナショナル」の副題を付けて映画化。劇場版となれば予算が増えて海外ロケかと思いきや、舞台は相変わらず八王子と阿佐ヶ谷と高円寺。だが、坂間酒造が純米酒ゆとりの民を卸している焼鳥店は韓国資本に買収されてサムギョプサルの店になり、山路のクラスに入った転校生はアメリカ人のアンソニーとタイ人トンチャイ。まりぶは上海で海老チリ専門店を潰すが現地の動画サイトで人気コンテンツを発信している。ついでに、まーちんの妹ゆとり(島崎遥香)は北欧雑貨のコマースサイトを起こし、山路の元同僚佐倉悦子(吉岡里帆)はコロナ禍で帰国できない外国人滞留者向けのシェアハウスを運営している。

伝統産業の衰退、世代間ギャップ、円安、インバウンド、リモート会議、LGBTQ、#MeToo、など現在我々が直面している社会課題を織り込みつつ随所で笑える良く練られた脚本、テンポの良い編集、俳優陣の演技。ウェルメイドなコメディを観た後の爽快感が残る。2001年の『GO』に始まり『ピンポン』『木更津キャッツアイ』『アイデン&ティティ』『69 sixty nine』『舞妓Haaaan!!!』『少年メリケンサック』『鈍獣』『なくもんか』『中学生円山』など、クドカン脚本の映画をそれなりに観てきましたが、本作はかなり上出来だと思います。

時間を遡って答え合わせする演出はクドカン作品の得意とするところですが、本作のエンドロールはそれを更に一歩進めて、仏壇に語り掛ける滑稽な家族像を感動的に描いている。

岡田将生、松坂桃李(左利き)、柳楽優弥の主役3人は、いまや日本映画を代表する同世代の名優といっても過言ではないですが、安藤サクラのえげつないまでの演技力は別格。劇場版で追加された登場人物では、焼鳥屋を買収した韓国企業から出向してきた課長チェ・シネ役の木南晴夏が強烈です。ハングル語、英語、片言日本語を自在に操り男たちを罵倒する終始不機嫌なキャラはこの先ずっと語り継がれるでしょう。

 

2023年10月11日水曜日

思ったとおりにする魔法

秋晴れ。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue秋のワンマンライブ『思ったとおりにする魔法』に行きました。

弾き語りデビューした4月11日に毎年開催されるワンマンライブに加え今年は季節ごと、7月11日の『どんな気持ちも感じたままに踊る』、そして今回10月11日は『思ったとおりにする魔法』と、3か月インターバルで11日にワンマンを敢行しています。熊谷太輔さん(dr)、市村浩さん(b)、タカスギケイさん(g)の3人のバックアップは、2021年4月11日から不動です。

アンコールを含め全21曲のステージは、歌う楽しさ、アンサンブルの心地良さ、生演奏を聴く高揚感に溢れたマジカルな2時間でした。mueさんとバンド、演者と会場、ミュージシャンとオーディエンスの信頼関係を感じる。一方で、何度も聴いた楽曲でもフレッシュネスが失われない、むしろ聴くたびにフレッシュに感じるのは、mueさんが自身の音楽を過信せず、歌う意味、演奏する意味、聴いてもらう意味をいつも問い直し、確認することを続けているからだと思います。

ありのまま」(曲名)の前のMCでは「ありのままがわからなない、ありのままってなんだろう?」と自問しながら、演奏に入ると前半の大きな拍のつかみ方でその答えを提示してみせる。今回のバンドアレンジはアンビエントな空間構成を用いて複数小節単位でリズムを捉え客席に手渡すようなシーンが多い。長い夏が終わり、ようやく湿度が下がってきた昨今の空気感に相応しく感じました。

昨今の空気感ということでは、mue版 "What's Goin' On"ともいえる「いったい何が起こってる?」(旧題:まだこの世にはないゲームをしよう)で始まり、John Lennonの "Imagine" を自身の言葉で日本語訳したカバーをアンコールに配したセットリストは、意識的か無意識か、ウクライナやパレスチナはじめ世界中で起こっている紛争を踏まえ、その渦中においても日常に幸福を見出そうという意思と受け取れます。

ソロ名義の1stアルバム "Closet" に収録されている "Like A Wheel" は、曲前に「どうやったらうまくいくの? 人生は歯車のよう」と英詞の翻訳の朗読が置かれ(僕はいままで勝手に車輪と解釈していました)、リンダ・ルイスケニー・ランキン添田啞蟬坊キャロル・キングエリス・レジーナのカバーも冴えていました。7月11日には封印されていた名曲「東京の夜」と、mueさんの曲でマイベスト3に入る「気の向くままへ」が久しぶりに聴けたのもうれしかったです。


2023年10月8日日曜日

ルー、パリで生まれた猫


クレム(キャプシーヌ・サンソン=ファブレス)は10歳の小学生。両親と暮らすパリのアパルトマンの屋根裏部屋で生まれた子猫を見つけル―と名付ける。

親子3人はルーを連れて、車で5時間かけて森の別荘に出かける。両親は離婚を決めており、これが3人揃って過ごす最後のバカンスだった。

子猫がかわいい。子猫が主役の映画。冒頭15分はナレーションが1行入るだけで人間が登場しないです。カラカルやシロフクロウやイノシシのいる森は、都会生まれのルーには危険がいっぱいだが、野良の白猫と両想いのいい感じになったり、ルーの成長を中心に描かれる。飼い主の都合に左右される猫と両親の事情に翻弄される子どもが合わせ鏡の構図ですが、そこまで掘り下げてはいない。だったら完全猫目線のドキュメンタリーでいいのでは、『岩合光昭の世界ネコ歩き』があるじゃないか、とも思います。

クレムが「魔女」と呼ぶ、年間を通して老犬ランボーと森に暮らす老芸術家マドレーヌ(コリンヌ・マシエロ)がいい。劇伴がずっと鳴り続けていますが、せっかくの森のシーンは、自然音だけでも充分に音楽的ではないでしょうか。83分という上映時間はよかったと思います。

 

2023年10月7日土曜日

アジア オーケストラ ウィーク 2023

秋晴れ。東京オペラシティで開催された令和5年度(第78回)文化庁芸術祭主催公演『アジア オーケストラ ウィーク 2023』最終日を聴きに行きました。

2002年に始まり、毎年秋にアジア各国のオーケストラを招くこのイベント。2014年にヴェトナム、2018年にフィリピン、2019年に香港の管弦楽団を聴き、どれも印象に残る演奏でした。今年はトルコと韓国のオケが来日して、僕は4年ぶりの参加です。

ヴァイオリン:ユン・ソヨン

シューベルトの一音めから重厚な響きと音圧に圧倒されました。管楽器や打楽器の入らない約30名の弦楽アンサンブルは指揮者を立てず、音楽監督兼コンサートマスターのキム・ミン(Vn)が時折きっかけを示しますが、基本的には楽団員同士の呼吸とアイコンタクトで進んでいく。Yellow People による White Music。

アルゼンチンのアストル・ピアソラのタンゴ曲をロシアのヴァイオリニストのギドン・クレーメルがウクライナの作曲家デシャトニコフに依頼して弦楽アンサンブルに編曲した「ブエノスアイレスの四季」が今日の演目の白眉でした。ソリストのユン・ソヨン(Vn)は安定感と華やかさを持ち合わせた音とアクションでアンサンブルをまとめあげる。ピアソラの四季はエモーショナル。夏から始まり春で終わるのですが、真夏の輝きよりも晩夏の切なさ、真冬よりも雪解け水が流れる冬の終わりの光の乱反射を描写しているように感じられました。秋と冬では主席チェロ奏者パク・ノウルがソロを演奏し、ユン・ソヨンのヴァイオリンとの掛け合いで大活躍。鳴りやまない拍手の中、ソリスト・アンコールで演奏したIgudesman作曲の無伴奏ヴァイオリン曲 "Funk the Strings" のグルーヴも強烈でした。

ユン・イサン(1917~1995)は日本統治下の朝鮮出身の現代音楽家。武満徹よりひと回り上の世代です。東ベルリン滞在中の1967年に北朝鮮スパイの疑惑がかかって韓国軍事政権に強制送還され、裁判で死刑判決を受けるが、ストラヴィンスキーカラヤンが中心となった請願により釈放されドイツに亡命という波乱の人生を送った。演奏された「タピ」はタペストリーの意。1987年の作品でアジアンテイストは薄く、シェーンベルクの12音階の進化形といってもよいと思います。この曲だけキム・ミンがタクトを振ります。

ドヴォルザークはひたすら流麗典雅。Georg Malmsten "EROKIRJE HEILILLE" と Hee Jo Kim "Gyeongbokgung Taryeong" のダブルアンコールはサービス精神満載です。演奏後に舞台上でハイタッチや握手やハグでお互いを讃え合う楽団員たち。クラシックのコンサートでは稀な光景ですが、大変幸せな気持ちになる良い演奏会でした。


2023年10月5日木曜日

分裂するブラック・ミュージック

銀木犀開花。祖師ヶ谷大蔵Cafe MURIUIで開催されたダンス・パフォーマンス『分裂するブラック・ミュージック』を鑑賞しました。

委細昌嗣さん(サウンド)、究極Q太郎さん(朗読)、タケダヒロユキさん(アフリカン・パーカッション)、山田有浩さん(身体)の4人による約70分のセッションを目の前にして、思考とアクションの関係性を考えました。

ブラック・ミュージックの一般的イメージとして、考えるよりも先に身体が動くというようなことがあると思うのですが、声を出すのも、太鼓を叩くのも、踊るのも脳の指令によって随意筋が動くから。まったくの無意識ということはなく、伝承や練習によって得られた技巧を限りなく反復することで無意識の領域に近づけようとする。その過程で生まれるグルーヴであり、トランスであり、革新性であり、大衆性であるのだと思います。

上述のように当夜のパフォーマンスにおいて観客である僕は、感じるよりも考えることのほうが先行していた。それはQさんの朗読にいつも感じるインテリジェンスの影響かもしれません。

冒頭にダンス・パフォーマンスと紹介しましたが、主催の山田有浩さんは本公演をそのようには呼んでいません。主に音声により空気の振動を作り出す3人の共演者と呼応しながら、汗をかき伸縮し跳躍し時に蹲る生身の動きの存在感が強く感じられたからです。空間を上方に伸長する意思を見せた前半よりも、背中を床に叩きつけるように落としたあと重心を下げ、じっと座り込む、ただ普通に数歩進む、という動きに、ブラック・ミュージックをより強く感じました。

山田さんがSNSで紹介していた各出演者がレコメンドするブラック・ミュージック・コンテンツを真似ると、僕が考える「分裂する」ブラック・ミュージックは、ホイットニー・ヒューストンそよ風の贈りもの』、マイケル・ジャクソンスリラー』、アニタ・ベイカーラプチャー』の3枚、いずれも1980年代に世界的に大ヒットしたアルバムです。白人マーケットに受け入れられて過去の搾取を奪還し黒人の社会的経済的地位向上に貢献した半面、迎合だとブラック・コミュニティから激しく叩かれた。その分裂した構造は現在のヒットチャートまで続くものです。

もうひとつ。ブラック・ミュージックがあるなら、ホワイト・ミュージックはどうなのか、ということ。1978年に発表した1stアルバムを "White Music"(邦題:気楽に行こうぜ)と名付けたXTCアンディ・パートリッジの批評性とアイロニーを思わずにはいられませんでした。


2023年9月24日日曜日

ダンサー イン Paris


オーケストラピットで楽団員が調律する音が聞こえる。舞台上にはバレエダンサーたち、振り付けを確認する者、ストレッチする者。序曲が始まるとダンサーたちは袖にはける。演目は『ラ・バヤデール』。ソリストのエリーズ(マリオン・バルボー)は、本番直前に恋人が別のダンサーと浮気していることに気づいて動揺し、クライマックスで着地に失敗して病院に運ばれる。

診断は右足首の剥離骨折。3度目の大怪我で完治まで2年かかると専門医に告げられる。26歳のエリーズは「2年も待てない」と落胆し、オペラ座を退団する。怪我をして十代で引退した昔のバレエ仲間サブリナ(スエリア・ヤクーブ)に紹介され、ブルターニュの海辺に建つアーティスト向けの合宿施設でキッチンアシスタントとして働き始める。そこにパリからコンテンポラリーダンスのカンパニーが到着する。

クラシックバレエは重力からの解放、常に完璧を目指す。どれだけ優美に見えても、重力から逃れることはできず、フィジカル的に過大な負荷がかかる。美しさを求め太い筋肉はつけられないので、怪我のリスクが常につきまとう。対してコンテンポラリーダンスの振付師ホフェッシュ・シェクター(本人役)は「弱さを隠さなくていい。弱さも不安も表現するのがダンスだ」と言う。カンパニーのダンサーたちと再び踊り始めるシーンのadidasのソックスの毛玉が、取り繕うのをやめて自分をさらけ出そうとするエリーズの心情を象徴しているようです。

「科学も科学の進歩も信じているが、あると思うんだ、身体の神秘ってやつが」と言う整体師のヤン(フランソワ・シヴィル)がいい。2度の失恋を受け止めきれずに煩悶する姿は切なくも微笑ましい。シェフで恋人のロイック(ピオ・マルマイ)との口論やウェディングドレスのモデル撮影のポージングにキレるサブリナも客席の笑いを誘っていました。

クラピッシュ監督の映画はどの場面も画角が綺麗です。バレエやダンスの場面の移動する視点と細かいカット割りで表現するダイナミズムと会話や食事シーンの左右対称で静的、写真的に整った画面のコントラストが見事です。特にタイトルバックを挟んだ冒頭15分間のオペラ座のシーンの緊迫感がすごい。

郷里の冬の森をエリーズたち三姉妹が散歩しながら会話するシーンはルイ・マル監督の『鬼火』を思わせ、これ以上ない位フランス映画的だなと思いました。

 

2023年9月14日木曜日

わたしと、私と、ワタシと、

雷雨。新宿K's CinemaにてTHREE SHORT FILMS OMNIBUS『わたしと、私と、ワタシと、』を観ました。

1本目は松岡芳佳監督作品『ただの夏の日の話』(2021)。「仕事、飲み会、先輩の機嫌、友だち」の平凡な毎日を送る陽月(深川麻衣)は、昨日の服のままアルコールの残った頭で目覚める。窓の外は見慣れない森林。部屋には知らないおじさん(古舘寛治)がいる。旅館を出て駅に向かうが、脇道、寄り道でなかなか駅に辿り着かない。

2本目は大森歩監督作品『』(2018)。地方の美大に通うアミさん(古川琴音)は祖父(花王おさむ)と二人暮らし。将来への不安と苛立ち、商業デザインと自身の志向のギャップ、進む祖父の認知症。約30分の上映時間で春夏秋冬を描き、次の春、アミさんは祖父とヘルパーさんに笑顔で敬礼して玄関を出る。

3本目は金川慎一郎監督作品『冬子の夏』(2023)。高校3年生の冬子(豊嶋花)は美術部員。担任やクラスメートの「高校最後の夏」というクリシェに同調できない。親友のノエル(長澤樹)が唯一の理解者だったが、ふたりで写生に出かけたひまわり畑で絵を描くことにも早々に飽きて、志向性の違いを痛感する。

3本の共通点は群馬県で撮影されていること。アラサー会社員、美大生、高校生が主役のストーリーは交差しないが、各世代なりの鬱屈と周囲との折り合いのつけ方が共通のテーマといえなくもないです。あと3人とも不機嫌な顔が板についている。

現在進境著しい古川琴音さんの5年前の初々しいお芝居が、演技している感じがなくて、ドキュメンタリー風の演出とあいまって途轍もなく瑞々しく、終始魅了されました。『冬子の夏』の終盤で撮影クルーが画角を占めるメタ演出は賛否ありそうですが、隊列にちんどん屋みたいな滑稽味があって、僕は面白いと思いました。音楽は、劇伴、エンドロールとも『ただの夏の日の話』がよかったです。

 

2023年9月12日火曜日

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった


1958年、カナダ、トロント。15歳のロビー・ロバートソン(2023年8月9日没)はアメリカから来たロカビリー歌手ロニー・ホーキンスのライブに行き、バックハンドのザ・ホークスで同世代の少年リヴォン・ヘルムがドラムを叩いているのを聞いて衝撃を受ける。

「子供の頃からどんな話もおとぎ話には聞こえなかった」。ロビーの母親は北米先住民モホーク族。父親はユダヤ人のプロ賭博士だったが、ロビーの妊娠中に交通事故死していた。翌1959年、ストラトキャスターを売って旅費に替えたロビーは単身合衆国アーカンソー州に旅立ち、ザ・ホークスに加わる。

ボブ・ディランのバックバンドで全米全豪全欧をツアーし、エレクトリック化したサウンドに各地で激しいブーイングを受け疲労困憊する。NY州ウッドストックに古民家を買いレコーディングセッションを始めたとき、バンド名はまだ決まっていなかった。

"Music From Big Pink"(1968) から "The Last Waltz"(1976)まで。1970年代のアメリカを代表するロックバンドと現在では目されているザ・バンドをメインソングライターでギタリストのロビー・ロバートソンのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画です。

僕がはじめてザ・バンドを聴いた解散の数年後はもちろん、1968年のデビュー当時においてもその音楽は古臭かった。"Electric Ladyland" も "Strange Days" も "Led Zeppelin" も同年にリリースされている。ザ・バンドは、存命中の18世紀時点で既に懐古的と言われながらも広く愛されたJ.S.バッハみたいなものなんだろうな、と当時は思っていました。本作の中でメルヴィルスタインベックと比較されますがむしろ、バイオレンスと非英雄的な死をリアリズムの手法で描くことで、西部劇とアメリカを最定義したアメリカン・ニューシネマの革新性と呼応するものだったのだ、と大人になったいまならわかります。

 

2023年9月10日日曜日

DANCE CRAZE 2TONEの世界 スカ・ オン・ステージ!


The SpecialsMadnessBad MannersThe BodysnatchersThe SelecterThe Beat、UKスカシーンを代表する6バンドのライブ映画で、1980年3〜10月に英国各地のコンサートホールで撮影されている。手持ちカメラのダイナミックなカットと各バンドが1~2曲ずつ次々に登場する構成が映画全体に強烈なドライブ感を与えています。

白黒の市松模様がトレードマークの2TONE(ツートーン)は、1979年にThe Spacialsのリーダーでオルガン奏者のジェリー・ダマーズが立ち上げたレコードレーベルですが、黒人白人混成のスカバンドを総称するシンボリックな呼び名になりました(6バンドではMadnessだけ全員白人)。

ざっくり言えば、1960年代前半にジャマイカで生まれた牧歌的なリズムであるスカがイギリスに渡り、パンクと融合することでビートが倍速化して鋭くエッジが立ったもの。1980年前後の大不況に喘ぐ英国の若者たちに支持されました。僕がクラブ活動に勤しんでいた1985~88年頃にもツバキハウスやP.Picassoなんかでもかかり、フロアの熱が一気に上がったものです。

映画館の大音量で聴くと、The Selecterのリズムセクションが鬼のようにタイトでグルーヴィ。The Beatの "Ranking Full Stop" には今も血沸き肉躍る。The Bodysnatchersはガーリィ&キュート。Madness のバカ男子ぶり。みんな20代前半です。

The Specials はスカビートを基盤に置きながらアブストラクトなネクストフェーズに進んでいる感じがしました。演奏がどんなに熱を帯びても、フロアが爆発的に盛り上がっても、ひとり醒めた目をしているフロントマンの故テリー・ホール(2022年12月18日没)。本作の撮影の翌年にThe Specials を脱退すると、Fun Boy Three を結成してチェッカーズにヘアスタイル面で影響を与え、The Colourfield ではネオアコ、Terry, Blair & Anouchkaで美女二人をはべらせ、VEGAS では元Eurythmicsデイヴ・スチュワートと組む。どれも長続きせずアルバム1~2枚で解散してしまうのですが、すべてが名盤。どこを切ってもポップでスイートで大好きです。

4Kレストアのクリアな画像で観て、あらためて2TONEのバンドはビジュアルがこざっぱりしていたな、と思います。ブルーストライプのブラウスにタイトな白パンツのポーリン・ブラックThe Selector)は丸の内OLみたいだし、ボタンダウンシャツとフレッド・ペリーのポロシャツという前世代のちょいダサアイテムをお洒落なストリートウェアに押し上げたのは彼ら(とTalking Headsポール・ウェラー)の功績と言っていいでしょう。

人は自分が一番イケてた時代のファッションから逃れられない、とよく言われますが、僕にとってそれは2TONEだったんだな、と気づかされました。革パンツとか絞り染めTシャツじゃなくてよかったです。そんななかで圧倒的に薄汚くむさくるしいBad Mannersは当時も今もちょっと苦手だな、と思いました。

 

2023年9月9日土曜日

エチオピーク 音楽探求の旅

台風一過。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてマチェイ・ボシュニャク監督作品『エチオピーク 音楽探求の旅』を観ました。

2015年、フランス西部の町ポワティエ。湖畔の自宅でフランシス・ファルセトは膨大なレコードと書籍のコレクションを撮影クルーに見せ、すべてエチオピアに関連するものだと言う。

1969年、エチオピアの首都アジスアベバ。アムハ・エシュテはエチオピア初のレコード店を開く。米軍基地のアルバイトで聴いたR&Bに魅了され、レコードを輸入して販売することを始め、やがて自国の音楽家たちのレコードを製作したいという熱が高まる。

当時ハイレ・セラシエ1世による帝政下のエチオピアのミュージシャンは全員が国や自治体、軍や警察などに雇われた公務員だったが、比較的自由に活動でき、独自の音楽性を育んでいたが、レコーディングやプレスの機材や技術は持たなかった。アムハ・エシュテは自身のレーベルを興し、情報省のスタジオで録音したテープをインドに送ってプレスし逆輸入した。それから1974年の軍事クーデターによる政権交代までエチオピアの大衆音楽の短い黄金時代が生まれた。

軍事政権により弾圧され、忘却されかけた音楽は20年後にフランスでフランシス・ファルセトにより再発見され、現時点で30枚のコンピレーションCDになっている。政治に翻弄された音楽家たちとそれを忘れさせまいとするひとりの外国人オタク(映画内の肩書はMusic Activist)をフィーチャーしたドキュメンタリーフィルムです。

過剰な情熱は時に周囲を困惑させる。しかしそのたったひとりの情熱が無形芸術を継承する。離れていった家族も画面で思いを吐露します。本編で流れる音楽は、米国のR&Bを楽器演奏の基盤にして、時折中近東やインドを想起させる哀愁の旋律をこぶしを利かせて歌う、真の意味でワールドミュージックと呼びたいもの。エルヴィス・コステロソニック・ユースフガジもスクリーンに登場します。

上映後にピーター・バラカン氏と映像人類学者の川瀬慈氏のトークショーがありました。欧州映画的に説明を飛ばしたところを補完して、且つ裏話満載の興味深い対談でした。


2023年9月3日日曜日

Dread Beat an' Blood/ダブ・ポエット リントン・クウェシ・ジョンスン

熱帯夜。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてフランコ・ロッソ監督作品『Dread Bead and Blood/ダブ・ポエット  リントン・クウェシ・ジョンスン』を観ました。

「ブリクストンはキングストンに似ている」。ロンドン地下鉄ヴィクトリア線ブリクストン駅から出るリントン・クウェシ・ジョンソン(LKJ)。1952年ジャマイカ生まれ、11歳で英国に移民。ジャマイカン・クレオール英語で詩を書き、23歳で第一詩集 "Dread Beat an' Blood" を出版した。

ベーシストでプロデューサーのデニス・ボーヴェルと組んで1978年に第一詩集と同名の1st Albumを発表。ダブ・ポエトリーというジャンルを確立し、70歳になった現在も現役だが、その若き日を追った1979年制作のドキュメンタリーフィルムです。

LKJの詩(歌詞)は当時の英国保守党サッチャー政権の排外主義に対するプロテストを表明していると捉えられていたが、テレビ番組のインタビューで「僕の詩はメッセージではなく、ひとつの見方でありたい」と答える。ダブサウンドに乗せた "Madness Madness War" というリフレインもブラックミュージック的なグルーヴを感じるものではなく、むしろぎこちなさが切実感を表現している。

ジャマイカでは成績優秀な特待生であり、英国に移住して差別的な扱いを受け、高卒でいくつか職を変えたが、最終的に大学で学位を取得している。詩集を片手にしたライブのスタイルもレゲエDJやヒップホップのMCとは一線を画すもの。それはまさにポエトリー・リーディングであり、夜のカフェで音楽に乗せずに静かな観客に向けてひとり淡々と詩を朗読する姿にこそ本質が見えるように感じました。

人種性別の混在した若い大学生との対話やサス(suspects)法に反対する政治集会でのメガホンを使ったアジテーションは「詩は何も変えることができない。社会の変化を映すものだ。人々の行動が社会を変えるんだ」という自身の活動家としての側面を映しています。

レゲエミュージックのファンはもとより、朗読表現を志す詩人こそ観るべき記録映画だと思いました。

 

2023年9月1日金曜日

バビロン

真夏日。角川シネマ有楽町 "Peter Barakan's Music Film Festival 2023" にてフランコ・ロッソ監督作品『バビロン』を観ました。

1970年代終盤のサウスロンドン。主人公ブルー(ブリンズリー・フォード)はカリブ海諸国からの移民が多く暮らすブリクストン地区でジャー・シャカと覇権を争うサウンドシステム、アイタル・ライオンのDJ(HIPHOP風に言うとMC)。昼間は自動車整備工場で働いているが、ランチタイムの仕事を断って白人の上司に解雇される。

高架下のガレージがアイタル・ライオンのスタジオ。ブルーと仲間たちは夜ごと集い、新しいビートとダブサウンドを実験しているが、大音量に怒った向いのフラットに暮らす白人世帯が空き瓶を投げ込み怒鳴り込んでくる。ある午後、ブルーがドアを開けるとガレージの機材は粉々に破壊され、壁には人種差別的な罵詈雑言がスプレーで書かれていた。

アイタル・ライオンのいじられ役ビーフィ(トレヴァー・レアード)とブルーの同僚で白人でありながらジャマイカンカルチャーに深いリスペクトを示すロニー(カール・ハウマン)の存在が、単純に善悪で割り切れない物語という多面性を与えています。被差別コミュニティの中でも仲間から見下されているビーフィは学校からスピーカーを盗み、白人にキレてナイフを振りかざすが、ロニーがなんとか思いとどまらせる。逆恨みしてロニーをなじるビーフィ。ロニーはチームに居場所を無くす。

仲間が白人を恐喝して金を奪う場面に遭遇して嫌悪を表明するブルー。誰よりも暴力を嫌った男が、チームのアイデンティティであるサウンドシステムを破壊されたことで白人を刺してしまう。その直後にラスタファーライの祈祷所(?)に迷い込むが、ワンラヴと言われても空々しく感じてしまう。

初期のUKレゲエをバックグラウンドにして、移民コミュニティの光と影を描いた青春群像劇。後の大御所デニス・ボーヴェルが担当したサウンドトラックが画面のアクションとシンクロして出口の見えないストーリーにスタイリッシュでありながらコミカルな味を加えています。

 

2023年8月30日水曜日

あしたの少女

熱帯夜。シネマート新宿チョン・ジュリ監督作品『あしたの少女』を観ました。

2016年、大韓民国。一面が鏡の白いスタジオでイヤホンから流れる音楽に合わせて一人で踊るスニーカーの底がフロアを擦り叩く音と荒い息遣いだけが画面から聴こえてくる。最後のターンで足がもつれ、繰り返し転んでは立ち上がる。

踊っていたのは全州生物科学高校3年生のソヒ(キム・シウン)。担任の勧めで大手IT企業の子会社のコールセンターのインターンシップに参加する。有給ではあるが過酷な職場で、彼女たちのミッションは高額な継続特典の提示によって契約解除を回避すること。長時間労働、達成ノルマとインターン間の競争、クレーマー、会社にも学校に守ってもらえず、両親は無関心。それでもソヒはスキルを身に着け成果を上げるが、同時に心を擦り減らし、女性上司に反発して掴みかかり、謹慎中に冬の午後の貯水池で自ら命を絶つ。

遺体の収容にあたった刑事ユジン(ペ・ドゥナ)は、当初は単純な自殺案件として片付けようとしていたが、ソヒの死の背景に何か不穏なものを感じ、上官の許可を得ずに、会社、学校、家族、友人に会いに行く。

現代の日本にも置き換え可能な、身につまされる話です。ソヒの父親の職業は明確には描かれませんが、私大の学費を払える収入がないブルーカラーなのでしょう。大学進学を目指さない職業高校は、就業率だけで国から評価されて助成金が決まり、生徒たちが企業から搾取されていることに気づいていても何も言えない。大人たちは皆ちょっとずつダメだが、100%の悪人は登場しない。ちょっとずつのダメさが集積して主人公ソヒにしわ寄せが重くのしかかる。

前半90分は高校生ソヒが主役。多数の事実を丁寧に描写し、追い詰められていく姿にリリアリティを与える。後半50分の主人公は刑事ユジン。ペ・ドゥナの笑わない芝居。ルイ・ヴィトンセリーヌなどハイメゾンのモデルにたびたび起用される美貌を封印し、母親の介護休暇明けのくたびれた中堅刑事をノーメイクで演じる。ソヒの足跡を辿り、理解するにつれて、職業上抑制していた感情が溢れ、短気で喧嘩っ早かったソヒのように教頭や上官に殴りかかってしまう。

音楽の使い方も特徴的です。全編生活音、環境音のみで、シンプルなピアノの劇伴が2シーンだけ流れる。実はダンススタジオで一度会っていたソヒとユジン。薄かったつながりがユジンの中で存在感を増し、強い西陽が二人を結びつけるところで象徴的に響きます。

 

2023年8月16日水曜日

ジェーンとシャルロット

真夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町にてシャルロット・ゲンズブール監督作品『ジェーンとシャルロット』を観ました。

2017年、渋谷。東急Bunkamuraオーチャードホールの駐車場から映画は始まる。ステージには栗田博文指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。 "Ces Petits Riens" の前奏が始まり、ネイビーブレザーにコンバースのジェーン・バーキンが上手から登場する。幼い娘たちを連れたシャルロット・ゲンズブールが舞台袖から見守る。

「今までと違う視点でママを見てみたいと思った。カメラはママを見る口実だったの」。戦後フランス音楽界最大のカリスマにして問題児、故セルジュ・ゲンズブールの元妻ジェーン・バーキンをその娘シャルロット・ゲンズブールが撮るドキュメンタリーフィルム。セルジュの妻と娘というより、映画俳優として、世代のアイコンとして立つふたりの対話篇と言ってもいいと思います。

撮影は日本旅館の窓辺(下校時間の「七つの子」が聞こえる)、パリ郊外の水辺の自宅、ニューヨーク公演が行われたブロードウェイ、パリ市内のゲンズブール旧居で行われています。印象深かったのは、1991年にセルジュが亡くなって以降もそのまま保存されているパリのアパルトマンを母娘が探索し、鏡台に並べられた香水の瓶を手に取り香りを嗅ぐジェーン。そして白い壁に投影された亡き長女ケイト・バリーを回想し、早世に対する後悔を語るシーン。

「人はみんな話を作りたがる。私の話は本当に真実だろうか」。2023年7月16日に76歳で生涯を終えたジェーンにとっての遺作が、愛娘シャルロットの初監督作品である本作です。2021年のカンヌ映画祭で公開されているので、ジェーンも観ることができたと思います。シャルロットも母の死期を予感して、長年のわだかまりからの解放を母に贈りたかったのではないでしょうか。

似たトーンのウィスパーボイスで話す70代のジェーンも50代のシャルロットも少女性と老いをポジティブに表現している。母娘とも率直過ぎるほど率直な語り口で好感が持てます。カメラワークや編集はいかにもドキュメンタリー然としておらず、フランス映画らしい映像美が堪能できます。

 

2023年8月13日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

真夏の雨。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』にて、カワグチタケシ夏の朗読を開催いたしました。

日本列島に接近中の台風7号の影響で、開場時間にはどしゃ降りの雨。靴をびしょ濡れにしてご来場くださったお客様、デザートミュージックの配信をご視聴いただいた全宇宙のお茶の間の皆様、おいしいお料理とおもてなし、いつも最高のライブ環境を提供してくれるノラバー店主ノラオンナさん、あらためてありがとうございました。

湿度も最高潮で、夏の朗読を五感で味わっていただくにはこれ以上ない夜に、選んだ夏の詩はこの14篇です。

 1. 夏 ~Judy Garlandに(改題)
 4.
 6. 永遠の翌日
 7. スターズ&ストライプス
 8.

ノラバーのアイドル、セキセイインコの梨ちゃん2号がいい感じにぴよぴよ合いの手を入れてくれました。60分間は朗読のソロ公演としては長尺だと思います。長時間ひとりの声だけを聴き続けるのは集中力がいることですが、カウンターのお客様が思い思いの姿勢で熱心に耳を傾けてくださっているのが伝わってくる。ライブにおける演者の力は三割程度だな、と思います。オーディエンスの存在と箱の魅力とバランスが取れてはじめていいライブになります。

8月のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根の油揚げ巻、たまご焼き甘いの、焼き鳥タレ、きんぴらごぼう、トマトの山かけ、茄子みそ、とうもろこしごはん、あおさの味噌汁の九品。汗をかいた日にきんぴらの濃いめの醤油味が染み、山かけにミントリーフの清涼感が加わる気遣い。

楽しいお食事のあとはインスタ配信で30分間のデザートミュージック。朗読した『四通の手紙』は、書簡体の散文詩8篇を便箋に印刷し封筒に入れたもの。とある詩集通販サイトの限定商品として2003年に制作しました。そのサイトは既に終了しており、20周年ということもあってこの日のご来場特典にしました。遠く九州から台風を縫って来てくれたお客様に僕の詩で一番好きだと言っていただいた「ANOTHR GREEN WORLD」を添えて。

配信のあとはノラバープリンとバニラアイス、ノラバーブレンドコーヒーが供され、お客様のひとりが20年前にノラさんのライブを観ていたり、バードウォッチャーや鳥のアクセサリ作家の義息さんと、夜が更けるのも忘れ鳥談義に花が咲いたのでした。

 

2023年8月12日土曜日

リボルバー・リリー

真夏日。TOHOシネマズ上野行定勲監督作品『リボルバー・リリー』を観ました。

関東大震災の翌1924年、東京玉ノ井(現在の墨田区東向島)。幣原機関で育成され明治の終わりに57名を殺害し、最も排除されるべき日本人と呼ばれたスパイ小曽根百合(綾瀬はるか)はカフェ・ランブルの女主人をしていた。秩父の別荘地で細見一家惨殺事件が起こった。ただひとり生き延びた長男慎太(羽村仁成)を百合は列車内で保護する。父細見欣也(豊川悦司)が隠した帝国陸軍の資金をめぐり逃亡するふたり。

花街の相談役である弁護士岩見(長谷川博己)は、上野うさぎやが新発売したどら焼きを買ってランブルを訪れる。士官学校の先輩である海軍大佐山本五十六(阿部サダヲ)も絡み、大抗争へと発展する。

長浦京ハードボイルド小説の映画化である本作は、震災復興期の張りぼての街を舞台に、ジャズエイジのドレスを纏った綾瀬はるか演じる女殺し屋が、少年を守るために大立ち回りを繰り広げる娯楽大作です。

ハードボイルドとは何か? ハメットチャンドラーの古典から、ロバート・B・パーカードン・ウィンズロウ。女性主人公ならサラ・パレツキースー・グラフトン。日本の作家では、北方謙三松岡圭祐の『探偵の探偵』。20代でハマって数多の小説や映画に触れました。ざっくりいうと、確固とした行動規範を持つ主人公が、正義感、職業倫理、友情、恩義と様々な自己基準の大義のために法を犯しても社会や組織の大義と闘う物語、と定義づけられると思います。

その意味で本作の主人公小曽根百合もハードボイルドの定型を押さえ、争いは何も生まない、と分かっていながら、左胸をナイフで刺されても、少年を守るために陸軍兵士たちを何百名も撃ちます。ひとりの命のために別の多数の命を犠牲にしてもいいのか、というほうが気になってしまう自分がいて、ハードボイルドに夢中だったあの頃とはもう変わってしまったのだな、と思いました。

アクション、カメラワーク、ビジュアルはどのシーンも美しいです。特に視界1m足らずの濃霧の中での撃ち合いは『バービー』の主人公と考案者ルースの対話とシンクロしてぐっと来ました。カフェの女給で最後は散弾銃で参戦する17歳の琴子(古川琴音)の舌足らずで甘い声色もいいアクセントになっています。

 

2023年8月11日金曜日

バービー

山の日。TOHOシネマズ日比谷グレタ・ガーウィグ監督作品『バービー』を鑑賞しました。

「太古の昔、少女というものが存在したときから人形があった。人形は赤ん坊の姿をしていた。バービーがそのすべてを変えた」。20世紀初頭の装束の幼女たちがセルロイドのベイビードールを固い地面に叩きつけて破壊する衝撃的なオープニングは『2001年宇宙の旅』へのオマージュ。

バービーランドのドリームハウス、ハート型のベッドでバービー(マーゴット・ロビー)は目覚める。隣家のバービーたちに挨拶し、空の牛乳パックからマグに注ぎ、ホイップクリームを乗せたトーストを食べる。全てがピンクで彩られたバービーランド。大統領(イッサ・レイ)はアフリカ系バービー、最高裁判事(アナ・クルーズ・ケイン)も物理学者(エマ・マッキー)もノーベル文学賞受賞作家(アレクサンドラ・シップ)もバービーと名付けられている。

毎週開かれるガールズパーティでバービーは突然、死について考える。太ももにはセルライト。いつもハイヒールの角度に上がっていた踵が地面につく。「私は定番型バービー(Stereotypical Barbie)、深く考えるタイプじゃないの」。人形の持ち主の悩みや悲嘆を反映しているそれらを解決するためにバービーランドを出て現実世界に向かう。

ガーウィグ監督は『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で描いたガールズエンパワーメントを推し進め、更にその先の在るべき世界について問題提起しています。女性主体のバービーランドで抑圧されているケン(ライアン・ゴズリング)は、現実世界の女性の生きづらさを反映しており、現実世界の男性優位を知ってバービーランドに持ち込もうとする。一度は洗脳されかけるが、かつての持ち主グロリア(アメリカ・フェレーラ)の熱弁で覚醒し、主体性を取り戻すバービーたち。

「男社会もバービーを作ったのも過酷な現実を乗り切るためなの」と言うバービー考案者ルース・ハンドラー(リー・パールマン)との対話により進むべき道を見つけるバービー。ホワイトバックは魂の交感を暗示しているように思えました。

LIZZOに始まり、群舞シーンのDUA LIPA、上述のルースとバービーのシーンに流れるBILLIE EILISH、エンドロールのNicki Minaj & ICE SPICEと2023年の音楽シーンを映した選曲がいい。グロリアとバービーの重要な対話シーンで無音になるのも逆に超効果的。サントラ盤の最後に収録されているFIFTY FIFTYの "Barbie Dreams feat. Kaliii" が劇場では流れません。アジア向けプロモーション用のイメージソングなのかな。定番バービー感全開で最高なのに。そこだけが残念です。

 

2023年8月9日水曜日

君たちはどう生きるか

通り雨。ユナイテッドシネマ豊洲にて宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』を観ました。

「戦争の3年目に母さんが死に、4年目に僕は父と東京を離れた」。眞人(山時聡真)は真夜中の空襲警報のサイレンで目を覚ます。戦闘機のコクピットガラスを製作する工場主の父(木村拓哉)は、焼夷弾を投下された妻の入院する病院へと急ぐ。眞人も燃え盛る街を走るがなすすべもなかった。

父は母の妹ナツコ(木村佳乃)と再婚し、ナツコの実家に疎開する。広大なお屋敷に存在するパラレルワールドにマヒトは迷い込む。

多種多様な事象が次々に現れ、物語を整理することなく、別の場面に転換する、その連続。第二次世界大戦終戦時6歳の監督の心象をカオスのまま映像化したようで、宗左近の詩集『炎える母』(1968)を連想させる。『もののけ姫』以降の宮崎駿作品に部分的に表出していた無意識の映像化が全面的に展開している印象です。

整理しないというのは作り手側にとっても勇気がいることですが、セルタッチアニメーション表現の極限ともいえる技術で観客をねじ伏せる。エンドロールには過去に袂を分かつた弟子筋で現在は監督級の強者どもが巨匠の最期の作品のアニメーターとして名を連ねています。

吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937)は1カット登場しますが、基本的にはオリジナルストーリーです。主人公の冒険の目的が不明確なのは、ナツコがお屋敷から消えた理由が描かれないからだけではない。監督が自己を投影する登場人物が後半は大叔父(火野正平)に移り、敵味方もはっきりしない。

不安定な世界で主人公が偶然出会った者に助けられ、わけのわからないうちに大団円、見方を変えるとカタストロフィを迎えるのは、W.A.モーツァルト最後のオペラ『魔笛』(原作はマヌエル・シカネーダー)を想定してもらってもいいかもしれません。バディを組む(?)アオサギ(菅田将暉)は小狡いだけで全く頼りにならならず、キリコ(柴咲コウ)やヒミ(あいみょん)たち、女性にばかり助けられるのも象徴的だと思いました。