2021年2月21日日曜日

マタイ受難曲2021

自宅から徒歩10分。豊洲シビックセンターホールで『マタイ受難曲2021』を鑑賞しました。

「この星では嘘をついたら死んじゃうから、嘘をついたら絶対いけないって言われてるんだって」という西田夏奈子さんの科白から始まる受難曲。

ステージ上には15人。1727年にライプツィヒの聖トーマス教会において初演されたヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』をshezooさんがアレンジした楽曲群は、2021と銘打たれているとおり、古楽器による正統的なバロック演奏でも、モダンクラシカルでもなく、ピアノ、シンセサイザー、ヴァイオリン、フルート、バンドリン、クラリネット、サックス、チューバで演奏され、ソリストは女声4人、エヴァンゲリスト(福音史家)のレチタティーボは2人の女優による語りに置き換えられ、コラールはボーカロイドです。

演奏は、基本的にはバロックのタイム感に誠実なものですが、二部冒頭の2つのアリアでは、テナーサックスの田中邦和さんとクラリネットの土井徳浩さんのジャジーなオブリガートが変化をつけていました。アリアの前には歌詞の一節が日本語で朗読され、ジャズやラテン、ボッサ、ワールドミュージックの歌い手である4人のソリストの個性の違いも楽しめました。

マタイ福音書に描かれたイエス・キリスト最期の2日間(歌詞はルター訳の独語)をベースに、エヴァンゲリストの語りはコロナ禍を映した現代の隔絶された人間関係とフェイクニュースに翻弄される社会へ改編が加えられているが、「人は嘘をつく」というサブタイトルにあるように、信仰と裏切りという二千年の時を超えた普遍の主題に貫かれている。

音楽は人を癒やすというが果たしてそうなのか。そもそも2020年、そして2021年は人類にとって受難の季節である。2時間半かけて全曲の演奏が終わって、しばらくの余韻ののちに舞台後方のブラインドが開き、日没直後の東京湾が眼下に拡がるのを見たとき、都市の夜景を美しく感じる気持ちがあれば大丈夫、と根拠もなく思えたのです。

20代で聴いたパブロ・カザルス無伴奏チェロ組曲に始まり、代表的な器楽曲は一通り聴いてきたヨハン・セバスチャン・バッハ。宗教曲、カンタータは老後の楽しみに取っておこうと思っていたのですが、夏奈子さんに導かれ、すこし早めに扉を開くことができました。どうもありがとうございます。


2021年2月14日日曜日

ジョゼと虎と魚たち

聖ウァレンティヌスの日。ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場タムラコータロー監督作品『ジョゼと虎と魚たち』を鑑賞しました。

鈴川恒夫(中川大志)は大学4年生。バイト帰りの夜、制御不能になった車椅子で坂道を転げ落ちてきた山村クミ子(清原果耶)を助ける。生まれつき足の不自由なクミ子は愛読書フランソワーズ・サガンの『一年ののち』の主人公の名ジョゼを名乗り、川べりの家で祖母チヅ(松寺千恵美)と暮らしている。

市営地下鉄、JR環状線、市立中央図書館、造幣局、天王寺動物園、海遊館、千日前アーケード。馴染のある大阪の町並みを背景に世間と隔絶され性格のねじくれた口の悪いジョゼが時間をかけて心を開いていく基本的な構造は同じだが、田辺聖子原作短編小説とも、2003年に犬童一心監督が池脇千鶴妻夫木聡で撮ったロードムービー的な実写版とも異なるテイストです。

妻夫木聡の恒夫が、雀荘でバイトし、江口のりこと行き先のないセックスをする、無気力な大学生なのに対して、今作の中川大志の恒夫は、チューリングパターンを研究しながら、熱帯魚クラリオンエンゼルと泳ぎたくて、メキシコへの留学という目標を叶えるために、ダイビングショップと引っ越し屋のバイトを掛け持ちしている。ジョゼは絵を描くのが得意で、図書館で子どもたちに読み聞かせをしたのをきっかけに絵本作家になる夢を持つ。

虎は恐れ、魚たちは憧れの象徴か。夢をあきらめる若者たちをほろ苦さく描いた実写版も、公開当初は賛否がありましたが、年月が名作に押し上げた。好きは永遠だが、アンチは瞬く間に無関心に変わり、消えるものなのでしょう。

「怖うても管理人にだったらすがれるやろ」。大阪出身の清原果耶のこてこて過ぎないナチュラルな大阪弁と落ち着いた透明感のある声質が、傍若無人なジョゼの性格を和らげ、チャーミングなプリンセスとしてリアリティを与えています。