2016年6月23日木曜日

Poemusica Vol.48

夏至の翌々日、午前中降っていた雨がすっかり上がって、茶沢通りの一本裏の緑道は満開のクチナシの花の甘い香りがします。下北沢Workshop Lounge SEED SHIPで Poemusica Vol.48 が開催されました。

忙しい平日の夜に集まってくださったみなさん、ありがとうございます。期待に見合ったクオリティのライブがお届けできたと思います。

FENETRE RECORDを自ら設立して、3rdアルバム『幸福の花びら』を1月にリリースしたmayulucaさんは、2016年を『幸福の花びら』イヤーと銘打って、この日もアルバムの全9曲を演奏しました。先月別のお店で同様のセットを聴きましたが、SEED SHIPのナチュラルで陰翳の深い残響で聴くとまた違った魅力があります。シンプルな素材だからこそ会場の空気によってがらりと味わいが変わる。生音生声で聴かせる8月アサノラも楽しみです。

ちみんさん(画像)は「すべて」のアカペラでスタート。1月のKitchen Table Music Hour vol.4 でお会いしたときよりすこし伸びた髪をきっちりと束ねて。空間をたっぷりと活かし、あえて音数を抑えた弱音のアルペジオが、透明感のある美しい歌声を一層引き立てます。地声とファルセットの滑らかなつながり。コリアン・トラディショナルも交えスローナンバーに絞ったセットリストには、かつて傷を負った者がようやく手に入れた平穏さにも似た切実な響きがありました。

最後はノラオンナさん。「Poemusicaということで」と、この日先行発売した港ハイライトfeat.古川麦抱かれたい女』から、バンドのテーマ曲「港ハイライトブルーズ」のなんと歌詞の朗読から。匠の技ともいえるその歌唱とは違ったフレッシュネスがあって、ノラさんの朗読が僕は好きです。「めんどくさい」のアウトロでウクレレをがっしりストロークしたときの力強さ。そこから逆に、小さな音で爪弾かれる弦の音の粒立ちの良さが更に際立ちます。

3人の共演者が、言葉と旋律を紡ぐソングライターとして、シンガーとして、素晴らしいのはもちろんですが、ギタリスト/ウクレレ奏者としても卓越したセンスを持つことがよくわかる。音楽の芯を捉える強さと言ったらいいのでしょうか。

僕は自作の詩を5篇「Universal Boardwalk」から「六月」、クチナシの詩「ガーデニアco.」、mayulucaさんとちみんさんの歌詞の一節をそれぞれお借りした「森を出る」と「すべて」、最新詩集『ultramarine』の巻末作品「fall into winter」雨期ver.、そして港ハイライトの新譜からノラオンナさん作詞の「やさしさの出口で」の男声パートを朗読しました。

僕自身、3ヶ月ぶりのライブで、リハーサルの第一声をマイクに向かって発したとき、正直試合勘が鈍ったな、と思いましたが、パンプアップして以前通り、もしくはそれ以上のコンディションに上げることができたのは、セルフコントロールのすべをこの48回のPoemusicaで学んだからだと思います。

これからもPoemusicaの、声と言葉の探究の旅は続きます。どうかまたみなさんとお会いできますように!


 

2016年6月19日日曜日

教授のおかしな妄想殺人

日曜日の東京は2日連続の真夏日。丸の内ピカデリー3ウディ・アレン監督の新作映画『教授のおかしな妄想殺人』を観ました。

米国にはニューポートという地名が各地にありますが、この映画の舞台は東海岸ロードアイランド州ニューポート。海辺にある落ち着いた大学街です。サードウェーブで有名なオレゴン州のじゃなくて、ジャズフェスティバルのほうね。

そこに赴任したエイブ・ルーカス(ホアキン・フェニックス)は厭世的でアルコール依存気味な哲学科教授。まあツイッターなんかやっていたら、いい大人のくせして「死にたい。。」とか呟いちゃうようなオヤジです。

女子学生(エマ・ストーン)や同僚の既婚化学科教授(パーカー・ポージー)と恋仲になったりするけれど、モチベーションは総じて低い。ある日デート中のダイナーで耳にした隣席の会話。悪徳判事によって親権を奪われそうな母親とその親類。当の母親にも知らせずに判事の殺害を企てることで生きる希望を見つける、というお話。

よくできたコメディですが、『ミッドナイト・イン・パリ』『ローマでアモーレ』なんかに比べると終始オフビートで、爆笑シーンはありません。でもこのむずがゆい感じこそウディ・アレンなんじゃないでしょうか。エマ・ストーンは『マジック・イン・ムーンライト』の1920年代フラッパースタイルもチャーミングでしたが、この作品では適度に肉付のあるヘルシーでエレガントな脚線美を前面に出しています。

そして主役ホアキン・フェニックス(ex.リーフ・フェニックス)。いまだに故リヴァー・フェニックスの弟という扱いは不憫ですが、かつての美少年の面影はなく、下腹の出たスノッブなおっさん。イラクで地雷を踏んだだの、親友がテロリストに斬首されただの、発言がいちいち胡散臭い。胡散臭いイケメンはモテる、の典型。ナイス・キャスティング。

音楽の使い方がいつもながら気が利いていて、ラムゼイ・ルイス・トリオの "The 'In' Crowd" が要所要所を格好良く締めていました。

 

2016年6月18日土曜日

やがて、ひかり

梅雨の晴れ間という呼ぶには真夏過ぎる土曜日の午後。白山の名店、JAZZ喫茶映画館で。Pricilla Label presents 小夜1stアルバム『無題/小夜』リリースライブ「やがて、ひかり」が開催されました。

最近は詩集やエッセイ集など印刷物の出版ばかりでしたが、プリシラレーベルは1998年にポエトリーリーディングのカセットテープ制作からスタートした会社。前のエントリーでもご紹介した通り、10年ぶりのCDリリースに至ったのは「これを世に問いたい」と心から思えるものに出会えたからです。

とはいえ、小夜さんとは15年来の友人であり、ずっと信頼すべき詩人のひとりです。近年の彼女のパフォーマンスに、研ぎ澄まされた集中に加えて意識の拡がりが生れた。このタイミングで記録しておきたいと思いCDを制作しました。

ライブ前半はテーブルにマイクをセットした校内放送スタイルで(笑)、自作の詩と彼女が敬愛する詩人のカバーを半分ずつ。最初の詩の一行目から満員の会場の空気を掌握しました。僕はPAをしながら、小さくて泣いてばかりいた少女がいつのまにか大人の詩人に成長した姿に静かに感動していました。

後半は店の中心に立てたヴィンテージマイクの前、スタンディングで(画像)。CD『無題/小夜』の全7篇を収録順に。MCはほとんど挟まず、若干の手ぶりを加え、行間に壁時計の振り子の規則正しく柔らかな音色をたっぷりと響かせて。その声と姿は、客席の視線を一身に集めていました。

「ゆうべ/夜はふるふるとして/からだをきつくまるめたまま/部屋の隅に落ちていた」(ゆうべ、夜は)、「もう戻っては来られないかもしれないと/親指のはらで中指をさすった」(Re.)、「雲がうごくたびに遠い記憶が降りてきて彼女がみみもとに口を寄せる。くちびるのかたちがみみに伝わりわたしはひどく泣きそうになる。」(いつか、ひかりの)。

彼女の詩には、わかりやすいメッセージも、キャッチーなリフレインもない、たちどころに共感を得る種類の詩篇ではありません。でもそこにはリアルな皮膚感覚が存在します。それが声に出されることで震えを伴って人々の耳に届くときに再生される我々聴き手の触覚。その共感覚が会場の空気を満たす。

JAZZ喫茶映画館さんは特別なサムシングのあるお店。それは何十年ものあいだここで交わされた言葉や鳴らされた音楽たちが深く浸み込んでいるからだと思います。今日の朗読会もその歴史のヒトコマとなり、またこの場所にいたひとりひとりの記憶に刻まれる一日になったのではないかと思います。

CD『無題/小夜』は小夜さんのライブ会場のほか、千駄木の古書ほうろうさん、日暮里の古書信天翁さんの店頭でもお買い求めいただけます。弊社の社運を賭けた一枚でございます(笑)。是非!

 

2016年6月12日日曜日

49" CANTATA BEATLISH edition EPs Relese Live

以前から気になっていましたが、昨年末に古書信天翁さんで開催したカバーライブ "sugar, honey, peach +love ~Xmas mix" にご来場いただいてからSNSではうっすらつながっていたあがささんのライブにようやくお邪魔することができました。

四谷三丁目の綜合芸術茶房 喫茶茶会記 "49" CANTATA BEATLISH edition EPs Relese Live"。REDBLUEGREEN、3枚のカバーEPがリリースされ「長かったビートルズへのこじらせ愛も今日で終わり」という。

靴をスリッパに履き替えて通された板敷の奥の間は、実家の応接間に良く似た雰囲気。壁際に古いヤマハのアップライトピアノが置かれています。

そのピアノで劇伴のために書いたインストゥルメンタルナンバーを2曲。ペダルの軋みまで聴こえる厳粛な空気から3曲目の琉球島唄「安里屋ユンタ」で第一声を発した瞬間に空間を支配する声の力。水玉のスカート姿で猫のようにエレガントなすり足のあがささんの旋律は、南米、東欧、アジア、そしてビートルズへと自在に行き来し、ピアノとガットギターと歌声だけで聴かせる全20曲。

元来は宅録派でそれほどライブはやっていなかったといいますが、密室で誰にも干渉されずに膨らませ続けた音楽なのでしょうか。その一方でギターの正確で緻密なパッセージに強靭なフィジカルが透けて聴こえる。

あがささんの音楽からは内奥の闇が容易には見えない。幾重もの殻で隠されているように思えます。その殻を美しく彩色してみせることで聴く者を魅了する。そんなライブのあり方に気づかせてもらった夜でした。