「戦争の3年目に母さんが死に、4年目に僕は父と東京を離れた」。眞人(山時聡真)は真夜中の空襲警報のサイレンで目を覚ます。戦闘機のコクピットガラスを製作する工場主の父(木村拓哉)は、焼夷弾を投下された妻の入院する病院へと急ぐ。眞人も燃え盛る街を走るがなすすべもなかった。
父は母の妹ナツコ(木村佳乃)と再婚し、ナツコの実家に疎開する。広大なお屋敷に存在するパラレルワールドにマヒトは迷い込む。
多種多様な事象が次々に現れ、物語を整理することなく、別の場面に転換する、その連続。第二次世界大戦終戦時6歳の監督の心象をカオスのまま映像化したようで、宗左近の詩集『炎える母』(1968)を連想させる。『もののけ姫』以降の宮崎駿作品に部分的に表出していた無意識の映像化が全面的に展開している印象です。
整理しないというのは作り手側にとっても勇気がいることですが、セルタッチアニメーション表現の極限ともいえる技術で観客をねじ伏せる。エンドロールには過去に袂を分かつた弟子筋で現在は監督級の強者どもが巨匠の最期の作品のアニメーターとして名を連ねています。
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(1937)は1カット登場しますが、基本的にはオリジナルストーリーです。主人公の冒険の目的が不明確なのは、ナツコがお屋敷から消えた理由が描かれないからだけではない。監督が自己を投影する登場人物が後半は大叔父(火野正平)に移り、敵味方もはっきりしない。
不安定な世界で主人公が偶然出会った者に助けられ、わけのわからないうちに大団円、見方を変えるとカタストロフィを迎えるのは、W.A.モーツァルト最後のオペラ『魔笛』(原作はマヌエル・シカネーダー)を想定してもらってもいいかもしれません。バディを組む(?)アオサギ(菅田将暉)は小狡いだけで全く頼りにならならず、キリコ(柴咲コウ)やヒミ(あいみょん)たち、女性にばかり助けられるのも象徴的だと思いました。
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