2024年4月14日日曜日

プリシラ

夏日。ユナイテッドシネマ豊洲にてソフィア・コッポラ監督作品『プリシラ』を観ました。

1959年、旧西独ヴィースバーデンの米軍駐屯地のダイナーEagle Club。カウンターでコカコーラを飲む14歳のプリシラ・ボーリュー(ケイリー・スピーニー)は米国空軍将校の娘。当時24歳で既に大スターだったエルヴィス・プレスリージェイコブ・エロルディ)は陸軍に兵役中で、プリシラは軍楽隊員からエルヴィスの自宅で開催されるパーティに誘われる。厳格な両親をなんとか説得したプリシラはエルヴィスと出会い、お互い一目で恋に落ちる。

8年後の1967年にふたりは結婚し、1973年に別れる。エルヴィス・プレスリーの妻プリシラの14歳から28歳までを描いた作品です。

プリシラ、シーラ、サトニン(エルヴィスの亡母の愛称)という呼び名の変化でふたりの関係性の変化を表現し、ボビー・ダーリンファビアンが好きなゆるめのポニーテールは盛り盛りのビーハイブへ、エルヴィス好みの濃いアイラインを引くが、最後はナチュラルなヘアメイクに戻り、主人公の内面の確立を示唆する。

プリシラ本人が存命で本作の製作に関わっていることもあってか、あくまでも清楚に品良く描かれる主人公の隣でエルヴィスの不安定さが際立ちます。ナンシー・シナトラアン・マーグレットと浮名を流すが、プリシラに「私はあなたが欲しいし、あなたに求められたい」と泣いて懇願されてもキス以上の関係を結婚するまで持たない。いつもヤバめの男たちに囲まれ、プリシラの誕生日には宝石でデコレートした拳銃をプレゼントする。

くるぶしまで埋まる厚い絨毯を踏んでこちらに向かってくる深紅のペディキュアを塗った素足。カメラが上方にパンしてマスカラ、赤いリップ、赤いマニキュアを映す。このタイトルバックからドリー・パートンの "I Will Always Love You" が流れるエンドロールまで、ソフィア・コッポラ監督の美学が画面のありとあらゆるところに刻印されています。

内気で友達の少ない少女からシャネルのウェディングドレスの幼な妻となり、やがて自立した大人の女性へと移り変わる主演のケイリー・スピーニーの表情を美しくフィルムに定着させる。全衣装がかわいいです。

ロカビリー、ブリティッシュ・インヴェンション、フラワーチルドレンと時代の変化を映した選曲も最高にスタイリッシュですが、冒頭のホームパーティの"Whole Lotta Shakin' Goin' On" のピアノ弾き語り以外にエルヴィスの歌唱シーンがない、晩年のラスヴェガスのステージは逆光の後ろ姿だけというのも、ソフィア・コッポラだな、と思いました。

 

2024年4月11日木曜日

地球バンドで、君の音を聞かせて

花冷え。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue活動23周年ワンマンライブ『地球バンドで、君の音を聞かせて』に行きました。毎年4月11日の周年ライブです。

年一回だったバンドセットのワンマンライブが2023~2024年は4回。7/11(火)『どんな気持ちも感じたままに踊る』、10/11(水)『思ったとおりにする魔法』、1/6(土)『冬ごもりの食卓』と同じ熊谷太輔さん(dr)、市村浩さん(b)、タカスギケイさん(g)の3人と1年間磨き上げたアンサンブルを堪能しました。

バンドメンバーに先導されて真っ赤なワンピース姿のmueさんが登場し、いつものように客電を点けてフロアを見渡し笑う。約2時間半、本編25曲、アンコール2曲のセットリストは23年というよりこの1年の集大成といえる現在と未来を見通したもの。2曲目「いまここに」はめずらしく四つ打ちだが8ビートを感じる重心の低いリズムセクション、新曲「イシキムイシキ」は魅惑の中近東音階、と新機軸を惜しみなく投入する。

パンデイロ叩き語りの「見つけ出して、ひっくり返す」は2015年の『ガラクタの城』以来かな。ジャジーな4ビートの「24 hours」で前半を締めます。

後半は『マイフェアレディ』の「君住む街角」をスタンディングで歌い、ピアノ曲のターンへ。饒舌な「外の声」から「まだどこにも書かれていないことをする」「大きな流れをつくる」「宇宙な生活」のアンビエント/サイケデリックなパートが僕的ハイライトでした。「都会のジャングル」ではmueさんのライブでは初めて体験するコール&レスポンスに驚愕し「ほんとうの夢をおしえて」の半音下降に心奪われました。

アンコールはチャップリンの「Smile」。これは2015年に谷中ボッサで開催したmueさんの洋楽カバーと僕の訳詞朗読のライブ『sugar, honey, peach +love』から(でもSmileだけmue訳なのです)。

今夜のmueさんは、歌声が本当によく通って、柔らかくてクリア。「23年続けているとは思えないフライヤーと態度」と自虐気味なMCがありましたが、ひとたび演奏が始まると会場一杯に響くその音楽は確信と冒険に満ちており、ステージにも客席にも多幸感が広がって、これは夢なのかな、と思う、魔法が確かに存在する東京の夜でした。

 

2024年4月10日水曜日

aespa: WORLD TOUR in cinemas

花冷え。ユナイテッドシネマ豊洲オ・ユンドンキム・ハミン監督作品『aespa: WORLD TOUR in cinemas』を観ました。

2023年2月に韓国ソウルから始まったワールドツアーは、日本、マレーシア、インドネシア、北米、南米、ドイツ、フランスなどを回り、ファイナルは9月28日のロンドン公演。そのライブ映像とメンバー個々のインタビューにより構成されたフィルムです。

「(コロナ禍に)ファンと断絶していたんだとステージに立って知りました」。aespa(エスパ)は韓国出身のカリナウィンター、東京出身の日韓MIXジゼル、中国生まれのニンニンの4人組。K-POPのガールクラッシュ、もしくはティーンクラッシュ系にカテゴライズされる。メンバー4人のアバターが存在し、メタバースと現実世界を一体化したパフォーマンスという近未来的なコンセプトで2020年にデビューした。

「私達は4人ともあまり体力はありません」。インタビューはステージとオフのギャップ、他メンバーへのコメント、ファンとの関係性が中心です。強めの楽曲、ステージ上のビジュアル(特にカリナさんのアバター感が半端なく美しい)とパフォーマンスの完成度が高まるほど、弱さも体温もある生身の人間としての4人を強く感じさせる。

ウィンターの確かな歌唱力、ジゼルのラップスキル、ニンニンのポジティブなバイブス。ステージ後方の巨大ビジョンは楽曲を補完するCG画像中心で、メンバーのアバターが映画館のスクリーンに映るのはデビュー曲 "Black Mamba" だけですが、それはライブパフォーマンスに対する自信の表れであり、aespaの人間宣言でもあると捉えました。

自身をステージ恐怖症だと言い「ステージに上がる前は緊張するけれど、ファンも緊張しているからつながりを感じる」というその客観性と愛。ライブを聴きに行くのは楽しみでもありますが、確かに独特の緊張感がありますよね。特に十代の頃などは。その名付けようのない感情を的確に言い当てるカリナさんの利発さに釘付けになる2時間でした。

 

2024年3月31日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

夏日。ユナイテッドシネマ豊洲黒川智之監督作品『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観ました。

8月31日13時25分、東京湾に前触れなく飛来し母艦と名付けられた巨大な未確認飛翔体。駐日米軍が新型兵器で攻撃するが東京上空にとどまり続ける。その目的が示されることはなく、時折小型船が地上近くまで降りてきては迎撃される。侵略者と呼ばれる者たちは小さく弱く攻撃の意図を持たないように見える。

「別に不自然なぐらいさせてください。夢ぐらい見たっていいじゃないですか。明日どうなるのかなんて誰にもわからないんだから」。3年後、都立下蛸井戸高校3年3組の眼鏡っ子小山門出(幾田りら)は担任教師渡良瀬(坂泰斗)に片思いしている。

「人類にとっての本当の脅威は侵略者じゃなくて僕だってことを教えてやる」。幼馴染で同級生のおんたんこと中川凰蘭(あの)はツインテールのエキセントリックなハイテンションガール。

キホちゃん(種崎敦美)はサブカル系男子小比類巻(内山昂輝)に告白して付き合いはじめるが「世界なんでどうなってもいいからもっと私のこと考えて」とすぐに別れてしまう。

得体の知れない脅威が上空を覆っていても、サイゼリヤで放課後をぐだぐだ過ごす日常は続く。それは9.11同時多発テロ、東日本大震災、コロナ禍の空気感の静かに精神を削るあの感じを暗示しているようです。

浦沢直樹の漫勉(Eテレ)浅野いにお回で観たステンレスの灰皿や蚊取線香の缶のデジカメ画像を加工した小型船がそのまま再現されて日常を切り取っている不穏さ。おんたんの兄ひろし(諏訪部順一)の「希望を失わないためにはどうしたらいいと思う? 誰かを守ればいいんだ」と言う台詞がどちらの方向に転ぶのか。作者自身が原作漫画とは異なる結末を書いたという5月公開の後章が楽しみです。

 

2024年3月25日月曜日

COUNT ME IN 魂のリズム

雨上がり。新宿シネマカリテにてマーク・ロー監督作品『COUNT ME IN 魂のリズム』を観ました。

山頂の天文台の白いドームの空撮から映画は始まる。大きなドームの中ではスティーヴン・パーキンスJane's Addiction)のドラム・サークルのセッション。ドラムセット、コンガ、ジャンベ、あらゆる打楽器を叩く誰もが笑顔になる。そしてうねるシンバルのスーパースロー画像から "COUNT ME IN" のタイトルバックへ。

スティーヴン・パーキンス、チャド・スミスRed Hot Chili Peppers)、シンディ・ブラックマン・サンタナSantana / Lenny Kravitz)、ジェス・ボーウェンThe Summer Set)のインタビューとセッションを軸に古今のロックドラマーにフォーカスしたドキュメンタリー映画です。

マックス・ローチバディ・リッチらジャズドラマーがジンジャー・ベイカーCream)に影響を与え、その影響を受けたイアン・ペイスDeep Purple)に影響を受けたニコ・マクブレインIron Maiden)。スチュワート・コープランドThe Police)の落ち着きのない早口はヲタクそのものだし、サマンサ・マロニーHole)がモトリー・クルーのツアーサポートに入るエピソードも熱い。

トッパー・ヒードンThe Clash)やラット・スキャビーズThe Damned)らパンクバンドのドラマーが出てくるのもイギリス映画ならでは。一方でプログレ勢はニック・メイソンPink Floyd)ぐらい。ビル・ブラッフォードKing Crimson)、カール・パーマーEL&P)、フィル・コリンズGenesis)あたりは取り上げられてもいいんじゃないかと思います。

ドラマーに対するクレイジーなパブリック・イメージは、キース・ムーンThe Who)が作り、ジョン・ボーナムLed Zeppelin)が固めたといっても過言ではなく、ホテルの部屋の破壊をテレビ番組でキース本人が実演するのは衝撃映像だし、同世代のボブ・ヘンリットThe Kinks)の「キースは延長コードを繋いで電源を入れたままホテルの窓からテレビを投げていた」という証言は最高ですが、キース・ムーン生前最期の作品 "Who Are You?" の計算され尽くされたドラミングに関するスティーヴン・パーキンスの解説が僕的ハイライトでした。

女性ドラマーに対する男性オーディエンスからの偏見、1980年代のLinn Drum(サンプリング・リズム・マシン)の台頭についても触れられる。

鍋やフライパンを叩くが好きな子どもがクリスマスにおもちゃのドラムキットをプレゼントされたときの狂喜乱舞のホームビデオが映りますが、そのまま大人になったドラマー自身が、ベテランも若手も、好きなドラマーを語るその語り口がみな楽しげでいい。「ドラムのコミュニティはあたたかくて間口が広い」というドラムドクターのロス・ガーフィールドのコメントに尽きる。近年量産される音楽ドキュメンタリーのフォーマットを借りているものの、ミュージシャンの伝記映画につきまとうドラッグなど負の側面がなく、好きなことについてしか話さない。ずっと観ていたくなるハッピーな映画です。

 

2024年3月23日土曜日

12日の殺人

小雨。ヒューマントラストシネマ有楽町ドミニク・モル監督作品『12日の殺人』を観ました。

2016年10月11日土曜日。フランス南東部グルノーブルの警察署で老リーダーの定年退職式が行われ、主人公ヨアン(バスティアン・ブイヨン)が新班長に任命された。

翌10月12日午前3時。グルノーブル近郊の瀟洒な登山口の町 Saint-Jean-de-Maurienne。親友ナニー(ポーリーヌ・セリエ)の自宅のいつもの女子会から帰宅する夜道で21歳の大学生クララ(ルーラ・コットン=フラピエ)は何者かに突然ガソリンを掛けられ、生きたまま焼き殺される。

ヨアンのチームが殺人事件の捜査を担当することになるが、複数浮かび上がる容疑者を訪ねてもどれも決め手に欠ける。実際に起きた未解決事件を題材にしたこの作品は、真犯人を見つけ動機を明らかにしてカタルシスを得る映画ではありません。

娘が殺されたことを母親に告げる際の葛藤、聞き込み、張り込み、取り調べなどに加え、憲兵隊と警察の不明瞭な分担、PCのキーボードを叩いて膨大な調書を作成する、コピー機の紙詰まりにいらいらする、配偶者との関係の悩み、刑事たちの日常とそこで受けるストレスが詳細に描かれる。新米班長ヨアンとベテラン熱血刑事マルソー(ブーリ・ランネール)のバディものの要素もあるが、男同士の絆よりも証拠収集手続きの適法性が優る。

フェミニズム映画としての側面も持つ。容疑者は全員がクララと性的関係を持ったことのある男性で、なぜクララは殺されたのかと聞かれたナニーは「女の子だから」と答える。一度は断念した捜査を3年後に再開させたのは女性判事ベルトラン(アヌーク・グランベール)、初めて配属された女性キャリア警察官ナディア(ムーナ・スアレム)は「いつも男が殺して、男が取り締まる」と、刑事課のオールドボーイズネットワークに一石を投じる。

主人公ヨアンのストレス解消法は夜間に自転車できつい傾斜のトラックを全力疾走すること。その堂々巡りは進展しない捜査の隠喩になっている。終盤でロードに出て山道を走るシーンの解放感。事件は解決しませんが、後味は悪くないです。

  

2024年3月17日日曜日

Chiminと塚本功

彼岸入り。所沢音楽喫茶MOJOChiminさん塚本功さんを聴きに行きました。

Gibson ES-175Fender Hot Rod Deluxeに直挿しした塚本功さんは、フロントピックアップひとつで、抒情的なクリーントーンから激しい歪みまで、エフェクターなしでもフィンガーピッキングで多彩な音色を奏でる。

僕がその特徴的なギタープレイを初めて認識したのは2006年リリースの松田聖子トリビュートアルバム "Jewel Songs" に収録された "Sweet Memories" です。微熱を感じる柔らかい音色とメロウなタイム感に痺れました。ドビュッシーハース・マルチネスのカバーを含む全10曲。唯一無二のギターを初めて生演奏で聴けてうれしかったです。

長い空白期間を経て昨年11月にライブ活動を再開したChiminさんは前回と同じ加藤エレナさん(key)、二宮純一さん(g)、井上"JUJU"ヒロシさん(fl, sax, per)の3人のサポートで。1曲目は「茶の味」、次が「時間の意図」という愛聴するアルバム『住処』と同じ曲順のスタートにまず震えました。

谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の反戦歌「死んだ男の残したものは」はビリー・ホリデイの "Strange Fruits" にも匹敵する超重量級のマイナーブルーズですが、Chiminさんの澄んだ声で歌われると、漆黒の闇の先に小さな灯りがともっているのが見えるようです。

「垂れる髪を後ろで束ねて/私はきれいな手でお茶を入れる」(茶の味) 「あたためられて殻が破れて/触れるもの全てが新しい/めぐりめぐるものがあるのなら/この小さな枝に祈りましょう」(住処) 

自作曲の歌詞も素晴らしい。2010年の『流れる』以降のChiminさんの歌詞には喜怒哀楽を直接的に表現するワードがほとんど使われていない。にもかかわらず、すべてのエモーションは彼女の歌声が代弁している。Chiminさんは理由を歌わない。にもかかわらず、我々オーディエンスは彼女の歌声の抑揚の中に理由を見つける。

「まるで昔のことのように言うけど/本当は今も何も変わらない//夜が明けて私は見てる/祈りの先にあるものを」(まるで昔のことのように)。「なぜ」だけではなく、目的語「何を」も明示されない。にもかかわらず、彼女の歌声を通して我々は無加工の感情と温度を同時に受け取ることができる。

「日本語の歌の可能性を追求したい」と言い、詩や短歌を読んで自由を感じているという。それらを胸の底に沈殿させて掬う上澄みによって新しい歌が生まれることをとても楽しみにしています。

 

2024年3月10日日曜日

でんちゅうさん みつけたよ

快晴。浅草花やしきで開催されたでんちゅう組のインクルーシブ・パフォーミング・アーツ『でんちゅうさん みつけたよ』に行きました。

遊園地の入口で手渡されたプログラムに折り込まれた短冊状の紙。僕が受け取ったものには「星を[____]」と印刷されている。その空欄に好きな言葉を書いて回収箱に入れます。この時点で観客は言葉を意識し、傍観者から共謀者になる。

電飾を巻き付けた白い衣装で妖精のような出演者たちの中で極彩色のマダム・ボンジュール・ジャンジさんがひときわ艶やか。2000年前後に僕が現代舞踊の故黒沢美香さんのカンパニーの若手ダンサーたちとご一緒させていただいていたときぶりにご挨拶。彼女は希少な女性のドラァグクイーンです。主にゲイの男性が女性性を極限までデコラティブに表現するアートを女性の身体で体現するという、二周三周して説明不能な孤高を極めた心優しき人。

完全に日が落ちて、ピンク色の桜の花びら型イルミネーションでライトアップされた赤い橋の上で西田夏奈子さんが歌う今夜のために書かれた「夜の遊園地」を聾者である Sasa/Marieさんのサインポエトリーと新人Hソケリッサ! メンバーのダンスが支え、上層のテラスから向坂くじらさんが朗読で響きを加える。

3月初旬の夜の野外公演ですが、園内の随所に暖房設備があり、園内を移動しながらの鑑賞は寒さをそれほど感じません。しょうぼうずさんの拍手喝采なつかし大道芸ではジャグリングのキャッチャーに指名していただきました。ネオン管の大階段を背にシルエットを映したソケリッサ! はメンズアイドルばりの恰好良さ。パンダカーにくじらさんと乗ったクマガイユウヤさんのリリカルなギター。

最後は園内に常設されたステージへ導かれ、ジャンジさんが花やしきの歴史を字幕付きで紹介。黒船来航の1853年に江戸町人の観光スポットとして開設された植物園が、明治維新、関東大震災、東京大空襲、東日本大震災、激動を乗り越えた170年間。ジャンジさんの明るく端正な朗読が僕には平和の祈りに聞こえました。

そしてみんなが入口で書いた短冊を3人の詩人、カニエ・ナハさんケイコさん向坂くじらさんがエディットしホワイトボードに貼りつけていく。3~5枚の紙片が1行の短詩となり、その連なりが大きな詩篇となる。3人の詩人の声で再生される言葉たち。自分で書いた言葉は膨大な断片の中からでも自分の耳に届きやすいんだな、という発見もあり。僕の短冊は知らない誰かの言葉と素敵に繋がり「まだ見ぬ夢を叶えて/鳥になって/星を食べる」に。

グランドフィナーレはでんちゅう組の2つのオリジナル曲「夜の遊園地」と「でんちゅう組のテーマ」で聞こえる人も聞こえない人たちもみんなで楽しく賑やかに。あっという間の2時間に、上品で幸福な夢を見たような感触が残りました。

 

2024年3月6日水曜日

フレディ・マーキュリー The Show Must Go On

雨のち曇。池袋シネマ・ロサにてフィンレイ・ボールド監督作品『フレディ・マーキュリー The Show Must Go On』を鑑賞しました。

1946年9月5日に英領(当時)ザンジバルでゾロアスター教徒の家に生まれたファルーク・バルサラは1960年代にイギリスに渡り、その後ブライアン・メイ(Gt)、ロジャー・テイラー(Dr)らのバンドSMILEに加入。バンド名をQUEENに変えて、フレディ・マーキュリーと名乗る。

フレディの幼少期を回想する実妹カシミラから映画は始まります。音楽ライターのロージー・ホライド、TVキャスターのポール・ガンバッチーニ、写真家ミック・ロック、レコード会社A&Rポール・ワッツら、生前フレディと親交が深かった人たちのインタビューとQUEENのメンバーのTVインタビュー、各時代のMVとライブフッテージで構成されたドキュメンタリーフィルムです。

役者が演じた伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を実話として補完する面はありますが、約50分という尺に新たなエピソードはほぼなく、当時のライブ映像もリマスターされておらず荒い。

オフステージはシャイで礼儀正しかったフレディがステージ上の人格に侵食されていった、と言うミック・ロック。放蕩な生活からHIVに感染し長い潜伏期間を経て発症したAIDSで弱っていく姿を語るポール・ガンバッチーニは思わず声を詰まらせる。周囲の人たちを楽しませることをいつも望んでいたチャーミングなフレディが誰からも愛されていたことが伝わってきます。

3曲を並行して書いていたが完成させられず、制作期限が迫って苦し紛れに1曲にした、という "Bohemian Rhapsody" 成立の逸話は、僕ははじめて聞きました。ザンドラ・ローズの衣装デザインは天才的だと思います。

 

2024年3月2日土曜日

Early Spring Homecoming

早春曇天。幡ヶ谷の名店 カフェ&ワイン jiccaにて、Pricilla Label presents "Early Spring Homecoming" を開催しました。ご来場のお客様、jiccaトリちゃん、ありがとうございました。

開演時間は午後3時半。おやつタイムのライブに特製のスイーツプレートを出してもらいました。

ざくろのチョコレートケーキは濃厚なカカオ風味の中に果実の酸味、カルダモンのバニラシャーベットのスパイシーな香りに、季節のフルーツが爽やかさと彩りを添える。jicca の提供するメニューはカジュアルですが、五感に訴える作品だといつも思います(開場前のランチタイムにいただいたクラムチャウダーも素晴らしかったです)。

石渡紀美さんとの二人会は2015年12月に同じjiccaで、紀美さんの『十三か月』と僕の『ultramarine』のWレコ発 "fall into winter" 以来。

紀美さんの一篇めは自作の「声」。次に僕の「」。どちらもソネットです。もう一篇僕の「風の生まれる場所」を「平和の詩」と言って朗読してくれたのですが、それが自作ながら目から鱗で。思えば出会った頃から彼女は、平和のために詩を書いている、と言っていました。その意味が二十数年経ってようやく理解できた気がします。

平和の対極に戦争を置いてそれを否定するような手法ではなく、日常を日常として送ること、それをつぶさに観察し描写することが彼女にとって平和の実現に近づく一歩めなのだと思います。例えば、湯を沸かす、洗濯物を取り込む、野菜を吟味するなどして。

僕のセットリストは以下5編です。

1. ナルシスの旅石渡紀美
4. 路上にまつわる断章 Fragments On The Road

短いインターバルを挟んで後半はトークと今回のライブのためにふたりで書いた「連詩:Early Spring Homecoming」を聴いてもらいました。毎年末にさいとういんこさんと巻く連詩が対話篇だとしたら、紀美さんとの連詩は共同でひとつの庭園を造り上げるような趣きがある。連数や行数、前の連とのリレーションなど、ある程度形式を決めて取り組んだのもその理由のひとつだと思います。書いている最中にはそういう話はしなかったので、トークでお互いの制作過程の手の内を明かしました。

jicca の雰囲気とも相まって、客席のみなさんが僕たちの声を集中して熱心に聴いてくださるのが伝わってきて、自然と熱が入る。アンケートでは、他の季節の連詩も聴きたい、というありがたいコメントもいただきました。実現できたらいいな、と思います。

 

2024年2月25日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

菜種梅雨。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックmandimimiさんの回に行きました。

2月25日は、ニャンニャンGOの日ということで、CAT LOVERであるmandimimiさんはグレンチェックのパススリーブに小花の刺繍で縁取られたセーラーカラー、胸元に猫の顔が大きく刺繍された衣装。

セットリストのコンセプトは "Back To The Basics"。サラ・マクラクラン(カナダ)、伊能静(台湾)、ダンカン・シーク(アメリカ)、デミアン・ライス(アイルランド)etc.. マルチカルチュラルな環境で育った彼女の音楽的ルーツは多様ですが、共通点があるとすれば「優しさ」だと思います。

それらのカバー曲も、思春期を過ごしたシアトルの曇天から短い夏の間だけ覗く深い青空を歌う1st EP "Unicorn Songbook: Journeys"のリード曲 "Sapphire Skies" も、最小限のピアノの装飾音とゆったりとしたテンポでアレンジされ、クリスティナ・アギレラも Jungkook (BTS) もララバイに昇華する。アルトの歌声の子音が柔らかく吹き抜けて、ノラバーの窓のすぐ近くを通過する路線バスが雨を跳ね上げる音と調和し心地良く響く。60分の本編は9曲。各曲にまつわるエピソードを交えた進行もゆったりです。

そしてインターバル。ノラバー店主ノラオンナさんの心づくし、2月のノラバー御膳は、ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、つくねたれ、きんぴらごぼう、菜の花からし和え、かぼちゃそぼろあんかけ、ほうれんそうととうふのみそ汁、梅ごはん。隣り合った初対面同士でも会話が弾む味。

30分のインスタ配信ライブ「デザートミュージック」。一日の終わりまで記憶に残っている前夜の夢を楽曲にする新プロジェクトから、親友と巨大な猫が草原で踊る "Pocketz Waltz" は心あたたまる四分の三拍子。

固めのノラバープリンとバニラアイス、ノラさんが一杯ずつ淹れる香り高いノラバーブレンドコーヒーが提供されて、配信が終わり一息ついたmandimimiさんとみんなで夜が更けるのも忘れ賑やかに過ごしました。

僕も4/28(日)にノラバーで朗読します。1ヶ月前の3/28(木)9:00amから予約開始です。あらためてSNS等で告知しますので、ご覧いただけましたら幸いでございます。
 
 

2024年2月12日月曜日

3K16 3人のKによる朗読会 第16回

建国記念の日の振替休日。La'gent Hotel Shinjuku Kabukicho Crospot CAFE & BARで開催した『3K16 3人のKによる朗読会 第16回』に出演しました。

会場のCrospot CAFE & BARさんは新宿歌舞伎町のどん詰まり。つい先日非合法の客引きが複数摘発された大久保公園の真向いで、高い天井まで届く窓から冬の午後の柔らかい日差しが注ぎ、落ち着いた雰囲気がありますが、ガラス1枚隔てた外はワイルドサイドです。

4. CLASSIFIED CONVERSATIONS

2000年に初めて開催した小森岳史究極Q太郎カワグチタケシによる3K朗読会の25年目ということで、前半は2000年前後に書いた作品と当時よくカバーしていた詩を朗読しました。

続くQさんは新詩集『ガザの上にも月はのぼる/道へのオード』から。社会的政治的イシューと日常の関わりや隔たりがいつもQさんの創作の動機。それは我々3人に共通する点もあるのですが、そのウエイトや現れ方が異なり、都度変化する。「現代詩人の使命とは携帯電話を持たないことである」は、ジム・ジャームッシュの映画『パターソン』をモチーフにした詩で、前日のライブで同作にインスパイアされたマユルカさんの「箱庭」を聴いた僕の内部で響き合いました。

小森さんは、自作詩に田村隆一ウィリアム・ブレイクを引用し「ジェットに乗ってどっか行きてえ」的に粗野な語り口を敢えて使用した初期作品のイメージとはギャップのある文学性を隠し持っている。これも我々の共通点といえるかもしれません。小森さんがルー・リードをブレイクビーツに乗せたa tribe called questだとしたら、僕はモンキーズをサンプリングしたDe La Soulの側に立ちたい、という違いはあるにせよ。この日朗読した僕の詩にはスピッツ伊勢正三の引用が含まれています。

7. 幾千もの日の記憶(究極Q太郎)
8. こんな時にまで言葉を探すしかないのだろうか(小森岳史)
9. Judy Garland

後半はQさんと小森さんの25年前の作品と自身の最近作を朗読しました。傾き始めた冬の陽を浴びてバーの高いスツールから脚をぶらぶらさせチーズケーキを食べるみなさんの姿に幸せな気持ちになりました。

ご来場のお客様、会場をご提供いただいたCrospot CAFE&BARさん、音響機材を担当し会場設営・撤収をしてくださった藤本敏英さん、どうもありがとうございました。また地上のどこかで3K17を開催したいと思います。その際は皆様どうぞよろしくお願いいたします。


2024年2月11日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

建国記念の日。西武柳沢ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックマユルカとカナコの回に行きました。

日中よく晴れて2月としては暖かな夕方。カナコさん鼻笛をフィーチャーした 「3am」 からライブはスタートしました。続く「覚悟の森」ではフクロウの鳴き声を鼻笛で真似ています。僕はこの曲に真昼でも鬱蒼とした森をイメージしていたのですが、深夜の森を前に立ちつくすという解釈もありですね。

この日のドレスコードはネイビー。客席の落ち着いた色合いも作用していたのかもしれません。続く「ほんとうのこと」「チャイム」は1stアルバムから。マユルカさんの淡々としたメロディに控えめに添えるカナコさんのコーラスが美しい。

「日曜の夜はいつも何から逃げるのか、向かうのかわからないまま歌い出すんだ君は、やになっちゃうな」と歌う「日曜日」。まさに日曜の夜に。ドロップDのブロックは「箱庭」に続き、セットリストの前半で歌うことの多い「出発」をいつになくスローなイントロで本編最終曲に。

ミニマルで落ち着いたテイストのマユルカさんの音楽にカナコさんの鼻笛、ヴァイオリン、コーラスで色彩と奥行きが加わります。ヴァイオリンのレガートやピチカートはあくまで品良く。大学の先輩であるカナコさんが、後輩マユルカさんの音楽を尊重しつつ、内在するユーモアやハーモニーを表に引き出す役割をしています。

ノラバー店主ノラオンナさんの丁寧な手仕事とアイデアの詰まった2月のノラバー御膳を出演者と観客みんなでおいしくいただくあいだも笑いが絶えません。

インスタ配信ライブのデザートミュージックは「きこえる」で再開しました。定員7名という少人数予約制ならでは「あの人はこの曲かな、と考えて作るオーダーメイドのライブ」というマユルカさんのMCに深くうなづく。2曲のカバー演奏は思い切りはっちゃけて、最後の最後は「アネモネ」でしっとり締める。起承転結のあるいいライブでした。

僕も4/28(日)にノラバーで朗読させていただきます。昨年12月から各所で出演した5ヶ月連続ライブのしめくくりです。1ヶ月前の3/28(木)9:00amから予約開始となりますので、あらためてSNS等の告知をご覧いただけましたら幸いでございます。


2024年2月10日土曜日

レディ加賀

薄曇り。新宿ピカデリー雑賀俊朗監督作品『レディ加賀』を観ました。

主人公樋口由香(小芝風花)は売れないタップダンサー。上京して8年がんばったが、仕事といえばスタンドイン(代役)ばかり。老舗旅館の女将を務める母(檀れい)が倒れたと仲居頭からの報に、北陸新幹線に乗ると隣席の観光プランナーの花澤譲司(森崎ウィン)から缶ビールを勧められる。加賀温泉駅に着く頃には、由香はまともに歩けないほど酔っぱらってしまった。

都会で挫折した主人公が一念発起して若女将たちのタップダンスチームを作り、その過程で見舞われるトラブルや親子の確執を解決して、傾いた温泉街の再興に奮闘する。町おこし映画のテンプレートをしっかりなぞったストーリーですが、プロットがことごとくユルいです。

まず温泉街が寂れて見えない。由香の実家である旅館ひぐちも幼馴染あゆみ(松田るか)が若女将のいしざきも、団体も個人もそこそこ予約が入っており、庭園や旅館も手入れが行き届いている。由香がダンサーを諦め女将業に天職を見出す過程が描かれていない。タップダンスチームを編成するのはジョー(花澤譲司)の思い付きだが、途中から若女将たちがみんなで決めたことにすり替わっている。

と万事そんな具合なのですが、そういうユルさも含めてご当地ムービーとして僕は楽しめました。最初は気乗りしなかったメンバーたちが徐々にのめり込んでいく様は『シコふんじゃった』や『スウィングガールズ』みたいな青春感があるし、ラストの花火のシーンはいろいろを帳消しにして感動を誘います。大御所なのにカメオ的な篠井英介さんは地元出身なんですね。撮影後ですが、能登半島地震の影響もある加賀が舞台で、劇場収益の一部が石川県に義援金として寄付されます。

なにより主演の小芝風花さんが一所懸命です。出づっぱりで心配になるぐらいですが、最近作では『波よ聞いてくれ』と『あきない世傳 金と銀』の途轍もない振れ幅。今回の役柄はちょうどその真ん中あたりの感じです。

 

2024年2月9日金曜日

夜明けのすべて

大福の日。ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場三宅唱監督作品『夜明けのすべて』を観ました。

「一体私は周りにどんな人間だと思われたいのか」。藤沢美紗(上白石萌音)は重いPMS(月経前症候群)に十代から苦しめられ、生理前になるとイライラし感情をコントロールできなくなる。新卒で入社した企業で上司にキレ、どしゃ降りの夕方に駅前のベンチでずぶ濡れで横たわり警察に保護される。処方された薬で会議準備中に眠ってしまい、そのまま退職した。

数年後、再就職したのは子供向けの顕微鏡や望遠鏡を作る町工場。そこで異常に不愛想な後輩社員山添孝俊(松村北斗)が入社する。いつも炭酸水を飲んでいる山添くんのペットボトルのキャップを開ける音にブチギレ、怒鳴り散らす藤沢さん。

そしてバトンは渡された』の瀬尾まいこの原作を『ケイコ、目を澄ませて』の三宅唱監督が撮った本作は、『ケイコ、目を澄ませて』と同じく16mmフィルムが使用され、柔らかい光に満ちています。

「男女間であっても苦手な人であっても助けられることがある」。過呼吸の発作を起こした山添くんを自宅まで送った藤沢さんが「もしかしてパニック障害?」と尋ね、自らも持病を明かす。電車と理髪店に恐怖心を抱く山添くんの髪を藤沢さんが切って失敗して山添くんが大爆笑する。この2つのシーンで距離を詰め互いの理解者になるが、友だちや恋人にはならない。「山添くん」「藤沢さん」と呼び合う距離感がちょうどいい。共通の過去を持つ大人二人、町工場の社長(光石研)と山添くんの元上司(渋川清彦)が優しい。山添くんの恋人(元?)役の芋生悠さんも抑えた良いお芝居をしています。

「夜明けは多くの命を生んだが、夜は地球の外にも世界があると教えてくれた」という終盤の台詞は、苦境に立つからこそ他の人の痛みにも寄り添うことができる、という監督からのメッセージに聞こえました。

 

2024年2月4日日曜日

コット、はじまりの夏

立春。ヒューマントラストシネマ有楽町コルム・バレード監督作品『コット、はじまりの夏』を観ました。

舞台は1981年のアイルランド。主人公コット(キャサリン・クリンチ)は9歳。畜産業を営む両親と3人の姉と1人の弟との暮らしは貧しい。

酒好きでギャンブル依存の父(マイケル・パトリック)、家事と子育てで疲れ切った母(ケイト・ニク・チョナナイ)。内向的過ぎて学校にも馴染めないコットは、母の出産のため、夏休みの間、車で3時間の子どものいない酪農家の親戚夫婦アイリン(キャリー・クロウリー)とショーン(アンドリュー・ベネット)の家に預けられる。

「家に秘密があるのは恥ずかしいことよ。この家には秘密はないわ」。幼いコットに安全な環境を提供する優しいアイリンとは逆に、不器用なショーンは牛舎から黙って抜け出したコットを心配し強く叱責してしまう。萎縮するコットが座るキッチンテーブルに黙ってクリームビスケットを置く。そっとポケットにしまうコット。お互い言葉を交わさずとも優しさ溢れるこのシーンからコットとショーンの関係性が転換します。

コットに与えられた部屋には機関車の壁紙。アイリンとショーンには幼くして亡くなった息子がいた。アイリンからそのことを知らされていなかったことでまた黙り込むコットを夜の海辺に連れ出したショーンの「沈黙はいい。多くの人が沈黙の機会を逃したことで、多くのものを失った」という台詞がいい。ゲール語の原題は "AN CAILÍN CIÚIN"(英訳は "THE QUIET GIRL")です。

田園風景、井戸の張り詰めた水面、徒長した干し草、牛舎に差す陽光、北国の短い夏の自然描写が美しい。初めて郵便受けに手紙を取りに行くために木漏れ日の並木道を全力疾走する少女のスローモーションが伏線となりラストシーンの深い余韻につながる。ゲール語の柔らかな響き。繰り返される日常でも一度しかない夏。監督も主演も本作が長編デビューですが、第72回ベルリン国際映画祭の国際ジェネレーション部門グランプリ受賞も納得の名画でした。


2024年1月28日日曜日

サン・セバスチャンへ、ようこそ


「書きかけの小説を中断して、妻とサン・セバスチャンに行くことにした」というインタビューシーンから映画が始まる。主人公モート・リフキン(ウォーレス・ショーン)はニューヨークの大学で映画学を教えている。若い頃から作家志望だが、いまだ一冊も小説を書き上げていない。

「この時代の批評家は現実を描いた映画なら何でも評価する」。モートの妻スー(ジーナ・ガーション)は映画会社の広報担当。担当している若いフランス人の社会派映画監督フィリップ(ルイ・ガレル)に恋している。

「政治は一過性だ。大事なことがこぼれ落ちる」と言うモートはヨーロッパの古典映画の芸術性を何より重んじている。神経質なモートは胸の痛みを感じ、受診した医師ジョー・ロハス(エレナ・アナヤ)に恋心を抱く。

北スペインのビーチリゾート、サン・セバスチャンで毎年9月に開催される国際映画祭の一週間を舞台にしたロマンチック・コメディです。老境を迎えてもなお自分探しをしている主人公が痛い。映画館を出るとき前を歩く若いカップルの彼女が「おじさんのつぶやき映画だったね」と言っていました。

88歳のウディ・アレン監督がハリウッドで干され、ヨーロッパで映画を撮り続けている。比較的近年に同監督がヨーロッパを舞台にして撮った『恋のロンドン狂騒曲』(2010)、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)、『ローマでアモーレ』(2012) の傑作群と比べると、目の醒めるようなアイデアも爆笑シーンもないですが、お祭りの始まるわくわく感と最終日の寂寥感は存分に味わえます。

主人公モートの夢や妄想に登場する過去の名作映画では『突然炎のごとく』がやっぱり好きだな、と思いました。音楽は本作も最高です。

 

2024年1月12日金曜日

カラオケ行こ!

快晴。TOHOシネマズ日本橋山下敦弘監督作品『カラオケ行こ!』を観ました。

本降りの雨に濡れて肌に貼りついたシャツに背中の刺青が透けて映る。成田狂児(綾野剛)は大阪の裏通り南銀座に事務所を置く四代目祭林組若頭補佐。

中学三年生の岡聡実(齋藤潤)は合唱部部長。大阪府大会3位で全国大会を逃した。ももちゃん先生(芳根京子)が楽屋に忘れたトロフィーを取りに帰ったコンサートホールの大階段で「カラオケ行こ!」と成田に迫られる。組長(北村一輝)の誕生日に毎年開かれる組のカラオケ大会で最下位になると過酷な罰ゲームが待っている。合唱コンクールで一番上手かった学校の部長に教われば間違いない、と言われる。

成田狂児の十八番はX JAPANの「」。初めは狂児を恐れ、蔑む聡実だったが「裏声が気持ち悪いです」と一刀両断。いくつかのエピソードを経て心を通わせていく二人。後輩和田(後聖人)のジェラシー、彼らを見守る副部長の中川(八木美樹)の包容力。僕はプラトニックなBLコメディとして鑑賞しました。

成田はじめ組員たちが心優しく、ひとりだけヤバいのがいるのですが既に破門されている。聡実と成田それぞれ両親との関係性、漫画原作にはない映画を観る部、サイドストーリーもしっかりメインテーマと絡まり、無駄なシーンがない。野木亜紀子の最近作と比べて社会課題色は薄いですが、上記の意味で見事な脚本です。コンクールのためにがんばってきたのに変声期でボーイソプラノが上手く歌えない聡実には、基礎も何もないが必死に歌う狂児がまぶしく見えたのしょう。顧問役で芳根ちゃんの起用とエンドロールのリトグリは、両者の出世作である2015年のTBSドラマ『表参道高校合唱部』へのオマージュか。

聡実の母親(坂井真紀)が、夕飯時に自分の鮭の塩焼きの皮を剥がして、父親(宮崎吐夢)の茶碗に盛られた白飯の上に乗せるだけの衝撃のスローモーション。他家には理解できないその家族だけのルールってあるよね、って思いました。

リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』『オーバー・フェンス』『ぼくのおじさん』と、山下作品はそれなりに観ているほうだと思いますが、今作はかなり上位に入ります。

 

2024年1月7日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

正月七日。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージックカワグチタケシ冬の朗読に出演しました。

いつもお世話になっているノラバーの新年最初のライブを任せていただき光栄です。あらたまった気持ちで臨むことができました。ご来店のお客様、デザートミュージックの配信をご視聴いただいたお茶の間の皆様、おいしいお料理でおもてなししてくださったノラバー店主ノラオンナさん、あらためましてありがとうございます。


冬の朗読というサブタイトルをノラさんにつけていただいたので、冬の詩でセットリストを組みました。ノラバーのアイコンでもあるセキセイインコの梨ちゃん2号が拍手のタイミングを先導してくれました。

ポテトサラダ、大根油あげ巻、たまごやき甘いの、きんぴらごぼうの定番おかずに、月替わりのつくねたれ、菜の花からし和え、かぼちゃそぼろあんかけ、梅ごはん、ほうれんそうととうふのみそ汁の2024年1月のノラバー御膳は変わらず滋味でした。かぼちゃと菜の花にWinter to Springを感じます。

30分間のインスタ配信ライブ「デザートミュージック」は本日のご来場者様特典であるカワグチタケシ新作小詩集『fragments』に収録した以下6篇をお届けしました。

1. 永遠の翌日
2. スターズ&ストライプス
3. 名前
5. 十一月の話をしよう
6. 道路にまつわる断章 fragments on the road(新作)

2016~2023年に書いた詩作品のうち、共通する制作過程を持つ6篇です。思いついたフレーズや読んだ本の一節、テレビや映画で聞いて印象に残った言葉などをメモ帳やスマホに記録しておいた断片が組み合わさって、世界が立ち上がるようなときがあります。その瞬間を掴まえて詩作品にするという手法にも近年取り組んでいます。

配信が終わったらノラバープリンとノラバーブレンドコーヒーの時間です。お客様それぞれのお雑煮事情を伺ったり、店主ノラさんとお客様二人が20年前にスリーマンライブで共演していた話で盛り上がったり、楽しくにぎやかなデザートタイムを過ごしました。

 

2024年1月6日土曜日

冬ごもりの食卓

冬晴れ。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue冬のワンマンライブ『冬ごもりの食卓』に行きました。

mueさんが例年4月11日に開催しているバンドセットのライブが2023~2024年には4回。4/11(火)『ごめんね。仲直りをしよう。』、7/11(火)『どんな気持ちも感じたままに踊る』、10/11(水)『思ったとおりにする魔法』と同じく熊谷太輔さん(dr)、市村浩さん(b)、タカスギケイさん(g)の3人がバックアップ。僕も4回全部に参加できたことがうれしいです。

回数が増えると内容が薄まるのかというのは全くの杞憂で、いずれのライブも定番曲からある意味解放されて、普段バンドセットでは聴けないレア曲満載のファンには堪らない構成です。オリジナル曲では、8年前の作品なのにボカロ的な節回しが特徴的な「東京コースター」、mueさんの高音が一番きらきら聴こえる「トリガー」、タイトルに反して流麗な旋律の「がんばらない」、「都会のジャングル」のキメ。はじめて聴いた小島麻由美E.クラプトンのカバー。

本人は割と苦手意識があるようですが、MCも最高でした。「もしかしてみなさんの心に届かない曲かもしれません」なんて、いまだかつてライブのMCで聞いたことのないすごいことを言う。そしてその個人的な曲を少なくとも僕の心にはしっかり届けてしまう。マジカルな音楽の力。

アンコールの「旅するように」を含め全20曲。超有能且つ優しさ溢れる男子3名のサポートを受けて、歌声の力強さが際立つ。1本ずつ独立したコンセプトを持ちつつ、4本のライブを総合してmue musicの全容を提示してもらったように感じます。『地球バンドで、君は何をする』というライブタイトルが発表された次回4/11(木)にどんな集大成を見せて新しいフェーズに入っていくのでしょうか。とても楽しみです。

 

2024年1月3日水曜日

ポトフ 美食家と料理人


1884年、フランス。明け方に郊外の邸宅の庭で野菜を収穫するウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)。邸宅の主ドダン(ブノワ・マジメル)が目覚め、厨房にやって来る。女中のヴィオレット(ガラテア・ベルージ)と3人でオムレツとサラダを料理し、ヴィオレットの姪ポーリーヌ(ボニー・シャニョー=ラボワール)も加わって同じテーブルで朝食を摂る。

ドダンは有閑階級のガストロノミー(美食家)、ウージェニーは住み込みの料理人。4人は美食家仲間のための昼食の準備に取り掛かる。

昼食が供されるまでの約30分。最小限の台詞とステディカムの長回しでずっと料理の過程を追う圧巻のオープニングです。エンドロールを除いて劇伴音楽はなく、厨房で炭火のはぜる音、野菜を洗う水音、包丁の音、沸騰する鍋、油のはねる音、食器の当たる音、料理人たちの息づかい、窓の外の鳥のさえずりが音楽以上に音楽的に使用されています。

貴族の美食家と労働者階級の料理人という雇用関係にありながら、20年以上のパートナーシップを継続し、恋人でもあるが、ウージェニーはドダンの求婚を何度も断っている。二人は対等であり、第三共和政下においても女性の参政権がまだなかった19世紀末を現代的に翻案している面があるとは思いますが、互いに対する信頼と恋愛以上の絆で結びついている二人の関係性は心地良い。

トラン・アン・ユン監督はデビュー作の『青いパパイヤの香り』でも調理と食事のシーンを美しく描写していましたが、ベトナムからフランスに舞台を移した本作でも同様かそれ以上に描いています。本作の衣装担当で妻であり俳優のトラン・ヌー・イエン・ケーに捧げているのは、美食家と料理人を映画監督と俳優に重ね合わせている面もあるからでしょう。

初めて味わうブルギニョンソースの材料を次々に当てる絶対味覚の持ち主ポーリーヌ役が映画デビューとなる12歳のボニー・シャニョー=ラボワールのまっすぐに透き通った眼差しが美しい。今後フランス映画界のアイコン的存在になるのではないかと思います。

 

2024年1月1日月曜日

PERFECT DAYS

雨上がりの元日。TOHOシネマズ錦糸町オリナスヴィム・ヴェンダース監督作品『PERFECT DAYS』を観ました。

夜明け前。曳舟の木造アパート二階、老婆が通りを掃く箒の音で平山(役所広司)は目を覚ます。布団をたたみ、歯を磨き、鋏で髭を整え、鉢植えに霧吹きし、仕事着に着替える。ユニフォームの背中には The Tokyo Toiletの文字。靴箱の上の鍵束と小銭をポケットに入れ、ドアを開けて空を見上げる。

自販機でBOSSを1缶買って、ダイハツの青い軽バンに乗る。 首都高に乗って、カセットテープをカーステレオに入れる。今朝の選曲はアニマルズの「朝日の当たる家」。

渋谷区の公衆トイレ清掃員の日常のルーティーンを繰り返し詳細に描く。毎日同じ代々木八幡宮の境内で同じコンビニのサンドイッチを食べ牛乳500mlを飲み、仕事後は銭湯に浸かり、自転車で隅田川を渡り浅草の居酒屋へ行く。寝床でフォークナーの『野生の棕櫚』を数ページ読む。一日の出来事を夢でぼんやり反芻する。

車中の選曲は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドオーティス・レディングパティ・スミスヴァン・モリソンと変わり、フォークナーを読み終わったら幸田文パトリシア・ハイスミスと変わっても、生活は変わらない。変わらない生活だが、ふたつとして同じ日はない。

「なんでずっと今のままでいられないんだろう」と「何も変わらないなんてそんなバカなことはないですよ」の狭間で登場人物も観客も揺れる。自室の膨大な書籍とカセットテープ、家出した姪のニコ(中野有紗)を迎えに来た母親、つまり平山の妹(麻生祐未)と交わす会話から暗示される過去から、これは現代の貴種流離譚だと思いました。一方で、最後に呪いが解けて王子様に戻ることはなく、清掃員の日々のディテールをエンドロールまで繰り返し描くことで、社会インフラを陰で支えるエッセンシャルワーカーに光を当てる。


柄本時生の最初の台詞まで12分、主演の役所広司が声を発するまで更に3分、その後も極端に少ない台詞で、複数の登場人物の画面には描かれない物語を観客の脳内で補完させる演出が流石です。鑑賞後の会話が尽きないので、デートムービーに最適と言えましょう。