2026年4月18日土曜日

Doodle Do

下北沢MOZAiCで開催された Oh my! 1st full album "Doodle" RELEASE TOUR "Doodle Do" (BAND SET / 3MAN)CUICUIを聴きに行きました。

レコ発ツアーの初日とあって、地下フロアはぎっしり。二番手CUICUIの1曲目は2017年のデビューシングル曲「彼はウィルコを聴いている」。ボーカル&キーボード ERIE-GAGA様の頭サビからRuì Suì Liuさんのフロアタム4連打が響くと空気が一転 CUICUI色に染まる。

ぼくたちのナツ」「サマーガール日本」とメローな夏曲が続き、ハードドライヴィンな「ゆびさしちゃん」「僕にはカレーがあるからね」の2曲で会場のテンションをマックスまで押し上げて、ラストはOh my!モリユイさんのフェイバリットだという「皆殺しの天使」で締める30分全6曲、メインアクトに対するリスペクトを感じるセットリストです。

2024年10月以来、1年半ぶりのライブは、ベースAYUMIBAMBIさんの歌声の透明感とMAKI ENOSHIMAさんの主張あるギタープレイ、終始最前列で踊るモリユイさんの満面の笑顔が印象に残りました。

惑星アブノーマルは現在、ボーカルTANEKOさんのソロプロジェクトってことでいいのかな。ドSなステージキャラを演じているのに品の良さが滲む。サポートピアノはジャジーなのですが、声のピッチが測ったように正確なのはクラシック音楽の素養があるのでしょうか。ソングライティングにシューベルトみを感じます。

本日の主役oh my!モリユイさんの圧倒的センター感。王道の8ビートロックンロールに歌声が本当によく通る。立ち姿が端正で、技術がとんでもなく高いうえにパッション全開なので、応援せずにはいられない。自身のレコ発だからといってつらつら聴かせず、びしっとタイトに決めて余韻を残すスタイル。勉強になりました。

レコ発ライブはやはりお祝いムードが和やかで、いいものだなと思います。僕の前作詩集『過去の歌姫たちの亡霊』のいくつかある制作動機のひとつが、ココ・シャネルの評伝チューンでもあるCUICUIの「皆殺しの天使」であることを終演後、ソングライターのERIE-GAGA様に直接お伝えできたこともうれしかったです。

 

2026年4月12日日曜日

カルテットという名の青春

シネスイッチ銀座浅野直広監督作品『カルテットという名の青春』を観ました。

2008年1月の小樽。バルトークを演奏するジュピター・ストリング・カルテット。1stヴァイオリン植村太郎、2ndヴァイオリン佐橘マドカ、ヴィオラ原麻理子の3人は当時23歳、チェロ宮田大21歳。いずれも国内外のコンクールでソリストとして華々しい成果を上げている。

ロックファンでクラシック音楽には明るくないと自認する浅野監督が、どれぐらい練習するのかと尋ねると、リーダーの太郎が「1曲100時間以上」と答える。譜面に基づき、テンポやアクセントなど細部の解釈を4人で擦り合わせるのに多くの時間を費やすという。カルテットにおける自分をおでんのタネに例えるという質問に、太郎は大根、マドカは昆布、麻理子は玉子、大は出汁だと言う。

東京のスタジオで口論の末に完成した録音を、優勝か最低でも入賞が期待されていた器楽の最高峰ミュンヘン国際コンクールに送るが、テープ審査で落ちてしまい「世界が僕たちの良さに気づいていないだけ」と強がる。国内の演奏会は毎回盛況だが、先行して単身ジュネーブ音楽院に留学した麻理子は3人との演奏に窮屈さを感じ脱退したいと告げる。

将来を嘱望された若手弦楽四重奏団を4年に亙り取材したTVドキュメンタリーを劇場版に再編集したフィルムは、タイトル通り、青春の輝きと苦さがスクリーンから溢れています。

ヴォルフイタリアン・セレナーデシューマン弦楽四重奏曲第3番。「カルテットを完璧に弾くということは、弦楽器奏者として最高と言われている」。その後、太郎はハノーファー、マドカはジュネーブ、大はクロンベルクに留学してソリストのディプロマで学び、カルテットとしては、東京では今井信子氏、ジュネーブではガボール・タカーチ=ナジ氏に師事する。

指揮者のヴィジョンの実現に向かって一丸となるオーケストラや作曲家の亡霊と対話し自己の表現をひたすら研ぎ澄ますピアニストと異なり、カルテットが音楽を磨き上げる過程は民主主義そのもの。言葉と音で対話を重ね、微調整を繰り返す。個を尊重しつつ全体に奉仕することは、相反する概念を同時に成立させ、調和させるというデモクラシーの持つ美しさと困難さを体現しているように思えます。先生は「自由に」というが、幼少期から音楽に全集中してきたスーパーエリートの彼らも、自由で且つ調和のとれた演奏とは、と思い悩み行き詰ってしまう。

2010年10月ジュネーブ、活動休止を決めた最後のレッスンで、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第12番第2楽章をタカーチ師が弾くのを聴いて「音楽は(楽譜の段階で)既に美しいんですね。美しく弾こうしなくていいんだ」と落涙する姿が深く心に刻まれます。

最初の取材から3年半後、同じ質問に4人は、がんも、私、玉子、つみれ、と答えました。

 

2026年4月11日土曜日

Story of the 411 Road

4月の夏日。吉祥寺MANDA-LA2で開催されたmue25周年ワンマンライブ『Story of the 411 Road』に行きました。

「今日一日をとても楽しみたい♪」というイントロダクションに導かれて1曲目は「around the town」。mueさんがデビューした日である4月11日に毎年MANDA-LA2開催されるバンドセットのワンマンにはじめて行ったのは2013年。それから長い年月が経ちましたが、mueさんの音楽の持つフレッシュネスはすこしも損なわれていない。

2曲目の「話をつづけよう」を歌い終えると照明の熱で額に汗が浮かび「1枚脱いできていいですか」と楽屋に下がる。その間無音のステージに戻り「25年やってる人の状態や態度じゃない」と笑うmueさんが自由過ぎて、客席も啞然からの爆笑。

毎年変わるバンドメンバー、今年は北山ゆう子さん(Dr)とTaroさん(B)。ポップミュージックとしては最小単位で、各々の領域で貢献しつつ、音作り、ライブ作りの細部にともすれば拘泥し過ぎる傾向のあるmueさんの音楽を柔軟に解放する、4.11史上一の構築的で民主的なアンサンブルだと思いました。

futtong×mueのセルフカバー「僕らのかけら」のブライトな声の響き、「trigger」のカントリーブルースのリズム、The Beatles の"Lucy In The Sky With Diamonds" の悠久を感じさせるウッドベースのボウイングや随所で聴かせるベースソロ。名手北山ゆう子さんのドラムは音色が清潔で正確、mueさんとのアイコンタクトで決めてほしい適切なタイミングで適切なリズムを綺麗に気持ち良く決めてくれる。サイケデリックな浮遊感のある「大きな流れをつくる」の終盤のフリーな連打は実質ドラムソロでした。

この日の入場料は当日4.110円。これは4月11日にちなむものとすぐに理解できたのですが、予約3,350円の謎が解けたのは最終盤。再度楽屋に下がったmueさんが真赤なGibson ES-335を連れて登場しました。以前から赤いセミアコを買うか迷っており、諦めるつもりで試奏したらこれだ!と思ってしまったと、新曲「さあ一旦社会生活を置いて本当の自分で生きる」を新しいギターで歌う。タイトルに反して渋谷系。白いワンピースに赤が映えます。

2時間半のステージで演奏されたのは、2曲のアンコールを含め充実の全24曲。アンコールの「東京の夜」とカバー2曲を除くとまだレコーディングされていない楽曲ばかりです。昨年はYouTubeの毎日更新にチャレンジしていましたが、作り込まれた公式録音もそろそろ聴きたいな、と思いました。

 

2026年4月10日金曜日

1975年のケルン・コンサート

春の雨。ヒューマントラストシネマ有楽町イド・フルーク監督作品『1975年のケルン・コンサート』を観ました。

ヴェラ・ブランデススザンネ・ウォルフ)は50歳の誕生日をホームパーティで祝われていた。スピーチを促されたが、それを制止して父親(ウルリッヒ・トゥクール)が「お前は私の人生の最大の失敗」と言う。

1973年のドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)第四の都市ケルン。16歳の高校生ヴェラ(マーラ・エムデ)はアイスクリームパーラーCampiで開催された英国人サックス奏者ロニー・スコットダニエル・ベッツ)のライブ会場にいた。終演後、ヴェラは馴染みの店員からアイスを奪いロニーに手渡す。積極的なヴェラにロニーは、自身の西独ツアーを組んでくれないか、と言う。ヴェラは父の歯科医院で真夜中に英国人のふりをして西独のライブ会場に手あたり次第電話をかけた。

1974年、西ベルリンのジャズフェスティバルで29歳のキース・ジャレットのソロピアノを聴き、衝撃を受けたヴェラはキースをケルンに呼ぶために奔走する。

1975年1月24日、ローザンヌで演奏を終えて楽屋で腰痛のコルセットを外し、ECMレコードマンフレート・アイヒャーアレクサンダー・シェアー)の運転する小型車で8時間かけてケルンに着いたが、オペラハウスのステージには指定していたべーゼンドルファー・グランド・インペリアルはなく、ペダルが壊れ調律されていないリハーサル用のピアノが置かれていた。演奏を拒否するキース。キャパ1,300人のオペラハウスに1万マルク(当時のレートで約100万円)の会場費は既に払ってしまった。23時の開演まであと7時間、19時から21時はベルクのオペラ『ルル』の上演でステージが使えない。

「これはキース・ジャレットの映画でも『ケルン・コンサート』の映画でもない。『足場』についての映画だ」。ガールエンパワーメントムービーの惹句の通り、世紀の名盤誕生の過程における高校生ヴェラの活躍と家族との確執と和解、仲間たちとの連帯をスピーディでタイトな編集で小気味よく魅せる青春映画。いつもベレー帽を被っているアナーキストの同級生イザ(シリン・リリー・アイサ)がとてもいいです。

とはいえ、権利の関係なのかキースのソロ演奏シーンがベルリンのコンサートホールだけなのはちょっと物足りない。『ケルン・コンサート』のあの冒頭の4単音と6′30″あたりの踵落としドーンはあってもよかったのではないでしょうか。オペラハウスの幕が上がるとビージーズの "To Love Somebody" のニナ・シモンcover(名演!)がかかります。キースの実際の演奏はYouTubeでもサブスクでも聴けるので、そこは映画館を後にした観客に委ねられているということなのかもしれません。

米国人音楽ライターのマイケル・ワッツマイケル・チェルナス)がいい味を出している。スクリーンからしばしば客席に語り掛けるのは『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』でも使用されていた演出(いわゆる第四の壁)。ジャズの歴史を超ざっくり解説してくれるので、ジャズ初心者でも大丈夫。レコーディングが演奏ミスで中断すると、クランプスはスタッフを罵倒し、ディランは笑い、スタン・ゲッツは平謝り、フリートウッド・マックは口論する、というくだりも面白かったです。

 

2026年3月29日日曜日

ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージック

春爛漫。西武柳沢『ノラバー日曜お昼の生うたコンサート&デザートミュージックmayulucaさんの回へ。

「ねぇバスの運転手さん/こんな僕でもどこか行けるの?/尋ねたら答えはなくて/前を指差してただ/出発って言ったんだ」。定刻をすこしだけ過ぎて「出発」から演奏は始まりました。

昨年8月に聴いた前回ライブのナイロン弦からD'Addarioの鉄弦に張り替えられていくぶんソリッドになったが、mayulucaさんのフィンガーピッキングは正確で柔らかい。淡々としながらも体温と質量のある歌声は「鳥の声がきこえたら」と続き「アネモネ」ではノラバーのカウンター席に配られた小さなベルを思い思いに鳴らし、我々観客とノラバー店主ノラオンナさんもコーラスに加わります。

mayuluca的死生観を綴った「青空」「ペールグレイの空」「日曜日の彼女」「箱庭」「空ばかり見ていた」。前作『幸福の花びら』から気づけば10年が経過し、未レコーディングの佳曲たちが増えてきました。ノラさんの「ぼくのお願い」とヘンリー・マンシーニの「ムーンリバー」、2曲披露されたカバーも原曲の良さをそのままにmayulucaさんらしいミニマルな表現にアレンジされている。

全11曲、60分の本編が終わる頃、カウンターに食欲をそそるいい匂いが流れ、ノラバーさわやかポークカレーが供されます。添えられた季節のサラダには真っ赤に熟したつやつやのいちご、ノラブレンドコーヒーと共に味わうノラバープリンに乗るチェリーも、この季節だけいちごに変わります。

そして30分間のインスタライブ「デザートミュージック」は五分咲きの桜にぴったりな「花ヲ見ル」で再開しました。mayulucaさんの音楽は季節を選ばず生活に寄り添ってくれるものですが、春先の薄曇りの午後のすこし湿った心地良くも気怠い空気が一番似合う気がするのです。

mayulucaさんのノラバーライブの終演後の会話はいつも意外性があって楽しい。生後6か月を迎えたセキセイインコパステルレインボーの梨ちゃん3号も元気一杯。1月に初めて会ったときより更にヒトの語彙が増えて、かわいいおしゃべりが止まりませんでした。

 

2026年3月28日土曜日

本に囲まれた音楽室

秋津町の図書喫茶カンタカへ、CIATONE presents『本に囲まれた音楽室 うたとピアノで楽しむジブリ音楽』に伺いました。

カフェの奥の階段から2階に上がると、左側は大きなガラス窓に春の午後の陽が差し込み、右側は高い天井まである書架。ステージでベーゼンドルファーのグランドピアノが静かに開演を待っています。

ピアニストの大竹久美さんがジブリ映画の楽曲を演奏するシリーズにはじめての歌のゲストとしてChiminさんが出演し全編カバー歌唱というレアな機会でした。

1曲目は『となりのトトロ』から「風のとおり道」。ふんわりとした見た目の印象と異なり大竹さんのタッチは意外にもハードエッジで、ショスタコーヴィチやムソルグスキーなんかも似合いそうです。続いて『ハウルの動く城』の「人生のメリーゴーラウンド」、『もののけ姫』より「アシタカとサン」、『魔女の宅急便』の「海の見える街」とピアノソロで久石譲の哀愁を帯びた旋律が続く。映画で流れるシーンの解説により、脳内でアニメーションが再生されます。

そしてマスタード色のシャツを着たChiminさんが登場し、森山良子の「さよならの夏」。『コクリコ坂から』では手嶌葵さんが歌っています。『かぐや姫の物語』に二階堂和美さんが書き下ろした「いのちの記憶」。Chiminさんの歌声には原曲の持つ陰影を深めて、生と死のあわいを際立たせる力がある。「さみしい さみしい 僕ひとりぼっち/ねェ 振り向いて こっち向いて/たべたい たべたい 君 たべちゃいたいの」。宮崎駿が書いた歌詞に久石譲が重ねた明るいリズム。

アンコールは荒井由実の「ひこうき雲」。『風立ちぬ』のエンドロールで流れるこの名曲をChiminさんの歌声で聴いたことをずっと忘れることはないでしょう。

 

2026年3月27日金曜日

ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。

薄雲り。TOHOシネマズ錦糸町オリナス田口トモロヲ監督作品『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』を観ました。

Based on true events. ユーイチ(峯田和伸)は売れないカメラマン。東京で食い詰めて福島の農家を手伝っていた。養豚場の糞の搬出業務の休憩中にトランジスタラジオからSEX PISTOLSの "God Save The Queen" が流れるのを聴き雷に打たれたようになった。

そして再度上京。音楽雑誌の表3にミニコミ誌「ロッキンドール」の手書きの広告を見て購読料を現金書留で送ると、ぺらぺらの手書きコピーのリーフレットが届き、発行人サチ(吉岡里帆)のイラスト入りの手紙には、パンクバンドTOKAGEが渋谷屋根裏に出演すると記してあった。屋根裏の椅子席はまばらだったが、TOKAGEのフロントマンのモモ(若葉竜也)の鬼気迫るライブパフォーマンスとひとり立ち上がってふらふらと踊る少女、ライブハウスの妖しい熱気に今まで感じたことのない何かを見て、ユーイチは一心にシャッターを切る。

舞台は1978~1982年。インディーズという言葉もなかった時代に六本木S-KEN STUDIOのライブイベント『東京ロッカーズ』に集ったバンド、リザードFRICTION、次の世代のザ・スターリンZELDAなど、新しいロックを創造しようとした若者たちの青春群像劇をリアルタイムで当時の熱気を知る田口トモロヲ監督が撮った作品は、制作陣も俳優陣もオリジネーターたちへのラヴ&リスペクトに溢れた気持ちの良い映画です。上記の主人公3人以外にも、軋轢のDEEP(FRICTIONのレック)の間宮祥太郎、解剖室の未知ヲ(ザ・スターリンの遠藤ミチロウ)役の仲野太賀も大熱演。ロボトメイアのカヨコ(ZELDAのサヨコ)を演じた中島セナさんもよかったです。

僕的ハイライトは、自らレーベルを立ち上げ、第一弾となるTOKAGEのシングル盤がサチの実家の印刷屋に納品された深夜、モモの実家のレコード店 ROXY HOUSEまでシャッターの下りた商店街を爆笑&疾走するユーイチとサチ。吉岡里帆とじゃれ合いながら全力でダッシュしたらそりゃもう楽しかろうよ。

1979年、オムニバス盤『東京ロッカーズ』リリース時、僕は13歳。現代で言うところの厨二病をしっかり患っており、貸レコード屋でLP盤を借りてカセットにダビングして聴いていました。なかでも「最高にイカしたダンスバンド」FRICTIONは別格で1st『軋轢』は今聴いてもざわざわします(中学生にはパンク系のライブは敷居が高かったので、生演奏を聴いたのは恒松正敏脱退後の4人編成になってからです)。リザードは当時はそれほど推していなかったのですが「サ・カ・ナ」「ガイアナ」など映画を観ながら歌詞をなぞれる自分にびっくりしました。

十代の多感な時期に僕が最もライブに通ったのは、突然段ボールPerspective期のP-MODEL、20歳前後だとユーイチが映画の最後に立ち上げるTELEGRAPHレーベルから派生したヴェクセルバルクSADIE SADS有頂天筋肉少女帯、田口監督のばちかぶり、などナゴム系もよく観に行っていました。当時の新宿ロフトの市松模様の床が再現されていたのもアツかったです。