真っ暗な画面に鉄道の音が重なる。ローカル線の座席には、スマートフォンの画面を見る人が数名、教科書を読む高校生、漫画を読む人がひとり。午後の陽光が列車の床に車窓のかたちで差す。夏の田園風景は画面の奥にどんどん遠ざかっていく。
主人公加賀タケシ(大西利空)は居眠りをして一駅乗り越す。目的地に戻るために渡った新大森駅の反対側のホームで列車を待つ幼馴染のアカリ(伊礼姫奈)と8年ぶりに再会した。手から手にメモが手渡され、重なるナレーション。ナポレオン・ボナパルトについて数学者ポワンカレが語った偶然。
タケシは高校1年生。アカリはタケシを見晴らしいのいいカフェに誘い、火の玉を見た話をする。「見ようと思って見られるものじゃないの」「でも見ようと思わなければ見られないよね」。
米ハーバード大学を今年卒業したばかりの弱冠23歳、矢座孟之進監督の長編デビュー作は、高校1年生のときに両親が離婚した実体験に基づいた自伝的作品です。私小説に留まらなかったのは、映像と音声に対する感覚の鋭敏さが際立っているためだと思います。濱口竜介監督作品に多く参加している撮影監督北川喜雄氏と共に作り上げた画面は、隅々まで計算し尽くされた精妙な美しさで、適当に撮った画角がひとつもない。劇伴と生活音と無音が必然性を持って使い分けられています。
夫(足立智充)の小さなモラハラが積み重なり、母(楠麻里)の感情がある日決壊する。家族の幸福な記憶と空虚な現在を、靴や植物や水のモチーフを象徴的に使用して対比させる映画的技巧の確かさ。定期テストの返却、スーパーのレジ、鮭の遡上の教材、様々な素材に意味を持たせ、アカリを演じる伊礼姫奈さんを、ライティングとフォーカスを用いて、現実か幻影か判別不能な状態で且つ美しく存在させる。
「見たものは見たし、見ていないものは見ていない。見たけれど見えていないとか曖昧で確証のないものについては考えない」という母の台詞は、本作の主題の逆説か。アフタートークの「まず事実を書いた脚本(の長い初稿)から削るという恣意性のある行為にフィクション性がある」という矢座監督の言葉は目から鱗でした。
フランソワ・トリュフォーもジム・ジャームッシュも下積みを経験せずに監督デビューした。自叙伝を一通り撮り終えたあと、矢座監督がどんな作品を撮るのか、10年後、20年後を見届けられるように、僕も長生きしないと、と思います。







