2026年8月23日日曜日

恐怖分子 デジタルリマスター

処暑。Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下エドワード・ヤン(楊德昌)監督作品『恐怖分子 デジタルリマスター』を観ました。

明け方の薄青い街をパトカーが走っている。「眩しかった? 眠れない?」。シャオウェン(ホアン・チアチン)が『周郁芬自選集』を読んでいるベッドの傍らの壁には、隣で眠るシャオチャン(マー・シャオチュン)が撮影し大きく引き伸ばされたシャオウェンのポートレートが貼ってある。ベランダの下で銃声とサイレンが響き、白いシャツの男がうつ伏せに倒れている。

賭博場のガサ入れだった。シャオチャンは一眼レフを持って通りに降り、警官に制止されながらも一連の逮捕劇をカメラに収める。2階の窓から飛び降り、足を挫いたハーフの美少女シューアン(ワン・アン)が横断歩道を渡れず倒れるのも撮影し、彼女に強烈に惹かれた。

「それは春の最初の一日だった」。小説家のイーフェン(コラ・ミャオ)は執筆に行き詰っていた。夫のリーチュン(リー・リーチュン)は野心的な勤務医。失踪した妻の捜索を幼馴染のクー警部補(クー・パオミン)に依頼するが、イーフェンは元彼シェン(チン・スーチェ)と浮気していた。

恐怖分子』は、エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』『台北ストーリー』に続く長編第三作、1986年に公開されました。レトロモダンで幾何学的な病院やオフィスと、湿って猥雑な路地裏が、計算し尽くされた構築美とカメラワークで描かれています。ガラスや鏡を利用した光の美しさや風の描写はヤン監督の得意とするところで、大病院の西日で逆光のカンファレンスルームやリマスター版のポスター予告編にフィーチャーされているシューアンの壁面コラージュが風に揺れるシーンなどはうっとり見惚れてしまいます。

同じ台北でばらばらに存在していた3組の男女が、一本のイタズラ電話から絡まり合って、カタストロフに至るプロットの構成も天才的。二通りの結末が順番に提示されますが、観客が迷うことはないと思います。同監督作品中随一の陰鬱さでありながら、映画にとって美とは何か、と強く問いかけ、深く記憶に刻まれる一本です。

医長の座を後輩に奪われ失意のリーフェンが彷徨う台北の街角の背景に深作欣二監督、薬師丸ひろ子主演の角川映画『新・里見八犬伝』(1983)の巨大な看板画が描かれています。


2026年8月16日日曜日

ハワの手習い

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町ナジーバ・ヌーリ監督作品『ハワの手習い』を観ました。

2021年秋、シャルル・ド・ゴール空港に着陸する機窓の田園風景から映画は始まる。本作の監督ナジーバ・ヌーリがアフガニスタンからフランスに亡命した。

時は遡り、2019年アフガニスタンの首都カーブル。ヌーリ監督の母親ハワが洗濯したペルシャ織のラグを手で絞り、パンをこねる。ハワが13歳のときに結婚した(させられた)30歳年上の夫は認知症になり、ハワが介護している。郊外の小綺麗な一戸建に家具は少なく、床に座って生活するため、居住空間が大きく感じられる。

男4女2の子育てを終えたハワは、伝統工芸のハザーラ刺繍と裁縫の腕を活かし、商売を始めようと考え、バーミヤンのクラフトバザールやポレソフタの市場に作品を卸すことを始める。親に教育を受けさせてもらえなかったハワは、カーブルの書店で小学生向けの教科書を買い求め、読み書きの勉強を始め、美容院で白髪を染めた。

50代で自分の人生を自ら切り開く決意をした母親の姿を捉えるカメラは希望の輝きに満ちている。離婚した娘の元夫の暴力に耐え兼ね家出した孫娘ザハラーを匿い、新たに購入したホワイトボードで文字を教わる。学びの日々は2021年8月末の米軍撤退とタリバンの政権復帰により強制終了させられます。

女性ジャーナリストであるナジーバ監督は生命の危険に晒されフランスに亡命。それが冒頭シーン。文字を覚えたハワと手紙のやりとりをする。カメラはナジーバの兄アリーに引き継がれるが、公道で母親を撮影しているところをタリバンに見咎められて殴られ、カメラはアスファルトに叩きつけられる。

2019~2024年にアフガニスタンで撮影されたドキュメンタリーフィルムは、前半と後半でまったく異なる様相を示します。女性の就業を禁じ、女子学校を閉鎖したタリバンの非人道性とそれを妨げられない国際社会に上映中は憤りを禁じ得えませんでした。

ただ冷静になると、タリバンの支持層というものがアフガニスタン国内には存在するのだという考えに至りました。貧困で充分な教育を受ける機会に恵まれず、伝統的家族観(家父長制)を信奉し、女性は家庭にいるのが幸福、という思想を持つ人々が、タリバンの示す秩序こそ国家の安定につながると考えることは(僕は共感はできませんが)想像はできます。

もうひとつ、主な被写体であるヌーリ家は、アフガニスタン国内の少数民族であるハザーラ人で、ダリー語を話し、イスラム教シーア派を信仰しています。タリバン含む多数派のパシュトゥーン人はスンニ派、顔立ちも言語も異なり、ハザーラ人を清掃業や屠畜業に従事させ、差別してきた歴史がある。そのこともこの映画を通じて知りました。

 

2026年8月14日金曜日

左利きの少女

夏日。ヒューマントラストシネマ有楽町ツォウ・シーチン監督作品『左利きの少女』を観ました。

シネスコサイズの画面いっぱいに映し出されるカレイドスコープ。高架橋を渡る軽トラの助手席で万華鏡を除く5歳のイージン(ニーナ・イエ)は、母シューフェン(ジャネル・ツァイ)、長女イーアン(マー・シーユエン)と共に台北に帰ってきた。

シューフェンは通化街夜市の一角を借りて麺店を出し、イージンを四維幼稚園に入れる。イーアンは、原付でイージンの送り迎えをしながら、怪しい檳榔西施のアルバイトを始める。仕事で疲れて眠っているシューフェンの枕元の電話が鳴る。借金を残して失踪した夫が末期ガンで入院している病院を見舞うと、人工呼吸器につながれて話のできない状態だった。

幼いイージンは、保守的な祖父(アキオ・チェン)に左利きであることを咎められ「悪魔の手」と言われ気に病むが、やがて自身の左手を自身とは別人格として捉える。夜市でアクセサリーやぬいぐるみを左手で万引きするが、盗んだのは自分ではなく悪魔だと思い込むが、そのおかげで祖母の窮地を救ったりもする。

長く米国でインディーズ映画のプロデューサーを務め、オスカーとパルムドールをW受賞した『ANORA』のショーン・ベイカー監督と20年以上タッグを組んできたツォウ・シーチンの初監督作品です。ツォウ監督自身が台北出身(現在はアメリカ国籍)、左利きとのこと。本作の共同脚本、編集をベイカー監督が担っています。

生活に疲れ切ったシングルマザー、高校では学年TOP3の成績でビジュも女神だったが父親の失踪で人生詰んでやさぐれた娘、天真爛漫で狡さも併せ持つ少女という3人のメインキャストが、リアルな湿度感を伴い魅力的に描かれています。

父親を見舞って罵倒したイーアンに「もし今日のことをママに言ったらクレヨンを捨てるからね」と脅され瞼いっぱいに涙を溜めるイージンの愛くるしさ。2016年生まれのニーナ・イエは台湾の人気子役ということですが、芝居っぽさのない自然な表情を引き出したツォウ監督の演出の力もあると思います。

全編iPhoneによる撮影で、イージンの目線の低さで極彩色の夜市を駆け巡り、人物のクローズアップも通常のカメラより近くで撮れるため、微細な表情の変化だけでなく、肌の質感や息遣いまで伝わり、親密な感触の映像にすることに成功しています。画質も遜色ないですが、三姉妹と母親のアフタヌーンティと高級海鮮料理店における還暦祝いのシーンだけ若干解像度が落ちる気がしました。

本作は長姉イーアンの成長譚でもあります。ハイティーンという設定で超スレンダーボディにピンク・フロイドのホルターネックマー・シーユエンはモデル出身なのかな。右上腕に2行の英文タトゥーは自前のようです。檳榔西施の後輩シャオピン(リズ・チェン)もかわいい。夜市の麺店の隣で怪しげな便利グッズを実演販売するジョニー(フランキー・ホァン)が心底いいやつで全力で応援したくなりました。

 

2026年8月2日日曜日

気狂いピエロ 2Kレストア版

猛暑日。シネスイッチ銀座ジャン=リュック・ゴダール監督作品『気狂いピエロ 2Kレストア版』を観ました。

真っ黒な画面に赤い「A」の文字が9つ。「B」「C」がひとつずつ、5つの「D」が加わり、2つの「E」はブルー。そして「JEAN PAUL BELMONDE/ET/ANNA KARINA/DANS/PIERROT LE FOU/UN FILM DE/JEAN LUC GODARD」が浮かび上がるクールなタイトルバックに重なる画家ベラスケスの評伝のナレーション。眩しい陽光に照らされたテニスコート。

泡の立ったバスタブに横たわり、傍らに幼い娘を呼び寄せ、フェルディナン・グリフォン(ジャン=ポール・ベルモンド)が『美術史』のベラスケスのページを読み聞かせる。スペイン語講師のフェルディナンドはテレビの仕事を辞め失業中。裕福なイタリア人のマリア(グラッツィエラ・ガルバーニ)と共にパーティに出席するために雇ったシッターはフェルディナンの元恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)だった。

パーティでは、男たちは自動車について、女たちはデオドラントについて、空虚な会話をひたすた繰り広げている。現実には未完となった『悪の華』の撮影を控えた米国人監督サミュエル・フラー(本人)とボードレールについて(通訳付きで)話を交わすが、退屈してひとりで先に帰宅し、マリアンヌを送って一夜を共にした翌朝、夥しい銃器が置かれ、OAS(極右秘密軍事組織)と壁に殴り書きされた彼女の部屋には刺殺された男の死体があった。

ゴダール監督作品で最も知られた今作は、1960年の長編デビュー作『勝手にしやがれ』から数えて10作目、1965年に公開されています。気難しい巨匠のイメージに反して生涯で50本近い映画を監督し、1970年頃までは年2本ペースで量産している。

パリからニースへ、盗んだ車を乗り換えながら破滅に向かう無軌道な逃避行、という筋立ては単純ながら、出典が明示されるものもされないものも次から次へと繰り出される過去の映画、文芸、美術などの引用、突然のミュージカルシーン、珍奇な劇中劇、時系列の不自然な編集などから難解な印象が強い。ガソリンを入れる金も尽き、スタンドの店員を殺してしまうほど困窮してもなお、シーン毎に洒落た衣装に着替える主人公ふたり。

青と赤を基調とした鮮烈な色調の中で、映画にとって、あるいはフィクションにとってリアリティとは何か? と繰り返し問い掛けられているような作品です。『007』シリーズや『ネヴァーエンディングストーリー』を愛好していた十代の僕にとって、全く経験の無い未知の方向からやってきた『気狂いピエロ』は、「わからない、でも、だからこそ知りたい」という妖しい魅力を放ち、「ストーリーはメッセージや教訓や感動や恐怖の伝達に全振りすべきで、その基盤にはリアリティが必要だ」という多数派の価値観がすべてではない、と教えてくれた作品でした。

ちなみに、ヌーヴェルヴァーグの作品群で一番好きだったのは、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962)、最も衝撃を受けたのはテレ東の大晦日深夜枠で観たアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)で、僕が観た1980年代には既に古典的名作でした。1960年代は2020年代の60年前。1980年代から見た60年前、1920年代の映画といえば『カリガリ博士』や『メトロポリス』などの無声映画。今回リマスター版で『気狂いピエロ』を観た10~20代の受け取り方が気になるところです。

 

2026年7月30日木曜日

勝手にしやがれ 4Kレストア版

ゲリラ豪雨。シネスイッチ銀座ジャン=リュック・ゴダール監督作品『勝手にしやがれ 4Kレストア版』を観ました。

「B級映画社モノグラム・ピクチャーズに捧ぐ」。主人公ミシェル・ポワカール(ジャン=ポール・ベルモンド)は、高級車を盗んで転売することで生計を立てている。マルセイユで盗んだアルファロメオをパリに運ぶ田舎道で、検問を強行突破してオートバイの警官に追われ、グラブコンパートメントに見つけたリボルバーで警官を射殺して逃げる。

「俺はバカだ。だからやらなくちゃならない」。パリに帰ったミシェルはセフレのリリアン(リリアン・ダヴィッド)のアパルトマンを訪ね、仕事に向かうリリアンが着替えているあいだに財布から金をくすね、キオスクで新聞を買って、馴染みのカフェでビールを飲む。南仏で知り合ったジャーナリスト志望の新聞売りアルバイトのアメリカ人パトリシア・フランキーニ(ジーン・セバーグ)と再会し、行動を共にする。

1960年に公開されたゴダール監督の長編第一作が、リチャード・リンクレイター監督の『ヌーヴェルヴァーグ』の公開に合わせて再上映されています。2020年に60周年記念でオリジナルネガから4Kレストアされたモノクロ映像とサウンドトラックは細部までクリアで、40年前にVHSで観たときとは比べものにならないです。当時は革命的だった路上のゲリラ撮影もジャンプカットも第四の壁も現在では見慣れた表現手法になりましたが、野心溢れる映画作りの疾走感は2026年の目で見ても際立ちます。

アメリカのハードボイルド映画を原型にしているものの、衣装や音楽のチープシックな雰囲気はフランスならでは。ポワカールが(そしてラストシーンではパトリシアが)親指で唇を拭うアクションは『マルタの鷹』のハンフリー・ボガートを真似ていますが、本家はそこまで頻繁にはしていないので、『ヌーヴェルヴァーグ』でオーブリー・デュランがくどいほどベルモンドの顔真似をするのはオマージュなんですね。

警官殺しで指名手配されても呑気なポワカールのチェーンスモーカーぶりは、現代の目で見ると常軌を逸した依存で、腰を撃たれてよろけながら走っても煙草を吸い続ける。やたら新聞を買うのもスマホ依存(=情報依存)が重なります。

そしてなにより、ジーン・セバーグの輝きが半端ない。このとき20歳。セシルカット(髪型)は前出演作『悲しみよこんにちは』の役名から来ていますが、ベリーショートの金髪でNew York Herald Tribune 紙のロゴTシャツやクリスチャン・ディオールボーダーワンピースを小粋に着こなします。細過ぎないのがいい。

ハードボイルドや西部劇、フォークナー野生の棕櫚』(悲しみと虚無しかないのなら悲しみを選ぶ)、ディラン・トマスの『仔犬のような芸術家の肖像』、モーツァルトクラリネット協奏曲。サンプリングカルチャーは日本においては、高橋源一郎を通過して、渋谷系に結実した。

トリュフォーの『大人は判ってくれない』と並びヌーヴェルヴァーグの誕生を告げた『勝手にしやがれ』は邦題のセンスが異次元。当時の配給会社の宣伝担当者に心より喝采を贈りたいです。原題 "À Bout De Souffle" を直訳すると「息切れして」、英題は "Breathless" 。ポワカールが運転しながら観客に向かって「海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ」というシーンがあります。蛇足ながら『大人は判ってくれない』の原題 "Les Quatre Cents Coups" は「400発の打撃」(The 400 Blows) です。

 

2026年7月28日火曜日

mue ワンマンライブ

夕立ち。吉祥寺MANDA-LA2にてmueさんワンマンライブでした。

「雨の日はいいことがある/こだわりを捨てて」と最近恒例になりつつある鼻歌から始まったライブは3/4拍子の「午後の雨」、そして5/8拍子の「夏空」へと続く。緑茶色のリネンのワンピースのmueさんが今回はひとり。ガットギターの弾き語りです。

会場の外、吉祥寺は熱帯夜。タイからラオスへ小舟で渡り、インドへ「正しいトゥクトゥクドライバーの選び方」。アントニオ・カルロス・ジョビンの "Vivo Sonhando" (夢を見ながら生きる)。「夏なんです」では昭和の日本のカントリーサイドへ。世界各地の夏の光景をめまぐるしく巡りました。

4月11日の周年ライブで宣言した毎月ワンマン実行して、季節の微妙な移ろいを音楽に乗せて届けてくれるのは、とてもうれしいことです。

それに加えて今はmueさんのコンディションが僕の知る限り過去一良好。ギターもピアノもブライトで抜けがよく、歌声は全音域、全声量が艶やか。成熟とフレッシュネス、パッションとチルが絶妙にバランスしているのは、コンスタントなアウトプットが良い方向に作用しているのだと思います。迷走するMCはリピーターにとっては既に風物詩ですが、演奏に入ったときの確信に満ちた音楽の輝き、そのギャップに心を掴まれます。

流麗な美メロの「ひとりでいられる」、初期の名曲「はっぴいえんどのそのあと」が聴けたし、超高速ビートルズメドレーで賑やかに締めて、マイフェイバリットmueナンバーのひとつ「気の向くままへ」のアンコールもうれしかったです。

今回最大の個人的発見は、Tracy Chapmanの "Talkin' Bout A Revolution" です。今年4月に刊行した僕の新詩集『fragments』の冒頭詩「永遠の翌日」は「革命の話をしよう」で閉じます。この詩を書いたとき、松本隆の『風のくわるてっと』とジャン=ジャック・ルソーの『エミール』は念頭にあったものの、1988年のこの曲のことはすっかり忘れていました。忘れていても潜在意識の中には確かに存在していた。そのことを強く引き出してくれる音楽の力を、mueさんのピッコロのように軽やかな口笛の間奏を聴きながら、思わずにはいられませんでした。

 

2026年7月14日火曜日

海辺の一日 4K

猛暑日。角川シネマ有楽町エドワード・ヤン(楊德昌)監督作品『海辺の一日 4K』を観ました。

波の音。朝日の逆光に6人のシルエットが浮かび上がる。場面は転じて佳莉(シルヴィア・チャン)の部屋、ベッドサイドのデジタル表示は11:44を指している。ラジオからベートーヴェンのピアノ協奏曲。ウィーンを拠点に欧州で活躍するピアニスト蔚青(フー・インモン)が13年ぶりに帰国し台北で演奏し、明日は日本公演だという。

調律を確認する蔚青にオーストリア人のマネジャーが佳莉のメッセージを伝える。蔚青は対談をキャンセルし、佳莉とホテルのラウンジで会う。佳莉は、蔚青と13年前に別れた恋人佳森(ミンシ・アン・ツォー)の妹である。

佳莉が語り始める空白の13年間の物語。佳森は蔚青と別れ、開業医である兄妹の父親(ナン・チュン)の勧める相手と結婚して家業を継いだ。医者の息子との縁談を持ちかけられた佳莉は大雨の夜に家出し、同級生の徳偉(デビッド・マオ)と台北の安アパートで暮らし始める。徳偉が勤務する不動産投資ファンドは成功し、暮らし向きは飛躍的に向上したが、夫婦関係はぎくしゃくしている。

1980年代の台湾ニューシネマを代表するエドワード・ヤン監督の長編第一作は日本では今回が劇場初公開です。60年代の仏ヌーヴェルヴァーグ、70年代の米ニューシネマにも共通するパッションは、商業映画とは一線を画したリアルな手触りをフィルムに活着させること。

監督デビュー作としては異例の2時間47分という長尺がまったくダレないのは、過去の話の中で更に過去を回想する三重構造を見事に提示してみせた監督の力量はもちろんですが、同じく撮影監督デビューとなった豪州出身のクリストファー・ドイルの画面構成、色彩感覚、動体捕捉力によるものが大きいです。全カットがクールで危うい均衡を保っている。このあと香港に拠点を移し、ウォン・カーウァイ監督作品に画期的なカメラワークで貢献し、世界的にブレークします。『欲望の翼』のスローモーションや『天使の涙』の広角レンズには衝撃を受け、心底痺れました。

本作でも、徳偉が荒々しく運転するメルセデスベンツのカーチェイスは終始運転手目線という斬新なもの。「時間の力は絶対だ。恐ろしいほどに」と、病室の徳偉が最期の力を振り絞って、シーツやベッドのフレームやステンレスの什器をなぞる指先のクローズアップの残酷なまでの美しさ。

回想シーンの冒頭でまだ高校生だった佳莉が着ている緑色の制服は『ヤンヤン 夏の想い出』や『ひとつの机、ふたつの制服』でヒロインたちが通う名門、台北市立第一女子高級中学のもの。早世したヤン監督の長編映画は全7作。『海辺の一日』(1983)『牯嶺街少年殺人事件』(1991)『台北ストーリー』(1985)『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)を観たので、残り3本でコンプリートです。