2025年7月2日水曜日

Chimin TRIO

熱帯夜。吉祥寺Stringで開催されたChiminさんのライブに伺いました。

加藤エレナさんのピアノと井上 "JUJU" ヒロシさんのテナーサックスによるインスト曲 Carla Bleyの "Lawns" で始まったライブ。テナーとピアノの右手のユニゾンがしっとりと夜露を含んだ柔らかな芝生を描写する。5月に高円寺Yummyでも聴いた佳曲です。

グレーのシアサッカー地のジャンプスーツ姿のChiminさんが加わり、ロマンティックなピアノのイントロに導かれミドルテンポのサンバ「残る人」、JUJUさんがストリング・ビーズと小ぶりなマラカスでリズムを刻む。

「夏の日に作った曲を歌います」というMCからの「シンキロウ」は、ちょうど今咲いているノウゼンカズラの色彩が鮮やか。「死んだ男の残したものは」のカバーで前半は終わりました。

後半もピアノとテナーサックスのインストセッションから、夏曲「チョコレート」へ。同じくEP盤『流れる』収録の「sakanagumo」へ。初期の3枚と名盤『住処』の間に位置するターニングポイントとなった小品は、このあとレトリカルに抽象性を高めていく歌詞とソウルフルで多彩な歌唱が拮抗する手前で、海底の真珠のように控えめに輝いている。

そしてこのメンバーでは初めて演奏するという「たどりつこう」は2004年の1stアルバム『ゆるゆるり』から。「不安だとかぬけだせない夜だとか/まざりながらまた朝は来るから」という19歳で書いた歌詞が6年後に「sakanagumo」で「悲しい涙があふれる/夜があっても無くても」と変奏されるとき、その「無くても」という文節の存在にソングライターとしてのジャンプアップを感じるのです。

先週の『うたものがたり』に続いてChiminさんのコンディションがとても良く、且つ、セットリストの重複がないリピーターにはうれしい構成で、『うたものがたり』の7曲と今回の12曲とアンコール「呼吸する森」まで、全20曲のステージとして心から堪能できました。

「音楽に救われた」とはよく聞く言説ですが、そもそも救いを求めるような窮地を経験していないので、実感として僕はよくわかりません。それでもChiminさんの音楽を聴くといつも感じる美しさや心地良さは、仮に僕が窮地に立っていたのなら「救い」と思うものかもしれないです。

 

2025年6月24日火曜日

うたものがたり

熱帯夜。地下鉄を乗り継いで。門前仲町chaabeeで開催されたライブ『うたものがたり』に行きました。

ピアニストで世界100ヶ国以上の音楽を演奏しているワールドミュージッカー岡野勇仁さんの企画で不定期に開催しているシリーズに今回はChiminさんEri Liaoさんがご出演されました。

1曲目の「すべて」は、EP『流れる』のスローバージョン。裸足のChiminさんはギター弾き語りで、chaabeeの真っ白な壁を背景に澄んだ歌声がゆったりと響きます。続く「目と目」を聴くのは11年前の Poemusica Vol.26 以来か。今回MCで初めて作曲した歌と聞き、完成度の高さに驚愕しました。

Chiminさんは大阪生まれの在日コリアン3世、Eri Liaoさんは台日ハーフ、というセットを意識してか「海が好き」「ホロアリラン」のハングル楽曲のカバーを挟み、岡野さんとデュオの2曲、計7曲を歌いました。「」に岡野さんが付けたエレピのオブリガートが可憐で、スーパースローな「時間の意図」の和声は加藤エレナさんのクリスプなピアノプレイとはまた異なり楽曲にアトモスフェリックな広がりを添えています。

Chiminさんのコンディションも抜群で、歌声は陰影が更に深く、透き通るファルセットは伸びやか、Martinギターのブライトで繊細な音色も相俟って、初めて聴くみなさんの気持ちもしっかり掴んでいました。

Eri Liaoさんは岡野さんのエレピとデュオで。フォスターの「金髪のジェニー」北京語訳、常磐炭坑節、台湾の歌姫テレサ・テンのカバー、ゴスペルと幅広い楽曲群をアジア的な発声で次々に歌い継ぎます。博覧強記な岡野さんとのトークも楽しい。

台湾先住少数民族のタイヤル族がルーツのEri Liaoさんが操る咽喉声は、同じく台湾先住の海洋民アミ族の歌詞のないコール&レスポンスで構成された伝統曲のスキャットで、chaabeeの古いガラス戸を震わせて強烈な印象を残しました。「情熱傾けて取り組んでみよう」というカオリーニョ藤原さんの「人生の花」のカバーの突き抜けた明るさが眩しい。

会場のchaabeeさんは、2019年春に『同行二人 #卯月ノ朝』でお世話になったお店です。二階が住居スペースの町工場をリノベーションしたヴィンテージ物件は音響が素晴らしく、心地良く音楽に集中することができました。オーナーの藤田ミミさんにも久々にご挨拶できてよかったです。

 

2025年6月22日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

夏至翌日の熱帯夜。二週続けて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』猫の日、mandimimiさんの回にお邪魔しました。

1曲目は "Tell Me If"。「水色の言葉たち/アスファルトに映る/紫の濡れた土/来年の再会を待っている」。昨年完成した12か月の花言葉をテーマにした歌曲集 "FLOWER SPELLS" 収録の6月の花、紫陽花の歌から始まりました。

続いて "Par Avion" "Morning Message" "A Vermillion Sky" の3曲。いずれもヴァーミリオン色が基調となっています。空の色の時間帯的には日本語の茜色に近いですが、黄味がかった茜色に対して、微かに青味が混じるヴァーミリオン。そして「青い森/星の輝き」と歌う "Forever Forest" へと連なる色彩のグラデーション。

尾崎豊の "I Love You" はmandimimiさんが歌うと二匹の子猫の歌に聞こえる。セカンドヴァースのリハーモナイズにより、原曲の持つパトスやセンシュアルなトーンが濾過されて、優しさだけが残ります。

淡いタッチのピアノは控えめな音量で、柔らかな歌声とともに空間を満たす。その感触はとてもパーソナルで、実際には複数のオーディエンスが耳をそばだてているにも関わらず、ひとりひとり個別に対面して語りかけてもらっているような親密さがあります。

煮込みハンバーグがメイン料理のノラバー御膳は、月替わりのメニューのため先週と同じ献立ですが、続けて食べても食べ飽きることがないのは、丁寧な手作業に向き合う我々も感覚を研ぎ澄まして味わうので、新たな発見があるからだと思います。

mandimimiさんが6月13日の明け方に見た夢を題材にした新曲 "Dinner Table" と4曲のカバー曲で構成されたデザートミュージックもドリーミィなララバイで、先週の自分のライブの疲れからか凝り固まった肩と首筋、そこから派生した鈍い頭痛も気づけばすっかり治っていました。

 

2025年6月16日月曜日

リライト

真夏日。松居大悟監督作品『リライト』を観ました。

主人公大槻美雪(池田エライザ)は県立塩戸田高校の3年生。一学期後半に転校してきた園田保彦(阿達慶)と付き合い始めるが、未来に帰ると保彦に言われ20日後に別れる。保彦は美雪が書いた小説を読んで300年後の未来から来たと言う。美雪はその小説を書くことを約束し、保彦から受け取った錠剤を飲んで10年後の自分に会いに行き、小説を書くように説得する。

10年後、小説家になり結婚した美雪がやっと書き上げた『少女は時を駆ける』の出版は難航している。実家に帰り、10年前の自分が訪ねてくるのを待つが現れない。小さな街なので美雪の帰省の噂はすぐに広まり、同級生たちが連絡してくる。クラスの世話焼き役だった茂(倉悠貴)は同窓会を企画し、事故死したムードメーカー室井(前田旺志郎)以外の33名全員を集めようと奔走していた。

タイプリープものといえばのヨーロッパ企画上田誠が脚本を書き、監督は『ちょっと思い出しただけ』の松居大悟。原作の舞台は静岡ですが、映画は尾道。主人公の母親役に『ふたり』の石田ひかり、高校の担任教師に尾美としのり。天寧寺、御袖天満宮の石段、ラベンダーの香り、故大林宜彦監督尾道三部作へのオマージュ作品となっています。

機能不全家族で育ったコミュ障の文学少女友恵を演じる橋本愛は別格の存在感だが、久保田紗友山谷花純大関れいか森田想前田旺志郎ら若手巧者のなかで映画初出演の阿達慶(ジュニア)の棒芝居が逆に未来人らしくて絶妙。男子生徒役では倉悠貴の可愛さが際立っています。

池田エライザはお人形のような愛くるしい顔立ちで軽めの作品に起用されることが多い印象でしたが、『古見さんは、コミュ症です。』『海に眠るダイヤモンド』『舟を編む』など、近年は役の幅を広げており、NHKの歌番組で見せた松田聖子の「Sweet Memories」のフライングVの弾き語りも様になっていました。深夜の尾道のアーケード街を大人になった同級生たちと歩く姿は美雪の鬱屈を自然に表現していて格好良いです。

 

2025年6月15日日曜日

ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック

雨上がり。高田馬場で乗り換えて西武柳沢へ。『ノラバー日曜生うたコンサート&デザートミュージック』に出演しました。

翌日6月16日は60歳の誕生日。というわけで、還暦前夜祭にお集まりいただいた満員のお客様、インスタライブを視聴していただいた全世界のお茶の間の皆様、ノラバー店主ノラオンナさん、アルバイトのインコ梨ちゃん2号さん、どうもありがとうございました。おかげさまでいい時間を過ごすことができました。

 1. 言葉と行為のあいだには(長田弘
 2. 死  あるいは詩(那珂太郎
 3.
10. ボイジャー計画
12. 観覧車 
13. 水玉
14. 花柄

60分の本編は上記15篇で構成しました。僕が生まれた1965年に出版された詩集、長田弘の『われら新鮮な旅人』と那珂太郎の『音楽』から1篇ずつ。主題に共通点があり、且つ両者とも音韻が緻密に練り上げられており美しい。詩の朗読を聴くという行為は、つい言葉の意味を追いかけることをがんばりがちですが、声と音を味わうものでもあると思います。雨期や夏至を舞台にした4篇、詩集『新しい市街地』、『ultramarine』掲載の連作詩作品を聴いていただきました。

今回ご来場のお土産に制作した『カワグチタケシ映画レビュー選集vol.1』には、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでソングライターだったブライアン・ウィルソンが主役の作品が2本入っています。製本が終わった数日後に82歳で逝去の報が届いたため、以前翻訳したザ・ビーチ・ボーイズの1966年の歴史的名盤『ペット・サウンズ』収録の "God Only Knows"(邦題:神のみぞ知る)の歌詞を朗読しました。

夏のノラバー御膳といえば、とうもろこしごはん、トマト山かけ。定番のきんぴらごぼう、ポテトサラダ、大根油あげ巻、かぶの一夜漬け、メインは煮込みハンバーグ。デザートに固めのノラバープリンと滋味深いノラブレンドコーヒー。お客様も演者もみんなでおいしくいただきながら、見知った仲もはじめての方同士も会話が弾みます。

そして30分間のインスタグラム配信ライブでは以下5篇を朗読しました。

2. オランピア Edith Piaf
3. 日傘をさす女 Amy Winehouse
4. 星月夜 Syndi Lauperに(新作)

還暦のお祝いに集まっていただく皆様に失礼のないように、普段なかなか着ない赤い服をと思って、フードつきのフィッシングベストを用意しました。中のTシャツは10年近く前に下北沢で購入して袖を通していなかったザ・ビーチ・ボーイズの『スマイル』(1967)をおろしました。

十代で詩を書き始めたときにはこんなにも長生きして詩を書き続け人前で朗読をしているビジョンは持っていませんでした。40歳を過ぎたあたりから「あと10年はできるかな」と思い始め、それを毎年更新している感があります。これからフィジカル面は衰退していくでしょう。それでも書きたい詩がある限り、読者やオーディエンスが存在する限り、続けていくんだろうな、とあらためて思いました。しばしお付き合いいただけますと幸いでございます。

 

2025年6月7日土曜日

秋が来るとき

夏日。TOHOシネマズ シャンテにてフランソワ・オゾン監督作品『秋が来るとき』を観ました。

教会の鐘の音。石段を上るハイヒールの靴音。祭壇ではハスキーボイスのアフリカ系神父が福音書のマグダラのマリアをめぐるイエスとパリサイ人の対話を唱えている。

ミシェル(エレーヌ・バンサン)はブルゴーニュの村の家庭菜園で人参を収穫する。雨が降り出したので部屋に戻り料理を始めると、パリに住む一人娘のヴァレリー(リュディビーヌ・サニエ)から電話。秋の休暇に孫のルカ(ガーラン・エルロス)を連れて車で帰ってくると言う。ミシェルは近所に住む旧友マリー=クロード(ジョジアーヌ・バラスコ)を収監されている息子ヴァンサン(ピエール・ロタン)の面会に連れて行き、ふたりは雨上がりの森へきのこ狩りに出かける。

田舎暮らしで充実した老後を過ごす親友同士の丁寧な暮らしを描いたほっこり系のヒューマンドラマかと思いきや、そこはオゾン監督。ゆったりとした時間の流れのそこここに不穏な空気を滲ませます。サスペンスでもあり、ホラー味もあり、総じてコメディでもある。緊張の途切れない物語になっています。

ミシェルとマリー=クロードの過去の職業から派生する母子間のわだかまり。パリでキャリアを積んでいるヴァレリーはミシェルに対していつも苛立っているのに対して、田舎の失敗者であるヴァンサンは鷹揚で母想いという皮肉。いくつかの不運と不幸な出来事が描かれますが、医師も警官も「よくある話です」で済ませてしまう。

「良かれと思ってしたことが裏目に出てしまう」と嘆くミシェルを「良かれと思うことが大事なの」と励ますマリー=クロードの優しさが染みます。

すべてうまくいきますように』(2021)『私がやりました』(2023)に続く本作も、あえて伏線を回収せずに余韻を残すフランス映画の伝統を踏まえつつ、新鮮なテイストを加える57歳のオゾン監督の円熟した手管が冴える一本です。

 

2025年6月4日水曜日

か「」く「」し「」ご「」と「

天安門事件から36年。ユナイテッドシネマ豊洲中川駿監督作品『か「」く「」し「」ご「」と「』を観ました。

「ただのクラスメイトでよかった。好きでも嫌いでもない、そんな男子のひとりでよかった」新潟県立清鈴高校2年3組大塚京(奥平大兼)のモノローグで映画は始まる。古文の授業の教材は『宇治拾遺物語』。教師が「いと」と「いみじ」の違いを問うとクラスメートの頭上に「?」が浮かぶ。挙手する三木(出口夏希)の頭上に、京には「!」が見える。

ミッキーと呼ばれる三木はいつもクラスの中心にいる明るい性格で裏表のない美人。地味で自信のない京はミッキーがシャンプーを変えたことに気づくが、言い出せないのは、隣席の宮里さん(早瀬憩)に同じことを言って以来、不登校が続いているからだ。

「私、ひとの心はこじ開けるもんだと思っているから」。休日、ショッピングモールのCDショップの前で京と偶然出会ったミッキーは京を非常階段に連れ込む。ミッキーに執拗に問われ、遂に「シャンプー変えたよね」と答える京にミッキーは、京が宮里さんを嫌っていないと確認するためにシャンプーを変えたと言う。ミッキーには人の左胸に+-を示す天秤が見えている。

エル(=宮里さん)は再び登校するようになり、京、ミッキー、エルに京の親友ヅカ(佐野晶哉)とミッキーの親友パラ(菊池日菜子)を加えた5人はいつもつるむようになる。

令和の青春群像劇のマスターピースの誕生。夏服のポロシャツの水色や修学旅行で訪れる水族館の水槽の青。悪意を持つキャラクターが登場しない、あえて解像度を落とした淡い色調の画面に、演劇祭のあとの体育館に差し込む蜂蜜色の西日が高校生たちをやさしく照らす。

5つのチャプターの語り手を、京→ミッキー→パラ→ヅカ→エルと交代で受け持ち、パラは他人の鼓動が数字で見え、ヅカは喜怒哀楽をトランプの絵柄で、エルには感情の向きが矢印で見えることが語られ、期末テスト、演劇祭、修学旅行、受験勉強という定番アイテムに多面的な光を当てるが、誰もが自分の気持ちに気づけないという思春期のもどかしさ。僕は詩人なので、5人の特殊能力は、好むと好まざると他人の気持ちに左右されてしまう、繊細さの隠喩として捉えました。カラフルな記号化とポップな効果音は映画的リアリティの表現手法。

演劇祭のヒーローショーのラストシーンで台詞が飛んだ主役のミッキーを救う「ごめんなさい、私たちは演技をしていました」というパラのアドリブ、修学旅行中に寝不足で倒れたパラを気遣いながら本音をぶつけ合うヅカと応えるパラの大粒の涙。出口夏希さんの圧倒的主人公感に対する菊池日菜子さんのサブカルこじらせ女子感に十代の僕なら惹かれてしまったに違いない。

自己肯定感の低いエルの抑制された演技で、派手さのあるミッキーとパラに負けない強い印象を残した早瀬憩さんのポテンシャルは『違国日記』より更に輝きを増している。伊東蒼さん伊礼姫奈さん當真あみさん(左利き)ら同世代と切磋琢磨して、日本映画界に欠かせない存在になっていくのだろうと思います。