漆黒の画面に小鳥のさえずり。石造りの明るい中庭で制服の少女たちが生まれたばかりで母猫の乳を飲む子猫たちを見つける。嬌声を聞きつけた院長(ファブリツィア・サッキ)は子猫を麻袋に詰め込み、少女たちが懇願するのを一顧だにせず、運河に投げ捨てる。
1716年のヴェネチア共和国。ピエタ養育院は、孤児に専門教育を施した楽団の演奏で収入を得ていた。ライバルのデレリッティ慈善院の楽団の評価が高まり、貴族や豪商の寄付が流れていることに危機感を持った院長は、ピエタ院から独立したものの有力なパトロンを得られず食い詰めていたアントニオ・ヴィヴァルディ(ミケーレ・リオンディーノ)を楽長として呼び戻す。出生直後に捨てられピエタ養育院で育ったチェリチア(テクラ・インソリア)にヴァイオリンの才能を見出し、首席奏者に抜擢する。
中世の暗黒期は脱していたとはいえ、バロック時代の欧州における女性の不自由さをあらためて痛感させられます。孤児たちが教会で演奏する際は祭壇の裏の格子の奥、演奏会で人前に出るときは仮面を着けなくてはならない。職業選択の自由はなく、海を埋め立てた都市国家ヴェネチアにおいて更に閉鎖的な養育院は、貴族や上級軍人に嫁ぐ(実質的には女性側に選択権のない人身売買)か、自分を捨てた母親が迎えに来なければ出ることができない。
母親は一縷の望みを賭けて、捨てる赤子に細密画のカードの半分を握らせ、そのカードは院の書庫に丁重に保管されるが、残り半分を持って引き取りに来られることは稀だ。喘息持ちで病弱なヴィヴァルディの指導の下、婚儀を忌避してピエタ院に残りたいがためにチェチリアがとった行動が悲劇を生む。自由が困窮と一体なのが切ない。
薄暗い養育院、大聖堂のステンドグラス、濡れた石畳と運河の淀んだ水面。貴婦人の絢爛豪華な衣装、男たちのウィッグは地位の象徴。少女たちの舞台衣装と普段着のお仕着せ。美術が素晴らしく、ヴェネチア生まれのオペラ演出家が撮った映画に更なる厚みを与えています。もちろん音楽も。現代のプロ演奏家に慣れた耳には少々粗があるアンサンブルがリアルです。
ヴィヴァルディといえば『四季』とりわけ『春(RV.269)』ですが、作曲されたのは本作の約10年後のこと。劇中で演奏されるのは『ラ・フォリア(トリオ・ソナタ集 作品1 第12番 ニ短調 RV.63)』、『戦勝カンタータ(蛮族の王ホロフェルネスを討伐した勝利のユディータ RV.644)』、デンマーク王に献呈した 『12のヴァイオリン・ソナタ op.2』の3曲です(死の床にある貴族の私室で仮面の少女たちが演奏する鎮魂歌の曲名はわかりませんでした)。
村上春樹の『1973年のピンボール』の中で、ヴィヴァルディの『調和の幻想』のエピソードは最も印象に残る場面ですが、ちょうど映画の時期に作曲されています。







