ハロウィンで賑わう渋谷駅を抜け、歩道橋を渡って、明治通りを恵比寿方面に向かって徒歩約5分。 l'atelier by APC で開催された手島絵里子さん(蓮沼執太フィル、F.I.B Journal Ghetto Strings)のヴィオラリサイタルを聴きに行きました。
ピアノは明利美登里さん。このふたりによるデュオリサイタルには何度かお邪魔していますが、今回は手島さんのソロリサイタルなので出ずっぱり。オーセンティックなクラシック演奏のヴィオラの音色を味わう90分でした。
・ヴュータン エレジー ヘ短調 Op.30
・ミヨー ヴィオラソナタ 第1番 Op.240
・シューマン 3つのロマンス Op.94
・ブラームス ヴィオラソナタ 第1番 ヘ短調 Op.120-1
アンコール: フォーレ 夢のあとで
ヴュータンは小品ですが、初ソロらしく3つの大曲にチャレンジして、特にブラームスの複雑で重厚な音楽を高い集中力で表現できていたと思います。調性の定まらないふわっとしたミヨーの楽曲との対比も面白かったです。
ヨーロッパで100~200年前、バロックまでさかのぼれば400年前に作られた音楽を21世紀の東京においてライブ演奏で聴く意味とは。疵の無い音楽を求めるのであれば、ヒストリカルレコーディング(歴史的名盤)があり、ブラームスのヴィオラソナタならスーク/パネンカのスプラフォン盤(1990)を実際に愛聴しているわけですが。
それよりも目の前で1曲のはじめの一音からおわりまで演奏されるという奇跡を共有したいし、スコアの解釈の先に見え隠れする演奏家の考え方や人となりを感じたい。
l'atelier by APCさんは弦楽器工房が所有するサロンです。適度にドライで且つまろやかな音の響きが室内楽には最適で、高い天井から差し込む自然光とスポット照明のミクスチュアも美しい。ちょうど僕の席からは、明治通りの向いの古い雑居ビルの壁面に描かれたタギング(HIPHOPのグラフィティアート)が窓ガラス越しに覗いていました。
2016年10月30日日曜日
2016年10月22日土曜日
帰ってきた同行二人 A POETRY READING SHOWCASE Ⅶ
隅田左岸のお洒落ゾーンといえば清澄白河。戦災で焼け残った古い商家が点在しており、道幅に江戸の名残りを感じます。そんな深川、このシリーズの出発点に7年目の今年、『同行二人』が帰ってまいりました。
初回は深川芭蕉庵から程近いそら庵さん。そして今回、そら庵さんにご紹介いただいて、深川いっぷく(どうぶつしょうぎcafeいっぷく)さんで『帰ってきた同行二人 A POETRY READING SHOWCASE Ⅶ』の開催と相成りました。ご来場のお客様、いっぷくのふじたまいこさん、共演者村田活彦さん、ありがとうございました。
僕のセットリストは以下の通りです。10月の詩を中心に組みました。
1. 無題(出会ったのは夏のこと~)
2. Subterranean Homesick Blues (Bob Dylan / 片桐ユズル訳)
3. Ballad For A Friend ( 〃 )
4. もしも僕が白鳥だったなら
5. 声
6. 山と渓谷
**
7. 線描画のような街
8. 風の通り道
9. 永遠の翌日(新作)
10. オルゴール(村田活彦)
11. Walk Out To Winter (Aztec Camera / カワグチタケシ訳)
この『同行二人』シリーズは3~5月に開催することが多かったので、秋の風景をまとめてお聴きいただく機会にできたことをうれしく思います。アンケートでは新作詩の評判も上々。また、自作は淡々と、カバーはエモく読む、という最近のマイブームを反映したパフォーマンスになったかと思います。
村田さんのリーディングも面白かったです。「帰ってきた」ので、2010年の初回にやった芭蕉の『奥の細道』の序文をリクエストしたところ、トラックを選んでヒップホップにアレンジしたり。僕の「無題(都市の末梢神経が~)」もカバーしてくれました。
毎年定点で同じ顔ぶれのライブを続けているからこそ見えてくるものもあります。僕は割合スタイルが変わらないほうだと思いますが、村田さんはいつも好奇心旺盛で勉強熱心。アウトプットされるものだけで判断してしまうとブレブレなところもありますが、むしろもっとずっとブレ続けて、そのブレ続ける姿を見せる芸を、唯一無二のスタイルに昇華してもらいたい。
将棋界が揺れている中での開催でしたが、白い壁に一脚毎に表情が異なる手作りの椅子。たくさんのボードゲームと澄んだ空気のどうぶつしょうぎcafeいっぷくさんの雰囲気が良く、程好くリラックスしたライブになりました。
さて、帰ってきたからには再出発しなくてはなりません。同行二人オンザロードアゲイン。来年また違う街でお会いできたら幸いです。どうか皆様も佳き旅を。
初回は深川芭蕉庵から程近いそら庵さん。そして今回、そら庵さんにご紹介いただいて、深川いっぷく(どうぶつしょうぎcafeいっぷく)さんで『帰ってきた同行二人 A POETRY READING SHOWCASE Ⅶ』の開催と相成りました。ご来場のお客様、いっぷくのふじたまいこさん、共演者村田活彦さん、ありがとうございました。
僕のセットリストは以下の通りです。10月の詩を中心に組みました。
1. 無題(出会ったのは夏のこと~)
2. Subterranean Homesick Blues (Bob Dylan / 片桐ユズル訳)
3. Ballad For A Friend ( 〃 )
4. もしも僕が白鳥だったなら
5. 声
6. 山と渓谷
**
7. 線描画のような街
8. 風の通り道
9. 永遠の翌日(新作)
10. オルゴール(村田活彦)
11. Walk Out To Winter (Aztec Camera / カワグチタケシ訳)
この『同行二人』シリーズは3~5月に開催することが多かったので、秋の風景をまとめてお聴きいただく機会にできたことをうれしく思います。アンケートでは新作詩の評判も上々。また、自作は淡々と、カバーはエモく読む、という最近のマイブームを反映したパフォーマンスになったかと思います。
村田さんのリーディングも面白かったです。「帰ってきた」ので、2010年の初回にやった芭蕉の『奥の細道』の序文をリクエストしたところ、トラックを選んでヒップホップにアレンジしたり。僕の「無題(都市の末梢神経が~)」もカバーしてくれました。
毎年定点で同じ顔ぶれのライブを続けているからこそ見えてくるものもあります。僕は割合スタイルが変わらないほうだと思いますが、村田さんはいつも好奇心旺盛で勉強熱心。アウトプットされるものだけで判断してしまうとブレブレなところもありますが、むしろもっとずっとブレ続けて、そのブレ続ける姿を見せる芸を、唯一無二のスタイルに昇華してもらいたい。
将棋界が揺れている中での開催でしたが、白い壁に一脚毎に表情が異なる手作りの椅子。たくさんのボードゲームと澄んだ空気のどうぶつしょうぎcafeいっぷくさんの雰囲気が良く、程好くリラックスしたライブになりました。
さて、帰ってきたからには再出発しなくてはなりません。同行二人オンザロードアゲイン。来年また違う街でお会いできたら幸いです。どうか皆様も佳き旅を。
2016年10月16日日曜日
オーバー・フェンス
日曜日の東京は薄曇り。テアトル新宿で山下敦弘監督作品『オーバー・フェンス』を観ました。
仕事と妻子を失い故郷に帰った白岩(オダギリジョー)は、失業保険を受給しながら函館職業技術訓練学校建築科に通い大工仕事を教わっているが、特段大工になりたいというわけでもない。唐揚げ弁当と缶ビール2本の夕飯。
同じ建築科の生徒である代島(松田翔太)に誘われた店で働く情緒不安定なキャバ嬢サトシ(蒼井優)と出会う。サトシは昼間は函館公園こどものくに(遊園地)で働いている。
故佐藤泰志の函館が舞台の小説の映画化は、『海炭市叙景』(2010)、『そこのみにて光輝く』(2014)に続いて3本目。監督は3本それぞれ異なりますが、本作の山下敦弘監督の過去作は『リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』など、まあまあ観ているほうです。
「いまのうちにたくさん笑っておいたほうがいい。すぐに面白くなくなるから」。日々の暮しに夢や希望を見いだせない底辺に生きる人々がいかに生きるべきかという佐藤泰志の小説の主題に、旬のアイドルを撮っても必ずブルージィな仕上がりになってしまう山下監督の作風は合っていると思います。
リアリティには欠けるが感触がリアル。閉園後の夜の動物園。おびただしい数の鳥が突然鳴き出し、鳴き止んだ途端に空から雪のように白い鳥の羽が降ってくる。自転車二人乗りで坂を下る。荷台のサトシが両手で白い鳥の羽を次々に空に放つ。
普段軽乗用車を運転しているサトシですから、坂の上の遊園地への通勤は当然自動車だろう。翌日の出勤を考えたら白岩の自転車で帰るなんてありえない。そんなリアリティ批判がまかり通る昨今ですが、そういうくだらない言説はここではあえて唾棄したい。フィクションにはフィクション的リアリティが、映画には映画的リアリティがあり、それが表現たらしめているのだから。
めずらしく主人公に感情移入してしまいました。白岩は、恋人サトシに「その目で見られると自分がゴミのように思えてくる」と、元妻(優香)には「あなた、私のこと要らないと思ってたでしょう」と言われる。僕も近しい間柄の人に、男女問わず、それも自分としては大事に思っている人に「馬鹿にしているでしょう」とか「私の話に興味無いよね」的なことを言われることがあります。とても悲しい気持ちになるので、そういうの本当にやめてもらいたいです。
仕事と妻子を失い故郷に帰った白岩(オダギリジョー)は、失業保険を受給しながら函館職業技術訓練学校建築科に通い大工仕事を教わっているが、特段大工になりたいというわけでもない。唐揚げ弁当と缶ビール2本の夕飯。
同じ建築科の生徒である代島(松田翔太)に誘われた店で働く情緒不安定なキャバ嬢サトシ(蒼井優)と出会う。サトシは昼間は函館公園こどものくに(遊園地)で働いている。
故佐藤泰志の函館が舞台の小説の映画化は、『海炭市叙景』(2010)、『そこのみにて光輝く』(2014)に続いて3本目。監督は3本それぞれ異なりますが、本作の山下敦弘監督の過去作は『リンダ リンダ リンダ』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』など、まあまあ観ているほうです。
「いまのうちにたくさん笑っておいたほうがいい。すぐに面白くなくなるから」。日々の暮しに夢や希望を見いだせない底辺に生きる人々がいかに生きるべきかという佐藤泰志の小説の主題に、旬のアイドルを撮っても必ずブルージィな仕上がりになってしまう山下監督の作風は合っていると思います。
リアリティには欠けるが感触がリアル。閉園後の夜の動物園。おびただしい数の鳥が突然鳴き出し、鳴き止んだ途端に空から雪のように白い鳥の羽が降ってくる。自転車二人乗りで坂を下る。荷台のサトシが両手で白い鳥の羽を次々に空に放つ。
普段軽乗用車を運転しているサトシですから、坂の上の遊園地への通勤は当然自動車だろう。翌日の出勤を考えたら白岩の自転車で帰るなんてありえない。そんなリアリティ批判がまかり通る昨今ですが、そういうくだらない言説はここではあえて唾棄したい。フィクションにはフィクション的リアリティが、映画には映画的リアリティがあり、それが表現たらしめているのだから。
めずらしく主人公に感情移入してしまいました。白岩は、恋人サトシに「その目で見られると自分がゴミのように思えてくる」と、元妻(優香)には「あなた、私のこと要らないと思ってたでしょう」と言われる。僕も近しい間柄の人に、男女問わず、それも自分としては大事に思っている人に「馬鹿にしているでしょう」とか「私の話に興味無いよね」的なことを言われることがあります。とても悲しい気持ちになるので、そういうの本当にやめてもらいたいです。
2016年10月15日土曜日
絵と音と、流れる夜に
よく晴れた秋の土曜日の夕方。東京メトロ銀座線で外苑前まで。TAMBOURIN GALLERY で開催中のイケダユーコ個展[flow]、今夜は「絵と音と、流れる夜に」と題されたイケダユーコさんのライブドローイング、イシカワアユミさんの即興演奏を鑑賞しました。
まずグラスに生けた野の花のデッサンから。インクと水彩絵の具を用いて画用紙に描かれる確かな線と淡い色彩。イケダさんの手が早い。つけペンが画用紙に立てるガリガリと硬い音。しかし紙の上の植物の表情は柔らかい。あっという間に仕上げて2枚目に取りかかる。
今日一番大きな画用紙に幅広の刷毛でホリゾントからグラデーションをつけたボーダーを重ねていく。夕刻の空と地平線。その手前には細い茎の花の群生が風に揺れている。水平の刷毛跡に対して垂直に穿たれるペン先の音。水彩に重なりインクが滲んで広がる。
3枚目は不規則なドット。抽象の先に透けるぼやけた心象風景。4枚目、赤い色鉛筆で引かれる稜線。途中で色鉛筆の芯が折れ、その折れた短い芯を指先でつまんで稜線を引き続ける。
イシカワアユミさんがJuno-DSで奏でるリリカルでイノセントなピアノの分散和音。そして虫の声と線路と波の音のSEが重なり、アンビエントな通奏低音にグロッケンシュピールが散発的に鳴らされる夜の音楽へ。それに呼応して2枚目の夕景のボーダーに再び水彩とパステルでダークトーンが重ねられ、暗い海面に満月が現われる。約1時間のプログラム。
水彩画が描かれる過程とは、画用紙を濡らす水とその蒸発のことなんだな、と思いました。それが予期しない方向に進んでしまってもその偶発性を楽しみ、音楽はもちろん、周囲の気配やノイズ、時間の流れ、観客の動きに反応し、自分に引き寄せる気持ちの強さと懐の深さ。そして乾いた紙の上には痕跡としての描線と色彩だけが残る。ギャラリーを出れば空に満月。いいものを観ました。
まずグラスに生けた野の花のデッサンから。インクと水彩絵の具を用いて画用紙に描かれる確かな線と淡い色彩。イケダさんの手が早い。つけペンが画用紙に立てるガリガリと硬い音。しかし紙の上の植物の表情は柔らかい。あっという間に仕上げて2枚目に取りかかる。
今日一番大きな画用紙に幅広の刷毛でホリゾントからグラデーションをつけたボーダーを重ねていく。夕刻の空と地平線。その手前には細い茎の花の群生が風に揺れている。水平の刷毛跡に対して垂直に穿たれるペン先の音。水彩に重なりインクが滲んで広がる。
3枚目は不規則なドット。抽象の先に透けるぼやけた心象風景。4枚目、赤い色鉛筆で引かれる稜線。途中で色鉛筆の芯が折れ、その折れた短い芯を指先でつまんで稜線を引き続ける。
イシカワアユミさんがJuno-DSで奏でるリリカルでイノセントなピアノの分散和音。そして虫の声と線路と波の音のSEが重なり、アンビエントな通奏低音にグロッケンシュピールが散発的に鳴らされる夜の音楽へ。それに呼応して2枚目の夕景のボーダーに再び水彩とパステルでダークトーンが重ねられ、暗い海面に満月が現われる。約1時間のプログラム。
水彩画が描かれる過程とは、画用紙を濡らす水とその蒸発のことなんだな、と思いました。それが予期しない方向に進んでしまってもその偶発性を楽しみ、音楽はもちろん、周囲の気配やノイズ、時間の流れ、観客の動きに反応し、自分に引き寄せる気持ちの強さと懐の深さ。そして乾いた紙の上には痕跡としての描線と色彩だけが残る。ギャラリーを出れば空に満月。いいものを観ました。
2016年10月14日金曜日
地獄に堕ちた野郎ども
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した翌日。シネマート新宿のレイトショーでウェス・オーショスキー監督作品『地獄に堕ちた野郎ども』を観ました。
ザ・ダムドはロンドンパンクのバンドとして最初にレコードデビューし、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並ぶオリジネーター。メンバーチェンジ、解散、再結成を繰り返し、現在結成40周年。在籍したメンバーは20人以上。全員が一度は(もしくは数回)脱退している。
オリジナルメンバー4人を軸に、1977年から2012年までのライブ映像、オフショット、スタッフや関連の深いミュージシャンのインタビューで構成されたドキュメンタリーです。
中学生のときにはじめて聴いた1stアルバム"Damned Damned Damned"(邦題:地獄に堕ちた野郎ども)は衝撃的でした。セックス・ピストルズの政治性もザ・クラッシュのインテリジェンスもザ・ジャムのスタイリッシュさもザ・ストラングラーズの文学性もなく、やかましくて下品で粗雑でバカっぽくて楽しそうでした。
2nd"Music for Pleasure"の鈍重な演奏にげんなりしてその後のリリースには積極的になれませんでしたが(キャプテン・センシブルのポップセンスが光る 3rd "Machine Gun Etiquette"や5th "Strawberries" は悪くないアルバムです)、1stだけはずっと愛聴しています。
「俺たちミュージシャンは自尊心が低い人間なのさ。ステージに出て拍手してもらってやっと人並みだ」。還暦を過ぎたいまも自分で機材車を運転してツアーをしています。アメリカでは革ジャンにスタッズ、全身タトゥの40~50代オールドパンクスたちに大歓迎されますが、香港や東京などアジア圏は客層が若い。さすがに恰幅が良くなりましたが、デビュー当時ひょろひょろの4人の破壊的なパフォーマンスはいま観てもやはり血わき肉踊るものがある。
ザ・クラッシュのミック・ジョーンズ、ストラングラースのジャン=ジャック・バーネル、バズコックスのスティーヴ・ディグル、ビリー・アイドル、ザ・プリテンダーズのクリッシー・ハインド、デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラ、デペッシュ・モードのデイヴ・ガーン、モーターヘッドの故レミー、その他大勢のレジェンドたちのインタビューも演奏シーンも数秒から数十秒でカットアップされるハードドライヴィンな編集から監督のザ・ダムドの音楽へのリスペクトが伝わってきます。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画から引用した『地獄に堕ちた野郎ども』がその代表例ですが、SEX PISTOLS 『勝手にしやがれ "Never Mind the Bollocks"』、THE STRANGLERS 『野獣の館 "Rattus Norvegicus"』、THE CLASH 『動乱(獣を野に放て) "Give 'Em Enough Rope"』 etc、この頃の邦題はレコード会社の担当者が楽しんでつけている感じがとてもいいですよね。
大貫憲章氏と写真家菊地茂夫氏による上映前のトークは、ノスタルジーに流され過ぎず、現在のバンドの姿も客観的に伝え、且つパンク愛に溢れており、ちょっと甘酸っぱい気持ちになりました。
ザ・ダムドはロンドンパンクのバンドとして最初にレコードデビューし、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並ぶオリジネーター。メンバーチェンジ、解散、再結成を繰り返し、現在結成40周年。在籍したメンバーは20人以上。全員が一度は(もしくは数回)脱退している。
オリジナルメンバー4人を軸に、1977年から2012年までのライブ映像、オフショット、スタッフや関連の深いミュージシャンのインタビューで構成されたドキュメンタリーです。
中学生のときにはじめて聴いた1stアルバム"Damned Damned Damned"(邦題:地獄に堕ちた野郎ども)は衝撃的でした。セックス・ピストルズの政治性もザ・クラッシュのインテリジェンスもザ・ジャムのスタイリッシュさもザ・ストラングラーズの文学性もなく、やかましくて下品で粗雑でバカっぽくて楽しそうでした。
2nd"Music for Pleasure"の鈍重な演奏にげんなりしてその後のリリースには積極的になれませんでしたが(キャプテン・センシブルのポップセンスが光る 3rd "Machine Gun Etiquette"や5th "Strawberries" は悪くないアルバムです)、1stだけはずっと愛聴しています。
「俺たちミュージシャンは自尊心が低い人間なのさ。ステージに出て拍手してもらってやっと人並みだ」。還暦を過ぎたいまも自分で機材車を運転してツアーをしています。アメリカでは革ジャンにスタッズ、全身タトゥの40~50代オールドパンクスたちに大歓迎されますが、香港や東京などアジア圏は客層が若い。さすがに恰幅が良くなりましたが、デビュー当時ひょろひょろの4人の破壊的なパフォーマンスはいま観てもやはり血わき肉踊るものがある。
ザ・クラッシュのミック・ジョーンズ、ストラングラースのジャン=ジャック・バーネル、バズコックスのスティーヴ・ディグル、ビリー・アイドル、ザ・プリテンダーズのクリッシー・ハインド、デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラ、デペッシュ・モードのデイヴ・ガーン、モーターヘッドの故レミー、その他大勢のレジェンドたちのインタビューも演奏シーンも数秒から数十秒でカットアップされるハードドライヴィンな編集から監督のザ・ダムドの音楽へのリスペクトが伝わってきます。
ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画から引用した『地獄に堕ちた野郎ども』がその代表例ですが、SEX PISTOLS 『勝手にしやがれ "Never Mind the Bollocks"』、THE STRANGLERS 『野獣の館 "Rattus Norvegicus"』、THE CLASH 『動乱(獣を野に放て) "Give 'Em Enough Rope"』 etc、この頃の邦題はレコード会社の担当者が楽しんでつけている感じがとてもいいですよね。
大貫憲章氏と写真家菊地茂夫氏による上映前のトークは、ノスタルジーに流され過ぎず、現在のバンドの姿も客観的に伝え、且つパンク愛に溢れており、ちょっと甘酸っぱい気持ちになりました。
2016年10月10日月曜日
EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years
今年は10月10日が体育の日。角川シネマ有楽町で、ロン・ハワード監督作品 『ザ・ビートルズ ~Eight Days A Week ‐ The Touring Years』 を観ました。
1963年、セカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』発売直前、マンチェスターABCシネマの公開録画から映画は始まる。それから1966年サンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのラスト・コンサートまで。デビュー前の静止画+ライブ録音を含めてもわずか5年間のライブ活動期間を編集したドキュメンタリーフィルム。
4K技術とデジタルリマスターにより格段に鮮明になった映像と音声は冷酷なまでにバンドの状態を伝えてしまいます。1966年日本武道館公演の4人に1963年当時の溌剌さは消え、特にリンゴ・スターの表情は冴えない。
最後の公式映像となった1970年アップルレコードのルーフトップ・コンサートの4人は50過ぎといってもおかしくないぐらい。疲弊と悟りと数年ぶりに皆で音を合わせる喜びが表情に出ている。
ジョン・レノンとリンゴ・スターは1940年、ポール・マッカートニー(左利き)が1942年、ジョージ・ハリスンが1943年生まれなので、最年長のジョンとリンゴですらザ・ビートルズの活動期間は22歳から30歳、ジョージに至っては19歳でデビューし27歳で解散。いかに早熟な天才だったかが判ります。
本編の後に上映される1965年NYシェイスタジアム公演の演奏が素晴らしい。十代の頃『The Beatles at the Hollywood Bowl』のLP盤を聴いて、録音のショボさと嬌声のデカさに辟易しましたが(だって Yessongs とか好きだったんだもん)、最新テクノロジーが当時のバンドのクオリティを蘇らせ、めっちゃ格好良いです。でもこれ、現場で客席に流れてたのはメガホンみたいなスタジアムスピーカーから数秒だけ聴こえるペラぺラな音なんだろうな。
世界中の少女たちの熱狂ぶりがやはりすさまじい。失神してスタジアムの警備員に担ぎ出されたガールズもいまや60~70代でしょう。「1曲目の途中までしか記憶がないのよ」なんて武勇伝を何度も孫に話してウザがられているのかと想像すると、鼻の奥がツンとします。映画館の客層もそれぐらいな感じでした。
1963年、セカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』発売直前、マンチェスターABCシネマの公開録画から映画は始まる。それから1966年サンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのラスト・コンサートまで。デビュー前の静止画+ライブ録音を含めてもわずか5年間のライブ活動期間を編集したドキュメンタリーフィルム。
4K技術とデジタルリマスターにより格段に鮮明になった映像と音声は冷酷なまでにバンドの状態を伝えてしまいます。1966年日本武道館公演の4人に1963年当時の溌剌さは消え、特にリンゴ・スターの表情は冴えない。
最後の公式映像となった1970年アップルレコードのルーフトップ・コンサートの4人は50過ぎといってもおかしくないぐらい。疲弊と悟りと数年ぶりに皆で音を合わせる喜びが表情に出ている。
本編の後に上映される1965年NYシェイスタジアム公演の演奏が素晴らしい。十代の頃『The Beatles at the Hollywood Bowl』のLP盤を聴いて、録音のショボさと嬌声のデカさに辟易しましたが(だって Yessongs とか好きだったんだもん)、最新テクノロジーが当時のバンドのクオリティを蘇らせ、めっちゃ格好良いです。でもこれ、現場で客席に流れてたのはメガホンみたいなスタジアムスピーカーから数秒だけ聴こえるペラぺラな音なんだろうな。
世界中の少女たちの熱狂ぶりがやはりすさまじい。失神してスタジアムの警備員に担ぎ出されたガールズもいまや60~70代でしょう。「1曲目の途中までしか記憶がないのよ」なんて武勇伝を何度も孫に話してウザがられているのかと想像すると、鼻の奥がツンとします。映画館の客層もそれぐらいな感じでした。
2016年10月8日土曜日
帰ってきた同行二人
畏れ多くも自らを芭蕉と曽良になぞらえたオトナ系男子二人旅。2010年春に深川から出発して谷中、白山、渋谷、渋谷、吉祥寺。西へ西へと進んで7年目の今年、出発の地深川におめおめと帰ってまいりました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
帰ってきた同行二人 A POETRY READING SHOWCASE Ⅶ
日時:2016年10月22日(土) 14時半開場 15時開演
会場:深川いっぷく(どうぶつしょうぎcafeいっぷく)
東京都江東区白河3-2-15 03-3641-3477
地下鉄都営大江戸線清澄白河駅A3出口より徒歩9分
東京メトロ半蔵門線清澄白河駅B2出口より徒歩5分
料金:1,000円(御飲食代別途)
出演:村田活彦、カワグチタケシ
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
7回目にしてはじめての秋開催です。会場はサードウェーブの聖地、隅田左岸のおしゃれタウン清澄白河のどうぶつしょうぎcafeいっぷくさん。元プロ棋士でどうぶつしょうぎのデザイナーでもあるふじたまいこさんがマネージャーを務める、木の香りのする可愛らしいギャラリーカフェです。
ご予約は不要ですが「行くよ!」と言ってもらえると俄然モチベーションが上がります。暦の上ではオクトーバー、耳をかたむけるが吉。ということで皆さま是非お運びください!
2016年10月1日土曜日
< present >
都民の日の東京は細かい雨が降ったり止んだり。JR中央線信濃町駅と東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅のまんなかあたり、金木犀の香る住宅街を抜けて。The Artcomplex Center of Tokyoで、櫻井あすみ個展< present >を鑑賞しました。
昨年の芸工展、根津さんさき坂カフェの展示『ここからの世界』で、櫻井さんの作品をはじめて観て「いいな」と思い住所を書いたところ、今回の個展のご案内を送ってくださいました。その間に第34回上野の森美術館大賞展優秀賞(産経新聞社賞)を受賞したりと、活躍が目覚ましい。
モノクロームに近いくすんだ画面には都市の風景。それも高層建築が立ち並ぶ再開発エリアではなく、古びたトタン屋根や電柱が並ぶ旧市街。日本画の画材と技法を用いていますが、一点透視遠近法による陰翳の深い遠景、キュビズム的な画面分割など、西洋画の発想も上手く取り込んでいるのが印象的です。
街中に人物は多くなく、あっても後ろ姿で、顔の表情も描かれていませんが、そこには人々の暮らしが息づいています。自己と他者との距離感が作品群の主題だという。人の思考や感情に必要以上に踏み込みたくはない。それでも誰かと、世界と、いつも関わってはいたい。そんなSNS時代の新しい日本画。
一方で、原画ならではの岩絵具や銀箔による鉱物質の輝きに「直接」ということを想わされずにはいられない。そのアンビヴァレンツを精密なデッサンと画面構成力でまとめ上げる力量は確かです。来春には東京藝術大学大学院の修了作品展が予定されているとのこと。若い才能のこれからがとても楽しみです。
昨年の芸工展、根津さんさき坂カフェの展示『ここからの世界』で、櫻井さんの作品をはじめて観て「いいな」と思い住所を書いたところ、今回の個展のご案内を送ってくださいました。その間に第34回上野の森美術館大賞展優秀賞(産経新聞社賞)を受賞したりと、活躍が目覚ましい。
モノクロームに近いくすんだ画面には都市の風景。それも高層建築が立ち並ぶ再開発エリアではなく、古びたトタン屋根や電柱が並ぶ旧市街。日本画の画材と技法を用いていますが、一点透視遠近法による陰翳の深い遠景、キュビズム的な画面分割など、西洋画の発想も上手く取り込んでいるのが印象的です。
街中に人物は多くなく、あっても後ろ姿で、顔の表情も描かれていませんが、そこには人々の暮らしが息づいています。自己と他者との距離感が作品群の主題だという。人の思考や感情に必要以上に踏み込みたくはない。それでも誰かと、世界と、いつも関わってはいたい。そんなSNS時代の新しい日本画。
一方で、原画ならではの岩絵具や銀箔による鉱物質の輝きに「直接」ということを想わされずにはいられない。そのアンビヴァレンツを精密なデッサンと画面構成力でまとめ上げる力量は確かです。来春には東京藝術大学大学院の修了作品展が予定されているとのこと。若い才能のこれからがとても楽しみです。
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