2019年1月27日日曜日

バハールの涙

寒日和。シネスイッチ銀座エヴァ・ウッソン監督作品『バハールの涙』を鑑賞しました。

2014年11月、イラク共和国クルド人自治区ゴルディン。フランス人女性戦場ジャーナリストのマチルド(エマニュエル・ベルコ)はiPhoneの着信音で目覚め眼帯を着ける。取材中に破裂弾の破片に当たって左目を失明していた。

ヤズディ教徒のバハール(ゴルシフテ・ファラハニ)はフランスに留学経験のある元弁護士。自宅をIS(イスラミック・ステイト)に襲われ、父親と夫は目の前で銃殺、幼い息子は誘拐され、妹はIS戦士に強姦され手首を切って自殺、自身もISの性奴隷にされた後、四度目の人身売買先から決死の覚悟で逃亡し、ISの元奴隷による女性部隊 Les Filles Du Soleil に加わる。

「無謀だ、相当数の男が犠牲になる」「女はもう犠牲になった」。ムスリムは女に殺されると天国に行けないと信じていて、戦場で女の声を聞くと怯えるという。透徹した眼差しで銃を構えるバハールが美しい。

「女! 命! 自由の新しい世界!」尊厳を侵され家族を奪われた憎しみを忘れることはないが、人を撃つことに葛藤がある女兵士たちを鼓舞する。『パターソン』の妻役、イラン出身のゴルシフテ・ファラハニ(左利き)が熱演しています。

平穏で豊かな家族の暮らし、ISに囚われていた凄惨な日々、そして砂埃にまみれた戦場。3つの時系列をカットアップし、終盤の児童救出のシーンまで息をつかせぬ見事な演出です。マチルドの言う「どんな悲惨な世界も人は1クリックして、あとは無関心だ。それでも危険を冒して報じ続けなければならない」という科白が重く響く。

どうしたら争いを、憎悪の連鎖を断ち切ることができるのか、そのためにできること、すべきことは何なのか。その一方で、過酷な現実をエンターテインメントとして消費してしまうことの是非。深く考えさせられる映画です。


2019年1月5日土曜日

ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~

お正月気分も少し薄まってきた小春日和の土曜日。TOHOシネマズ日比谷ケビン・マクドナルド監督作品『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』を観ました。

1985年に『そよ風の贈りもの』(原題:Whitney Houston)でレコードデビューして世界中を虜にし、2012年に48歳の若さで不慮の死を遂げた世紀の歌姫ホイットニー・ヒューストンの生涯を家族や友人、スタッフなど、近親者のインタビューと生前の映像によって構成しています。

1963年、米国ニュージャージー州ニューアーク市でホイットニーはソウルシンガーの母シシーと市の都市計画の責任者ジョンの間に生まれた。公民権運動の最中、多数の死者を出したニューアーク暴動の4年前。長兄ゲイリーは元NBAデンバーナゲッツの選手、いとこにはシンガーのディオンヌ・ワーウィック故ディーディー・ワーウィックがいる。

ブラック・コミュニティ出身でありながら、人種を超えて広く支持され、レーガンブッシュ(父)政権下のアメリカ合衆国を代表するポップスターになったが、はじける笑顔の裏側では黒人社会と白人社会のダブルコンシャスネスに揺れ苦悩していた。

サブリミナル的に挿入される暴動、デモ、ダイアナ妃の葬儀、サダム・フセイン、湾岸戦争などディザスターのニュース映像がバッドエンドを暗示させる。なにより印象に残るのは、アメリカのゴシップジャーナリズムのあけすけなまでの容赦の無さ。セクシャリティ、ドラッグ、人種意識。これ本人に訊いちゃうの? ってことをテレビ番組のインタビューで掘り下げます。それが翌朝タブロイド版に載り、昨日までのプリンセスが突如ヒールになる。死後は一転してヒロインに返り咲く。

十代からのコカイン中毒や元夫ボビー・ブラウンによるDV、血縁者の依存、幼少期の性的トラウマなど、複数の要因があったには違いないが、ジャーナリズムも彼女の死の責任の一端を担っている。その先にいる我々視聴者も。

おそらく1990年頃のプライベートビデオなのでしょう。当時チャートを賑わしていたC&Cミュージックファクトリージャネット・ジャクソンポーラ・アブドゥルを呂律の回らない舌でディスるホイットニー。最晩年のコンサートにおける "I Will Always Love You" の荒れ果てて輝きを失った歌声の痛々しさに胸が潰れる思いがしました。

 

2019年1月4日金曜日

バスキア、10代最後のとき

冬晴れ。東京メトロ日比谷線の乗客たちが心なしかすこし疲れた表情に見えます。恵比寿ガーデンシネマサラ・ドライバー監督作品『バスキア、10代最後のとき』を鑑賞しました。

1978年、ニューヨーク・ロワーイーストサイド。NY市、NY州共に財政破綻し、富裕なWASP層が去ったマンハッタンは荒廃していた。空室だらけでゴミが散乱した褐色砂岩のビル群に貧しい移民が流入し、ドラッグと暴力がストリートに蔓延した。

シド&ナンシーパティ・スミスラモーンズグランドマスター・フラッシュアフリカ・バンバータ。パンクロックとヒップホップが同時多発的に起こる。

「そんなこんながどんどん増えて/そのうちみんながブルーズを歌い出すんだ/そうやってまるで絶望的な環境から素晴らしい音楽が生まれるようにそして/素晴らしい音楽ががっちりとネットワークを作って何かを伝承していくように/犠牲になることを頑なに拒絶するための道具として/あのブリクストンの反抗的なレゲエ・ビートのように強烈な言葉だけを頼りに」(Rumbling Under The Rain)

トーキョーポエトリーシーンの伝説的詩人故カオリンタウミが1997年に書いたこの詩句を地で行くような当時のNYで、まだ何者でもなかった18歳のジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)がコンテンポラリーアート界のアイコンになるまで、同時代人たちのインタビューによって構成し検証したドキュメンタリーフィルムです。

グラフィティチーム "SAMO" をバスキアと組んでいたアル・ディアス、ヒップホップカルチャーの先駆的映画『ワイルド・スタイル』に出演したファブ・ファイブ・フレディリー・キュノネス(レイモンド・ゾロ)。バスキア、ヘリングと並び称されたケニー・シャーフ。彼らは現在の自身の作品を背にインタビューを受けているが、いずれも技術があり、アブストラクトなファインアート寄りの作風に変貌している。生きていれば58歳のバスキアが当時のまま粗野な新鮮さを保っているのかは知る由もないが、夭折によりその勢いが真空パックされ価値を高めたことも事実なのだと思う。

そしてバスキアの元カノたち。ミュージシャン、画家、映像作家、研究者。クラブ57マッドクラブ。当時を語る彼ら、彼女らの姿にNYという街自体の青春時代を共有したんだなあ、という感慨が湧きます。そして服飾デザイナーのパトリシア・フィールドを除いて、登場する全員(の現在の姿)が誰一人としてファッショナブルではない。

バスキアが当初、画家(グラフィティ・ペインター)としてよりも詩人(グラフィティ・ポエット)として評価されていたこと(その流れで、ニューヨリカン・ポエトリーの父と言われるホルヘ・ブランドンのスポークン・ワード・パフォーマンスが数秒ですが写ります)、ヒップホップよりもテスト・デプトノイバウテンなどノイズインダストリアル音楽が好きで、その後チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーらのビバップジャズに傾倒したことなど、この映画を通して知りました。

バスキアの作品は2019年現在の目で見てもとてつもなく格好良い。でもその魅力を論理的に伝えることは大変な困難を伴う。「鑑賞者が作品を前にして、なぜ自分がその作品の前に立っているのかを自問することこそがアートだ」というリー・キュノネスの言葉が本質を突いています。

 

2019年1月3日木曜日

アリー/ スター誕生

お正月は映画館で過ごすのが恒例です。2019年はユナイテッドシネマ豊洲ブラッドリー・クーパー監督出演、レディー・ガガ(左利き)主演『アリー/ スター誕生』を観ました。

アリー(レディー・ガガ)は売れないシンガー。高級ホテルの配膳スタッフで糊口をしのぎ、週末はゲイクラブ"BLUE BLUE"のドラァグショーで歌っている。レコード会社のオーディションを受けても「鼻が大き過ぎてスターになれない」と言われて落とされる。ロックスターのジャクソン・メイン(ブラッドリー・クーパー)はアルコール依存症。移動中のリムジンが渋滞に巻き込まれ、酒を求めてたまたま入った "BLUE BLUE"で、アリーの歌うシャンソン「バラ色の人生」に涙してしまう。

ジュディ・ガーランド(1954)、バーブラ・ストライサンド(1976)らが主演し、何度も映画化された原作に基づくが、設定を現代に移して、楽曲もレディー・ガガとブラッドリー・クーパーが新たに書き下ろしています。ナレーションやモノローグを排し、回想シーンもない。音楽はほぼ演奏シーンのみ。役者の表情と科白、カメラワークと見事な編集で全てを語らせている。シンプリシティの勝利はクーパー監督の手腕。

加えて、ブラッドリー・クーパーが曲が書けて、歌えて、ギターも達者という驚きと、映画初主演のガガ様がこんなにもお芝居が出来るのかという驚き。

自己肯定感の低いアリーが初めてジャクソンのステージに呼び込まれ大観衆の前で自作曲 "Shallow" を歌い始めるときの不安で一杯な眼差し。オーセンティックなロックンロールからダンスミュージックにセルアウトしていく自分に対する恋人ジャクソンのアンビバレンツな想いを敏感に感じ取り、己の才能が愛する人を潰してしまうことに気づくアリー。

19歳で Def Jam Recordings と契約したガガ様にショービズ界で下積みのイメージはあまりないですが、それでも最初から世界的なスターだったわけではない。演技が本業ではないだけに、才能を信じ人並外れた努力で運を掴みステップアップしていった自身のキャリアをアリーに映じたはずで、我々もそのふたりを重ね合わせて観るというメタフィクションでもあると同時に、ガガ様がアリーという役を演じることで自己を再肯定する過程を観客と共有する感動的なドキュメンタリーフィルムと言ってもいいのではないでしょうか。